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2004年8月

2004年8月31日 (火)

台風。

 来ないとばかり思っていた台風が、正真正銘やってきた、みたい。
だって、我が家は何ともないから、夜中の警報も気にならず寝ちゃったんだけど、ナント、寿町におつとめの友人から悲壮な声で、「ちょっと聞いてよ。1階が水浸しのせいで、あたしゃ9階まで階段を上ったのよ!」はあはあぜいぜい、とその友人はあえぎながら電話してきた。余程腹が立ったのだろう。しかも、�р燻gえない、パソコンは勿論、冷蔵庫もクーラーもと来た。私の答え。「そりゃあんた、帰った方が良いよ。だって、sこに居ても何の仕事も出来ないんだから。、、、」んん〜、と唸っていたがどうしたんだろう?
まあ、しかし、車の中で閉じこめられて亡くなった方さえいたらしい。この頃の車はオートだから開かないんだそうな。今日来たお客さんに聞いたんだが、小銭をいくつか何か袋に入れて、それで窓を叩くとガラスが壊れるんだそうな。こんなちょっとした知恵を知ってた方が良いなあ。いやあ、残酷。

 

 

2004年8月30日 (月)

台風さまさま。

 台風のお陰で、朝のシェイクスピアと、夕方からの会議と、ちぇちの練習が没になった。昼のシャンソンだけは熱心な生徒さんのお陰で予定通り。まあ、母の病院がよいがおまけだったが、楽な一日だった。昨日私が久しぶりに歩いたからといって、何も台風が来ることも無いんじゃないかと思うが、、、。
 つらつら考えるに、自主公演というものは、みんなの善意と力の集合で成立している。一人一人はそんなに家が倒れるほどの力を提供するわけではないが、集まることで、もの凄いパワーとなって、イヴェントを成功へと導く。1本だとすぐ切れる糸もたくさん絡むことで、びくともしない綱となる。過去、そうしながらたくさんの成功を経験してきた。今回の娘の公演も、まさしく例外ではなかった。ホントに有り難いことだった。F君なんぞは何も分からず、お手伝い出来るよと一言言ったために、最初から最後までこき使われる羽目になったが、彼は楽しかった、勉強になった、と、それしか言わないのだから恐れ入る。きっと彼のような人が天国へ行くんだろう。ちょっと重たいけど、私の手も引いてねえ。って、それじゃあまるで、私が後から行くみたいだわねえ。私よりもう〜んとお若い彼に、なんて事を!
しかし、東京から来ていた制作の人がメールしてきて、「きさくな方々の中で、楽しく居られたのが救いでした」と書かれてあって、そうだ、こんな所にもおばさんパワーが働いていたんだと知る。我が同胞達、サンキュー!

 

 

2004年8月29日 (日)

逆療法。

 とろとろと疲れているこの身体を、何とかしたくて、夕食後に30分ほど仮眠を取る。逆療法を思い立って、久しぶりに表を歩こうと準備していると、「ついて行って上げる」と小さな親切大きなお世話の夫の声。まあ、娘の芝居のことをおばあちゃんに報告するのも良いかと、二人で出かける。外は台風の風が吹き、生ぬるくて気持ちが悪い。我慢して、とっとと歩いて思ったより早く到着。迎えに出てくれた弟としばらく雑談して元来た道を戻る。行きはウオークマンを聴きながら歩くのは良くないというご忠告に従ったが、余りに退屈なので、暗譜のためにテープを聴きながら歩く。しかし、とても暗譜どころではなく、このやり方はある程度覚えてからのおさらいが有効だと悟る。
今回の娘の芝居は1時間40分の一人芝居で、覚える台詞も半端じゃなかった。集中力も必要だが、何よりやる気だろう。日程が決まって、何が何でもやらなきゃいけないから、自分を追い込めたんだろう。それに引き替えこの私は、このところどうも自分に甘い。少し態勢を立て直さなくては、、、。
帰宅してシャワーを浴びたら、スカッとした。やっぱり、時々歩こうかなあ、、、ふむ。

 今日の娘の楽日を、彼女のお姑さん達身内も行ってくれたらしく、お姑さんから報告の�рェある。今日は完璧だった。昨日よりも感動した。素晴らしい演技だった。と立て続けに褒めて頂く。良き理解者になって下さってホントに有り難いこと。なかなかに鋭い鑑賞眼を持っていて、専業主婦とはいえ、色んな趣味を持って暮らしている方らしく頼もしかった。娘も幸せな子だ。彼もせっせと解体した大道具を自宅まで運んだというから気の毒だ。近々どっかで再演の話しがあって、捨てられないんだそうだが、、、。まあ、今までの付けを美加にしっかり払ってもらってちょーだい!だ。

 

 

2004年8月28日 (土)

眠い。

 眠り病か?テレビを見ながらの夕食時も、いつの間にか目蓋を閉じている。ハッとして起きて例えばお茶を飲もうとコップを握って、又目を閉じることに、、、。疲れてる、、、。歳だ、、、。今まで関わったイヴェントで疲れたことがあっても、ここまで引きずった事はないように思う。公演後に18時間寝っぱなしだったことや、声がガラガラになり、口の中が口内炎だらけになったこともあったが、今回の疲れ方は尋常でない。夏の疲れと両方が原因だろう。だのに、長旅からお帰りの同居人は何故そんなに疲れてるのかと聞いてくる。アンタは私を見てないんだから、そりゃあ分かるわけ無いでしょうよ。と声が尖る。ていうか、自分自身も変なんだからしょうがない。首をぐりぐり廻すか、カバ口で欠伸をするか、、、、我ながら変。ああ、今頃は、東京1回目が終わってるなあ。順調に終わったんだろうか。心配。、、、しかし�рメつしかないだろう。
只今9時なんていう時間なんだ。寝るには幾らなんでも早すぎるだろう。、、、さて。

 

 

2004年8月27日 (金)

勘違いその2.

 マダムバタフライの日程を勘違いしていたら、今度は、うちの同居人の帰国を一日勘違いしていた。彼もぼけた�рオてきて、「あ、お母さん、今どこ?」だと??家にいるに決まってるでしょうに!だって、家に電話してきてんだから!まあ、それはともかく、今度はこっちが訊く番。「で?今どこ?」訊いて驚くじゃあないの!敵は既に関空まで上陸していたのだった!ありゃりゃりゃりゃ、明日の夜中じゃないの?は〜っ。この一日の勘違いは大きい。帰ってくる前にあれもこれもやっつけとこうと思っていたのが、予定が狂う。そうだ、ビールも冷やしておかなくては。我が家の冷蔵庫内のビール棚は只今お菓子に占領されているのだ。ということは元々そこにあったハズのビールは、私の胃袋だ。ハヒフヘホ。

 娘から強要されて、東京の知人友人に片っ端からお電話。遂に短歌の大御所にまでしてしまう。しかし驚く。この方は確か80歳を超えられているはず。でも全然それを感じさせない明晰な物言いと、張りのあるお声。ユーモアにもきちんと反応して下さるし、何より驚いたのは、恐る恐る「あのう、私はS師匠にご迷惑ばかりかけている不肖の弟子でして、、、」と切り出すと、すかさず「あら、今回のは良い出来でしたよ」とおっしゃる。えっ?えっ?えっ?私のことを覚えて下さっているだけでなく、膨大な歌の中のこんな私ごときの歌までご記憶に、、、!信じられない。いやあ、凄い!こんな歳の取り方をされる方も世の中にはいらっしゃるんだ。今度お目にかかるのが楽しみなことだ。

 今日夕方友人の経営するビッグカフナというお店に行き、絶対飲まないと言うのにやっぱり飲まされてしまった。友人達は、私の薬はビールだと思っている節がある。ま、近からずと言えども遠からずってか?フフフ。

 

 

2004年8月26日 (木)

持つべきものは、、、

 本日、ダウン気味の私のためにKさんがフェリー乗り場まで送ってくれる。彼女の二人のお孫さん連れで、船が出るとき小さな手がいつまでも動いていた。無事シャンソン教室を終え帰路に着く。すると救いの神が動いた。帰りも別な友人が乗り場まで迎えに来てくれる。
あ〜っ!感激。

 

 

2004年8月25日 (水)

時間。

 今日は今度の蝶々夫人に出演のY君とFMだった。で、この収録の放送日を訊かれて完全に1ヶ月飛ばしてたことに気付く。私の中で時間が止まっていたのだ。今度のバタフライがすぐソバまで来ていることに全然気が付いてなかった。この1ヶ月、無我夢中だったのだ。そう、我もなく、夢の中に居るような気分だった。身体は動いているが、もう一人の自分は別なことを考え、別な動き方をしていた。この二人の「我」が、今ようやく歩み寄りつつある。完全に一つになるには未だ少し時間がかかりそうだが、そうなったとき初めて、次なるものへと自分を移行出来るだろう。、、、なんてことをぼんやり考えてると、東京さへ帰った娘から、東京の友人知人に電話しろとのご命令が!はいはい。てな具合で電話すると、して良かった。みんなの近況が色々訊けたのだ。ある人は72歳の母親をつい先日亡くしていた。旧交を暖めている内に、近々高松で会いましょうということに、、、。確かにこうしてたまには�рオた方が良いんだろう。手紙というものを書かなくなって久しいから。、、、さて。

 

 

2004年8月24日 (火)

優しい人々、、、。

 二日続きの公演をたっぷり手伝ってくれた友人に会うと彼女曰く「もう少したくさんチケットを売れば良かったと心から後悔している、、」と言う。どういうものか分からずに動いたからこんなに少しで御免ねと、言って売上代金をくれる。又ある人は「よく頑張ったね。素晴らしかったよ。」とご自分の苦労が無かったかのように迎えてくれる。親戚のおばさんは涙ぐんで「良かったよお。美加ちゃんホントに立派になったねえ。」と手放し。いとこ夫婦は仕事の手を休めて相好を崩す。、、、なんて果報者かこの子は、と改めて思う。こういう人々に支えられての今回の公演。きっと、生涯忘れ得ぬ体験となったに違いない。
本人はおばあちゃんの為に、という発想だったが、その肝心のおばあちゃんは苦い顔。公演が終わるまで相当にストレスを抱えていたらしい。母親とは別の意味で早く終わって欲しいと願ったのだろう。勿論一方では、成長に目を細め、遣り仰せたことに安心もしたようだが、、、。

 空港に着くと、満席でチケットを売りすぎたため、次の便と交換して貰える方には1万円お返しします。という張り紙が。しばらく二人で考えて、この節約モードの時だから、この話に乗ろうか、ということになる。しかし、その後状況が変わり、変更しなくても良くなった。娘との2時間という時間と1万円があっという間に消えた。拍子抜けして帰路に着くが、独りぼっちの車内が妙に広く感じられる。別れ際まで演技の事を訊いてきた娘の東京公演に思いをはせながらの運転だった。どうか、無事終わりますように、、、。

 

 

2004年8月23日 (月)

後始末。

 物事に終わりが来ると、必ず後始末というやっかいな、ひょっとしたら本番よりも大変な作業がついて回る。何度かの経験から、分かってはいるが、今回の娘の公演は少々勝手が違う。裏方さんが全て東京からの客人で、まずは気の使い方が全然違う。とりあえず、家の中の山のようなものは全てそのままにしておいて、片づけるべきものを片づけるため奔走する。その内の一人をうどん屋巡りに連れて行ってくれたFくんがこの身体を気遣ってくれたが、年のせいか未だ疲労感が思ったほどやってこない。まあ、身体の半分が自分でないような妙な感じはあるが、多分明日来るんだろうなあ。
夜、ギャラのお支払いの事で演出家に会い、今回の公演の事をあれこれ話し合った。なんといっても客層が良かった。空気が暖かくて、東京公演とは違うものを感じたんだそうな。まあ、殆どの人が私の知人友人その又知人友人だから、暖かいのは頷ける。今週末の東京公演とは違う空気だろう。それに助けられての好演だったのかもしれない。会う人事に褒めて下さるし、お電話やメールも頂く。ホントに多くの人に助けられての公演だったことに改めて感謝だ。
 観客の動員と言うことに於いては正直悔いが残る。余りの多忙さにくわえて酷暑も手伝い、この公演に時間もエネルギーも充分かけることが出来なかった点、立場上仕方がなかったとはいえ、もっとやるべきだったと、残念だ。まあ、それもこれも自分の力の限界なんだが、こうして、この公演に全力投球してくれた裏方さんにお会いして、ここに来るまでの苦労話や、娘自身の努力を聞かされると、ん〜ん、母親として、もっとやるべきだったのではないかと思わずにはいられない。
、、、が、過ぎたことは取り返しがつかないのだ。舞台というのはそういうもの。やり直しもしきり直しも無い世界。赤が出たら自腹を切る、それだけだ。
 面白かったのは、昨日演出家を訪ねて来た松山の人が、短歌をして居るんだそうな。その人が以前戯曲を勉強していたが、途中で断念して郷里に帰り、芝居からはすっかり遠ざかっていた。そして最近短歌を初めて、かなり有望視されてきてたこの頃になって、又戯曲を書きたくなったと言うのだ。短い制約のある言葉で、短歌を詠むという作業が、戯曲を書くとき台詞を創る場合にとても訓練になるらしい。Sさんからはそれ見たことかと言われそうだが、ぼちぼちオペラの台本を創らなくてはいけないわけで、これは他人事ではない。さ、さ、さ、さ、、、、、さ。

 

 

2004年8月22日 (日)

終わった。

 例によってその場しのぎの裏方で、急遽やっつけた影アナ。「全館禁煙です。」と言っておいて、「禁煙された場合、サイレンが鳴ります」と言ったそうな!本人は全然自覚がない。舞台監督が打ち上げで、あんな良い声でまさかあんな間違いするとは思んねえもんなあ、、。と絶句してたなあ。ハハハ。笑いでごまかすも、かなり口惜しい。どこにも持っていけないミス。やれやれ。
 あとの打ち上げで、いろんな舞台裏のことが聞けたのは面白かったが、大の男共が、汗水垂らして舞台に虚構の世界を造ることにあんなに一生懸命になってることが、、妙におかしかった。同窓生の中に、宇宙開発事業団にいる人がいるが、以前彼に言ったことがある。「まるで小さいときの夢をそのまま追い続けてるようなお仕事ね、、、」と。両者とも生半可な勉強では出来ない仕事だが、何かしら私は彼らに愛おしさを覚える。打ち上げれば落ちるロケットを世界最高の水準の頭脳を�Wめて製作し続ける人達。一方、舞台も、ホンノ2時間ばかりで、まあ、仮に今回のように二日間だったとしても、それが終わればあれだけ精魂込めて創ったものを、又自らの手で壊してしまう。そういう物だとどっかで折り合いが付いているから出来るんだろうが、、、。彼らの仕事は壮大な子供の砂遊びに似ている。しかし、考えてみると全ての人間の営みは、この砂遊びかもしれない。何一つ確かなものなどありはしないのだ。、、、この世は無常なのだ。

 それにしても一応無事終えることが出来たのは、私の友人知人あらゆるジャンルの協力があったればこそだった。感謝の他無い。有り難いことだ。

 

 

2004年8月21日 (土)

、、、まだ生きてる。

 そうとう頑丈な身体を親から受け継いでいるらしい。名実共に重いこの身体が我が家に到着したのは午前1時。こうしてパソコンを打ちながら、半分寝てる。、、、ここまで書いたら、目が全然見えなくなってきた。おかしい、、、。危険信号かもしれないから、この辺で、、、。

 

 

2004年8月20日 (金)

裏方という仕事。

 これがたった一人のために費やされる時間とエネルギーかと、何度も感心させられる、本日の裏の仕事のすさまじさ!舞台の上に、一日がかりで一部屋造ってしまった。手伝っていた、F君はただただ感心と驚嘆の連続。舞台にかける男達の、いや女性も居るから人々のだ、真剣この上ない仕事ぶりに、プロとしての気迫が感じられて、迂闊に声もかけられない。西日本放送からの�рナ、24時間テレビに放映されるということだったが、これの了解を頂くのに、タイミングを見つけるのが大変。ようやくお茶を飲みに来た舞台監督を捕まえることが出来て、色んな条件付きならと撮影に許可が下りる。
余りの大変さに東京から来ている制作の人が気分が悪いから外に出ると言い出す始末。私よりうんとお若い人だが、、、、大丈夫かなあ。本番持つかなあ???他人事じゃあない。タフが取り柄のおみっちゃんも、気が付くと肩で息をしている。
搬入口で帰りにばったりお会いしたM夫人が、会うやいなや「ここは導線が悪いから、疲れて疲れて、、、とぼやくことぼやくこと。みんな同じだった。
さあ、明日は初日。どうなる事やら、、、。

 

 

2004年8月19日 (木)

兎に角、時は流れて日は経つものだ

 睡眠不足も何のそのと、ドリンク剤を引っかけてホテルにお迎え、制作現場に送り届ける。そうこうしている内に、一人二人と東京からスタッフのごとうちゃ〜く。F君の助っ人があってなんとかクリア。滞りなく皆様を居るべきところにお連れすることが出来た。一気にガソリンが減り、いつの間にかもうないよ〜のランプが点滅。あわわわ、と補充して、再出発。
しかし、悪いことは重なるモンで、携帯の電池が切れて、次々とかかる�рノ出られない。どっかにauショップがあったと思って探しても探しても見あたらない。いつも車の中から用事がないときに目に付くものが、こんな時に限って見あたらない。仕方ない、と覚悟を決めて車を駐車して、商店街を歩く。するとようやくあった!若い可愛い男の子が応対をしてくれて、どうもこのところの電池切れは本体の寿命が原因らしいと言われ、ええいっ!とばかり機種変更!なんでこのクソ忙しいときにと、陰の声が聞こえたが、それよりも便利を選んだというわけ。確かに今までのフラストレーションがかなり解消される。字もそこそこ大きく、何より画面が明るい。検索も結構素早い。、、、などと悦に入っていると、いきなり画面にTVという文字が躍った。えっ?これでテレビまで見られるの?と半信半疑で只今息子に見せると、大いにバカにされた。なんと、テレビのリモコンだった。しかもケーブルテレビの我が家には全くの無用の長物。、、、やっぱりね。
そのショップの男の子が「よく携帯を使われるんですか?」と聞くので「ええ、よく使いますよ」と答えた瞬間にに立て続けに4件の着信が。「ホントですね」と笑う彼があれもこれもとおまけを付けてくれたのは、お得意様と思ってくれたのか?「あれって、もしかして貰えるの?」とおまけのおまけをおねだりしたら「え?ああ、良いですけど、気持ち悪くないですか?」と良いながら取ってくれる。味方によっては確かに気味悪いかも〜と思ったが、しっかりストラップとして付けて貰う。、、、これ、おばさん根性。

 雨が降ったり照りつけたりと定まらない天気の中を汗びっしょりになってセットを制作してくれた皆さんに労いのお食事会を。総勢11名の志士達はみんなもの凄い個性の持ち主。この人達のオーラったらホントに圧巻。これって、何だろう。 娘と私はお先に失礼したが、彼らはそこから又ハシゴだったそうな。いやあ、強い!女性も含めて、タフ揃いだ。そういえば、紛れ込んだF君は大丈夫だったかなあ?住む世界が違う人達の中で、楽しめたかなあ?、、、ま、今夜は何も考えるまい。明日も早い。

 

 

2004年8月18日 (水)

もう〜だめ、、、

人の送り迎えをしていたらあっというまに午前様。又明日は早起きして運転手だ。さあ、ねるべ。

 

 

2004年8月17日 (火)

勘違い。

 あたしゃ余りの疲労困憊に、遂に日にちが分かんなくなっちゃたあ!すっかり1日遅れていて、明日娘達一行が高松入りするってことが頭に無かった。ぎょぎょぎょっ!間に合うんかいなあ。あれもこれも頼まれてるっていうのに、、、。
 結局今日は東京の制作と打ち合わせることがメインになった。しかし、今日に限って本業が忙しい。夕方になって助っ人が現れる。別に本人はそんなつもりで来たわけではないが、ここで会うたが百年目え、、、、てなもんで、しっかりこき使われることに。心の中では手を合わしてんのよ、分かってくれてると思うけど、、、。彼女の出現で、急遽、大的場の方まで看板を取りに行くことが出来た。持つべきものは友だ!

 帰ってみるとちゃんとパンフレットの原稿がFAXで届いている。急ぎ校正をやりとりして、何とか間に合いそうだと分かって一安心。彼も遅くまでやってくれて居るんだ。ホントに有り難いこと。
 
 いよいよ明日は東京人がやってくる。さて、、、。

 

 

2004年8月16日 (月)

差別。

 この難しいテーマに人間味溢れる短歌で挑んだ人が、昨日の歌会に居た。差別する気持ちは、おそらく殆どの人がもち合わせているに違いない感情だ。人間て弱いもので、欠点だらけのもの、なんだが、だからこそその欠点を自覚し、修正していくべきなのではないか?「差別」を口にすることがタブーであるかのような昨今の風潮は私には納得しかねる。彼女の歌はおとな社会から、子供時代の純粋な気持ちに意味不明の圧力がかかり、それに抗えない幼い自分を思い出すというものだった。ということは、今は、彼女は全てを知り、自分の中の差別感についても考察したうえで、詠んだ歌なのだ。
この話題が我が家の茶の間のテーマとなった今朝、息子の結婚をその意味も含めて完全に本人の意志を尊重しようと、久しぶりに夫婦の間で意見が一致した。
真の意味で差別のない世の中にならなくてはいけない。

夕べの涼しさは何処へやら。又暑くなってきた。まあこうして段々秋がやってくるんだろう。

 

 

2004年8月15日 (日)

集うということ、、、。

 人は一人では生きてはいけない。色んな人間関係に悩みもするが、結局は、心の通う人との交流によって生かされているのではないか、、、と思わせる今日の歌会ではあった。和やかな雰囲気の中、数々の「夏の歌」に20名ほどが全員しばし集中。「良い歌」と「佳い歌」の違いは何だろうか、等と考えながらの時が思いの外速く過ぎ、終了予定の時間となる。場所を移して今度は二次会をサンポート近くで。思いがけず先頃母上を亡くされたIさんが現れ、近況を知り安心することに。二人暮らしだった彼女の落ち込みを思うと、いい加減な慰めの言葉も言えず、メールも手紙も出せずにいた私だったから、ここで会えたのはホントに嬉しかった。時の力で彼女に早く新しい人生をと、願わずには居られない。
結局生ビール大ジョッキを空け、ライムサワーを一杯飲んで、ご機嫌になり、ちょい食べ過ぎたかも〜。外に出れば、まるで秋のような風が吹き、そぞろ歩きをしたい気分に。
眠いから帰るという情けない連中におさらばして、唯一の男性を誘いミケイラまで歩く。お店にはいるとムッとしたから、店員さんに外で飲みたいと言うと、外は暑いですよ、なんてとぼけたことを言う。それでも良いですと外に出れば、その店員が驚く涼しさ。目の前の船の行き来や星空、道を往く散歩する人々、、、、余りの素敵さに、これは他の人も呼び返そうと、無駄な�рキるも、案の定断られる。二人で散々みんなのことをバッカネエと言いながら、美しい平和な風景を楽しむ。私は赤ワインをグラスで、これが又イタリアンでおいしかったのだ。まあしかし、彼がこんなに感動してくれるとは思わなかった。矢張り若いんだ。というか、流石短歌でもしようかというだけはある、と言うことにしておこう。フフフ。閉店時間まで居て、ゆっくり築港駅まで歩く。まるでいつも見るサンポートの景色と違う感じ。彼に「タクシーでしょ?」と言われて、意地を見せて電車で帰ることに。ということは、着いたら歩くということ。、、、それが一切苦にならなかった。不思議。なんでだろう???
ま、お相手が私で彼には気の毒だったが、次回のデート場所を教えてあげたようなモンだから勘弁して貰おう。いや〜、人間こんな時間が絶対必要!

今日はそれにおかしな話しが舞い込んできた。映画に出演しないかというものだが、どう考えても私は無理な時間だろう。で、他を当たっているが、結構居ないモンだなあ。さて、誰か現れるかなあ?

娘の芝居のチケットを今日も買って頂く。皆さんのご親切には頭が下がる。歌会の途中にも何軒か、買いますよのメールと電話が入る。、、、どうなることか、、、。

 

 

2004年8月14日 (土)

ぼちぼち限界か、、、。

 今朝の結納を無事終えて、午後の歌のレッスンも受けて、仕事もしいの、突然の来客にくわえて、ラオスからの新しい客人にも食事を振る舞うことに、、、。良いわよと、やけっぱちで応えた私の前に天使が現れた。2時間ばかり料理を造るのを手伝って貰ったが、考えてみるとこの人とはもう何年も会ってなかったのだ。久しぶりだったためお互いの空白を埋めるように会話が弾む。その中で夕食の準備をさせてもらうことに、、、。結局本人は、料理を手伝うだけで、一人で待っているお母上の元に急ぎ帰っていったがメチャクチャ大助かり!なんとか膳もととのい急遽7人での食事会となった。
しかし、おりのように身体に澱む疲労感はいや増すばかり。明日の短歌の会を思うと、、、大丈夫かなあ??少々心配。ま、明日は夕食は要らないと言う男共二人の言葉が多少の慰めか。

 

 

2004年8月13日 (金)

舞台って、、、、

ホントに良いモンだと、改めて思わせるジョイントコンサートのステージ。この演出は吾等がプリマドンナ小濱妙美さんだったが、流石、観客の心を掴む術を知っていらっしゃる。そして、その指導にちゃんと応えた二人の女性にも大きな拍手だ。何が大事って、素直な心こそが上達の秘訣。プリマの魔術にかかった彼女たちに、降り注いだ拍手は、サポーターM氏の予想を遙かに超えた長いものだった。ソプラノ順子さんの夫、即ちM氏はこの日、いやここ何日か、全精力を彼女のために注いだ。らしい。「僕は甘いことは言いませんから」という口の端から、笑みがこぼれる。そりゃそうだろう。あの短い練習期間で、悪条件の元、悩み苦しむ妻を見て、心中穏やかなはずがない。何とかしてあげたいと思ったに違いないのだ。いわゆる裏の仕事を一手に引き受けた本日はともかく、今日までのジレンマが演奏会の「成功」によって一気に解消しただろうから。少しくらい言うこととする事に違いがあっても、そりゃあ当たり前。「今夜は飲むぞ〜」の勇ましいかけ声と共に始まった打ち上げでは、誰よりも全員に気を遣い、自分が飲むことよりも人様へのサービスにこれつとめていた当たり、なんともはや羨ましいを通り越して、ご馳走様!いいなあ、いいなあ、順子さん幸せね。

 本日私も裏のお手伝いをさせて頂いたが、いやあ、舞台って、ホントに面白い!

 

 

2004年8月12日 (木)

世間はお祭りなんだ、、、。

 夕方一高からアクトホールへと向かい、コンサートの第一部を聴いて帰る途中、中央通りにさしかかり、あ、そうだ、今日はお祭りだと気付く。慌てて迂回して帰る途中、つくづくお祭りに縁がない自分を思う。しかし、これでも去年は洋上花火を体験したが、今年はとんでもない話し。しかしなあ、この暑さの中を踊りながら練り歩くなんざあ、健康な若者のやる事じゃないの?テレビには結構な年配の方も映っては居たが、、、。

 例によって丑三つ時に表に水を打っていると、突然ホースがすぽんと抜けて、直そうと突っ込んだらビショーっと全身ずぶぬれに!ま、これからお風呂だから良いようなモンだが、しっかし、ついてないなあ。

 演技に行き詰まった娘から�рェあり、たまたま新聞に出ていた小田島先生の記事を読んで聞かせる。少しは参考になったようだ。しかし、明日から毎日2回通し稽古だそうだ。と言うことは毎日4時間マラソンをするようなもの。あの華奢な身体で大丈夫だろうか?とっても心配。気力だけで持っている感じだ。母としては心配だと言う言葉はかろうじて飲み込んだ。いつの間にか、強くなったモンだとは思うが、怒鳴られても蹴られてもはいずり回ってやっているらしいことを聞くと、ムムム、、複雑。しかし、厳しい中に身を置く娘を思って、頑張らねば、母も。およよよよ。

 

 

 

2004年8月11日 (水)

今日も終わった、、。

 本日FMのゲストはプリマドンナだったが、様々なアクシデントで、予定より早く終わり、久々の会食となる。和食のおいしいお店で、最近開拓したところ。なんと言ってもお袋の味的な野菜料理がずらりと言うのが嬉しい。独特のママさんのおしゃべりで、地場だけでなく日本各地のおいしいものを食べさせて貰っていることを知る。
ところが、信じられないことに、プリマの食欲が未だかつて無いほど少ない。どっか悪いのかと訊くと、明後日に控えたお弟子さんのリサイタルの事が気がかりで、眠れない食べられない、のだそうだ!な、なんとお!ご自分の演奏会前はじゃかすかお食べになる方が、、、へえ〜っ!?そうなんだ。先生の方が大変なんだ。イヤ勿論本人が大変なのは当たり前だが、全体をプロデュースするお役目の彼女は、これまた大変なのだ。胃が痛いというのだから、確かにストレスなんだろうなあ。その気持ちは分からなくもない。シャンソン教室の発表会でも、自分の歌どころではなくなってしまう。

 帰宅するとFAKXとメールでてんてこ舞い。当日渡しのパンフの原稿をやりとり。これが午前2時まで続くのだからやりきれない。く〜っ!寝れんじゃん!?又、植木の水やりが丑三つ時だあ!
 でもでも、私の期待以上のものが出来つつある。彼も創作を楽しんでくれているようで、ほっとする。やっぱり彼のセンスを信じて良かった。

 

 

2004年8月10日 (火)

夜でもあっついんだからあ!

 と、誰に文句つけようと言うわけではないが、誰かに文句の一つも言いたくなるこの暑さ。水戸から帰った息子が高松の異常さを強調してくれる。しかし、その通りなのかも。だからして水戸が郷里のT先生は夏になるとせっせとお帰りになるのか!?きっとそうに違いないと思えだした。
 昨夜塩江にお泊まり遊ばした夫は、如何に塩江が涼しかったかをとくとくと話す。そうでしょうとも。こちとら夕べもクーラー付けたもんねええ。今日なんて、夜11時に南郵便局まで車で走っていても、何とも言えないムッとする暑さだったもんねええ。ああ、速くこの暑さが終わらないかなあ。

 本日ご来店のKさんという男性客が面白いことを言ってたなあ。世の中に「表示」の無駄「要らないアナウンス」が多すぎるというモノ。通勤列車の「次は○○駅〜」というやつ。要らない信号の話し。どれも納得出来て面白かった。私もそれで思い出した。コトデン築港駅で、誰一人乗っていない電車がホームについてドアが開くと「皆様お疲れ様でした。どうぞお忘れ物のないようお降り下さい」というアナウンスが流れて、思わず吹きそうになったことを、、、。

だめ、もう睡魔が、、、、久しぶりに1時前に寝よう。

 

 

2004年8月 9日 (月)

地球は広い。

 ニューヨークは寒いというメールが届いた。この暑さで頭がおかしくなっている私からみるとすぐにでも飛んでいきたい気分だったが、そうは行かない。秒読みに入った娘の芝居が、その後のオペラの公演が、、、休みをくれい!と叫びたくなる。虚しいこだまが帰ってくるだけだが、、、。

 今日は色んな人が広告を下さるというのでかけずり回ったが、その合間に、母を伴い新しいイタリアンのお店に入る。そこは従業員がイタリア語を話している。まあ、他にもそういう店が無いわけではないが、ここはかなりたくさん喋っている。お店の構えといい、雰囲気と言い、システムと言い悪くない。さすがにみんな良く知ってるなあ。駐車場も満杯、座席もランチとて満席だ。でも、案外速く案内されて、おいしく頂く。又来たいと思わせるお店だった。人間おいしいもの食べてるときはいい顔してる、みんな。それに引き替え、表を歩く人達の顔ったらない。み〜んなしかめっ面で、「あつ〜」て顔。車から観察するとホントに面白い。、、、こんな時に歩く人は元気なんだろうなあ。わたしは勘弁よ〜〜〜!

 

 

2004年8月 8日 (日)

演劇祭終わる。

 とうとう演劇祭が終わった。通常の公演時よりも余分なエネルギーが必要だったが、果たしてその意義はあったのか?色んな点で疑問が残る。こういうイヴェントは必ず反省会を持たなくては、同じ事を繰り返すだろうし、自然消滅しかねない危うさを持っていると思う。兎に角島国根性というか、自分さえよければ、という悪い意味での民族意識が幅を利かせる世の中だ。地方演劇の世界とて例外ではないのだ。そんな中で、吾がタイムステップは土壇場になって、他劇団の応援に駆けつけ、この炎天下、汗だくだくのサポートをしてくれた。公演終了後、彼らのさわやかな笑顔に出会い、この劇団に未来があると確信した。そうなんだ。人は同じ体験からしか、その苦労が分からない。自分たちもして貰ったように、誰かにさせて貰うことで、改めて、して貰ったことのありがたさが分かるというもの。この裏の仕事の大変さ。そして重要さ。ただ、舞台に立って跳んだり跳ねたり歌ったりしてればいい人達とは、全く違うエネルギーが必要だ。勿論出演者が大変なのは百も承知。永い時間をかけてここまで持ってくることの大変さは、多分裏の人達には分からない苦労だ。、、、だから、両方経験するのがベストなんだ。

さあ、今日が終わったと言うことは、一人芝居がいよいよ本番間近と言うことだ。今日会ったあの人もこの人も行きますよと、声をかけてくれた。てことは、、、当日券のおそれが、、、。フム。
おお〜い、私から買ってよ〜〜〜。

 

 

2004年8月 7日 (土)

息が切れる、ぜえぜえぜえ。

 ビッチリ詰まったスケジュールに割り込んでくるものがあると、もうガタガタ。結局、予定していたシャンソン教室発表会もいけず、岡山の劇団の公演も観られなかった。かろうじて自分の個人レッスンだけはやって貰えたが、これだとて、危なかったのだ。、、、しかし、この状態で、次の会で暗譜で歌うなんて芸当が出来るのだろうか?全然全く自信がない。年々歳々覚えも悪くなり、忘れる速度は速まっている。日々これを自覚して暮らしているが、舞台ではそんな言い訳は通用しない。お客様は、単純に楽譜を見ながら歌っていると「不勉強」としか見ないだろう。なんで歌だけ?と思うけれど、実際観客になってみるとよく分かる。前を向いて歌う人の宿命か。

娘が今回やる一人芝居は、およそ1時間半のものだが、当然全て暗記である。あの厚い台本を全部覚えるのかと思うと、あたしゃ空恐ろしいが、本人は至って平然としている。ストーリーを飲み込み、そこに身を入れ、登場人物になりきれば、自ずと出てくるんだそうだ。台詞が。と言うことは、歌に置いてもそうすればいいのかもしれない。歌詞を全て理解し、その内容に完全に自分を投入すれば、自然に言葉とは出てくるものなのか、、、?

 さあ、明日はおぼっちゃ間がお帰りだ。受け入れ態勢を整えなくては。ふああああ〜。

 

 

2004年8月 6日 (金)

おまぬけな私。

 今更って感じだが、どっか抜けてる。、、、と書いて、一体どんな風にお間抜けなのかを、書くネタを忘れた!、、これ以上のおまぬけはないだろう。兎に角ひっちゃかめっちゃか、の日々。そんな中で、収穫もある。FM二本録りの後、深夜に呼び出せる人は、、、居た居た、I先生。電話したら、「まあ、私今ジョギングから帰って、シャワー浴びて、くつろいで、さああ、今からテレビでも観ようかな?とパソコンを開いたところだったのよ」とおっしゃる。なんで、テレビ観るのにパソコンを開いたかとも訊かず、お化粧を落としただのやれ着替えがどうのというのを、「裸でなきゃ良いから」と説得?して呼び出す。で、本日は敢えて夕食もとらず、広告を頂くためにこの居酒屋だ。一人でアルコールも飲まず、こんなお店というのはさすがに気になったというわけだが、もう一つ私の中のプランは、I先生にパンフレットの題字をお願いしたいということだった。すでに 私の頭の中には構想があり、その実現のためには、是非あの筆字が欲しかったのだ。予想通り快く受けて下さって、これで、パンフレットも素敵なのが出来る予定。、、、一つ一つだ。

 13日金曜日のジョイントコンサートにご出演のお二人にFMの収録に来て頂いたが、お二人とも演奏会前の良いお顔をされていた。楽しみなことだ。

 

 

 

2004年8月 5日 (木)

一人ではないということ。

 今夜は、私の友人を中心に10数名が娘の公演の成功のために集まってくれた。プロジェクトチーム結成である。頼もしい人達を前に、ようやく気分が楽になった。いつもなら団体にあって大勢と共に準備にかかり、作業も手分けしてやるのだが、今回ばかりはそうも行かなくて、今日まで殆ど一人で走り回った。そんななかで、友人が手を差し伸べてくれるのには、ホントに頭が下がる。プロの興行主ではないから、限界もある。ほんの少し手伝ってくれたらそれが随分力になる。優しい声に支えられても来た。、、、そして今日、このプロジェクトチームで本番に向けて再スタートだ。本当に有り難い。
色んな方が、当日用のパンフレットにコメントを下さる。続々とそれが集まってきているが、これも信じられない幸せなことだ。
、、、しかし、チケットだ。一人でも多くの人に観て頂くために、あと、何が出来るだろう?
明日は朝日新聞に記事として掲載されるはず。
四国新聞東京支社も取材に来てくれたらしい。
今日は西日本放送の生番組で電話インタビューを受けた。、、、時が迫ってきている。

 

 

2004年8月 4日 (水)

ディナーショー。

 又雨が降っている。台風らしい。
イタリアから二人の男性歌手を引き連れて颯爽と帰ってきたGさんのディナーショーが行われた。絨毯の広間だったせいもあるのだろうが、マイクでの演奏はなんとも残念。特にテノールはマイク無しで聴きたかった。生まれ持った骨格の仕業か、と思う日本人とは異質の声が、朗々と響き渡るたび、ああ、生声ならなあ、と残念だった。ドンナ良い声でも、不思議と機械音は飽きてくる。三大テノールの機械音を思い出した。日本の最高の技術を駆使したであろう球場でのコンサートは、「なにこれ?」というもの。その時友人が7万円出して、アリーナ席に座ったのだが、、、未だに笑い話になっている。球場の外の人にも同じように聞こえていたのだから、全く無料で聴いた人もいるわけだ。今夜のGさんほど目の保養になるひとならそれも良いが、三大テノールではネエ。
今日のデザートはおいしかったなあ。痩せるわけ無い。ふ〜。

 

 

2004年8月 3日 (火)

時間が経つのが異常に速い!

 信じられない速さで時が経つ。今日はちぇちの為に時間を割くことになり、先日の疲れの上に疲れが溜まり、仕事がはかどらない。DMの作成に午前1時までかかってしまった。しかし、これで終わったわけではない。単に封筒が無くなったから止めただけで、明日も又買ってきて残りを作成しなくてはならない。団体の場合これをみんなで手分けしてやるんだが、今回は一人でことことやっている。一番苦手なこの単純作業にほとほとつかれた。ビールを二缶目空けてぐびっと飲むと少し元気が出たが、、、。

 ああ、明日はディナーショーだ。なんとか、日中にDMを完成させたいものだ。

 日々余りの忙しさでついポカも出る。
約束していた場所に行かず、うっかり別な場所に打ち合わせに行ってしまい、お会いするべき人に会えず、その方は1時間以上もウロウロして
結局お帰りになったそうな。携帯電話があるという安心から、どうもいい加減な動き方をしてしまう。確認作業というものをするべきだった。と、後で後悔しきり。あ〜あ。

 

 

 

2004年8月 2日 (月)

さても、、

 昼まで寝ようと心に決めたが、さすがに11時にはぱっちりとお目目が開いた。やっぱり歳だなあ。
 起きるやいなや待っていたかのように、新聞社から等、各方面から電話がかかり、一つ一つ処理をする。いよいよ、娘の公演に向かって、最後の追い込みの火ぶたが切って落とされたという感じ。そこからデザイナーと衣装の布を調達に出かけ、あちこち用を足す。
 今日は夜のちぇちの練習だけで良かった。
娘に「お母さん生きてるのが不思議なくらいよ」というと何に反応してか娘がゲラゲラ笑う。上手い表現だという。ありのままを言っただけだのに、娘も変になってるのか?
 娘は真声で、「もしお母さんが何かで死ぬことがあっても、やっぱり美加は公演を止めないよ」という。そりゃそうよ、と答えながら、何となくその時が来るような気がして寂しくなった。どんな人間関係にも必ず終わりが来る。、、、分かってはいるが、、。

 

 

2004年8月 1日 (日)

何ともはや、、、。

 この日は、自分の身体が空飛ぶ靴を履いてるような感じだった。朝雨の降る中を準備にと出かけ、着くやいなや主役のメークとヘアー。10時からのゲネに間に合いかねてあらかた済まし、今度は表周り。お手伝いの人達を集めて、このホールの特異性を説明。如何にお客様を迷子にせずに誘導するかのテクニックを伝える。GOサインと共に若者がかけだし、おばさん達は受付の準備に入る。それを見届けてから楽屋にとって返すと、「ママ、影アナはママがやってくれるんでしょ!?」と来た。「へ?聞いてないよ!」と叫んでも誰も聞いてない。ええい、しゃあない、やるっきゃないか、と、舞台監督と打ち合わせ。その場で原稿を作成。何がイヤって、「シンデレラストーリー」というのが言いにくい。とちらないかと冷や冷や。まあ、なんとか経験にものを言わせてやっつけたが、、、ふ〜っ。
ゲネをちらちらと見ては、着替えがスムーズかどうかのチェック。案の定役者のみでは無理と判明。結局は本番中も裏方をやる羽目に!ゲネの途中で歌を聴くと、みんな疲れていて声が今ひとつ。大丈夫かいな?と心配になる。不安な人にはそれとなくアドバイスを。私は舞台は結局は心理学だと思っているから、始まる前のメンタルな部分をいつも注意しているが、今回は特に、主役に集中した。さりげないアドバイスこそが救いの道だと信じて。、、、そのせいかどうかは分からないが、兎に角それまでの練習では見せたことのない輝きを見せて歌ってくれて一安心。
そうこうしているうちに、楽屋の携帯電話にどんどん「困った電話」が入ってくる。お客が来すぎて後ろのドアが閉まらなくなった。怒って帰るという人が居る。母子室は定員を超えている。ロビーで良いからと動かない人が居る、、、、どうしましょう?というもの。これらを楽屋でメークしながら全部に答えなくてはならない。おいおい、いくら私が1週間前に「もっとチケットを売りなさい!」と檄を飛ばしたからって、そこまで売れたら売れたって教えてよねえ。て感じ。そこで急遽、若者達を集めて、休憩時の指示を出す。マニュアルさえ渡せば、しっかり動いてくれる人ばかりだ。指示通りやってくれたお陰で、何とか会場が整理出来て、落ち着いて2幕が始まった。しかし、不安なのは夜の部だった。いくら訊いても団員は予想が付かない。またしてもこの状態になると、幾らなんでも困ると、お昼で帰るという頼りになる友人にみんなでお願いして居て貰ったりする。ちぇちから来てくれたHM嬢達はホントに助かった。矢張り人生経験と臨機応変はおばさんでなくっちゃ!
夜も満員だったが、対応が準備出来たため混乱もなくスムーズに行った。
しかし、もうこれが最後と思うと気がゆるみ、危うくぽかをするところだった。ある人とロビーで話し込んでいると、けたたましく私を呼ぶ声がする。瞬間「あ、影アナだ!」と分かりものも言わずに舞台袖に駆け込む。「只今から10分間の休憩を頂きます」というたったこれだけのアナウンスだが、やっぱり私がやらなくてはいけなかったのだ。舞台監督が「私がやろうかと思いましたよ」と笑ってくれたのが救いだった。ふ〜っ。
まあ、こんな調子で全てが終わり、一気に後片づけに突入。それも終わって帰宅したら11時。シャワーを浴びて着替えて、またまたお迎えの車に乗って打ち上げだ。
みんなの懺悔タイムであり、感謝タイムのこの時間が、やっぱり大事だが、古いメンバーが以前と少し様子が違う。年とったなあ、みんな。疲れて疲れて、お酒の回りも早い様だ。かく言う私も疲れの極致。何を喋ってるかが分からなくなった位だ。、、、ようやく終わった。午前2時半。

 

 

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