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2004年10月

2004年10月31日 (日)

今日も水害に遭った人が、、。

 顧客の一人が矢張り水害にあって大変と、今日も聞いた。ヘドロの撤去がもの凄く大変だそうだ。昨日の人と違って行政に感謝していた。今日までお弁当が配られたというのだ。矢張り地域によって対応が違うのだろう。
その人は、嫁いだ娘さんの家事の手伝いにしげしげと通っている方だが、おきまりのお婿さんに対する愚痴がグチグチグチ、、、。何処まで行っても母親は我が子を身びいきするんだ。それでこそ親子だろうが。共働きだのに余りに夫が協力しない、というもの。娘が可哀想、、、でも、本人が選んだ人だからねえ。が結論。そうなんだ、自分で選んだ人なんだから、うちのおぼっちゃまも、知〜らない!と。

 

 

2004年10月30日 (土)

いい話。

 今日来店のお客様から、いい話しを聞いた。彼女のお家は今回の水害をもろ受けて、家の修復に追われていて、日々夫婦ともども大変らしい。その家というのが半端じゃない。私も外国の方をお連れしたことがあるが、ふる〜い立派な日本家屋なのだ。その広い土塀の一部が壊れ、業者に入って貰い、落ちた泥を取り除くだけで、ん十万円かかったとか。表の門の一部も剥がれていて、どうやら途方もないお金がかかりそうだという。こんなのは、町、県、国の財産なんだから、どっかからお金が出ないモノかしら?今のところ、所有者が全てお金を出して維持しているのだ。彼女が、今回のこの騒動で、実際夫の労働を増やしていることもさることながら、働いて得た収入の大半を、妻の実家のこの家につぎ込まなくてはならないという現状に、思わず言ったそうな。「お父さん、御免ね。私と結婚したばっかりに、こんな生活になっちゃって。ホントに申し訳ないと思ってるわ」と。すると、ご主人曰く「そんなこと無いよ。僕はこの家が好きなんだ。守っていくべきだと思っているんだ」という返事。いやあ、彼女がそれを私に話すときにウルウル来ていたのもよく分かるなあ。独身の頃から彼女の事を知っているが、二人のお子さんにも恵まれ、長女は今年就職し長男は大学生。外からは幸せそのもののような彼女の人生に、余り誰でもが経験し得ないような苦しみがあったのだ。辛いことの後ろにはきっと嬉しいことがあるもんだ。今回の水害が人生の節目となり、彼女は夫婦の真の絆を実感したに違いない。、、、いやあ、いい話だったなあ。
 けど、なんとかなんないかなあ、、。

 

 

2004年10月29日 (金)

覚えてない、、、。

 最近お酒に弱くなったなあ。夕べは、鬼の居ぬ間に命の洗濯とばかり、おいしい「原酒」をちびりちびり。で、戸締まりしたまでは覚えているが、この日記を書いたかどうかの記憶が全くない。でもって今開いたら案の定、書いてない。こんな事は今まで、、、、あったかも!たはっ。性格かいな!?
しかしあのお酒は変なワインよりずっとおいしかった。これを亭主一人のものにするのはチトもったいない。な〜んてね。こないだは練習後に慌てて帰ってみると、びっくりどっきり。未だかつて無いことに、フライパン料理を、一品作ってある。フライパンにこびりついた卵は良いが、辺り一面飛び散って、、、、それより何より、得体の知れないお皿のモノ、、、。何味とも分からず、ぐっと飲み込んで「ご馳走」を頂く。これにケチ付けたら、今後一切しなくなるだろうから、ふんふんおいしいよ、と心にもないことを口走ったら、流石敵もさるものずるいもの。そんなことはない、お母さんの手料理がなんてったて一番、ときた。内心くっそーと思いながら、ひたすら食べた。やれやれ。実際コレを食べさせられるのは勘弁。自分だけ食べればいいのにいいい。
で、リベンジではないがおいしいお酒を飲み過ぎた次第。

 

 

2004年10月28日 (木)

ひどい話し。

 とうとうあの女の子は助からなかった。残念なこと。助かった男の子を、レスキュー隊員が次々と手渡しする中で、一人一人がそれぞれの思いで、強く抱きしめた人や、自分の服を脱いで着せて上げた人など、小さな命をみんなで守った事の誇らしさと、その命に改めていじらしさを感じているらしい若者達の発言に心打たれた。そう、命はこんな風に大切に扱われるべきものなんだ。例え、自然の前にちっぽけであろうと、人間としてこの世に生まれた命は、こうして大切に扱われるべきものなんだ。
 それなのに色んな人を道連れにして自殺していく人が後を絶たない。これも、現代日本のひずみなんだろう。

 さらに、ひどい話しがテレビで流れた。どっかで、被災地に向けての募金箱をおいていたのが盗られたらしい。ひどいじゃないの!?そりゃあ困ってたんだろうけど、でも、それだけはしてはいけないでしょ!?きっとろくな死に方をしないよね、その人。ぷりぷり。

 

 

2004年10月27日 (水)

生命力。

 驚いた!たった2才の男の子が、地震の崖崩れの土砂から4日振りに救出されて、「水、ミルク、、、」などと喋ったというのだ。なんという生命力。お母さんは亡くなってしまったというのに、、、奇跡の子だ!それにしてもまだ、3才の女の子が残っていて、今現在必死で救助活動が行われているが、どうぞ無事で、と祈らずにはいられない。
続々と報道される地震のニュースを見ていると、多くの子供達が、父母祖母達の背中に、あるいは腕に助けられて逃れている。中には小さなワンちゃんもおびえた目をしながら囲われていて、きっといつもより見開かれているらしいそのつぶらな瞳には、思わずぐっと来た。今日の余震はホントに余震なんだろうか?もっとおおきな事への前触れでないことを切に祈りたい。
無宗教のくせに、祈ることばかりだ。、、、が、私の神は名前のない神様なのだ。だから、名前のある神様と争うこともなく、信者を取り合うこともない。大いなる力で、私の願いをも聞き届けてくれる寛大な神様なのである。

 

 

2004年10月26日 (火)

ようやく、、、

 次回オペラのキャスティングがきっちり決まった。みんなそれぞれ事情があって、やりたくても簡単にやりますと言えない事もある。性格もあるが、慎重な人は兎に角全てが揃わないと返事が出来ないと言うことになる。それも、貴重な事ではあるが、まあ、世の中何があるか分からないのだ。いつ死ぬかなんて、誰にも分からないし、舞台に出ると決めても、全く何が起きるか分からない。このゲージュツの秋のこととて、被災地新潟だって、何かしらのイヴェントが予定されていたに違いないのだ。生死や暮らし健康にのみ話題が行って、コンサートや演劇がつぶれたなんて事はニュースにならないが、絶対あったはず。でも、地震なんていう予期せぬ事態には、一瞬のうちにつぶれてしまうのが、こういう舞台の持つ宿命なんだ。市民オペラちぇちぃりぁは今回予定のオペラで約100人の人が舞台に関わる予定だが、誰かに何かが起こらないという保証はない。それでも、やると決めたからにはみんなでやるしかないのだ。
今回も又、音楽の守護聖者ちぇちぃりぁを旗印に、本番に向けていざ出発だ。

 

 

2004年10月25日 (月)

災害。

 昨日から日本国中、地震の話題で持ちきり。さすがの私も今日は長い時間テレビを観た。この何もかも揃っている時代に、食料も毛布もガソリンも、生活に必要な最低限のものが不足しているという事実に、恐怖を感じた。以前とは違い、どんな手立てでも使って、どこからか救助が来るのではないかという、漠然とした安心感の中で暮らしていたのが、テレビでは、あの神戸の大地震以来、殆ど何も変わっていないという事実を目の当たりにするだけである。もしも、ここに来ていたらどうだろうと、おそらくは、日本中の人が考えているだろう。どこに来るか分からないし、安全の保証というものがないし、逃げようもない。今回の被災者の人達は、これから寒さに向かってどうなっていくんだろうか。体育館にびっちりと押し込められた人々を見て思わずぞっとした。いつか、私もあの中の一人になるかもしれないのだ。二つ欲しいと思っても、1個しか貰えないおにぎりを、どんな気持ちで食べるんだろうか。

 今日はこのホームページに嬉しい書き込みがあった。男児初誕生のニュースだ。名前を弘法大師の名前から付けたというのだから驚いた。もしかして、この混沌とした世の中の救世主として生まれたのかもしれない。、、、ホントにそうだと良いなあ。

 

 

2004年10月24日 (日)

二日続きのフランス料理。

 それも、高松では一流と言われるお店二つに連続して行く羽目になった。せめて1週間開いてたらなあ、、、と貧乏性の私は考える。まだ、昨日の余韻が残っているのになあ、、、。
昨日は友人のご子息の結婚式。
今日は別のお店の誕生パーティ、尚かつ我が亭主の誕生日、、、。
しかし、きっと世の中には連日のようにこういう贅沢なお食事をしている人も居るんだろう。でも、私は負け惜しみでなく、そんな生活はイヤだなあ。ものの味が分からなくなりそうだ。時にはまずいものも食べなくちゃあ。え?

 

 

2004年10月23日 (土)

結婚式と地震。

 友人のご子息の結婚式に参列し、返る途中に母からの電話。「地震」である。娘が新幹線で帰ってる途中とて心配してのことだったが、帰宅してテレビを見てびっくり。いきなり自然が猛威を振るい始めた。台風で地盤がゆるんでいるところもたくさんあるだろうに、心配なこと。危険が段々輪を狭めてきているなあ。持ち出す荷物を準備しとく方が良いかなあ、、。

 教会での結婚式の良いところは、シンプルであっさりしているところ。ただ、神父さんのお説教が長くて、やっぱり寝てしまった。ハット気が付いて、周りを眺めてみると5人は寝ていたなあ。「神は全てを許し給う」、、、だ。ハハ。
賛美歌を歌えたのは、気分が良かった。少なくとも仏教の経典を読むのよりは良いなあ。我ながらおかしかったのは、教会での結婚式が久しぶりというのもあり、すっかり忘れていたのだが、式の始まりで新婦が父親の腕を取り新郎の元へと歩む、という下りで、その父親のことを新郎と思い、こないだ見た顔と違うなあ、急に老けたなあ、、、なんて思ってしまったこと!余りにおかしくて、ついニヤニヤ。いやはやいやはや。

 

 

2004年10月22日 (金)

くやし〜

 折角書いた短歌なのに、まず最初に郵便を出してねと託したお嬢が忘れて、もう〜、と言いながら次に自分が忘れて、本日のFMの時にどっかで投函しよう、と思っていたのに、今見ると、しっかりバッグの中にあるではないか!今月こそは速達で出さずに、きちんと普通便でと思っていたのに、、、なんでこうなるの?ぐやじ〜〜。

 お嬢も今回最後のおばあちゃん孝行のつもりのサーカスの帰り、凄い渋滞に巻き込まれて結局は今日も帰れなかった。折角たたんだ布団も又ぞろ引っ張り出さなくてはならないと、こっちもぐやし〜〜のダブル。しかし、こちらのくやし〜は彼の方だろう。やれやれ。

 明日は8時からお仕事で、その後サンポートでの合わせ。その後結婚式、と、息つく暇もない。夜の予定が一つキャンセルになったのがせめてもの救い。ふ〜っ。

 

 

2004年10月21日 (木)

地球が怒ってる!

 このところの異常気象はホントに異常だ。今日なんか、夕方中央通りにカラスの大群がビルというビルのてっぺんに、あのヒッチコックの「鳥」状態。娘の運転する車の助手席から空を見上げると、黒々と群れなして旋回している。いやあ〜不気味。別にカラスに特にこだわるわけではないが、雀の大群よりはやっぱしブッキーだったなあ。これって、矢張り、生物の生態系が変わってきたのかなあ。
今年はどんな冬になるのか。、、、一体いつからこんなに人々は不安になってきたのだろう。生きていて、何一つ不安が無いという、そんな平穏な時代はもうやってこないのだろうか。

だんだん台風の被害状況が明らかになってくると、すぐそこまで危険が迫っていたことを知らされる。県外からもいろいろ電話が入る。曰く「車が川にぷかぷかたくさん浮いてるんだってえ?」というのもあれば、「土砂崩れで人が死んだんだってえ?」というのも。いや、あの、それは多分他の県、、、と、曖昧な返事になってしまう。余り情報が入ってないのだ実は。しかし、近くの川が氾濫したことだけはホントのようだった。床上どころか、家の半分以上が浸かったところもあるとか。まったく、これって、香川のお話し?と思いたくなる。信じられない。
矢張り、地球が怒ってるんだ。

 

 

2004年10月20日 (水)

もうもううんざり

 又台風。
今度ばかりは、もしかしてこちらにも、、、と思わせる勢いの水の出方だった。我が家の前のタンボのあぜ道が全然見えなくなり、一面の湖状態。川は、危うく氾濫か、と思わせてくれるし、もの凄い雨音は、まるでここを集中的に脅してるのかと思うほど。友人が三木町から疎開してくると言いうので待っていたら、途中から道が無くなっていたから、医大のPで時間稼ぎするという。実家からも電話で、避難命令が出たからそっちへ行くというもの。だが、まあ、みんなが無事で良かった。

 

 

2004年10月19日 (火)

ゲージュツの秋満喫。

 今夜は「鼓童」という和太鼓のステージに酔いしれた。サンポート大ホールはほぼ満員の盛況で、最後は手拍子での観客参加のエンディングで盛り上がった。この手拍子文化というのは矢張り日本独特のものだろうか?それまで、実は太鼓に合わせて身体がうずうずしていた私は、この手拍子でようやく発散出来たというわけだ。つくづく私は日本人だと思い知った。
太鼓のテクニックはよく分からないが、ピアニッシシモでなが〜く7,8台の太鼓が和して打つ様は、こちらも息を呑んで見守ることになった。一瞬でも、一人が間違うと、全体が狂うという、刃の上を綱渡りするかのような緊張がステージと観客を支配した。予想以上に長い時が流れて一気にフォルテに変化したときの解き放たれた感動は、ぞくぞくっと身の内をふるわせた。素晴らしいテクニックだ。大太鼓も期待を裏切らない激しい演奏で、裸の男の背中がだんだん赤みを帯び、ライトに汗が光り輝く様は、全くセクシーだった。あとで、こちらでの和太鼓グループの人達と会食となり、「聴覚5割、視覚5割」という事を聞かされて納得した。あのばちさばきを見ずして、今日の感動はないだろう。単純な楽器とシンプルな衣装、メロディーもなく繰り広げられる舞台に飽きないのは、この「視覚」だった。本当に美しかった。、、、別に裸の男性にのみ興味があったという訳ではないんだけど、、。

 帰ってきている娘が、今夜の「鼓童」のあと、携帯電話を水に落として大パニック!500件も入っているデーターが修復不可能の気配。「こんなことでパニックになるのは絶対おかしい」と言いながらも、心ここにあらず。先日も、このホームぺージの客人が同じ事をして困っていたが、彼は機種変更して「あこがれの」我が機種とイヤホンを手に入れたようだ。しかし、私も他人事ではない。今、コレが使えなくなったら、大変困る。以前のように番号を覚える習慣が無くなっているし、昔覚えていても、もう思い出せない人もいる。私とて、ほぼ500件だから、、、一度ちゃんと整理しておかなくては、、、、いつ?

 

 

2004年10月18日 (月)

今宵は余りに遅い、、、。

 旅の翌日で、家族サービスの後だというのに、パソコンのウイルス対策とやらで、今の今まで、ああ、午前2時半だ、パソコンを使えなかった。しかし、メールという、どうしても見ておかなくてはいけないものもあるので、待っていたのだ。
まあ、琵琶湖ホールのことは、明日にでも書き込もう。なんだかだとやってるうちに、肩の痛みも和らいできている。何が薬か、よく分からないなあ。、、、。

 

 

2004年10月14日 (木)

さぶっ!

 今日も今日とてサンポート。寒くて遠くて悲惨ポート。行かざあなるまい、、、と首すくめ、実験的に100円パーキングに車を止めて、向かう練習会場。空きっ腹に空っ風がこたえたなあ。何故そのパーキングかと言うに、少しでもお安く駐車出来ないものかという実験だ。結果、昨日より50円安かった!たったこれだけ。なら、これから先の厳しい寒風を考えると、やっぱり地下駐車場かあ。、、、なあんてね、フェリーでお来しになってるKさん達は、頑張って乗り場から歩いてるというのに、、、こうなるとやっぱり私の方が早死にか。ウヒョ。
 練習の後、メンバーを送り、口を開けて待っている亭主のために大急ぎで、夕食の支度。今夜は忙しくて何も準備して出かけられなかったのだ。なんか、疲れちゃって、食べた後気分が悪い。未だ本調子ではないなあ。、、、なのに、明日は琵琶湖だ。バスで大阪までの長道中、大丈夫かなあ?酔うかもしれないなあ。なんか、色んな事に自信が無くなってきたなあ。さすがの私も、、、 いそいで帰る車の中にかかってきた電話は、ユニークなピアノバーのマスターからで、パーティへのご招待だった。この店はマジックを見せてくれる、ホントに面白い店で、少し前にママさんが急逝されて、がたんと落ち込んでいらしたマスターが、一人娘のために頑張って生きようと自分を奮い立たせてのリニューアルだ。なんとその日は私は友人の息子さんの結婚式でもある。ああ、身体が二つ欲しいなあ。、、だからあ、体重が二人分じゃなくてええ!

 

 

2004年10月13日 (水)

本日は午後8時からの練習であった。

 まだ体調が思わしくないが、朝友人が届けてくれたドリンク剤を飲んで、急ぎ出かける。しかし、練習会場の使用許可証を持って無くて、受付ですったもんだの末、偉い人が私の名前を知っていてくれて、身分証明書の提示でようやく入れた。まあ、こちらがルール通りのことをしなかったのが悪いが、事前にお金まで支払い、何度も使用している団体でも、初めての人と同じ対応を迫られるのは、納得いかないなあ。どんどん使って欲しいと言いつつ、この堅苦しさだ。何とかして欲しいもの。帰りに支払う750円の駐車料金をやたら高く感じた本日の練習であった。
 終わってから、T先生とガストで打ち合わせ。ホントに打ち合わせることが山ほどある。でも、これでようやく台本をまとめることが出来そうだ。二人で、兎に角成功させようね、と意思の確認が出来たのは成果だった。当たり前のことだが、、、。これから、ホントの意味で、忙しくなるなあ。体調を早く戻しておかなくては、、。

 

 

2004年10月12日 (火)

ああ、少し楽に、、、。

 薬が初めて効いてきた。何があっても、仕事もして、亭主の食事の準備もして、団体のお世話もしなくてはならない私にとって、もの凄く有り難い薬が登場した。前回貰ったのは、効きすぎたというか、効く前に胃がやられてしまったのだった。今回は吐き気もなく、徐々に身体の力が抜け、リラックスしてきた。このまま良くなりそうな予感がする。
それにしても、昨日は、病院で軽いマッサージのすすめがあったから、夢タウンに出かけて、軽くやって貰おうと思ったら、1時間待ち。諦めて、シャンソン教室から帰りに又寄ってみると、今度は閉店前の8時過ぎまで一杯だと言われる。す、凄い!この状況は現代人が如何に疲れているかを物語っているだろう。温泉に行っても、この手の場所はいつも予約で一杯だ。
まあ、脳に異常がないらしいのが救いだったが、さりとて、その保証を貰ったわけではないから、完全に安心してるわけではない。、、、でも、こうやって、色んな不安を身体にため込みながら、日々やり過ごしていくんだろう。全身くまなく調べたところで、医学の及ばないところに病巣があるやもしれず、、、、ま、なるようになるさ。
、、、こうやって、命を惜しんでいる私にとっては、今ひとつ分からない「若者達の自殺」、、、いや、全く分からないわけではない。そこに甘い誘惑を感じるだろうことも、理解出来る。が、理解と実行との間には、私の場合、月ほどまでの距離がある。、、、世の中が、彼らに夢を与えないのだろう。一度クレパスに落ち込んでしまうと、今の時代、そこからはい上がるのは至難の業だ。自ら落ち込まないように、でも、落ち込んだ人が居たら、手を差し伸べたいもの。

 

 

2004年10月11日 (月)

想像力の産物?

 想像力というと格好いいが、実は思いこみ。兎に角肩と首が痛くて、夕べは眠れず、流石に日曜当番医を探して診察を受けた。まるでホテルのようなこの病院。受付は殆どホテルのフロント、って感じ。自然と肩の力が抜けて、あれは良いなあ。
結論は「異常なし」。では、あのもの凄い痛みはどこから?納得出来ないまま、次なる予定のシャンソンへ。
そして驚いた。今日入ってきた新人生は、もの凄く良い声をしていた。コーラスをしていたそうだが、、、、。
良い声、、、、か、。

 

 

2004年10月10日 (日)

コンクール

 Aさんの出演するコンクールに誘い合って出かけてみた。久々のコンクール会場だったが会場に人が居なくて妙に物寂しく、出演者も少なくて拍子抜け。昔出ていたコンクールは立ち見が出るほどの盛況で、審査員より前には誰もいないという奇妙な設定にやたら緊張したのを覚えている。でも、今日も中学生高校生一般と、段々声も雰囲気も成熟していくのを見るのは面白かった。それに思いがけずKさんの歌を2曲聴くことが出来たのも、結構なおまけだった。審査員の先生にご挨拶させて貰ったが、この手の審査員というのも、ホントに疲れるだろうなあ。一人審査員が突然舞台に上がり、オーソレミオを歌ってくれたが、そうしたくなる気持ちがよく分かった。フラストレーションが溜まるんだろう。
吾等がAさんは、これでスタートラインに立ったという感じ。これからに期待しよう。

 娘から電話で、今日が朗読の本番だったが、私が書いたエッセーが予想外の好評で、12月に再演が決まったとか。観客から「あなたのお母様にお会いしたいわねえ」と大勢の人から言われたとか。嬉しいようなくすぐったいような、、、どんな風に読んでくれたものやら、、、。

 

 

2004年10月 9日 (土)

素人判断。

 どうもイマイチの体調を引っ提げて、本日はお仕事もして、声楽のレッスンも受けた。レッスン中、妙な冷や汗のような物がにじみ出てくるし、右肩は相変わらず痛い、鏡を見て声を出せと言われて見てみると、目が腫れている。今朝は顔を洗うときから、右目の当たりが痛かったのだ。鏡を見て歌ってる間に私の頭の中には、もの凄い妄想が広がる。自分の顔がどんどんお岩の如く腫れ上がってくるという妄想が、、、。てことはレッスンに集中してないのだった。テヘ。
それでも何とか終わって、もっとも疑わしいヘルペスという病名をネット上で探してお勉強。どれもこれも、疲れとストレスが原因で、休養しろと書いてある。そっかあ、、、休養かあ。やっぱりそれしかないか。

、、、、。

 

 

2004年10月 8日 (金)

医師の言うことは聞くモンだ。

 危うく独断で、脳神経外科に飛び込むところだった。我慢出来ない痛みが右首筋から肩にかけてで〜んと居座り、病院で貰った薬を飲んでも一向に良くならない。暇さえあれば横になってみたが、変化無し。午前中は、貰った薬の副作用で、胃がきりきり痛いし、吐き気はするしで身をもてあました。NYの友人から電話があり、すぐに調子が悪いことを見破られてしまった。

横になって、じっくりお医者さんの言ったことを思い返してみると、風邪の一種だが、肩と首の炎症も起こしてるので、こちらに効く薬を飲んで下さい。但し、これはきつい薬だから、胃がやられることがあります。そんな時は飲むのを止めて下さい。と、言われたのを思い出した。そっかあ、飲まなきゃ良いんだ、と炎症止めを止めて、胃薬だけに。すると、午後になって段々良くなってきた。声もなんとか元に近付き、FMの収録をすることが出来た。まだ少し痛いが、明日には良くなってそうな気がする。今までテキトーに聞き流していた医師の言葉を、これからは真剣に聞こうと、改めて思う。兎に角貰った物は全部飲まなきゃいけないのかと、いい加減に聞いては飲んでいたのだ。薬が嫌いなのにその辺はアバウトだった。ハンセイハンセイ。

 

 

2004年10月 7日 (木)

疲れてる、、、。

本日は「愛の賛歌」朗読劇。まあ、半分は寝たかなあ?座ったら眠いのは、どうも私だけでもないらしい。始まって間もなく、どこぞから「ス〜ス〜」寝息が聞こえる。女優の低い声に聞き耳をたてているだけに、その寝息も思いっきり聞こえてくる。その寝息に誘われるように、あたしゃ寝ちゃったわいなあ。お隣の人は感涙にむせんでいるというのに、、、、如何に聞く側に聞く態勢が必要かを思い知ったなあ。
しかし、この女優さんも、年とったなあ。事前に息子と嫁のトラブルで評判が悪く、チケットがさばけてないという話しを聞いていたが、さすがに有名人は違うなあ。ほぼ満席だった。それが、キャリアという物だろう。
芝居の後のトークで、インド映画の「大地」の話しをしてくれたのが、妙に印象に残った。「歌をやりなさい」と孫に教えるおばあさんの事を紹介して、歌は、人々の心の糧になるし、生活の糧にもなるから、というのだ。彼女、その女優は、自分とは違う歌手に対する敬意をそんな形で表現していたのだと思うが、確かにそうだろう。まれな才能と努力の結実した特別な人は、、、。

 只今10時半。二日続きの早寝。ガンバロウ。

 

 

2004年10月 6日 (水)

薬。

 健康診断の結果を聞きに行ったが、ついでに今の喉の調子の悪さも訴えてみた。矢張り今流行りの風邪だそうな。しっかり寝るようにとのお達しである。純真な私は、今夜は絶対早く寝ようと思うので、まだ10時にもなっていないのにパソコンに向かっているのだ。
 ところで、健康診断の結果は想像通りの「要注意」。とうとう薬を強く勧められる。来月の旅行が終われば飲んでみますと約束して帰ったが、内心はかなりユ〜ツ。今飲んでいる血圧降下剤も出来るならとっとと止めたいのだ。その為には運動しかないらしいが、それでもなあ、なかなかできないわなあ。ブツブツブツ。

 

 

2004年10月 5日 (火)

やっほ〜!

 これが出てきた瞬間、本気で叫びたかった!もう何年探していただろう。夫が何ヶ月分かの給料をはたいて買ってくれた婚約指輪が、ある時行方不明になっていて、その内出てくるだろうとたかを括っていたら、いつまで経っても出てこず、その内真剣に探し出して、何日も何日も探して、それでもダメで、遂に諦めて、、、でも、心のどっかに出てきて欲しいと思いながら暮らしていた。
 今日は、喉の調子が余り良くないにもかかわらず、何かに突き動かされるように、夏物と冬物を入れ替えていたのだ。殆ど終わりかけたところに、S君から電話。「もう、そんなことしてないでとっととお休み!」という内容だったが、おまけが付いて「どうせあなたのサイズでは人にあげたくてもあげられないんだから、捨てる物は捨てて、、、ね」なにが「ね」だ。そんなことは言われなくても分かっていて、とっくに捨てる物を出したところだ。でも、このサイズでも欲しいという人が一人だけ居て、その人用の大きな荷物も出来たし、さ、仕上げは小物で、なんかつまんないものがぞろぞろと出てくるなあ。「ええい、全部捨てちゃえ!」と大きなカゴの中身をぽいぽいとクズ袋に入れていた。全部無くなって、底にきらりと光る物が。「え?!」と取り上げてみると紛れもなくあの無くしたはずの指輪だった!主人には内緒だったため、大きな声は出せず、心の中で「バンザイ!やっほ〜、ウシシシ、ガハハハ」と、笑いをこらえながら、踊り廻った。無いと思っていた間は、「形在る物はいつかは壊れ、無くなる運命にあるのだから」なんて、自分に言い聞かせていたが、目出度く自分の指に収まった指輪を懐かしく眺めると、矢張り大切にしようと思うのだった。落としたら粉々になるというはかなさ故かこの石が私は大好きで、無くした時はかなり悲しかったのだ。ああ〜、今日は良い日だった!

 

 

2004年10月 4日 (月)

声が出ない、、。

 疲れがどっと出て、いつものように一番弱いところがやられている。「喉」、これが私の弱点だ。歌を歌う人間にとって、ここが弱点というのもなあ。生まれついてのものだが、何とかしたいもの、、、と言ってる間に歌えない年齢がそこまで来ている。人生ってなんでこんなに短いんだろう。色んな人に会うが、この人ともいつかは別れると思えば、全てのことが違って見える。、、、これで良いのかもしれない。終わりが来ると言うことで、救われるのだ。

 今日は私のうっかりミスでFMに穴を空けるところだった。数時間前に発覚して、急遽お願いして、、、、これが出てくれるという人が居るんだなあ。これだから、悪い癖が直らないのだ。タハ。
 この収録の前に少しだけちぇちの練習につき合うも、吐き気が来て、う、これは調子が悪いぞ、と内心ひやっ!そんなことに構っていられないので、途中から会長にバトンタッチして、局に駆けつけたのだ。
 やることをやっつけて今夜は早く寝ようと思うのだが、次々と出てくる。午前0時に、コンビニに入ると、うちの顧客の若者が挨拶してくる。お互い外で会うと別人だから、分かるまでに時間がかかる。少なくとも私の方は分かるが、お相手は「一体どこのおばさんだったかしら?」というような顔をしているからおかしい。しかも、出会う時間が時間だ。なんとなく親近感が増したなあ。

 天皇陛下があちこちお通り遊ばしたらしい。今日ばかりはパトカーが総動員されていたなあ。しかし、こんな日に限って交通事故が多発していたらしい。お巡りさんも内心は、「こんな日に事故なんかおこさんといて欲しいわ、ほんま」と思ってただろうに。

 

 

2004年10月 3日 (日)

なんでこうなるの?

 今日はお祭り二日目だが、仕事を理由に不参加。代わりに夫がお着きで廻るというので、夕方早めのCantiamoにも遅れることなく参加出来た。中には成長著しい人も居て楽しい会だった。勉強中、渋滞に巻き込まれたまま身動き出来ない人も中には居たが、いつかスイスイと走りだせるかもしれない。まあ、誰にでも可能性はある。
ただ、全体のレベルアップはもっともっと必要ではないかと、自分も含めてつくづく思った。
勉強の基本であることの、ただ歌うだけでなく、本物の声を聴き、良い絵を見たり、美しい自然を愛でたり、人としてのレベルを上げる、、、そして、人に優しく接することで、自分の心を声に変えて注ぐことが大切だ。
西洋音楽が教会から発生したというのも、音楽は人々の祈りの心が生んだものだということだ。歌によって自分が救われるのはモチロン、人の心をも打つようにあるべきなんだろう。
いつも、原点に戻らなくては行けない。
それは振り出しのようで、そうではないだろう。

 帰宅途中で娘がやいのやいのと原稿の締め切りだと言ってくる。昔書いたエッセイにエピローグを付けろと言うのだ。その上、今日明日中に1首提出せよとのお達しが短歌の方から入っている。明日、母を病院に連れて行くが、その待ち時間ででも作るとしよう。

 しかし、なんでこうなるの?忙しすぎるじゃん?

 まあしかし、今日は久しぶりで海外からご帰還のS君と電話で話せて楽しかった。彼の話だと、H先生は信じられない多忙さで、いつも薬の山を持ち歩いているとか。4人の秘書を抱えていて、その人達の管理も大変だとか。S君とは同じ職場でありながら、顔を合わすのは海外とか東京だというのだから驚く。、、、みんな昔と違う時間の速さで動いているなあ。

これでホントに良いのかなあ?

 

 

2004年10月 2日 (土)

祭。

 「祭」といえば「ご祝儀」というイメージしかなく、ぞろぞろと表を歩く、どっから見ても楽しんでる風ではない子供達の一団に、ため息混じりに今年もご祝儀を渡す。しかも今日は当番で、彼らのための炊き出しにも行かなくてはいけないのだった。最近は、店屋物ですませたり、ファミレスに連れて行ったりしているという噂を聞くが、この地域では、あくまで近所のおばちゃん達の手作りのお食事が、いやいやながらついてきた子供達に振る舞われるのだ。久しぶりに地域の人達と立ち働いたが、こんな場合必ず「番頭」「大番頭」「丁稚」「丁稚がしら」という役割分担が自然発生的に出来ている。その縦の系列が物事をスムーズに滞りなく進めるのだ。あちらこちらで、若い主婦達が、何言っても無駄よ。言われたことを言われただけやっとけば良いのよ、、、などと囁き合う声が聞こえる。いっぽうで、そんな渦の中には絶対入らないで、まるで影のように黙々と働く人もいる。、、、、一つの社会だった。
しかし子供の頃の「お祭り」のイメージは全然無いなあ。豊浜に住んでいた少女の頃、一年に一度お化粧をして貰って、振り袖を着て、大きなちょうさの戦いを興奮して眺めていたのが懐かしく思い出される。引っ込み思案の弟は、そのちょうさに怖いと言って乗りたがらない。私は好奇心が旺盛で、乗りたいとせがんだが絶対乗せて貰えず、口惜しくて地団駄を踏んで泣いたものだ。最近は女の子も乗せて貰えるらしいが、、、、まあ、懐かしい思い出だ。

 ところで、今日はあのイチローが記録を破り、観衆に向かって笑みを浮かべて帽子を振り、彼が人の子だったことを見せつけた日となった。それまでは、ヒットを打とうがベースを早足で踏もうが、ちっとも面白くないというような顔をしていたのが、今日は違った。あの笑顔によって、今日までの彼の孤独な戦いを思い知らされた。くしくも、チームメートの日本人が「チームの仲間とはいえ、彼自身の記録だったので、彼に声をかけることも出来ず、一フアンのような気持ちで見守っていた」とその歓びを語ったが、チームの中でもきっと想像以上の孤独感があったのだろう。聞けば、彼は飲まず、遊ばず、ひたすらトンネルを掘るような日々を過ごしてきたらしい。
私が幼い頃に、初めてメジャーリーグが来日したというニュースを見て、まるで、大人と子供ほどの違いを感じたし、それ以後も野球はアメリカには、アメリカ人にはかないっこないもの、という風に思いこんでいただけに、驚きの記録だ。
今日のその現場の興奮は、アメリカ人の良さをも見事に表現していた。人種差別の国アメリカ。しかし、スポーツに於いては全く関係ないということを、体中で表現していた。その観衆に向かって、帽子を取り、深々と頭を下げた彼の姿は美しかった。
努力した者のみに与えられる、栄光の瞬間だった。

 う、明日はCantiamoだ。
努力してない私には、屈辱のみが与えられるであろう。ズドン。

 

 

2004年10月 1日 (金)

秋なの?夏なの?ハッキリして!

朝夕はホントに寒い位なのに、昼の蒸し暑さったら、夏に逆戻り。店内はまだクーラーをつけての営業だ。
、、、とはいえ、虫たちはいち早く声をあげて、秋だ秋だとやかましいし、この辺りは本物のトラクターが行き交い、確かに秋である。そういえば、このところ、トラクターまがいの車が来ないなあ。一台は主が只今イギリスだけど、もう一台はちゃんと主のご要望に合わせて、ブルンブルウとにぎやかに存在を主張しているはず。
 考えてみると車ってのも、人を表すよなあ。背の高い車に乗り慣れると、どんなに立派な車でもセダンには乗れなくなる。モチロン人様に乗せて貰うぶんには良いが、自分が運転するとなると、矢張りこの大きな体を楽に収納出来るものが良いかなあ。大型トラックに乗れって言われそうだが、トラックも良いよねえ。でもあれは荷台が大きいだけで、運転席はどうかなあ、、、?
いったい全体なんの話しかなあ?

 今日は絶対早く寝るぞお、と、凄い勢いであれこれをやっつけているのだが、何時に寝ても寝られるという特技のアチクシ。実際ベッドを想像しただけで眠くなった。さあ、ねましょ!?

 

 

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