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2005年9月

2005年9月30日 (金)

暑いなあ。

 朝晩の冷え込みは相当なもんだが、昼間はケッコウ暑い。テレビの報道によると、このまま行くといつか地球の水は無くなるんだそうな。てえことは、人間は生きていられなくなるというわけだ。人間が営々として築き上げてきた文化も学問も何もかもいつか零になるということか。そうか、そうなんだ。と思うと、人間がいとおしくなった。イヤ、生きとし生けるもの全てが愛おしいではないか。家を建て、田を耕し、ものを作って一生懸命に生きている人間達。時々歌ったりなんかして、、、。生まれてあっという間に死んでいく虫たちと大差ない。宇宙に行ってカレーを食べたりして喜んでいる可愛い人間。どんなに遠くを見ているようでも、結局は田を耕し大地ばかり見て暮らしている人とそんなに違わないように思える。地震に驚き台風に泣き、渇水におびえなくてはならない。所詮は自然の勝利なのだ。ということは、結局「受容」しかない。、、、「受容」そもそもこれが一番難しい。あがいてあがいて、、、生きているような気分になって居るんだ。
山頭火を想い、秋が来たのを感じる、キョウノワタクシ。

 

 

2005年9月29日 (木)

久しぶりのちぇち練。

 長い間せっせと通ったサンポートに今夜はガラコン練習のため集まった。内輪だけの会というのは又新鮮だったなあ。ただ、みんな疲れが取れて無くて、ちょいとぼんやり、、かな?フフ、私のこと。
 今度は無料の会ではあるが、まあ、舞台という点では何らかわりはない。後少し、頑張らねば、、。どんなことになりますやら!

 来週は二人ほど見学者が来られるかも知れない。どんどん多くなってくれると嬉しいなあ。人が居なくてはやりたいことも出来ない。

 短歌の会から新聞が届く。5周年特集だったが、最初は殆どの人が無理矢理勧誘されて入ったはずのこの会が、大きく言えば日本中から注目される会に迄なってきたのは、ひとえにその勧誘者であるS氏のお陰だろう。私自身、あの強引さが無ければ絶対入ってなかった短歌の世界。どこぞの会長にもこの強引さが欲しいなあ。「頼まれなければ教えたくない」「去る者は追わず」式の我が会長殿は、S氏に学んで頂きたいものだ。な〜んてね。ま、人それぞれか。

 10月8日はちぇちガラコン。16日は短歌歌会。22日は琵琶湖オペラ。この3つのメイン以外にあれやこれやと私の手帳はまたもや真っ黒。さあ、神無月をどう過ごすか。もしや神も仏も無い月か?

 

 

2005年9月28日 (水)

カルメン公演、その後。

 続々と感想が入ってくるが、殆どが「言葉が不明瞭」「ラストがあっけなくてがっかり」というもので、中には「泣かせて欲しかった」なんてのもある。ダントツの意見は「合唱の迫力が凄かった」だ。ふっふっふ、そうだろう、そうでしょうとも、マツイ55さんの見たとおり、みんな非日常を存分に楽しんだのだ。「たおやか」かどうかは知らないが、少なくとも普段絶対にあり得ない姿勢や動き方で「はすっぱ」を「妖しさ」を演じたつもり。それでも演技は隙間だらけだったよと娘は言うが、まあ、それは仕方無い面もある。この微妙な音程の音楽を、どうにかきちっと歌えることに偏って集中していたのだ。この聞き慣れた音楽が「実際歌ってみるとこんなにも難しい」とは、ソリストがみんな口を揃えて言った言葉だ。
こうして苦労して歌った歌が充分伝わらなかったのは如何にも残念。こんなことなら原語でやった方がずっと良かったかも知れない、が、フランス語だからなあ。抜粋とは言え以前原語でカルメンを歌った自分が信じられない。あの頃と比べると記憶力が極端に衰えているし、体力もない。今回が原語の公演だったら出演したかどうか、、、疑わしい。ホントに外国の文化芸術を日本人がやることの難しさがひしひしだ。、、、ま、出会ってしまったのだから、きっとやっていくだろうが、、、、いつまで出来るんだろうか?

 でも、オペラはやっぱり面白い!
 

 

 

2005年9月27日 (火)

カルメン公演の後。

 みんな日常に戻り、つい2,3日前のことが夢のようだとメールが来る。全くその通り。溜まりに溜まっていたやるべき事が津波のように押し寄せてくる。右へ左へと払いのけながら時を乗り切っているが、今夜の岡山帰りのフェリーでは吐き気がし始めた。久しぶりの船酔いだ。ふ〜っ。
 二日間見に来られたM氏はカルメンの指輪に疑問を持たれたようだが、くしくもそれについては出番を控えた暗い舞台袖で、私が数人に解説?した部分だ。「カルメンは悪女?はたまたホセへの愛情は完全に冷めていたの?」という疑問符に「そうは思わない。その証拠に最後まで彼から貰った指輪をはめていたじゃないの?」と答えていた。実際、本当に嫌いなら、というか別な人を愛したら、女は指輪なんかとっくに捨てるだろう。今度の琵琶湖でのオペラ「ステッフェリオ」だって、指輪をしていない妻に不信感を抱く、というものだ。カルメンが敢えてあの最後で指輪をはずし彼に投げ返す、というやり方は、どんな演出家でも変えることの出来ない部分で、その意味するものはカルメンの「女心」そのものの表現だろう。カルメンが自分だけのことを考える女なら、とっくに指輪を捨てていると思う。自分たち二人は住む場所が違うということをホセ以上に理解しているために、別れるほか無いと決心した女、それにトランプの暗示が加味されての究極の選択だろう。今回の演出ではカルメン自らナイフに身を投げるのだが、それもありだと思う。最後の演技指導がイマイチ劇的ではなかったが、それがあの演出家の味なんだろう。
 それにしても友人達は私がどれだか分からなかったそうだ。あまりに化けすぎていたか!それにある友人なんか「一番太い人を探した」んだそうな。そりゃあ無理よ。今回ばかりは私も負けてたひとが何人かいらしたんだからあ〜。プン!
 感想が次々と入ってくるが、言葉がハッキリしなかったとソリストも合唱も批判の的に。やっぱり日本語は難しいのだ。

 

 

2005年9月26日 (月)

書きたいのはやまやまなれど、、、、

 本日は我々夫婦と娘と息子夫婦と最後のディナー。3人とも又それぞれの生活舞台へと帰っていく。のど元まで食べたものが消化せずに残っている感じ。飽食の現代を象徴する夕食だったが、満足感はイマイチ。不味いというのではないが、絶品でもなくお値段は超一流。こんなことなら、いただきさんのお店でたっぷり頂き、デザートはいつものAというのがよっぽど良かった。世界的に有名なお店の支店だというが、ムムム。まあ、昨日も和食のフルコースでちょいとにわかグルメを気取りすぎた。ご馳走はすぐ飽きるという良い例だ。

 足腰の痛みに加え、エコノミー症候群らしき症状が出て不安になる。夕べなど正座が一切出来ないまでに足がパンパン。ちと体力不足か。

 取り敢えず明日の岡山までには多少快復しておかなくては、、、。

 ねむっ!

 

 

2005年9月25日 (日)

最終日!

 ホントはこの日記はこの日に書いたものではない。この日終演後慌ただしく後片づけをして打ち上げ会場へと皆さんにご挨拶に出かける。同じ県民ホールのレストランでおよそ20分居て1日目のホセのご挨拶を聞いて即刻JR高松駅へと向かった。「新しい形のオペラ」という言葉が盛んに使われていたが、それはちぇちの参加も含んでいるらしかった。そして舞台関係の業者も初めてのところだったとか。二期会も変わりつつある、ということか。まあ、それにしても、基本的なところがちぇちとは全く違う。一番驚くのが衣装関係だ。オペラはビジュアル面を抜きにしては考えられないが、ここに相当お金をかけるというやり方が、羨ましいというか、なんというか、、、。
 まあ、兎に角終わった!何人かの方が私の体調を心配してくれたが、舞台というのはちょっとやそっとでは崩れられない緊張を生むものだ。心臓が止まらない限り、頭の血管が切れない限り動けるのが舞台だ。、、、後が怖いが、、。

 

 

2005年9月24日 (土)

なんとか、、、

 生きてる。明日はぼろぼろになってるかも知れないが、取り敢えず最後まで行けそうだ。観にきた娘が、やりたいことは分かるけど、もう一歩前にでるともっと良くなる。歌の前が不自然。全員が同じポーズはおかしい、、、などなど色々あったが、役者という立場からは一番気になったのは「パッション、パッショーネ」ということだったようだ。全体も、ソリストも「情熱」が足りて無いというのだ。で、切れが悪いとも。まあ、そうかも知れない。自らの力で湧き出るという情熱は出せていなかったかも。いやはや難しい。ある人からはソリストの言葉についてのクレームも来ているが、日本語の難しさでもある。
やれやれ、後1日、ガンバロウ。

 

 

2005年9月23日 (金)

なんともかんとも、、、

 ふ〜〜〜〜!
 はあ〜〜〜〜〜〜!
 ひ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
ち・か・れ・た!び〜〜〜。

 本日場当たりの後ゲネプロ。当然場当たりまでにメークとかあるわけで、ちぇちほぼ全員のあれこれを遣った挙げ句の自分の変身は、ぎっくり腰にならなかったのが奇跡だ。兎に角明日は立ちっぱなしを止めて、みんなに地べたに座って貰いあたしゃ椅子に座りたいよ〜〜。ホフマンの時は助っ人が居てくれて助かったが、今回はきついなあ。でもちぇちの人たちには是非その人の一番良い状態で舞台に立って欲しいから、やっぱり遣るしかないなあ。すっかり遣ると決心しているのだ。

 今夜、迎えに来た娘の運転でメンバーの一人を遠方まで送っていったが、良い月夜で気持ちの良いドライブになった。虫の音が大音響で聞こえてすっかり秋だ。帰路、高松の夜景がくっきりと見えて県民ホール辺りも輝いていた。さあ、いよいよ本番だ。大変でしんどいが、もう二日で終わるかと思うと、これ又妙に感傷的になるもんだ。
舞台とは不思議なものだ。

 

 

2005年9月22日 (木)

エール。

 明日の場当たりとゲネの準備で遅くなり只今午前1時を過ぎている。寝る前の日記をとメールを開くと早速私とちぇちの参加者にエールが届いていた。有り難いこと!これで少しは元気が出たかな?
 今日帰省の息子とおばあちゃんと娘の4人で新鮮なお刺身のリクエストから長くご無沙汰していた居酒屋へ。珍しいものばかり出してくれて、「あなごの刺身」「秋刀魚のにぎり寿司」「鯖の叩き」などは絶品だった。明日を考えて私の運転だと子供達はご機嫌でぐびぐび!まあ久しぶりだからいっか、と大盤振る舞い。しかし、内心は少々焦っていた。とっとと帰宅して準備が、、、。
 とりあえずみんなのヘアーメークの道具を詰めることから初めて、シャワーを浴びたら矢張りこんな時間だ。このまま何事もなく終わりますように!あと3日だ!

 

 

2005年9月21日 (水)

ケッサクなお話しパートツー!

 本日所用で出かけて帰りがてら大声で歌っていたら、左前方から歩いて来たお爺さんがいきなりギョッとした顔をしてこちらをのぞき込み、その少し前を走っていた学生が自転車を止めて振り返ったので、えっ?と思い良く見ると助手席側が窓全開!あ・ら・ら・?なんで〜?って自分が閉め忘れているだけのことだった。色んな所に駐車したのに全然気付かなかった!何処を歌っていたかを考えて思わず一人でゲラゲラ。「♪とどめ〜のいち〜げき〜〜〜♪」だったから。アハハハハ。今思い出してもおかしい。聴かれているとは全然思ってないからしっかり大声だったのだ。いやはや、おかしな事は日常的に転がっているもんだ!(もしかして私だけ?)

 今夜はお嬢が帰ってくるなあ。まあ、殆ど出ずっぱりになるから助かるわい。やっぱり女の子は
一人は要るなあ。11時過ぎのお出迎えもすっかたなかんべさ〜。
 

 

 

2005年9月20日 (火)

ケッサクなお話し。

 娘から電話があった。「お母さん、久しぶりに110番したわ!」と言う。思わずすわ事件か、と受話器を持つ手に力が入る。「うんにゃ、ソレガネエ、、ガハハハ」と来るからこりゃあ大したことじゃあ無さそうだと一安心。娘は夫婦で夜に高速を走っていたらしい。本線を走っているとどうも追い越し車線が混んでいる感じ。何かあったのかなあ???と二人で話しながら尚も行くと、行く手に信じられない光景が!ナント年の頃は50がらみのおっちゃんがねじり鉢巻きをして自転車で高速の追い越し車線を走っていたというのだ。夫が止めるのも構わず、娘が110番。出てきたのが若い女の子で妙に高いトーンでの応対。「こちらァ、110番ですがァ、事故ですかァ?事件ですかァ?盗難ですかァ?」と至って明るいのでまず拍子抜け。「いいえ、そのどちらでもありません!」と娘が言うと「はァ?じゃあなんですかァ?」てな調子。幾ら都会の110番は件数が多いとはいえ、余りに軽い、と思いながら状況を説明したら、折り返しお電話しますと切れたとか。数分後にかかってきた電話で二度ビックリしたのは、娘が電話するまで、あんなにたくさん居た車の誰一人電話してなかったことだという。これが都会だ。私も改めて感心(!)したことだ。
 そういえば娘は一人で東京暮らしをし始めてから、何回くらい110番しただろう。今思うと10指に余る程だが、その半分くらいは「気のせい」だったように思うが、まあ、実際危険が一杯だ。彼女が結婚により、少しは安全になった事が、この久しぶりの110番電話でよく分かる。
まあ、本人も強くなったのだろうが、、、なり過ぎたカモ〜〜〜ハハハ。

 

 

2005年9月19日 (月)

最後の通し稽古終了。

 最後であって最後でなく、むしろ始まりと言って良いだろう今日の稽古だった。最終回のカーテンが下りるまで、思考を停止してはならない。今のままで良いと思った途端から、演技が死んでしまう。何故なら人は日常の中で、決めた動きをすることはほとんど無いからだ。例えば息づかいだけでも、毎分事に変わっているだろう。例えじっと本を読んでいても、その人が微動だにしないことはまず無い。人は人、ロボットではないのだ。
自分自身、このところの体調の快復と共に、用心しつつではあるが本気で動き出したが、そうしてわざと演技中のみんなを観察出来るように前から後ろへ移動してみるとなんと大勢の人がストップしていることか!これを演出家があんなにアバウトな言い方でしか伝えないのは、みんなを経験豊かな人達だと思っているんだろうか?それとも動かしても無駄だと諦めているのか?、、、どちらにしても少なくともちぇちの人達はもっと動けるはずだ。今のままではコーラスはただのコーラスでしかなく、まるで生きてない。今日までに大体演出家の考えが分かったのだから、これからは最後まで諦めないで自分の演技を高めよう!苦しいけど、この苦しさを乗り切らないと歓びは訪れない。
取り敢えず、今日から3日間は、よく食べよく寝て、後はイメージトレーニングだ。「私はスペイン人よ!」ってことだ!
今夜のクリームあんみつはイマイチだったなあ、、、。

 

 

2005年9月18日 (日)

でろでろ〜〜

 そもそも練習帰りにお芝居にいこうなんて無理だったんだ。しかも最前列だ。何考えてんだろう私。直前にお刺身のおいしいとこに行きたいというKさんと、サンポートの「いただきさん」がやり始めた海鮮料理のお店に行ったは良いが、こんなに満腹では寝るんじゃにや〜かと思ったら案の定どうにもこうにも目が開けていられない。Kさんはしっかり見ている気配だが、私はどうもだめ。諦めて完全にあの世へ行った。しばらくして何となくやな予感がして目を開けると、なんと目の前に役者が私をにらみつけて(そう見えた)立って喋っているではないか!ぎょぎょっ!彼らの息づかいまで手に取るように分かる距離でだ!おもわず座り直して懸命に目をかっぴろげた、が、そこを過ぎるとまたもや眠くなってくる。けっきょっく終わるまで睡魔との戦いに終始。大体言いたいことは分かるんだが、どうも集中出来ないで残念無念。みんな力のある役者ばかりで、地元に根ざした得難い劇団だ。以前タイムステップで私が演出したときにゲストで参加してくれたS氏がおかまちゃんになって好演していて驚いた。この人、こけら落とし「こうもり」でも多くの人の話題をさらった人だが、こんな演技も出来るんだ。は〜っ!全く驚き。で、帰りに出演者がずらっと並んで見送ってくれるとき、S氏からしっかり言われてしまった。私が来てたことは初めから分かっていたと!初めからなんて、、、、ああ辛い、大事なとこは殆ど観たんだけどなあ、、、グスン。観劇もなんでも干渉するにはエネルギーが必要だ。やれやれ、、、。まあ、私の代わりにKさんがしっかり見て良かった良かったと言ってくれたので、これで御かんべん!

 本日の飯山町での合同練習は、トスカの時を思ってメチャクチャ薄着で参加したら立派な施設になっていて、クーラーの効いてること!お陰で寒かった〜。いくらなんでも演技を固めなくてはと頑張ったら、壇上から見ていた別組のソリストが近付いてきてくれて「とってもスペインにいそうな人の演技が出来ていて良かったですよ」とお褒めにあずかる。これだからコーラスは怖い。その他大勢に紛れているつもりでもちゃんと人に見られているのだ。明日は最後の通しと衣装合わせだ。時間てホントに異常に速いなあ。

 

 

2005年9月17日 (土)

ち・か・れ・た・・・・

 今日は序の口だろうに、へろへろ。短歌12首プラス1がどうにかこうにか出来たが、詠んだ後から、こんなの詠むつもりじゃなかったなあ、、と自らの表現力の乏しさに忸怩たる思い。まあ、しゃあない。。とりあえず今はこんなもんだろう。〜〜^なんて、ず〜っとこんなもんだったりして!あはっ!

 まあ今夜は早寝だ。

 

 

2005年9月16日 (金)

不安。

 明日からいよいよカルメンの集中練習に入る。3日連続のハードスケジュールに耐えられるかどうかはなはだ疑問。今日もホンノ5時間ほど続けて仕事をしたらもう〜疲れ切ってマッサージ機に直行!少し眠ったら元気になったが、練習中に寝るわけにもいかないだろう。、、、ま、なるようになるか。

 娘と息子が帰省しておばあちゃん孝行の1泊旅行に行く予定だが、それが公演の最終日打ち上げと重なっている。あ〜あ、身体が二つも三つも欲しいなあ、、。今日来店の方で大病を経験した人が、もう生きてるうちに何でも遣っておこうと思っている。と真剣に話されたのは説得力があったなあ。イヤホント、身体が二つあったらもっと色んな事が出来るなあ〜。ヘヘヘ。

 

 

2005年9月15日 (木)

危険が危なかったこと!

 実は昨日のことだったが、出来れば忘れたいことだったので、つい書かなかった事がある。危うく電車に衝突の惨事と相成るところだったのだ! 瓦町近辺、前の車に続いて右折して2車線ある線路を横切ろうとしたとき、踏切の警報ランプが点滅しているのが目に入った。しかし、前の車はす〜っと通ったし、チンチンという踏切の音も電車の音も聞こえてこないので、なんとなく自分も線路の領域に車を入れた、その途端いきなりチンチンチンという音も、電車の来る音もし始めて、目の前の車のフロント部分に遮断機が下りてきてしまった!「ええ〜っ?」と驚いてドアーを開けてそのポールを持ち上げたがこれがビックリするくらい軽かった。でも軽いからといって折るわけにもいかず、どうしたら?と瞬間思案に暮れる。電車の止め方って、、、?どうやるんだったっけ?いやん、間に合わなかったらどうしよう?これはこのポールを折ってでも突っ切るしかないか、と思った時、前からの〜んびりとおばちゃんが自転車で通りかかる。「私が上げといてあげるけん、早よ通りまい」と親切なお言葉!脱出した瞬間に、まあ、あちら側ではあったが、電車がご〜っと過ぎていった。そのおばちゃんが居なかったらきっとあの遮断機を折って居ただろうと思うと、ホントに有り難くて、何度も頭を下げた。どうやらそのおばちゃんはこれが初めてではない感じだったなあ。「パニックになるわなあ、、無理無い無理無い」とかなり同情してくれたのだ。で、そこを無事通過してしばらく走ってから、何だかおかしいと思ったら、足ががくがくして手も震えている。いや〜、私の中の、ある私はものすごい恐怖を感じていたのだった!今更ながら、おお、怖〜。今思い出しても鳥肌だ!ふ〜っ!

 

 

2005年9月14日 (水)

「赤い月」

 なかにしれいの、自伝的小説が原作の芝居、文学座公演は展開の巧みな演出で面白かった。満州が舞台のこの作品は、終戦後に日本へと引き揚げてきた人々の模様が克明に描かれていて、私なんかは知らなかった世界のことで、ただただおぞましかった。
私自身が台湾からの引き揚げ者だが、台湾はとても友好的な国だったそうで、母の話しでは現地人に大切にされていて、むしろ帰りたくなかったくらいのものだったそうだから満州とは随分違うんだろう。日本が中国でひどいことをしていた事が、満州から懐かしい祖国へ帰る筈の引き揚げ者を、暗い船底に絶望と恐怖と懺悔と共に押し込めた。この芝居はしかし、余りに幼い目で地獄を見た作者が、「それでも生きろ」と母親に諭されて生きた結果彼の現在があることを伝えて、観る人に「生きる」ということは何よりもかけがえがない事だと強く訴えた。
 しかしまあ、この芝居の進め方は巧みとしか言いようがないものだった。一つのシーンに人物の過去と現在が混在し、観客の想像力のみに頼って展開される。役者の技量も高いせいで何の問題もなく、上手が「数時間前」、下手が「現時点」でも見るものには理解出来たのだ。右から左へと服装もそのままで数歩歩くだけのことで、時間の流れと場所の移動が全く違う空気まで演出されているのだから驚く。これに近いのはまれに観たことがあるが、ここまで徹底しているのは初めて。
 大正9年(我が母の誕生年で覚えた)から昭和21年までの満州が語られ、戦争によって砂上の楼閣を得た人々の心が、一時の豊潤から一気に転落し飢餓の暗黒へと滑り落ちていく様は、巨大な「力」の前には何も出来ない人間の脆さをくっきりと描いていた。どんなに財力を持っていても、戦争から逃れることは出来ず、紙幣の価値は意味が無くなる。「良心」や「モラル」といったモノはあっという間に人々の「孤独」や「弱い心」の救済のためにもろく崩れ去る。
しかし、この芝居は単なる反戦を描いたものではなく、「人間洞察」とでも言うべきものだと思った。体験から生まれたものであることが、一層の迫力をもって見るものに迫り、多くの人の自然な涙を誘った。

 芝居は面白いなあ。

 

 

2005年9月13日 (火)

今日こそは!

 忘れずに今日の文を書いとこおう!
本日はFM2本録り。Qシートも必要ないほど息の合った私達は、最短コースで打ち合わせも無く一気に遣ってしまった。ゲストは間もなく琵琶湖でのオペラ公演他多数コンサートが控えているプリマKさん。彼女を見いだし育ててくれた恩師の曲をBGMにかけながらの収録に、昔を思い出して彼女がうるるとなる場面もあり、充実した内容となった。今や押しも押されもしない正真正銘のプリマとなった彼女。しかし、初めてお会いした時と何ら変わらない自然な態度に人間としての幅を感じる。実際の幅もおありだが、、、、なんて、一時よりは随分スマートに!いつぞやお姉様でピアニストのRさんから「貴女は良いのよ、歌と結婚したんだから!」と男性は必要ないとしっかり言われていたが、いやいや、矢張りその歌の為にも男性は必要だ!彼女を大きく抱擁出来る器の男性が居るかどうかははなはだ疑問だが、、。

 今日は来客の合間に長い間溜めていた「整理整頓」を始めたからもう大変。その上、整理しているとやり残していた事も色々出てきて、、、取り敢えず、以前のように夜中までやるのは止そうと思ったし、実際もう無理。明日、この続きを遣るかどうかも疑わしい。持久力も忍耐力も体力も、力と名の付くものは全てどっかへ引っ越しだ。展覧会の案内状も気付けば期間が終了。あ〜っん、どうしよう!岡山まで行くか!?友情のために。、、、

 

 

2005年9月12日 (月)

焼きが回ったか!?

 今朝の友人からの電話で夕べのこの日記が書かれてないことを知る!練習から帰り、パソコンの前に座ったのは覚えているし、なんだかんだと処理をしたのも覚えているが、、、すっかり書いたつもりになっていた。あはっ!とうとう、ここまで来たか!てなもんだ。いや〜、ホントに全くどうしようもなくなってきた。

 まあ、それはともかく、全体にセーブしながらやっているにせよ、スケジュールだけは否応なく押し寄せてくる。昨日はシェイクスピアの「じゃじゃ馬馴らし」の講座に出てカルメンのチケットを買って貰い、昼食会の後はすぐさまシャンソン教室。発声練習2度目となった個人レッスンはなかなか筋のいい人でかなり伸びてきた。ご本人も声が出やすくなってきたと喜んでくれる。それに続く教室でもみんながその成果に驚く。ここからしばらくは面白いんだよなあ、レッスンも。どんどん伸びる時期から、やがてある段階から地味な練習が続くことになるが、そこをクリアーしてくれるかどうかだ。ま、歌うことがめっぽう好きらしいから続くカモ知れない。

 帰路瓦町天満屋にみんなを送りがてらカルメンのカツラ探し。残念ながらここには置いていなかった。ご親切にも「三越にはございます」と店員さんが教えてくれる。ライバルだろうにへ〜〜親切〜。で、ただで帰るのはもったいない、と甘党のお店に。女4人でさんざん迷った挙げ句、私は今年の食べ収めとかなんとか言いながら「かき氷の上にトッピングあれこれ」をとる。しっかりおしゃべりも出来、疲れも取れて解散。私は夫のための出来合料理を地下で購入。急ぎ帰宅して昨日のミュージカルの演出家と長い電話。心配したほど入場客は少なくなかったそうでやれやれ。まあ、出演者も満足しているみたいなので、それなら一応の成功なんだろう。しかし、もうこれからは私は手伝えないから若い人を育てましょうと力説する。こうして一つずつ責任や拘束やストレスをカットして行かなくては、、、、。なのだ。

 夕食もそこそこにカルメン練習へと飛び出す。今夜はT先生の百面相に再びお目にかかり、悪いけどほ〜んと一瞬クシャおじさんに見えてしまい笑いすぎないようにかなり我慢したものだ。ご本人が合唱指導は好きと仰るだけあってホントにお上手だ。全て理にかなったことを言ってくれるし、みんなが言われたとおりやってみると明らかに効果が出てる。結果が出せない指導は意味がない。、、、というわけで充実した2時間だった。、、、というわけで、身体は綿のように疲れ、シャワーも浴びずに早々にベッドイン。というわけで朝しゃんの朝シャワーとあいなった。
成る程、思い返せばこの日記は書いた記憶がなかった。ん〜ん、、、、。

 今夜はFM。オペラ公演に合わせて録りだめだ。

 

 

2005年9月11日 (日)

なんだかなあ〜〜

 選挙もなあ〜〜〜、お陰でミュージカルの入りは悪いし、とにかく疲れるだけの一日だったなあ、、、。
 
 いやあ、フィナーレを歌うときにどうしても全部歌いきれない。体力不足だ。オケが入って全力投球しなくてはならなくなって、ますますエネルギー不足。ふ〜っ。ソリストも大変だなあ。オペラのソロなんて、ほ〜んと大変だ。
楽団は、指導によってどんどん良くなってきた。まあ、本番までには相当変化するんだろうなあ。格好いいこの曲をかっこよく聴かせて欲しいものだ。いや勿論コーラスだって同じ事だが、、・
「ちぇちはアルトが充実していて良いですねえ、、」とある方に言われた。矢張り何処でもアルトは貴重品だ。そして今回の主役はメゾの曲。お二人ともソプラノだから相当大変だろう。〜〜勉強になるなあ。

 このペラが終わったら今度は琵琶湖だ。琵琶湖ホールでしばし夢を見させて貰おう。そういえば今回も主役をされるプリマドンナ小濱が昨年メキシコでジョイントリサイタルをしたアラーニャがドンホセになっている「カルメン」フランスはオランジュ劇場版がBSで上映されていたなあ。凄い。彼は格好いいしまさにうってつけの役どころだったが、この方とジョイントとは!ホントに段々超が付く一流になってきたなあ。

 ほ〜んと、歌でも歌ってなきゃ、つまんない世の中だ!
 

 

 

2005年9月10日 (土)

情けなや、、、。

 本日のカルメンはガス欠状態になって、最後の2曲くらいは口パク。今日は歌に集中すると最初に言われて、動きが無くて楽、かと思いきや。かなり大変。何故ならオーケストラの指導共々合唱もソリストもやるってんだから、同じ所を繰り返しやることになり時間もかかる。ビゼーは楽器も難しいのだ。長時間の集中力が本日は無理。
 入院騒ぎ以来、血圧が極端に下がっていたので、しばらく降下剤を飲まないで居たのだが、今日は余りに気分が悪いので病院に行くと今までに経験したことのない高さだ。結局は再び飲むことになって、点滴も受ける羽目に。明日は朝から忙しいが、なんとかさぼる術を考えねば。まあ、一つ一つカットしていくしかないだろうなあ。ま、それもいっか。

 それにしてもフォルテッシモはオーケストラならではの素晴らしさだった。声と楽器の競演、まさしく!グロッケン先生のシンバル最高!

 

 

2005年9月 9日 (金)

やれやれ、、、

 愛車が帰ってきた!それもたったの3千円の修理代。ラッキーと喜べば友人は「ホントに大丈夫〜?」なんて縁起でもない反応。いやしかし、全面的に否定しきれないのも事実。なんたってコンピューターという、ワケワカメの世界のこと。営業マンでさえ汗を拭き拭き「イヤ〜、コンピューターは部品は大したこと無いんですが、何処の部品が悪いのかを調べるのが大変なんだそうですよ」とエンジニアの受け売り丸出し。車も便利=複雑になれば成る程変なことを起こす。単純なリヤカーや三輪車ならすぐ分かるのになあ。まあ、運を天に任せて、れ?車に任せてこれからも我が道を行く〜しかないか。

 劇団の公演が明後日に迫り、今日は8時半という時間に私のサポートと三人で打ち合わせに出かける。練習会場はハードな練習で疲れ切った団員
の通し稽古の真っ最中。一緒に行った友人は、ろくに衣装も付けず、勿論照明も無いミュージカルを絶賛していたが、私はみんなの顔がまともに見られなかった。みんなホントに疲れている。早く帰って寝た方が良いのになあと内心同情。ていうか、私自身も疲れている。別にこれといって何もしてないのに疲れている。そりゃあ勿論日常的な家事だとか事務処理はしたけど、、、やっぱりおかしい。喉も真っ赤だしなあ、、、。
若いと言うことはホントに何ものにも代え難い。昔は私も出来ていたが、今の彼らを見ていてそれが余りに遠い事だと再認識。やれやれ、いつの間にこんなに年とったんだろう!気分は全然変わってないのに。

 昨日レッスンをして下さったT先生から「合唱指導は好きな方ですが、自分の声がダメになるのが悩みです」とメールを頂く。そうだろう。悪い声のまねをするという芸当は、余程心してかかっても難しいだろう。でも矢張り分かっている方に指導して欲しいではないか。カルメンだって、もうすぐなんだ。
 今夜はBSでカルメンがかかるという。ビデオをセットしたが、ドンなんだろう。。。眠い。

 

 

2005年9月 8日 (木)

ラーメン。

 「超劇辛」というラーメンを練習帰りに食べたのだが、初めふ〜ふ〜、中は〜は〜、最後はひ〜ひ〜涙目だ。途中ビールで舌清め、時にがぶ飲みウオーター。餃子の味も分からないから良い加減。友に食べさせ味見する。キューリの生に救われて、どうにか夕食終了し、胃袋だけは大満足。次は冷麺食べるぞと、心に決めて店を出る。他の4人共々に、サヌキ狸の立ち姿。お腹さすって、「げ〜っぷ」とは色気無いことはなはだし!アハ。

 本日の練習は音楽練習が中心でホッとした。オペラが如何に芝居大事と言っても、核になるのは音楽だ。ここが押さえられてないと、何をやっても上滑りになってしまう。しかしなあ、本日のT先生の百面相は、あれで真顔で愛だ恋だとのたまうのがおかしくてしょうがない!あの方はもしかしたら吉本に入っても才能を発揮出来るのかも〜!コメディアンは笑っちゃあイケナイ。どんなにおかしいこと言ってても自分はしら〜っとしてないと、お客に受けない。その点は、完璧だもんなあ。いや〜、今夜は「いぎ〜」と「えげ〜」の顔が夢に出てきそう!

 我が愛車について何の報告もない。これって、もしかしたら大ごとなのか?やだな〜〜。

 

 

 

2005年9月 7日 (水)

カルメンとアンパンマン!

 本日はエスカミーリオT氏にFM出演を願ったが、全く傑作だった。イヤ、収録されないオフレコ部分だからリスナーの人には分からないこと。T氏の説によるとカルメンは、ルパン三世の不二子とアンパンマンのどきんちゃんが同じだと言うのだ!どひゃ〜っ!ルパンまでなら何となく分かったけど、アンパンマンとなると理解不能なおみっちゃんでありんした!T氏曰く、何故大の男二人、ホセとエスカミーリオが命をかけてまで彼女に惚れるか!?どこがそんなに魅力があるのか?単なる美人の悪女ならそこまでは惚れないだろう。ちょっと魅力的な悪女っぽい女なら、その場限りに興味本位に遊ぶことはあっても、命までもはかけられない。カルメンの自然体の生き様、決して無理をしないで何ものにも縛られない自由な生き方から出てくる魅力。それこそが、男共を惹きつける!」というのだ。なあ〜るほど。これには私も全く異論はない。今回の演出家は演劇畑の人でこの方がそう主張していて、T氏も初めて理解したと言われる。この演出家は新国立オペラ劇場などでもたくさん演出を手がけているそうだが、そういえば、先日の練習時に演出家が興味深い言葉を述べた。カルメンと女友達がトランプ占いを遣る場面で、カルメンが「死」を引いてしまい、何度遣っても同じ答が出るという不気味なシーンに、過剰に反応するな、というモノだった。ジプシー達にとっての「死」は仏教徒やキリスト教徒の「死」とは全く違う。「死」は自然なりわいであり、受け入れるべきもの。例え逃れようと思っても逃れられないもの。そしてこの占いは神聖で、絶対。だから、カルメンが死ぬ?あ。そ。という程度の反応で良いと言うのだ。カルメンもそんなジプシーの一人。抗っても逃れられない「死」ならば、受け入れるしかないことは百も承知の助。、、で、ぐさっとやられて、ジ・エンド。フム。これも一つの解釈だ。
 2週分の収録は、なかなか内容のある面白いものになった。カルメンの参加者は是非聴いて貰いたいものだ。

 ところで、本日は事件が、、、。 我が愛車が、主に続いてとうとうお蔵入り。というのも昨日のあの事件パート2が又しても起きたのだ。いくらのんびり屋の私でも、流石にディラーを呼んできっちり点検を頼んだというわけ。2回とも、車の量の少ないところで良かったが、町中の混雑時や高速を思うと空恐ろしい。やれやれ、どうぞ大したことになりませんように!

 

 

 

2005年9月 6日 (火)

色んな事があるもんだ!

 今日は台風だから暇だろうと来店のお客様もあって、お二人ほど仕事をし、母を病院に連れて行こうと風の中車を出した。新しい道を、少し風雨が強くなってきたねえ、と話しながら走っていると「ん?」車が突然呼吸停止状態に「え?」とアクセルを踏んでもスピードは変わらず、ブレーキを踏んでも止まる気配もない。これは加速度がついてるからすぐに止まらないだけだと気付いてそれを利用、センター車線から幅寄せをしてどうにか上手く停車。すぐにJAFに電話だと、と、と、と携帯がない。アハ、忘れてきた。近くのお弁当屋さんに事情を話して電話をお借りする。営業所が近かったため5分でやってきたレッカー車。車を引っ張って、私と母を助手席に乗せて修理スタンドへと運んでくれた。モチ無料。道中、背の高い車に母と若いお兄さんと三人で並んで乗っているのが、なんだかおかしくておかしくて、笑うのを我慢しながらだった。しかし頼みのスタンドでは「大がかりな点検」をしないと原因が分かりません、という。仕方なく代車を借りて一旦帰宅携帯を取って病院へ。、、、、受付終了。ち〜ん。
母に呆れられながら、ただでは転ばないおみっちゃんは、すぐさまちっちゃな可愛い代車でとっととっとと、二件ほど用事を済ます。いざ帰宅という段になってスタンドから電話。急ぎ駆けつけると「一応(!)動くようになりましたが、原因は分かりません」という。兎に角コンピューターが何かしらの誤作動をキャッチして、セーフティーストップがかかったらしい、というのだ。メーカーの人にも来て貰ったと言うが、それでも原因が分からないんだそうだ。ぎょぎょっ!それって、怖いジャン!?もしも、高速でこんな事が起こったら追突ジャン!?分かりませんて、、、、ホントにいいのお〜?結局は、何も分からないから、これも無料。デモ、これって、、、、?!

 この疲れる事件でどっと疲れて、夕食を食べるやいなやまたもやマッサージ機。いや〜、つくずく、おぼっちゃまに感謝だ。これが無かったら、今頃あの世かも知れない。

 台風は、、、、去ったのか?

 

 

2005年9月 5日 (月)

遂に、、、

 余りの疲労感に夕方からの練習はパス。途中から引き返して帰るやいなやマッサージ機に突進。ほ〜んと、やわな身体になっちゃったもんだ。なんとか切り替えスイッチが入らないものか!母の身体が少し快復したらおいしいものでも食べに行こうか。なんたってバロメーターであり、気付け薬なんだからおいしいものは。

 午後からのシャンソン教室で新しい人の発声を見て差し上げたが、さあ、どうなるか。楽しみなような、、、。しかし、歌が好きという点で大いに希望がある。十人十色、全くその通り。一人一人歌に込める思いが違い、表現が違うが、伝えようとする気持ちは大分出てきたと思う。
Cantiamoのあとでいつも先生が言われる言葉、「どうしても教えられない分野がある。それは天性のもので、簡単に言うと歌心だが、歌に心を込めるということが出来る人と出来ない人が居る」というのが、ここシャンソン教室でも頭に浮かぶ。しかし、先日偶然聴いたFMラジオの番組で、平尾アキラが新人に歌を教えるやり方を説明していたが、「空」という一言を歌っても色んな表現が出来る。ただの空では意味が無く、どんな空か、その空に何を感じて歌っているかが表現されなくては「歌」とは言えない。としていて、それは磨けば光る分野だとしていたなあ。私もそうだと思ったが、まあ、限度はあるだろうし、そこから向こうはその人の持ってるものでしか勝負出来ないだろう。先生はその、「他人がどうしようもない部分」を問題にして居るんだろう。
カルメン、殆どがだぶるキャストである。私達はその意味でも良い勉強をしているわけだ。

 あ、今月の「私の一首」のタイトルは、「空」だった、、、。ムム。

 

 

2005年9月 4日 (日)

雨だあ〜!

 さっき帰宅途中からものすごい、怖いような雨が降り出してきた。助手席のTさんは内心の恐怖と闘いながらぺちゃくちゃおしゃべりしてくるが、お互い黙ってしまうこともしばしば。いや〜、ホントに久しぶりの雨だ。こんなに雨の音が懐かしくて心地よいのは、日本中で私達くらいかも。雨道を車が走る音にもロマンを感じる。

 本日は午前中の来客を断り万全の態勢で練習に臨もうと静養したにもかかわらず、昨日の疲れを取りきれないまま出かけてしまった。しかし、演出家の指導はきちんと受けなくては、と、私にしては大変真面目に10分前に到着したにもかかわらず、駐車場が満杯で先頭車共々うろうろ。結局はギリンチョに入室。そこからの4時間は持つかな?と思ったが、レベルの高いソリスト達の声で退屈することも無く、楽しく過ごせた。訓練された声というのはホントに素晴らしい。出来れば前から聴きたかったが、後ろからでもその表現が伝わる人も居て勉強になった。ピアニストも相変わらず切れの良いAさんと流れるようなタッチが得意らしい方との対比が面白かった。バレリーナの余りに薄い身体にも見慣れてきたなあ。これがオーケストラになったときにはもっともっと興奮させられるだろう。

 同じ建物の中で、シャンソンの生徒さんが出演しているダンスの発表会があり移動。又全然違う音楽の世界。まあ、彼女の御年は私とそう変わらないと思うが、タップを踏むわ、ジャズを踊るわと決めていたなあ。エライエライ。久しぶりにストリートダンスも見たが、兎に角余りの音の洪水に胸が苦しくなってきて、同行したTさんを見ると彼女も帰りたそうだったので途中退席。にもかかわらず、出口で花束の大きいのを貰ってラッキー!オバタリアンには渡しておくに限ると思ったのかどうか、、、ハハハ。

 カルメンの時のカツラを準備せよとのお達しで、帰りに見てきたが、思うようなのがない。別なところに行くしかないなあ。こういう事が始まると、いよいよだなあ、、、、。

 

 

2005年9月 3日 (土)

カルメン進行中。

 今日は久々の(私だけ)合同練習だった。ようやく全体が掴めたか。コーラスは舞台での待ち時間も結構あって、そんななかでふと考えたのが「ここにいる人達は、なんて幸せなんだろう」ということ。寄ると触ると練習時間が長すぎるとか、しんどいとかぐちぐち言ってるんだけど、角度を変えてこの状況を見てみると、家庭のことも仕事のこともイヤな人間関係のことも、借金の事も、失恋のことも、何もかも忘れて音楽の世界に浸っていられる人々。これ以上の幸せがあろうか、ってなもんだ。、、、、ホント、私もその中の一人。果報者だ。帰宅した途端現実が待ち受けているが、それでも尚、心はカルメンだ。
ソリストの声が段々整ってきているが、そうなると個性も完成度も際だってきて面白い。
人間の声ってホント、千差万別。私の後ろに私の一番好きなバリトンの声域の人が良い声で歌ってくれてうっとり。て、思わず自分の歌を忘れちゃう。イケナイイケナイ。

 今日に限って来店客がメチャ多くて、朝から立ちっぱなし。夕食も食べる暇が無く、練習返りにMとラーメン。これがおいしかったあ!ひもじいときは何でもおいしいのかも〜。トホ。

 

 

2005年9月 2日 (金)

おいかけ〜て、おいかけ〜て♪

 母ががらがら声になっちゃって、原因をどうしても早く突き止めたいらしい為午後から2件の病院へ行くことになった。いつぞやの母の入院時に母の胃と腸の中をしっかり見た同じ年に、今度は声帯を見る羽目になった。先生はとくとくとして説明をして下さるが、あんまし見たくなかったなあ〜。なんだかロマンがないよなあ。確かに仕組みは分かったけど。
 我が家でのレッスンに間に合いかねて帰宅、今夜は4人で夕食したが、どれもこれも上手く味がとれなくて、くやしい〜。ホントに健康でないと何もかもがダメだ。劇団に打ち合わせのために約束してあって出かけたが、すぐ帰る予定がやっぱり帰宅したらシンデレラタイムぎりぎり。みんな良くやってるなあ〜。これでもかこれでもかと、繰り返し同じ所をやっている。これはちぇちは到底出来ない芸当だ。こうやって身体で覚えるというやり方が出来るのは矢張り平均年齢が若いからだろう。オペラのように大勢で遣るのと違って、一人一人が主役みたいなもんだし、目にも付く。
今回の作品は私的にはとっても好きだ。「おしゃれな大人のミュージカル」を目指して誕生したこの劇団がようやく元の精神に立ち返りつつあるような感じがする。、、、しかし、なんで選挙の日なんだあ!と彼らが叫ぶのも分かる。観客動員が難しいのだ。是非とも多くの人に県下でこうして頑張っている集団があることを知って欲しいものだ。福祉公演も無料だとて人が集まらない。いつもならマスコミの協力が大なのに、これ又選挙で大忙し。運が悪いとしか言いようがない。

 こうしてセーブしつつも、様々な事に追いかけられて始まった私の秋である、、、。フッ。

 

 

2005年9月 1日 (木)

復帰。

 カルメンの練習に復帰。みんなが暖かく迎えてくれてホッとする。動いてみれば心配したほどの事はなく、まあ、今週末にある程度のことが分かるだろう。久しぶりにみんなの練習の中に入ったが、みんなやる気だけはしっかり根付いているようだ。さあ、この中に入ってホントにやれるんかいなあ?と最初は乗れなかったものの、段々その気になってきて、楽しくなったのは音楽のせいだ。いやあ、ホントにビゼーはすごい!素晴らしい。舞台に出て音楽を身体に感じているとホントに自然にその役に入っていける。ピアノの伴奏でこれだからオーケストラになるともっとスペイン人になれそうな気がする。、、、中には勘違いしてるんじゃないかと思う人もいるが、どうぞソリストを喰わないように気を付けて欲しいものだ。舞台はバランス。全体の中で自分がどうあるべきかを考えなくてはイケナイ。男性もたかだか10人程度にしては頑張っているなあ。個人的には男性の声が好きだから、良い声が聞こえるとそれだけでうっとり。矢張りオペラらしくなってきている。、、、長い間お休みしていて迷惑かけたので、ケンカのシーンのお相手と今日初めて打ち合わせ。さあ、うまく行くかしら?どうなることやら。

 ところで、アメリカのハリケーンといい、イラクの事故といい、世の中なんだかいやな感じ。夕べの蒸し暑さがナンカの前触れでないことを祈りたいなあ。

 

 

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