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2005年2月

2005年2月28日 (月)

うっ!

 練習から遅く返ってさあ食事をと、納豆ご飯を作る私に向かい、とっくに夕食を済ませて寝る支度の出来た主人はのたまう。「風邪かも知れない」うっ!なんですと?今この時期に、!思わず「伝染さないでよ!」と切り口上。当然のように敵も「そんなこと分からん」と突っかかってくる。「そりゃそうだけど、気を付けて、例えば帰宅したら手を洗ってよ」とやんわりと返すも時既に遅し。荒々しく二階へと、、、。メンバーにもぼちぼち風邪引きさんやら腹痛さんが出てきている。ホント気を付けなきゃ。でも、かかるときはかかるんだよなあこれが。

 今夜の練習は久々のW先生のレッスンだったが、「素晴らしい」の一言。みんなの声がまるで瀕死の小鳩たちが生き返ったかのような生命力溢れる声に変化した。汗びっしょりだが、爽快感があるのだ。みんながこんなに生き生きした声で本番もやってくれれば、「世界的レベル」に10�pは近付くだろう。コーラスは、一人が5�o変化しても大きな変化となるから不思議だ。小鳩ちゃん達、頑張れ!(ハハ)
、、、で、ソリストが本日も揃わないのだ。まあ、来た人はもの凄い力を貰って帰ることになったが、来ない人達は残念なことだ。毎度毎度この先生のパワーには驚かされる。ホントに歌が好きなんだ。

 朝はシェイクスピアの講座でヘンリー8世。王が王妃に離婚を言い渡す場面は、如何にも男の身勝手さが表現されていて面白かった。何の落ち度もない貞淑な妻であり子供達の母親の王妃を、別に好きな女性が出来たからと、アリとあらゆるこじつけをして離婚を迫る王。当時カトリックのイギリスでは離婚は御法度。それで、画策した結果、別な宗派を作りそのトップに自分が治まるという、なりふり構わぬ行動を起こす。まあ、世の男性は似たり寄ったり。欲しいオモチャは何が何でも欲しい子供のようなモノか。

 シャンソン教室は見学者が3人ほど来て、矢張り観客が居るといつもと違って熱が入るから面白い。ホントはいつもこんな状態が良いんだが、、、。

 母の病院は今週いっぱいで終わりそうだ。本人はそれでも永いと感じているようだが、仕方がない。何事もなければ良いのだが。明日は胃カメラだ。
 
 今日は何となく暖かかったなあ。明日もお天気だと良いなあ。

 

 

2005年2月27日 (日)

津波

 としかいいようがないほど次々と起こる。何かが起こる。まあ、自分が招いているということもあるかも知れない。いや、あるだろう。一日にこなす件数の多さだけで頭がパニックになっている。その為友人が衣装の仮縫いが出来たからというので、それを取りに行くついでに別な友人を病院に見舞おうとしたら、そうだった。一時帰宅中だった。念のため電話してみると、矢張り未だ家だった。こりゃあまずいぞ。記憶がとぎれてきた。まあ、気を取り直して、諸々を済ませてから又おうちへ。偶然来た別な友人とお互い忙しいからとものの20分くらいおしゃべりして解散。次なる異動先は母の病院。カーテンを閉めてユウーツそうな顔をしてベッドに座っている。心配したとおり一睡も出来なかったそうだ。小さな物音で目が覚める母が、大部屋で眠れるわけがない。慌ただしく看護師さんに事情を説明して、なんとか処置をして貰うことをお願いして病院を後に。ホントはずっと着いていたいのだが、今日は照明リハ。抜けるわけにはいかない。母もこんな私を気遣って早く行けという。「こんな所にいたら病気になってしまう」とは、今日の母の言葉だが、くしくも、入院中の友人もご主人に向かってそういったとか。するとご主人が「お前は、れっきとした病人だろうが!?」といったそうな。いやそうなんだが、彼女達の言い分はよく分かる。ホント、環境は病人にとって一番大事。院側にも事情があるだろうが、せめて快適な入院生活をさせて欲しいモノ。母の悲しそうな顔が頭から離れず、その後の練習から帰宅して病院へ電話してみた。すると、安定剤を投与されて、今グッスリおやすみです、といわれる。しかし、、、家なら何も飲まないでもグッスリ眠れるのに、、、明日は早めに行ってみよう。どうなっていることか。

 今夜のリハは、全くの歯抜け状態。急なスケジュール変更もその原因の一つだが、それにしても、、、、。あれでは一体どんな話しなのかすら分からなくなる。、、、もうへとへと、、。
短歌の催促を頂くが、ごめんなさいだ。こんだけ日記が書けるんでしょう!?短歌の一つや二つ、、といわれるが、人間喋れるが歌えないのと同様、かけるからって短歌が詠めるとは限らない。、、、と思う。
駄目だ、睡眠不足がたたって眠いこと眠いこと。

 

 

2005年2月26日 (土)

せっせ、せっせ、、

 今日も今日とて病院へ。初めてお風呂の許可が下りた母の世話のために病院へ。忘れずにマスクをして行って大正解。母の個室が4人部屋に移されたのだが、その理由が、インフルエンザの患者を隔離したいが為、というのだ。最初から外来患者にマスク姿が多くて、気になっていたが、インフルエンザという固有名詞を聞いたのは初めて。ぎょっへ〜!今伝染る訳にはいかない。、、だが、代わった部屋はお隣の方が妙に「ごほんごほん」と、っとっとっとだいじょうび〜?だからって訳ではないが、今日は2度目に下着を運んだときにT先生を車で待たしていたので、ものの5分も居なかった。むごい娘だと思いながら時間がないのも事実。ま、又明日だ。
で、今日は二人だけの場面を集中して特訓。二人ともソロがあるので、大変だ。私の頭の中には、彼らが歌いながら舞台一杯に動き回っているのだが、彼らは、そうは動いてくれない。何故なら歌が大変だから、、、。歌いながらの演技、これが如何に大変か。ある人がコーラスの発表会で、ポーズを付けに行ったが、3っつしかつけられなかったし、その3つも100点ではなかったとぼやいていたが、そんなもんだ。日頃歌しかやってないと、動きながら歌うのは難しい。しかし、ホントはその方が楽しいんだが、、。

 

 

2005年2月25日 (金)

肩の荷が一つ下りた!

 いやいや、二つかも知れない。母の病状の説明を受けたが、ガンではなかった、今のところ。8割方ではあるが、余り遠くない時期に退院出来そうだ。それを聞いたときは、正直先生の手を握りお礼を言いたかった。しかし、入院直後は相当ひどい感染症で、命取りになる直前だったそうな。何はともあれ、命拾いしたらしい。息子の結婚式の前に、父の墓前にお参りして、私は息子のことより、この母を早くに連れて行かないでと拝んだ。ひょっとしてあれが効いたのかも、、、、と、母と私は久しぶりに心から笑い合った。良かった、ホントに良かった、、、、が、手放しで喜べない。友人の方は今日訪ねた様子ではまるで大病人とは思えない様子だ。本人も全く自覚症状がないから、半信半疑。夢であってくれれば良いのだが、、、
もう一つの良いことは、3月のオペラで穴の空きそうな部分を代わって会長がひきうけてくださることに。これで二つ目の肩の荷が、、、。

 なんだか一気に睡魔が襲ってくる。多分気が抜けたんだろう。気を付けなくては、、、。

 

 

2005年2月24日 (木)

今日も今日とて、、、

 今日は久々に牡丹雪。「ゆ〜きの降る街を〜、、、、、、思い出だ〜けが通り過ぎていくう〜遠い空から降りてきた、あの思い出を、、、、」の歌のように今日は古い友人とも話したし、珍しい人が訪ねても来た。一気にこんなに色んな人と話すのも滅多にないこと。矢張り雪と共に訪れた人達だ。この牡丹雪のように、余韻だけを残して私の周りから去っていったが、、、。
 まずは先日息子のお祝いを送ってくれた高知の友人から届いたかい?という電話。お礼の電話が繋がらず、バタバタしていてそのままになっていたのだった。アッチャ〜。あちらからかかった電話だというのに、久しぶりのおしゃべりにエンエン1時間。その間10回くらい、他からのキャッチ電話。内半分はセールスだ。全く〜。
そして、その後小学校時代の友人で海外にいる人と電話で5年ぶりくらいに話した。今年中には日本に帰るという。再会を約して今度は先日これまた海外旅行から帰ったばかりの人を迎える。彼女は珍しいモノをお土産にくれたり、所謂お土産話をおのろけとともに持参。お昼を一緒に食べて盛り上がった。そして今度ははるばる徳島から今度の公演を見に来てくれるという人と喫茶店だ。その男性は第九の仲間で、もう15年も前に一緒に歌った人だが、ちぇちを気に入ってくれて、毎年来てくれる。この人、良い声してるんだよなあ。でもなあ、徳島は遠いよなあ。イマイチ言い出せないで居る気の弱い私。ホントは仲間に入って欲しいんだけどなあ。そしてその人と一緒に来ていた人は、ナント、あのソプラノのO様とご近所だとか!ナント世間は狭いんでしょう!いつもいつも彼女の出るオペラのチケットは「買わされる」んだそうだ!ハハハ。でも、まんざらでもないらしい。
 和やかに話しをしていると、この大雪で今日の練習はお休みにした方が良いのでは?と連絡が入る。外を見ると雨交じりの牡丹雪で、積もりそうにはない。同席した二人に聞いてみるが、大丈夫だろうと言う返事。ホールのキャンセルが出来るかどうか聞いてみても、案の定それは無理。結論を「来られる人だけでやる」ということにして、お二人に別れを告げて降りしきる雪の中を外へ飛び出す。夫のために食材を買いに出かけ、一時帰宅。大急ぎで夕食の準備をして病院へと飛び出す。母は、人が居ると食事が進み、一人だと余り食べないのだ。なんとか、食事にはつき合いたい。慌ただしく着いてみると、静かに本を読んでいたらしい母が待ってましたとばかりに起きあがる。お互いに今日の出来事を立て続けに喋り、やがて食事だ。こっそり、母の好物の「おこわ」を持参。少しだけ食べさせると大喜び。まあ、食欲が出てるから、大丈夫ではないか、と、、、、、。
しかし、この忙しい私がホントに来るかどうか、イマイチ安心していなかったみたいだ。テレビのカードの残り時間が分からず、本日の「渡る世間は鬼ばかり」を見たいからと、テレビを観るのを控えていたと言うのだ。そんなこと、看護婦さんに頼めばいいのにと思うが、兎に角人を使うのを嫌がる。まあ、これが昔人間なんだろう。、、、しかし、だから必ず来ないとイケナイのだ。
病院の後は練習だ。
従って、今日再入院したはずの友人の方にまでは顔を出せなかった。どんな気持ちで入ったんだろう。せめてメールでもしてみよう。

 練習は、やればやるほど欲が出る。そして、やっぱり、やればやっただけのことはある。さあ、あと1ヶ月だ。
今日のホフマンは良い声だったなあ。立派なテノールじゃん!?ヒュウヒュウッ!
目立たないところで、コシュニーユも良い声出してたなあ。風邪が治ったらしいが、さすが若者。
ニクラウスは会長も褒めていたが、歌のツボにはまったらしい。このままキープしてくれると良いなあ。オランピア、もうちょい。頑張って悔いのない舞台にして欲しいモノ。今日はピアノに勢いがあったが、練習が混んで来て大変だろうなあ。誰かマッサージしてあげてくんないかなあ?マジで。
そういえば、Tせんせ、本日のお声はようござんしたなあ。やる気だしてくれてんだ!じゃまあ、それでいきますか!?

 

 

2005年2月23日 (水)

今日は何日?

 全く日にちの観念がない。ぼお〜っと、やるべき事のみ片付けていて、今日が何日かをすっかり忘れていた。23日だって!?もうすぐ照明リハじゃん?およよよ〜っ。大変だあ!短歌の締めきりもあった!う・う・う・今月ばかりは駄目だ。どうにもこうにも時間が取れない。自分が担架で運ばれないためには、無理は禁物。ごめんなさい出来るところはごめんなさいだ。S君がしきりに「今月どうする?僕はやめるよ、、、」なんて囁いてたけど、その時は出す気満々だったんだ。デモ、事情が変わった。生活を詠む前に、生活の立て直しが必要だ。やれやれ、、、、やれやれ。
今、立て続けに3回くしゃみした。大丈夫かなあ?母の病室でも一応マスクをしていたが、矢張り不便で、はずしてしまう。明日はずっとしておこう。これ以上母に病原菌を与えてはならない。

 友人が再入院のためご主人に付き添われて髪のカットに来た。しかし、外からは全然異常があるとは思えない。朗らかに笑うし、相手の気持ちを推し量ることは今まで以上に出来ているようだ。感覚も鋭い。、、、全く信じられない。彼女は手術のあとは免疫力を高める治療に移行するかも知れないと言う。母の場合もそうしたいモノ。、、、ああ、情報が欲しい。

 母が珍しく自分の姉妹に入院していることを伝えてくれと言う。余程病院が退屈なんだ。そりゃそうだろう。娘が帰ってからは私も早く行きたいが、こんな時に限って仕事が忙しい。結局は1時間少々病室にいて帰ってきた。というか、オペラの練習会場だ。

 今日はある部分を抜き出しての練習だったが、なかなか良くなった。多分受けるシーンになることだろう。歌が頭に入っているから、みんなの顔が明るくてゆとりがある。こうでなくっちゃ!

 

 

2005年2月22日 (火)

お疲れ〜

 本日は衣装合わせ。みんながより美しく見えるようにと知恵を絞ること2時間以上。大勢だと矢張り疲れる。殆どが手作り状態のこの衣装達。みんな頑張って良いモノを作ってくれている。これが照明で尚美しく変身させてくれるというわけだ。オペラがビジュアル面でもしっかりしたものを要求すると言うことは、経験から分かっているが、私達はお金をかけずにやりたい団体。今日の様子では一応8部通り完成。首尾は上々と言うところか。

 娘がとうとう帰っていった。駅まで送る途中、ともすれば沈黙だ。別れ際に娘の方から握手を求めてくる。しっかり握り合って、暗黙の「ガンバロウ」だ。偶然にも友人の手術の日と我が母の胃カメラ検査が同じ日になった。母の心配はこんなに永く入院してると、色んな人に知られてしまうということだった。今のところ親戚も誰も知らない。だれも 来ないという寂しさがあるのに、知られたくないと言う。退屈をもてあまして、テレビだ週刊誌だと要求するが、何より良いのはおしゃべりのようだ。明日からは、娘に代わって親子で語り合わなくてはならない。、、、しかし時間が、、、。

 

 

2005年2月21日 (月)

いやはや、、、

 打ち合わせで遅くなった私を迎えに来た娘が、病院でのあれこれを話してくれる。明日には一時横浜に帰る娘だが、今日はかなり母と語り合ったらしい。母が言うには、何でも頼めて気が置けないのは、吾が娘だけだそうな。私は余りの忙しさで声をかけるのもはばかられるとか、、、、。お嫁さんには矢張り遠慮がある。細かいところまで気を配って貰えて、好きなことが言える相手として吾が娘はは、最も適切な人物らしい。小さい頃からしっかり面倒を見てきただけのことはある。すっかり「おばあちゃん子」に育っている。

 今日初めて大腸の内視鏡検査の画面をこの目で見た。少々勇気が要ることだったが、余りに過酷なことをするようなら止めて貰いたいし、実際どんな検査なのかをこの目で見ておきたかったというのもある。矢張り何カ所か素人が見ても分かる出血がある。ポリープのようなものも見える。ピンセットでつまんで細胞診のため腸壁を削ること3回。これが病理に廻されるのだろう。良性か悪性か、、、、又まな板の上の鯉状態だ!
まあしかし、落ち着いて居たいものだ。母はもしもの時も、絶対告知はして欲しくないそうだから、それを守って上げるしかない。、、、どんなことになるのか、、、。

 ところで、今日はアントーニアとホフアマンに特訓の時間を持ったが、矢張りこういう練習は必要だなあ。気持ちを集中して歌いながら演技しないとおかしな事になる。なかなか良くなってきた。Nさんは遠目には(!)ホントに若いし、とても困難な曲を与えられてるにもかかわらず、おそらくは一番練習しているせいか、歌がだんだん自分のものになってきている。不思議なことにそうなると笑顔一つにゆとりも生まれる。舞台に向いている華やかな笑顔が見えてきた。どうぞこのままのペースで本番を迎えて欲しいものだ。

、、、てことで、あたしゃ本日も目一杯。明日も生きてなくてはならないのだ、、、。

 

 

2005年2月20日 (日)

アクシデント!

 事故、としか言いようがない、準主役の降板劇。全員に発表したとき、衝撃が大きな波動となって広がり、やがて沈黙の波に変化してこの私に押し寄せてきた。かろうじて踏みとどまったが、愚痴を言いたくなったのは事実。あと1ヶ月というこの時期に、このポジションの人物が出られないと言うのは、全く考えられない事件だ。これをジェネレーションギャップと言うのだろうが、およそ舞台に立つ人間として、理解不能な彼の結論だ。勿論彼の気持ちも彼の立場も何もかも理解した上でのことだが、舞台に立つ人間は親の死に目にも会えないというのが常識と心得ていただけに、正直驚いたというのが本当だ。、、、しかし、このことに如何に対応するか、それを考える方が先決だ。起きたことは起きたこととして、次のステップへと気持ちを切り替えるしかない。ここまで来たからには、みんなで成功へと団結していくしかないのだ。今日の通し稽古で、なんとか光が見えてきた。特にコーラスの人達の笑顔が良い。全く救われる。

 今日の母は昨日よりも見てくれは良くなっていて、色んな検査の覚悟も出来たようである。しかし、お医者さんが「あと二日入院が遅れていたらどうなっていたか、、、良かったですねえ」と告げたらしく、それはそれで気になっているのだ。友人と言い、全く医者は不用意に色んな事を口にしないで頂きたい。患者の心のケアも考えて欲しいものだ。

 

 

2005年2月19日 (土)

久々の充実した練習。

 何だか久しぶりにまともな練習をしたという感じだ。殆どの出演者がが集まって、みんなが心を一つにしての練習はホントに気分が良い。いつもこうあるべき何だが、、、。
 しかし、ホントにおオペラは難しい。歌をまともに歌うことすら大変なのに、これに動きが付いてくる。しかも、舞台に出たが最後、一時の「素」状態も赦されない。ず〜っと緊張を続けるということの大変さが、みんな今ひとつ分かっていない感じだ。、、、でも、かなり全体が良くなってきた。みんなの笑顔がまず全然違う。明日はいよいよ通し稽古だ。

 サンポートも随分通ったなあ。管理人のおっちゃんとも仲良くなっちゃったし、差し入れにのど飴を準備してくれるとか、、。ホントに面白い人。管理事務所のガチガチさえなかったら、もっと使っても良いのだが、何しろ使いにくい上に高い駐車料金にうんざり。公演が終わったら検討し直しだ。
サンポートの広場はあんなに広く空いているのに、何故ホール関係の人の駐車場を作らないのか、全く疑問。勿論見てくれも大切だろうが、建物は展示物ではない。使用する人が居てこそその真価を発揮するのだ。何か間違ってるような気がする。、、、こんな苦情って、何処へ持ってけば良いのかなあ?

 

 

 

2005年2月18日 (金)

一時帰宅。

 手術が延期されたために一時帰宅が赦された友人は、病院の外で見ると、まるで病人とは思えない。迎えに行き、お昼が未だだった私につき合って珈琲を飲む彼女を見ていると、このところの騒動が、まるで嘘のようである。、、、勿論私が奢るつもりだったのに、強引に奢ってくれた。その代わり、今度娑婆に出てきたら盛大なパーティをしてくれと言う。そんなことは言われなくてもやるつもり。どんな無理な注文でもやって上げる、と心で思いながら礼を言う。外は雨がパラ付き始め、押さえた私達の心のように車の窓をぬらす。やがて彼女は自宅に近付くと感無量の声を出す。「やっぱり家が良いわあ。」と。見送ってくれる彼女の作り笑顔に手を振って、アクセルを踏む。雨はますます強くなる。、、、今度は娘を迎えに母の病院だ。入院が3週間にもなると書かれた書類を示して愚痴を言う母。まあ、3週間で済めば良いのだがと言いたいのをぐっと飲み込み、一応の目安だからねと慰める。さあ、一体いつまでになるのか、、、。急ぎ帰宅して夕食の準備。夕方からはFMだ。T先生とM先生のお二人を相手に2本分を収録。いつもながらこのお二人の「オペラ通」振りには驚く。M先生は今年もドイツにお出かけのようだ。勿論オペラが主目的。良い人生だなあ。T先生は相変わらずグスングスンと風邪気味の風。私も3月まで持つかどうか、、、。むしろ今頃ひいて置きたいくらいだ。
明日からもの凄いスケジュールが待っている。さて、、、。何しろ今夜も夕食は11時だ。

 

 

2005年2月17日 (木)

本当の苦しみ。

 間もなく大きな苦しみが襲って来る予感がしている。友人の事も母のことも公演の事も、一番大きな山場は未だ来ていない。、、、が、すぐそこまで来ているという予感に身震いすることがある。こうなったら、足下を見て、着実に一歩一歩前進するのみだ。

 人間、固形物を食べると言うことがこんなにも元気の元になるのだということが、病院の夕食を初めて食べた母を見ていて思った事。白身の魚の蒸したものと、野菜のみじん切りの煮たもの、三部のおもゆと、ゼリーがデザート。これらを「おいしいおいしい」と連発しながら7部通り食べた母。途端に血色が良くなり元気そうになった。48時間の絶食絶飲の末だった。次々と検査の予定が示されるが、母の顔色を見る限り、大病とは思えない。どうか、このまま、何事もなく退院出来ますようにと、、、、又祈っている。が、神にではなく,亡き父にだ。まだ母を連れてかないで、、、と。

 友人の方は、遠く離れてもどかしい思いをしているらしい妹さんから電話があり、色々相談を受ける。彼女も実際相談する人が居ないのだ。お母さんはホームに入っておられるし、本人の子供は二人とも息子さんだから、今ひとつ相談相手にはなりにくいのだろう。いや、実際、この私自身が彼女のために一体何が出来るかと苦悩している位だ。明日は一時帰宅するらしい彼女を迎えに行こうと思う。ということは、吾が母の病院の方は娘だなあ。こんな時ホントに助かる。娘も私の友人に自分の母親のような感覚を持っているらしく、頑張ってくれそうだ。この大変な時期を、使える駒は全部使って乗り切ろうと思う。どんな苦しみも、どんと来いだ!

 

 

2005年2月16日 (水)

なんともはや、、、。

 身近に二人の入院患者が出るなんて事、、、あるんだ。、、、友人と母。どちらもかけがえのない人達。二人ともお互いを思いやって心配している。友人の病院にはすぐにも駆けつけるつもりが、母の騒動で結局は入院三日目になってしまった。それも、バタバタして面会時間ぎりぎり最後になった。娘ともう一人の友人と三人で面会したが、手術まであと1週間あるということで、なんとなく無罪放免ではないのに、逼迫感がない。みんなで笑い合うことも度々。出来るだけ深刻にならないようにというみんなの気持ちがそれと言わずに一致していた。、、、しかし、この病棟はお見舞いの花は全て拒否されると言うことを知り驚いた。呼吸器系の病気の人が多いので、そうなっているそうだが知らずに持ってくる人も多いだろうなあ。幸い私はそうはしなかったが、、、、。何だか殺風景な病室だなあ。
母も、白血球が異常に増えているそうで、考えられるのは、癌、インフルエンザ、大腸炎、などなど、、、。明日には結果が出るらしいが、本人は勿論、家族もドキドキものである。「疲れが原因だろう」と言い合っては慰めている。、、、が。
余りの疲労感で、自分自身も危ない。今日は早寝をしよう。しかしなあ、、、。

 

 

2005年2月15日 (火)

参った!

 流石の私も、こう御難続きというか、ハプニング続きでは身が持たない。
今日は、母親が40度近くの熱で大騒動。病院を往復する間に、様々なことを処理しなくてはならず、もし、娘が居なかったらどうなったかと思うと怖ろしい。
10時過ぎにフェリーに乗っていると、娘から電話があり、どうしてもおばあちゃんを病院に連れて行くと言う。熱が下がら無いのが気持ちが悪いというものだったが、まあ確かに高齢だし、油断は禁物。早速手配して先に病院で待っていると、弟夫婦共々母がやってきた。思ったよりは元気そうだったのは、熱が下がっていた為。深夜にも関わらず、丁寧な診察をしてくれる。まあ不安が解消したわけではないが、悪いものではないようでひとまず胸を撫で下ろす。様子をみてから再度病院だが、入院覚悟で行った割には良い結果だった。
まあ、疲れが出たと言うところだろうが、実はかく言う自分自身も昨夜嘔吐した。すわインフルエンザかとドキッとしたが、今のところ大丈夫のよう。3月まで戦々恐々だ。、、、みんな大丈夫かしら?

 

 

2005年2月11日 (金)

今日は早寝、のつもり。

 8時には寝るぞお、と言ったら誰も取り合わなかったが、まさしく食事が終わったら既に8時。ようやく明日の挙式の準備を始めると、どっひゃ〜っ!新郎殿の足袋がない!注文してあったものを持ってきてくれるという電話に「今出かけてるところだから、又後日お願いします」と返事したのが数日前。それからすっかり忘れていた。しかも、自分の足袋さえも、2足出してあったはずが行方不明。どうしても何処に置いたか思い出せない。大慌てで友人のH/M姉妹におすがりすると、昨年息子さんの挙式を終えたばかりの為、ありました!と有り難いお返事。飲酒運転を覚悟で取りに行こうとしたら、持ってきて下さるという。ああ、ホントに有り難い。ていうか、明日がマジ、心配だ。無事終わりますように。

 

 

2005年2月10日 (木)

この忙しさの中で、、、。

 兼ねてから声のかかっていた、水害により使用出来なくなった工場跡を、有効利用出来ないか検討するという会議に参加した。持ち主が音楽家ということで、出来るだけ芸術的なことに使って欲しいというもの。確かに、練習場や演奏会場に困っている人はたくさん居る。我々オペラ団体もそ含めてみんなそうなんだが、こういういわば荒れ地のような環境を整備してでも使いたいというほど、情熱がもてる人が果たして何人いるか、、、。きちんと整ったところばかりで練習してきている我々にとっては、かなりのよいしょが要る。結局はお金を払ってでも、条件の良いところでやりたいとなるのだろうか。海外で、色んな悪条件でも演奏活動を経験してきているMさんなどは、あり得ないほど良い条件と思っているらしいが、、。いや、確かにそういう面もないではない。しかし、、、。
水害の凄さを今頃になって思い知らされた感のあるこの建物。翌日にすぐ床全面に貼っていた絨毯を剥がし、大騒動して清掃したらしいがまだ悪臭が相当残っている。鉄筋のビルというのが原因だろうが一部をまだ事務所として使用していて、ここで働く人々はホントに大変だなあと思った。今更ながらたまたま今回被害に遭わなかったことに感謝だ。
何事をするにもエネルギーが要る。、、、さて。

 

 

2005年2月 9日 (水)

遂にダウン。

 といってもサッカーの中継が見られず、マッサージ機にかかったままで熟睡しちゃったというだけのこと。夢うつつでアナウンサーの雄叫びを聞いた様な気がするが、約1時間半起きようと思っても起きられず、抗えない力に押さえ込まれていた。本当はFMだったのだが、夕方まで友人と亭主殿の白髪染めをしたら疲労困憊。結局明日に延ばして貰ったのだが、家に居たら居たで仕事があるし休めない。でも余りに疲労感が強いので、食後マッサージ機にかかったのだ。眠りから覚め、まるでゴジラが眠りから覚めたときのようにのろのろと起きあがり、ドリンク剤を飲んで再び虎のように動き始める。流石に亭主殿が異様な様子にビタミン剤を持ってくる。「そんな事してくれる気があるんなら、ちょっと手伝ってよ!」と言いたいのをぐっと飲み込む。挙式を明々後日に控え、妙なストレスを背負い込みたくない。何事もなく無事終わりたいもの。
、、、しかし、この夕べの眠りの間にも友人Yさんが夢の中に登場し、他の友人共々笑い興じる。何をしていても、彼女の事が心に引っかかっている。電話で、入院の日が決まったと知らせてきたとき、電話の最後が涙声になっていた。、、、只今午前1時。彼女はもう眠っただろうか?いつものような安らかな睡眠をと願わずには居られない。母でさえ、何かしら孫の結婚式だのに、気が重いと言い出した。全く!全てが良い方向へと流れますように!て、又祈ってる。、、、悲しい。

 

 

2005年2月 8日 (火)

気が重い、、、。

 今日も友人の健康がやたら気にかかり、勤務先に電話してみる。いつもの変わらぬ、いや、いつも以上に元気な声で出てくる。「大丈夫?」と我ながら陳腐な質問をしても「ん、今のところ」と短く答える。そうなんだ。この人は、兎に角短い言葉でビシバシと物事を伝える人で、初対面の人はたじろぐこともあるが、別な友人で76才のOさんなんかはいたくお気に入り。物事がチャンと分かって、抜かりが無く、言う事に道理がある、、、などなど。要するにしっかり者のイメージが彼女なのだ。しかし、私は彼女の強がりなところを知っている。意外と涙もろく、気が小さい。父親を亡くしたときも、この私のような頼りない人間をしっかり当てにしていて、たまたま私が葬儀に参加出来ないことになると、極端におろおろしたという話しは友人間では有名だ。まあ、腐れ縁かどうか、先日のご子息の結婚披露宴にも、席がないと言われているにもかかわらず、母親の友人代表として親戚の席に、彼女の隣に座らせてくれた。並ぶと姉妹と間違われる私は、誰からも他人だと疑われなかったという次第。三日ほど前に彼女がその時の写真を届けてくれた。私達がなにやら顔を寄せ合ってひそひそ話をしているところがバッチリ撮られていた。、、今、この写真を見るのが辛い。
別に治らないと決まったわけではないのだが、仮に良性でも、この腫瘍は心臓のすぐ側に出来ていて、相当危険を伴う手術になるという。何事もなく無事手術が終わっても、術後1ヶ月はかなり傷跡が痛むそうだ。次々と、聞くだに怖ろしい話しが彼女の口から告げられるのだ。平静ではいられない。しかし、何も出来ない。

 今日は、彼女の事を心配する友人二人から偶然にも同じ言葉を聞いた。「あんたにもしものことがあったら、私どうしようと思うよ」、、、有り難いことだが、もしものことはホントにいつ起こるか分からない。私自身、彼女の今後によっては公演が無事終えられるかどうか、、、、心許ない。

 夕べ、眠れないことを良いことに、色んなものを整理していたら、高校卒業の時の寄せ書きが出てきた。思わず彼女の箇所を一番に探す。そこには未来を信じている18才の女の子の純粋な気持ちが書かれていた。
「もう駄目だ」ということはない。必ず良いことになると信念すること。そして工夫していくこと。道は必ず開かれる。現にあなたは生きているではないか。
、、、これが彼女の言葉。折りをみて彼女にこれを渡そうと思う。その時の気持ちに帰って、希望を持ち続けて欲しいから。

 

 

2005年2月 7日 (月)

本日は新年会。

 まだ新年会だ。本業関係のこうした会には久しぶりの参加。本業を1番に暮らしていない私にとっては敷居が高い会なのだが、今日は思い切って参加してみた。なんてったって本番前だ。宣伝宣伝。あの人だあれ?」という声が囁かれたが、そりゃあ無理もない。しかし、チャンと情報を持ってくれている人も居て説明をしてくれる。お陰で、皆さんにチラシをお配りし、宣伝をするチャンスも出来た。、、、ところが、思いがけない事が起きた。面白そうだから私も参加したい、と言う人が出て、早速見学に行くと言うのだ。願ってもないこと。連絡先をお聞きしておいたが、ホントに仲間になってくれると良いのだが、、、。

 8時半に終了したのでタクシーで次なる目的地サンポートへと出かける。はたと気付くと携帯電話がない。あらら?よく考えるとどうも、家に来て貰ったタクシーの中のような気が、、、。練習会場で早速自分の携帯に電話して貰うと、案の定タクシー会社が出る。いやあ、良かった。ポスティングしてくれるとのこと。ありがたやありがたや。て、その前に、気が付くのが遅すぎ〜。は〜。

 

 

2005年2月 6日 (日)

風邪が来そう、、、。

 身体の芯の方からぞくぞくする。くしゃみ3回で、温泉だ。久しぶりのぽかぽかでたっぷり暖まりさあ、寝るぞお。今日中に。
ぽかぽかで、ひなた湯にゆったりと浸かっていると若い女の子(女湯だから当然だ)がぺちゃくちゃと恋愛談義。内一人は只今片思いが両思いに変化しそうな予感があるそうな。側に誰が居ようがお構いなしに、自分の恋心を熱心に相手に喋り続ける。同じ年頃の子はなかなか聞き上手。次々と相手の言いたいことを引き出してやる。まあしかし、テレビドラマを地で行くようなお話だ。もしや仮想空間に住んでいるのでは?と思わせるほど。あるいは、聴き手が居るから(私達湯殿のおばさん達も含む)一種の役者になっているのか。まあ、退屈な低温の温泉に浸かるには良い暇つぶしになった。
 ところで、階段から落ちた何処ぞのお方じゃないが、全く舞台の変わりは居ないから、何が何でも元気で居なくてはならない。只今葛根湯を飲み、ビールはぐっと我慢。暖かくして寝ようと思う。なんて良い心がけ!、、、て、明日は新年会だ。

 

 

2005年2月 5日 (土)

風邪をひく暇もない。

 お元気ですねえ、と色んな人から言われる。それは年だのに、という意味だろうが、いやまったく、我ながら元気だ。息子の結婚式が終われば、怒濤の如く本番までの作業が押し寄せてくる。本当にそれまで身体が持つのだろうか?
しかし、我々の年の女達はみんな疲れてはいる。今日もKさんがやってきて、椅子に座るやいなや居眠りだ。月曜日に入院するかも知れないYさんが、「お先にね!」と声をかけているにもかかわらず、ぐーすかピー。オーバーワークなんだ。年甲斐もない動き方をしている。分かっちゃ居るけど仕方ないのだ。ま、彼女は仕事に全勢力を使い果たしているが、私は趣味だ。でも、趣味の域は超えていると思うのだが、、、どうだろうか。

 今夜の練習は時間割通りやってみた。しかし兎に角フラストレーションが溜まる。おいおい、これで良いの?と危機感がつのる一方である。今日やったところは、今日の内におさらいして、完全に自分のものにしておいて欲しい。でないと、それ以上進めない。だんだん良くなってきている人と、足踏みしている人の差が、段々開いてくる。なんとか足並みを揃えたいものだ。
んんん、、、、ん。

 

 

2005年2月 4日 (金)

本日は火事。

 電話中に外を見ると、いきなりもくもくもくと煙が上がる。何か燃やしているのかと思ったが、その内火の手が上がり、めらめらと燃え始めた。数台の消防車が来て救急車もパトカーも駆けつける様を見ていて、昨年の爆発騒ぎを思い出した。昨年は我が家の裏が爆発して、今年は我が家の表が火事。一体全体どうなってんの?なんだか今年も騒々しいなあ。テレビ局のアナウンサーが電話してくれて、大丈夫ですかあ?と見舞ってくれる。流石に情報が早いなあ。

 今夜は風邪で行けない母の変わりに前進座のお芝居を友人と�ゥに行く。久しぶりに歌舞伎の世界に浸った、、、とかっこよく書きたいところだが、実際は眠気に襲われて大事なところを見逃す始末。矢張り疲れている。
しかし歌舞伎って独特だなあ。見得を切ったり、それに合わせて拍子木や太鼓の音がばしっばしっと決まっていくのは、何故そうしなくてはいけないかがさっぱり分からないが、かっこよくて気持ちいい。日本人には肌に合っているのだろう。
男性ばかりで、老若男女が演じられるのを見ていると、配役でいつも苦労する私達も、性別にこだわらなければ楽に出来るような気がした。、、、違った苦労が必要だろうが。

 

 

2005年2月 3日 (木)

ソフトクリーム二つ。

 丸かじりの巻きずしのせいか、練習に行く前にやたらめったら喉が渇いて、まずミニストップでソフトクリームを買う。久しぶりだったので値段が余りに安くてビックリ。189円。少し治まったが、まだ物足りない。で、あずまやにも立ち寄り又1個。こちらは倍近くのお値段。でもやっぱり期待を裏切らないおいしさだった。これでようやく治まり、なんとか渇きをしのげた。「求めよさらば与えられん」だ。実は体調が悪いせいだったりして、、、このところの不規則な食事と、いい加減な栄養バランスをこのソフトクリームで補ったつもり。しかし、若いおぴよどんに笑われてしまったなあ。やっぱ、少し変なのか?

 ガンかも知れない友人は、会社に居残り、早くも退職の準備をしていたそうな。どうりでおうちは真っ暗だったわけだ。明日は松山まで検査に出かけるそうな。大丈夫と思いたい。そして、もしガンだったとしても、それに負けないで頑張って欲しい。昨日はインターネットで色々検索して体験談など読んだが、最初はみんな不安で落ち込むんだそうだ。でも、色んな出会いと人間関係で良くなっていく。希望はあるんだ!

 

 

2005年2月 2日 (水)

友人が癌かもしれない!

 親友のYさんが背中が痛いと思っていて、今度は息を吸うと胸が痛くなり病院に行くと、5�pもの腫瘍が見つかったという。悪性か良性かハッキリしないらしいのに、本人はもうすっかり癌モードに入っている。落ち込むなんて生やさしいものではない。自分の死後の家族のことまで考えている。「そんなこと考えること無いわよ!自分のことだけ考えなさい!」と言ったものの、矢張り主婦としてそうも行かないのだろう。、、、こんな時、一体彼女の為に何が出来るんだろう。頭が混乱している。ともかく今は、良性の腫瘍である事を祈るしかない。
 思えば彼女との付き合いは長い。高校3年生以来だから、40年にもなるのだ。お互い家族以上に家族のような付き合いをしてきて、居るのが当たり前の存在だった。勿論死が我々を分かつ事は、全ての人間関係の宿命なのだが、いつも近くにいて、声をかければすぐに応援に駆けつけてくれる気の良い友人だ。どれだけ、私が関わってきた諸々のことに力を貸してくれたことか!3月の公演も、しっかりお願いしてあったのだから!
こんな時は、信仰を持たない人間は惨めだ。祈ることさえ、その効果を考えると心細いから。しかし、こんな私でさえ、祈るしかないのだ。、、、、。

 

 

2005年2月 1日 (火)

ああ、2月だあ!

  ♪とけ〜いよとまれ〜〜♪と口ずさみながら本日もお仕事お仕事。本業をこなしている間に、三姉妹が衣装の布を買い出しに出かけたり、練習会場を押さえたりと奔走してくれた。こういうことがスムーズに行くかどうかで全体の進行が変わってくるのだ。有り難いことだ。感謝して、私は私のやるべき事をやらなくては、だ。

 今日は娘のお姑さんから「干しいも」を送ってくれて、これがまたおいしいのだ。地方にはそれぞれおいしい食べ物があるもんだ。こういう自然の恵みをそのまま閉じこめたようなものは良いなあ。しかし、今日母の様子を電話で聞いた折り、母が言うには、今朝の新聞の占い欄に私のことを「食べ過ぎに注意」と書いてあったというのだ!なんで今日なのよ〜と思いながらも仕方なく一個で我慢。血圧も上がってるそうだから、まあ、気を付けよう。

 さて、今回の私の役所は「亡霊」だが、亡霊のように歩くなんて事は出来そうにないなあ。そもそも階段を下りるのが不安だなあ。でも、イメージとしては矢張り高いところから降りてくるのが良いだろうし、、、、けっこう難しいなあ。さて、さて、それよか衣装の手直しだ!この巨体を収めるべく、又、友人Yさんの手を煩わさなくてはならない。多分覚悟は出来てる頃だ。明日でもたのもうか!不経済な身体だなあ。

 そういえば今日は思い出したように雪が降ったなあ。つもるかと思ったが、あっという間に消えてしまった。残ったのは「厳寒」だけ。大阪が積もっているらしいのに、こちらの方が暖かいのかなあ?
 しかし、タイタンねえ。12億光年向こうに地球と同じ様な星があるなんて。変な気分。今に地球規模の戦争も起こる日が来るんだろうか?宇宙だとか、考古学だとか、大っ嫌い!自分の存在が無に等しいなんて!考えたくない現実だ。
ふ〜む。


 

 

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