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2004年7月

2004年7月31日 (土)

やっぱり泣いた!

 台風の中を台風娘(?)のリサイタルを聴くために必死で!お出かけ。幸い、会場となった教会は、我々を暴風雨の恐怖からしばしの間守ってくれた。しかし、私が涙したのは、なにもそんなことではない。本日歌われたプリマ小濱妙美の「カッチーニ・アヴェマリア」のせいであった。そこに誰もいなければ、声を出して泣いたかも知れないほどの、素晴らしい歌唱力だった。東京渋谷の文化村で聴いたことのある「椿姫・ああそは彼の人か〜花から花へ」も素晴らしかったが、そして最後に歌われたスペイン歌曲も新鮮な驚きだったが、でもやっぱり、アヴェマリアだろう。出口でファンに取り囲まれる彼女と写真に収まってから、ざあざあ降る雨を前にお迎えの車を待つ間、ぼんやりと「ピエタ像」を見る。その白い彫刻にまさしく慈雨の様に降り注ぐ雨は、ますます雨足を速めて来る。マリンライナーも飛行機も止まり、遠方の人達は全員不参加のようだったが、それでもほぼ満員だった。そしてそこに来た人達は、みんな何かしら良いモノを貰って帰ったのではないか?立ち上がり帰る人の中には、私同様涙をぬぐう人の姿もあった。ああ、良い音楽会だった!

 で、帰りはサンポートで降ろして貰い、タイムステップの明日の公演の為の準備に入る。予想通り、看板の設置が大変な作業だと分かる。もし明日この風が残っていたら、、ますます大変だ。まあ、大丈夫だろうが、、、。
明日は8時出発か。さあ、準備だ。

 

 

2004年7月30日 (金)

芝居・芝居・芝居・・・・・

 本日この多忙の中を、県民ホールまで劇団民芸の「巨匠」という芝居を、ある目的を持って見に行った。1時間20分という、短い時間の公演だったが、闇の演出により、私は涙した。1944年にゲシュタポによって射殺された、ある老優がその場にいた若き俳優に命がけで教えた「役者魂」は、20年後に人気俳優となったその青年に、「役者」としての全てを教えた。、、、というお話し。大滝修治の老優振りは文句の付けようがなかったが、その青年役者の声に私はしびれたなあ。マイク無しの声が素晴らしく美しかった。
敢えて射殺の場面は闇の中で処理されたが、それがかえって悲惨さを増幅させたと思う。戦時下において、個人のナント無力で卑小なことか!それまで培ってきた教養も学問も何もかもが、反古同然。人間としての尊厳も価値も何もなくなるのが「戦争」というものだ。それどころか、今日のゲシュタポは「知識人」を憎み、鉄道爆破の犯人の代わりに「知識人」を殺害する。、、、、

 台風が心配で窓を空けたまま出てきたのを閉めるために一度帰宅、劇団の最終リハ現場に向かう。本番の最終打ち合わせも終え、かろうじて今日のうちに帰宅。やれやれ、明日はK先生のリサイタルだ。坂出からサンポートに直行だあ!

 台風って、ホントに来るの?

 

 

2004年7月29日 (木)

夏が来〜れば思い出す〜〜

 もう何年海で泳いでないだろう。忘れるくらい昔のことであるのは間違いない。日が暮れるまで川で魚やエビを追っかけていた小学生の頃。身体の芯まで冷え切るくらい海に浸かっていたあの頃。おとなになってもK先生の別荘に何人かで泊まり込み、早朝目が覚めて一人海岸に出て、近いように思ったテトラポットまで泳ぎだしてから、以外に遠いことに気付き、そんなにも泳げないことを思い出し、あせあせ状態で知る限りの泳法?で、たどり着いた事もあった。夜光虫の光る海は、私の身体を一瞬豪華な光でまとい、夢の世界へと誘ってくれた。、、、、水と遠ざかってしまったなあ。体の中には水が一杯溜まっているような気がするけど、、、。むっ。

 このところ私の周辺で新しい人間関係がたくさん出来ている。この年になって、もう新に知り合う人も少ないだろうと思っていたが、とんでもなかった。今日も初めて電話でお話しした人とは、次回のオペラでご協力頂く人。さあ、どんな方だろう。興味津々。、、、しかし時間がないなあ。
お会いするのが楽しみ。

 

 

2004年7月28日 (水)

さすがに、、、、

 夕べは疲労困憊で、遂にこの日記に手が回らなかった!夜更けに及ぶ劇団員の為の残業で、しかもその後ワケワカメのパソコンに取り組んだためである。基礎がないとはこういうことか、と思わせるふがいなさであった。翌日の朝早くからマスコミにK先生をお連れするという約束があるにもかかわらず、寝たのは午前2時。睡眠が足りてないなあ。

 

 

2004年7月27日 (火)

ショック!

 ある57歳の女性が亡くなった。癌である。今夜ご主人からの電話で、初めて知る。その女性が一人娘の音大生に夢を託していらしたのを知っている。聞けば今年の夏は高松での初の舞台出演だそうだ。母親の死を乗り越えて歌えるかどうか、、、難しいところだろう。母親は時折痛みを訴えていたらしいが、その都度治まるので放置しておいた、というのである。病院に行ったときは手遅れで色んな所に転移してしまっていたとか。痛ましい話しだ。その方のお母上は90歳でピンピンしていると言うから分からないものだ。
ともかく私も気を付けねば。健康診断さえ未だだしなあ。

 

 

2004年7月26日 (月)

私は人間だろうか?

朝、シェイクスピア、その昼食会、K先生のリサイタルの精算、岡山からの生徒さんをお迎えしてシャンソン教室へ。珍しく全員集合の充実した練習が終わり、今度は夜のちぇち練習の参加者を会場まで。夕食らしきものを食べることも忘れない。で、そうだった、忘れ物があったと、家にとって返す。すると電話のかかることかかること。全てなおざりには出来ないものばかり。練習時間に間に合いかねて牟礼の練習場へ到着。しばしそこで過ごしては庵治の劇団の練習場へと移動。結局帰ったのは11時半。そこに娘から「ナイスタウン」と「かがわ小町」の雑誌に出てるから購入せよとの伝言が、、、!明日は朝早くから店に来客の予定があるため買うなら今とばかり、主人にお風呂を止めてと言い置いてコンビニへ。成る程記事にしてくれていた。、、、、只今午前1時。明日、起きられるかどうか心配。でも、起きなくては、、、仕事だ。

 まあ、しかし、若いと言うことは素晴らしい。普通に仕事して、終わってからの練習で、跳んだり跳ねたり叫んだり。これが連日。よく身が持つなあ、、、と思っていて、ふと、そうか、私はこの劇団時代に鍛えられたのかも知れないと、改めて思った。舞台に向かって集中していくこの力。これは訓練だ。急にやれって言われて出来るものではない。少々の事ではへこたれない持久力。。。
そうだ、劇団の若者達、彼らはもっと先で今の努力が実るだろう。生活の中で、人生の中で、間違いなく今のこの厳しい訓練が役立つことがある。今日泣いたシンデレラも、昨日怒った魔法使いも、きっと将来何らかの形でその涙や怒りが役立つことがあるに違いない。

 やっぱり舞台は面白い。

 

 

2004年7月25日 (日)

シンデレラ・ラ・ラ・ラ

 やっぱりシンデレラの練習に行くとシンデレラタイムになっちゃう。まあ、来週で終わるから良いようなものだが、それはそれで、本番前の緊張があって、どっちにしろ早く終わってくれ〜い、て感じ。ゼイゼイゼイ。

 我が家のお嫁さんの衣装が本日目出度く決まる。全部で6点、確かにどれもこれも似合っていて、可愛かった。衣装というものは不思議なもので、着る人の人格までもが違って見える場合がある。同じフロアに数組のお嫁さんが代わる代わる衣装合わせをしていたが、なかなか面白かった。が、気の毒だったのはお相手の男性達!相当時間がかかる間中、時間をもてあましている。やがて来る結婚生活のリハーサルみたいなモンで、男性は耐えることになってるらしい。こういう状態だから、この頃は本番で二度惚れというのがほとんど無い。来たくても来れなかった息子はラッキーだったかも。ハハハ。
 

 

 

2004年7月24日 (土)

単純で行こう!

 今日はCantiamo の会で歌ってきた。参加者それぞれが自分の個性というもので歌い始めたのはよかった。同じ曲を歌ってもまるで違う面白さ。いつか同じ曲をみんなが歌う、なんてのもやったら面白いかも。コンクールの課題曲のようなのではなくて、自分の世界を創る練習のために。

今日は劇団の宿題を抱えているから、飲まずに帰宅。しかし、動きたくない。で、久しぶりにビールを少々。。。の巻き〜。

いや〜眠くて書けまっしぇ〜ん!

 

 

2004年7月23日 (金)

メガトン級の疲労感。

 月末のリサイタルを控えられている小濱先生と佐々さんにFMに出て頂いた。楽しい会話が弾み、のりのりの収録となった。お二人とも本番に向けて水面下の準備が着々と進んでいるようだった。
あとのお食事会はおいしい和食のお店だったが、まさしく芸術作品。なかでもいちじくの天ぷらはおいしかったなあ。

本日は運転手に徹したのだが、夏はちょっと我慢もきついよなあ。ジンジャエールで紛らわせてると、マスターが可哀想ですねえ、ノンアルコールでも出しましょうか?と言ってくれる。しかしこれって、ホントにまずいよなあ。でも、明日のCantiamoの会で歌うことを思えば今日は飲まない方が良いのだろう。、、、と小濱先生にお訊きすると「そんなこと無いわよ。」といともあっさりと否定される。しかもオペラのゲネの前の晩にかなり召し上がって、しかし立派に代役も立てずに歌ったという武勇伝などをお話し下さる。、、、やっぱりお若いのであった!

 疲労の一番の原因は温度差。常日頃一定の温度の所で働いているだけに、体温調節機能が著しく低下しているに違いない。少し暑くても異常な暑さと感じてしまう。そしてどっと疲れる。、、、やるべき事を全部忘れて、どっかへ避暑に行きたいなあ。、、、叶わぬ望みか、、、あ〜あ。

 

 

2004年7月22日 (木)

やだやだ、、

 あっついし、なんかなあ、、、。しんどいなあ。と、グズグズしてると怖ろしく時間が経つのが速い。ホントにあっという間に今日という日が終わってしまう。

 昨日のS氏とは、坂手洋二氏のことだが、面白い講演だった。「お客を集めるにはどうしたらいいか?分かりやすくて、新しくて、珍しいもの。」と言われた。
これって、ちぇちぃりぁそのものじゃあないの?
とばかり、終演後の会で「落語ペラ」について話してみると驚きを持って迎えてくれた。「どんなものか想像が出来ないけど、そりゃあ良い。良いことですよ。やればいいですよ」とのこと。
なんだかだんだん自信が湧いてきた。先日の日立といい、多くのかたが私達に共感してくれる。そうなんだ、やることでしか証明出来ないのだ。
もう一つ坂手氏の発言の中で、「私は基本的に反戦ですからね」と強い口調で言われて、イラク問題など詳細に触れたのは、若い観客が多かっただけに良かった。
この人も又、笑顔の素敵な、人間的にビッグな人だった。

 

 

2004年7月21日 (水)

シンデレラもびっくり!

本日のご帰還は午前1時前。勿論行った収穫は大いにあるお出かけだったが、ちょいとお疲れ。会場では訊けなかった、あれこれもやっぱり人間飲んで食べて心の鍵をはずしたところでないと、ホントのことは解らない。
マリンライナーが自動車との衝突事故でストップした物で、本日のシンポジュームの立役者S氏が大幅に遅れる。だもんで、担当の私はあたふた。ハプニングに対処出来なくては司会者たる者存在の意味がない。、、、と。

 今日の収穫はここに書き記す元気がない。又明日。
、、、、いやはや、、、、。

 

 

2004年7月20日 (火)

あっちっち、、

 イヤ〜ホントに暑い。熱射病になったかと思うほど、暑かったなあ今日は。日中に外に出ることが余りない私だもので、日光に弱いのかもしれない。焼け付くようなコンクリートの反射熱を浴びながら、ほんの数十メートル歩いただけで、もうダメ。なんだか異常の様な気がするんだけど、、、、私じゃなくて天候の方。

 今日はVIPをあちこちお連れしたのだが、しばしお茶する時間もあったから、あれこれお話しした。いつもながら「世界」レベルで仕事をしている人の、相手を思いやるという姿勢に感心。有象無象の、力もないのに、いや、だからこそ虚勢で身を飾る人々に比べて、ナント潔くて格好いいことか!

 さあ、明日はいよいよ演劇祭開幕のイヴェントだ。私の司会により物事が進行する予定だが、さあ、うまく行くだろうか?個性豊かな連中が集う会。さぞや楽しい物になるだろう。基調講演は今をときめく「坂手洋二氏」だ。楽しみ!

 

 

2004年7月19日 (月)

昼間のビール、、、。

 本日はAという会の総会と交流会であった。出席したが、二足のわらじを履いているため、どちらでご参加ですか?と聞かれてしまう。しかし、そんな方が他にもいらして、いや〜、僕も色々やってるんで、困るんですよ、と妙なところで気が合ったり。県下のアーツしている人の集まりだが、前回の理事長のお話のように、ジャンルも何もかも違う人達が横に手を結び何かをやるという、実現が可能とは思えない会である。今後の発展に期待したいところだ。
で、久しぶりのT先生とお席がお隣で、いろんな事がお話し出来て良かった。糖尿病の先生は殆どビールが飲めないため、私に注いで下さる。「1年ぶりですなあ」と別なところから、声がかかり、又注がれる。少し残っているビールをボーイさんが注ぎに来る、、、てなことで、お昼にもかかわらず、したたか飲むことに。迎えに来て下さるS君が来るのには少し早すぎる時間にお開きになったため、思い立って、あの歌う「整体師」の所へ出かけてみる。が、神戸店開催につき本日までおやすみ。と書かれてあった。仕方なく、炎天下丸亀町通りをぶらぶら。あれこれ見るほどの時間もなく、目に留まった100円ショップに入る。まあ、しかし、この手の店が増えたなあ。想像以上に儲かるんだろうなあ。中はクーラーががんがん。そこで充分冷やしておいてから外に出る。約束の時間にきちんと来てくれた彼の車にんりこんで、ホールに届け物をしたりしながら帰宅。我が家では、レッスンの真っ最中で、ピンポン押しても誰も出てくれない。どうにか家に入れて、私自身も少し歌ってみる。
ビールを飲むと声が出ないのは、明日のことか?だって、今日はナントもなかったもんねえ。むしろ調子が良いくらいなもんだ、な〜んて、先生のご意見に背く発言は、ぐっと飲み込む。ひょっとして、特異体質か?ビールを飲むと声が出る人、、、、キリンビールで雇って貰えないかな?な〜んてね。

 しかし、先ほど11時ある男性から電話で、もう寝てましたか?と言われる。何言ってんのよ、今帰宅したばかりよ。というと、かなりの驚きを持って感嘆符が帰ってきた。そうなんだ。世の奥方は、こんな時間に帰ってくるなんて事は滅多にありはしないのだろう。夜中の2時や3時に植木に水やりしてる人もないだろう。、、、かなり異常か。
しかし、異常でも何でも、これから寝るまでにはまだまだやることがあるのだ。あのなっちゃんも、未だ家に帰り着いてないだろうし、、、。岡山組はホントに大変だ。彼女たちに励まされてるようだ。私は。

 

 

2004年7月18日 (日)

うぐぐぐ、、、、

 ひょ〜っ、ちかれた〜。
だから、劇団は無理なんだって!
もう若くないんだから〜。
ええ加減にしないと、、、、
と言う声が体の中から聞こえてくるが、止めるに止められない。
関わるからには、少しでも良い方向へ行って欲しい。、、、という結果がシンデレラタイムだ。おばさんシンデレラになっちゃった!時間が来て現実のおばさんに戻ったってこと。
いや、ホントはもっと関わりたいのだ、多分。他にやることがなければ、きっと、一晩中でもやってるだろう。
しかし、こうしたことが面白いと感じるのは、どうも私だけではない。本日一緒に行った、Mちゃんは、初めてにもかかわらず、しきりに面白いを連発。全てが終わってからも、シンデレラの衣装をあれこれするのを手伝ってくれたりもする。彼女はちぇちのメンバーだが、後で「ジャンルは違っても、お客を楽しませたり、感動を与えると言うことでは何にも変わらないね」と話し合う。
舞台はやっぱり面白い!

 しかし、明日も過密スケジュールだ。友人がホールへの申請につき合ってくれたが、ホントに有り難い。大阪の友人までもが、娘の芝居のチケットを送れと言ってきてくれる。ホール側も、ポスターなど多い目に張り出してくれる。何もかもが順調に動き出した。、、、、後は私の体力だけか、、、。

 

 

2004年7月17日 (土)

やっぱり機械には弱いなあ。

 娘の為のDMを準備に取りかかり始めるも、さて、手書きか印刷かと悩んでしまう。印刷は簡単なようで、シールを創るのに時間がかかる。それを四苦八苦やってる間にかなりの数が書けるだろう。さあ、どうすべきか、、、。
と、裏面だけを先に書いていたら、パンフレットの原稿の表紙の字が、出演の欄、自分の名前になっちゃった!大丈夫だろうか?こんな調子で、、、?取り敢えず、DMの封筒の前で、呆然としているおみっちゃんではある。

 今夜で三日間午前2時の水やりだ。朝になって、元気な花々を見るのは嬉しいが、少々うんざり。なんで夏なんだああああ!

 

 

2004年7月16日 (金)

にゃんとも、、、。

 あれこれ片づいたと思いきや、この日記を書いたつもりだったが書いてないことに気付いたアチキシ。一度消したパソコンを再び付ける。

 実は今日はあっけにとられるほど幸運だった。どうしても本日録る必要があったFMのゲストに、T先生がすぐに乗ってくれたこと。実は何度かお電話したあげくに捕まらないから、久しぶりに一人でやらなくてはいけないかと、少々気が重かったのだが、ナント2時間前にお願いしてオッケーだった!1週間前だと、とんでもない状況だったそうで、ラッキーと言うほか無い。チョー多忙の先生のスケジュールの中でエアーポケットのように今日が空いていたのだ。で、本日は「ホフマン談義」とあいなった。相変わらず凄い知識を披露してくれたが、ドミンゴの生舞台でこれを観たことがあるのには驚いた。先日来、私が観ているビデオは、娼婦の館の場面がもの凄くて、殆ど裸の男女が何組も絡み合うというものだから、一体これをちぇちのメンバーの誰がやるんだろう、、、???なんて一瞬考えたところだったから、思わず身を乗り出して、「え?ホントですか?」と聞いたものだ。T先生もさすがそこはポーカーフェイス。私がそこに一番興味を持ってると知りながら穏やかに「いやいやそれではありませんよ」とはずす。しかし、私の脳裏には、M先生がサロメの生舞台の凄さを話してくれたときのことがよぎる。オペラファンの隠された喜び、、、か?フ。

 昼前に、ある雑誌社の取材を受ける。新しい雑誌で、大変そうだがやり甲斐のある仕事をしている生き生きした笑顔の女性記者だった。
色んな所で色んな若い人が働いているなあ。生まれ変わったら、なりたい職業の一つだなあ、記者というのは。要するに好奇心が旺盛だと言うことか。

 で、今日は老眼鏡を新調した。大分度が進んで居るんだそうな。、、、やれやれ。

 

 

2004年7月15日 (木)

し〜らないま〜ちを歩いてみた〜い♪

 て訳でもないが、今日は久しぶりにフェリーに乗って、玉野市を歩いた。住んでない町というのは不思議なもので、異国人のような気分になり、ちょっと見られると、よそ者と見られてるんだろうなあ?なんて、根拠のないことを思ってしまう。高松でだって、みんな知ってるわけでもなく、この頃では特に世代交代が激しいせいか、知ってる顔に滅多にお目にかからないほどだ。帰りも「築港」から電車に乗ってみたら、珍しく車両一杯に人が乗ってきたのに、誰一人として知らない人だ。年間2,3回しか電車に乗らない私としては、見るもの全てが面白い。そもそも「扇風機」つきの電車だった!従って、窓は全開状態。思わず降りるときに「手動」かとドアに手が伸びたものだ。自然に開いてほっとする。
駅から自宅までの10分間。涼しい風に吹かれながらの散歩も良いモノだった。星は小さいながらもきらめき、遙か彼方を飛行機が飛んでいる。、、、、ん?夜の11時過ぎに飛行機って飛んでるのかしら?もしかしてあれはUFO?な〜んてね。なかなか良いじゃん、歩くのも。日頃考えないことを考える。
シェイクスピアじゃないが、全ては調和だ。この美しい自然と醜い人の世。なんてことも、、、。

 明日は雑誌の取材を受けるなあ。高松に色んな雑誌が出てきているのは面白い。明日は「RUPO]先日も「かがわ小町」と言う雑誌だった。地域が活性化する一つの原動力になっているのかも。良い傾向だろう。うどん雑誌も良いけどね。

 

 

 

2004年7月14日 (水)

暑いなあ〜。

 夏だから当たり前なんだし、毎年なんだろうが、なんか今年はいつもより暑いと感じてしまう。朝から晩までクーラーのお世話になっている。要するに24時間だ。きっと身体に悪いだろうなあ。ああ、あの日立の涼しさが懐かしい。、、、そうだ、フォーラム参加の感想文を書かなくちゃ!

 本日も、ある方がお嬢さんの演奏会のチケットを一人で何百枚もお売りになったというお話しを聞くと、頑張らねば、と思うのだが、何だか身体がだるい。8月21,22はすぐにやってくるだろう。こんなに他のことばかりやってて良いの?と思うのだが、次々と仕事が降って湧いてくる。まあ、娘の一人芝居は多分最初で最後の公演になるだろうから、地元の方々に一人でも多く、観て貰わなくては、と思うのだが、時間が、、、無い。原稿の締め切りも、ああ、あの締めきりも迫ってくる。眠らなくても動ける薬って無いかしら?
でもまあ、少しずつは進んでるだろう。友達も助けてくれるし、これからガンバロウ!

 

 

2004年7月13日 (火)

久しぶりの母子水入らず。

 くさっている母親を、夕食に連れ出す。久しぶりが良かったのか、おいしいおいしいと何度も喜ぶ母。そう、食べることは大切な薬なんだ。外食もたまには良いモンだ。

 近くの団地の方がお客様で見えて、驚きの情報をくれる。先日の怖ろしい雷は、ナント、我が家のすぐ前の電柱に落ちたんだそうな。そりゃあ、モデムが壊れても仕方なかった。けが人は無かったが、団地はかなり長い間停電だったそうな。
今日は新潟の大洪水のニュースが流れていた。人間手、弱い生き物だなあ。

 

 

2004年7月12日 (月)

違いはなあに?

 膝が痛いという母を○○クリニックと言うところへ連れて行く。評判の良い所らしかったが、ここって、病院?普通の病院と何処が違うんだろう??母は病院だったと言うんだが、、?
友人のお母さんが少々ぼけていて、施設に入っているらしいが、それに比べると元気で有り難いこと。でも、本人はそんなことちっとも思ってない。世の中の不幸を全部背負い込んだかのように、グチグチと愚痴を言う。まあ、確かに自分の足で歩けないということはストレスだろうなあ。今日久しぶりで買い物につき合ってもらったら、かなり喜んでいた。ワゴンを押して涼しい店内を散歩して、ようやく人間らしい気持ちに戻れたようだ。発散するのは必要だろう。例え老人でも。
このところ忙しさの余り、構って無くて、反省。

 今日は、FMに劇団のスターM君に出て貰ったが、舞台の上では大変なナルシストが、マイクの前ではやたらキンチョーして、「みっちゃんのオペラだ〜いすき」と言うべき所を「オペラ、バンザ〜イ!」とやってくれた。思わずミキサーも私もゲラゲラ。録り直しと相成る。
しばらく彼と向き合って話したことがなかったので、いろいろな彼の考えとか生活が分かって面白かった。やっぱり至ってまじめ。自分の肥やしになることはホントに真摯に受け止める。だからこそのあの成長だったのだ。この地方都市に居て、地に足を降ろした活動をする彼に、大いなる未来を!と願ったことだ。

 その後はちぇちの練習だ。ホフマンの舟歌はホントに良い歌だ。聴きながら作業していると眠くなってきたので、声を出す仲間に入る。彼女Mさんははこの曲で振付の構想は出来ただろうか?私の頭の中にはもう彼女たちのゆらゆらと踊る姿が浮かんでくるが、、、、。

 季節のせいか病人がでるなあ。ちぇちの公演を左右する重要人物がダウン。ゆっくり急いで治して欲しい物。確かにみんな健康が大事。その解決法は人それぞれだろうが、病気にならない、なったら治す、、、、当たり前のことだったか。

 その前のシャンソン教室では、この暑いのに熱心にお勉強。私が教えて欲しいくらいの人も、はるばる遠方から来てくれる。歌にはまるとみんなこうなるんだ。そういえばちぇちの会長が以前、言ってらしたなあ。「先生のところが遠いと思うようでは本物でない」「どんなに遠くでも、その方に教わりたいと思えば近いと感じるはず」「僕だって、京都まで通っていたことがあるし、(そう、あの現在102歳のオペラ界の重鎮中川牧三先生の事だ。)それをちっとも苦に感じたことはなかった。」、、、と。要は、受け手の気持ちの問題だろう。会長のその気持ちが、現在までに育てたのだろう。京都ねえ、、、、。今の方が高速バスもあり便利で近いはずなのよねえ。は〜っ!

 

 

2004年7月11日 (日)

好きいな〜んだけどお〜♪

 そうなんだ、こうやって、劇団のあれこれをやったりするのは嫌いじゃない。みんなが私の手によって、どんどん変化してくれるのは嬉しいし、例え裏方でも、貢献しているというのは、しあわせなんだ。そう、こういうのって、好きなんだけど、体力が、、、、、、めまい!
劇団に行く前から、なんだか調子がイマイチ。風邪かな?状態だったが、リーダーが本日は早退だという。仕方なく、予定をこなすことになる。
今日は歌の練習日だったが、みんな、ご飯食べてんの?て感じ。きれいに歌おうとしているが、客はきっと迫力の方を喜ぶだろう。勿論、完璧に出来れば、ピァニッシシモで柔らかい雰囲気を出せばいい。しかし、これほど難しいテクニックもないと言っていいくらいの物。数えるくらいの練習回数で、マスター出来るわけがない。ここは、やっぱり、エンジン全開、フルパワーで聞かせて欲しい。、、と客観的には分かるんだなあ、これが。ま、まだ時間がある。

 今日は忙しくて選挙には夜の8時15分前に入った。予想に反して、来てる人の多いこと!夏の選挙はいつもこうなんだろうか?
国民の義務は果たした、というところ。
日本はやっぱり戦争をするようになるんだろうか?

 

 

2004年7月10日 (土)

Mちゃんの妹?

 双子というのは、早く出てきた方が妹だと、聞いたことがあるが、本日の双子ちゃんは、反対だそうだ。ん〜ん。これって、自由なんだろうか?妹と呼ばれ続けていると、そんな気になってくるだろうし、姉と呼ばれてると、きっとしっかりしてくるんじゃないか?な〜んて、どっちでも良いかも知れないことにこだわってしまった。まあ、美人姉妹、今後が楽しみだ。このご家族は、ちぇちの公演にはるばる東京から見に来て下さるんだそうだ。ありがたやありがたや。

 関係ないけど、日立の交流会で、「鰹の刺身」「鰹のにぎり寿司」「かぼちゃの含め煮」なんぞが振る舞われたが、私はお魚弱いので、やっぱりカボチャが一番おいしかったかな?しかし、この大きな魚をさばいていたのはどやら、日立市の職員の方らしく、それにしては、包丁さばきが見事だった。おそらくは釣りが趣味だったりするんだろう。
まあそれにしても、熱い歓待振りだったなあ。関係者の全員が、どこぞの役所の職員と違って、腰が低く愛想が良く、てきぱきとしつつ、丁寧な応対であった。要するに非の打ち所がない。
これは、多分に土地柄もあるだろう。

今日は何故か眠くて仕方がない。そうか、二日目ねええ、、、、。

 

 

 

2004年7月 9日 (金)

怒濤のような日々が始まった。

 まるで日常からの逃避行のようなここ1週間の旅。夕べ帰る前に、まさかの落雷によるパソコン不通のアクシデント!帰ったら、すぐにもあれこれやるべき事が全て翌日回しとなった。まあ、お陰で身体を休めることは出来たか。やっぱり我が家の方が良く眠れる。
しかし、目覚めれば空き家のような我が家を、なんとか住めるようにお掃除に明け暮れ、東京まで携帯に追っかけのお客様のお出迎えも済ます。
しかも、夕方からは演劇祭の会議である。エンエン10時まで続き、空腹の上に冷房の効きすぎで、お腹が空気ぶくれの状態。出かける前は異常に暑く、ちょいと薄着をしすぎていたなあ。3時間近く冷蔵庫の中の状態はきつかった。他の人の顔色を見るも、別に・という平然としたお顔なので、ぐっと我慢。我慢強い私であった!

 さて、日立市というところ、駅前の景観はもの凄く素晴らしい。夜のとばりが降りた頃、ホテルから見下ろすと、まるでヴァチカン帝国の広場のような、石の柱に取り囲まれた広場は、幸せそうなアベックやボール遊びをする子供達、それを眺めるお年寄りなどが、落ち着いた灯りの中でおとぎ話の絵のようだった。おりからの風は夏には不似合いなほどの涼しさ。第一日目の夜は、缶ビール片手に、こうしてゆっくり更けていった。

 

 

2004年7月 8日 (木)

 

 

 

 

2004年7月 4日 (日)

水戸日記

 本日は息子の住む水戸にやってきた。、、というより、おろよろっとたどり着いたという感じ。とにかく疲れた。初日の歌は、楽しく歌えて、色んな方から暖かいお褒めの言葉をかけていただき、気分良くビールとワインで、同行のKさんとイタリアン。しかし、その翌日はビデオを使っての発表会だった。慣れない状況に、予定したことの半分くらいしか話せなかったように思う。その日は終了後の交流会で、まあ、色んな方とお会いした。前日驚き済みだが何とこの舞台に先日高松でもリサイタルのY君が来ているではないか。彼の名前が事前の▲資料▲に無かったと思ったのでほんとに驚いた!お互い「いや〜、奇遇ですねえ」と懐かしむコトしきり。他にも色んな方と知人の知人という話が出て、世間は狭いなあ、、、。
ああああ、、、、、眠い。

 

 

2004年7月 1日 (木)

明日から、、、


8日まではこの日記も書けないだろう。
久しぶりに、おぼっちゃまと二人水入らずの時間がとれそうだ。多分彼の独身最後の母と子だ。話しておかなくてはならないこともいろいろあるだろう。

明日の演奏会は夕方からだが、どの程度のホールなのか、ちょい心配ではある。
行きの便をもう少し早い便にしとけばよかったなあ。
まあ、仕事もしておかなくては、、、で、予約を入れてあるのだ。済んだらすぐに出発だ。
さあさあさあ、、、、明日だ。

 

 

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