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2005年1月

2005年1月31日 (月)

何という一日!

 そもそもの始まりは、朝8時過ぎに�рナ起こしてくれた友人のSさんの声であった。半分眠った状態からあれこれ話しているうちに、ある書類を、結局は自分が作る羽目になっちゃった!夕べは夜中に食事をして、疲れ切ってマッサージ機の上で寝ちゃったりして、兎に角朦朧としていたのだ。しかし、結果は起こして貰って良かった。10時からのシェイクスピアの講座に10分遅れで到着。しっかりチラシも配布出来たし、無事昼食会でもチケットが売れたりなんかして!バンザイ!気分がイマイチしゃきっとしないので、珈琲を飲みに数名のグループに入れて貰う。ひとしきりオペラの話題だ。(こういう地味な活動が必要だ、知って貰うためには)
少しばかり目が覚めて、Kさんに渡すものがあるからと誘って我が家へ。これがKサンにとっては不幸�フ始まりだった。ついでに二階の棚を下に降ろすのを手伝って貰おうとしたが、ところがどっこい、我が家の階段が折れ曲がっているタイプでどうしても降ろせない。窓をはずしたりして大騒動したが無理。結局は元に戻して、ふ〜っ!考えたらこの棚は、主人が上で組み立てたものだった。そりゃあ、降りるかどうかなんて考えてないわけだ。やれやれ。
で、朝頼まれた書類を大急ぎ作成中に娘からお叱りの電話。「お母さん!おばあちゃんの状態知ってんの?」ときた。「え?なんかあったの?」と、ついうっかり答えたから大変。そんなに近くにいて何にも知らないとは何事かと、大いに叱られた。ろくに返事もしないで急ぎ母に電話。確かにガラガラ声になってはいる。熱はないらしかったが、まあ、取り敢えず大事にならないように無理矢理病院へ連れて行く。、、、しかし、この時間のお陰で予定していた重唱の練習はカット。主人の夕食もメニューが和食から焼き肉に変更。バタバタと準備して練習に出かけるが、今日は3時間しか時間がない。殆ど歌の練習に取られるとは思っていたが、オープニングの衣装合わせも予定している。何とか上手く全部こなしたかったので、急ピッチで演技指導。そうこうしている内に、某新聞社の記者さんが取材にお見えになる。この方に限らず、外部の方が見えると、みんないつもより良い意味で緊張する。これから時々は誰かかれかに来て貰った方が良いかも!会長も途中で逃げ出さず最後まで居てくれたしなあ、フフフ。
で、帰ってから焼き肉だ。別に今日食べなくても良かったのだが、この肉はお年玉付き年賀葉書の当選の肉だったので、おいしい内に食べたかったのだ。とはいえ、本日は一応今日中に食べられたが、チト胃にもたれるなあ。ちょいと食べ過ぎかな?で、お味は?まあまあ。こんなもんでしょ!
 この遅い食事中に息子からの電話。お互い食事しながらの会話とあいなる。いよいよ間近に迫った結婚式。これが終わったらすぐにオペラが控えている。ああ、時間よ早くゆっくり来ておくれ〜!

 

 

2005年1月30日 (日)

夜食。

 ホントは夕食の筈が、夫の為に作った物の余りを只今午前1時に食べている。練習から帰るやいなや、、次々と処理すべき事があって、パソコンの前から離れられない。だんだん首がこ〜りこりになってきた。これをやっつけたらマッサージ機だなあ。

 今夜の練習で、ようやく「ダンスシーンの振付」が終わった。しかし、本当はこれからが大変だ。歌と動きをしっかり覚えないと、顔どころではなくなる。顔が死んでたら面白くないよう。
ソリストのIさんは期待以上の動き方。もお疲れ

 

 

2005年1月29日 (土)

取材。

 今まで色んな取材を受けてきたが、今回のように微に入り細に渡り聞かれたのは初めてかもしれない。う〜んと昔のことまで訊かれてしまった。いつから声楽を始めたか、いつ頃から歌に興味を持ったか、等々、、、。その内話しは盛り上がり、記者のプライベートな事にまで話しが弾んだ。どうやら子煩悩な人らしい。終わってみれば2時間が経過。大変興味と好意を持ってくれたようで嬉しかった。どんな記事なるのか楽しみではある。

 

 

 

2005年1月28日 (金)

今夜は早寝、するぞお!

 勢い付けて仕事を片付け、今日こそは早寝をしようと思う。で、我が家の通常の食事時間、午後8時半に日本酒をご飯のお供に!突然からだがほかほかになる。もう早くも眠りの世界が近寄っているのを感じる。へたな睡眠薬より、私には効き目がある。
  今夜はなんだかお魚気分で、地物の鰺をおっきいの買ってきて、旦那には刺身をあてがい、一人でたっぷり食べた。いやぁ〜おいしかったあ!coopの水菜も柔らかくてベリーナイス。熊本産のトマトは絶品。京都からの豆腐は湯豆腐で一人1丁食べた。あのお方のお土産の地酒にこの和食がぴったり。、、、生きてるって、いいなあ。

 近所の方でうちの顧客のkさんのご主人が亡くなられた。お通夜に出かけるも、案の定数珠を忘れる。知人にお借りしたが、なんとも情けない。
情けない人は我が家にもう一人居た。昨夜遅く返った私に、この葬儀についての連絡があったというのに、完全にお忘れになっていたうちの旦那!ったく、恥ずかしいったら無い。、、、こうしてお互いボロボロ、ミスを犯しながら年をとっていくんだろうなあ。そして、今日の人のように棺桶に入るだけなんだ。世は無常、だ。

 今日はチラシが一気に500枚はけた。この地域の新聞に挟み込んでくれるというのだ。ラッキー!と思っていたら、今度はビッグな新聞社から取材の申し込みだ。うまく載せて貰えると良いのだが。この調子で進んでほしいものである。

 

 

2005年1月27日 (木)

ちかれたび〜、、、。

 練習日の今日、終わりの10時を待ちかねた感がある。疲れているなあ。、、、まあ、悪い疲れではない。そりゃあ、やればやっただけのことがあるもんなあ。しかし、兎に角みんな忘れるなあ。今日良くても、次には半分になって居るんだ。それが当たり前なんだが、伝える側からすると、きついもんがある。ホントは毎日でもやりたいくらいだ。あとはみんなのやる気と絶対時間だ。

 毎日50枚チラシを配ることにしているが、大口を調べて配らなくてはイケナイ。折り込みだ。こうしてなんだかんだと動いていると落ち着くが、何もしてないと本当に不安になる。みんな来てくれるんだろうか?来てくれたとして、出演者は大丈夫なんだろうか?何事もなく終わることが出来るんだろうか?予算は大丈夫なんだろうか?、、、ああああ、ちかれる〜〜〜。て、夕飯が11時ちゅうのもねえ!

 

 

2005年1月26日 (水)

若いと言うこと。

 今日は気持ちの良い若者二人とFM収録。
一人は高校生ながら短歌仲間だ。文才があるし、ピアノも弾ける。小説家が夢だが、生活のためには心理学者も良いかな?と考えてるという現代っ子だ。
もう一人はサックス奏者で、クリスマスコンサートに出演してくれたF君。彼の風貌は、最初の彼女よりも幼いが、ゆったり、しっかりとした演奏を奏でてくれる。常々音楽は人だと思ってきたが、まさしく彼は想像通りの人物だった。
ジョンレノンの「イマージン」を平和を願って演奏しますと言って吹いてくれたが、この気持ちをずっと持ち続けて欲しいものだ。
彼は一人っ子だそうだが、ご両親に愛されて育った男の子の持つ柔らかなムードを醸し出していた。自分の音楽で人の心を温めたいそうだが、もう既にそれは実現されている。これからがホントに楽しみだ。
 二人とも可能性をしっかり秘めた素晴らしい若者達だった。
いや〜っ!若いって、いいなあ!

 

 

2005年1月25日 (火)

映画かあ、、。

 ここんとこ全然映画を観ることがない。時々無性に観たくなるが、絶対時間というものが完全に不足している。
今夜は娘から「パッション」という映画の感想を聞かされて、やおらむくむくと「観たい気持ち」がこみあげる。
ローマはヴァチカンでみた「ピエタ像」が全然現実離れして見えたが、この映画はその疑問を解き明かしてくれたそうな。是非見ずばなるまい。
映画ねえ、、、。一体いつになったら行ける事やら。、、、ふ〜っ。

 

 

2005年1月24日 (月)

、、、、。

 今朝は舞台の打ち合わせ。午後はシャンソン教室。夕方は県の芸術関係の新春の集い。夜はオペラの練習。、、、我ながら、よくぞ身体が持ってると感心。いやいや身体と言うより、精神力の問題だ。その都度、違う相手と違う神経の使い方をしなくてはならない。その都度集中しなくては、何事も成果が上がらないことばかり。もちろんだから、やっただけのことはあるのだが、、。
8割方舞台のことは解決。シャンソンもめざましく上達している人が出てきた。仲間意識もどんどん脹らみ、みんなで仲良くやっているらしい。県のパーティでは、知りうる限りの人に挨拶し、3月のオペラの宣伝をする。様々な情報を得て、持ち返ることも出来た。合うべき人挨拶するべき人に会えたのは実際良かった。オペラの演技指導も、何とか8割方出来たし、1日でこなした量としては、これが限界だろう。
本日のおもろい収穫の一つ、パーティで、私の横になったかなりの高齢の方が、大変面白かった。開口一番「私は年はとっとるが、気持ちはあんたより若い。恋の話しなら負けんぜ!」と来た。おっとっと、こりゃあ危ない人か?と最初は思ったが、どっこいこの方は有名な芸術家だった。すっかり気に入られてしまって、ず〜っとおしゃべりされたので、結局私はお料理が一皿しか食べられなかった。仕方なく注がれるままにビールは戴く。思ったのとは大違いの内容のあるお話しに、私も思わず聞き入ってしまったわけだが、その中の一つ、「アンタは自分がやっているジャンルと全く違う世界の人とたくさんお話ししなさい」というのがあった。いろんな事例を挙げて説得力のある話しを展開してくれたのだが、確かにそうだと思う。歌の上達は必ずしも歌だけ歌っていたり、歌の世界の人とだけ話していても上手くならないだろう。いや、全く同感。
帰宅して、本日届いた短歌の本に、この会のトップの言葉が載っていた。「土屋文明氏から聞いた話し」として、「歌を作るのに、歌を勉強したってしようがない。ただ、外国の小説、まあ北欧の小説ぐらいは読むなら読んだらどうか」と言われたと書いてある。この一言が不思議と今でも記憶の底にへばりついていると言うのだ。
どちらも、ただの高齢者ではない。その道を極めた人の言葉として含蓄がある。
 それにしても、パーティのこの老人は何度も私に握手してくれて、知事と写真を撮るのにも入れてくれたり、、、記憶の底にへばりつくかもしれない、、なあ。

 

 

2005年1月23日 (日)

動かない人も疲れるのよ!

 本日の練習は「振付」だった。みんな余り動けないよと言って置いたにもかかわらず、段々欲が出たのか、振り付け師Sはしっかり振り付けた。なかなか様になるモンだ。突っ立って歌うより数段良い感じだ。いやあ、ダンスは面白いなあ。やっぱり。

 サンポートを出たのが11時。メンバーを三木町まで送りがてらラーメン屋に立ち寄る。これが夕食とはネエ。やせるじゃん!?

 

 

2005年1月22日 (土)

けど満足。

けどとは、寝不足でぼ〜っとしたまま宇多津までレッスンにお出かけしたけどの、けど。予想通りの充実レッスンで、大満足。ピアニストご同行のせいもあるが、重唱というのは、一人で練習してても、余り成果が上がらないものだ。こうして揃って受けられたのはハードルを一つ跳んだ感じがする。アントーニアの声も朝だと言うに、ぬめらぬめらと光っていて美しく、指導者にゆだねた感のある彼女の歌唱は伸びやかで良かった。これが本番に出ると申し分ないのだが、、。
で、ここまで来たら「おか泉」に寄らずばなるまい!「あたし、方向音痴なんですう」とかわいらしくのたもうアントーニアの言うとおり行くと、何が方向音痴だ。チャンとあったではないか。てことは、食べ物屋さんに関しては音痴じゃなかったのかもお。ハハハ。
とうとう間違わずに「ひや天ぶっかけ」を食べることが出来もうした!いやあ、おいしかった!
歌舞伎役者みたいなおあにいさんも、白髪が増えたなあ。でも、頑張って欲しいなあ。
しかし、サヌキは良いなあ。これがあるもんねえ。先日イタリアまでお届けしたおうどんも年賀状で随分と感謝されたしなあ。いやはやいやはや。
夕べは寝る前に、もう午前2時だったが、結婚式に来てくれという�рェあった。7月で、沖縄だ。
今年もなんだか忙しいなあ。
勿論行くけど。彼は世界中の大好きな男性の5本の指に入る人だからねえ。

 

 

2005年1月21日 (金)

久しぶりの会議。

 本日ヴェルディの会として今年最初の会議を持った。いよいよ公演に向けてお尻に火がついてきた。おおむね公演までにやるべき事の洗い出しが終わったが、洗い出したことを形にしなくてはイケナイ。山のようにあるなあ、やることが。
今日の会議は終わったのが11時だから、早いなあという感じだ。明日は宇多津迄早起きして出かけなくてはイケナイから、私ももうおねんねしよう。、、、て、短歌だ!ムムムム。

 

 

2005年1月20日 (木)

スタート!

 ようやくチケットとチラシが完成した。これから本格的にスタートだ。長い時間をかけて頑張ってきた今回のオペラ。プロでも遠慮したいという作品だ。ほんとに難しい。だのに喜歌劇と来ている。笑顔でやらなくちゃあイケナイのだ。いや、勿論私の出番のようにおどろおどろしいばかりで、笑顔なんか縁のない場面もあるが、大体がコメディだ。さあ、いかに私達らしく、面白いものに持っていけるか、これからが勝負だ!

 ああ、その前に息子の結婚式だあ!

 

 

2005年1月19日 (水)

味覚。

 本日の来店客のお一人がこの所おいしいお店探訪にはまっていると言うのだが、彼女のグループは、一度も同じ店にはいかないんだそうだ。そのニーズに応えるだけの店の数があるというだけの事かもしれないが、確かに私自身余りにどんどん外食産業が増えてまだ味見に行けてないところが幾つかあるくらいだ。その人の意見ではないが「何処へ行っても同じで、これといって特別においしいとは思わない。だからもう一度行きたいとは思わない」んだそうだ。納得。
確かに、この近所はもの凄く食べ物屋さんが増えている。それぞれメニューにも工夫が見られるし、そこそこおいしいんだが、、。
外食に慣れっこになってしまった、、、それだけなのかも。贅沢な話しだ。
 今日はハギレ屋さんに閉店間際に滑り込み、今度の舞台衣装の材料を一部購入。矢張り日本のお店は閉店間際でもきちんとした対応をしてくれる。その点イタリアはそんなことは一切無い。時間が来たら手に持ったものでも置けと言われるくらいだ。勤勉は日本の中ではまだ残っているなあ。(不景気なだけか?)

 息子の結婚式が佳境に入ってきた。なんだかだとややこしいことが起きるモンだ。今まで全く関知せずだったが、遠く離れているためそうも行かなくなった。今頃になって介入する羽目になったが、矢張り意見の相違が顕著になってくる。やれやれ。兎に角無事終わって欲しいものだ。は〜っ。

 

 

2005年1月18日 (火)

おいかけ〜て、おいかけ〜て♪

すがりつきたいの〜♪歌の文句じゃないけれど、時間というアナタにすがりつきたいわあ〜〜!

本日は一部の方の衣装合わせ完了。こうして、何事か進めていると落ち着くんだが、自由な時間が来ると、ど〜んと落ち込んでしまう。あれもこれも出来てない、とパニックになりそうになる。実際出来てないことが多すぎる。、、、不安だ。
二月は逃げるしなあ、、、。

 

 

2005年1月17日 (月)

どうも風邪か、、、?

 熱を測ったら36.6度。これって熱無いジャン!?気分の悪さはしっかり風邪なんだけどなあ。それに喉を見るとまっかっかっか!本番まで持つんかいなあ??
 一難去って又一難。今度は折角決まった照明リハの日程がゼロからやり直しとなる。さあ、上手く行くんだろうか?

 

 

2005年1月16日 (日)

酔っぱらっておりまするぞえ〜

 本日は全く目まぐるしい一日だった。朝は、印刷関係でごちゃごちゃ。お昼は息子の結婚のお相手のお母様との打ち合わせ。遅れながらもサンポートの練習場へと駆けつけ、自分も歌い、演技指導も。急いで帰宅して旦那の食事を準備して、今度は長尾までミニ同窓会に出かける。珍しく主人が送ってくれて、やっぱり「あられ」が降ったり、、、。年々集まる人が増え続けている感じの同窓会。懐かしい顔も常連の顔も見える。「みっちゃん、早く宣伝したら!」と声をかけてくれて、早速オペラの宣伝をさせて貰う。今すぐ行けるという人は少ないが、見込みはありそう。ホントお願いします。きてちょーだい!だ。
 何を言っても無礼講のこの会は、いつもお行儀の良い解散で、9時だ。送ってまで戴いて、ありがたやありがたや。中学生時代の同窓会だが、いつもながらホッとする。人間、子供の頃に食べたものを再びおいしいと感じるようになるとか言うし、だんだん精神的には逆戻りするのかもしれないなあ。みんなの目尻には皺が増えているが、、、。

 ああ、疲れすぎている。
明日も練習だが、、、。ふ〜っ。

 

 

2005年1月15日 (土)

技術

 今日はチラシとチケットをA君が孤軍奮闘。遂に明日完成となる見込み。深夜まで我が家であれこれやっていたが、良いモノになりそうである。彼はパソコンの先端技術を駆使して完成させるわけではない。え?あれでこんな事が出来るの?という世界だ。しかし、センスの良い、目に心地よいものをいつも創ってくれる。技術とはその名の通り、わざとすべだが、彼はこつこつと努力によってワザを会得し、すべを心得て自分のものにしている。思うにこの技術というもの、これは磨けばそれなりに高まるものだろう。しかし、センスとか感性は元が無くては光らない。この、努力で手に入らないものは、「賜ったもの」だろう。これを持つ人がこれを開花させないのは、罪かもしれない。全ての芸術的な事に当てはまるだろう、この事実は。
 今夜はあるショーを見に行った。かなりの観客が入り、次から次へとダンスや歌が繰り広げられた。若いということは良いことだ。中に若くない人がよろけたシーンも見てしまったが、、、フ。
まあしかし、歌いながら踊ると言うことは難しいのだ。歌だけでも、又踊りだけでも、相当難しいのに、両方同時にやるというのは、想像以上に大変だ。相乗効果が出るところまで行くには相当絶対時間がかかる。むしろ二兎を追うもの一兎をも得ず、ということが多いのではないか。、、、しかし、出演者は大変さを楽しんでいるようには見えたなあ。
 
 

 

 

2005年1月14日 (金)

 本日はF

 本日はFM二本録りだったが、お相手が物わかりの良い、調和の取れたご夫妻だったので、ことはスムーズに運び、きちんと予定時刻に収録出来た。こんな風にとんとんと行くと、放送も楽しいと思えてくる。このラジオを100万人以上の人が聞いているなんて事考えたら、途端に緊張して喋れなくなるが、この頃では我ながら上手く現実逃避をしているなあと思う。ていうか、そんなことに思いを至らせることよりも、目の前の魅力的な方々のお話を聞き出すのがずっと面白いのだ。8年もやってるなんて信じられない。しかも最初は生放送だったんだからねえ。いやあ、月日の経つのはまっこと速い!

 まあ、それはともかく、本日最初のお題は「もののけ」だったが、これは放送コードすれすれの表現だろうなあ。
聞かせて貰ったCDのソプラニスタは怪しい魅力に満ちた声だった。男性でありながら、限りなく女性に近い声だった。確かに好みはあるだろうが、(実際大嫌いという人も居る)歌唱力は抜群だった。丁寧に歌い、男性のダイナミックさも兼ね備えているようだった。、、、色んな人が居るモンだ。

 

 

2005年1月13日 (木)

ようやくスタート

 初めて台本で練習を開始した。動きが付いてくるとみんなの目が変わってくるから面白い。

さあ、これからだ。

しかしなあ、帰り道で携帯電話を取ったら、連れ合いだった。「お腹空かして待ってるよう〜」だって!全く、お腹すいてんのは、こっちも一緒だ。

 

 

2005年1月12日 (水)

時間と距離。

 今日は岡山の教室の新年会を兼ねた勉強会だった。それぞれに個性的な人達の、個性的な歌声を聞いていると、歌ってなんて楽しいんだろうと思えてくる。もう少し、あと一歩で、バリッと歌えそうなんだが、その河が越せない、飛べない、、、。聞きながらがんばれ〜と心で叫んでいる。まあ、一朝一夕には行かないだろうが、着実に良い方へと動いているのは嬉しい。そして何より、本人達が楽しんでいる。これが歌の基本だろう。「歌いたい」という気持ち。これが亡くなったらお仕舞いだ。

 はるばるフェリーで出かけお出迎えの車に乗って30分ほどの所。随分遠いなあと思いながら、そういえば、この距離よりももっと遠い所から通ってきているちぇちのメンバーがいたことに思い至り、頭が下がる思いがした。
 昔々、私が未だ若かった頃、つき合っていた彼を駅まで送っていった時、彼が「今度は僕の家に来てくれる?」と聞いてきたのに、私は「ん、でも遠いからねえ。」と答えて、しまった!と思ったが手遅れ。一瞬歪んだ彼の顔が頭にこびりついてしまった。何も言わなかったが、彼は、同じ距離を私に会うためにはるばる来てくれたんだということを返したかったに違いない。、、、あれから、40年以上経った今でも、その時のばつの悪さと共に、自分の非情な愚かしさを思い出してしまう。相手の立場に立つことが出来なかった自分を、今も許せないで居る。
そして今日だ。全く、人は経験でしか、わかり得ないと言われるが、本当かもしれない。
はるばる海を越えて練習に来てくれている人達に改めて感謝だ。

 

 

2005年1月11日 (火)

時間よ止まれ!

 今日も今日とて、結婚式の準備に追われ、やれ衣装屋さんだ、引き出物だと次から次へとやるべき事が沸いてくる。一方で、オペラの出演者を固める作業もありいので、ホント、あっという間に一日が終わる。今回は自分も出演するわけで、これが大いに大変。頭の中は、全員の衣装のことから、動き方まで、ああでもないこうでもないと、思いが巡るが、又一方では、自分の歌も未だ覚えてないことに思い至り、もの凄いプレッシャーに襲われる。考えると怖いばかりで、チラシも未だ、チケットも未だ、マスコミ対策も未だ、何もかもが全く作動してない。何とかしなくては!
う・う・う・うと唸っていても始まらない。
取り敢えず、今夜は自分の歌をちょいとさらっておかなくては、、、。しかし、明日は岡山だ。

 

 

2005年1月10日 (月)

シャンソンは楽しい。

 オペラはどちらかというと、声に重きが置かれて、音楽性は問題になるが、内容は全然たいしたことがない。ところがシャンソンには人生があり、ドラマがあり、言葉というものが力を発揮する。勿論良い声で、しっかりした音楽性も必要だが、仮にだみ声の人が歌っても存在感のある、魅力的な歌を歌うことに成功している人もいる。
 ところで、今日は10名足らずでレッスンの後のお食事会となった。新年会だ。さすがに昨日の今日で、飲むのは控えた。時間が早いと不思議と飲みたくないのだ、私。そこでみんなに今年の抱負を聞いたが、中に、「今年は積極的になりたい」というのがあり、「え〜?」という反応があった。教室というところで雑談の時間はほとんど無いから、表面的に人を見て、この人はこういう人だと決めつける傾向があるかもしれない。外からみていてはなかなかその人の本質が分からないものだ。ただ、歌がうまくなりたい」ということの他に、「良い人間関係を作りたい」というのもあるらしい。みんな今日の食事会で又一歩歩み寄ったようだ。笑いに満ちた楽しい時間がもてたのは、私にとっても気持ちが良いモノだった。、、、団体とは、みんなが協力して作り上げていくものだ。お仕着せでなく、自然発生的に好意に満ちた空気を作り上げることが必要だろう。その為には、参加者全員の「良くしたい」という気持ちが必要だ。

 

 

2005年1月 9日 (日)

疲れた、、、。

 又か、て、これしかないんだなあ、この頃。疲れたと一度も想わない日がいつか訪れるんだろうか?生きてる限りそれは無理かもしれないなあ。

 今日は12時からのオペラの練習に加え、4時からのCantiamoがあり、一日中出かけるためには、連れ合いにおべんちゃらする必要もありで、自分は昼ご飯も食べないで出かけたのだ。連れ合いも居ない筈のI先生は、何故かお腹がすいたを連発。食べずに済まそうかと思っていたがやっぱりこれが、お付き合いしちゃったんだなあ。ボリューム満点のカツサンド!まあ、でも、お陰で多少元気が出たか。
今日は全員に台本を渡し、あらましの説明をしたが、多分殆どの人が「理解する」所まで行けてないだろうなあ。少しずつやっていく中で身につけて貰うしかないだろう。案の定まだ楽譜から離れられないで居る。どうなることやら。

 Cantiamoはいつものようにそれぞれがそれぞれの個性で歌って、知ってる人だからこその面白みがあった。だが、対外的にはちょっと無理。このちーむがいつか舞台と名の付く場所で演奏会をするには、相当の勉強が必要だろう。それを分かった上で、長く続けて欲しい会だ。

 打ち上げで、私の代わりに運転してくれる人が居て、念願の日本酒を戴く。昔は日本酒はのめなかったのに、おいしいと思うようになった。年かなあ?、、、考えたら、明日も新年会だった。

 

 

2005年1月 8日 (土)

やっぱり、、、

 早速オペラ公演にこぎ出した私達の前に、鯨級の障害物が現れた。何かあると予想はしていたが、、、、むむむ。どうすんべえ状態。しか〜し、絶対めげないぞお。何が何でもこの舟は、あの島に到着しなくてはイケナイ。こぎ出したからには、沈没したら冷たい海の水に放り出されるだけ。ここは一番、やるっきゃないのだ!

 今日はおいしいからすみを戴いた。これが又、おいしくて、熱燗でぐびっとやりたかったんだけど、明日はCantiamoの会で歌わなくてはイケナイ、ので、止めた。明日のお楽しみとしようか。

 てなことで、年賀状が未だ完全には出せてない。さあ、明日もいっぱいいっぱいだし、これでは旧正月に間に合う人も居るかもお!タハ。

 

 

2005年1月 7日 (金)

津波の如く、、、

次から次へと押し寄せる「用事」を、右へ左へバッタバッタとなぎ倒して、一日が終わろうとしている。夕方から予定していたFMの出演者は外国の人で、あんなに約束していたのに待ち合わせの場所に現れなかった。ここで1時間半のロス。何かアクシデントがあったのだろうか?連絡もない。、、、次なる予定をこなして帰宅したら午前様。ええいビールでも、、と思った途端母からの�пBどうも吾が息子との長電話の内容を話したかったらしい。まあ、お元気なことで。

 台本がようやく吾が手から離れた。ふ〜っ!又、この後が大変だ。日曜日の合同練習では全員に配って内容を早く掴んで貰わなくては。本当に時間がないのだから。今年から暗譜なんだけど、、、やれるかなあ、、、、?

 大きな海原に小さな舟でこぎ出したような感じがする。段々海は荒れてきて、思いもかけないマルタや鯨が行く手を阻むだろう。ちぇちぃりぁ号は、乗組員全員で守らなくてはあの島へたどり着けないのだ。あと2ヶ月とちょい。怖ろしい事になってきた。
しかし、みんなで力を合わせれば何とかなるだろう。今日は、台本の印刷をしてくれたH/M姉妹に心から感謝。こういう影の支えが無いと、何も始まらないのだ。

 

 

2005年1月 6日 (木)

遠来の客。

 去年結婚したM君夫婦がはるばる東京から車を飛ばしてやってきた。イタリアで挙げた結婚式の写真を持参して。それが驚くほどの分厚さで、濃紺のレザー張りのアルバムはとても立派なもの。さぞかしお高いものだろうと思ったら、ナント、焼き増し代も送料も何もかも含めて十数万円だったとか!ユーロになってものの値段が倍になっていてこれっていうのは、べらぼうに安いではないか!?いやあ、早まったか、うちのおぼっちゃまの挙式。もろもろ考えたら海外への旅費が出るではないか。ムムムム。あれだけの枚数を一枚のウエディングドレスでずっと撮るというのがやはりあちら流だなあ。日本人ならせめてもう一枚は、、、なんてこと考えるだろうなあ。いやあ、シンプルで中身の濃い写真だったなあ。

 一応台本完成。
しかし、彼らのご来訪で又賀状が書けなかったなあ。不義理してるなあ。今年も。

 そういえば今日の夕方は、あの小濱妙美さんがNHKのテレビ生放送だったなあ。ご活躍ケッコウケッコウ。彼女は酉年じゃあないのだけれど、、。

 

 

2005年1月 5日 (水)

機械って、、、、!

 全く私の言うことを聞いてくれない。なんでこうなるの?て感じで、格闘しつつも遂に断念。明日誰かに尋ねるか、、、、諦めて、ちびちびと地道な修正をするか、、、。やれやれ。
あと一息なんだけどなあ。台本。

 やっぱりおそくなっちゃった。ふ〜っ午前2時半か。

 

 

2005年1月 4日 (火)

格闘している。

パソコンの調子がイマイチ悪い感じだ。ず〜っと台本を修正しているが、時間ばかり経って、ついに又3時だ。なんどもフリーズしてしまうなあ。
今日はもうお止しと言うことか、、?
ちょっと疲れすぎたから、もう寝よう。ふ〜っ。

 

 

2005年1月 3日 (月)

ズレ、、、。

 大分世間の人からずれている。年賀状の発送が未だ完成してないし、部屋の掃除や片付けも全部横へ置いている。息子にご奉仕、夫にご奉仕、団体の仕事、恒例の正月礼、等々。今日は短歌の会の新年歌会とその後はお食事会であった。
色んな意見が出てきて、短歌の評というのも、なかなか面白い。が、自分のことを棚に上げて、しゃあしゃあと他人の歌を評するのもなあ、、、と思ったら何も言えなくなる。しかし、逆に言われる側に立つと、何も評されないと言うのは、評の値打ちもないかのようで、イヤなものだろう。そう思って今日は頑張ってみた。そうして、神経を集中して、作品の中に入っていくと、思いがけない作者の顔が覗いたりする。これは面白い!
しかし一面では、あくまで推論で確証もないのにあれこれ詮索するのは、如何なものか?などと思ってしまう。
短歌ねえ、、、。

 

 

2005年1月 2日 (日)

冬が来た。

 今日は夕食を、昨日からお泊まりの友人と、お招きしてあった中国人の女性一人、それに母を入れて我々夫婦と5人で楽しく進めることが出来た。永年の友人Kさんは、ツーカーで、別に何も言わなくてもやりたいようにして過ごせる。しかし、このKさんと、中国人Rさんと、私の母は初対面である。そこに何か緊張が生まれるかと思ったが、一切それはなく、まるで10年来の知古のように話が弾んだ。Rさんの日本語はかなり上手くなってきてはいるが、時々英語が混じる。それでも85才の母は、臆することなく話しを続けている。このところ、何度も外国人と話す機会を無理矢理作られて、慣れてきたのだろう。結構楽しんでいる様子だ。
Rさんは、日本人以上に気配りの出来る人で、物腰は丁寧で、愛想も良く、何より、御礼の言葉がきちんとしている。これは、そのKさんにも共通していることで、永年の都会でのOL生活が彼女に知恵を授けたものかどうか、兎に角細かく御礼が言える女性なのだ。こうして、女4人の会話が弾み夜は更けていった。
こうした、気持ちの良い人間関係が醸し出す空気というものは、独特の心地よさがある。再会を約束して、それぞれが帰っていったが、外は身震いするほどの寒さだった。
ようやく、本格的な冬到来だ。

 

 

2005年1月 1日 (土)

初日の出。

というものに、縁のない暮らしをしてきた私。昔仕事がヤケに忙しかった時代は、忙しさ故に初日の出を拝みに行くなんて事は不可能だった。しばらくして、時代が変わり、年末が暇になってきた頃は、夜更かしの癖がつき始め、結局朝寝とあいなって、見られず、この頃では、その元気さえない。ところが有り難いことに、毎年、娘の嫁ぎ先の父上は、朝も早くから海岸にお出かけ下さり、長時間シャッターチャンスを待ち、素晴らしいご来光を捕らえ、メールで送って下さる。今年のは特別素晴らしかった!ぴ〜んと張りつめた空気までもが画面から感じられ、まるで、本当にそこに大いなる神がご光臨されたかのようである。
私は思わずそれを見た瞬間、「年の初めに、人生襟を正し、真摯に生きなくては!」と決意させられた程。
しかし、本物が見られるのは一体いつのことか、、、絶望的ではある。

 

 

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