静養の日々。
子猫が居なくなって手持ちぶさたとがっかりで寂しげな母を伴い買い物を手伝い、お昼も一緒に食べて急なお葬式の為のヘアーセットなども遣って上げる。会話の半分以上が子猫の話し。途中で今回の嫁入りのお仲人をしてくれたMさんと電話でその後の様子を聞きながら安堵したり喜んだり、、、だった。まあ、突然降って湧いたように、というか天から舞い降りたように我が家にやってきた可愛い子猫騒動が、ようやく完全にピリオドだ。日常の生活の中でふっと子猫の顔が浮かんだりするがきっと間もなくそういうこともなくなるだろう。忘却とは有り難いものだ。はるばる神戸まで行っちゃったが、今頃はきっと最も良い環境で幸せに暮らし始めたことだろう。
全ての行事から身を引いている現在、ナニも読みたくないし、ナニも聴きたくもない。何処にも行きたくないし、ナニを食べたいでもない。ひょっとしてある種の鬱病か?あるいは、実はとっても怠け者であるという本質が出てきているのか?
昨日別れ際に、自称閉じこもり、人と接触したくない、人間嫌いなのよ、と言う人の「気を付けてね。頑張らないでと言っても頑張るだろうから、まあ、頑張って又こんな風になったら良いわよ。そうしか生きられないでしょうから!」という言葉が妙に優しく響いた。もしかして彼女は強そうで実はとっても傷つきやすくて臆病なのか?繊細すぎて世の中に適応出来ないのか?普段の態度はそう思われたくないためのヨロイカブトなのか?、、、人間、このやさしくも複雑な不可思議な動物よ。
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