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2005年3月

2005年3月31日 (木)

久しぶりの映画鑑賞。

 噂のオペラ座の怪人に誘ってくれて送り迎え付きでお出かけ。シンデレラタイムにご機嫌でご帰還だ。やっぱり、時々は映画も観なくっちゃ!このドラマは、原作はというか、この映画の中でも「声」を極めるということについてファンタスティックにではあるが重要な主張が語られている。まあしかし映画では主役の声はきれいではあるが機械的に処理されテーマからはやや離れた、言い換えれば軽いものになっていた。レチタティーボもミュージカルにありがちなテクニックを駆使していて新鮮さはなかった。NYで観た「キャッツ」と同じフレーズがあってちょっと頭が混乱した。全体で印象に残ったのは映画の色彩処理だった。「シンドラーのリスト」で使われたと同じテクニックで無彩色の風景の中の一部が赤く染まって物語の幕を飾った。、、、などという制作上の技術にばかり目が行くのは、先日の公演の後遺症か?一番大きなテーマであるところの「愛」について、もっと自分自身がはまりたかったのだが、、、。ファントムが醜い顔をしている事への若い女性らしい細やかな反応が女優の目の表情などによく出ていて説得力があったし、何よりファントム役の男優の悲しげな表情には泣けた。まあしかし、この手の話しの何と多いことか。所謂美女と野獣的な話しは古今東西受けるんだ。
帰りの車の中で唯一お若いSさんに「もしあのクリスティーヌが自分だったらどう?そこに残る?それとも今日の映画のように去っていく?」と訊いてみたらやっぱり残れないらしい。ほんというと、こういう若い女性が「私なら残るかも知れない」と答えるような描き方も出来たのではないか?と、ちょっぴり不満な映画ではあった。昔観たものは余りに悲しくて声を押し殺して泣きながら観た覚えがあるから、、、。

 

 

2005年3月30日 (水)

反応。

 何かをやると必ずそのアトに反応がある。こちらにとって都合の良いモノもアレバ、余り聞きたくないようなものもあるのが普通だ。しかし、今回のオペラのアトは、外部からの反応は悪くないばかりか、むしろ励みになるような、あるいは過分とも思える評価を戴いている。ただ、それと比例して内部からの反省点が多いのは、団が成長して来ているということか。
それにしても今回も全く一大事業ではあった。オペラ一つやるに費やすエネルギーは、タグボートでフェリーを宇野まで引っ張るくらいのものだった。いやいやヒョッとしたら九州くらい行ったかも知れない。着いた場所が暖かくて優しい人々の住むところだったというところだ。
舟からは下りられないとみんな思ってくれていると思ったが、泳ぎの上手い人が飛び込んで逃げていったり、チケットまで買っていて乗らなかった人も居た。動き出しても船室からなかなか出てこない人や、マットによじ登って行き先ばかりを気にしている人も。暇さえアレバ船上で議論している人達、いつも何処にいるのかさっぱり分からない人、一心不乱に舵をとる人、舟の点検に余念のない人、、、、色んな人を乗せて「ちぇちぃりぁ号」は船出した。長い長い航海だった。無線から流れる雑音にも左右されず、船の上の孤独をそのままにひたすら走り続けた。、、、この航海が終わったことは夢でなく現実なのだと、ようやく今日になって思えたには訳がある。それは色んな方々からのメールなどの「反応」だった。おそらくは未だこれからもあるだろうこれらの反応を糧に、ドッグ入りしたちぇちごうは甦るだろうか、、、?

 

 

2005年3月29日 (火)

弱くなったモノ、、、。

 今夜はFM合併に伴うさよならパーティだった。開局からやってきた私は参加した殆ど全ての人を知っている。開局の責任者、私を引っ張ってきたK氏が挨拶で「放送業界の大きな変遷期だ」とライブドアの一件を例に挙げ演説をぶった。確かにそうだろう。NHKのような絶対間違いが無いかのように錯覚させられてきた所があのような醜態を晒したことによって、イメージが変わってしまった。
飲み放題と言われても、生中を2杯飲んだらくらくらし始めた。今日は仕事も忙しく疲れている上だったから、余計かも知れないが、私にしては珍しく早々に引き揚げてきた。といっても食べるものはバイキング一通り味見をしたが。帰る早々マッサージ機だ。早く寝ろと言う声に生返事しながら約1時間、又しても寝てしまった。今起きてこの日記を書き始めたのだが、午前0時の静けさが時計の音を響かせている。静かだ。、、、何かしら不気味なのは昨日下水の工事の人が「奥さん表で猫が死んでますよ!」と、余程驚いたのか青くなって告げに来たのを思い出したからだ。見てみると外傷が全然無く、大きなきれいな猫だった。今日になって夫も私もも手が出せず、母が来るのを待ってダンボールの箱に入れてもらい、高松市に持って帰って貰ったのだ。なぜ、あんな所で死んでいたのか、、、、まさか誰かが投げ込んだのではないでしょうねえ、、、。ぶるっ!

 しかし、疲れてる。同い年のSさんは今朝点滴に行ったとか。私もそうしたいところだが、明日も明後日も予約が入っている。余りに今までご迷惑をおかけしてきているから断れないのだ。

 それにしても今回ほどお客様からの反応が入ってくることは珍しい。ゲストで参加して下さった方々からも、逆にお礼のメールを戴く。未だ個人的なお礼には行けてないのだが、、、。

 

 

2005年3月28日 (月)

流石の私も、参った。

 朝はシェイクスピアの講座。昼食会が終わるとすぐにシャンソン教室。それぞれの場所に今回の公演を見に来てくれた人達が集まっているから自然と公演の話しに花が咲く。まあ、全体的に話しが分かりやすく楽しめたというモノが多いのにはホッとした。中でも女性は衣装に相当感心があり、80過ぎた人でもあんな衣装が着られるなら出てみたい、とのたまう。わあお。
オペラはやっぱりビジュアル面を大切に考えないとイケナイということだろう。衣装に力を入れて正解か。
教室のアトはその衣装関係の協力者にお返しと謝礼に廻る。帰宅途中にこけ枝師匠から電話が入り、これから我が家に書類を持ってきて下さるという。ぎょへ〜っ!入り口の部屋は足の踏み場がないほど荷物で一杯。急いで帰宅してまあよく働いた。その結果どうにか人が座れるスペースが出来た。やれやれ。
色々今回のことをお話ししていると、師匠は段々こういった落語ペラが居心地が良いというか、面白いと思うようになってくれてるらしい。道理で今回は練習回数が極端に少なかった割に、バッチリと台詞も入っていたし、ゆとりのある話しだった。習うより慣れろ、だ。
 夕食は自分の中では公演の無事を祝してステーキだったが、夫には何も言わない。あたかも今までの贖罪のように見せかけてその実自分の為に乾杯だった。いやあ、ホント。疲れ切った!

 

 

2005年3月27日 (日)

 打ち上げ

 打ち上げが終わって帰宅したら午前2時。御風呂には入れという大阪の友人の声に生返事してマッサージ機にかかったのが運の尽き。いつの間にか眠っていて目覚めたら朝の6時。ぎょへ〜っとばかりベッドに移動。再び熟睡。次なる目覚めは10時だった。なにやら おいしそうなにおいが立ち込めるなかを降りていくと、友人がたっぷりの野菜サラダとオムレツとおみそ汁を作ってくれている。わ〜、感激い〜。有り難うと友情に感謝しつつエネルギー補給。これで今日は少し動けるだろうと思いつついただく。
ま、兎に角終わった。声はがらがらだが、、、。
無事終わったことを、病気で参加して貰えなかった友人宅に報告に行く。思ったより元気そうで一安心。それから又、急いであちこちへ返却やらお届けやらで走り回る。
遂に余りに疲れてる私を見かねて友人達が温泉に連れて行ってくれた。何という優しさ。幸せなことだ。これで又、しばらく続く後始末に力が湧くというモンだ。

 

 

2005年3月26日 (土)

終わった!

 何事も終わるのだと言うことを実感したこの日、初めての2回公演のアトのお客様の送り出しで、じわじわと長かった日々のことが思い出された。色んな方が駆け寄ってくれてねぎらってくれたが、半分は色んな思いの中に浮遊していた。ぼ〜っとしていて、人に促されて楽屋に戻るという有様。

 流石に夜公演では、歌っている途中でふくらはぎに電流が走り、一瞬動けなくなってしまった。右へ左へと身体を動かして、指揮を見るはずが、アントーニアと一直線になってしまい、指揮の手がこちらへの合図か、彼女への合図かがさっぱり分からなくなった。内心、このままもし動けなくなって退場出来なかったらどうしようか?と冷や汗もの。歌いながら足首をこねこねしては、つれてるところを何とかゆるめるようにやってみた。そうするとようやく少し楽になって、かろうじて退場に間に合った。やれやれ。やっぱり年だ!
そして、昼公演ではぼ〜としていて、車椅子に乗るタイミングがずれてしまう。過去の公演では、だれかがいつもあと何分ですと楽屋に告げに来る人が居て、すっかり安心していたら、いきなりモニターに2幕の頭が映り始めた。え?あそこに私出てるんだけど!と叫びながら駆けつけるも、とっくに車椅子は空のまま押されて出場していた。ぎょぎょっ。でも今更ジタバタしても仕方がないとすぐ諦める。頭の中で台本を繰ると、まあ、それでもなんとかつじつまが合うかも知れないと、良いように解釈。忘れることにした。ここからアトの方が大変だから。まあ、それで何とか無事終わってみると、お客様の送り出しで、私が二役していたことを知らない人が殆ど。ありゃりゃ、余りに上手く化けすぎていたみたい。フフフ。

 

 

2005年3月25日 (金)

兎に角明日だ。

 ていうか、もう今日だった。
長い間の練習が、ようやく舞台に上がる。
さて、どんなことになるか、、、、。

もうへろへろ、、、。
でも、頑張るぞ!ビールのために!昨日からの禁酒におさらばだ!

 

 

2005年3月24日 (木)

いよいよだ!

 明日にリハを控えて、我が楽団はようやく全員揃っての深夜の練習と相成った。ピアノにフルートそれにギリギリと、パーカッション。それと秘密兵器。いやあ、これは出演者にしっかり聴かせておかないと、本番がヤバイ。お客さんが笑うのは良いが、二枚目役に笑われたら逆効果だ。さあ、どんなことになるか。
しかし、いつもと変わらず最後までジタバタしている。今日になってアンケートだ、全員合唱だ、アレがないこれがない!、、、土壇場にならないと完成しないのが我が集団だ。実は人のことは言えない。自分自身がそのまんま。今から自分の持ち物点検だし、みんなのお預かりモノ点検もある。明日は9時からお仕事だし、、、大丈夫かなあ?

今日は、新しい放送局での収録となった。もっともたつくかと思ったが、まあまあだった。出演者も喜んでくれたのがなによりだ。、、、こうしてまた、新しい人間関係が出来てくる。

収録前にサテライトスタジオでの生放送に出演。なかなか手慣れたパーソナリティのお陰で愉快な会話が出来たように思う。ここでは訊かれる側。そのアト聞く側だから面白い。

そんなこんなで本日も帰宅は午前様。やばっ。寝よ。

 

 

2005年3月23日 (水)

仕上げ。

 仕上げが出来るのは本日だけ。3人のメンバーに来て貰って最後のしごきをやるつもりだった。が、こちらも疲れているし、一人は極度の貧血状態で来られないと言う。まあ、彼女も疲れているんだろう。みんな仕事を遣りながらの参加だ。無理もない。ここまで来たからには、あとは本番に首が揃うことだけが願いだ。
、、、他人事ではない。自分の衣装が未だだった!マッサージ機のアトはこれに取りかかるとしよう。カバ口の欠伸と闘いながら、だ。

 

 

2005年3月22日 (火)

ウ・ウ・ウ・疲れた!

只今午前1時半。今の今までパソコンと首っ引きだった。前日と当日のリハのスケジュール表だとか、小道具表のチェックだとか、次から次へと仕事が舞い込んでくる。朝から出たり入ったり、只今h、まるでエコノミー症候群のように足が痛い。立ち上がるとよろけた。ぎょっ!ついに来たか!?こんな事では本番が危うい。いくら亡霊とは言え、一応舞台で歩くんだから、予定では!
余りに疲れて、使いぱしりのお仕事は別な人にやって貰うことに。いやあ、ホントに無理。このままでは終演と同時に人生もジ・エンドだ。
今日の仕事の一つ、舞台の美術を見せて貰う。これが予想以上に面白い。これだから舞台は楽しいのだ。今回のような舞台美術は、Sさんのお得意分野だったのだ。こりゃあ、お客様が楽しんで下さるだろう。

 昼下がりに某局のラジオに出演したら、なんとそれを聞いた方がチケットを買ってくれたとか。まんざらでもなかったのだ。しかし、自分でも番組をもっているにもかかわらずラジオに出演するというのは嫌なモノだ。思ったことが全部言えないもどかしさがある。兎に角時間が気になってしようがないのだ。ラジオねえ、、、。

 

 

2005年3月21日 (月)

本日最後の練習日、終わる。

 午前中にあれこれやっつけておいて、高速を飛ばして坂出へ、小濱さんの演奏会へと出かける。もうすっかり高速フアンだ。兎に角一駅という感じが気持ちが良い。しかも今日は暑いくらいの上天気。窓を開けられないためクーラーを入れたほどだ。演奏会はほぼ満員の盛況で、お姉さんのタップダンスも流石のものだった。もっと音が出るタップボードがアレバ良かったのにと、少々残念。プリマの歌は相変わらず円熟味を見せて、聴かせるし、フレーズの長さでは人々を唸らせた。特に驚いたのは、アメージンググレースをアカペラで歌い、途中からピアノが入るという歌い方。少しの狂いもなくピアノと調和していく。所謂絶対音感があるとこういう事が平気で出来るんだ。
どこぞのコーラスとは違うなあ。何処とは言わないが、、、。
顔見知りのフアンクラブの偉い人が東京から来られていた。今夜ののうち上げは?と聞かれて、練習があって出られないと告げると残念がってくれた。既に讃岐うどんはご賞味されたとか。やっぱりね。しかしまあ、東京でもコンサートをするらしいのに、こちらにも来て下さるとは凄いフアンだ。まあ、大なり小なりそんなフアンの方が大勢来られていて、客席は盛り上がった。いやあ、歌とはホントに良いモンだ。

 本日の練習を持って、我々のオペラの練習は最後であった。泣いても笑っても、後は前日のリハを一度やるだけとなった。さて、ここまで来たからには、あとは運を天に任せるしかない。最後の最後まで諦めずに駄目を出し続けるだろうが、みんなもうほぼ完成だ。あとは、本番の感情の昂揚がプラスされることを願うしかない。
さあ、おいしいビールが飲めるか?!

 

 

2005年3月20日 (日)

春の音楽祭、終わる。

 恒例の春の音楽祭が、今年も無事終わった。今日は会長副会長の見せ場であると同時に、オペラの一部分を紹介することで、公演の宣伝も兼ねたつもり。まあ、8重唱の方々はリハーサルを他の人より余計にしたような感じだろう。これで本番はきっと生き生きと歌い演じてくれるに違いない。プログラムはコーラスが多かったが、矢張り昔とは違うとはいえ、ちぇちの派手さに比べると比較にならない。観客席の後ろから「あ、次はオペラよ。なんか楽しみね」という声が聞こえる。終わった後の拍手がことのほか大きかったような気がしたのは気のせいか?フフ。
最前列から、写真は撮るわ、ギリギリと擬音は発するわ、勿論その前の皆さんのメークやヘアーもやらせて頂き、今日は目一杯忙しくて、ちょっと参ったかな?もう、ホントに年だと思う。大学でシェイクスピア劇の演出やら衣装やらメークや等とお手伝いを10年やってきたが、若かったのだ、あの頃は。今日はもう体力の限界を感じて、思わず、本番のヘルプを真剣に依頼した。S嬢はそんな私を気遣って、今回もしっかりやってくれそうだ。これで百人力だ。
考えてみると、よそでオペラに出演しても、コーラスにまでは誰も構ってくれず、ソリストにメークアップアーティストが付けば良い方。ちぇちはラッキーなのだ。演劇の世界でもメークは自分でやることが多いのだから。
私もそろそろ舞台に上がらず、こうして裏のお仕事だけする方が良いのかも知れない、とこのところ思っていたが、この裏の仕事こそが大変だ。、、、、ナニをするにも体力だ!今度公演が終わったら、トレーニングしようと、何度目かの決心中。がんばるべえ!

 控え室でメーク中に福岡の地震が今し方あったようだと、携帯から情報を得た人が居て、一瞬騒然。北の次は南。次は真ん中だろうか?友人のSさんのことが心配だが、電話が繋がらない。まあ、北ほどではないらしいが、今後が心配だ。

何が起こるかわからないなあ。
明日は、小濱妙美さんのリサイタル。姉の良子さんのタップダンスも楽しみなことだ。
この姉妹も面白い。お姉さんの方は全くどこから見てもニューヨーカーだが、実に細やかな神経の持ち主。もの凄く他人に気を遣う。お母様譲りだろう。人は外見では判断出来ないものだ。

 

 

2005年3月19日 (土)

持ちつ持たれつ。

 こんな言葉はもう死語だろうか?
ある人から「あなたは何故そんなに必死で人のためにチケットを売るの?」「テキトーで良いじゃない?」と言われる。「必要以上に義理堅いわね」と、以上の所にアクセントが付いている。、、、そうかも知れない。いやきっとそうなんだろう。しかし、これは性格なんだ。世の中は「持ちつ持たれつ」だと思い、「相身互い」だとも思って生きているということもある。宮沢賢治ではないが、東に困っている人アレバ、、、西に病の人アレバ、、、、てことだ。賢治は、あの詩に、なりたいと書いてあって、自分がそうだとは書いていない。あの通りの人が居たら、そりゃあ凄いことだ。私は出来ないことだが、でもこの詩に少しでも近付きたい、と思って暮らしているつもりだ。
越路吹雪の歌に似たのがある。「誰か私を見かけませんでしたか?ラッシュアワーの人混みに、チラッと笑って消えたっきり、私の所に帰りません、、、」の後に、賢治のアメニモマケズの内容が語られ、そういう自分を見失ってしまったと歌う。私はこの歌が大好きで、リサイタルでも歌わせて貰った。別に多重人格だというわけではないが、熱い自分を見つめている、冷たい眼差しの自分がいることは事実だ。
話しがそれてしまったが、世の中やっぱり持ちつ持たれつだと、年と共に思うのだ。私の場合持たれてばかりで、持って差し上げることが少ないと思うが、いつかきっとお返ししたいモノだ。

 それにしてもあと1週間になっちゃった!

 

 

2005年3月18日 (金)

久しぶりのぽかぽか、、、

 やっぱり温泉は良いい。家のお風呂とは全然違う。喉が少々痛いが、これで良くなるだろう。
さ、寝るぞお!

 

 

2005年3月17日 (木)

ガックリ!

なんか、低調の本日の練習。
欠席者も多いし、、みんな疲れてる。
無理もないのだ。
私だって、まじでお疲れ。
だのに明日はFMの合併に伴う、最後の収録だ。開局以来続いてきた番組だが、局が終われば終わるしかない。新しい局に引き続き番組は残るけれど、何となく寂しい気持ちだ。
世の中ナニがどうなるか分からない。

分からないと言えば、友人の病気。ガンではなくて腫瘍だった。やれやれという安堵感も束の間、本人からの電話では、手放しで喜べるようなモノでもないらしい。今後の予防のために西洋医学は様々な要求をするようだ。選択、選択、全ては選択だ。人はいつも選択を要求される。シェイクスピアはその選択も運命と位置づけるが、、、。
このところ、ニュースを見ても、「命」ということについて日々考えさせられる。殺人などというおぞましいものから、事故死に至るまで、ありとあらゆる「死」がテレビから新聞から語られる現代。自らの死についても思いは至る。
が、今日も生きている私。帰宅してビールを飲み、こうしてパソコンを打つ。時々全てが遠い世界に飛び去ったような気分になるが、これはビールのせいなんかではない。この頃、つくずく、この世はホントに夢のようなモノだなあと、実態がないなあと、ぼんやり思ってしまうのだ。先人の文学者の言う「人生」の意味が、終焉に近付くに連れて分かり始めたと言うことだ。
そう、あと何十年も生きるわけではないのだ。

 

 

 

2005年3月16日 (水)

良い天気だった〜っ!

 今朝はまどろみの良い気分の中を信じられな電話で起こされた。「僕だけど」というその声は紛れもなく我が亭主の声。え?国際電話?一体何事?と朦朧とした頭で考える。「どこ?」と訊くと関空だという。なんてこと!帰りは土曜日じゃなかったの?!と叫ぶと、「早く帰って悪かったね」ときた。いやあのその、と舌がもつれる目が覚める。昼には夢タウンに着くから迎えを頼むというものだったが、電話を切ってからもしばらくショックでぼんやり。そもそも土曜日だと思いこんでいた自分にも驚いた。こりゃあ、だいぶ来てるなあ、、、。
午前中に仕事を仕上げて迎えも済ませ、本日予定の行動だった、K姉妹の取材の段取りに高速を飛ばして出かける。久しぶりの好天のハイウエイは平均120でス〜イスイ。いやあ、日中の運転がこんなにも気持ちが良いとは!殆ど夜走ることが多いが、矢張りドライブは昼が良い。山も海もすっかり春だ。
仕事は順調に終わり、再び高速へ。この信号の無い道路というのは、ホントに気持ちが良い。公演が終わったら少し遠出をしたくなった。何処へ行こうかなあ?!終わったら映画も観たいし、温泉も行くぞお。あれもこれも公演が終わったら、、、、て、あと10日!頑張るべえ!

 

 

2005年3月15日 (火)

やさしい人々。

 今夜は岡山。シャンソン教室に新しいメンバーが増えた。その方々がチケットを早速購入して下さる。わ〜お、良かった。はるばる疲れた身体を引きずって出かけた甲斐があった!みんな上手くなってきて、それも嬉しい。今回ダンスでオペラに参加して貰うIさんも会員だが、この方が永年歌にコンプレックスを持ち、自分は声は出ないと言い続けていたのが、この会で少しずつ伸びては来ていたが、今夜はいきなり今までの倍以上も高いところが出るではないか!「えっ?」とみんなも驚く。すると本人曰く、何日か前に風邪で全く声が出なくなっていて、どうしようと思い、一生懸命声を出す練習をしていたら、急に今まで出したこともないところが出るようになった、というのだ。ふひょ〜っ!そんなことってあるんかいな!?でも実際出るから夢ではない。は〜、人間の身体って面白いモンだ。
もう一つ面白いことに、私の血液型O型の人が全体の半分以上も居ることが判明。A型はたった一人。日本人がA型が一番多いことを考えるとこれも不思議だ。

 友人(高校時代の)からのメールで取り敢えずの退院となったことが知らされる。完治ではないが、ここまでは無事順調に来たと言うことだろう。これからもこのペースで治って行って欲しいモノだ。

 もう一人の友人(中学時代の)が大阪から公演の手伝いに帰ってくれるというメールをくれる。助かった!これで百人力だ。
兎に角使える駒は全部使う事になるだろう。我が友人達は殆ど諦めているだろうが、、、こりゃあ、死ぬまでつき合わされると。今回もフル出動だ!

 

 

2005年3月14日 (月)

ちかれたび〜、、、。

 本日もフル回転。高知の古い友人が「不義理はするモンです」という名言を提供してくれたにもかかわらず、不義理が出来ない。いや、出来る不義理と出来ない不義理って、やっぱりあるんだなあ、これが。
朝から打ち合わせだ、母との買い物だ、お礼参りだ、シャンソンだ、衣装合わせだ、会食だ、練習だ、、、、なんだかんだで、只今やっぱり帰宅は午前様だ。夫の食事の準備がない分、きっちり別な用事が入ってくる。
私と日々練習を共にしている新しいメンバーから、「先生はお元気ですねえ」と感心されるが、いやいやちっともお元気なんかじゃないのよねええこれが。身体の芯に何となく風邪も残ってる感じだし、首も痛いし、関節という関節がぎしぎし音を立ててる感じがする程だ。でも、練習会場で、しんどいとは言えない。誰かさんのようにその日によっては全く体調が悪いことを全面に押し出して指導しているお方もあるが、それをやると、みんな気を遣ってくれるので、私はやりたくない。みんな多かれ少なかれしんどいことは同じ。リーダーたるもの、ここで弱音を吐くわけにはいかないのだ。
しかし、夕べは遂に自分がガンになった夢を見て、うなされて目が覚めた。数日前に胸を圧迫して、息をするとそこが痛むので、深層心理的に不安があったのだろうか。普段は、いつその病気になっても良いと思っているが、いざそうなってみると夢の中の自分は、想像以上にうろたえていたなあ。矢張り人間体験しないとホントのことは分からないということか。まあ、私は夢ではあるが、体験してみて、本来の自分というモノに出会った感じがした。やれやれ。

 

 

2005年3月13日 (日)

疲労困憊!

 本日初めてお目見えのゲストと練習後に深夜営業のファミレスへ行く。聞いてみれば練習に参加出来ないわけだ。1ヶ月ほど前にお父上と祖母を亡くされてお葬式が二つ重なったというのだ。
何だか、今年はお葬式の話しが多いなあ。
で、この方との打ち合わせが終わったら午前様。実際、この店でドリンクバーまで歩くのもしんどくて、全部ゲストのその方がやってくれた。彼はこれから大阪までお帰りだと言うに、全くもって申し訳ない。
まあ、練習というのはやればやるだけ問題点が増えるモンだ。いや、勿論、だんだん良くなってきてはいるのだが、そこまで出来るなら次はもっとあそこまで、ということになり際限がない。本番が終わるまで、これでよい、というときは来ないんだろう。いやいや、本番が終わっても、まだしばらくはああだこうだと言ってるに違いない。そうしたもんだ、舞台とは。
しかし、7時から11時までの練習がこれからも続き、全体に関わらなくてはならない立場上、最も疲れて当たり前のポジションだ。さて、本番まで持つかどうか、、、、、かなり疑問だ。洗濯物も、たたむ間がない。息子の結婚の内祝いが未だ出来てないと母に叱られる。入院中の友人も見舞えない。出来ないことだらけだ。、、、でも、一番は舞台だ。何を置いても舞台だ。
ここしばらくは、ごめんちゃ〜い。

 

 

2005年3月12日 (土)

電報

 今日が娘の友人の結婚式なので電報を打つ。熊のプーさんが異常に!好きな子で、娘からの注文はプーさんデンポーだったがお断り。他にもそれで送る人もいるらしく、ずらっとプーさんがデンポー持って並んでる姿想像しただけでキモチワル〜になったのだ。しかしまあ、いつの間にかこんなデンポーが増えてるなあ。何故シンプルな電文だけのデンポーではいけないのか?わっかんないなあ。この減少はもしかすると言葉に力が無くなってきてるせいなのか?そうなら残念なことだ。

 夕べ、娘からの薦めで、「詩のボクシング全国大会」なるものをテレビで観た。なかなか面白かった。実は偶然、サンポートで香川予選が行われていたのに遭遇して、この大会の存在だけは知っていたのだ。全国となると流石に面白い人達が集まっていた。「言葉」「詩」「朗読」「声」「表現」、、、諸々の要素が渾然一体となり観客に向かってくるのは面白い。そこには「伝える」というだけの、手段としての言葉以上に、聴き手の想像力を刺激し、イマジネーションを膨らませる「言霊」があった。優勝した木林(きりん)という名前の人は、、、、奇妙で、尚かつ詩そのものだった。、、ナントモ、、、。

 

 

2005年3月11日 (金)

疲れすぎ、、、

 今日も目まぐるしかったなあ。懸案のハハの病院行きも無事済ませ、主役の衣装を直す交渉と自分の衣装の受け取りだ。休む間もなく今日はFMの収録。しかし、突然のハプニングで時間が大幅に変更となる。8時半までゲストとお食事タイムを取り、またもやスタジオに舞い戻る。そこから坂出までお送りして、流石に帰りは途中から思い立ち、たった1区間の高速に乗った。ちょっとばかしスカッとしたかも。
帰宅早々急ぐメールの処理を、、、、10件も来ている。便利は不便、、、こんな言葉が浮かんでは消える。ふ〜っ。

 

 

2005年3月10日 (木)

おいおい、、

 なんてこった。テレビのカメラはみんな苦手なんだなあ。誰かさんはしっかり音が下がってるし、いつもの調子が全然でない。コーラスもやるべき事をすっかり忘れてる。私もインタビューを受けながら急に襲った腹痛とともにアセアセ状態。本日は惨憺たるモノだった。しかし、考えてみると、これは良い経験だった。ステージで大勢の人の前で歌うことを考えると、このような環境の変化に対応する訓練としては最も良い練習だった。日曜日も又テレビカメラがお出ましになるそうだが、せめてこの時はしっかりやりたいモノだ。

 

 

2005年3月 9日 (水)

気分が、、、

 本日いつものように海外へとお出かけ遊ばしたご亭主も、何だかイマイチすっきりしない感じで後出立〜。せっかく一人になったのに、これまた気分が優れないアチクシ〜。なんでこうなるの?大きな赤ん坊の世話をすることなくしあわせ〜な日々を過ごす予定が、、、、なんてこった!いつもよりも早く寝て養生しなくてはならないなんて!ついてにゃ〜!
寝よ!

 

 

2005年3月 8日 (火)

何ともはや、、、

 あることのために頭を寄せ合って結論を出して、3姉妹が颯爽とお出かけ、、、だったはず。
しかし、世の中そう甘くはなかった。結局お目当てのモノは探せずに、何時間も歩き回ってくれたそうだが、徒労に終わる。本当にご苦労様だ。結局はプロの力を借りねばならないことが判明。お金を使わずに良い舞台を、というのは至難の技だ。これからは余り時間がないから、セルフは考え物かも。今からは自分自身の舞台の上での事に専念するべきかも。、、、とはいえ、どうしてもやるべき事がのしかかってくる。
その思いのせいかどうか、肩がビンビンに張って、鼻づまりもひどい。こりゃあ、完全に症状がバックして居るなあ。とっとと寝るべえ、、だ。 今日は某局の女性アナと電話インタビューで楽しい時間を持ったが、彼女は新鮮な感覚で落語ペラについて質問してくる。答えている内に、色んな事が思い出された。同局のK君が初めて企画した生ニュースに私達を取り上げてくれたときのこと。その後のニュースで全国放送のラジオにも出してくれて、色んな偏見や妨害に屈せず、負けずに頑張りますと、高らかに宣言したときのことなど、、、。あれから数年。メンバーも入れ替わりがあり、ちぇちの中身も少しずつ変わってきた。地球を一周する勢いだったが、高松を出たちぇちごうは今どの辺だろうか?まだ日本近海を行きつ戻りつしているような、、、、。不思議と色んな事件に遭遇しても太陽が、柔らかな風が、この頼りない舟の航行を助けてくれた。いやいや、乗組員のやる気とたくましさがここまで持ってきてくれたのだ。一人一人、この一人一人のエネルギーに勝るモノはない。本番まであと2週間ほど。最後の最後まで、知恵とエネルギーを絞り出さなくては!
今日も、知らない方から見に行きたいと電話を戴く。有り難いこと、、、。

 

 

2005年3月 7日 (月)

病み上がり、だっちゅうの!

 練習に久々に顔を出してみると、指揮者も居ないし、ヴォイトレも居ない。てことは、必然的に私が全体を廻さなきゃなんない。およよよよ。
あたしゃ病み上がりなんだけどお、、、と言いたいのをぐっと我慢して、やるっきゃないのであった!終わってみればやっぱりちょっと体調がバックしてるかな?ま、徐々に快復だ。

 しかし、久しぶりに観てみると、泣きたくなった。忘れてる。覚えてない。これ、同義語じゃない。いやあ、どうしよう!あと数回の練習で、ホントに出来るようになるのか?全く怖い!
段取りじゃなく、気持ちで動いて欲しいが、段取りすら忘れてる。何故?どうして?説明したときは分かってたはずなのに!あ・あ・あ・あ、今夜も又睡眠薬のお世話になるしかないのか。

 

 

2005年3月 6日 (日)

セールス撃退法!

 昨日、休業の所を、セールスマンが押しかけてきた。我が家は只今インフルエンザにかかっていて、その為営業もしてないんです、と言ったら「そ、そうですか!」とゴニョゴニョ言って慌てて帰って行った。アハハハ、これは良い撃退法だ。
 同時に風邪の症状が出ても、主人はインフルエンザだのにそうでは無いという私の風邪。夕べ入眠薬でが〜っと寝たら、今日は随分良い。明日の練習には行けそうな感じだ。母を再検査のため病院へ連れて行くという仕事があるが、、、、。

 

 

2005年3月 5日 (土)

風邪

でもインフルエンザではなかった!、、しかし、しんどい、、、

 

 

2005年3月 4日 (金)

何も出来ないなあ、病気だと。

 今夜は以前から凄く楽しみにしていたジャズピアノの演奏会、チケットを買っていながらとうとう行けずに終わる。ぐやじ〜。まあ、代わりに行ってくれた人が居たから良かったが、、、。
 仕事も臨時休業。
 家事もお休み、と言いたいところだが、炊事だけはやらなきゃならない。何より自分も食べて元気になりたいためだ。しかし、さすがに作る気にはなれなくて、天満屋ハッピータウンのお総菜をしこたま買い込んでくる。へたな鉄砲も数撃ちゃ当たる式で、インフルエンザの亭主殿が今何が食べたいかなんて分かるわけ無い。特にこのお方は常人とは違うからなあ。案の定刺身をしたたか食べた上に、ゴボウのきんぴら、肉じゃがコーンスープに中華風サラダ、締めはのり茶漬けをしっかり。来週の海外旅行に向けて何が何でも体力を取り戻そうと言うわけだ。いやはや、まったく、叶わない。幸い私の風邪は旦那のそれとは違うようで、ひとまず安心だが、、、。違う風邪ひいてたら、インフルエンザにはかからないのかしら?これ以上はごめんだが、、。
 明日は、ゲストが来ての最後の練習日だから、何が何でも行かなきゃなんない。只今9時前。さあ、今から寝て、体調を整えておこう。、、夕べも眠れなくて入民剤でグッスリ。今夜もこの手を使おうと思う。兎に角睡眠は大切だ。

 

 

2005年3月 3日 (木)

本日はお休み。

 朝、珍しく会長からのお電話で、私の体調がイマイチを知って今夜の練習は休めとのお達し。ハイハイ、そうさせて頂きます。今のうちに休まないとホントに先では休めない。、、と言いつつ、時間が出来たとなると、あれだけはやっておかなくては、、、とばかり出かけて用足し。そのついでに友人の病院へ行くと、てっきりベッドに縛り付けられ状態かと思いきや、起きあがって居るではないか!ビックリ仰天、え?もう良いの?そんなことして!と訊くと、トイレまでまあでっかい杖のようなモノにつかまり立ちではあるが、歩いたそうな。この頃では兎に角術後一刻も早く歩くというのが常識らしい。食事も普通食が出てる。大手術だったはずが、彼女から聞かされていた予想とは大違い。あ〜よかったあ!と思わず二人してうるうる。まさか会えるとは思っていなかったので、様子を聞いたら帰るつもりが喋ってしまった。マスクはかけているがどうもお尻が落ち着かず、早々に引き揚げた。彼女からも合併症が怖いから面会はお断りすると聞かされてもっともだと思った。時間はかかるだろうが、これなら本当に最悪の事態は免れたということだ。ホントに良かった!

 

 

2005年3月 2日 (水)

ヤバイ!

 主人が38度の発熱だ!しかし、夕食はおかゆなんてとんでもない。栄養を付けてくれと、ステーキとスモークサーモン、生野菜にオクラに芽かぶの煮物。凄い食欲だ。これなら回復も早いだろう。、、、だが、肝心な自分の方が少々ヤバイ。喉はまっかっか。さっきからお腹も痛い。熱はまだ無いようだが、、、嫌な予感が。
 ヤバイという言葉。先日母が病院で、「まだ抱っこされてる子供が、ヤバイヤバイと叫んでいたのがおかしかった」と言っていたが、ホントにそりゃあおかしい。言葉というモノはホントに面白いモンだ。吾が娘が夫婦ゲンカしてついサヌキ弁で喋ると、彼がそれをまねて「いてこまい」とかなんとか、意味不明な使い方をするそうだ。「お母さん、彼が文法間違えるんよお」と、お陰で笑い転げてケンカにならないという。まあ、そりゃ結構なことで。フフフ。てことは、国際結婚もうまく行くケースはこの利点のせいなのかも。

 今夜は本番のための仕掛けについて頭を寄せ合って試行錯誤。さあ、どんなことになるのか。こんな時、アイデアといい腕といい、頼りになる人が現れてくれて、ホントに助かる。兎に角、一日一日をしっかり大切にだ!
 日中には公演の問い合わせがあった。ガンバロウ。

 本日の来店客から、60代の人のお葬式だと聞かされて、ああ、段々迫ってきてるなあと感じたモノだ。いつも、「今死んでも良いように」生きてるつもりだが、「死」というモノを突き詰めて考えていくと、矢張り気が遠くなる感じがする。まあ、死は仕方ないが、問題は死に方だ。そろそろぽっくり地蔵さんにでも、お参りした方が良いのか!

 

 

2005年3月 1日 (火)

3月だ!

今日は神様から二つのプレゼントを頂く。一つは母の退院。一つは友人の手術の成功。前者はまあ仮出所みたいなモンだが、外へ出た途端「ああ、外の空気はおいしい」と言った母の声は、再度の入院がないようにと心から思わせるモノだった。後者の方はある人が太鼓判を押してくれただけのことはある巧みな技術陣による手術で、本人の心配は全くの杞憂だったようだ。どちらも完全ではないが、とにもかくにも第一ラウンド終了というところか。友人の方はこれからの方が闘いだろうし、私も出来ることはしていきたい。彼女が病室で頑張ってる分、私は娑婆でやるべき事をやっていこう。
 ホッとし過ぎて、今夜は自宅前に車を止めてもしばらく降りられない。考えてみると今日は二つの病院を行ったり来たり目まぐるしく動き回ったのだ。綿のように疲れ切っていても不思議ではない。しかし、この疲れ切った身体の奥から、じわじわと何かが頭をもたげてくるのを感じる。「やらなければ」という思いの固まりが、突き上げてくる。そうだ、3月だ。公演が目の前だ。今日からは目標を定めて、兎に角ばく進するしかない。
メンバーの一人が、「私はこの公演が終わったら死んでも良い覚悟でやっています。先生も私と一緒に死にましょう!」とある先生を脅迫したとか!ハハハ。いやはや、ったく、なんてこった!公演毎に死んでたら、「そして誰もいなくなった、、、」だ。フフフ。


2005年3月1日

 

 

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