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2005年8月

2005年8月31日 (水)

明日から9月だなんて、、、、!

 いやだなあ、というのがホントの気持ち。頑張らねば、と思うのだが、一つ何かする度にどっと疲れる。今日はFMだったが、全然調子が出ない。ミスも多くてゲストに悪いことをしたなあ。あんまり意味のないことをべらべらと喋ってそれを上手くフォローしようとしても、すればするほどおかしくなる。スケジュール的には2本録りしたかったが、気力が無かった。うう〜。

 今日はパソコンで作表したり溜まったメールを処理したり、レッスン表を完成させたり、ガラコン用の歌詞を考えたりと、事務的なことに忙殺された。この8月という月は、私にとってまるで無かったかのような月だから、あれこれと遣るべき事が溜まっているのだ。登山のように目の前の一歩だけ見ながら歩こうと思うのだが、つい先を見てはため息だ。明日のカルメンは実に1ヶ月ぶりの参加だが、今日の疲れ方からしてどうなるか、、、、我が身ながら見当が付かない。何か妙案はないか?テレビコマーシャルのあのサプリメントはどうかしら?なんて見てしまう。そういえば以前誰かがビタミンEが効くって言ってくれてたなあ。あと1ヶ月持たす為にはいっちょう飲んでみるべか!?やれやれ、、。

 

 

2005年8月30日 (火)

雨だ、、、。

 ようやくまとまった雨が降る。しかし大阪の友人は土砂降りだと言ってくるが、こっちはそうでもない。秋の気配だけはこの雨によって濃くなってきたと思うが、、、。

 今日は母と一緒に仲良く点滴ベッドの人となる。8割方声の治った母とお昼は近くのお好みやサンで680円のおいしいランチを食べてお腹も良い具合だったせいか、ベッドの上で爆睡。母に呆れられた。取り敢えずいつでもどこでも眠るという特技には磨きがかかってきた。お医者様は問診で「夏の疲れでしょうねえ」と結論してくれたが、「まさか貴方もお母さんと同じく猫チャンのせいでは無いでしょうねえ、、、?」とかなり疑わしげ。「い〜え〜、先生。それはありませんよ〜、ホホホホ」と答えながらギクッ。まさか!

 今年は「演技」というものについて考える事の多い年だ。まあ、実際今は「カルメン」の事があるんだけど、昨日の劇団のみんなのことを考えても、やっぱり演技とは難しいもんだ。一応プロとして遣っている娘の言葉を借りると「演技はどんなに迫真でもどっか、醒めたところがないと、それは演技ではない」ということになる。しかもそこに計算があるということを観客に悟られないようにとなると、これは至難の技だ。早い話が日本の時代劇の剣術の戦いみたいなものだろう。決闘など緊迫した剣でのやり合いは本気になったらどっちかが傷ついてしまう。どんなに迫力があってもそれはあくまで演技でなくてはならない。それが「芸」と呼ばれるものだ。難しいからこそその「磨かれた芸」に対して観客からの拍手があるのだ。、、、言うは易し、全くだ!

 

 

2005年8月29日 (月)

セーブしててもねえ〜

 シェイクスピアの講義、昼食会、ガラコンの打ち合わせ、母の病院、夫の食事店屋物買い出し、劇団の照明リハ、ちぇちの連絡、、、、結局はどれもこれもパス出来ないものばかり。ああ、すっかたなかんべさ〜だ。

 シェイクスピアの講義で印象に残ったのは喜劇と日本語でいう劇には二通りアリ、force とcomedy は全然違うと言うこと。前者はただのお笑い、後者はそこに教訓やペーソスといった通常のストレート芝居と同じ様な内容を持つものというわけだ。今回の劇団タイムステップのミュージカルは明らかに後者である。フランスの劇作家モリエールのエッセンスを盛り込み、私好みのおしゃれな内容になっている。しかし、これを実践するのは大変難しい作業だ。今日の照明リハは全員が緊張していて、今ひとつ大きな芝居が出来ていなかったが、あと2週間できっとかなり変わることだろう。ダメを出しながら、彼らの真剣な表情に期待がもてた。昔通い慣れた道を今夜は車で送り迎えされながら通ったが、ミュージカルの舞台から遠のいて随分立つなあと感無量だった。汚い稽古場から、みんなの清らかな夢が育っていく不思議。人間て、ホント愛おしいよなあ。お金が無くても有名じゃなくてもみんなが自分の花を咲かせようと必死になっている。いつもの事ながら、見終わった後に思わずうるうると来てしまう。例え出来は不十分でも、みんなの真剣さに胸打たれるのだ。こうして又、しっかり手伝う羽目に、、、ああ。

 ガラコンのプログラムは何とかAさんの頑張りで間に合いそうで安心。はるばる遠くから制作のために通ってくれる。彼女は声楽コンクールで予選を見事に突破したようで一緒にH/M姉妹がお祝いに駆けつけてくれて詳しく状況を聞かせて貰った。Aさんの目はいつもよりもうんと輝いて見えた。良いなあ、未来に向かっている若者の目は。「歌は心」ハートのある人じゃないと良い歌は歌えない。きっと彼女のこのきれいな心が審査員に届いたのだろう。本選も頑張って欲しいものだ。

 母の点滴を待つ間余程こっちも遣って貰おうかと思ったくらい疲れていたが、うたた寝で我慢。
ようやく母の話が猫からメダカに移って来た。やれやれ。フフ。

 

 

2005年8月28日 (日)

今度は、メダカ。

 今日はCantiamoでみんなが一生懸命歌っているだろうと想像しながら仕事をしてメダカの餌を買いにも行った。最初は「生き物はイヤだ」と言っていた母が、持って帰らないのかと思いきや、夫が家にあった素敵なガラス鉢に入れてあったら、車に持ち込んできた。結局は育てるのが好きなんだ。嬉々として餌も買い、お腹を空かせてるだろうなんて言いながらいそいそと帰った。これで「ペットロスト症候群」から少し開放されると良いのだが。

 今日は24時間テレビを時々見ながら仕事をしたが、丸山弁護士が私と同い年で100キロマラソンを完走した姿には、思わずほろりと来た。昔っからマラソンは大の苦手で、高校時代も学校の強制参加行事があったが、まともに走った試しがなかった。最近になってあの行事が廃止されたと聞いて「それみろ!」と思ったくらいだ。玉が飛んできたらそれに向かって走ることは大好きだったが、ひたすら走るのはホント嫌いだったなあ。駅伝の中継なんかも、へ〜〜〜そうなの〜〜と横目で見るくらいなモノだったが、今日は違った。私より年上かと思った彼が同い年だと分かった頃から急に親近感を覚えて、ゴールまであと3キロになった途端画面に釘付けになった。そして最後は私もすっかり武道館の人となっていた。
、、、今日は少しだけ、マラソンに夢中になる人の気持ちが分かったかな?てへ。

 

 

2005年8月27日 (土)

♪おひさしぶ〜り〜ね〜♪

ホ〜ントに久しぶりにホフマン君がレッスンにやってきた。あらあ〜っ!役作りとはいえ、お太りあそばしましたわねえ〜〜。おほほほホフマン君!二階から聞こえてくる彼のレッスンの声を聴きながら、うちのお客様は自分が歌ってるかの如く高音になると「苦しい」を連発。ハハハ。まあ、こんなにしっかり聴いてくれる人も珍しい。こうしてレッスンの様子が流れるのを聴きながら皆さん様々な感想を漏らされておかしい。中には「先生新しいトリを飼ったんですか?」とマジで聞く人もいるし、FMが流れてるのかと思いました、と言う人もいる。とりあえず、ここまで聞こえる声は○だろう。みんな良い声をしている。この頃ではその声に磨きがかかって、おっ!?という声を出す人も多くなった。楽しみなことだ。

 今日は優しい友人がメダカを持ってきてくれた!10匹だが、さあ、どうなるか?!まだ母には言ってないが、飼う気になるかしら?さてさて、、。

 

 

2005年8月26日 (金)

なんだかなあ〜〜

 とうとう母を病院に連れて行く羽目に。手っ取り早く点滴だ。声がしゃがれて不定愁訴がある母に先生のお見立ては「ペットロスト症候群」だって!最近出てきた学説らしいが、このペットブームで多発しているらしい。やっぱし!どうしよう?!やっぱりメダカでも育てて貰おうか!しかしなあ、それって抱っこ出来ないシナァ。ん〜ん。

こっちの体調もイマイチだと思ったら肝機能が低下してる、なんて言われちゃうし、ホント、人のことどころではないんだけど、そうも言ってられない我が宿命。カット出来るものはカットするしかない。じゃあ何を?、、、、、なんだかなあ〜〜〜。

 

 

2005年8月25日 (木)

どんぶらこどんぶらこ、、、

 行き帰りフェリーにゆられて良い気分。このフェリー、来るって心配していた台風も全然来ず、平和な海に眠る私を乗せていつも通りに宇野と高松を繋いでくれた。乗客はいつものように少なく、何をしても気にならない。行きは不味いを承知であったかいうどんを食べ、なりふり構わず爆睡。帰りは少し寝た後「電車男」のドラマをちょこっと見て下船。このゆったりした時間はなかなか良い。帰ってみるとこっちと違い娘の方はこれから暴風圏に入るらしい。ベランダの蓮の花をどうしようかと電話してくる。まあ、不思議と育っているようだ。これだけ蓮にはまる、と言うのは矢張り父親の遺伝だろう。私にはそんな趣味はない。

 昼間は私の恩師でもあり友人の母親でもあるHさんが来てくれて昼食を一緒にして、久しぶりの会話が弾んだ。昔から美人で通っていた人で、今も着物姿が目に焼き付いているが、時間の容赦ない仕打ちはこの方をも背中の曲がった病気がちなお婆さんに変貌させている。勿論その時の流れに抗って、凛とした目の光だけは昔のままだったが。戦争によって人生が変わった人の一人である。ホントに私の周辺には魅力的なお年寄りが多いなあ。心して学びつつ歳をとっていこうと、妙に真面目に思った、今日のみっちゃんだった!フ。

 

 

2005年8月24日 (水)

どっちに転んでも同じ、、か。

 夫が明日退院すると電話してくる。それって3日も予定より早いジャン、と内心思いながら、「ふ〜〜〜〜ん」と曖昧に答える。それというのも、〜〜〜の間に、退院したらしたで大変だが、入院中もこれだけ呼び出されたらそれもなああ、と考えたからだ。結局どっちもどっち。私に利益はない。
大体、いつ行っても大人しく寝てるときがない。まるで私の方がベッドのふさわしいくらいだ。昨日なんかはあきらかに暇を持てあましていた。その様子を見ていて、やばいなあ、と思っていたところだったのだ。ふ〜っ。

 今日は滞っていたミュージカルの関係wおあれこれ処理しながら、カルメンのおさらいをメンバーに来て貰ってやっつけたが、未だイマイチ乗り切れない。ホンマニヤレルンカイナ?

 秋のガラコンのチラシの校正も次々と送られてきて、これが見るたんびに色々出てくるんだなあ。そしてある方なんぞは、川柳をパンフに載せると言ったらナントざっと数えても50位作って送ってきた!誰ぞに爪の垢を煎じて飲んで貰いたいくらいだが、これ又選ぶのが大変だ。ふひょ〜っ!

 台風はどっかに行っちゃったそうな。てことは予定通り明日は岡山だ。フム。

 

 

2005年8月23日 (火)

ようやく涼しくなった。

一時的かも知れないが、今夜は涼しい。虫の音が早速コロコロとまだ悲しげな音色で心細げに聞こえてくる。
県外の人々には余程香川の渇水が怖ろしいことになっていると伝わっているらしい。今日も水が届いたし、メールもその内容のお見舞い文章が多い。テレビというのは必ずしも真実を伝えないと言う良い見本みたいなもんだ。勿論節水はしているにしても、飲み水に困っているわけではない。送られてきた水は甘くておいしい水で有り難かったが、なんだか申し訳ない味がした。

もう8月も終わるんだ。

 

 

2005年8月22日 (月)

ちかれたび〜、、、。

 朝寝をして、ゆっくり出かけていったが、久しぶりのシャンソン教室は疲れ果てた。人の声を聴くというのは、しかも真剣に聴くというのはそれだけで疲れるのだ。しかも欠点を見つけてそこを上手くできるように指導するという作業は、ついのめり込んで夢中になって遣ってしまうために余計疲れる。時々遠くに行きそうになりながらも何とか遣り仰せた。結局は好きなんだろう。
中に発声の個人レッスンをして欲しいという人が現れて、最近入った人だが、他の人に着いていきたいのでという意欲を見せてくれて嬉しかった。確かに新人とそうでない人には声に違いが生じてきているから無理もない。来年は県民ホールで舞台に揃って立って欲しいもの。
帰りに近いから新聞雑誌をすぐ夫の病院まで持っていって上げる。ものの10分も居なかったが嬉しそうである。お見舞いに頂いたものを私に食べろと言う。今日は病院の廊下がヤケに長いような気がした。やっぱり疲れてる。

 ガラコンのチラシの校正を澄ませ、ミュージカルの台本を難聴者用の要約筆記に途中までして、我が家でのレッスンの計画表を作り、、、、、これだけでギブアップ!いやはや体力がかなり衰えて居るなあ。差し入れの甘いお菓子がおいしかったあ。みんながカルメンの進行状況をあれこれ話してくれる。来月からなんて大丈夫かいな?ァ〜時間が経つのが速いなあ〜。

 

 

2005年8月21日 (日)

何にもしたくない症候群。

 この年になってのベッド10日間というのは、どうもそのせいで気力も奪ったようだ。怖ろしくナニもしたくない。一応やるべきことは、いつもの3倍くらいかけてやってはいるが、例えば洗濯物は昼頃したものを夜干したり、食器洗い機から食器を出すのも億劫で、横目で見ながら別な場所からグラスを取っては使ったり、そもそも自分の為の料理さえしたくない。今夜の夕食は夕べ焚いたご飯とナスの粕漬けときゅーりのわさび漬けと仙台からの珍しいお土産のしそ巻き、以上。ま、ビールはちょこっと飲んだが、まずし〜。でも何かを準備する気力がない。
短歌も入院中に作っていたのを推敲してパソコンに入れっぱなしになっていたのを、完全に忘れていた。今日が何日かと考えるのもストップしていたのだ。夕べ気付いて朝師匠に添削を依頼するつもりが起きたら昼前。明日から東京に行くという師匠にこっぴどく叱られながら何とか数を揃えて封筒に入れるも、これ又夕方までバッグの中。どうにか締めきりには間に合いそうだが、師匠には迷惑をかけてしまった。師匠曰く「反省の色がない生活を送っているね、あんたは!」だが、そんなことはない。少なくとも身体だけは信じられないくらい休めている。今日もグロッケン先生が尋ねてくれた時は未だパジャマだったんだ!
、、、でも、身体休めても、気力が沸いてくる気配なし。逆療法の方が良いのかも知れない、なんて考えてしまう。明日のシャンソン教室から実験だ。みんなが心配してくれてるらしいから、元気な姿を見せようと思っている。

 さっきテレビで「真摯な生き方の中から、幸せな出会いが生まれる」と言ってたなあ。シンガーソングライター福山雅治と写真家の植田某という人の事だった。写真に少なからず感心があるので目に留まった画面だったが、この若き音楽家は澄んだ良い目をしているなあ。そして驚くほど真面目。語り口も真っ正面だ。その写真家が「貴方を見ていて羨ましい。自分は若い頃そういう生き方が出来なかった」と語っていたが、私も同じ感想を持った。人々の羨望を集める資質を持った男性だ。人気があるのは当然だろう。彼の音楽を聴いてみたくなった。いや多分聴いてる筈なんだが、思い出せない。
そうそう、彼の言葉の中で「表現が手段になってはイケナイ。表現は目的なんだ。」という言葉は説得力があったなあ。私も心せねば。

 

 

2005年8月20日 (土)

つらいなあ、、、。

 ここ数年前から親戚になった方で、私にとっては好感度NO1のおばあちゃまがガンで手術だとの連絡が。ご本人は案外さらっとしてると言うが、そこからもますます尊敬度が増す方だ。外見と言いあんな風に歳をとりたいと想わせて下さる方だが、今までに2、3度しかお会いしてない。ご無事を遠くから祈るしかない。我が娘のお姑さんであるその方の娘さんの胸中を想うと気が重い。

 それに引き替え我が夫。毎日アレ持って来い、アレがない、と電話してくる。1週間くらい我慢してよ!と言えないんだなあこれが。「急がないから」と付け加えられるとついつい無理してでも届けることに。ったく、この我が性格、なんとかせねば。

 何とかしたいことは他にもある。来月に迫ったミュージカルの制作が殆ど進んでいない。チェックに出かけようとしていた矢先のダウンだったから、まあ私にも責任はあるが。制作会議なるものが開かれた形跡がない。いやあ〜参った。明日からマスコミ関係だ。どんな良い作品でも、外回りがしっかりしていなければ成功とは言えない。当日の運営から人の手配。チケットやお金の取り扱い。私が今からのこのこ出かけて行っても間に合うかどうか、、。去年まではあたしゃ元気だったんだ。早くから出しゃばって当日も働き蜂だった。今年は、、、、ムムム。どうすんべえ。
ちぇちの公演ではみんな良く頑張って手伝ってくれたから、ちゃんとしなくてはならないが、、公演日がカルメンの合同練習日だ!つらい!

 

 

2005年8月19日 (金)

ご馳走。

あれだけ食欲がなかったのがまるで嘘のように、私の快気祝いをしてくれた「和のフルコース」はどれもこれもが素晴らしくおいしくて、するっと胃に収まった。中でもフォアグラの和風あんかけや松茸の土瓶蒸しは最高!オードブルが余りに小さいまるでおままごとの様だったので、今夜は期待薄かと思いきや、出るわ出るわ、芸術と言っても良い位の美しくておいしい料理が次々と!最後の日本ソバもおだしが良くきいて最後に締めてくれた。いやいや最後はごまのアイスクリームだったか。ホントに久しぶりに和食を満足するまで堪能した。和食はなんと言ってもヘルシーなのが良い。胃が暴れずにしっくりと治まっているもんなあ。

 ところで今日は社会復帰後初めてのFM放送の収録。二本録ったが1本目は時々呂律が回らなくて頭と口も繋がってない感じ。聴くのが怖いなあ。局の人もちょいと不安そうだったが、まあなんとか終わった。目出度い目出度い!
(目出度いのは我が頭だけかも。)

 

 

2005年8月18日 (木)

病院てとこは、、、

 独特の空気があるなあ。先日の我が入院先とは違うにもかかわらず、又自分が舞い戻ったような錯覚に襲われるほど似ている。夫は術後昏睡から醒めず妙なうわごとを繰り返して女医さんを心配させていた。何度もチェックに来てくれる若い女医さんは当たりが柔らかで感じが良い。この分野に女性というのはケッコウ適正なのでは?看護士さんが女性というのと又違う感じだ。
それにしても半分寝ている状態でも「何でも食べてもいいそうよ」と言うと「じゃあ、刺身を持ってきてくれ」とちゃっかりこれは好みを間違わずに言うところは大したもんだ!人間最後は食欲か!?別に彼が最後と言うのではないが、、!ハハ!

 受付に屈強な男性が車椅子で悶絶一歩手前の苦しみ。筋肉隆々トラックで駆けつけたらしいその人は一体何の病気なんだろう。私から見ると異様な状態でも、病院と言うところでは日常茶飯事なんだろう。誰も慌てず騒がずで、その人一人が妙にその場の空気に違和感を醸し出している。その後どうなったんだろう。いやあ、病院と言うところはあんまし来たくない所だなあ!しかし、明日も朝から行かなくては、、、「明日の朝は多分普通に戻ります」という女医さんの言葉を確認するためだ。だって、あのお方に今ボケられたら、困っちゃう〜〜。

 

 

2005年8月17日 (水)

病気。

 今日はよんどころない人の入院でばたばたしていて自分の病院まで手が回らなかった。せめてもとインターネットで病名の検索をして色々お勉強してみる。特に予後の経過のチェックなど読んでみると大変役に立った。しかしつらつら考えてみると、これって病院のお医者さんとしっかり話すべき事ではなかったの?入院中も退院時も殆どつっ込んだ話しがなされなかったなあ。そもそもこう見えても人嫌いで、話し下手で、人見知り。特にお医者様には断然弱い。言いたいことの半分も言えず、後からああも言えば良かったこうも言えば、、、と後悔することが多々ある。今回も例に漏れず、要するに殆ど自分の病気について質問もせず、言われたことだけを神妙に聞いて帰っただけのこと。入院時に「治療に関して何かご要望がありますか?」と聞かれてさっぱり思いつかず「今のところナニもありません」と答えたら看護婦さんが「それじゃあ、一日も速く快復させて欲しい、と書いときましょうか?」ときくので、「お願いします」と答えたほどだ。
 お医者様は「安静に」とだけ繰り返し言ってくれたが、ネットでは「安静とは、横になるという姿勢が腎臓に最も血液をたくさん送ることになるからだ」とあり、その重要さを解いてくれている。矢張りそこまで知るとナントしても安静にしておこうと想うではないか、いかな私でも。ということでネットで読んだ方がずっとよく分かったという次第。明日こそはチャンと病院で先生と会話をしてこよう、と決心する。チャンとねええ、、。 

 

 

2005年8月16日 (火)

あっついなあ!

 日中の暑さときたら暑いじゃなくて熱いだ!クーラーが壊れたら死んじゃうかも知れないくらいだ。今朝方は近所のワンちゃんがけたたましく鳴いて全然眠れずにぼ〜っと起きていたんだけど、病院へ行くのも億劫な程しんどかった!未だ子猫の思い出を引きずっている母のケアのため、うちへ連れてきて久しぶりに一緒に焼き肉なんぞを食べる。直前まで食欲がないなあ気分が悪いなあと思っていたのに、懸命に母と夫に取り分けている内に知らず知らずに食べていたなあ。ヒョッとしたら快復も近いかも知れない。なんたって食べることがバロメーターだ。これでアルコールが欲しいと思うようになったらしめたモノだが、、、。

 しかしまあ、ニュースというのはよくもこう毎日毎日ビックリするようなモノがあるもんだ。飛行機は落ちるわ、渇水だ大雨だ、殺人だ死体遺棄だ、公務員のワイセツ行為だ政界再編だ、、、今日は地震だ!またしてもうちのお嫁さんのご機嫌伺いだ。毎度毎度頼れるはずの息子が留守の時にやられるらしく、流石に「もう慣れました」との答え。そうねえ、逞しい子が生まれるかもねえ、と慰めておいたが可哀想に心細いことだろう。かといってこっちは大変な水不足に見舞われそうで早く帰ったらとも言いにくい。何処にいても何かはあるんだろうが、、、。
 今日の地震ではプールで泳いでいた人達が天井が落ちて来て怪我をしたらしい。全く、ナニがあるか分かったもんじゃない!知人が仙台なので画面を隅から隅まで見てしまう。巻き込まれてなければ良いんだけど、、。

 

 

2005年8月15日 (月)

静養の日々。

 子猫が居なくなって手持ちぶさたとがっかりで寂しげな母を伴い買い物を手伝い、お昼も一緒に食べて急なお葬式の為のヘアーセットなども遣って上げる。会話の半分以上が子猫の話し。途中で今回の嫁入りのお仲人をしてくれたMさんと電話でその後の様子を聞きながら安堵したり喜んだり、、、だった。まあ、突然降って湧いたように、というか天から舞い降りたように我が家にやってきた可愛い子猫騒動が、ようやく完全にピリオドだ。日常の生活の中でふっと子猫の顔が浮かんだりするがきっと間もなくそういうこともなくなるだろう。忘却とは有り難いものだ。はるばる神戸まで行っちゃったが、今頃はきっと最も良い環境で幸せに暮らし始めたことだろう。

 全ての行事から身を引いている現在、ナニも読みたくないし、ナニも聴きたくもない。何処にも行きたくないし、ナニを食べたいでもない。ひょっとしてある種の鬱病か?あるいは、実はとっても怠け者であるという本質が出てきているのか?
 昨日別れ際に、自称閉じこもり、人と接触したくない、人間嫌いなのよ、と言う人の「気を付けてね。頑張らないでと言っても頑張るだろうから、まあ、頑張って又こんな風になったら良いわよ。そうしか生きられないでしょうから!」という言葉が妙に優しく響いた。もしかして彼女は強そうで実はとっても傷つきやすくて臆病なのか?繊細すぎて世の中に適応出来ないのか?普段の態度はそう思われたくないためのヨロイカブトなのか?、、、人間、このやさしくも複雑な不可思議な動物よ。

 

 

2005年8月14日 (日)

歌会。

 短歌の会が5周年ということで例年になく大勢の参加者があり数時間を同じ場所で過ごしたのだが、飽きるということもなく過ごせたのは「向学心」の成せるワザか!な〜んちゃって。ホントのこというと途中でちょっぴりしんどかったが、みんなの色んな意見を聞きながら漂っている方が家の中でぼんやり過ごしているよりは心地よいと判断した結果だ。帰宅してから母とお墓参り。既に食事が済んでいた母に「大衆食堂」につき合って貰う。ここは最近オープンしたやっぱり学食のような食堂だが24時間営業しているとか。全部で500円という夕食を食べ終わったとき娘から夫と二人でイタリアンを食べていると生ハムを広げた写真と共にメールが届く。くっそ〜とばかり返信するが敵はそれには答えず別な用件を伝えてくるばかり。確か2,3日前も二人で居酒屋〜てメールが来たし、昨日も役者仲間とお台場で食べてるって言ってたなあ。外食多すぎ!ったく、贅沢は敵だ〜、、。とでも言おうもんなら何倍にもなって返ってくるだろうなああ。勝手にしろっ!だ。

 ところで、これは個人的な意見で、自分の事は棚に上げての話しだが、矢張り5年は5年の歴史を感じるみんなの歌だったなあ。全体のレベルが矢張りすこしづつ上向いているのではないかと想った。「継続は力」イヤホント、続けるってことは矢張り大変なこと。主宰者のご苦労が忍ばれるというもんだ。こう呼ばれるのをご本人はかなり嫌がっているが師は師、この短歌の会を導くのは矢張りこの方をおいて他にはないだろう。一体どこからこの情熱が沸いてくるのか、、、私のようにダウンしないことを願うばかりだ。健康でないと、何も出来ない!

 今日はあの猫ちゃんが嫁入りした。母も私もちょいと寂しい夜なのだ。
 

 

 

2005年8月13日 (土)

健康的な生活、三日目。

 三日坊主とは良く言ったもの。早速明日は短歌の5周年記念の会がありお出かけの予定。まあ、昼間だし、一応お勉強会の様なモノだし、大丈夫だろう。今午後6時45分なんぞという信じられない時間にもう食事を終え、片付けも終わり、後はシャワーを浴びて寝るだけなんだから、私にとっては異例中の異例。頭の中はもうベッドへと近付いているから驚く。
 さて、我が家の猫騒動にいよいよ明日ピリオドが打たれることになった。既に1匹飼っているらしいその方がナント神戸まで持ち帰ってくれるというのだ。只今我が実家ですっかりおばあちゃん子になっている子猫がとうとうお嫁に行くというニュースはこのおばあちゃんをしてかなりのショック状態を引き起こしたようだ。口ではしきりに早く渡したいというものの、明らかに別れがつらいと顔に書いてある。よその猫と比較しては「この子の方が可愛い」と手放しだった程だから、これ以上一緒にいてはもう絶対離れられなくなっていたに違いない。、、しかし、後が気になるなあ。大丈夫かなあ?おばあちゃん。しばらくケアが必要だろうなあ。私自身がかなり強く諦めようとしているくらいだから、、、。しかし、なんであんなに子猫って可愛いんだろう!

 今日は思いがけない方からお花が届き驚く。こういうところにも私を思ってくれてる方があったということが嬉しかった。、、花は幾つになっても頂くと嬉しいモノだ。そう言えば友人が入院中にパジャマの差し入れをしてくれてこれも暑い時に嬉しかったが、少々派手で、きっと他の患者さん達から好奇の目で見られていたに違いない。廊下を歩くと視線を感じたもんなあ!フフフ。いやあホントに、皆さんにお世話になったなあ今回。

 

 

2005年8月12日 (金)

どうもヤバイ、、、。

 昨夜から10時間近く寝たというのに、なんだか眠り足りてない感じで目覚める。考えてみるとおどろどろしい悪夢にうなされていたので、眠りが浅かったのかも。だるいなあと思いながらも本業をこなし、猫のミルクを買いに夕方母と出かける。しかし買い物の途中で気分が悪くなり、母に重い荷物を託して車で待機。帰宅して一休み。まだまだ体調は本調子ではないのだろう。こんな日に限って昔のボーイフレンドから電話。元気な声で出たかったなあ。テヘヘ。
 友人が差し入れてくれたお寿司を食べながらテレビをつけると「ボイスレコーダー」という日航機墜落事故のドキュメントをやっていてつい最後まで見てしまった。なかなか良い番組だったなあ。結論がグレー過ぎるとは思ったが、今の日本ではこれが精一杯なんだろうなあ。アメリカの様に「暴く」という行為に慣れていない国民性がそこにある。「覆い隠す」「守秘義務」「穏便」「非公開」という繰り返しによって、日本という国では実際何事もなかったかのように月日が流れる。おそらくは福知山線の事故もあっという間に20年後がやってきて、「そういえばそんなことが、、、」という程度の記憶に過ぎなくなって居るんだろう。まあ、人間には忘却という「わざ」があるから生きていけるという側面もあるが、、。入院中に観た原爆の番組も良かったと思うが、その内の一つコンサートの紹介をやっていた女性アナの笑顔が大変気になった。余りにこぼれそうな笑顔でいくら悲惨な原爆の現状や過去の話をしても心からの言葉とは思えなかった。段取りで原稿を諳んじて居ると言うだけの中身が空っぽな印象がぬぐえなかった。
 これらの特番では幾つかの印象的な事が盛り込まれていたが、中でも原爆を作り、投下し、その時の写真を撮ったというアメリカ人が日本の被爆者二人と対談するという場面は、「反戦」という意味で強烈なメッセージを伝えて成功していたと思う。彼は二人の被爆者を前に「私は決して謝らない!」と静かではあるがきっぱりと告げた。「あの時は戦争だったんだ」「戦争中は罪のない人間なんか一人も居ない。罪のない人々がたくさん犠牲になったという表現は間違っている!」というのだ。そして、「だからこそ、これから先戦争をしてはイケナイ。」「原爆を使ってはイケナイ。」、、、そしてブッキ〜なことに「ブッシュは危ない。あれはやるかもしれん」とつぶやいたのだ。
 当事者としての両者が対峙するという珍しい企画だったが、ある種の感銘を受けた。すると早速娘から電話で、私も観た、と言う。そしてあのアメリカ人を責めることは私も出来ない、とも。若者達がきっとたくさんこの番組を観たことだろう。どんな感想を持ったのか、、、。
 
 私が生まれた年1945年に戦争が終わった。戦後、、、年、という言葉を聞くたびに自分の年を認識しなくてはならない訳だが、それは自分の「生」を意識する時でもある。今年は還暦である。

 

 

2005年8月11日 (木)

病は気からと言うけれど、、、

 気だけあっても無理みたい。退院1日目は大したこともしてないのにへろへろ。ラオスから朝の五時に帰宅して仮眠後走り廻っている夫との余りのギャップにめげそう!いやいやこの勢いに乗ってはイケナイ。マイペースを守り体力の回復を計るべし。、、てことでその第一歩。夕食を作らない宣言をして○○食堂へ出かける。但しビールを飲みたい夫に代わり帰りは運転だ。それにしても余程娘から釘を刺されていたに違いない。こんなところにすんなり来るというのは、、、。今日の所はこれで解決。さて明日はどんな手を?こういうところでの食事は私自身が飽きてしまう。
こうしてみるとホントに病院は有り難い。好みでないこともあるとはいえ、取り敢えずの空腹を満たしてはくれる。しかもこの地獄のような娑婆の暑さ!あれは天国だったのだ!ふ〜っ。しかし、舞い戻りたくはないなあ.

 

 

2005年8月10日 (水)

やっぱり娑婆は良いなあ、、、!

 1ヶ月の静養を言い渡されたものの、一応無事帰宅が許された。実に10日振りのご帰還である。早速友人が私の大好物「あずまやのローゼ」なるものを届けてくれる。病院での規則正しい生活と食習慣を今後も守るべきだろうが、、、、ま、明日からだ。な〜んてね。
 こういうときに色んな人達の行為が身にしみる。義妹はせっせせっせとこの暑い中を通ってくれて何くれと無く世話をしてくれる。私には女きょうだいが居ないが彼女は全く実の妹と変わらない位良くしてくれるのでつい甘えてしまう。帰りも迎えに来てくれて買い物にもつき合って貰う。なんとなく未だ何処に行っても自分が娑婆の人間でないような感じがして、浮遊している感じ。
 病室で、彼女を待っている間に師が届けてくれたハマユウの花が最後の一弁をポッと音を立てて開いたのに驚く。同室の人が退院を祝ってくれてるのよ、と言い、私もそう思った。これで全ての花が咲き揃いかぐわしい香りを漂わせている。未だ少し寿命がありそうなので同室の方に後を託してその部屋を出たことだ。全く、病室に花はふさわしい居場所だ。

 パソコンを開くと怖ろしい数のメールが来ている。全て返事は明日だ。、、う、明日は早速予定が、、、。最小限のエネルギーで過ごすこととしよう!

 

 

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