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2005年4月

2005年4月30日 (土)

映画に行った、つもりだった、、。

 ちょいと人をお送りしてその帰りにコンスタンティンを見る羽目になったのは、本命の「シャル・ウイ・ダンス」が40分もの待ちだったからというただそれだけ。いや、頭の隅にテレビで誰かがわいわい「キアヌリーブス」が格好いいのどうのと叫んでいたのが残っていたのだ。しかし、ハッキリ言って全くの独断と偏見だが、これはまるでキリスト教の布教映画、現代版であった。そもそもCGなる物が嫌いなワタクシと致しましては、「つまんない」の一言。でも折角来てるんだから少しでも面白く見ようと努力した結果、なんと一度も寝なかった!てえことは、面白いから寝ないというモノでもないらしい。?
映画が終わってスタッフの名前などが流れ始めるのを待ちかねたように人々が立ち上がって出て行く。英字の画面に黒い人影が次々と現れては消えるというこの現実の方が遙かに面白い景色だった。おそらくは予想外だったと思って出て行く人達が殆どではなかったか?一体どれくらいの人が残って居るんだろうと最後まで見たら、最後の最後に残ってる人へのお土産があった。これも、別にってかんじではあったが、、まあ兎に角その情報が10人ほどの人を残した感じだった。キリスト教信者にとっては、まあ、知らない人への布教にはこれも良い方法じゃないの?位の感想だろうし、全く興味のない人にとっては、へ?てところだろう。「興味がある」と言えないほどにある私としては、あたしゃ映画を見に来たのよってところだ。つくづくあっちにしとけば良かったと後悔。主役の二人は演技力も魅力もあって、もっと内面的な演技が出来る面白い映画で起用されるべきだと残念に思った。今後に期待だ。

 

 

2005年4月29日 (金)

世間では、連休アタマらしい、、、。

 ゴールデンウイークと関係のない暮らしを、考えてみると35年も続けている。OL時代はちゃんと世間並みのお休みがあったが、その時代は今みたいな連休は無かった、と思う。世の中の働く女性の中でも、かなりよく働いた方ではないか、と思う。今日だって、普通に仕事もして、昨日買ってきた花の苗を夕方から4時間かかって植えた。狭いガーデニングでも結構大変だった。見かねた主人までが手伝ってくれて母もビックリ!小声で「こりゃ、明日は雨かいな」と私に耳打ちする。ああでもないこうでもないと三人三様の考えがあって、それでもなんとか最後までこぎ着けた。先日の壁紙貼りと言い、家事ってなんて大変なんだろう!今日も来たお客さんが「母が病気になってこの頃私が落ち葉拾いや草むしりを始めたら、こんなに大変だとは知らなかった。今更ながら母は偉大だと思った」という。全くその通り。私も改めて母の事を尊敬し直しだ。
 それはともかく、さっき「NYへ帰る前に一献傾けたいわねえ、、、」とK画伯の奥様からのお電話。勿論そうしましょうということになり、我が家に1泊とあいなる予定。ほんの少し年下の彼女は私の尊敬する女性の一人。こんなにでっかい心の持ち主に、あんまり会ったことがない。物事に動じないだけではない。人間を一切差別せず、自分の感性だけで人とつき合う。世界のVIPと付き合いながら、ごくごく普通のおじさんおばさんとも同じようにつき合う。某有名画家のモデルになってある雑誌の表紙を飾ったほどの美人だが、500円のTシャツを平気で着る。あるパーティでご主人のすててこをはいてきたのには驚きを通り越して、拍手してしまった。但しこれは彼女だからこそ絵になったのであって、あたしゃ死んでも出来ないことだ!彼女自身が凄い才能の持ち主だが、どうやらその才能はそのまま墓場まで持っていくつもりらしい。ひたすらご主人の絵の守人として生涯を終える覚悟らしい。これも一つの生き方だ。
 もう一人、大阪からも友人が帰省する。彼女とはどうやって過ごそうか、、、。JRにはあんまし乗りたい気分じゃないが、、。
 そうだった。忘れちゃあイケナイ、もう一人。福岡からも友人が帰ってきている筈。これは彼が福岡へ再び行く前にお食事会だ。ん〜ん、楽しみだなあ。それぞれの人からそれぞれの話題が私の無限大のポケットにお土産をくれることだろう。
連休って、良いじゃあん!?

 

 

2005年4月28日 (木)

ムカムカムカ

 といっても吐き気がしてるというのでは無い。ある意味吐き気とも言えるが、、、。
例の事故のニュースというか特番を今日も見ていて、余りに腹が立ったからここに書いておこうと思う。
 事故のせいで、毎日の通勤などに近郊の人達が困難を感じてるという取材だった。若い女性でOL風の人が、額に皺寄せて「速いJR」の代わりに遅い私鉄で通わなくてはならない事について、結構辛辣な口調で不満を述べていた。そのインタビューに答えるのを聞いていてムカムカ来たのだ。要するにこの人は自分の生活が不便になったことしか考えてない。一刻も早くJRが快復してくれないと困る、と激しく語る。しかし、まだその時点までは私もそうだろうなあ、と同情してたのだ。だが、私鉄とJRの時間差がわずか5分だと聞いて愕然とした。たった5分のことで、この時期にこんな発言しかできないのか?と呆れてしまったのだ。コトデン長尾線に乗ってみろ!とワケワカメの言葉が出てしまう。
JR西日本の内部資料が今日のニュースになっていたが、社員のやる気を奮起させるモノとは言え、その書類には一片の「安全」という二文字もない。しかも第1番目にあげられたのが、「稼ぐ」という項目。成る程ねえ、さっきの女性のニーズと合致してる。
ていうことは、客が求めているのだ。より速く、より速く、、、というのを。だからこそ鉄道企業はその客の争奪戦に「スピード」を全面に出さざるを得ないのだろう。では、何故、人々はより速くを求めるのだろう?全く「そんなに急いで何処へ行く?」だ。都会の人はみんなしばらく田舎で暮らしてみたらいい。少しは人間らしい暮らしをしてみるべきだ。現代社会、どう考えてもおかしくなっている。今回の事故の原因が、単なる運転手の過失だけではないと思っていたが、、、、。

 

 

2005年4月27日 (水)

天気のせいか、、、?

 思い立って壁紙を買ってきた。気になっていたところを自分でリフォームだ。ところがやり始めると思った以上に難しいしエネルギーが要る。母の指示に従いながら、母よりは若いため動くのは自分だ。これが10年前、いや5年前でも母は私にさせなかっただろう。この手のことにすぐ夢中になる人なんだ。ところが3日か前にドライブ中にタケノコを見つけたとかで、採るものがないために足で蹴って採ったのがたたり、本日母の身体は使い物にならない。てえことは必然的に全て自分でやらなければならなかった。、、ちかれた〜!ぶっ倒れるかと思うくらい疲労感で一杯だ。けっこう上手く行ったために最後には「親子で壁紙貼りのバイトに行こうか、ハハハハハ」と笑ったモノのもう〜限界。夕食の準備なんてしたくな〜い、でもだあれもしてくれないから仕方ない。タケノコも今夜が限界だろうし、賞味期限があるものはとっとと食べなくてはイケナイ。てえことで本日もツバメの口にせっせせっせと餌を与え続けて、労働の後のおいしい食事だわが輩も満腹。となると、当然眠いのだった。あ〜〜〜あ。

 

 

2005年4月26日 (火)

事故その2.

 テレビを見ながらもらい泣き。様々な人達の愛する人を突然に失った悲しみや苦悩がよく分かって、何とも言えない気持ちになる。

 お里帰り中のうちのお嫁さんと2時間かけて会食。元気そうでまずは安心。改めて我が愚息によくぞ良い人が来てくれたもんだと嬉しい。終始楽しい笑い声に満ちた気持ちの良い食事会となった。、、、しかし、一瞬事故の話しになる、、、おそらく日本全国こうした情景だろうが、、、。

 

 

2005年4月25日 (月)

事故。

 史上最悪の列車事故となった、今日の宝塚線。つい先日私もこの電車を利用したところだ。怖ろしい映像がエンエンとテレビで流されるが、もしかして友人は大丈夫だろうかと隅々を探してしまう。少し落ち着いた頃に電話してみよう。万一何か関わっていたら、今電話するのはまずいだろう。
 昼頃だったか、死者50名、内男性が25名、というから半分が男性か、と思って聞いていると、女性は24名、あと1名は不明、とあった。
その後男性が27名女性が23名という発表が、、、。てことはどちらかハッキリしなかった人が二人いて、その人達が男性だったということだ。「数字は語る」事故の悲惨さが分かるというモノだ。
若い運転手が色々取りざたされているが、これほどの事故に繋がることが個人の不注意だけで起きるとは思えない。何かあるに違いない。

 このところの日本列島、どうしてこう騒がしいのだろうか?全く予想外の事件事故ばかりだ。

 

 

2005年4月24日 (日)

ちょっとした旅。

 岡山へのっぴきならぬ用件で出かける。岡山から練習に通ってきている人のことを考えるとホントに改めて頭が下がる。だって、遠いじゃん?!
電車にのっておしゃべりしてるとあっという間に着いたものの、回数が重なるとさぞかし大変だっただろうと思う。人は経験でしかホントの事が分からないと言うが、全くだ!でも勝手なお願いだが、築いてきた人間関係を消滅させないで欲しいなあ。例え遠くても心は近い人だと思うから!!
人には色んな役割があって、力を寄せ合って物事を推し進めていくしかないのだ。どんな関わり方でも、ちぇちの方を向いていて欲しいと願わずにはいられない、岡山の人だ!
しっかし本日のご馳走は、ホントにご馳走だったなあ。豆腐ずくしのメニューが物足りないどころか大満足。このお店は大阪京都東京で食べに行ってるが、岡山という近いところに出来ていて有り難かった。(おいおい、今遠いって、、、はっは〜ん、食べ物となると距離は関係ないのかも〜。)

 帰ってから「ミニコンサート」に出かけるお酒やお茶が出て、リラックス出来ていて、こっぽりした演奏会だった。音楽つながりの良い会だった。  眠い。ちかれた!明日も忙しい。

 

 

2005年4月23日 (土)

観劇のすすめ。

 地元で長く頑張っている劇団の公演に友人と出かける。その人は中学卒業以来会ってなかったが先日のミニ同窓会で会ってこの劇の話しになり急遽同行することになった妙な連れだった。しかし、行ってみればあの人もこの人も知り合いで、3日間、5回もある公演のよりによってこの日に合うことになるとは面白いモノだ。ざっと数えても10人の人と挨拶を交わしたのだ。おそらく100人も入らない全くの小劇場でこれだから、、、。高松は狭い。
 今日のパンフレットに「週末ゆっくりと夕食をとり、しばし現実を忘れハラハラドキドキの舞台を楽しむ、この極上の楽しみこそが大人のための成熟した文化であり、それを味わえなくて何が文化だと言いたい。」とあったのは、全く同感。「ごく少数のエセ文化人のために、多くの人達がこの大いなる楽しみを奪われてしまっている、、、」とも書いてあって、これもその通りと頷かざるを得ない。矢張りテレビの影響が大なのではないか?
子供が小さい頃、何ヶ月かテレビを一切観ないという月を設けて子供達に頑張らせたことがあった。友達と話があわないと言ってはぐずぐず言っていたが、その内自分なりの時間の使い方が出来るようになったし、友人とは適当に話しを合わせる術も覚えたようだった。まあそのことがどれ程の事を教えてくれたかは今となっては思い出せないが、家族全員がテレビに縛られない自由を経験してすがすがしい気分になっていたのは覚えている。いつの間にか元の生活に戻ったのだろうが、、、。関係ない話しかも知れないが、今日の昼間主人がアニメを見て食事をしていたため自分もしばらく見ることになった。まあなかなか良く作られている作品だとは思ったが、この登場人物が人間でないことからくる浅薄さはどうしてもぬぐい去れなかった。おそらくはこれは私の個人的感覚なんだろうが、人間の持つ複雑さは、そう簡単に表せるモノではないと思うのだ。例えば舞台に本物の人間と等身大の全く良く創られた人形を並べておいて、しばらく眺めるとしよう。私達はどちらをより長く眺めることになるだろうか?私の答は人間だ。人形の後ろには何もなく、人間の後ろには無限大の何かがあるから。、、、だのに、世の中は表面的なおもしろおかしの世界が拡がり、テレビ画面の中で人間のようなモノが蠢いている。、、、そんな中で今日のお芝居のようにやる人も頑張っているが満員の観客も贅沢な時間を共有出来ていたのは良い時間だった。

 

 

2005年4月22日 (金)

ドジ。

 さっきからドジばっかりやっている。とっとと寝るべきなんだが、どうも気がかりなことが次々と起きて寝るところまで行かないのだ。
 今回の小旅行について書き残しておこうと思うが、眠くてどうも出来そうにない。ああ、短歌の締めきりにも今夜間に合わなかった。又速達の憂き目か。

 本日のFMは楽しくす〜いすいと進行したが、それは、今日のゲストご夫婦のお陰だった。イヤ、ホントに音楽で繋がってる人間関係とは良いモンだ。それにこんなにも相手を思いやる方達だからこそ、会話も弾むというモノだ。今日の発見。「許す」という行為の何と高貴なことか!、、、勿論私のドジをMご夫妻に許して頂いたというお話し。アハ。

 

 

2005年4月21日 (木)

帰ってきた、、、。

 今まで感じたことが余りないくらい、我が家が良いと思った本日、歳だなあ、、、を再認識。
大阪の友人は、毎日あの階段を上がり下りして通勤して、尚かつ休日と言えば山登り。会社帰りはスイミングにエアロビと、全く自己管理がパーフェクト。このお方と行動を共にすると、途端に自分が田舎のネズミになったような気分になる。梅田の雑踏もものともせず、右へ左へと人々をかわし、颯爽と歩く彼女の後ろから、必死でついていくといつの間にか股関節が異常に痛くなっていた。急激な運動をしたためだろうが、彼女と別れて神戸の坂を一人散策していてもだんだん痛みがひどくなってきて、この痛みを我が家まで持ち帰ってしまった。こりゃあ本気で身体の作り直しをしなくてはイケナイかも、、。

 今回の目的の一つ川島画伯の作品展を見に行き、そのソバのカレーやさんのおいしいカレーを食べた。これはかなりのモノだった。で帰りがけ、教えて貰ったイタリアンのお店で随分迷ったが「出来たてアツアツのアップルパイのアイスクリーム添え」というのを食べた。だって、又今度いつ来られるか分からないもんねえ。でもってこれが大正解。おいしい〜のだった。レジの時「とってもおいしかったです」と言うとソバにいたお客さんが「ここのお食事もとってもおいしいですよ」と声を掛けてくれる。「いや〜それは聞いてきたんですが、食事をよそで済ませて来ちゃったんで、又、、、」と答えて全く後ろ髪引かれながら外へ出る。近いうちに来たいと切実に思ったのは、ファッション関係のお店も良いお店が多いからだ。ようやく街が落ち着いてきたかな?と思わせる。そこからは「ドレスデン美術展」に出かけた。安藤忠夫作の美術館の建物がシンプルで素敵だったが、ベネッセと感じが似ていると思った。新しいヴェネッセ美術館にも行ってみたいモノだ。この展覧会そのものには余り感動しなかったが(絵画が少ないため)建物の一部となれて良かった。

、、、帰りは高速バスでしっかり睡眠補給。まだ眠い。

 

 

2005年4月20日 (水)

何故かというに、、、。

 友人宅でこれをかいているんだが、とに角重くて(我が体重ではない)書きにくい事この上ない。
本日観て来た面白い舞台について書きたいが、本日は断念しよう。仕事人の友人の為にも、、、ていうか、あんさん、本業はどうしたの?と言われそう。だよねえ!でも、ちょっとだけ仕事に関連した事もやってきたから、ま、いっか。明日は神戸の展覧会を見て帰ろう。しかし、大阪は、なんか汚いなあ。(印象のみ)

 

 

2005年4月19日 (火)

ふっふっふ、、

 自由を味わう旅に出る。その前にまずはシャンソン教室だ。新しい方が一人入り、皆と一緒に発声練習したが、明らかに声が違う。その方もいい声を持っているし、他では多分歌がうまい人で通っているだろう。でも、皆の中で声を出すと輝きが違う。よくぞここまでみんな頑張ってくれたもんだ。このお新しい方もそのうち魅力ある声になるだろう。メンバーのお一人がはるか遠い岡山駅まで送ってくださる。大阪の友人宅へ行くためにはギリギリの時間だったのだ。ろくな食事もせずに出たため新幹線の中でビールとちくわだ。(うわっ!おっさん)
友人が迎えにきてくれていて、彼女のお宅に着いたら午前様だ。翌日はお仕事だと言う彼女の邪魔をしてしまった。流石に勧められてもビールは欲しくない。おとなしくお水で乾杯、、、弱くなったもんだ。

 

 

2005年4月18日 (月)

そ、か、、、。

 又しても病人だ。今度は友人の弟さんで、慢性化した胆石らしい。ちょっとやっかいな病気らしく本人が手術を嫌がっていて、お医者さんと食い違っているらしい。どうするんだろう。この頃、こんな話しが全て他人事ではない、と切実に思う。歳なんだ。
 どのケースを見ても「選択」が一番の問題だ。右か左か、悩んで悩んでどちらかを選び、選んだことにおびえなくてはならない。捨ててきた選択肢の方が良かったのではないかと、再び悩むのだ。良い方向に行ってくれれば、と願うしかない。

 今夜はちぇちの今後をあれこれ検討する会議だった。まだ舞台の余韻が残っている顔で集まって、全てが順調に決まっていった。いやあ、この人達と一緒にやったんだと、感無量。みんな一つの事を為し遂げたいい顔をしている。今後の役割分担もスムーズに決まり、来週から再スタートを切ることとなった。又新しい時が流れ始めたのだ。一番嬉しかったのは、会長が昨年から著しく体調を崩されていたのが、今日はまるで別人のような発言もあり、以前の元気を取り戻してくれたことか、、。しかし、いつ又同じ様なことが起こらない友限らない。みんな若くなっていくはずもなく、歳は間違いなくとっているから、、。
次にそういう波が来てもおたおたせずに、しっかり対処したいモノだ。そういう自分だって保証はない。
、、、そう思ったからでは無いが、明日は岡山のシャンソンのアト、大阪まで足を伸ばし、友人宅に泊めて貰う。そして翌日は、面白そうなオペラの舞台を見に行く。何しろ出演者が、富士真奈美、岸田京子、吉行和子というのだから、この3人を見に行くだけでも価値がある。これで歌い手が良かったら言うことはない。前評判は必ずしも良くないが、まあ、私は聞き所が違うから、、。
久しぶりの大阪だ。帰りには、神戸に寄り道をしてK画伯の展覧会を覗こう。
あ〜〜〜幸せ。公演がないって、こんなにも自由だ!
 

 

 

2005年4月17日 (日)

少しずつのずれ、、、。

 短歌の番組に偉い人が出るから是非観なさいとのご親切なご連絡に、きちんとメモまでして、夕べはその為に少し早く寝たりして、、、目覚めてみれば勘違い。その番組は昨日のもので、メモ自体が間違っていたのだ。なんて事!ガックリ来たが今更寝るのももったいない、とあれこれしていると、主人が珍しく我が弟たちを誘いソバを食べに行こうと言う。天気も良いし、てことで出かけるといやあ、おいしかった。土、日、月しか営業していなくて「日月亭」だそうだ。土さえも最近やりだしたとか。羨ましい営業だ。建物の風情と言い「そばがき入りのおぜんざい」といい絶品。
行きは母を我が車に乗せておしゃべりしながら行き、帰りは一人で次なる目的地「短歌の会」だ。はるばる琴平の方へ出かけていたから帰りは遠かった。なんとか遅れながら間に合い参加する。いつもながら、この「歌評」というもの苦手だなあ。いろいろ良いながら頭の隅で「そんなこと言えた義理?」とか「よく言うわ」とか妙な囁き声が聞こえている。全く人のことをとやかく言える段階ではないからだが、今日は一つ発見があった。新人だというその人は、とても謙虚に「歌評」をする。それが結構的を得ていてセンスの良さを感じたのだ。いやだけどこうして他人の歌を評している内に推敲する力が付いて行くのか、、。他人のモノは真剣に取り組むからなあ、、、。
この会場を後にして、急ぎ自宅に、、、とっとっとと、本日は店屋物で我慢して頂こう。と車を急ターン。お総菜などを買って次なる目的地同窓開場へと出かける。先日の公演に来てくれたひとも居て、話しは尽きない。しかし、遅れていったために「どじょううどん」は底の底。まあ、味がしみておいしくはなっていたが。帰りはチャンと送ってくれる人が居て、チャンチャン。
余りの帰宅時間の速さに夫は時間を勘違い。私が帰ったんだからこれ位だろうと勘違いして早く寝ようとする。ハハハ、ズレてるねえ。
そうこうしている内に会計さんが提出書類を持ってきた。あ〜あ、いよいよ完成だ。

 

 

2005年4月16日 (土)

テレビ。

 食事中にクイズ番組を見たが、何をどれだけ食べたかがさっぱり分からず、一問正解するたびに
嬉しくて食べ、不正解と言ってはバクリと食べ、あの人馬鹿ねと言ってはビールぐびぐび。とどめは娘との電話で、同じ番組を見ながら、イタリアのサンジミニヤーノという場所に行った行かないと言いながら昆布漬け沢庵パリパリ。娘は行ったと言い、私は行ってないと思うのだ。パリパリ。しかし、敵は行程表を持ち出してきては、確かに行ってるよと叫ぶ。パリパリ。そこで足が痛いからって塔には上らず私だけ行ったでしょ!?パリパリ。ふ〜ん、そうだっけ?と記憶のすっかり無くなった頭でパリパリ。おかしい、パリパリ。覚えてないなんて事あるかいな?パリパリ。時々ご飯をもぐもぐ。パリパリもぐもぐパリパリもぐもぐ、、、。今日のお米は何故こんなにおいしいの?もぐもぐ。もう止めとこう、、、もぐもぐ。
ってことで、あ〜っ!食べ過ぎ〜っ!

 

 

2005年4月15日 (金)

久々のレッスン。

 全く声を出さない日が続いていたことに、今日のレッスンで初めて気付いた。勿論喋ってはいたが、歌ってないのだ。高音を出すと喉がくすぐったくて笑い出してしまうほどだった。腰も痛くてうなり声が出るほどだった。いかんいかん!時間と共に年もとっていることを忘れている。怠けていてはすぐに歌えない日がやってくる。何とか頑張らなくては!

 本日は公演の後処理に終止符を打ちたくて雁首を揃えて女3人でやってみたが、書類は簡単そうでなかなか完成しない。まあ、明日だなあ終止符は。早くこれから開放されたい!
一番最初の落語ペラ「メリーウイドー」の書類を出してみると、今回の予算のほぼ倍の費用を掛けている。当然助成金も倍出ていたのだ。世の中、やっぱりうんと不景気になっちゃったのだ。でも、踏ん張ってやっていこう。「出会ってしまったのだから」

 色々整理していると以前大学でシェイクスピア劇を演出した頃の学生さん達の私への寄せ書きが出てきた。懐かしかった。みんな一様に「劇をやって良かった。学生時代の一番の思い出になりました。」と書いてある。「劇をすることがこんなに感動するモノだとは知らなかった」とも。彼らは勿論演劇というモノは初めての人ばかり。しかも英語だ。大学生とはいえ、イントネーションなどがとても会話になっていないところを自然な会話にするところからやっていくんだから大変だ。本職の先生方もその点は注意して下さるが、日本語に直して喋って貰うということもやっていた。細かい演技指導が必要で、ある時は私が時間の都合がつかなくて、1週間しかつきあえず、何と毎晩12時前後までつきあって仕上げたこともある。我ながら好きだなあ、、、と思いながらだ。これも10年やってきて、要領も分かってきたから出来たことだ。そして若者は勘が良くて疲れない。すぐに理解して、出来るまで繰り返しやることが出来る。だから、こちらも楽しくてついついとことんまでやってしまうのだ。中には泣き出す生徒もいたが、、。その結果、観客が涙するような舞台が演じられたのは、私にとっても嬉しいことだった。「ハムレット」なんて一流の劇団がやっても難しいモノも、決して手前味噌でなく良い劇になったと思う。全て大道具小道具は彼らの手作りで、殆どお金は使わない。観客の想像力に訴えるものを工夫した。本番のメイクは役柄に合わして私が担当したが、これは自分の為でもあった。「役作りのためのメイク」はこのシェイクスピア劇で実践勉強したのだ。、、、この懐かしい寄せ書きは、私の勲章だ。彼らがどんな先生になったか分からないが、きっとあの劇が何らかの影響を与えているに違いない。一番嬉しかったのは、彼らが一つの劇を作っていく過程で完全に団結したことだ。この友情育む過程を学校教育の場で生かして欲しいモノだ。

 

 

2005年4月14日 (木)

春眠、、、

春ってやっぱり眠いんだ、と思ったが、考えてみると単なる寝不足。今夜こそは早寝と行こう。只今10時。これから少し歩いて、(少し)気分良く眠りにつこう。

本日のFMはイヴェント情報がメインだったが、面白いことを企画していた。金蔵寺というお寺で、連休の最後の土日、こどもまつりがあるというが、内容は、フルート演奏、のこぎり演奏、各種踊り、物産展はまあ良いとして、足裏マッサージから、占いなど、これは楽しいでしょう!?という催し。おうどんの振る舞いもありいので、至れり尽くせり。お寺も変わってきたモンだ。まあしかし、この頃は女性が元気。なにかやってやろうというガッツが感じられる。と言いつつ今日掛けた曲がカウンターテナーなんだから矛盾してるか。どれを聴いても何かしら悲しげな響きのするこの人の声が良いんだなあ、、、。たくさんの悲しみを一身に背負ったみたいな声。不思議な声だ。

 

 

2005年4月13日 (水)

行基の湯。

 NYから帰国中のK画伯ご夫妻を訪ねて塩江まで出かける。神戸での展覧会のために準備中だったが、友人もスタッフも交えて夕飯を食べしばし歓談。本日私は運転して無くて全くラッキー。あのパウロ2世にお届けしていたという赤ワインをたっぷり賞味させて貰った。それも今日届いたばかりだというのだからすんばらしい!まるで私を待っていてくれたかのよう!飲んでみれば一切あくのないなめらかさ、豊穣な香りが口の中一杯に広がる快感。なんかとっても長生きしそうな味だった!
再開を約して我々はすぐソバの行基の湯へ。閉館までにあと30分と言われて急いで入ったが、流石本物の温泉。ぽかぽかといつまでも身体が暖かい。そうか、ここも高松市になるんだと感無量。
桜がまだ満開でない。やっぱり寒いんだここは。


 

 

2005年4月12日 (火)

衝動的映画鑑賞。

「ブリジット・ジョーンズの日記」という映画をず〜っと以前に見て、とても好感を持ったことがあった。何気なくネットで映画の欄を見ていてこの映画の続編が来ていることを知った。本日夫の帰りは10時半。ならば今から7時のを見て、サティで買い物をしても未だ30分はおつりが来る。そう思ってから大急ぎであらかたの夕食準備をして出かける。今日は何もかもがスムーズに行き、変わり味のシチューもイタリアから買ってきたスープの素でバッチリ。気分良くスタートした。建物に入った途端おいしい臭いが、、、。そうかパン屋さんだ。軽く腹ごなしをして、、と。スペシャルクリームパンと野菜カレーパンを抱えて3階のロビーへ。ダイエットコーラレギュラーサイズを買って、しっかり食べる。ようやく落ち着いたと思いきや映画が始まった頃には既に睡魔が、、、。どんなに目を開けようとしてもどうしても開かない。ええい、ままよ、とばかり案の定20分は爆睡。目を覚ましてからはもうおかしいの何の、必死で笑い声を押さえなくてはならない。期待を裏切らない面白さ。最初の20分はどうなのよといわれそうだが、それが気にならないのがこの手の映画の良いところ。(?)
主人公のブリジットは太めな可愛い女性で、前回はセックスフレンドとにゃんにゃんしているときにデカパンを見られてゲラゲラ笑って中断、というシーンがあったのだが、兎に角その辺に居そうな、て言うか、私そのもののような、しかし何とも可愛い女のドジ話なのだ。でも人間として根っこの部分はまれに見る美しいモノを持っていて、そこに惚れた弁護士先生とのラブロマンスというわけだ。その彼もインテリなのに色々とおかしなドジをやるのだが、二人の育ちも教育も環境も全然違う設定が面白い。そして、この映画は「気を付けないと人間間違いやすいからね」ということを示唆してくれている。「判断」と「選択」そして「やむにやまれぬ情熱」これらがテーマで、ハッピーエンドが何とも見る人を幸せな気分にしてくれる。なんといっても主人公がデブに近い、というのが気に入った。ハハ!泣き笑いだったのだ。

 

 

2005年4月11日 (月)

ふ〜っ。

 反省会も大変だあ!みんな語りたくて仕方がないというのは、何も語ることがないよりはずっと良いこと。まあしかし、問題点というのは意外なモノは余りなく、まあ、多分こんな事だろうと予想出来るモノばかりだった。余りに黙んまりを決め込んでいる会長に後でご意見をお聞きしたら、単純明快「要するに全て人材不足から来ているんだろう?」という一言。いやまったく、その通り。裏から表まで、兎に角人材不足なんだ。しかし、人材不足でない団体なんか実際あるんだろうか?某オペラ団体でも人材集めに四苦八苦しているという話しはよく聞いているし、潤沢に人を抱えている団体など、希なのではないか?勿論人集めは大切だし今後もしっかりやっていこうとは思うが、まずは歌が好きでオペラに興味が、ホントにある人でないと結局は長続きしない。私達が少ない参加費で如何に大それた事をやってのける団体かということを、面白がって仲間に入ってくれる人で、尚かつ全てのことにボランティア精神を豊富に持ち合わせている人でないと続かない。そう、我々の団体は、このボランティア精神で持っている団体なのだ。ピアニストしかり、会長副会長はもとより、全ての会員がそれぞれの立場でボランティアして成り立っているのだ。常々我が亭主殿がボランティアで走り回っていて、さも私は趣味で遊んでいるとしか観てくれていない感じだが、私は内心これもりっぱなボランティアだと思ってる。そうでなきゃ続かないモンねえ。

 まあ、でもほんというと、こういう事やってて人生終わって、私ってこれで良かったのかなあ?って、死ぬ間際に思うのかも知れないなあ。
ただ思うのは、世の中の色んな宗教の全てを知ることが不可能なように、自分に出来ることしか結局は分からないのが人生なんだろう。
出会ってしまった、、、、これしかない。

 

 

2005年4月10日 (日)

あら・雨が・・・

 てことで、本日のウオーキングはお休み。簡単に決心が付くモンだ。でも晴れたら行くぞお、の決心もしたから良いだろう。

 さて、明日は反省会及び今後の検討会という名の会議だ。2週間ぶりにみんなの顔が見られる。今から楽しみだ。大きな山を越えたが、これからどんな地図を書いていくかが今後の課題だ。みんなで知恵を出し合って進んでいくとして、その先にはどんな国が待って居るんだろう。願わくば光に満ちた美しい国であって欲しい。「やってて良かった」と心から思えるような、、、ラブリーな国。不可能ではないような気がする。みんなと一緒なら、、。

 

 

2005年4月 9日 (土)

いやん

 ウオーキング三日目にしてダウンかも知れない。右足の付け根は痛いわ、足の裏ははれぼったいわ、階段の上がり下りが辛い。そもそも今日は朝から仕事も忙しく、i先生の声楽レッスン日で、ひっきりなしの来訪者だ。お昼も結局は3時前まで食べられず、お客さんとの会話は何故か食べ物の話しばかり。この人達も空腹だったのだ。
、、しかしなあ。三日坊主ならまだしも、二日目だからなあ、、、、。
ちょっとでも歩いてから寝ようかなあ、、、?!
ムムムムム、悩むなあ。。。
いやあホントに疲れてるからなあ、、、。

 少しずつ公演の後片ずけも終わりつつある。日常が戻ってきている。今日も来たメンバーが、「何だか不思議な気分です。先日ホントにあったことなのに、今、日常の暮らしをしていると、自分があんな事したとは思えないのです」という。イヤホントだ。舞台とは全く夢のようなモノ。人生そのものが夢と同じなんだから、舞台はもっと夢なんだ。あ〜あ、夢か。夢も良いモンだ!
しか〜し、ウオーキングは現実だ。さあ、深夜のウオーキングと行きますか!

 

 

2005年4月 8日 (金)

ウオーキング二日目!

 本日はあきっぽい自分の為に作戦を立てた。屋島の友人が来たのを良いことに、彼女の車で彼女の経営するお店に行き、帰りは歩いて帰ろうという計画。するとお酒も飲めたしチョ〜ご機嫌。で、えんえん歩いて歩いてようやくたどり着いた我が家。流石に遠かった!しかも歩き始めは寒かったのだ。マスクに首タオルというもの凄いいでたちで闊歩とまでは行かないが、出来るだけ止まらないようにテクテク歩いた。着いたときには何を置いても御風呂、と言うくらい汗だくになっていた。で、この風呂上がりの爽快な気分。やっぱり運動しなくっちゃあ!なんでも運動しているお年寄りとそうでないお年寄りでは、骨の老化やその快復が全然違うらしい。要するに怠けてると取り返しがつかないことになるということだ。まあ、今の年齢でも昔からすると充分年寄りなんだが、最後のあがきをやっといても良いだろう。
 ある場所で思わず足を止めて桜を見た。単に看板に灯りがついているだけで、その桜をライトアップしてるわけではない。が、光の中に浮かび上がる1本の桜の熟木は、ひとひらの花びらさえも落とさず、堂々と手を広げて誇らしげに咲いている。これを見て素通り出来るわけがない。余りの美しさにしばし茫然だ。、、、これが車だったら、矢張り素通りするしかないだろう。歩いていればこその出会いだった。一人花見は本日満開の宴だった。

 

 

2005年4月 7日 (木)

出来ることはすぐやろう!と思う。

 立った今、夜のウオーキングから帰宅。御風呂を入れる僅かな時間でこれをやっつけるつもり。しっかりタイマーも入れた。だらだらしているとどんどんだらだらしてしまうから、気力がある内に出来ることをやっつけよう。
で、このあとは、来週の会議のためのレジュメの作成だ。今日中にやるぞお!の意気込みだが、それは10時現在の心境だ。さてどうなることやら、、。

 各方面にお礼参りと残っている集金に廻る。それぞれがあがれ上がれと言ってくれてお茶のご馳走になる。いやあ、ほんとにいい方ばかり。私の道楽に力を貸してくれてこの優しさだ。ホントに感謝。途中で父のお墓の側を通ったが、片手で敬礼をして「ごめんね」と通り過ぎる。

 夕食をして、兼ねてからの運動不足を解消しようと実家と友人宅へ届け物を作り歩いて出かける。久しぶりに歩くと空気の暖かさが頭の芯までゆるめてくれる。春霞の夕空はぼんやりと星をともしている。道路のあちらこちらに行き場のない恋人同士の車が息を殺している。桜を見たくて神社まで行ったがお邪魔してはイケナイと、結局は友人宅へ。ここは昼間も凄いが、ライトアップしたソメイヨシノも素晴らしい。1首出来たような気がするが、、、、、。少しお花を頂いて良い気分で歩いていて、しばらくお会いしてない高齢の方の家の前を通りかかる。今頂いた桜の一枝を病気かも知れないその方に差し上げようかと足を止めるとそこのお庭にも地味ではあるが紛れもなく桜が咲いている。お年寄り二人の生活にきっと季節の歓びを注いでいることだろうと、そっとその家を離れる。てくてくと15分くらい歩いて我が家に帰る。椿と桜をそれぞれ生けると何とも言えない良い気分になる。花は良いなあ。

 

 

2005年4月 6日 (水)

パーティ。

 本日はある団体のパーティのちょっとしたお手伝いと、そのアトの懇親会に参加。友人テクノで帰る腹づもりでビールは注がれるだけ飲んで、この手の食事にしては大変おいしい料理にも舌鼓。色んな方と旧交を暖め、お名前しか知らなかった偉い方ともお会いして、ほぼ3時間という時間があっという間に経った。所謂コンパニオンという名の女性達が華やかにテーブルを巡り、料理を手際よく取り分けてくれる。まあ、しばし幸せ。なんたって自分で作らないというだけで、全ての料理が3割方おいしく感じられるんだから単純なお話し。そうしていると大阪の友人がメールで高松の殺人事件を知らせてくる。全く物騒なことだ。

 そういえば先日ローマ法王がお亡くなりになった。あの方がヴァチカンで昼のお説法をされているのに行き当たり、信者でもないのに厳かな気分になったことを思い出す。法王をもってしてもこの世の中から戦争を無くすことは不可能だった。矢張り人間とは救われないモノなんだ。今日の殺人事件と言い、、、、。

 

 

2005年4月 5日 (火)

観劇。

 市民劇場の例会は加藤健一事務所25周年記念公演で、加藤健一が老婆役を好演していた。
今日の芝居で一番印象に残ったのは、とにかく声だった。殆どの役者がとても響く声を持っていて、明瞭な言葉と共にハッキリとこちらに伝わる。泣かせる笑わせるは全て言葉がハッキリしないと分からない。流石の舞台だった。充分演出家の意図にはまって笑い泣きさせられた。
、、、が、矢張り今日も20分寝てしまった。前半の「なんだかテンポが悪いなあ」と思った瞬間爆睡だった。隣のIさんが 「やっぱり寝てたねえ」と感心。誰か私を起こして〜!だ。

 昨日の事故の友人をそのお母様の入院先共々見舞ったが、それがいかに怖い事故だったかをつぶさに聞いて、恐怖が甦った。病気と事故、これが結びつくことがあるかもしれないという、、、、他人事ではない。自分の身体と常に対話してないと人様を傷つけることになりかねない。ぶるぶるっ!

 

 

2005年4月 4日 (月)

第1回目の会議。

 全体会議の前に、あらかたたたき台を作っておこうという会議が本日深夜まで我が家で。
公演後のほわ〜っとした雰囲気の中で、一応決め事だけはきちんと決められた。が、ともすれば公演のこととか、あれこれ話しは飛び放題。女性が多くなるとこういう筋運びになるのだ。どうしても。体調が芳しくない会長は殆ど黙んまりの苦虫状態。早々にお帰り頂いて第二弾。疲れているときはなんだか余計だらだらしたいのだ。こんな時間にと思いながら、ふくさ屋のカステラに舌鼓、ビールにも手が伸びる。女4人のかしまし状態も、イマイチ元気が出ない中でのずるずる、、、。まだ疲れがとれてないなあ。この手の食生活は明日から気をつけよう!な〜んてね。

 今日はあれこれ行くべき所に行きやるべき事をやっつけて、食欲が無いという母を五色台に連れて行き、コンビニ弁当ながら瀬戸大橋をおかずにおいしく昼食。食べたくないと言ってた母が、ぜ〜んぶ食べて、おいしいを連発。如何に食べる環境が大切か、ってことだ。元気になった母を連れて満濃まで出かける。2,3日前にラジオで流れた水仙情報を頼りに出かけたのだが、地理がイマイチ分からず、迷いながらたどり着いたら閉園の1時間前。よく考えるとこの公園は絶対歩かなくてはイケナイ。む・む・む、これは車椅子を借りるしかないと借りたは良かったが、行きはよいよい帰りは怖い。登りのなんときつかったこと!息が上がるが、悟られると母が気を遣うから我慢して、息を整えながらであった。晴れていたから行く気になったが、まあ疲れた。
帰ろうとすると大阪の友人から電話。おととい高速で帰る途中、ご主人が突然血糖値が下がりすぎての意識朦朧。100キロ以上でてるにもかかわらず、何を言っても理解不能で、右に左にとガードレールにぶつかりながら走行。たまたま来たパトカーに追跡されても止まれず、何かにぶつかって止まったとか。勿論すぐに救急車だったそうだが、ご主人は何も覚えてないそうな。いやあ、怖い怖い。こんな人に出くわしたらもう最後だ。、、、と話しながらその同じ高速を使って帰宅した。いやあ、色んな事があるモンだ。明日は彼女のお見舞いだ。ふ〜っ。

 

 

2005年4月 3日 (日)

春よ来い!

 実家の側の神社の桜は今年まだ蕾が固い。暖冬と言われ続けて「結構寒いジャン!?」と愚痴を言いながらの練習だったが、矢張り寒かったのだ。。予報では明日も今日より5度も下がるらしい。
 寒い分家の中は暖かくして暮らしているから、お祝いで戴いたお花の数々もすぐ満開だ。只今我が家は春そのもの。しばし幸せな気分で過ごせている。花は良いなあ。ホントに心が和む。

 ここまで書いたら突然家の前を救急車が通る。思わず行く方向を見るとすぐ近くで止まった。しばらく見ていたが、もちろん暗くて何が何だかわからない。誰かが急病のようであった。、、、先日の母の入院を思い出す。どうしても救急車は嫌だと言い張るので、24時間見てくれるところへと連れて行ったのだ。確かに,救急車が来ると今の私みたいに物見高い人が聞き耳を立てることになる。、、、なんでも救急車が有料になるそうな。細かいことは知らないが、確かに優良にしても良いような気がする。安易に呼ぶ人が増えているらしいから。
考えたら今まで私は何回救急車に乗ったことだろう。父で1回、母で1回、劇団員の交通事故で1回、自分自身が1回、幸い子供は全部自分が運転していったから無いが、救急病院のお世話にはなり続けたものだ。そして今こうして生きているということは凄いことだ。正面衝突の事故でも死ななかったのは、あれから未だ私にこの世でやるべき事が残されていたのだろうか。
本日、何回か私の公演を見に来てくれた人が、間接的に意見を伝えてくれたところによると、今までで一番良かった、という事だそうだ。ということはこのオペラをやることが使命として残されていたということか、、、!なんちゃって。

 

 

2005年4月 2日 (土)

声っておもしろ〜い!

 本日初めて個人レッスンを受けるという人が二人、よそで受けていたがちぇちでは初めてという人が一人I先生のレッスンを受けた。彼女たちは元々良い声だとヒトも認める声の持ち主ではあったが、それにしても凄い声が出たもんだ。ある瞬間はまるで有名なソリストの声かとまごうばかりの声量だった。二階でやっていると下まで良く聴こえてくるのだ。先生は従来のメンバーにと同じように丁寧に教えている。公演後のお疲れの様子が見えるのは否めないが、新しい声の発掘に俄然元気が出たようだった。先生は全くの歌好きなんだと改めて感心。、、、全て終わって先生はその中でも特に将来性のある人の事を熱心に語って帰られたが、なんとその人から「落ち込んで浮かび上がれそうにありません」というメールが届く。、、、これだから歌って難しいんだ。自分には自分の声のことはさっぱり分かってないんだ。やれやれ、これで彼女も歌街道をまっしぐらだ!このギャップの激しい人ほどのめり込むからなあ。過去の例から言うと。フフフ。
 
 本日は娘の夫のご実家が先日結婚した我が息子夫婦を招いてくれてのホームパーティだ。先ほど電話してみると随分盛り上がっている。内のお嫁さんに電話代わって「付いて行けてる?」ときくと「ハイ、楽しいです」とおっとり答えるが、ちょいと心配。何しろ彼女以外は全員飲んべえで、どうやら帰りは息子の運転手を務めるらしい。まあ、余りこちらでは会ったことがないタイプの人達だろうから、面食らっていることだろう。「いい方達だから大丈夫よ」と励ますと「ハイ大丈夫です」と可愛く答える。まあ、ホントにウブだなあ。これを機会に仲良くなっておいて欲しい。偶然にも新居が同じ茨城というのも何かの縁だ。今後どんなことでお世話になるか分からない。私よりも頼りになる方達だろうから、、、。いやあ、全く縁というのは不思議なモンだ。

 

 

2005年4月 1日 (金)

記憶。

 昨日は疲れ切っていたせいもあるが、映画の前半20分は熟睡。導入部のセピア色のオペラ座は何事か起こるのを予感させて良い感じだったが、極彩色の内部をカメラが走り出した途端眠気が来た。大体、映画に限らず芝居でも音楽会でも余程のことがない限り20分寝るというのが私の習慣だ。この習慣を破るほどに面白い出し物の場合、帰って飲むアルコールの味も格別。一人推敲しては何倍も楽しむのだ。
しかし、妙なことに感動したモノばかりが記憶に残っているわけでもない。勿論感動は私の細胞の一部となって、確かに私を生かしてくれているのだが、つまらなかったモノも覚えている場合がある。いや結構あると言っていいだろう。これってどういう事だろう?
記憶も不思議な人間の能力だが、推理もこれまた人間の能力の面白い部分だろう。
映画好き芝居好きだからかも知れないが、テレビを付けて瞬間にそれが何の映画か分かるときがある。先日もビビアンリーが特殊メークで額に皺を作り、妙なシナで男性を誘惑しているのを観て、あ、これは「欲望という名の電車」だと推理出来てしまった。昔この映画を観たわけではないが、芝居は2,3回日本人のモノを観た。このなんともわびしい女の性を描いた作品は好んで芝居に使われる。実際その映画かどうかを確認するまでのつもりが面白くなって結局は最後まで観てしまった。「良く生きたい」と思いながら「どうしようもない方向に行ってしまう」人間の悲しさ、そして魂が段々壊れていく過程が胸をついた。「弱き者、汝の名前は女なり」だ。
そうなんだ。私達の落語ペラだって、良い悪いは別にして、来て下さった方々の記憶の端っこに居座るのだ。そう考えるとやっぱり練習するしかない。練習して少しでも好感を持って思い出して頂きたいから。、、、レッスン再開だ。

 

 

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