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2004年11月

2004年11月30日 (火)

イタリア紀行。

 時差ぼけだったか。日にちを勘違いしていたらしい。まあ、そうでなくてもボケは進行中だ。

 イタリア旅行最後の日は歌のレッスンだった。
往年の大歌手Mプリマドンナに手取り足取り教えて頂く。時間を延長してのレッスンは、暑くて暑くて、一枚ずつ服を脱ぎながらのレッスンだった。先生は涼しいお顔だったから、まあ、こちらの緊張からくるものだったんだろう。それにしても閑静な住宅街のマンションが、とても古き良き時代の物だった。二重扉のエレベーターで
一枚目のドアは木で出来ており、その内側がガラスである。案内人のH氏は「今時こんなのを買おうと思ってもなかなか入れませんね」と説明して下さる。「待っていましたよ」とばかりご夫婦で招き入れて下さる。マエストロのうわさ話を少しして、早速のレッスン。素晴らしい歌声にいつになく張り切った私。、、、旅の終わりが歌で良かった。、、、と幸せな気分。このあと、それを上塗りする幸せが待っていたのだが、、、。

 

 

2004年11月29日 (月)

イタリア紀行。

 何故かイタリアが好き。食べ物がおいしいこともその理由の最たる物の一つだが、人種差別を感じない人間味のある国という印象も強い。この二つは日本人に通じるのではないか。又、建造物の偉大さに圧倒されて、自分の存在感が卑小になるという点も、なんだかゆったりしてしまう原因かもしれない。ローマの遺跡フォロロマーノを横目に見ながら河川敷をゆっくり歩き、アベックの抱擁のソバを通り過ぎ、マラソン人に道を譲る。私と同じように地図を片手に他国の人が行き交う中を、ぶらぶらと散策。通り過ぎようとしたとき、ふと気になる教会があった。暗くて、壁画は殆ど姿を残さず近寄っても何が描かれてあるかさっぱり分からないほど。まるで幽霊達の住処のようだった。でも、何故こんなに惹かれるのかと想いながら外に出ようとして、そこに突然「真実の口」を見いだした。そうなんだ。ここがそうだったのか。と改めてここに導かれたことに歓びを覚えた。で、この時は娘と別れて一人だったため、少し躊躇したが、二人連れの中国人の若者に写真を撮ってっくれるよう頼んだ。英語だ。だって、実際何処の国の人か分からない。勿論、少々照れながらも口の中に手を入れて。目出度く手を噛み砕かれることなくカメラを受け取り外に出ると、表は乾いた壁が続く。全くぼ〜っとしてしまう。この大きなローマの懐に抱かれている感じだ。この日、夕方から歌のレッスンをして頂く予定だった。時折声を出しながら歩くが、旅の最終日で、身体は疲れ切っていた。数時間後に声が出るかどうか全く分からない。ま、いっか、とばかり、コロッセウムに向かう。ここはまたもの凄い観光客である。うっかり歩くとカメラを構えた人の前を横切ってしまうので、用心しつつ歩くことになる。ま、一応私も記念にカメラに収めようかと荷車式の売店でインスタントカメラを買う。若いお兄ちゃんがおつりを払いながら言う。「丁度良い時間だから僕と食事しない?」「あんた、ナポリターノ?」「ノ〜ノ〜。ロマーノ。」「ふ〜ん?ノーグラーツェよ。」と断ると明るく笑ってチュッとジェスチャー!全く、イタリア人らしい。これがエチケットだと思っている。それから約2時間歩き続けて疲れたので、待ち合わせ場所のホテル・エデンまで遂にタクシーに乗る。乗るやいなや、運転手が「このミラーに映るアンタは美しい。日本人か?」などと言い始める。お前もかブルータスと思いながら、「そうよ日本人。」と答えると「独身か?」と訊いてくる。結婚してるというと、自分もそうだが、夕食を一緒にどうか?と、どんどん喋ってくる。最初は面白くて会話してても、次第にめんどくさくなってくる。調子良いこと言って、料金大丈夫かなあ?と心配になったとき、ワンワンとけたたましくパトカーや白バイのようなものが走ってくる。およそ10台も来たかと思うが、どうも政府の要人が乗った車を通したらしい。少し迂回してようやくホテルに到着。意外にも料金は安かった。あのおべんちゃらは、やっぱりイタリア人独特のお接待だったんだ。ふ〜っ。
日本の運転手さんも少し見習ったらどうか。ここまでとは言わないが、、、。

 

 

2004年11月28日 (日)

帰りましたでござ〜る。

 はるばるイタリアという時差8時間のお国から、余り考えたくない高さの空中を10数時間も飛んで帰ってきた。まあ、予想通りの珍どじ旅行で、娘と二人という気安さから、ケンカしたり手をつないだり、ヴェネツィア,フィレンツェ、ローマの3都市はお互い自由時間の別行動も持ち、サバイバルとチャレンジの連続旅。毎日殆ど15時間前後歩きっぱなしの旅だった。今回の旅を恙なく終えられた最大の功労物は、1)入眠剤、2)酔い止め、3)湿布薬。の三点。これで、毎日のように歩いても、都市間の移動に車で10時間もゆられても、妙な時間に寝起きしても、全部オッケーだったのだ。いや〜、持つべき物は親切な心やすい主治医だった。
そのもの達が如何に効を奏したかという良い証拠が、初めて入眠剤を飲まなかった夕べは悪夢に悩まされ続けたことからも分かるというもの。友人の息子さんが殺人を犯したり、イタリアの並木の上を飛ばされたり、果てはじっぷり汗を書いて2時間置きに目覚めるという華々しさ。でも、夜中に飲むといつ目覚めるか分からないので、我慢して飲まなかったら、10時に大学に居るはずが、目覚めれば10時だった。トホ。大学の後はシャンソン教室と、その他諸々、、、遂に夢から覚めて、現実の世界に戻ってしまった。う、明日は岡山だ!早く寝ろ!との夫の尖った声が聞こえる。さすがにもう寝ましょ!早速の午前様だ。

 

 

2004年11月17日 (水)

いよいよ明日出発。

念願のイタリア再発見の旅に明日4時半という滅多に起きることのない時間に家を出る。
娘から電話があって、それまで、日本を9時過ぎに出発だと勘違いしていたことが判明。「私達の旅行って、、、、」と娘めは絶句していたなあ。
いやあ、珍珍道中になりそうな予感がするなあ。
兎に角最低でも、帰ってくることにしよう。
 前日なのにとみんなに驚かれたが、本日は演奏会。出発前に聴くような心弾む音楽では全然なかった!そりゃそうだ。「冬の旅」だもんねえ。でも、私達はふゆはふゆでも「浮遊の旅と行こう。」目的地はそれにふさわしいイタリアだモンねえ。ところで、本日の演奏会は往年の大ピアニストと県下では有名な歌手のK様だった。取り敢えず膨大な歌詞をよく覚えられたなあと感心。多分外国のピアニストとの競演は大変だろう。合わせることもままならず、出たとこ勝負のような事もあるんじゃないか。
ひどいマナー違反の若者が居たからと避難してきた会長が隣で言うことニャ、「このピアニストは自分が大学生の頃しっかりレコードを買って聴いていたモンだ」とのこと。確かに最後におまけのピアノだけの演奏は流れるような指使いにうっとり。コレを聴けたのが本日の演奏会の株を随分と上げた。長くK様を聴いてきているが、頑張って現役を守っているのは凄いエネルギーだ。芯から音楽が好きなんだろう。そういえば、今日は他にも音楽好きの人達がわんさか来ていたなあ。あるイタリア大好きな方にお会いして、明日からイタリアで、ヴェニスの洪水が心配なんですうと訴えると、「泳いできたらどうですか!」だって「いやあ、ますます水位が上がるからよしときます」と答えておいたが、、、心配だなあ洪水。よりによってヴェネツィアに飛行機が着くんだもんなあ。やれやれ。

、、、てなことで、10日ほどこの日記が書けないって事になる。
帰ってきたら、世の中変わってるかなあ?10年じゃないからそれはないか。アハ。

 

 

2004年11月16日 (火)

なんでこうなるの?

 私は昨日から突然の風邪?状態。すると、娘が電話でふがふが、、、肉じゃがのアツアツを食べて口の中をやけどしたというではないか。あさってから海外だと言うに、この親子は!向こうではおいしいものもおいしいと感じられないのかも。。。まあ、今日は早く寝よう、、と今1時半だ。ようやく荷物が出来たし、短歌も書けたし、留守ばんさんにも縷々説明したし、、、順調、のはず。、、、何か忘れてるような気がするなあ。

 

 

2004年11月15日 (月)

歌の持つ力、、。

 このホームページのゲストブックにタイトルのような書き込みがあって、生後間もないお子さんへの愛情溢れる文章で久しぶりに良い気分だった。
よい気分と言えば、そして歌の持つ力と言えば、今日のちぇちの練習だった。
本日初めて指導に来て下さった、W先生は、想像を遙かに超えるリーダーシップで、全員を圧倒した。豊かな声量を惜しげもなく提供しながら、(とはいえ、あんなのは普段の実力の何%だが)
力強く指導を続けてくれた。細かくそして大胆に教えられて、みんなの声がみるみるうちに変わって、生命力に溢れた歌唱となった。会長もいたくお気に召したご様子で、兎に角ベルカントを踏襲した歌唱法だから文句なし。安心して任せられるとのたまう。いや、あの、そう簡単に言われても、、、w先生は超の付くご多忙で、そうそうお願い出来るかどうか、、、。勿論出来るだけお付き合い頂けるようお願いはしてみるが、、。
何度も言うようだが、ホントに偉い人は腰が低い。威張ってない。真剣に音楽を愛し、音楽の事以外は眼中にない。「女が惚れる女」だった。実は、ピアニストとの感想の一番目が「男らしかったね」だった。あははは。
まあ、こんな素晴らしい先生とお付き合いが出来てナント果報者か。今度は私達がお返しをするべきだろう。

帰宅して玄関を開けるやいなや電話。短歌の校正を師匠が伝えてくれるというのだった。有り難や有り難や。これで、何とか今月も参加出来るなあ。
何はともあれ、本日は体調がイマイチを除けば幸せだった。は〜っ。

 

 

2004年11月14日 (日)

弱くなった、、

 と書けば、何が?と来るだろう。で、何だと思う?と聞けば、お酒、が一番か。ちょいまえまではそうだったが、この頃、プラス体力だ。夕べ、練習から帰り急ぎ夕食をとり、メールだ何だの後始末して、短歌12首をひねり出したら、すっかり疲れて、元気づけにビールと、モスコミュールというカクテルの缶を一缶空けたら、すっかり酔っぱらって、ふ〜らふ〜らしながら寝床へ。日記を書くのも、も〜っダメって感じで、ストンと寝てしまったのだろう。だろうというのは、記憶がないということだ。やれやれ。

 さて、声というやっかいな代物は、ホントにつかみ所がない。この人は良くなってきたなあと思って居ると、どういう訳か、ど〜んとバックしていたりする。本人にはこれが全然分かってないのだからやっかいだ。矢張り時間がかかるものなんだ。一定レベルまで達するまでは、兎に角積み重ねの時間が居る。油断大敵とはよく言ったもの。気のゆるみが全ての原因だ。安心してはイケナイ。どこに敵がいるか分からないと言うくらいの気構えで、気を抜かずに精進するしかないのだ。
、、、そして、そうして手に入れたものは、素晴らしい快感を与えてくれる。
苦しいけど楽しい、というのが声楽の道ならば、楽しいけど苦しいのが、アルコールの道か!ハハ、な〜んちゃって!

 

 

 

2004年11月13日 (土)

世の中が変化してきた、、。

 旅行にも持って行けるからとMDレコーダーウオークマンを買いに大型家電の店に出かけたら、在庫切れ。タイプの違うモノならあるのだが、欲しいモノが無く、他のタイプのモノは高いし不便。で、又改めますとお店を後にした。帰ってから人の薦めでインターネットだ。簡単に、しかも安く手に入った。お店だと注文して届くまでに1週間以上かかるとのこと。そうなんだ。世の中、幸か不幸か家に居ながらにしてショッピングが出来るようになりつつあるのだ。ついでに電子辞書も買っちゃった。イタリア語が入ってる奴だ。さあ、使えるかなあ?

こんな事を色々しながら、なんだか数日後にイタリアに居ると言うことが信じられない私。未だ荷造りに手が回らない。
この頃12時近くなると、機械的に眠気が襲ってくる。やることがあるんだからと頑張ってビールも飲まずに居るが、、、、つらい。

 

 

2004年11月12日 (金)

なんでこうなるの?

 今日は夕方から「ハムレット」の公演があり、友人と出かける。このお方、前回の「ロミオとジュリエット」も一緒に行ったのに、全然覚えてなかった。それくらい印象に残らない舞台だったと、自分のボケを棚に上げていた。実際、前回は観客に過ぎない我々が、いざ立ち上がろうとしたら、腰が痛くて思わず「あ・たたた」となったのだった。「四畳半の舞台」という評判らしいが、その四角の中に役者が入った途端全員中腰になってしまう。その中にいる限り、その奇妙な態勢のまま芝居が続けられる。あれは一体どういう意図があるのか、、、、今もってよく分からないのだが、それを長時間見ていて、こっちまで腰が痛くなったというわけ。しかし、その強烈な芝居を観たことをすっかり忘れているなんて!ま、人のことは言えない。昨日保険屋さんの若いお兄さんが、この書類のここにお歳を書いて下さいと言うのだが、「え?私っていくつだっけ?」と手が止まってしまった。彼は場所が分からないと思ったらしく、何度も「ここです」を繰り返すが、「いや・あの・その・私いくつかしら?」なんて言っちゃったモンだから「はあ??」と相当訝しがられた。で、彼の後の言葉が気に入った。「テキトーでいいですから!」いやはや。
で、今夜の「ハムレット」その友人は面白かったと大変お気に入り。前回とえらい感想が違うなあ。だから芝居は面白い。まあ、あのスタイルに慣れたせいもあるが、確かに前回よりも面白かった。あのシェイクスピアの長台詞を分かりやすく上手くカットしてあって、ダンスも群舞としてはメリハリがあり、気持ちが良かった。相当訓練したに違いない。助成金が下りての公演らしかったのに、衣装がチト、、、?かな?それと、キャストがち〜とばかし納得しかねるモノがあったが、100%なんてあり得ないから、あれで良いんだろう。8月のタイムステップのミュージカルに私の代役として出演してくれたAさんは、もっとも大変な役ハムレット演じた。台詞を自分の言葉としてちゃんと理解して喋っていたのは流石だった。しかし、芝居が如何に楽しいか、このホームページにたまに書き込んでくれるある人も、もの凄く生き生きとやっていた。また、シェイクスピアの芝居は面白いんだよなあ。芝居人生の最初がシェイクスピアって、もの凄くラッキーだと思う。台詞の前後左右に含蓄のある裏ぜりふがあるからなあ。400年以上も世界中で演じ続けられてきただけのことはある。現在も研究書が毎年5000冊出版されているそうな。さもありなん。角度を変えれば全く違う感想が出てくるからねえ。、、、で、芝居が終わってから友人とだべって帰宅途中に主人から電話。とっても具合が悪いから病院へ連れていてくれというもの。うひょ〜っ!なんてこった。急ぎ深夜の診療を頼む。頭が痛いというから一番に脳関係を疑ったが、写真を撮ると幸い異常なし。どうやら持病のアレルギー、副鼻腔炎らしかった。やれやれ、イタリア旅行が危ないところだった。病院から帰ると午前1時だ。、、、ふ〜っ!

 

 

2004年11月11日 (木)

ぜえ〜ぜ〜ぜえ〜。

 いやあ、段々迫ってきたなあ。旅行に出かける前に兎に角FMの録りだめが必要だった。今日の収録で今月分は何とか済んだ。余りのジタバタで、家の中はひっちゃかめっちゃか!突然やってきた友人が「この有様は、今日は相当忙しかったのね!?」とタバコの煙の間からのったりと言う。そうなのよ、と、それまでのあれこれを話したり、珈琲を入れたり、お菓子を出したり、、、なんのことはない、このお方も恋の話しだ。お!今日は「恋」という字がすぐに出たぞ。熟年同士の彼らは、全く自由な関係を築こうとしているらしい。それぞれ、手痛い過去を持つ身で、二度と深く傷つきたくないというのが、二人を用心深くさせている。まあ、しかし、良いなあ、これも。人がハッピーなのは良いモンだ。
事務的な用事も次々と起こる。どうも、この調子だと、何かしら、洩れそうだなあ。ま、いっか。それで、地球がどうなるわけも無し。ハハ。
先ほど、ローマ在住の人からお電話を頂く。この画家の方は、私の好きなイタリアの風景を美しく描く方。今度ひょっとして、アトリエを見せて頂けませんかと図々しくメールしたら、まあ、ナントお電話下さった!是非ご案内しましょうと言うもの。その代わり讃岐うどんをよろしくと言われる。そんなのはお安いご用だが、驚いたことにこのところの讃岐うどんの不祥事を既にご存じ。世は情報化時代。讃岐うどんに混じりものが、、、というニュースが世界を巡るんだ!凄い!
実は恥ずかしいことに、帰宅して10時過ぎの夕食をとっているときに電話を受けて、どうせ娘だろうともぐもぐ言いながら出たら、その方。「ああ、お食事中でしたか、、」と言われてしまう。しまった!おお恥ずかし!

明日は、ハムレットだ。ぜえぜえ。


 

 

 

2004年11月10日 (水)

さて、、、。

 来週イタリアへ出発するまでに、やっておくべき事が幾つかの二乗で存在している。多分その内の出来ることはやっぱり半分だろうが、その中に、短歌の締めきりがあると言うことを、短歌仲間のS君が教えてくれた。教えて貰うまでもなく、ちゃ〜んと、分かっておりますぞえ、と言ったものの、ふ〜っ。彼も、兎に角締めきりには間に合わそうとしている。で、二人の会話。「私達って、なんて、まじめなんでしょう!」だった。師匠が聞いたら怒るかなあ?フフフ。

 友人の息子さんが結婚して、新居に呼んで貰えないと、母親はご立腹。新婦の母親はきっとしげしげと通っているに違いない、と決めつけている。その話しを我が息子にしたら、「まだ片づいてないから、単純に来て欲しくないだけだろう。その内よんでくれるんじゃないの?」だった。やっぱり、感想にも若者と熟年にはギャップがある。私自身は、所謂お姑さんの経験がない。だから、今度自分がお姑さんの立場になることに、戸惑いしかない。いきなり親子になるのは無理でも、他人よりは近い存在で居たい、と言うところからの出発だ。まあ、何でも心を開いて話してくれたらいいなあ、と思っている。今のところ、メル友で、いろいろ話してはいるが、、、、。さて、どんな人間関係が生まれる事やら。昨日だって、我が家には帰らず、彼女の家に帰りそのまま空港へ行っちゃったもんなあ。おばあちゃんが「男の子は取られてしまう、というけど、ホントだねえ」と感慨深くのたまう。彼女がお母さんと再び息子の家に出かけるらしく、いよいよ新居が充実するらしい。となると、これからは簡単には息子の家には出かけられないなあ。今から、覚悟しておかなくては、、。これを、寂しいと思わず、真の意味での、息子の自立だと受け止めよう。新しい家庭を、彼らが自分たちで作り始めたのだから。、、、この酎ハイはおいしいなあ。

 

 

2004年11月 9日 (火)

再びお嫁さん、、、。

 今日は和装で、根香寺と栗林公園で、見事な紅葉と、筋だつ砂のお庭で本当にため息が出る美しさ。矢張り日本人だ。打ち掛けとカツラは完璧な美を醸し出していた。おかしかったのは、根香寺では参拝客が大勢来て、中には拝んでいく人や、「お幸せにね!」と声をかけていく人、「うらやましいなあ」と息子に向かって言う人も居て、面白かったのだが、栗林公園では、ナント、メガホンを持った観光案内人が、そのメガホンを使って、「お嫁さんをもっと見たいので、外に出て貰えませんか?」と声がかかったことだ。モデルではないので、モチロンその要求には応じられなかったが、観光客はみんな由緒ある菊月亭の説明を聞かず、お嫁さんに気を取られていた。まあ、これが撮影会ではないので、皆さんが、彼女たちの幸せを祈ってくれたのが、身内としては嬉しかった。、、、それにしても、息子のでれでれ振りには呆れた!おばあちゃんも思わず笑い出すほど、鼻の下が伸びきっていたなあ。イヤハヤイヤハヤ。フフフ。

 ある人がネットで知り合った外国人と結婚したという話しを聞いた。凄い!勇気があるなあ。その女性を知っているが、まあ、言われてみれば、芯の強さを感じなくもなかったが、まあ、ビックリ。色んな人生があるもんだ。

 

 

2004年11月 8日 (月)

花嫁騒動記。

 朝もはよから我が家のお嫁さんの「前写し」だった。何しろ6点の衣装を着るので、今日だけでは終わらず、明日もやるという!40ページのアルバムだって!、、、我が息子に、「僕は彼女がニコニコしてくれてればそれで満足なんだから、ほっといてくれ!」と一喝されてシュンとしてしまった父親は、今日もノータッチ。まあ、「好きにやれば?」というのが我々夫婦の姿勢だが、いやはやいやはや。
スタジオに留まらず、やれ公園だ、レトロな建物だサンポートだと、ロケも何度も。最後は寒くて身がちぢみそうな噴水の前だったりして!母親の私はその間、シャンソン教室があり、FMがありで、参加したり抜けたりとバタバタ。9時過ぎに全部終えて自宅に帰ったら口を開けて待っている男が二人に増えていて、超特急で夕食の準備。さあ、今から食べようかとお箸を持った途端友人が頼んでいた旅行用品を届けてくれる。じゃあ、一緒に食べようと、わけわけして会食となり、今日の顛末を楽しく語らう。やっぱり食事は大勢が楽しいなあ。
ところで、今日のお嫁さんはホントにきれいだった。20才と言えば一番美しい時期かもしれない。サンポートでは道行く散歩する人やアベックや子供達の注視の中、ちょっとしたモデル気分。が、最後は噴水の前で、水が吹き上がる瞬間を撮る為、急に冷え込んできた広場で辛抱強くエンエンと待つ事になった。は〜っ!ご苦労様!

 FMに出て下さったのは今年のこけら落とし公園「こうもり」に出ていた方と常連のYさん.例によって打ち合わせなしで始まった番組に、ゲストが目を見開いて驚く。ごめんなさい、ドキドキさせて!て感じだった。矢張りステージとでは勝手が違って緊張するらしい。ステージであれだけのびのびと演技して歌われていらしたのに、人は分かんないもんだ。

 

 

2004年11月 7日 (日)

みかん騒動記。

 先日買い出しに行ったみかんは、一袋700円という安さで感激したが、そこにあった樹1本丸々全部自力で採れば500円ぽっきりで採らせて貰えると聞いて、一緒に行った友人は是非誰か連れて行くと張り切っていたが、今日、再度買い出しに行った私が聞いたら、話しが違う。どうやら、大きいミカンと小さなクズの様なミカンでは当然値段が違うが、全部混ぜ混ぜして、10キロ500円だというのだ。ということは、1本の樹にいくつなっているのか知らないが、矢張り相当の数になるから、ん千円は必要ということだった。そりゃあ、それが当たり前だろう。予防もしたり、手入れして作った物を、私達はこれでも大分安くて申し訳ないお値段で買ってるんだから。しかも、同じその地区にミカン狩りと銘打って、大々的に商売を繰り広げているところがある。人手があって頭を巡らせる人はそういうことが出来るというわけだ。おばあさんだけでは、そんなことは出来ないのだろう。やれやれ、友人に訂正しとかなくては、、、。
よく考えてみると、前回の膝の激痛は、ミカンの重たいのを移動したせいだったようだ。今日は用心してバランスを取りながら作業したが、安いミカンで、接骨院に支払っていたのでは意味がない。まあ、私のやる事はこんな所だが。

 

 

2004年11月 6日 (土)

あれこれ。

 今日は秋晴れ〜の素晴らしい一日だった。ちょいと仕事をさぼって、母を伴いサンメッセの何とか大バーゲンに出かけた。これが全く品物に興味がない二人。電気製品も不要。洋服も如何に減らそうかと思っている矢先。かろうじて、バナナとキムチとコチジャンのおいしい奴を買ったが、(結局は食べ物!)40分くらい巡って即帰路に着く。大体、我々親子は買い物が苦手。特に、こういう会場では疲れてしまって、購買意欲が著しく減退するのだ。(食べ物は別)あ〜疲れた。

 そういえば特筆すべき事が先日の定例練習日に起きた。仕事の関係で突如、ちぇちの公演に出られなくなったある男性が、会長の言葉じゃないが「亡霊」のように練習会場に現れた。まあ、出て貰うつもりで居たから、楽譜は全て持ってくれているし、記憶をたどれば音もとれてるし、何の問題もない。今までそこにいなかったとは思えない感じだったなあ。このところ、何人か新人も入ってくれているし、段々層が厚くなってきている。先日の琵琶湖のオペラではないが、矢張り、コーラスの力は大きい。決しておまけなんかではないのだ。ようやくみんなにプロットを渡すことが出来たし、あとは台本の完成だけだ。、、とっとっと、これからが大変だった!ダンスの振付もあるし、、、、みんな楽しんでやってくれたらいいなあ。そもそも通常のオペラでは、ダンスはダンサーを呼んでやることになっている。それを、無謀にも自分たちでやっちまおうというのだから、ハハ、笑うしかない。いや、別にアチクシが踊るわけではないのだから、笑うようなものにはならない。まじめ〜なものなのだ。でも舟歌だからなあ、、、フェロモンだからなあ、、、。いやあ、楽しみ。

 今度さぬきシェイクスピアが「ハムレット」をやるが、今日の情報では、劇団タイムステップで、私の代役で出て貰ったあの人がハムレットをやるんだそうな!女性だ。しかもあの長台詞!わ〜お。絶対見に行こう。楽しみ〜。どんな風に料理してるのか、劇団山の手事情社の安田氏の演出が楽しみ。、、、、多分又腰が痛くなるんだろうなあ。トホ。

 

 

2004年11月 5日 (金)

人生相談。

 離婚を経験している若い女性が、新しい恋の相談にやってきた。このパソコンは「こい」を「恋」に変換しようとすると、7回も変換キーを叩かなくてはならなかった。それほど、この言葉に縁がなくなってきているのだろう。
彼女は一度手痛い目に遭っていながら、またぞろ同じ様な男性に恋しているらしい。こうなってくると、人間、運命を呼び寄せるのは矢張り自分の性格ということになるかもしれない。しかしまあ、元彼と似てるとは思わないのが面白い。客観的な意見を聞きに来たのはまあ、良かったかもしれないが、、、。「見えなくなる」というのが、恋の常道だろうが、そこまで盲目になるものか!神も罪な資質を人間に与えたもうたものだ。
まあだが、彼女は聡明で、理解力もあり、きっと良い方向へ道を切り開いていけるだろう。まだ、本当に会うべき人に出会えてないだけだろう。
しかし世の中の男性は、ホントにいい女を見る目がないなあ。

昨日突然の膝痛で、接骨院に飛び込んだが、今日は少しましになった。こんな調子でイタリアなんか歩けるんだろうか?段々自信が無くなってきた。で、友人に私と代わる?とメールしたら、行けるモンならとっくに申し込んでるわい、とお叱りの返信。ごもっとも。彼女はリストラ逃れのために、お仕事に精出してる人だった。ま、いずれにしても体調は整えておかなくては。さて、、。

 

 

2004年11月 4日 (木)

時の流れ、、、。

 今日のちぇちぃりぁは久々に元気な会長直々の指導による練習だった。先生がやっているのを後ろで聞いていると、みんなの声がどんどん変わってくるから不思議だ。今日の舟歌は今までの中で一番きれいだった。今日の事をみんな覚えていてくれるかなあ???又来週になるとバックしてるんだよなあ、これが。日々の積み重ねが大切だ。積み木崩しではうまくならないよなあ。

 帰りにメンバーを牟礼まで送っていく時、彼女が来年のオペラで5年目かと思っていたというのが分かって、16年目だというとビックリしていた。そうだよなあ。いつの間にか時間が流れて、高校生だった人も今や立派な大人。この会もよくぞ続いてるなあ。メンバーも入れ替わり、最初から居る人は、私と会長くらいのモノ。二人とも年取ったしなあ。後継者が出てくれることを切に願っているが、なかなか私のようなお馬鹿さんは居ないらしい。私利私欲を持たず、いつも全体を考え、自由な気持ちのママ続けるのは、至難の業と言えるかもしれない。しかもオペラだ。勉強しないではやっていけないジャンルだ。誰か、胸を叩いて、「私に任せて下さい」という人が現れないかなあ。こういう活動が、社会的に意義あるものだと、私は思うが、まあ、後継者が育たない限りいつかは終わるだろう。

 短歌の新聞が届いて三日目にようやく全部読む。表紙を見て驚いた。41号とあるではないか。この新聞の1号を知ってるわけで、毎月発行だから、、、、え〜?そんなに長くやってたっけ?幾ら怠慢劣等生とはいえ、これって、「継続は力」にち〜っともなってないのはどういう訳?ふ〜む。

容赦なく時は流れる。

 

 

2004年11月 3日 (水)

みかん

 毎年おいしいミカンを母が買ってくれていたのが、今年は運搬してくれた人が行けなくなり、私と友人で買い出しに出かけた。栽培者が歳で、もうミカンを取るのが出来なくなってきているらしく、なんと、自分でとるんならミカンの樹1本500円でとらせてくれるそうな。元気な人は是非行った方が良い。味が濃くて、ここのミカンを食べているとお店では買えなくなるほど。数珠なりになっているからなあ。価値ある500円だろう。
今日は秋の味覚を満喫だ。ある方が松茸を下さった。立派な地物であった。主人が大好物で、何処に向いても好物だ好物だと言い歩いているから、毎年誰かが下さるというわけ。今日は松茸の炊き込みご飯を作ってみた。これが余りにおいしくて、二人ともご飯をお代わりしてしまった。ご飯を2杯食べることはここのところとんと無くなっていたが、ままよ、とばかり食べたご飯のおいしかったこと。お米もお客様から頂いた新米無農薬だし、、、、しあわせ。

 

 

2004年11月 2日 (火)

秋晴れ〜〜!

 久しぶりにあっぱれな晴れ具合。、、、だが、私のむち打ちは油断するなと囁いていた。まあ確かに、夕方チョイと危なかったなあ。でもまあ、本日は太陽がたくさんの人に幸せを与えただろう。人間、如何に自然に左右されて生きているか、、、である。実際暑さ寒さで健康を害する人も居るし、鬱の人は天気次第で鬱になり、春めくと痴漢が増え、、、、、いや、春だけではない。
昨日来た人から聞いたが、ナント電車の中で白髪のその女性(70才くらい)が座っていると、ある男がわざわざ前に来て座り、わいせつ物を取りだして見せたというのだ。余りのことにビックリして席を替わったが、屈辱感で一杯になったという。れっきとしたわいせつ物陳列罪だが、こういう時って声が出ないモノなんだよねえ。いやはや。
あ、天気の話しだったか。ま、いいや。
昨日の事件でここに書くのを忘れていたが、昨日のFM収録では傑作なことがあった。
いつものようにグロッケン先生相手に音楽談義をしていると、突然その最中にミキサーの男の人がドアを開けて出て行った。私の位置からは彼の行動がほぼ分かり、何かとんでもないトラブルが生じたらしいことだけは分かったが、果たして、我々はどうしたらいいのか???で、私達はだらだらと彼が帰ってくるまで、何とかつじつまを合わせた会話を繰り広げたというわけ。多分時間にしたらそんなに長くはなかったのかもしれないが、私達にしてみれば無限に長く感じた。その間、お互いに顔を見合わせながら、目と目で会話していた。「どうしたのかしら?」「さあ?」「未だ帰らないけどこのまま喋りますか?」「ふ〜む」「でも、ず〜っと帰らなかったら、どうしましょうかねえ?」「そうだなあ、、、」「なんかトラブってる見たいですよ」「ふ〜む」「いやあ、もう限界ですよねえ」「・・・・」という風に。長いのが私。短いのが先生。なんとか場つなぎをしていると彼が入ってきたのですぐに音楽に。あせったなあ。何が凄いって、目と目で会話してる間も、ちゃんと声は音楽談義をしていたのだ。
後から聞けば、原因不明のトラブルで、放送が中断されたというのだ。私達のは録音だが、その時放送されるべきものが完全に消えたらしい。しばらくして社長もやってくるしで、局内は大騒動。一体どうしたんだろうと、話しながら帰ったが、後で二人で言い合ったのは、何もあそこで律儀に話しを続ける必要はなくて、「あ、ミキサーの人が出て行っちゃいましたねえ。どうしちゃったんでしょうかねえ」「まだ帰りませんねえ」「私達はいつまで喋ってたら良いんでしょうかねえ」「まあ、その内帰るでしょう」、、「あ、帰ってきました。では音楽にしましょう」って、そうやれば良かったねえ。と大笑い。この滅多にないハプニングにそれが出来なかったねえと、悔やむことしきり。アハハハ。おかしかった。

 

 

2004年11月 1日 (月)

うひょ〜っ!助かったあ!

 本日FMのあと、グロッケン先生を我が家にお招きしてお送りしての帰り道、食洗機用の洗剤を買おうと12まで営業のダイエーに行く。いくらかおまけの買い物もして、帰ろうと言うとき急にお腹具合が悪くなり、トイレに。買い物は外に放置したが、財布は中まで持ってはいる。何が悪かったのか新幹線状態で脂汗。そういえばFMの時飲んだ乳酸飲料が変な味がして、賞味期限を確かめたなあ。やっぱ、あれが良くなかったのかなあ。賞味期限内だったけど、保管状態ではわかんなにもんなあ、、、。などと考えながら、買い物ワゴンを押してゆっくりと店内を見回り、もういよいよ買うものがないので、ワゴンの中身を取り出そうとして気付いた。財布がない。え?え?え?そうだ、トイレだ!思い出して、慌ててとって返したが、無い!確かに置いたはずの所に無い
!ぎょぎょっ。たった数分しか経ってないし、こんなにパラパラのお客では、すぐにトイレを使う人は居ないだろうと思いきや、居たのだろう。どうしよう。カードというカードが入ってるし、今日に限って通帳まで入れてある。わあわあわあどうしよう!とかなりあせって、さっきトイレの場所を聞いた店員さんを見つけて、急き込んで訪ねる。「トイレにお財布を忘れたんですが、、、!」すると、打てば響くように「あら、お客さんだったんですか!?今、ひらった方があちらのサービスカウンターで中身の確認をしていますよ。」と言いながら、走ってくれた。まさしく今、店員さんとそのひらった方が二人で中身を点検中だった。ああ、良かったあ!無事だったあ!そのひらってくれた人にぺこぺこぺこ。もうこの際何回でもしますの勢いであった。、、、しかし、後から考えると、ぺこぺこだけで良かったんだろうか?もしあれが出てこなかったら、もの凄いエネルギーが必要だっただろう。申し訳ない。ホントに有り難かったのに。
この調子では、来月外国へ行くのが心配になってきたなあ。大丈夫かなあ?ま、娘に叱られながらの旅になりそうだ。トホ。

 

 

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