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2005年5月

2005年5月31日 (火)

感動の舞台。

 今夜は久しぶりに舞台を観て感動した。シェイクスピアの「冬物語」だったが、BBCの映像なんかで見るのと違い迫力満点。役者の汗が手に取るように見える位置での観劇は、感激の間隙にも又感激!と言う具合で、、、フフフシェイクスピア的ダジャレだ!いやまったく素晴らしかった。一番感心したのは役者の声。8割方の人が凄い声の持ち主だ。数曲の挿入歌も内一人はオペラアリアが歌えるテクニック。主役の平幹二郎の演技とねばい声はこの役にうってつけ。年と共に良くなって居るなあ。前田美波里は相変わらずの美しさに磨きがかかり、しなやかさと気品にうっとりする。終幕では長時間のストップモーションを、考えられないキープ力で保持、観客のため息を誘う。首をかしげて中腰の姿勢はダンサーならではのキープ力だ。凄いとしか言いようがない。
シェイクスピアは、人間として何を大切に生きるべきかを、平明な言葉で簡潔に表現する。「人は間違う。しかし、その間違いは許されるべきもの、、、」慈悲の世界だ。彫像のように動かなかった王妃がやがて人間としてゆっくり動き始めたとき、我々は思わず涙した。この涙は、大いなるモノの前に立つ小さな人間の甘い涙だ。観客の多くが、罪深い人間としての全てが癒されていくのを感じたことだろう。
舞台美術もシンプルで素晴らしかった。モノトーンに統一されて、時々役者の一部が原色で彩られ浮き立つ。最後の1本の長い百合の花は舞台全体を締める大きな役割を担っていて巧みだった。こんなに心地よい舞台を観たのは全く久しぶりだった。やっぱりシェイクスピアは面白い。平幹二郎だ〜い好き!

 

 

2005年5月30日 (月)

カルメン始動!

 いよいよ来月から本格的に四国二期会のオペラ「カルメン」の練習に入る。数あるオペラの中でも合唱が重要な役割を担う大がかりなオペラだ。また忙しくなりそうだ。まあ、とはいえ今回は全てお膳立てして貰っての参加だから、楽チンではある。舞台を十二分に楽しませて貰おう。、、て、合同練習初日にスケジュールが入っちゃってるなあ、、トホホホ。

 本日は待ちかねていた母親を映画に連れて行く。ホントは同じモノを見るべきなのだが、ギリギリでやっぱりあたしゃ邦画は止めて、洋画に走ったのだ。なんて親不孝と想いながらも、まあ、多分大丈夫だろうと選択したが、映画は「あんまし〜」の上に、母親が気になってしまって充分楽しめない。終わるのを待って大急ぎでロビーに出ると、椅子にちょこんと座ってキョロキョロしている。余り待たせなかったようで一安心。その僅かな時間にそこに来ている人達の観察をして楽しんだようだ。肝心の映画は矢張り今ひとつだったそうだが、それでも「映画に来た」というだけが嬉しかったようだ。独身のころは昼の部を観て同じモノをもう一度見て帰る頃には星が出ていたことも再々あったというから昔の不良だったのだ。道理で、結婚して子育てが一段落した頃だろうか、幼い私を連れては毎日のように映画館に通っていた。いつ頃だったか、「お化け映画4本立て」というのに連れて行かれてその夜白髪アタマのおばあちゃんの側でなかなか寝付けなかったのを覚えている。
母85歳の今、そのころと変わらない好奇心が持てているのは結構なことだ。帰宅途中に立ち寄ったお店で映画好きの私の友人とバッタリ会い、彼女が「私、もう60歳だから1000円で見られるんですよ」と言うと目をまん丸くして「へ〜?私と同じ料金ですか?」と驚いている。いや全く、60歳は老女扱いだ。しかも自己申告制だから「そう見える」ということに腹が立つそうな。ハハハ、それって八つ当たりジャン?ぼちぼち覚悟が要るってことだ。シェイクスピアじゃないが「覚悟が全て」なんだろう。

 

 

2005年5月29日 (日)

歌の力。

 なが〜い演奏会から帰宅してテレビをぼ〜っと見ていると、まずはオカルト映画。これまた先日のコンスタンチノばりの神と悪魔の戦いがテーマだ。この手の話しが外国映画に多いのは、これは人間の願望かも知れない。社会は悪魔的なものに充ち満ちている。自分の力だけでは逃れられない悩みが襲い来る。、、、となると、救いを求めるのは自然の行為。女は白馬の騎士を夢見、苦しみの中にいる人は神を求める。これ皆自然の成り行き。しかし、こんなものは、たまにあるからふむふむと、ビール片手に見て面白がったらいいのだ。このところのこの手の映画の多さにはうんざりする。人は悩み苦しむ方が良いのだ、じっと耐えることも人生だと、教えてくれる文学作品が余りに少ない。テレビをつければゲラゲラと笑わされる(やっぱり見りゃ笑うのよ私だって)し、何処に廻しても健康とにわか仕立てのドラマと、テレショップのオンパレード。ふ〜っ。歌でも歌ってる方がよっぽどまし。、、、と思いつつ最後まで見たテレビを、疲れているにもかかわらず消せない。すると、美空ひばりのドラマが、、。今日の発表会で歌ったのよねえ、ひばり。津軽のふるさと、なかなか良い歌だ。これまたぼ〜っと見ていて、この安直なドラマの作り方に腹がったってきた。あれだけの天才を描くのに、これはないだろう。そもそも彼女の一生を本気で辿ろうとするなら、それはもの凄く膨大なものにならなくてはいけない。これだけ人の心を打つ歌が歌えた人が抱えた人生が、単純なモノであるはずがない。今日のテレビ番組への個人的な感想に過ぎないが、ひばりは、歌を聴けば良いと思った。歌に彼女の人生の全てが込められていると思うから。

彼女の死から16年が経ったそうな、、、。

 歌の発表会。歌が何のために生まれ、何のために存在するかを、考えさせられる3時間半だった。  疲れた。

 

 

2005年5月28日 (土)

大阪のおばちゃん。

この代名詞が最近よく聞かれるようになったが、簡単に言えば「やかましい、元気、ずうずうしい、疑り深い、ケチ」ってことか。これってまるで悪口のオンパレード。でも大阪人はそれこそが埃みたいだ。いや、誇り。
大阪の友人でれっきとしたおばちゃんも、それを決して否定しない。まあ、ん十年大阪にいてどっぷり彼の地の沼に浸かっている彼女はもう今や大阪のおばちゃん以外の何ものでもない。この私がオレオレ詐欺に引っかかりそうになったときもこてんぱんにやっつけられた。考えられないと言うのだった。、、、今夜テレビでそのおばちゃん特集が繰り広げられていたが、地方色なんて生やさしいもんじゃない、この特色は何故こうなったのだろう?商人の町だったからか?ふ〜む。しっかし、こてこてだなあ!!もちろんこの枠に入りきらない人も大勢居るだろうが、、、、。

  今日,公演以来初めて来店されたお客様が感想を言ってくれたが、予想通り「衣装が凄かった!」だった。何度か来てくれていたが、今回は圧巻だったと褒めてくれる。あれからもう2ヶ月にもなるが、未だに来てくれた人の口に上るとは有り難い話しだ。次はいつですか?と聞かれてごにょごにょごにょ。そういって貰えるだけ嬉しいことではあるが、オペラはねええ、簡単にはねええ、、、。
とりあえず明日はCantiamoだ。

 

 

2005年5月27日 (金)

人間っていいなあ!

 たまたまCOOPで集まっていた我々4人のおしゃべりに、今日はYさんが加わり一段とにぎやかに!彼女が一時は生きるか死ぬかの大騒ぎをしたときからまだ3ヶ月だというのに、ナント自転車で我が家まで20分の距離を汗をかきかきやってきた。運動が必要なんだそうだが、手術のアトがちょいと心配。しかし友人達の「元気になって良かった!」という心からの歓迎に、全く久しぶりに以前のように笑い合った。亭主の悪口を言っては笑い、自分のドジ話を言っては笑い、日常の細やかなことが一つ一つ笑いの種になる。その笑い声はアトから別室にいた我が母が余りに凄い声だったと呆れていた程だった。みんな、「笑いたかった」のだ。やがて外が少し涼しくなった頃、それぞれ夕食の準備のために解散だ。思いっきり笑ったアトのさわやかな顔をして、Yさんは颯爽と自転車で帰っていった。
おそらくは彼女以外のみんなが、医学の進歩というモノに想いをはせたことだろう。少なくとも外観は依然とちっとも変わらない。まだ完全なる釈放ではないらしいが、取り敢えず娑婆の空気が再び吸えたという目出度い話しだ。友達って良いなあ。人間って良いなあ!

 

 

 

2005年5月26日 (木)

眠い、、、。

 Sチャンがパソコンの更新で頑張ってくれていてシンデレラタイムで帰った。彼女も眠そうだったが、アタシも、めちゃくちゃ眠い。、、、とにかく寝よう!

 

 

2005年5月25日 (水)

若いということ。

 この年頃が確実に私にもあったと思うが、そして、この人達と大差ないと思って暮らしてきたが、今日は若者達に羨望を禁じ得なかった。本日のFMは和太鼓のメンバー達だった。体育会系と自称するだけあってすがすがしいが、みずみずしさも持ち合わせた好ましいグループだ。「打ち込む」ことの素晴らしさを体験的に知っている。彼らは人生に於いて得難い宝を手にしたのだろう。中にいた男性が私の触手に触れた。喉の奥の空いた良く響く声を持っている。彼がちぇちに入ってくれたらなあ、、とポロッと本音が。男と見れば誰彼構わず、、ではないが、ホントに全く慢性的男性不足。声があって、オペラに詳しくスコアまで持っていらっしゃる某大学の先生様をかき口説いても全くなびいてくれないし、仕事が忙しいという有望な若い人も無理っぽいし、困ったもんだ。だって、重唱は殆ど男女なんだもの。10月のガラコンに向けて、又男性をゲットしなくては!
 話しが大分それたが、今日の彼らの気持ちいいところは、礼儀正しいという点だ。そこに全然無理が無く、誰かに強要されたからという感じもない。「よろしくお願いします」「有り難うございます」「お疲れ様でした」「失礼します」という美しい日本語を、どんなに楽しい雰囲気でも必ず使う。彼らがどうやって学んだのか分からないが、これからの彼らの人生に必ず役立って行くに違いない。、、、こういう人達を応援したいと、我々世代以降は思うのだ。

 昼間年金の説明に立ち寄ってくれた人がいて、いつ結婚したか?OLは何年から何年か、などなどあれこれ訊かれたが即答出来ない。「え〜っと。あ〜っと」の連続。全ては忘却の彼方だ。だって、普段必要ないことだらけなんだも〜ん。
いつの間にか年取っちゃったねえ、、、と、FMから帰りに立ち寄った友人宅で二人して慨嘆。彼女から針治療で色んな病気が治ったという人の話を聞く。信じるモノは救われるのかも知れない、、。

 

 

2005年5月24日 (火)

不調が続く、、、。

 ヤケのやんぱちで欲しくないけどビールをぐびっといきやした。、、、が、何ともない。やっぱり重症ではないみたい。なんてね。

 人間てどうして病気になるんだろう?生きるか死ぬかどっちかにしてくれないかしら?

 

 

2005年5月23日 (月)

なんとなく、、、

 不調だなあ。今日は昼間のシャンソン教室のために未だ睡眠薬が身体に残っているような感じだったが無理に起きたら、もうすぐ12時という時間だった。いやぁ、起きて良かった!夫が出かけるときにガスを切り忘れていて、火がついたまんま。危うく○○の丸焼けになるところだった。(○○に好きな言葉を入れよ。あれ以外の)
レッスンに入るといつもの調子で楽しかったが、次なる予定の県の庁舎に廻るときには倦怠感だ。ガス欠の間際だったのでスタンドに、、、と車を回したら、まあ偶然にも弟が自転車で目の前を行く。思わずお互いに手を振って、スタンドまで来てくれた彼と立ち話。相変わらず忙しいらしいが、まあ楽しくやっているらしい。近くに住んでいても会うことがないだけにやけに懐かしい。
文化行政課というところ、場所が変わっても相変わらず雑然と書類の山だなあ。パソコンが発達してもこの書類の山はなくならないのか。職員の対応は、この課はいつもながら柔軟で良いなあ。、、、なんてことぼんやりと考えながら書類を作成。この次夕食の準備の買い物に行くのがもの凄く億劫になった、、が、このまま帰っても作らなくては何もないし、、、出来合のものでも買おうと夢タウンへ。お嬢からのご命令で沖縄の結婚式のためのフライトを調べに旅行社へ立ち寄る。が、未だ早くてバーゲン型は無い。又改めて来ることにして幾つか買い物をして急ぎ帰宅。、、、未だなんとなく体がだるい。思うようにとっとと動いてくれない。こりゃあ練習は遅れるぞと電話したら、なんてお優しいみんなのお心。休んでも良しと言ってくれる。それを良いことにマッサージ機で1時間たっぷり。これから御風呂は言って寝よう!しかしまあ今頃色んな疲れが出てるんだろうか?まあ、スロースローで行くしかない。出来るときは。

 

 

2005年5月22日 (日)

日本はカルメンの年?

 至る所でカルメンだ。
日立市が日本初の野外オペラでやるらしいし、香川でも県民ホールに海外組がやってくる。四国二期会もカルメン。そして、来週の「題名のない音楽会」ではなんと歌舞伎役者が「ハバネラ」をバックに踊るというか蠢くというか、歌舞伎調の動きがテレビの予告であった。
そもそもこのカルメンは音楽は素晴らしいが、初演でこけたことがあるそうな。だが、それとは別な意味で、女心がかなり難解なドラマではある。まあ、不器用な女性だと言うことは出来るだろう。好きでもないのに好きな素振りは出来ないというまっすぐな気性なのだ。そこを曲げるくらいなら死んだ方がまし、と言って、ホントに殺されちゃうお話しだが、、、、こんな女性がホントにいるかとなると、かなり疑問だ。何も命に替えるほどの事じゃあ、、、と多くの女性は思うだろう。最近流行りのストーカーのはしりがドン・ホセということだろうが、自らストーカーに身を投げ出す人は現代女性には居ないだろうなあ。でも、それでも殺されちゃう人が後を絶たないのは、身を守りきれないだけだろう。まあ、間違ってもその対象にはなり得ないアチクシと致しましては、その昔、このカルメン役の役作りで苦労したもんだ。先ず第一、よってたかって男が寄ってくるというフェロモン出しまくりの女性なんて、どうすりゃ良いのよ!てな具合だ。まあ、今となってはこれも懐かしい。、、、全ては遠い過去になった。今日の会長様のお歌の「津軽のふるさと」のように、何もかもが「懐かしい」というキーワードで結ばれる。
数ある会長のコンサートの一つが喫茶店で行われたのだが、あのお声は矢張りステージ向きだ。自宅で大音量でCDを聴いているような感じだった。たまたま本日テレビで某外国人テノールが「オーソレミオ」を歌っていたが、手前味噌ではなくその人より遙かにテノールとしての魅力を持って居る。と思った。まあ、生声と機械を通しての音の違いはあるだろうが。いつまでも歌えないんだからもっと積極的にご披露したら良いのにとつくづく感じた。
 それはともかく、昨日の日記に嘘を書いたようだ。ソプラノ歌手の名前は中嶋啓子らしい。矢張り見ている人が居るモンだ、テレビというモノは。あ、又違った!ラジオの話しだった!最悪!
 

 

 

2005年5月21日 (土)

格闘して貰った。

 いやいや未だ過去形には出来ない。ホームページの更新をやってくれているが、相当手こずっている。10時半までSちゃんが頑張ってくれたが、ちょいと完成までは無理だったか。ま、私がやるよりは早いだろうからして、、、。

 元うちの従業員だった子がやってきてご亭主が何度目かの失業中だと言う。健気に彼女の細腕で頑張っているらしいが、我が子の事のように胸が痛む。生きるということは大変なことだ。このご時世、こんな若い人が多いのだろう。以前は多少の問題があっても就職に困ると言うことは余り無かったように思うが、最近は厳しいモノがある。「痛み」はこうして弱い人達に襲いかかってくる。お偉い方々はこの日本を本当に良い国にしてくれるのだろうか?

 先日FMでソプラノの片岡某が美空ひばりの事を情熱的に話していた。幼い頃福引きで当たったひばりのコンサートに行き、余りに上手いと感動してひばりの衣装の端を掴んで離さなかったことがあるそうな。何とその時6歳というから恐れ入る。握らせたまま最後まで歌いきったひばりも大したものだが、6才にして歌に感動してそういう行動に出るという彼女も凄い。将来を暗示させる出来事だろう。その番組でひばりの英語の歌が流れて驚いた。その幼子ではないが唸ってしまった。英語が話せたわけでも読めたわけでもなかったらしいが、なんと流暢なことか。天才だったんだ。デビュー曲から段々に成長していく過程が分かるCDを購入して聞いてみた。もう幼い頃から普通ではない。声といい抑揚といい何とも言えない味がある。ソバで聞いていた我が母が「今はこんなにじっくりと聴かせる歌が無い。曲も良かった。」と独り言。、、、不滅の歌手だこの人は。
って、次のコンサートで私歌うのよねえ、ひ・ば・り!ひさあしぶりの演歌。どうなることか、、、?

 

 

 

2005年5月20日 (金)

原稿二つ完成。

 作文しながら矢張り私は書くのが好きな性分なんだとつくづく感心。早く寝ようと思うんだけど、文章は矢張り夜の方が書きやすい。書き始めるといつの間にか時間が経ってしまっている。兎に角これを仕上げなくては自分の歌どころではなかったのだ。遂に終わったから、これからやるぞお!って意気込みだけは良いんだけど、1週間でどれ程のことが出来るかはなはだ疑問。、、、ていうか、まだビールが欲しいと思わないのはちょいと不安だ。私にとっての健康のバロメーターだからなあ。
 岡山のある大学でロンドンから劇団が来て「リア王」をやるという。知ったのが遅すぎて、チケットはもう無いらしい。なんとか潜り込みたいところだが、ボディがちと大きすぎるか!ハ!

 本日のお客様で体中を切ったはったの人が居て、それでも元気で動いている。御歳75才でアリとあらゆる病気を経験している。人間病気じゃ死なない。寿命で死ぬんだ、と、二人して納得した。私だってこの人みたいになるかも知れない。ビールが飲めないんだから、、、またこれか!
 

 

 

2005年5月19日 (木)

無罪放免?

 CTスキャンもMRIも異常なし。と言われたが、帰宅してからのもの凄い疲労感で1時間マッサージ機のお世話になった。動くなと言われてドームの中に入っていたが、眠るに眠れずの30分間はドドドドドという工事現場の様な音と共に緊張を余儀なくされたという訳だ。(意外とデリケート)そもそも病院自体が疲れるところなのだ。
まあ、結果が白だったが、じゃあ、あの嘔吐とか耳鳴りとか頭痛とか転倒!とかはなんだったの?と言うことには答がない。ま、何はともあれ又ビールが飲めるということか。、、それが不思議と今夜は欲しくない。こっちの方がよっぽど心配だったりして!ハハハ。
でも、今夜は速く寝よう、、、て、宿題があるからなあ、、、。

 

 

2005年5月18日 (水)

不安。

 本日4時頃突然の嘔吐。?もしや、昨日の転倒と何か関連が?と思い始めるともやもやと不安が、、、。血圧は151〜89いつもより高めだ。そういえばここ数週間頭痛もあったし、耳鳴りがすると夫に訴えたこともあったなあ。、、、「病気カモ知れない」という言葉が磁石になったように色んな事がこの事件にくっついてくる。夕食の準備中に友人から電話があり、つい喋ってしまったら矢張り医者に行けと言う。しびれはないかと聞かれて手のひらに少しあるような気がする。、、、と言う具合だ。何もかも思い過ごしカモ知れないが、年が年だから、やっぱり明日は病院だ。情けないけど行くべえか。、、、こうして又、担架の締めきりが、、あら、短歌だった。

 

 

2005年5月17日 (火)

とうとう、、、、

 本日はあるやんごとなき方のお葬式に出かける。ところがなんと!玄関先ですってんころりん!おもわず「うぎゃっ」とも「きゃっ」ともつかぬ大声を出して辺りの人々を駆け寄らせる羽目に!不覚の極み。こんな時に発声練習すること無いのに!しかし出てしまったモノは仕方がない。とてつもない恥ずかしさで一気に立ち上がったが、この図体を支え切れていないため、会館の親切すぎる(ここが問題)男性が椅子を持ってくるわ、足を撫でてくれるわ、大丈夫ですというのを、エレベーターまで送ってくれるわ、お焼香の間にも寄ってきて「大丈夫ですか?」と囁く!!!もうっほっといて欲しいのに、たださえ周囲の人に「あの人だあれ?」と好奇の目で見られているというのに、勘弁してよ!だ。逃げるわけにも行かず、ただただ馬鹿の一つ覚えで「大丈夫です」と繰り返すのみ。多分10回以上言ったと思うなあ。で、問題は葬儀の中である方が弔辞を読んで、亡くなられた方はその8ヶ月前に転んだのが原因で、、、と言うではないか!何という符号。そりゃあまあ、本日のお方は89才というご高齢ではあったが、それにしても余りにぴったしのタイミングではないか!何かの暗示かしら?と夫に言うと、「お母さんなら大丈夫。元気の度合いが違う。」と太鼓判を押してくれたがその口の下、もう歳なんだから速く寝ろ、とのご命令。言われなくても寝たいわいなあ。今頃になって身体のあちこちが痛くなってきたもんねえ。

 夕方から出かけた岡山のシャンソン教室。みんながホントに上手くなってきて嬉しい。新しい人がどうなっていくか楽しみだ。やっぱり歌は良いなあ。
、、、て、帰りのフェリーの中で歌は歌でも短歌の締めきりを待って貰って携帯から提出だ。まあ、便利と言えば便利だなあ、、、。

 

 

2005年5月16日 (月)

カルメン。

 9月のオペラに団体で参加の為に練習に入って3回目の練習だったが、早くもみんなこの曲が好きになっている感じがする。ビゼーって天才だとは思っていたが、細かくコーラスの作られ方を見ていくと、ますますその思いを強くする。スローなところはなんとも怪しいメロディーがけだるいタバコ工場で働く人々の怠惰な感じがよく出ているし、速いところはケンカのシーンでの掛け合いなど、全く上手く作られている。かなりコーラスに力を入れて書いているのが分かる。昔々ソロを原語でやったときとは又全然違った楽しみがある。こりゃあ、またまた大変だけどその分良い勉強になるだろう。何たってオーケストラに合わすというのが、数あるオペラの中でもこのカルメンが絶対面白い。迫力のある面白い舞台になればいいなあ。出演するからには頑張らねば!
ホフマンに不参加だった人も復活してきて、練習が活気づいてきたし、楽しく練習が続いて行けそうなのも一安心。はるばる岡山からの参加者もどうぞ最後まで一緒に頑張って欲しいモノだ。やっぱりみんなの顔見てると嬉しくなってくるもんねえ。本日練習中にするっと入っては消えていったおぼっちゃまも、時期が悪くて残念だった。トスカよりずっと面白いと思うんだけどなあ。ま、二足も三足も履いている彼としては無理なんだが、もったいないなあ。、、て、差し入れはおいしかったわ〜ん。

 

 

 

2005年5月15日 (日)

あれこれ。

 今、教育テレビで「魔笛」の抜粋が流れている。自然と一昨年の我々の公演を思い出す。よくぞこんな難しい作品に取り組んだモノだ。まあしかし、楽しかったこともあったし、実際苦しかった練習や本番の緊張が、何とも言えず懐かしいではないか。ソリストの厳しい訓練も重唱のみんなの繰り返し行われた練習も、今となってはただ懐かしい。、、、やっぱりオペラは面白い!もの凄く大変だけど、だからこそカモ知れないが、他のモノとは比較にならない面白さがある。きっと、今回の「ホフマン物語」も、何年か経ってみると、強烈な懐かしさで思い出されることだろう。費やしたエネルギーに比例して、その思いは強いだろう。
しかし勿論オペラの楽しさの一番は音楽にある。この音楽の素晴らしさ。それぞれの作曲家達の個性溢れる音楽に、私達はある意味駒のように動かされるのだ。「音楽の世界を、生きた人間が演じる」この面白さからは到底逃れられないだろう。いや〜、、、オペラはやっぱり面白い!
ん?こないだは映画だったような気が、、、、


、、と、ここまで書いたら娘から「見たよ」の電話が。しばらく音楽談義に花が咲く。「何故やるの?」と訊かれて、二人とも「止むに止まれぬ気持ちから」と答えるしかない。「そこに山があるから登ると言ったあの名言が実感となって迫るねえ」と。

 今日は昼間は吟行で五色台だ。白峰御陵は久しぶりだったが、むかしのまんま佇んでいた。どこもかしこも緑一色で、美しい季節だ。坂道を滑り降りると遙か向こうには瀬戸大橋がぼんやりと霞の中に浮かんでいる。香川にもこんな良いところがあるんだけど、なかなか県外の方をお連れ出来ないなあ。

 

 

2005年5月14日 (土)

生き甲斐。

 本日ご来店のお客様は、結婚したお嬢さんが小学校の先生をしていて、お孫さんの面倒を見るためはるばる2時間も掛けて通っているとか。歳と共にしんどいけれど、娘が可哀想で仕方ないからやっぱり出かけてしまうという。共働きの若夫婦は旦那の方が全く非協力的で、同じ仕事で同じように大変なのに、どうしてそれが理解出来ないのかと腹立たしいという。いらいらして余程自分から婿殿を注意しようかと思うくらいだとか。ただ、娘さんの方は、これは私の問題だからお母さんは口出ししないで!と言うそうな。
しかし、このお客様は驚くほど元気になられた。今のような生活に入る前は病気がちでとっても弱々しい人だったのだ。それにこの方のご主人もガンで余命が少ないと宣告されていたにもかかわらず、お孫さんと接するようになってから、ガンがどこかに行っちゃったという。医者も首をかしげているとか。不思議なことだが、人間、こうしたもんかも知れないなあ。生き甲斐が無くては生きていけないのだ。お金や財産がたくさんあっても生き甲斐のない人は段々おかしくなってくる。友人で、外から見ると何の不自由も無い人が、年がら年中やれ入院だ注射だ点滴だと騒いでいるが、どっかに旅行に行くとなると途端に元気になる人が居る。これも似たようなもんだろう。
てえことは、この私が元気でいられるのは、何も母親譲りの健康体と言うだけでなく、生き甲斐という貝を食べて生きているからカモ知れない。あのひどい交通事故で死ななかった事と言い、あたしにゃこの世でやるべき事があるってことか。

 明日は吟行だ。これも、やるべき事の一つか!

 

 

2005年5月13日 (金)

再会。

 昨日は娘の義理のお母さん(という呼び名が嫌いだが、、、)K子さんが四国ツアーの最後に高松に立ち寄ってくれた。しばらくお会いしてなかったので久々の再会を楽しむことに。
彼女は大分お若いせいかアルコールがめっぽうお強い。私も5年前はもっと飲めていたかと思うが、このところ大分落ちてきた。まあでも飲めないわけではないから二人して楽しく飲んで食べて午前3時。御風呂に入って寝たら4時だった。たまたま夫が旅行中で気兼ねなくと言うところだ。お互い子の母として結婚させても悩みは尽きない、とまあ話題も多いというわけだ。
 実はこの日は偶然にもドコモ四国のクラシックコンサートで、T嬢の相も変わらぬ美声に酔いしれてから帰宅したのだ。コンサートは満杯の盛況で、アンコールは例によって6曲と言う大盛り!個人的にはカッチーニの「アヴェマリア」にやっぱり涙した。たった一つの言葉「アヴェマリア」しか言わないのに、何故こうも泣けてくるのか、、、、言葉以上に雄弁なメロディーだということだろう。

 わらやでおうどんを食べて、屋島をぐるりと周り、思いがけず早くお帰りの夫共々夕食をしたりして、K子さんは無事飛行機の人となった。「もし娘達が別れるようなことがあっても、私達の友情は続けましょうね!」という私の提案を多分了承してくれたと思うのだが、、、。

 

 

2005年5月12日 (木)

盛りだくさんの日。

 今日は娘のお姑さんが旅行の帰りにお立ち寄り。琴平までお迎えに行き、当然おいしいうどん屋へ。夜の演奏会のためにあずまやで少しお腹を整えて、予定通りT嬢のリサイタル的演奏会を堪能。アンコール6曲という、しかも彼女が並の歌い手でない証はその選曲にあった。アンコールだというのに大曲がずらり。この暗記力と馬力にはいつもながら感心を通り越して呆れてしまう。いや〜香川が生んだ素晴らしい歌手だ。
〜〜てえことで、帰宅してから飲んで食べて喋って、、、、結局寝たのが4時。なんたって、1日しか居ない方だから積もる話しがあったというわけだ。続きは明日、、、。

 

 

2005年5月11日 (水)

 昨日の私

 昨日の私の日記を見てある友人が、「あなたってホントに一度もご主人に怒鳴ったり食ってかかったりしたこと無いの?」と言う。彼女は再々ある感じだった。もう一人も「私は追っかけてでも言いたいことを言うわ。」と貴重なるご意見を言ってくれる。又別な友人が「お宅のお嬢はケンカして怒鳴ってスカッとしてるんかいな?」と言ってきたがこれには「いやいやそうじゃなくて、私を見ていてじりじりしてたから、そういうことでもしてスカッとしたら?という程度よ」と返事する。まあ、実際は知らないが、娘夫婦は少なくとも言うべき事、言いたいことは言えてるようだ。そうでなくっちゃあ、、、と思いつつ少々遅くなった夕食をバタバタと整え相も変わらず夫のごっきげんを取っているワタクシであった!ふ〜っ。

 本日はFM2本撮り。来月リサイタルをやるというテノールのY君と対談した。今回はホフマンで大変お世話になったR先生もお相手で出演される、きき所の多い演奏会になりそうだ。

 

 

2005年5月10日 (火)

なんともかんとも、、、

 今日は変な日だった。
我が家を訪れる人がことごとく人生相談だ。ある人は中学生の家庭内暴力とかいじめ、ある人は別れた恋人からの再びのモーションについて、などなど。答えると言っても何ほどのモノを持っているわけでもないから、ささやかな体験を挟みながら聞き役に廻るくらいのこと。それでも聴いて貰って気分が軽くなったと中学生の親は帰って行かれる。その時期を越えた今、子供達の中学生くらいの時のことが思い出される。、、、よくぞ大きく成長してくれたもんだ。
恋愛の方は、やっぱり男はアホ、としか思えない。自分勝手で甘ちゃんで、優柔不断で勇気もなくて、ああっ!なんでいい男って居ないんだ!?てとこか。

 娘が体調が悪いと電話してきて、色んな話しをいつものようにしていて、「そういえばお母さんて、お父さんに怒鳴ったことあるん?」と訊かれてはたと気付いたが、そういえば一度もないし、娘の言う悪口雑言を夫に浴びせたこともない。そもそもケンカは大の苦手で、ちょっと違うかも知れないが、子供を叱るのさえなかなか出来なかったのだ。「ここで叱らなくては!」と思ったときは随分頑張って叱ったモノだが、
娘は「スカッとするよ。一度やってみたら!?」と簡単に言うが、自分には到底出来るとは思えない。第一こちらが一言言おうもんんなら10倍から20倍に返されるもんねえ。くわばらくわばら、、、。

 

 

2005年5月 9日 (月)

家、雑感。

 我が家の前の家が取り壊されている。布団やら植木やら家財道具一式がどんどん運び出されたと思ったら、大きなユンボがやってきてど〜んど〜んと体当たり。それでも瓦なんかは一枚ずつ丁寧に取るから思ったよりも時間がかかる。そして今までそこにあって、確実に生活が営まれていたのが、いきなり消えるというのを観るのは妙な気分だ。空間が出来たなんて生やさしいモノではない。その家にさえぎられていた景色が目に飛び込んできて、その家と人々はまさしく「消えた」のだと分かる。家というモノは人間の営みを囲うという面白い役割があるなあと今更ながら実感する。
昨日、親戚がデザイナーズマンションを経営するというので、部屋を見せて貰った。お菓子の家のようで若い人には人気が出そうな建物だ。今流行りのロフトとかいうものもあり、コンパクトに機能的に作られている。が、今更こんなところに住みたいとは思わないなあ。ただワンルームマンションもあってこっちは良かった。よそのワンルームと違い広くて快適な一人暮らしが出来そうだった。ホント、一人で住みたいわ〜。とつぶやきながらボロ屋に帰ってきたのだ。
我々夫婦は家は住めればいいと言う考えで一致してこのシンプルな家を建てた。車は足代わりという考えと同じである。しかし、この頃の快適そうな家を観ると良いなあと思ってしまう。多分一生このボロ屋で人生を終わるだろうが、ま、それもしょうがないか。どんなところに住んでいても地震や水害が来ればひとたまりもない、所詮はもろい人間の家だ。

 

 

2005年5月 8日 (日)

母の日。

 息子夫婦と娘からメッセージが届く。何故か焼き餅を焼く夫。か・か・か・母と父は違うのよ!と言いながら、自分も母親を連れて買い物に行き花好きの母に花を買う。いつから母の日なんて出来たんだろうか?、、、と、ネットで調べてみるとアメリカが最初だそうな。日本には、明治という昔に教会によってもたらされた習慣だとか。成る程ねえ。確かに空気のようになっている親子関係を、一瞬意識下に置くという良い習慣だと思うなあ。母ねえ。、、、、

 

 

2005年5月 7日 (土)

天分と努力。

 何事も勉強の道は険しいものだ。天分のある人は確かにウサギ的に伸びるだろうが、その結果飽きっぽくて案外続かないし、続いても情熱がキープ出来なかったりする。天分の無い人はコンプレックスの克服に努めて、努力で天分のある人を追い越す場合がある。最後にどちらが勝つとも言えないのが、これまた人間界の不思議だ。特に芸術的なことは、天分がかなりの部分を占めるだろう。が、そればかりでは何ともならないのだ。不断の努力が加わらなくては完成されないだろう。
地味ではあるが、やるべき事をやっていかないと、目的地には着けないということだ。「オペラ歌手」と呼ばれる人達もしかり。舞台やCDテレビで観て実力者ほど、平然と悠々としているように見えるが、彼らは例外なく努力に努力を重ねているはずだ。簡単に手に入るモノはないと、彼らは身をもって知っていることだろう。
さて、我々ちぇちぃりぁはどうだろう?一流でもないのに私を筆頭に怠け者揃いだ。いつも井の中の蛙にならないように気を付けたいもの。その意味で、次々と目標があるのは良いことだ。追い込まれればやるっきゃない!
あ、あ、、大変だ。短歌の「歌評」なんてモノの当番が当たってる。追い込まれても忘れてるこの神経の太さ!え?神経だけじゃないだろ?って?その通り。否定はしません、てか、出来まっせ〜ん。

 

 

2005年5月 6日 (金)

偶然。

 シャルウイダンスの洋画版を観て、もう一度日本版を観たいなあと思っていたら、まるで私のためのようにテレビで放映された!昨日の今日で、比較が出来て面白かった。
確かに洋画のほうが細かいところを丁寧に表現していたが、それは元があったから出来ることで当たり前かも知れない。ただ、根本的な感性の違いを感じなくもないが。
そんな中で、竹中直人の細かい演技力は他の追随を許さない面白さがあった。このじめっとしたコミカルさは、日本独特のモノかも知れないが、渡辺えり子とのコンビにやっぱり大笑いしてしまった。私としては、一番ショックだったのが前回観たときの役所広司がそこそこかっこよく見えたのに、リチャード・ギアを見たあとでは、なんとも情けない感じがしたことだ。その情けなさこそが、監督と彼の狙いだったろうとは思うが、、、、これも私見だが、邦画の作り方は小さくてじめっとしていて、その代わり深いように思う。洋画はスケールが大きく観る人に夢を与えるが、深く読みたい人はどうぞ、と放り投げた感じがあると思った。どちらにも良いところがあるがどうしても洋画を越えられないと思うのは、映画作りの歴史のせいだろうか。もしかしたら映画にかける費用のせいかも、、、まあ、両方観た人にしか分からないだろうが、、。今回のように1本の作品を二つの国でやったのは多分初めて観たので、こりゃあ面白かった!

 

 

2005年5月 5日 (木)

観たぞ〜〜。

 遂に念願叶って本日リチャード・ギアに会いに行けた。シャルウイダンスは、予想通りの出来で満足。何故観るのを焦っていたかと言うに、このまま観たいという願望に、色んな情報がミックスされて、とてつもない物語に膨らんでからでは、絶対面白くないと思ったからだ。まあそのカンは当たっていたと思うなあ。
日本版とほぼ同じだが、脇役のコメディアン達が日本の方に軍配が上がる。
演出が細かいところで凝っていて、永年連れ添った夫婦愛というものの醸し出す寂しさと美しさが上手く表現されていたのは流石だ。お陰で日本版は「ジ〜ン」だったのが、本日はしっかり泣いてしまった。どこに重きを置くかで随分作品の印象が変わるもんだ。演出というモノはオーケストラの指揮者と同じだろう。いやあ、やっぱり映画って面白いなあ。

ちょいとリチャード・ギアがかっこよ過ぎたかも〜。役所広司くらいの方が現実感があったなあ。

ところで本日はその前に昨日間違えた会合があり、今日は目出度く旧交を温めることが出来たのだったが、傑作だったのは、我々の共通項は「短歌」だのに、師匠曰く「昨日は短歌の集まりだったからね」ときたもんだ。「え?先生、今日もこれって短歌つながりでしょ!?」とすぐにつっこみが入る。人間こう言うときにぽろっと本音が出るもんだ。落ちこぼれ組を前に,師はすっかりアタマから「短歌」の字を消し去っていたに違いない。アハハハハハ。爆笑しながらみんな「これで良いのだ」と思っていたフシがある。イヤハヤイヤハヤ。

 

 

2005年5月 4日 (水)

ついに来たか!アルツハイマー、、。

 って思うくらいひどいぞお、この頃。今日も今日とて、友人達と待ち合わせて久しぶりの楽しい時間を過ごすべく仕事を必死でやっつけて車を飛ばして出かけてみると、、、居ない。そこに居るはずの方々が誰一人居ない。それもその筈、実は、明日の間違いだった!それと気付く前に、会合の主役にでんわしてみる。「今どこ?」「四国」「そんなことは分かってるわよ!」「へ?」「だから、何処に居るの?」「いや、だから、ちゃあんと家にいますよ。○○町に、、、」「え?まだ家を出てないの?」「、、、へ?もしかして、明日のこと?」「、、、?」「ね、ね、明日じゃなかったの?」「ギャハハハハ」チャンチャン。てことで、お後がよろしいようで。
彼が言うには、今夜の日記のネタが出来て良かったジャン?だそうで、んなこと書かなくてもネタはいっぱいあるのよと思いつつ、やっぱりネタにしている情けない私であった。
脱兎の如く出かけてあっという間に帰宅した私に向かい、母が怪訝そうにどうしたかと訊く。流石元刑事の妻で、どうやら私が勘違いしたらしいとすぐに見破って、ゲラゲラゲラ。あんまり他人の事言えませんよと来た。ぐやじ〜〜〜。
実は昨日も息せき切って駅に着くとたった今電車が出たところ。これは乗り遅れたと思ってガックリ。岡山で待ち合わせのお方に遅れるとメールして、こうなったらおいしい駅弁でも食べようと散々迷った挙げ句「牛弁」なる物を買い込みホームへととって返そうとしたら、何と、同乗するはずのお方が同じようにお弁当をぶら下げてあっちの方からやってくるではないか!?「あのお、もしかして私と同じように乗り遅れたのかしら?」と訊くと怪訝そうな顔をして、乗るべき電車までは大分時間があるでしょう?とのたまう。はい〜?とばかり時刻表を見ると、どうやらすっかり勘違いしていたらしい。しかも電話では自分から遅い方の電車の時刻を伝えたというのだから、、、ついに来たかも〜〜〜。

本日はどじばな2点のお粗末!まったくだあ!

 

 

2005年5月 3日 (火)

ちょいとお疲れ〜。

 本日7時半からお仕事をして、午後は岡山での演奏会。夕食を食べて帰宅したら夜も更けて10時半。まあ、私にしては速いご帰還。行きも帰りも駅まで歩いて少々お疲れ。その上3時間の演奏会は殆どがコンチェルト。色んな作られかたがあるもんだと面白く聞かせて貰った。こんなに固まってコンチェルトばっかり聴くことはないから少々疲れたのだ。そして年齢が若い人が多く、小学校3年生のヴァイオリンというのもあって、これは楽しめた。まるで自分の子供のようにハラハラした、と友人に言うと、「あんた、子供じゃなくて孫でしょうに!」と叱られた。ハハハ。それはともかく本日のメインイヴェントYさんとEさんの二重唱は知人が出るとあってこちらも多少の緊張があったが、ご本人達はいたって冷静にジェスチャーも入りながらの堂々たる歌唱振り。Yさんがきっと手作りだろうドレスで決めていたのは流石だ。正直言って観客の殆どがここに来てホッとしたのではないか。コンチェルトも良いが、矢張り歌がはいると舞台の空気が変わり質の違う楽しさが出る。とはいえ、なかなかオーケストラと競演など、一般の人では難しいところを、彼女たちはやってのけた。きっと気分も良かったことだろう。個人的にはグリークの演奏が好きだったのと、小学6年生の弾いたモーツアルトの演奏が大きくて印象的。最後に弾いたシューマンもかなりこなれた演奏振りで良かったが、この頃になるとお疲れで、時々目蓋が、、、。やっぱ演奏会は2時間が限度かも〜。

 

 

2005年5月 2日 (月)

ガックリ!

 なが〜い文章を書き込んだのに、突如かき消えた!未だ持って、このパソコンとうまくつき合っていけない!ざんね〜ん!

 てことで、何を書いたかと今思い出し中だが、それを全部書く元気もないので、かいつまんで、、。
 今夜の練習は期待通りの情熱レッスン。W先生の指導は的確で楽しい。しかし、矢張り先生家業だだなあ。宿題が出たぞ!これって、初めてかもお。

 続いて夕べの回顧をしたのだが、もの凄い飲みっぷりと、他愛もないおしゃべりによくぞあれだけ花が咲いたモノだ。普段は海外にいて我が友人の中でも会う機会が極端に少ない人だが、我がボロ屋を第二の故郷と言い、私を親友扱いしてくれる。それがおべっかでも何でもないことは彼女のリラックス振りを見れば良くわかる。大切にしたい友人の一人だ。

 このお方を駅までお送りする前においしい讃岐うどんを食べ、駅に着いたら2分前。乗ったら動いたらしいが、めでたしめでたし。無駄がない。

 ところで、朝10時の予約をしていた病院が診察までに48分も待たせたのは、しかもそれに対して中間報告もないというのは変じゃな〜い?
聞いてみればNYでは流石にそんなことはないそうだ。お陰で予定が狂って大迷惑。会計だけは「まだですが、、、」と電話してくる。ったく、どうにかならないのか?何のための予約なのか?みんな大人しいからこんな事になるんだろうなあ。あ〜あ。

 

 

2005年5月 1日 (日)

姦しいの字を変えなくっちゃ!

 女3人寄ると書いてかしましいだなんて誰が考えたことか?今夜はしっかり4人の女がおしゃべりしまくり!夕方から果てしなく続くかと思われたが、さすがにシンデレラタイムを廻ってからは気もそぞろ。お互いに後ろ髪引かれながらの解散とあいなった。
我がつたなき手料理に舌鼓を打ちながら、まあ、出るわ出るわ、次から次へと話題が尽きない。そして何より凄いのは、我がボロ屋が壊れんばかりの大音響の爆笑!うちがたまたま隣近所に迷惑にならない環境だから良かったが、町中ならえらいことだ!黒1点の我が亭主殿は、かなり忍耐強くつき合っていたが、遂に2時間前にダウン。とっとと寝室へと引き揚げた。もっと速く引き揚げてくれても良かったんだが、、はひふへはほ、、、。

 私達は日頃余り会わないが、その分を取り返したようだった。今夜の笑いで又寿命が10年くらい延びちゃったかも〜。ひはひふへほは!

 

 

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