「祭」といえば「ご祝儀」というイメージしかなく、ぞろぞろと表を歩く、どっから見ても楽しんでる風ではない子供達の一団に、ため息混じりに今年もご祝儀を渡す。しかも今日は当番で、彼らのための炊き出しにも行かなくてはいけないのだった。最近は、店屋物ですませたり、ファミレスに連れて行ったりしているという噂を聞くが、この地域では、あくまで近所のおばちゃん達の手作りのお食事が、いやいやながらついてきた子供達に振る舞われるのだ。久しぶりに地域の人達と立ち働いたが、こんな場合必ず「番頭」「大番頭」「丁稚」「丁稚がしら」という役割分担が自然発生的に出来ている。その縦の系列が物事をスムーズに滞りなく進めるのだ。あちらこちらで、若い主婦達が、何言っても無駄よ。言われたことを言われただけやっとけば良いのよ、、、などと囁き合う声が聞こえる。いっぽうで、そんな渦の中には絶対入らないで、まるで影のように黙々と働く人もいる。、、、、一つの社会だった。
しかし子供の頃の「お祭り」のイメージは全然無いなあ。豊浜に住んでいた少女の頃、一年に一度お化粧をして貰って、振り袖を着て、大きなちょうさの戦いを興奮して眺めていたのが懐かしく思い出される。引っ込み思案の弟は、そのちょうさに怖いと言って乗りたがらない。私は好奇心が旺盛で、乗りたいとせがんだが絶対乗せて貰えず、口惜しくて地団駄を踏んで泣いたものだ。最近は女の子も乗せて貰えるらしいが、、、、まあ、懐かしい思い出だ。
ところで、今日はあのイチローが記録を破り、観衆に向かって笑みを浮かべて帽子を振り、彼が人の子だったことを見せつけた日となった。それまでは、ヒットを打とうがベースを早足で踏もうが、ちっとも面白くないというような顔をしていたのが、今日は違った。あの笑顔によって、今日までの彼の孤独な戦いを思い知らされた。くしくも、チームメートの日本人が「チームの仲間とはいえ、彼自身の記録だったので、彼に声をかけることも出来ず、一フアンのような気持ちで見守っていた」とその歓びを語ったが、チームの中でもきっと想像以上の孤独感があったのだろう。聞けば、彼は飲まず、遊ばず、ひたすらトンネルを掘るような日々を過ごしてきたらしい。
私が幼い頃に、初めてメジャーリーグが来日したというニュースを見て、まるで、大人と子供ほどの違いを感じたし、それ以後も野球はアメリカには、アメリカ人にはかないっこないもの、という風に思いこんでいただけに、驚きの記録だ。
今日のその現場の興奮は、アメリカ人の良さをも見事に表現していた。人種差別の国アメリカ。しかし、スポーツに於いては全く関係ないということを、体中で表現していた。その観衆に向かって、帽子を取り、深々と頭を下げた彼の姿は美しかった。
努力した者のみに与えられる、栄光の瞬間だった。
う、明日はCantiamoだ。
努力してない私には、屈辱のみが与えられるであろう。ズドン。