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2004年9月

2004年9月30日 (木)

あるお家の新築。

 今夜は、岡山の教室の日だったが、メンバーの新しいお家でレッスンしようということになって、湖のそばの不思議な家に集まった。
何が不思議って、外観は絶対お店。車も家の前に数台置けて、おしゃれな窓は、カーテンもシャッターも無くて、実際、喫茶店と間違えてドアを開けて入ってくる人が居るそうな。まあ、ゆくゆくはひょっとしたらお店をするかもしれない、その時のためにこんな設計にしたんだそうだ。しかし、いざお店をするとなると、先ず第一に束縛される。遊べない、ということらしかった。確かにそうだ。シャンソンどころではなくなるだろう。
人生の選択肢はいくつもあるが、どれを選択すべきかは、今後の生き方に関わるだろう。
でも、この水のある風景はホントに落ち着くし、ゆったりとした環境はうらやましい。、、、と言うと、だからアベックが多くて困ってるんだそうだ。そりゃあカップルにはもってこいのロマンチックな環境だ。無理もない。
そこでは特別サービスの奥様手料理が振る舞われ、いつもよりも練習に熱が入る。みんなまじめに取り組んで、前回の注意事項はちゃんと勉強してきているから凄い。不肖の師に賢い生徒が着いたというわけで、申し訳ないくらいだ。みんなの熱意でやってるようなもの。さあいつまで続くか、、、。

 

 

2004年9月29日 (水)

雨、雨、雨、、、、風も。

 又台風だ。しっかしよく来るなあ。長い間、台風とは縁のない暮らしだった高松民族。ニュースなんかいつも他人事のように聞いていたのに、今日などは、かじりついてテレビを見る。今現在は風も収まったが、一時はかなりあれていた。そのピークの時に夫から電話が。丁度栗林公演前くらいで、雨と風のすさまじさで、動くに動けないと言うのだ。色んな物が飛んできて、今にも車に当たりそうだというのであるが、、、だからって、そういわれても、、、私に何が出来るというのか、、、?で、わたしの答え。「他の車は走ってるんでしょ!?」「だったら、とっとと、気を付けてお帰り!」だった。我ながら素っ気なかったかもしれないなあ。ハハハ。
この天気でむち打ちがひどく、あたしゃ疲れてんのよ、という台詞を飲み込んで食事の支度。ついでに頂いた黒豆を炊いていたのをめざとく見つけた夫は「僕のご飯は?」だと?豆なんか炊いてないで、早く食事の準備をしてくれと言いたかったらしい。だからあ、ちゃんと作ってますって!!も〜っ!こんなに食べ物のことばかり言い出したら、ボケに近付いたんじゃないかと疑ってしまうよ、というと、一瞬ギクッとしたらしい。そっかあ、この手は使えるかもお、、、。フム。

 

 

2004年9月28日 (火)

出来心、、、。

 数日前に読んだ新聞に、何冊か本の紹介記事があった。その紹介文が全くそそられる内容で、心に残ってしまった。このところ、絶対自分には本を読む時間は作れないと思い、この手の記事には目を通さないようにしていたが、ピラッとめくった瞬間に「転落」という字が飛び込んできた。このところ事件に巻き込まれそうになったりして、この言葉には強く反応してしまった。そこにはもう一つ「犯人に告ぐ」という本の紹介もあった。が、私は解説の前者にとても興味を引かれて、後者はありきたりな捜査物という印象を持ったに過ぎない。で、偶然翌日本屋に行くことになった。山ほど並ぶ新刊書を一瞥したがそこには止まらず目的の本を探し当てる。連れて行った母は、まだ用事が済まない。手持ちぶさたで、ついその新刊書の前に立つ。すると、まざまざと私の脳裏に浮かんできた「転落」の二文字。知らず知らず探していた。ところが、最初に目に付いたのは「犯人に告ぐ」であった。本を手にしたときから覚悟を決めた。仕方ない。出会ってしまったんだからと自分に言い訳をして「転落」を探す。当然のようにそれはすぐに出てきた。新聞の評を何処まで信じたかは別として、兎に角、私はまんまとその二冊の本を買うに至った。
その日から地獄が始まった。読みたい本があるのに、読む時間がない。最近パソコンのせいかどうか、兎に角夜になると極端に目が見えない。と言うことは昼間読む必要があるが、それはとても出来ない。どうしても夕食の準備の後、ということになり、電気の明かりの下になる。苦労して読んだが「転落」は私好みではなかった。とっとと、友人にあげてしまった。ところが期待してなかった「犯人に告ぐ」は、読み始めたら止まらない類のものだった。適度に読者を緊張させたり、好奇心を煽ったりと、兎に角その本に捕まってしまって、身動き出来なくなった。やらなくてはいけないことが、あれもこれも飛んでしまう。頭の隅で唸りながら、目は字を追い、手はページを繰る。食事もそこそこに部屋に閉じこもって読んでいると、大阪の友人から他愛もない電話がかかってくる。いつもなら、適当に長々と近況を話すのだが、今日は勘弁して欲しかった。彼女もそれを察してか、意外にあっさりと切る。、、、遂に全部読み終えて、目尻の涙をぬぐい場所移動すると、メールが携帯に来てる。何事かと読むと、あ、短歌の一首選の催促だ。いけない。すっかり忘れてた。娘からも着信履歴が。
その二件を処理してこうして日記を書いているが、特筆すべきは、「犯人に告ぐ」の面白さだ。
いやあ、ホントに面白かった。久しぶりに本に没頭した。、、しかし、メガネを新調したばかりだのに、夜になると本がとっても読みづらいのは、ひょっとして、、、白内障か?
娘は今夜「藤子ヘミング」のリサイタルで号泣してきたそうな。彼女はその演奏から「生きる希望と力を貰った」ようだが、一緒に行った65才の文化人は「このまま死んでも良い」と思ったという。年齢の差か。又彼は「音符通り弾くのはピアニスト。それに自分なりの解釈を加えるのが音楽家。その全てを超えて、音を創るのがゲージュツ家」だと言ったそうな。なるほど。
しかし、今回はつい出来心で本を買ってしまったが、これからは当分自粛せねば、、、。
年とったら読書三昧したいと思っていたが、これ以上目が悪くなったら、それも叶わないだろうなあ。ああ、老後はどう生きようか?

 

 

2004年9月27日 (月)

充実し過ぎた一日。

 夕べ天候のせいでよく眠れず、肩ばりばりで起きてきて、朝一番にしたことはマッサージ機にかかること。少し楽になって、急ぎ朝食を取り大学はシェイクスピアの講座へと出かける。体調が悪いはずの講師はきちんと来ていたなあ。まあ、いつもとは全然違う調子ではあったが、、、。昼食会の話題は、戦争と、徴兵制と、拉致問題と、ブッシュ映画と、、、、そして私のあの詐欺事件だった。しかし、受けるなあ、この手の話し。反応は2種類。ある人は「バカ」という反応。一方「いや、私も他人事ではない」という人も同数。
いずれの人も、最後には「とんでもない世の中になった」ということで終わるのだ。
遅刻しそうになって次なる目的地シャンソン教室へ。又新しい人が増えている。さあ、どうなる事やら。歌が好きな人は多いということだ。
今夜は食事がいらないと言う主人の言葉を思い出して、生徒さん達と久しぶりにあずまやへ。クリームあんみつは期待を裏切らないおいしさだった。あんこの量が少し減ったような、、、。
一度帰宅して数件の電話を片づけて楽譜を整えてちぇちの練習だ。ああ、やっぱり夕食が食べられなかった。ま、アレ食べたからカロリーは足りてるかも。でも、しぶとく近くのコンビニでサンドイッチを買う。(何故、こんなとこにコンビニがあるのよ!)
練習中に代役は誰に?と言おうとして、どっからか「ダイエット」という声が聞こえてきて、吾知らず「ダイエットは誰にする?」とT先生に言ってしまった。T先生の「へ?」と言う声と、「ガハハハ」という笑い声が一緒に!若い子から「敏感すぎ〜」と言われてしまう。これが無意識なんだよなあ。トホホホホ。
ちぇちの練習も、ようやく少し軌道に乗りつつある。季節が変わり、ゲージュツの秋が来たということか。出席率がすこぶる良い。わいわいやって、帰宅して1番にしたことは、、、もちろんビール。でも、なんとなく休肝日にしようかなあ、と、低アルコールのビールにする。飲まないということにはならない。だって、チョーお疲れなんだもの。せめてこれ位は良いでしょう!?と自分に言い訳をしているのであった。

 

 

2004年9月26日 (日)

美空ひばり

 彼女が亡くなってから信じられないことに16年も経つのだ。今日その半生をつづったテレビ放送を見たが、改めて、彼女の歌のうまさに驚く。
 人はみんないつか死ぬ。身内でもないのに、何故こんなに涙が出るのか?ひばりだけではない。マリアカラスの映画を見ても泣いたし、越路吹雪の時も、、、、。きっと、彼女たちから、何かしら素敵なものを貰っていたからか。その慈雨のような歌声が、その時々に私を幸せにし、世の中の人々を救ってきたのではないか。そう、彼女達は特別な人だったのだ。神から与えられた使命を帯びて、この世に存在したのだろう。だから、その死が、こんなにも重たいのだ。

 

 

2004年9月25日 (土)

あれこれ

 今日も何かと忙しかったのに、ちょいと涼しくなったので、思いついて溜まりに溜まった楽譜の整理を始めた。これが思った以上に大変で、あっけなくダウン。写真とか、こういうのって、ホントに弱いんだよねえ。だぁらして、又捜し物も、年がら年中という次第。この探す時間とエネルギーを思えば、ちゃんと整理整頓すべきなんだけどねえ。ついつい、、、。

今日は高知へお出かけだった亭主殿が帰ってきた。ワタクシ御用達の須崎のおまんじゅうを山ほど買ってきて貰ったから、本日は「殿」なのだ。
確か2,3年前に須崎まで「蝶々夫人」を見に行き、偶然見つけた和菓子のお店。数ある和菓子を全部試食させてくれて、ダントツにおいしいのを見つけた。田舎のお菓子屋さんには似つかわしくない「洋酒いり」のおまんじゅうだ。その時は全員で買い占めたほどおいしかったのだ。その時一緒だったMさんは後日ご主人連れてわざわざ買いに行ったらしい。、、、で、そこのご主人が私達の事を覚えていてくれたらしい。「ああ、あのオペラを見に来た人でしょう」とすぐに言い当てられて、驚いたとか。さあ、この珍しくもおいしいおまんじゅう。一体誰にあげようかなあ?
まあ、早い者勝ちってとこか、、、うふ。

 

 

2004年9月24日 (金)

人間の性善説を信じたい、、。

「チェンジング・レーン」という映画。ある白人弁護士と、アル中治療中の黒人で現在離婚係争中の男性が、急ぎ目的地に向かう途中に接触事故を起こす。たいしたことはないと別れるが、その時白人は重要書類の入ったファイルを下敷きに自分の名前を書き、そのまま相手に渡してしまう。黒人は、離婚法廷に20分遅れた為に、一言も言い分を聞かれないまま離婚が成立。二度と子供達にも会えないと宣言されてしまう。お互いが負ったリスクは思った以上に大きく、二人はそのことに振り回されてしまい、一時はお互いに殺意まで抱く。しかし善なる二人には最後に神が微笑みハッピーエンド。といういかにもアメリカ的な映画。朝から晩までのたった一日が、その人の運命を変えるかもしれないという、ある意味怖いお話しでもあった。このところ、映画に行くなんて時間が全然無く、久しぶりのWOWOWだった。
この映画の中で、もう一つ怖いお話しが。相手にダメージを追わせるために、パソコンで、相手の個人情報からカードまで読みとり、本人を破産させてしまうというモノ。昔の殺し屋と違い、その人を社会から葬り去るという手口。これは怖い。今日もお客さんと話していて、銀行のキャッシュカードから3000万円まんまと盗み取られた人の話が出たが、いや〜ホントに油断も隙もない世の中だ。映画の中だけのことなら良いけれど、、気を付けよう。、、、どうやって?

 

 

2004年9月23日 (木)

ゲージュツの秋到来。

 いきなりやってきた「秋」。余りの寒さに、夕べは毛布まで出してしまった。この急激な変化について行きかねている。
 色んな所から、色んなイヴェントの案内が来る。最近目に付くのがストリートパフォーマンスという類のもの。所謂大道芸に出たいという人達が結構居るらしい。まあ、劇場という枠からとび出して、少人数でも通りがかりの人にアピールしするエキサイティングな気分と、区切りのない空間に魅力を感じるのだろう。イギリスに行ったときにメトロの各踊り場に必ず居た様々な芸人達を思い出す。彼らはお金が目的の人が殆どらしいが、少なくとも日本、高松という所でのそれは、お金儲けは考えてないだろう。ただただ発表の場、ととらえて居るんだろうなあ。贅沢な話しかもしれない。
ちぇちも一度そういうのをやってみると良いかもしれない。

 夕べは2時半までかかって予算表を作成したが、遅くなった理由の一つはエクセルであった。何しろ不勉強で、使い方のノウハウを殆ど知らずに使おうっていうんだから我ながら大したモンだ。案の定、マニュアルと首っ引きとあいなり、エンエンとやったというわけ。まあ、分かってみればエクセルって凄い!ザッと行毎に変換出来たり、深夜その都度「おおっ!」とか「「わあっ」とか大声を上げながら完成したのだ。その結果多少難ありの作品が出来上がった。こうして夜な夜なパソコンを打っていると「鶴の恩返し」のお通のような心境になってくるが、いくらむしっても減らないのが私の○○。減るのは視力だけ。皺も増え、○○も増え(じっと座っているのが良くない)、、、なんだかなあ、、、。
さっきもホフマン物語を見ていたが、ドミンゴは矢張り良いなあ。演技力がダントツ。マスクも好みだけど、、、、。舞台を独り占めしてるみたいな存在感。生で見たかったなあ。今やおじいちゃんの域に達しているらしいが。(友人の話)
オランピアは大変だけどこんな曲が歌えるのは楽しいだろうなあ。今となってはあの世で歌うしかないが。、、、、カクン。

 

 

2004年9月22日 (水)

思いこみ。

 あることで深夜にどうしても電話することがあり、携帯に恐る恐る電話する。ところが「間違いです」と素っ気なく言われてしまう。携帯電話の声というのは、ホントに聞き分けにくいもの。で、私はてっきりご本人が、わざと間違いだと言って切ったのだと勘違いしてしまった。、、、結果それがホントの間違い電話だったと分かるまで、やな感じを引きずった。いや〜、思いこみは、どんどん激しくなってくる。
考えてみるとあの詐欺事件だって、完全な思いこみだモンなあ。何かのキーワードが、それを決定してしまう。一度思いこんだらそれをくつがえすまでに時間がかかる、という次第。
夕べはお風呂場に置いてあった包丁を主人が見つけてしまった。なぜ? という問いに、ドロボー対策と答えると、えらいこと笑われてしまう。そうしたことさえ忘れていたのだから、自分ながらおかしかったが、このところの物騒な事件は、何となく不安感が募る。
不安が呼び起こす病気も流行っているらしいし、気を付けなくては、、、。どうやって?

 

 

2004年9月21日 (火)

おれおれ詐欺、続編。

 連日連夜、詐欺の話しでニュース番組はもちきり。「お年寄りは気を付けましょう」「所謂弱者は狙われています」「お年寄りでそういう電話を受けた方は、すぐにしっかりした人に相談しましょう」、、、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。
 ふんふ�チ!どうせあたしゃ「お年寄り」ですよ〜だ。息子に「だからいたわってよね!」というと、「年寄りらしく暮らしてたらな」と返されてしまう。

 しかしよく考えてみると、こんなに有名な詐欺事件に巻き込まれるのは、メチャクチャ珍しいと言えるわけで、千載一遇と言えるのでは?宝くじに当たったようなモンだ。しかも、これが私だったことで、一体何人の人が、今後の人生で慎重に暮らすことになったか、を思うと、ふ〜む。まんざら悪い事件だったとも言えないかもしれない。
シェイクスピアも言っている。「良いことの裏には必ず悪いことがあり、悪いことの裏にも必ず良いことがある」とね。

 困難を極めたオペラ公演が、ようやく軌道に乗り始めた。ホフマン号よ、いざ進め!

 

 

2004年9月20日 (月)

何事も、準備次第。

 いやあ〜疲れたび〜。本日ホフマン物語の発会式のようなものをやった。思ったよりたくさんの人が参加してくれて、未来は明るいと感じさせて貰った。サンポートでの練習は早速サンポートからの取材を受ける。ホントにいよいよスタートだ。
 それにしてもまあ、私のドジは今更って感じだが、やっぱりどじだった。メールアドレスをグループ分けしていたのが、臨時である人を削除していた。それはその人がチョー多忙で、色んなメールが行くと圧迫感を与えるといけないという配慮からだった。が、元に戻すのを忘れていて、結局彼には何も知らせないまま、本日が来てしまうというお粗末。平謝りしても時間は帰らない。あ〜あ。年々歳々こんな事が多くなるなあ。
 誰か私に代わってえ〜!事務的なことはお願い!と叫びたい心境。マジで誰か名乗り出てくれないかなあ。私が10才若ければ名乗り出る所なんだが、、ん?

 昨日お会いした方から、「みっちゃん日記を読むのが楽しみでネエ。今日はどんな事件があったのかとワクワクしながら読むんです」と聞く。
私の答はホントは10万回の「え?」だった。何故って、あたしゃ事件を起こしたくて遭遇してる訳でもなく、ドラマティックな人生を送りたいとも思っていない。昔から、私は小説家になりたくて、ということは主人公ではなく、彼らを客観的に見る、外側の人間になりたかったのだ。、、しかし、人間て、どんな人でもやっぱり主人公なんだ。それぞれの生活があり、人生があり、そこには当然事件もあるんだ。、、、てことで、やっぱり今日も事件を書くことになった。さっきのドジ事件だ。 

 

 

2004年9月19日 (日)

う、、、書けなかった!

 夕べは2時半まで頑張ったが、疲れすぎていて、仕事がはかどらず、この日記も書けずに寝てしまった。
今日のちぇちぃりぁ全員集合の準備で、おおわらわ。

、、、、なんだかなあ。、、、体力がなあ。
しかし、行かねばならぬ。心と体にむち打って!
まだ、むち打てば使える身体だと言うことを感謝して!だ。

 

 

2004年9月18日 (土)

あな怖ろしや!

 どうも、いつまでも暑いと思ったら、ナント日本はいずれ熱帯地方になるんだそうな。東京がジャングルと化し、生物体系も変わるんだそうな。すでに今、熱帯地方にしか居ない鳥が群棲し始めているとか!くわばらくわばら。
そのころこの地球にはみっちゃんの影も形もないだろうが、遺伝子を持った人間は確実に影響を受けることになる。私の子孫達よ、幸せな人生が送れますように!草葉の陰から祈るほか無い。
 それにしても暑かった。仕事をしながら、クーラーの温度調節に余念がないという状態。このクーラーがくせ者だ。いや、分かっちゃ居るけど止められない。文明人の悲しさだ。

 水害地のヴォランティアから帰ってきた主人がシャワーを浴びてマッサージ機から降りてこない。大いびきでものの1時間半も寝ただろうか。
夕食後も又寝ている。余程疲れる作業だったんだろう。まあ、日頃が日頃だからねえ、力仕事は疲れるわねえ。ちぇちのメンバーも40�pも浸かったが、生活が全部2階で助かったとか。不幸中の幸いだ。
 さっきの地球温暖化、日本熱帯化にともない、大洪水も起きるんだそうな。この高松がこんなに水害に見舞われるなんて、やっぱり何かがおかしい。あの詐欺事件以来テレビをなるべく見るようにしているが、今日は、その洪水の時に持ってたら便利なものをやっていて、成る程お、と感心。しかし、実際はそれが何処にあるかなんて、思い出せるものかなあ???

 

 

2004年9月17日 (金)

持つべきものは友人、、、?

 夕方のニュースがかかる時間帯だった。友人から電話で、「ちょっと、今テレビ観てる?」と急き込んでいる。観てないと言うと、先日の私と同じ条件のオレオレ詐欺のことが報道されてるよ、というものだった。慌ててテレビをつけると成る程全く同じ様な手口だ。たまたまそこにいた母とかぶりついて観ていると又電話。多分他の誰かが同じ事言ってきたんだろうと良いながら電話をとると案の定「アンタ!OHK観てる?」ときた。
別な番組観てるというと、その友人は拍子抜けした声で、「ふ〜ん、こっちも観たら!?」と、、、まあ、どっちもご親切なこと。確かに私はテレビを観ない人だから、教えてやろうと思ってくれたんだろう。ぐぐぐぐ。
まあしかし、世の中詐欺が氾濫して居るんだなあ。こんだけエネルギーを使うんだったら、他のことも出来るでしょうに、と思うけど、ねえええ。


 

 

2004年9月16日 (木)

久々の観劇。

 先日の娘の公演があるではないかと言われそうだが、あれは母親の私にとっては観劇ではなかった。今日は、他人様の公演で、ゆっくりと観察も出来、じっくり観賞も出来た。「花よりタンゴ」というタイトルで、戦後間もなく落ちぶれた伯爵家だか公爵家だかの姉妹達が、生きるためにダンスホールを守ろうとしている姿を描いていた。
歌もダンスもあり、作品としてはまとまっていたが、テーマが今ひとつハッキリしない。前回の時もそういったら、昨今はそういうのが流行りだと言われた。そうかなあ。ホントに面白いものに時代はないのでは?
しかし、もう一つ本日の公演で、大変勉強になったものがあった。それは「笑いのツボ」を押さえていたという点だった。シェイクスピアのいうドラマティックアイロニーという奴が、上手く取り入れられていた。観客は次の展開がどうなるかを最初から分かっている。で、その通りになるのだが、そこへ行くまでのテンポや間合いで、思わず笑ってしまうというモノ。これはかなりな高度なるテクニックだ。わがちぇちぃりぁでは、無理かな?なんとか取り入れたいものだが、、、。
今日は急遽アクトホール水害のため大ホールに変更しての公演だったためか、マイクであった。後ろの座席の時はそう思わなかったのが、前に移動すると、マイクの位置のせいか、一体役者が何処で歌っているのか、喋っているのかが分からない状態。まあ、マイクというのも使い方が難しいモンだ。
今日感じたのは、歌というものは、矢張り力を持っているということ。大勢の人間を昂揚させたり、ムードを高めたりする力が、美しい声でリードされると、感動を呼ぶ。今日は歌が終わる毎に拍手があって、乗りの良い観客だったなあ。この人達ちぇちの公演に来てくれないかしら?

 

 

2004年9月15日 (水)

本日は会議。

 今日の会議で、ようやく「ホフマン物語」がスタートだ。以前にもスタートしていたハズなんだけど、途中で行きつ戻りつ状態になっちゃった。確かに公演の前というのは、色んなものが吹き出してくる。その吹き出物の種類によっては、大変なことになる。今回は、大中小、様々な問題が噴出。きっと、最後まであるんだろうなあ。
でも、結果、止めてしまおうとはならなかったのが救いだ。一人の力は小さいが、大勢でやれば巨木も倒すことが出来るはず。いや、例えが悪い。倒しちゃあいけない。巨木を抱えることも出来る。だ。巨体ではない。

 今日の会議でも、一番にオレオレ詐欺の報告だ。何が受けるって、私が相手と一緒に泣いたという下り。そうなんだ。申し訳なさで頭がいっぱいになって、つい泣けてしまったのだ。くそくそくそ!ああ、口惜しい!

 

 

2004年9月14日 (火)

詐欺事件つづき、、、

 昨日は余りに疲れていて、事のあらましを書くことが出来なかった。実は今日も余韻を引きずっている。じわじわと、悔しさがこみあげてくる。ある友人などは、頭っからバカにして、「あんさん、ようそんなんに引っかかるわ!なんで、警察がそんなこと言うてくるねん?あほちゃう?」と手厳しい。彼女なら絶対そんな手には乗らないんだそうだ。「だって、、、主人は電話にでないしい、、、パニック障害で呼吸困難だって言われると、、、、それに電話の最後に、こっちからどこに電話すれば良いですか?と聞いたら、110番にしてくれと言われたんだもん、、、、やっぱ信じるよお〜、、、」と声がいつになく小さくなる。それに引き替え彼女は電話口で、がんがんわめく。「あんさんもしっかりしてるかと思たら、あかんなあ。おばあちゃんでもそんな手に引っかからんでえ〜」だと。く〜っぐやじ〜。娘に至っては、「お母さん、私にだけホントのこと言って!ホントは振りこんだんだよね?」ええ加減にして!と今度はこっちが叫ぶ番だ。
そりゃあ、確かに危なかった。たった一つのキーワードが私を救ったのだ。敵は喋りすぎて、事に失敗したのだ。

 しかし人を見たらドロボーと思え、と言う時代がホントにやってきた。くわばらくわばら。

 

 

2004年9月13日 (月)

なんてこった!

 「こちら国分寺署交通課の中村です。ご主人が交通事故を起こされました。相手は県外の方で、奥さんが8ヶ月の妊婦です。只今意識不明で救急車で搬送中です」という内容の電話が山のような仕事の途中でかかってくる。ええ〜???と全てをおっぽり出しての大パニック。落ち着かなくては、と思うのだが、それからが大変。、、、、あなたのご主人は前科者になりますとか、少なくとも3〜5年の刑務所暮らしです。とか、怖ろしい言葉が次々と耳に入り、どんどん正常な判断力が失われていく。絶妙のタイミングで、「奥さん大丈夫ですか?」といたわりの言葉を挟んでも来る。いろいろあって、最終的にこれが所謂「オレオレ詐欺」であることが判明。2時間の緊張のせいで、首も肩もコリコリ。あ〜疲れたあ。幸い、お金は取られなかったが、この近辺を見張られているようで、怖い。そもそも銀行に引き出しに出かけてから、電話するようにと言われていた相手の電話番号を家に置いてきたことに気付いたのだ。あとで考えると、そうやって一度自分の家に帰ったところを外から監視されていたのに相違ない。家に入った途端「奥さん今どこですか?」と聞いてくる。正直に答えると、「あと何分で振り込めますか?」という。10分ごと答えてから、、、、、ああ、眠い。
余りのショックな事件で、全部か

 

 

2004年9月12日 (日)

いたわり合おうよ。

今日は雨。
後輩で古い友人が、脳梗塞の後遺症のままやってきた。ご主人の車で、いつものように。
一緒にお昼を食べようと、うどんをゆでる。
彼女はたどたどしい言葉で心からおいしいと言ってくれる。
たかがうどんだが、二人で食べると私もおいしかったなあ。
39歳で発病して、現在50も半ばを過ぎただろう。よく頑張ってるなあ。

私自身、こうなるかもしれない。父が脳梗塞の、母がクモ膜下、だもんねえ。年齢に不足もないし。そろそろ覚悟がいるのかも。ええい、矢でも鉄砲でも持ってこい!、、、ん?この台詞、最近聞いたぞお。
あ、そうだ、水害に遭って、又次のが来るかもしれないと分かったときのあのお方の名言?だった!まあ、二度目が来なかったから、格好良い言葉に終わったが、、、。

本日次なるお客は、入って来るなりお嫁さんの悪口。いつもながら、要するにただしゃべりたいのだろう。このおばあちゃんの気が晴れるのは一体いつのことなんだろう。80ん才だけどねえ。
人間死ぬまでこうなんだろうか。

どんな人も、幸福感というものをもてたらいいなあ。

 

 

2004年9月11日 (土)

和の心

 今朝は、ある短歌の本の出版記念パーティだった。この方の作品はどちらかというと地味だが、なかなか芯のあるしっかりした歌だったように思う。特に反戦歌のようなものがたくさんあって、私は心惹かれた。どれも、おおっぴらに「戦争反対」と言ってる訳ではないが、視点がそれを物語っている。私はシャンソンを歌わせて貰ったが、その時歌を一首読み上げさせて貰った。
「捧げたる銃と手首をのみ写すメコン川ふかし渡る米兵」
ある写真展での作品の前に立った作者の気持ちがよく分かる。そのカメラマンの訴えが彼女の琴線に触れたのだろう。それは、人間が人間として闘うのではなく、彼はもう1個の武器に過ぎなくなっている、そのことの怖さが、彼女に米兵への愛情さえ感じさせたかもしれない。
このパーティではいろいろ収穫があった。私の隣は大阪からいらした女流画家で、とても素晴らしい雰囲気の方。お互いに名刺交換をして、再会を期待した。又、同じテーブルにある結社の偉い方がいらして、その方の短歌に関するスピーチは素晴らしかった。といって、覚えてることがどれだけあるか、、、心許ないが。きっちり短歌人生を歩んでいる方だった。
そして右隣はピアニストのFさん。色んなイヴェントを手がけていらっしゃる方だ。この方とはもう古い付き合いになったもんだ。

 そこを出てから、和太鼓グループの発表会。元々好きな方だから、楽しめた。若い人達が笑顔がないのが気になったが、太鼓の腕は大したモンだ。これからが楽しみな団体だ。

 夜はジャズダンスの発表会。ふ〜っ。

流石に夜は涼しくなったなあ。一気に冬が来たらどうしよう。

 

 

2004年9月10日 (金)

暑いの?寒いの?ハッキリして!

 日中はクーラーかけても暑かった。べっとり肌にまつわりつく汗に、空調をドライにしたりと落ち着かない。
 夕方所用で出かけたら、窓を開けると暑いのでクーラーを入れると一番弱でも寒い。仕方なく窓を開けてクーラーと相成る。まるで昨今の男性のように訳が分からない。アンタ、熱いの冷たいの?ハッキリして!だ。

 食事時に雅子様騒動記の特集を見た。従って、ていねいに観たわけではないが、現代に置いても、なかなか事の真相を表に出せないのが、皇室というもののもつ体質だった。いけずうずうしいマスコミでさえ、これ以上は報道出来ないという、何かを感じてしまう。この環境が身体に良いわけない。早く復帰して欲しいものだ。

 

 

 

2004年9月 9日 (木)

虫が鳴く、、、。

 まだ夏の暑さだが、外ではコオロギが静かに鳴いている。時々フォルテになるのはどういう気分の変化なのか?

 夕べ洗濯物をたたみながら観た洋画の中の台詞で、知恵遅れの33歳の男性がお爺さんに「海ってなあに?」と訊き、そのお爺さんが「海はね、涙なんだよ。地球がどこもかしこも泣いて居るんだよ」答えるという場面があった。そうかもしれない。世界中に泣いてる人が居て、その人達を抱く大地も胸を痛めて泣いているに違いない。、、、そうか、海は涙なのか、と素直に思えた良い台詞だった。その中に私の涙も少しは入っているだろうし。

 今日、町中の総合病院に行った。エレベーターから降りてくる赤ちゃんを抱えたパパらしき若者と、幸せそうな若妻、隣には年老いて、車いすに乗った老婆、腕に包帯を巻いた屈強な男、、、、それはまるで社会の縮図だった。、、、が、あまり長くいたい場所ではなかったなあ。

 

 

2004年9月 8日 (水)

やっぱ運動ですか?

 久しぶりに本日は時間がとれて、夕食後一人で歩いてみた。ウオークマンを耳に入れて、歌いながらだったが、あたしゃ悟ったねえ。歩きながら歌うには、向き不向きの曲があるってねえ、、、。本日はシャンソンだったが、誰も聞いてないことを確認し気持ちよく歌いながら歩いていると突然さ〜っと若い男の子が自転車でソバを駆け抜ける。そん時ちょうど「さけんだああああ!」と盛り上がったところだったため、彼は瞬間ギョッとしていた。ハ、悪いことしちゃったわい。
でも、私なんか罪が軽いモンだわ。どこぞの歌姫は駅の当たりを堂々と歌いながら歩いていらっしゃるという情報が、、、。いやいや、別に罪ではない。騒音防止条例の範囲外だろうから。それどころか彼女の声なら、うっとりと(中には)疲れを癒されている男性も(男性に限ると思う)居られるに違いない。フフフ。まさか、コロラトゥーラを披露しているわけではあるまいなあ、、、?

 ところで、たった50分のウオーキングだったが、身体が軽くなって、お風呂上がりがとっても爽快。(そうかいそうかい、毎日お続け!と陰の声が)
しかし、ここでビールを飲むのはあんまり良くないと頑張って、水に。もっとも行く前にちゃんとビールを飲んでるからねえ、余り偉そうには言えない。
 ビールと言えば、あのお方、昼間っからお飲みになるのを未だお続けかしら?水害にあって、気分がくしゃくしゃしてるのは充分分かるが、昼間のビール=あれ、を思い出してしまう。まあ、ほどほどにお願いしたいところだ。ひょっとして、これ読んで、「大きなお世話よ」とばかりもう一本空けたかもしれないなあ。どうぞ、パソコンが壊れてますように、、、。
 でもまあ、この方に刺激されての夜歩き、いや運動だったんだが、確かに身体に良いみたい。習慣になるにはちと、、、???だが。

 

 

2004年9月 7日 (火)

やっと終わったあ!

 娘の公演の提出書類がとうとう完成した。後は会計さんに監査をして貰うのみだ。まあ、しかし、この書類の煩雑さ。もう少し簡単にならない物か。これが面倒で、お役所に関わって貰わないという団体もあるそうな。ったく、頷ける話しだ。しかし、今回は少しは賢くなって、インターネットを利用した。これからは、ちぇちも楽になるぞお、少しは。まあ、何事も経験と学習だ。

 本日の台風はどうなったのか、、、?たくさんの避難命令が出ていたが、あの方もこの方もどうしたんだろう??でも、ホントにここは何ともないからなあ。いつもの台風よりも全然台風らしくなかったほどだ。こうなってみると有り難いなあ、このぼろ家でも。
今日電話で、植木がたくさんある人が降ろさなくては、って話していたが、こうなると徒労に終わってお気の毒。又明日は元に戻すんだろうに。結構重労働だ。でも、又来るかどうか確かめてからにした方が、、、老婆心か。

 

 

2004年9月 6日 (月)

それでも時は流れる、、。

 公演の準備が遅々として進まない。まるでモグラ叩きのように、一つの問題を解決したら、又別のモグラが顔を出す。同時に二つ三つが顔�oして、全部一遍に叩こうとするも、どれもこれも叩き損ねる、、、、て感じ。
まあしかし、いつもこうなんだよなあ。スムーズに行った試しがない。その都度、ああでも無いこうでも無いと反省もし、進めていくのだが、一つ終わっても、又その学習したはずのものを一からやり直さなくてはいけない。時々、私って、一体何してるんだろう、、と我に返るのだが、、、勝算のない賭け事に又手を染める。以前短歌の師に「こんなに垂れ流し状態に歌を詠んで、一体何になるんですか?」と聞いたことがある。彼女はきっぱりと「それじゃあ聞くけど、あなたは何故、あんなに次々と歌を歌って、舞台をやるの?」「それと同じよ」とのたまう。そうか、と一応納得したが、まあ、そういう面も確かにある。別に私達が舞台をやろうとやるまいと、誰も困らないし、(やる場合は困るかも)自分たちにしても、舞台に乗らないと生きていけないわけではない。
むしろ乗った方が心臓に悪いかも、、、である。
しかし、何故か、そこに山があるからと上ってしまうのだ。それが蜃気楼のようなものだと知りつつ、、、。
しかし、考えてみると、人生そのものが、蜃気楼みたいなものだ。
今日葉書を探していて、永平寺の絵はがきが出てきた。その一つに「生まれたものは死に、会ったものは別れ、持ったものは失い、作った物はこわれます。時は矢のように去っていきます。全てが「無常」です。この世において、無常ならざるものはあるでしょうか、、、、」というのがあり、全くその通りだと思った。そしてこんなのも。
「人生に定年はありありません。老後も 余生も
ないのです。死を迎える その一瞬までは、人生の現役です。人生の現役とは、自らの人生を悔いなく生き切る人のことです。そこには「老い」や「死」への恐れはなく、「尊く美しい老い」と「安らかな死」があるばかりです」

安らかな死、、、か。今日ある方のお母さんが先日亡くなるときに「御大師さんがお迎えに来た」と言ったそうな。それはなんと幸せな最後か、と思った。安心してその時が迎えられたら、これ以上の幸せは無いだろう。、、、信じるものがないなあ、私。

 

 

2004年9月 5日 (日)

やっぱ、今日もダメ。

地震雷火事親父、、、、台風が行ったばかりなのに、、、、眠い。

 

 

2004年9月 4日 (土)

あかん、、、

眠い。

 

 

2004年9月 3日 (金)

茫然、、、。

 本日初めて、被災された恩師のおうちを訪問出来た。想像通りのひどさだったが、しかし、想像と現実は違う。実際に水浸しになった床が畳の無い顔をさらし、白壁がはがれて水位を教えているのを見ると、皮膚の内側から寒気に襲われた。案の定大切な蔵書が水浸しで、漱石全集など、ケースのまま乾かし、それから中身を出すんだそうだが、整然と並べられていたあの書物達が、所狭しと広がっているのを見ると胸が痛んだ。元お台所の床には、たくさんの写真が並んでいた。一度水洗いしたものをこうして乾かして居るんだそうだ。お孫さんや、お子さん達との楽しげな写真の数々。「ものを持ちすぎているから大変なんです」と平然とおっしゃるご主人が、熱心にその写真を並べていらっしゃるのが印象的だった。もともと物欲の無い方だとは聞いていたが、さすがであった。お二人とも、冷静で、表面的には逞しいのが救いだったが、しかし、きっと疲労が溜まることだろう。「長期戦です」と言われていたが、全く、元の生活に戻るにはかなりの時間がいるだろう。しかし、短歌の会の男性達はこんな時力仕事をしてくれたりと、やっぱり頼もしかったようだ。県内外からも多くの方々から電話やメールやFAXが相次いだとか。私はその全てを止めておいて正解だったようだ。ホントにこんな時の心遣いは難しい。全く何も言われないのは孤独だろうし、かと言って、返事が困るくらいの友情や親切は疲れることだろう。恐らくこう考えて何も連絡しない人も多いのではないか。実際我々も、寄ると触ると心配しては居るんだが、、。
今回、様子を聞けば聞くほど、警戒態勢が甘かった、というか住民への連絡が遅すぎたのではないかと思う。そして、今日聞くところに寄ると、まだ今にして、調査にも、消毒にも来てないというから、住民は不安なことだろう。どうやらお役所もパニクッてるらしい。やれやれ。

 

 

2004年9月 2日 (木)

とんだ一日。

 朝から頭痛がして、マッサージ機にかかり、なんとか治そうとするも、容易に疲労感がとれない。お客様には午後に廻して貰い、午前中は寝ようと思っていたが、結局予約無しのかたに起こされて仕事にかかる。
 不思議なことに仕事をしていると落ち着いてくる。結局身体を見ていると病気になる。身体を忘れていると動けるのだった。
 今日はFM2本録りだったが、夕方まで本業に追われて、取るものも取り敢えず約束の時間にと急ぐ。しかし、このころから疲労感が増すばかり。遂に2本目収録の頃にはピークに達して、呂律が回らない。さすがにお相手はそれと気付いて、余程疲れてるのねと同情してくれる。何度か取り直したりして、ようやく放免。、、、夕食をその方としていて、あっ、財布がない。どんなにバッグをひっくり返しても無いものはない。でも何処へ置いたかをどうしても思い出せない。これは帰ってみるしかない、と諦めて急ぎ帰宅。すると早々に主人はねているが、玄関に鍵がかかっていない。その上、その財布は入り口の端っこに置いてあった。ふ〜っ。助かったあ!疲れたあ。

 

 

2004年9月 1日 (水)

驚いた!!!

 朝、友人から恩師の家に電話したら大変そうだったとの知らせを受けて、�рヘまずいから仕事が終わり次第行ってみようと出かけた。驚いた!国道を越えたら突然おびただしいゴミの山が出現。畳もたくさん出ているし、目的の家に近ずくに連れて不安が募る。案の定そのお家の近辺は相当な被害だった。が、肝心のおうちはお留守。多分お嬢さんのお家にでも避難されたのか。と、諦めて引き返すと、老いた女性が前方から歩いてきたが、その疲れた様子から、何かを訊ねるのははばかられて、そのまま次なる目的地へと移動する。
まあ、しかし。これが同じ高松なのか、と驚くばかり。さぞやがっくり来てるに違いないと、恩師の身を案じ、用事を済ませて夜の11時も過ぎたが、もう一度通ってみると、小さな電気がついていて、ひょっとしてお帰りか?と思ったが、確かめられず帰宅。たくさんの蔵書とか、ピアノなんかも1階にあったが、どうされたのか、、、。いやあ、今回はホントに凄い台風被害だったのだ。以前下の子が生まれて1週間後退院してきた日がこの状態で、アパートの1階に住んでいたのを4階に避難させて貰い、休ませて貰ったことがある。あの時上から見たら、車が全部ぷかぷか浮いて、ボートでその車をつなごうとしていた。その様子をヘリコプターで取材していたことやなんかが思い出される。近くの分譲住宅はその後たくさん売りに出たものだった。その経験から、現在の我が家は水が出たことがないと言う理由で選び、道路よりも高く作ってもらったのだ。しかしあれから31年も経ったのか、、、。

 

 

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