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2005年6月

2005年6月30日 (木)

あめあめふれふれ、、、

 とある会館での葬儀に参列した。生前の人徳からかたくさんの人が詰めかけての式は、夕べのお通夜と同じ、うなじのさわやかな青年僧の明るい読経とそれに続く年配僧侶のそれによって粛々と進められた。なじみの顔がちらほらと見え、「こんな所で、なんですが、、、」と言いながら再会を喜ぶこともあったり、、。きっと仏様になったこの方も喜んで下さったことだろうと勝手に想像する。


 夕べは小栗監督の映画「死の棘」を見てしまった。しまったというのは、悪い作品だからではない。ミッドナイトシアターというだけあって遅いんだなあ、これが!監督の作品は今夜で最後らしいから、是非観てから寝ようと思い、こうして早く日記を書いている。
しかし、NHKも罪深いなあ。もっと早い時間にしてくれたらいいのに、、、、、。
NHKといえば、たった今、Kアナが全国版のニュースで香川町の焼き肉屋さんの渇水対策状況を実況中継していたなあ。ホントに降らない。今日なんかパラリと雨と呼ぶのも恥ずかしいほどのおしめり。焼け石に水状態だが、それでも空気が涼しくなった。心から雨が欲しいいいいい〜。

 

 

2005年6月29日 (水)

残念!

 夕べは張り切って小栗監督の「伽耶子のために」という映画は最初の30分で睡魔に襲われ、どうにもこうにも我慢出来ずダウン。やっぱりあのモスコミュールが効いたのか!残念。
今夜こそ!

 今日はお葬式の話しが2件。内1件は奥様が来店されてあれこれ伺うこととなる。75歳といえばこのご時世じゃあ若い方だ。お通夜に行き座って読経を聞いている間に故人の事が思い出された。農家の方で朝が早い。私が起きてすぐに玄関のチャイムが鳴る時は、殆どこの方が新鮮な野菜を届けてくれるときだ。余りに早いときは表に置いていてくれる。ヴォランティアのパーティ会場ではいつも私の側にいてくれて、何くれと無く世話を焼いてくれていた優しい方だった。目を閉じて思い出すのはにこやかに弱々しく笑っていらっしゃるお顔ばかり。晩年はヴォランティア一筋に力を注いでこられた方だ。あんなにいつも人のために生きていた人だのに、早く逝ってしまわれた。、、、残念。
 通夜の読経をつとめていたお坊さんが随分若くて、kさん好みのハンサム。珍しくもテノールの優しい声で、フレーズの最後をふっと息を抜いてうたうなど、今まで聞いたことのない読経だった。確かに仏教もこうして音楽性を追求していって欲しいモノだ。

 明日はお葬式だ。雨は未だ降らないつもりか、、、。

 

 

2005年6月28日 (火)

泥の河。

 この映画が放映された頃は、私は声楽に出会い夢中になっていた頃だ。作品名は知っていても見てないのはそういう理由だと思う。
夕べ頑張って深夜放送を見たが、日本映画の最も得意とする映画の撮り方で、お金はかかってないなあ、、というものだった。しかし、子供二人を使って何処までも自然に描いたこの映画は、見終わって「ああ、良い映画だった」と心底思わせるモノだった。少ない台詞を際だたせる無言の佇み。外国人が見たらまるで「能面」のような子供の表情。だのに画面はとっても雄弁。大人の世界に少しだけ近付いていく男の子の切ない感情が、その動きのない表情からほとばしり出ている。なぜだか分からない悲しさや嬉しさ、そして怒りまでもが語られている。そこに出てくる全ての登場人物が善なる人達。、、、、戦争で父親を奪われた一家が母親の売春によって生計を立てているという現実を、表向き受け入れているようで決してそうではない子供の心情。カニに油を塗ってマッチで火を点けるという行動に走らせる描写は、凄惨で悲しく救いようのない心の象徴だ。もう一人の男の子が幾ら止めてもその行為を止めない、目には涙が溢れて居るのに顔は笑っている。、、、凄い描写だ。
今の社会に於いて子供が重い犯罪を度々犯しているが、この映画はそうした子供心を知る手がかりになるかも知れない。

 本日はメンバーのM女史とFM二本録り。いやあ〜面白かった。放送を私物化したかもお〜〜フフフ。。

 さて今夜も見るぞお。小栗康平監督!

 

 

2005年6月27日 (月)

さあ、見るぞ!

 本日から4夜連続で小栗監督作品が放映される。BS2。ところが始まるのは全て零字半〜。頑張って観てみよう。日本を代表する映画だそうだ。今夜は「泥の河」。

 流石に見たあと日記は無理だろうなあ。

 

 

2005年6月26日 (日)

1週間が速い、速すぎる。

 週2日カルメンの練習に取られ、イヴェントづくめの今日この頃、余りに時間が経つのが速い。もう7月なんだから驚く。このまま行くとあっという間に棺桶か。このところの夫婦の話題はお骨のアパートだったり、散骨の話しだったりする。そう言えば、しばらく前には「献体」の話しも議論したなあ。テレビを何気なく見ていたときのこと。こんなにも臓器提供者が少ないため、助かる命も助からず、外国まで行く人が後を絶たない、という話題だった。私がぼそっと、「私のでよかったら上げるのに、、、」と言うと、夫は沈黙。「?」と思い、あんさんはどうなの?と尋ねると思いがけなく「絶対イヤだ!」と叫んだのだ。「へ?」という私の反応と「どうして?」と訊いた挙げ句「ケチ!」と言ったことが気に入らなかったのか、妙に興奮した夫が、いつものようにまくし立てるのを、初めて会う人を見るようにまじまじと見てしまった。いや、彼の言うことも分からなくはない。人にはそれぞれ宗教観があり、人生観があり、死後の世界のあるなしや、神仏の存在の有無は人によって信じ方がちがう。そこから来る死生観は私のように「死は無」という考えが全てではないだろう。夫が言うように「単純に怖い」と言う人も多いだろう。だからこそ「献体」も「臓器移植」も常時不足しているのだろう。まあ、しかし、これだけ夫婦の感覚に隔たりがあるということを今更ながら認識したというわけだ。、、、と言いつつ、私も献体のためには痩せとこうかなあ?なんて考えてるところが一貫性がないか、、ははは。

 

 

2005年6月25日 (土)

未だ降らない、あめ、あめ、あめ、、、

 今日も暑かった。流石にクーラーが有り難い今日だったが、考えてみると未だ6月だ。一体どうなるの?さっき花に水をやりながらこれがいつまで出来るんだろうと思いながらたっぷり水をかける。みるみるうちに草花が生き生きしてくる。やっぱり良いなあ。花たちが元気だとこっちまですがすがしい。

 

 

2005年6月24日 (金)

久しぶりの会議。

 昼は友人達と近くでやっている「お花のオブジェ」を見に行きそこでランチを食べる。マンションの自分の住まいで大きなオブジェを飾るという新しい試み。余りに生活感がない部屋で、そうか、今頃の人はこんな住み方をしてるんだなあ、と妙に感心。この住まい人は10年ほど六本木に居て、彼女なりの懐かしい六本木をイメージしたモノだった。ブライダルブーケを中心に仕事をしているだけあって、色彩感覚が良い。ただ、矢張り場所が狭いため、作品の良さが上手く生かされていないと思った。こういう人に広い場所を提供して欲しいモノだ。が、きっと彼女はマンションの一室でやることに意味を持たせて居るんだろうなあ、、。そこには近々喫茶店をオープンするという女性がかいがいしく飲食部門を担当していた。遠くを見て居る若い人はホントにこの頃多いなあ。特に女性が元気だ。

 今夜のちぇちの会議は10月のガラコンに向けてのモノだった。必要なことは全部決まったせいか良い演奏会になるような気がしてきた。まあしかし、まずはカルメンだ。又しても相田みつおが叫んでくる。「ひとつひとつ、具体的に、、、」そうなんだけど、、、、けどけどけどで終わらないようにしよう。人生は短い。歌える時間はもう少ししかない。声が無くなる前に歌って置かなくては、、。

会議の後は四方山話でストレス発散だ。やっぱり女性の話は際限がない、、!

 

 

2005年6月23日 (木)

雨が欲しい、、、。

 毎日空を見上げてしまう。このまま行けばひどい渇水に見舞われるそうな!はやくも水を買い込んでいる人が居るらしい。しかしなあ、どうしていつもいつも同じ事で一喜一憂しなくちゃいけないんだろう?選挙の時に「大きな公園をたくさん作り、その下を貯水タンクにする」というでっかい夢を話していた人もきっと公務でお忙しいのだろうなあ。このところトンとそう言った話しを聞かない。ホントの意味での抜本対策が必要ではないかなあ。
ねむいっt!

 

 

2005年6月22日 (水)

会議という名の呑み会?

 本日はFM局パーソナリティの集合するビアガーデンにお誘い頂く。全く久しぶりのこういう場所にちょいとうきうき。若者達に混じること2時間半。みんなが気を遣ってくれて(敬老精神か)色々取りに歩く必要もない。でんと座っての談笑となる。この局は私にとっては新しい環境なので、まずは名前と顔の一致が難しい。偉い方から何かとお話しを頂くが、なんとお返事したものか、、、難しい。この方は私に何を要求しているのだろうかと、相づちを打ちながらのビールは味がない。しかし、当たり前かも知れないが、私の番組をかなりの人が熱心に聞いてくれているのが分かり、オ・オ・オ!
お向かいの席に可愛い女の子がまじまじと私を見ているので、逆にこちらがあれこれ質問攻めに。すると歌手志望の娘で今度の池戸の七夕祭りでも歌うそうな。他にも私の娘くらいの人が番組の製作を担当している人とか、ほ〜ほ〜と感心することが多い。高松にも色んな若者が居るモンだ。みんなあ、がんばれ〜!、、て、アンタは?て聞くよねえ、やっぱり。はいはい、不肖ワタクシ目もまじめにやります!頑張ります!ふ〜っ!

 昨日岡山の教室で貰ったメールのコピーはかなり興味深いモノだった。先日のちぇちの公演「ホフマン物語」について、よくもまあこれだけ!と感心する他無いもの凄い量の感想文が小さな字でびっちり書かれている。その方は術後だとかで本番を観た訳ではないが、出演者から台本と本番の日のパンフレットを貰って隅から隅まで読んでくれたらしい。それによると、本来のオペラの構成とちぇち版を一覧表にしてあり、どの様な効果が上がったかという説明をしてくれている。私がこだわった「舟歌」を何カ所か入れるという効果についても言及してくれていて、このことが全てのおかしな恋のお話しを浄化させる効果があった、としてくれている。特に落語による解説は最初やや軽蔑的な気持ちで読み始めたがどんどん引き込まれて、新鮮な驚きを持って読み終わったと、、。これなればオペラに関心の無かった一般の方々にも充分理解して貰えたでしょう、と書いてくれている。この方が余りに詳しいのでどういう方かと思いきや、今は亡きU先生という日本を代表するソプラノ歌手の弟さんだった。我が会長がその人に師事し、尊敬していたのは私も良く聞いて知っていたが、こんな所でこんな縁で結ばれているとは、、、。まったく世の中狭い。w先生もその方のお弟子さんだったのだ!

 本日生中2杯、麦焼酎水割り1杯、でお開き。気もちよ〜く。ヒック。

 

 

2005年6月21日 (火)

うどんの恨み。

 本日は岡山のシャンソン教室。急ぎコンビニ弁当を買って乗り場に駆けつけると、見たことのないのぼりがはためいている。「なに〜?讃岐うどん?船内販売開始〜?」知らなかった!こんな事ならわざわざコンビニに寄ることもなかったのに〜〜ぐやじ〜!と嘆いても後の祭り。次にこの船に乗るのは1ヶ月後になる。あ〜残念!、、、しかし、誰もうどんを食べようとしない。え?讃岐うどん300円、おいしそうじゃん?どうして皆さん食べないの?と聞いて廻りたいくらいのモノだった。なぜここまで執着するかと言うに、その昔、連絡船にはあったのだ、この船上うどん屋さんが。それが又おいしくてね〜〜。なつかしいではないの?と思うのは私一人なのか??流石の私も、コンビニ弁当食べてうどんは無理。結局は売店を眺めるだけでジ・エンド。今度こそ!

 

 

2005年6月20日 (月)

収穫二つ。

 先日母と一緒に映画に行きながら別々のモノを観た後ろめたさの解消にと「電車男」に誘ったら、二つ返事でオーケーの母。チケットを買う段になって、間もなく私も千円になるということが腑に落ちないらしい発言。そこで私は「世の中、おばあちゃんみたいに80過ぎて映画に行く人が少ないのよ」と説明。「ああ、そう言えば身近に映画に行く人は居ないわなあ、、、。」とようやく納得。確かに高齢化社会になってるとはいえ、映画館でお年寄りを見かけることはほとんど無い。長時間同じ姿勢で居ることが辛いと言う人も居るだろうし、冷房もきつい。世の中若い人中心だから、、、。でも、我が母は膝掛けを持参してでも行きたいというのだから見上げたモノだ。
ところで今日は久しぶりに邦画の良いのに出会えて良かった。一筋ずつ流れた涙の道をぬぐわないでそのままにして、次々と流れるに任せていたらとても気持ちよかった。これが現実にあったことだというのが又涙を誘う。人間賛歌の映画だった。夕べ娘から是非行って、という電話を貰わなければ行ってないだろうテーマだったが、、、。

 さて、今夜もカルメンの練習だった。又指導者が替わっている。こうして何人もの声楽家の指導を受けるというのは希なので、非常に面白い。その人が何を大切に歌ってきているか、今回の作品をどう歌おうとしているかが歴然と分かる。今回参加した一つの収穫だろう。まあ、基本を捕らえてないと迷うだろうが、みんな何かを掴んで欲しいモノだ。それにしてもアルトが少ないんだ、、、!

 

 

2005年6月19日 (日)

今夜はキャンドルナイト。

 娘が今年もキャンドルナイトだと知らせてくれる。が、我が家では、帰宅した旦那が私を見て幽霊かと思ったと言い、ロウソクの一つはもの凄く早く溶けてテーブルに広がり大騒動。パソコンをつければ意味がないし、、、、ロマンティックとはトンと縁がない我々であった。北浜アリーナ辺りではイヴェントが繰り広げられているらしいが、、。

 本日は昼間交響楽団、夕方からお芝居とお忙し。このところオーケストラを聴く機会が多くて、ちょいと聴く耳が出来たような気がしているアチクシ。今日の演奏は弦はとても良いと思ったが、官がはずしていたなあ。お行儀良くきれいに演奏しているが、何かしらハートに来るモノが少ない。イコール眠かった。しかし、チャンと最後まで聴いて帰った。私的にはベートーベンは第4楽章だけで良かったなあ。
この楽団は大昔前に今は無き指揮者で創設者のAさんが今にも倒れそうになりながら「カバレリア・ルスティカーナ」の指揮をしていたのを思い出す。それは指揮者高齢の為、妙な間合いと今にもとまりそうな頼りない演奏だったが何故か心にしみ渡ったなあ。今は伝説の演奏会となったが。

 さあそれからミューズホールへととって返し、今度はお芝居だ。この劇団、ファイナル公演と歌っているのでさぞかし力が入っているだろうと思ったが、昼夜の夜の部は出演者が最後を意識して涙涙のお開きとなる。シャンソンのMさんはなかなかの好演。挿入歌も効いていたようだ。後で、客だしの彼女と話しをしたら昼の部は台詞を何ページも飛ばして冷や汗が出たとか!あるのよねえ、生ものだから。
全体として、アドリブでやっているような所は面白くなくて、ダンスやコントなど、訓練した跡が見えるモノは面白かった。舞台とはそういうものだ。

 

 

2005年6月18日 (土)

トニーショー

 ニューヨークブロードウエイの演劇に与えられる賞がこのトニー賞だ。ブロードウエイミュージカル関係者の投票で優秀作品と優秀制作スタッフを選ぶ。映画のアカデミー賞に当たるものだが、この会場はアメリカそのもの。素晴らしく着飾った紳士淑女が会場を埋め尽くし、ノミネートされた作品に一喜一憂するその声や仕草が、「アメリカ」という一人の人間のように反応する。
9,11事件以来ど〜んと落ち込んでいたこの業界が、数ヶ月後には前にも増して元気になったというのだから驚きだ。海外からの観光客が殆ど来なくなってブロードウエイ界隈に閑古鳥が鳴いたとき、一大キャンペーンが繰り広げられて、他の州から大勢の人が駆けつけたらしい。その結果以前のような活気が戻ったというのだ。この愛国心というか同族意識というかもの凄いものがあるなあ。果たして日本で同じ事がおきてそうなるだろうか?おそらくは無理。国民性の違いだと片づけて良いのか?
ま、それはともかく矢張り演劇は、舞台は面白いと思わせてくれるショーだった。さすがエンターティナーが豊富。舞台に上がっただけで笑いをとる人もいる。共通しているのは、人を笑わせる人は自分は笑わないってこと。 
自慢じゃないが私なんかは、相手が笑う前に笑ってるし、笑いすぎてさっぱり言葉にならないときがあるくらいだから完全に失格だ。そう言えば、このところちょくちょくお会いするT先生は笑わないなあ。声楽を止めてもコメディアンの道があるかも!フフフ。

 

 

2005年6月17日 (金)

母とは、、、

 本日、当店にご来店の85歳のお年寄りが、昨年水害にあって衣装類が全てパーになった娘に上げたいとお買い物に見えた。この方は実は昨日もいらした方で、ヒョッとしたら明日も来るかも知れない。思い出したように来店しては2、3枚ずつ買って行かれる。このところ産地直送の衣類がどっさり届いて、場所は少ないし、管理も手間でいい加減置くのを止めたいのだが、こうした遠出が出来ない方がケッコウ喜んでくれたりして、止めると置いて欲しいと言われたり、、、まあだらだらと置いている次第。このお婆さんは自分の身は一切構わず、いつも娘さんの為に買いに見える。母親というのはホントに幾つになってもありがたいものだ。この方の娘さんだからもう50代だろうが、幾つになっても娘は娘なんだろう。
 私は何となく思い立って水戸のお嫁さんに電話してみた。息子は論文の締めきりがどうとかで、ず〜っと遅いらしい。可哀想だが仕方がない。ま、それでも今のところはうまくいってるらしいが、、。来年子供が生まれたら状態は変わるだろう、、と期待するしかない。頑張ってね、と電話を切ろうとしたら主人のご帰還。一言だけと言いながら電話を渡すと、ホントに一言だ。しかもまるで他人、ていうかそれ以上に不自然。やっぱり離れていて、接触がないとこういうものかなあ。妙に緊張している!勿論主人の方が!ハハハ。

 

 

 

2005年6月16日 (木)

本日のFM収録。

 若干29歳のピアニストR・Dさんと自称彼女のサポーターMご夫妻が本日のゲストだった。
人が人に惚れるというのは、どこから来るのだろうか?相性、は勿論その最たる要素だろう。、、、まあ分析は心理学者に任せるとして、人が人に惚れるというのはなかなかに良い光景だ。M氏が夫人に惚れているのは周知の事実だが、その夫人の前で、このピアニストにぞっこんのM氏は何ともかんとも愛らしい人物になる。本日の収録は、奥様お見立てのクールビズで決めたM氏の熱いサポート振りに、実は内心吹き出しそうになりながらの楽しい収録となった。私自身は余り、リアルタイムで自分の番組を聴くことがないのだが、今度ばかりは是非聴きたいものだ。そして思い出しながら二度楽しむこととしよう!

 ところで、朝偶然テレビで貴乃花の生出演を見た。相変わらずテレビ局も勝手なことを言ってる。「世間では、プライベートな部分をべらべら喋るのは男としてどうなのか?などと言われていますがその点どう思われますか?」なんて馬鹿なことを聞いている。世間イコールマスコミが聞きたがっているから成立してるんだってこと、どっかに置き忘れている。彼はこの現実を利用しているだけなんだ。しかしまあ、生身の人間は時々思わぬ事を喋ったりする。最初から用意していたことなのかどうか、イマイチ分からないが、以前の若貴優勝争いの取り組みが実は八百長だったと、それに近いニュアンスで喋ったのだ。これにはスタジオも騒然、私もビックリした。矢張りそうだったのか、と思いながらも、、、。この事が生み出したそれ以後の兄弟の軋轢は想像を超えるモノがあっただろう。勝負の世界にそんな駆け引きや人情を入れたら、相撲そのものが純粋でなくなるし、それまでの激しい厳しい稽古は一体何のためだったのか?ってことになっちゃう。これが事実なら双子山親方も罪なことをしたもんだ。

 

 

2005年6月15日 (水)

航空機事故。

 日航の事故が今日も報道されている。まかり間違えば大惨事になりかねない程のものだが、まるっきりJR西日本の時と同じ様な気がしてならない。「安全」二の次、三の次。まずは利益優先だ。自由競争にはこんな落とし穴があるのだ。今日も朝から「郵政民営化」が国会で議論されていたが、政治家にはそれぞれの思惑があるようだ。しかし、このお歴々の中の果たしてどれだけの人が本気で「国民のため」を思っているのだろうか?とっても疑問。民営化によって、利益追求の挙げ句又おかしな事が起こらなければ良いが、、、。クールビズ、クールなのは心ばかりのような、、、。
 それにしても国会議員のノーネクタイは、どうも板に付いていないなあ。中にはおしゃれな人も居るが殆どの人がペケ。まるでお昼休みみたいな国会中継だった。服装とは不思議なものだ。一方で、首を絞めるというあの奇妙な風習は、確かに無くても良いとは思う。夏は特にお気の毒。自分のことを考えても、夏は出来るだけ首周りに布が当たらないよう心がけているというのに、ワイシャツにネクタイに背広と、何重にも首に巻き付けている様は余りにお気の毒。我が亭主殿は自由な会社の慣習で、殆どノーネクタイで出勤していたので、世の中の他の男性達があっつそうなのはホントどうしてかな?という思いだった。ここに来て急にこんな事になって、まあ、個人的には良いと思うが、世の中何でもそう簡単ではない。どうやらネクタイ屋さんがあがったりだそうで、銀座の何タラ言うお店の主が憤慨していた。アイスノンで作ったネクタイなんか出せば良かったのに!って、そりゃまずしい発想?貧しいついでに背広の背中にアイスノン、てどうかな?、、、どうしてもアイスノンから離れられない。今年って暑いの?

 

 

 

2005年6月14日 (火)

夕寝、、、?

 先に一人で食事を済ませたら急に眠気が襲ってきて、マッサージ機の上で1時間も寝ちゃった!後1時間で夫のご帰還だから、まあ悟られることはないだろう。別にいつ寝ようと構わないようなもんだが、何だか後ろめたいのは何故だろう?しかし、所定の時間外に眠るのってこんなに気持ちが良いモンだったのだ。これであの締めきりに何とか間に合うか!?すっきりしたアタマでひねり出すことが出来ますように!
夕べ寝ようかなとつけっぱなしの深夜テレビのチャンネルを廻していたら、「携帯短歌」なるものが取り上げられていた。これはお初の言葉。若い人達が携帯で会話するように短歌を交わすというのが最近流行ってるらしい。番組では若い夫婦や高校生が教室で交わすのが取り上げられていて、若い人達の感性溢れる作品に、思わず見入ってしまった。会話では伝えにくいことも短歌だと言いやすい、というのだ。幾つかの例はそういう意味で納得のいくモノばかり。ケンカの後、「実はこんな気持ちだった」と妻が打てば、夫は「分かっていたけど、、今日のケーキは酸っぱい」と返す。現代の相聞歌だというのだ。まあ、あのちっちゃい画面で打つ気がさらさら無い私といたしましては、縁のない世界。だが本当に携帯無しでは暮らせないという人が多くなってきた。この無味乾燥なちっぽけな機械を人間らしく使いこなすというのが、現代人の知恵なんだろう。
それにしても、七五調というのは日本人のDNAの中にしっかり残されているんだなあ。驚いた。

 

 

2005年6月13日 (月)

ちょお〜忙しい1日だった。

 朝から病院。母を伴って法要の食事会の下見。それから母を待たしておいてシャンソン教室。新しい人も入って、週末の芝居に出るMさんの歌と演技に大盛り上がり。和やかに笑いながらロビーを見ると母が居ない!えっ?とビルの中の下の階を探すも広すぎてさっぱり分からない。念のため自宅に電話しても帰って無いという。最悪のことがアタマをよぎる。もしや徘徊が始まったか?館内放送をして貰ったら、エスカレーターにちょこんと乗った母が下から上がってくる。時間の勘違いだったことが判明してやれやれ。色んな人を騒がせてしまった。本人は別にと言う顔をしていて、冷房がきつくて暖かいところを探していたというのだ。偶然かけてきた茨城の息子までが心配したのだが、、。まあ、よかった。
 帰りにも別な病院へ母共々寄り、このところ痛んで仕方がない肘を見て貰い、使いすぎという結論が出て、ついでに先日の転倒、嘔吐事件について詳しく相談に乗って貰う。結論は「余り軽く見てもいけないが、神経質になり過ぎることもない」ということ。今飲んでいる薬をきちんと飲みながら様子を観ましょう、とのこと。私の最も希望する所見だった。しかしこの先生の笑顔は素晴らしいなあ。全てを包み込むようなこの笑顔にかなりの部分癒される。例え貴方は癌ですよ、と言われても、この先生になら任せておけるという気になるだろう。朝の医師はちょっと不安。何故か知らないが手がのべつまくなしブルブル震えている。合理的理論的な物言いは冷たいコンクリートを連想させる。ひょっとしてこの先生が病気なのか?、、、単なる相性とも思えないなあ。

 急ぎ食材を買って帰り夕食の準備。自分は弁当で済ませてカルメンの練習会場へと急ぐ。後少しで全部を歌ってみる訳だが、片っ端から忘れてッてるような気が、、、。

 帰りにメンバーを送りがてらKホテルに行き、父の法要の打ち合わせを。、、、つ・か・れ・た!ビールを飲むが、内科の医師の「ビールはご飯1杯くらいのカロリーが、、、」って言葉が思い出されたせいかどうか、まずい!まあ、まだ本調子ではないのかも、、だ。

 

 

2005年6月12日 (日)

せっせせっせ、、、

 今日は朝から何故か身体が良く動く日で、本業の合間に履き物の入れ替えやら破砕ゴミのまとめやらトイレ掃除に衣類の整理、、、とんとんとんとん仕事がはかどる。今も深夜だというに、花たちにたっぷりお水を上げて、二本しかないミニトマトをためつすがめつ眺めて、いつになったら食べられるんだろうとわくわく、、、この家事というお仕事。全くきりがない。さっき息子が電話してきて「あ、埃が、、」なんて電話口で亭主面するからしっかり叱っておいた。第一に電話の相手の私が彼女にとっては姑なんだからこれではまるでチクッテルみたいじゃないの!第二に気が付いたら黙って自分でおやり!全くデリカシーが無いったらありゃしない!これだから男は!、、てな具合。まあ、息子は笑って受けながら反省していたが、やれやれ、やっぱり日本男児してるなあ。父親の遺伝子がなあ、、。
この私とていつもこんなに身体が動くわけではない。大いにムラがある。やりたくないときはホントにな〜んにもしたくなくなるもの。この頃では、快調なときも、したいことが全部出来なくなってきているし、昔のスケートリンクで滑って全体重を左肘で受けたときの古傷がじくじく痛んだりする。この身体、一体いつまで使用可なのか?
なあ、、、?

 

 

2005年6月11日 (土)

老人劇団かあ、、、。

 60歳以上の高齢者だけの劇団が高松に生まれたというのは聞いていたが、実際に観たのは初めて。母を伴い出かけたのだが、道中、「貴方も60歳過ぎたら入団させて上げるわよ、と言われた」と母に言い、「もしかしたらおばあちゃんの方が入りたいかもネエ」と喋りながら行ったのだ。しかし母は帰りがけ偉そうに「もうちょっとすっきりした劇ならええけど、アレではネエ、、」なんぞとほざくので、あたしゃ別にこの劇団に義理はないんだけど「いやいや、あれだけのことやるのも大変なのよおばあちゃん。自分勝手に喋るんじゃなくて、台本を覚えてその通り喋るんだからね!」と弁護。しかし母はまだまだ言いつのり、「第一あの長い間がどうしようもなくいらいらした」だって!「あのねえ、あれだけ覚えてチャンとしたタイミングで喋るのは大変なのよ!そりゃあ忘れて出てこないことだってあるわよ」とこれ又弁護。しかし、私がどう言おうと、面白くないモノは面白くない母だった!
これが仮にも舞台に立っている人と、そうでない人の感想の違いなんだろう。しかし、考えてみると母の方が正しいのかも知れない。いや、きっとそうだろう。観客がお金払って見に行くのは、何も出演者の側に立って同情したりするために行くのではなく、純粋に楽しみたいが為。その出演者達が例え子供だろうと大人だろうと老人だろうと若者だろうと、面白いモノは面白いし、面白くないモノは面白くないのだ。
もう一つ、我が母は老人意識が薄い人のため、この劇団が老人劇団とうたっていることが気にくわないようだ。
私としては、主宰者の思想をプログラムで読んで、成る程確かに老人向けの演劇は少ないだろうなあと思い、老人の老人による老人のための演劇に拍手をしたつもりだった。が、彼がこの芝居をあの「寅さん」を例に出して論じていたのは、いささか疑問が、、、。寅さんがあれだけ世の中に浸透し好感度を得たのは、彼、渥美清の演技力であり、キャラクターであり、作品の質だった。方向性だけではあれだけの評価は得られなかっただろう。だから映画演劇は難しいのだ。訓練し訓練し又訓練しての結果が舞台に乗るんだ。
結局その訓練の集大成が舞台であり、観客は決して自分には出来ないというレベルの技術を楽しむのではないか。
しかし、今夜私は大いに泣いた。それは何故か?それは盛り込まれたテーマに同感の感情だった。例えば、「高齢の主人が入院したためボケが来て、ベッドに縛り付けられ睡眠薬まで与えられてあっという間に亡くなった」というエピソードや、「アル中の息子の家庭内暴力から家族を守るために殺してしまった父親」の話しなどが語られるとき涙したのだ。一生懸命なその語り口は私が見慣れたプロの俳優のそれとは違い、近所のおじさんおばさんのものだった。それが妙にそそるのは、演出の意図するところだったのか。
この劇団、名古屋の地球博に出演が決まったそうな。げんばれ!って、何故か言っちゃうなあ。カンパもしちゃったよ〜。

 

 

2005年6月10日 (金)

変化と認識。

 本日のH君のレッスンを下で聴いていて、その成長ぶりに驚くが、きっとご本人は大して感じてないんだろうなあ。例えば自分の身体がどんどん大きくなっていく子供の頃、それを意識する人は余り居ないだろう。家族ですら、余り感じないくらいだから。「他人の子は成長が速い」というのはそこから来る言葉だろうが、確かに久しぶりに会うと驚くことがある。声の成長もそれに似ているかな。自分には余り分からないが、他人の言葉からその事実を知ることになるのだ。H君も、会長の後継者と言われるくらいまで頑張って欲しいモノだ。

 今日はTさんが「ちぇちぃりぁ便り」の原稿の最終改訂のためにやってきた。10時過ぎまでかかりようやく完成。これから印刷発送というお仕事が待っている。相田みつおの名言集が我が家のトイレに貼ってある。今日見たのは「ひとつひとつ片づけていくんだね。具体的にね。」だったなあ。その線で行きますか!

 

 

2005年6月 9日 (木)

ムムム、、、、

 カルメンの練習に今夜も参加したが、まだ先に進むことはないだろうと高を括って出かけたのが大間違い。どんどん進んであやうくフィナーレまで行くところだった。全体像が分かりかけてきたものの、とにかく合唱が活躍するオペラだけあって、こりゃあ半端じゃない。「その内歌えますから」というT先生の言葉に少しは慰められたが、ムムム、、、頑張らなくっちゃ!
それにしてもまだまだ合唱が不足しているとか、興味のある人、みんなきてちょ!参加者が少ないと、ケンカのシーンとか、もろ当たりの可能性があ〜るじゃございませんか!あたしゃ髪の毛引っ張るのも引っ張られるのも遠慮させて頂きたいので、、、、!ふ〜っ!

 

 

 

2005年6月 8日 (水)

演奏家の話。

 コンサートが終わり、出演者から話しを聞く機会が時々あるが、これが又面白いのだ。昨日の室内楽との競演を果たしたS嬢との話しは大変面白かった。矢張りただの観客には分かりえない裏話がたくさんある。興味深かったのは、演奏家が聴衆の力を貰って演奏したという話し。これだけ大勢の人が応援してくれているということが、プレッシャーにならず、逆に励みになったというのは彼女にそれだけの実力があるということに違いない。チケットの手売りという、演奏家にとっては酷な条件も必死で乗り越えての結果だったという。そしてもう一点。彼ら外国の人達は、基本的なところ、感性が日本人とは全然違う、という事。その違いをお互いに受け入れての競演は、双方がかなりぴりぴりしていたらしい。でも逆にだからこそお互いに合わさなくてはという思いに神経が集中したとも言えるのだ。あの素晴らしい調和はそこから生まれたモノだったのだ。

 昨日転倒した友人は足にひびが入っていたそうで、ナント松葉杖状態らしい。なんて事だ!私が転んだ話しナンカしたのがいけなかったか!なんだか責任感じるなあ、、、。

 

 

2005年6月 7日 (火)

室内楽に酔う。

 音楽が単体で演奏されない限り一番気になるのは息が合うかどうかと言う点だろう。それぞれが勝手に演奏している音楽ほど聞き苦しいものはない。今夜のチェコフィルはその点素晴らしかったが、ピアノとの競演は一段と調和が取れていて、感動した。地元のピアニストS嬢は楽団から音を受け取り又返すという作業をとても自然な形でやりおうせたのではないか?彼女が永年歌の伴奏を続けてきたのも、今回のような演奏形式には大いに役立っているに違いない。、、それにしても落ち着いた名演奏だった。室内楽の良さを改めて認識した。特に第1ヴァイオリンの音色はいぶし銀と呼ぶにふさわしい深みのある繊細な音だった。

 良い演奏会のアトは食欲も湧く。久しぶりに会った友人Kさんと、ちょっと一杯のつもりが、ふんだんのお野菜と煮物などを食べる内、最後のおにぎりまでにしっかりとした夕食を食べることに!音楽のこと、彼女のやっている川柳のこと、共通の友人が俳句で新聞に出たこと、最近見たシェイクスピア劇のこと、彼女の絵描き仲間のこと、県展の事、果ては孫の話まで、、尽きることがない。実は駐車場で、私の転んだ話しをしながら歩いていると突然そのKさんがくぼみにはまって転倒。まるで私のドジ話が呼んだ事故みたい。

 

 

2005年6月 6日 (月)

初めての合同練習。

 カルメンの練習が始まった。いつものちぇちのメンバー以外の人がたくさん来ての、ボリュームのある声は、ビゼーの作風と相まって興奮させられる。しかも指導がバイタリティ溢れるW先生だ。盛り上がらない訳がない。一回目にしては活気のある練習だった。が、これからが大変だ。まずは覚えなくてはいけない。Kさんはきっと帰りの船の中で暗譜だろう。(ヒョッとして、寝てるか?)私も細かい楽譜がどうも読みづらいから、早く覚えるに限るなあ。とは、思っている。しかし、結構な分量だ。どうなることやら、、、トホホ。

 昼間は、友人の全快祝いに女ばかり10人が集まった。予想通りやかましいのなんお、、、ご亭主を追い出していたのは正解だ、て、私の声が一番大きかったかも!一度外に出た友人が、窓を閉めてもダメだったと、嘆いたいたからご近所にはマル聞こえだっただろう。フフフ。そもそも姦しいの三乗なんだからしょうがない。この持ち寄りの会は楽しかったが、11時から4時近くまでず〜っと食べていて、流石に夕食は入らない。練習後もお腹が空かない。いやはやいやはや、、、。

 

 

2005年6月 5日 (日)

なんともかんとも、、、

 疲れる一日だった。
朝は会議とそのアトの懇親会。会議というものはお互いに意見の交換をするモノかと思ったら、ここの会議は全くの事後報告のみ。確かに理事が居て、彼らがよしなに計らってくれて居るんだろうが、その理事にパイプのない人間には、全く意見が反映されないではないか。一体何のために会員で居るのかさっぱり分からない。この団体が一体何処へ向かっているのかという基本的な事さえ、曖昧模糊。これで由としている人が殆どなんだろうか、、?県だ市だのお偉方が臨席して、顔つなぎかなんかが行われているが、それが一体どうなの?何の為か今年は各団体の名前を書かず、個人名のみで名札をつけての参加。これでは横のつながりも出来ないではないか。一体この人が何をする人なのかも分からず、さりとて一人ずつ声を掛けていくほどの元気もない。結局は顔見知りの人達が寄って歓談となる。このアトに控えていた知人のリサイタルの為新しいお料理も味見が出来ず、早々の退場だ。ま、ビールが飲めたからいっか!
タクシーで急ぎ駆けつけると時間の勘違いで、充分間に合う。いや、これで良いんだが、いつもぎりぎりが信条のおみっちゃんと致しましては、ちと早すぎた。しかし、もちろんまじめ〜な方々は並んでお待ちで、あの方もこの方も既にご到着。
ビールの影響で眠くなるかと思いきや、これが全然そうはならず、有名なオペラの二重唱など、聴くのに力が入った。流石に吾等がW先生は群を抜いての貫禄だ。ドスの利いたあの声で、今度はカルメンか。フム。
天性の良い声を持つかれのテノールは日本人離れしていて良いのだが、少々声が疲れているなあ。余りに少ないパートの為全国から引っ張りだこ状態らしいが、潰されてしまわないかとの心配が感じられた今日の演奏会だった。折角の香川出身の彼を地元がしっかり育てていかなければ、、、。
、、帰宅したモノの、ここまでで相当疲れた私にさらに追い打ちを掛けるが如く、見ず知らずの変なお爺さんが物売りにやってくる。玄関先で帽子を振り周り、腰をかがめて上目遣いにモノを言う。自分は身障者だと名乗り、片手に証明書のような多分保険証かな?を持っている。安いゴムひもなどを売っているという。私にしては珍しくきっぱりとお断りしたが、後味は悪い。いやあ、ホント疲れた!

 

 

2005年6月 4日 (土)

やっぱり今夜もひばりに泣いた。

 友人からのメールで又してもひばりの番組がかかっているのを知る。友人は悲しい酒で泣けたと書いてあり、今頃になってひばりの凄さが分かったと、何回もに分けてメールが来る。色んな人の涙腺をゆるませる名人だなあひばりは。ひばりを知らない世代が社会人となっている現代故か伝説的に扱われ出した感がある。しかし、同じ時代を生きた人間として、これが伝説ではなく、生きた人間の生々しい記録だと、だからこその凄さだと、声を大にして言いたい。、、、だのに、私自身どれ程も彼女の歌を知らない。改めて歌ってみようかなあ、これから。これで思い出すのが、三大テノールが東京に来たときのこと。馬鹿馬鹿しくも見にというか聴きにというか兎に角大枚はたいて出かけたわけだが、プログラムの最後にひばりの「川の流れのように」が準備されていて、観客を巻き込んでの大合唱とする予定だったらしい。ところが、いざ演奏が始まってみると殆どの日本人が歌えない事が判明。驚いた歌手達が、美空ひばりは日本の国民的大歌手と聞いてきたからこの曲を選んだが、そうではないのか?と観客に訊き始める始末。かくいう私目も歌えない日本人の一人だった。なんか聴いたことがあるという程度で、口の中でゴニョゴニョ言ってるだけだ。まあ、この曲が難しい曲だということもあるだろう。、、、しかし、この一件は日本の国民性をも表していると思うのだが如何に。

 

 

2005年6月 3日 (金)

展覧会。

 今日は友人のKさんが県展に入選し文化会館に展示されているとの情報で出かけてみた。久しぶりの彫刻と絵だったが、矢張り時々はこういうモノに触れないとなあ、、と思わせてくれた。て、こないだも神戸で見てきたんだっけ。
その友人の作品はたくさんあるモノの中では異彩を放っていた。他に版画がないということもあるが、かなり目立つ存在だった。彼女らしい力強い線が伸びやかに主張している。いつも何かしら個性を出してくる彼女の作品。案内をくれると嬉しくなって頑張って出かけるのだ。一緒に行った友人も仕事に追われる日々の中、久しぶりにゆったりと芸術空間に身を置いて満足げだった。6時前という時間帯に出かけたためにあんまりゆっくりは出来なかったが、一つ気になる作品があった。瀬戸内海の一つの島に立つ建物を内側から描いている絵だったが、その窓から見えている木々の梢が、どうも心に引っかかってしまう。出来ればもう一度じっくり眺めてみたい風景画だ。
県展全体としてはやや個性に欠けるようだ。インパクトの強い作品が少なかったように思う。そんな中で、ゲストで出品されていた作家のモノの中には矢張りハッとさせるモノもあり、その人の世界が見える。表現表現表現!むちゅかし〜〜〜。
どの世界も、大変だあ〜〜〜!

 

 

2005年6月 2日 (木)

雑感。

 突然古い歌仲間から電話がある。まあ電話というモノは突然に決まっているが、こっちはかる〜く飲んでマッサージ機にかかり、良い〜気分になってるところに亡霊のように懐かしい声が。彼はまたぞろ歌が歌いたくなったと言うではないか。そりゃあ、男日照り、、、あわわわ、もとい、男性が足りない歌劇団ではあるが、それってまじ〜???と訊いてみると案の定、彼の職業は私設の総合病院の医師。お仕事お仕事お仕事で、どうやら団体行動は無理らしい。でも歌いたい。、、、男性で、こういう人、ケッコウ多いんだろうなあ。兎に角、映画館だろうと劇場だろうと、女性が圧倒的に多い。男性が何かしら趣味のことに走ろうと思ってもままならないのが日本社会。ホント時間がないのよねえ。お気の毒〜。
まあ多少は心がけ次第という気もしないでもないが。

 しかし、ビールが飲めるようになってホントに良かった。M先生の「ちびりちびり飲むのも良いですよ〜」の助言に従い、極小缶のビールを数日飲んでみたら、飲めるようになったなあ。おいしいと久しぶりに思えた。これでもう大丈夫だろう。9月のカルメン、10月のガラコン12月のクリスマスと舞台が続く。体調を整えて、少なくとも舞台で倒れることだけは無いようにしたいものだ、あはっ!

 

 

2005年6月 1日 (水)

一つ又一つ、、、

 やっつけた片っ端からお仕事がやってくる。あれだけかと思った原稿も又降って湧いてくるし、「書くのが好きかも知れない」なんて一時でも思ったことは撤回だ。とてもじゃないが小説家なんかにはなれそうにない。ようやく全てを終えて、精も根も尽き果てて今日一日が終わってしまう。これで歌を覚えるなんて事出来るわけ無いのだ!
にゃんとかせねば、、、。って、どれを削るんだあ?一番削りたいのは家事だなあ。近くのワンルームマンションで優雅な一人住まいをしてみたいなあ。、、、く〜っ!夢か。
 

 

 

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