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2004年5月

2004年5月31日 (月)

雨は〜ふ〜るふ〜る、、、。

 雨が降ると寒くなった。久しぶりに朝寝をしたら夫は何処へやら。珈琲だけは入っている。車の中に昨日買った、あずまやの豆パンとヨモギあんパンを忘れていたのを、恐る恐るトースターであぶって食べる。これが又、意外とおいしいのだった。それから12時間以上たっているが、私のお腹は異常がない。矢張り戦後を経験しているだけあるなあ。少々のことでは食あたりは起きないらしい。
 午前中ジタバタと雑務に追われ、悪友をお迎えに行きシャンソン教室。あと1週間で発表会だ。
まあ、一区切りということで、そういうことでもないとだらだらして、上手くならないのだ。「舞台でこそ、完成される!」という、Oさんの言葉が甦る。
 さて、本日の一大ドジは、かくかくしかじか、、、、!全く信じられない!
 とある方とお目にかかりお話しに熱中スルの余り(ちょいと、アイスクリームの食べ過ぎという説もあるにはあるが、、、)約束の時間に遅れて、フェリー乗り場まで、岡山組をお迎えに行く。で、練習会場へと走っていながら、何だか変。どっか落ち着かない。Kさんが今度車で来るときのためにと道順を教えながらの道中、何だか、妙だった。が、結局目的地に着く。既に始まっていた練習で、発声をしていて、ハッと思い出した。一人積み忘れている!新人のMちゃんを行く時ひらってあげると約束していたのに、す〜っかり忘れていたのだった。ぎゃ〜っと大音量で(心の中で)叫び大あわてで会場を後に、彼女のアパートにととって返す。なんてこった!ついにここまでボケが来たか!?雨が降っていて、思うように走れないが、兎に角大急ぎで向かう。
ところが道中T先生から電話があり、今から向かうので、お迎えをというモノ。あ〜あ、やれやれ、災い転じて福となす。うまくこの二人を車にお乗せ出来たのだった。たまにはドジも役に立つってモンだ。(ちょっと違う気もするが、、、)

 楽譜も揃わず、まだまだ練習といえる代物ではないが、取り敢えず、新人さんに慣れて貰い、雰囲気に馴染んで貰うのが目的。さて、、、。

 

 

 

2004年5月30日 (日)

やったあ!

 本日来店の人から、冬ソナの完全版ビデオなる物を貸して貰えることになった。ああ、これであのメロドラマから解放されるぞお!連続ドラマのフラストレーションから解き放たれて、短歌の一つでも作ろうじゃないの!な〜んてね。師匠が聞いたら泣いて喜ぶだろうなあ、この言葉。しかし、予定は未定にして、、、、。ま、出来るときゃ出来るさ!

 それにしても本日は本業が忙しかった上に、明日の教室の準備とか、お嬢に送る荷物作りとか、本日同窓会の悪友Yさんの送り迎え。劇団に届け物やらの雑用で忙殺された感がある。アルコールをお召し遊ばしたYさんを送り届けて帰宅したら、やっぱり午前様。さすがに息が切れそう。
さ、マッサージ機のでもかかって寝るとしよう!

 

 

 

2004年5月29日 (土)

冬ソナを見ちゃったぞお。

 なんてこった!何となく見始めてお嬢がはまってるのを笑っていたが、いつの間にか放映日を待っていた。その証拠に先週は、首相の訪朝で番組が飛んだとき、まるで若者の様に口惜しかったもの。で、いよいお本日見てしまったのだ。
昔の日本のメロドラマと全く同じ筋運びなんだが、妙に惹かれる。一つにはあれが韓国ドラマで、役者がみんなはかなげに美しいので、ついその真剣な目つきや、愛らしい笑顔に魅せられてしまうのだ。それと、日本語吹き替えの声が又良い。あの「ヨン様」はハスキーで如何にも悪気のない純な感じ。田中美里とかいう声優の声はきりっとしながら甘さがあり、完全な日本語とも違うニュアンスをうまく出している。
先日上京の折り、NHKのディレクターに親子ではまっていると話したら、まあ、有り難いんですが、あれはよその製作のモノでして、、、とぼやいていた。
日本が失ったモノが、このドラマの中にはあるような気がする。
たまには純情編もいいじゃ〜ん!

 

 

2004年5月28日 (金)

しまった、の巻き〜、、。

 本日FMの収録で、H君がぽろっと只今恋愛中と喋っちゃった。しかし、それはまあ良い。問題はない。実はその前の会話が、(オフレコだったが)「女性って恋してると外から分かる様になるんですかねえ?」と彼が聞いてくるので、「多分余程の人でない限り分かると思うよ」と答える。すると「そうですよねえ。あの人もこの頃すご〜くきれいになってますもんねえ。」と、共通の知人の名前が出る。「そうでしょう。そのハズよ」と自信たっぷりに話して、彼が続けて「じゃあ男性も変わるんですかねえ?」と聞いてくるので、「分かるんじゃないの?何となく生っぽくなるんじゃない?」「結局男も女も一緒よねえ」と笑い合った直後の話しだったのだ。あたしゃ、この彼が氷河期から春に移行しつつあるなんて事、想像だにしてなかったので、全く分からなかったのだ。
別に、ラジオで告白したからって、それは良いのだが、そのような経緯があったので、かなり動揺してしまった。妙に声が上ずってくるのが分かる。ちっちっ!はめられたかあ!!彼は時々したたかだ。

でも、良く見てみると、そういえばやっぱり艶っぽいではないか。偶然その女性に会ったことがあった私は、可愛いその人の顔を思い浮かべながら、彼の前途を祈りたい気持ちだった。

 

 

2004年5月27日 (木)

愉快愉快!

 本日ご来店のあるお客様は大学生。いろいろ話していて、ひょっとして歌に興味がありますか?と聞いて、あると答えられたので、実は私達「落語ペラ」っていう面白いオペラをやってるんですよ、と言うと、「あ、の〜、もしかして着物着て頭のはげた人が喋っていた、あれですか?」と言われる。そうそう、それが落語ペラなのよ。と、話しが盛り上がり、12月は是非行きます、と言ってくれた。1枚ゲットか?良く笑えて面白かったというのが、彼女の感想だった。今までに外国モノのオペラは何度か見たそうな!若干21歳の彼女がである。おお、高松も捨てたモンじゃないなあ。この人が面白いと思ってくれたと言うことは、見に来てない人の中にだって、きっとたくさんの見込み客が居るんだろう。頑張らなくては、、、!

 

 

2004年5月26日 (水)

雨どころか、、、。

 日中は暑かった!本業がメチャクチャ忙しくて、昼食は昨日の残り物巻きずし5切れで済ます。娘の公演の為の書類が書けないばかりか、仕事の合間の電話がひっきりなし仁かかり、全てに集中出来ない。そこへ飛んで火にいる夏の虫がやってきた。義妹である。早速書きかけの書類を完成して貰い、足りない封筒を購入して貰い、投函までして貰った!大助かり〜のまき。そんな苦労も知らない娘からの矢のような催促で、チラシの原画を印刷屋さんに持っていく。ふひょ〜っ!つかれたあ〜。

 今日は突然死の50代の知人のご主人の話と、60代の知人が、歯が痛いと歯医者に行ったらガンだったと言う話しを聞かされて、なんだか、、、。ホントに人生なんていつジ・エンドになるか分からないモンだ。

 昨日は若い人達が想像以上によく働いているらしいことが分かった。しかし、私のOL時代を考えると、結構残業もしたし、働きぶりは変わらないと思うが、人間関係が違うのではないか?とも思える。忙しくても、それをカバー出来る何かがあった、ということ。ゆとりと呼べるかも知れない。名物と呼ばれる上司が居たし、運転手さんやお掃除のおばちゃん達ともファミリー的な付き合いだった。懐かしいなあ、あの頃が。

 

 

2004年5月25日 (火)

送別会

 メンバーの一人H君が転勤で東京へ。ささやかな送別会をして別れを惜しむ。若い人の中に入ってあれこれ聞いているとみんなの生活が分かってくる。こんな時でないと分からない事があるモンだ。ギリギリまで書類を作成してたので、時間が無くなり車で行った私はまっったく珍しく飲まなかった。ジンジャエールのお代わりをするとき「あのお、ノンアルコールのビールはありませんか?」と未練たらしく聞いてみたがなし。じゃあ、今日は休肝日としようと、、、、頑張る。
二人ほど送って帰ってこうして寝る前にあれこれしてるときも全然ビールが欲しくない。只今午前2時。いつもならぐび〜っとばかし飲んでから、すっとあの世へ行くんだけど、こりゃ又一体???明日は雨かも、、、。

 

 

2004年5月24日 (月)

衣装合わせ。

 本日は息子のお嫁さんの衣装合わせにつき合う。予想通り和服がよく似合う。次から次へと出されて、どれもこれも似合ってしまうから始末が悪い。あとは本人の好みということで、まあ、又決めましょうと帰ったが、へろへろ状態。矢張り集中して真剣に見ることになるから大変だった。
しかし、昔と違いドレスも種類が多い。誰だって夢見る乙女になるだろう。さっき、息子からの電話で釘を刺しておいた。お願いだからアンタまで、とっかえひっかえお色直しはしないでよ、と。昨日のフロッシュではないが、「今はこんなに可愛いけど一変また一変、、、」かもねえ。

 本日のちぇちの練習は大変充実。新人が数名入っただけでなく、長らくお休みしていた人達が現れた。矢張り人が必要だ。

 

 

2004年5月23日 (日)

こうもり再び、、。

 訳あって、今日もこうもりを観劇。又違った面白さがあって、なかなか良かった。出色のS氏は今日もやってくれました。今日の方が彼の本領発揮で、フロッシュは、今後彼以上に出来る人は居ないかも知れないと思わせるほど良かった。心配した客席も殆ど埋まり、客席は彼の演技に湧いた湧いた。バレリーナも今日の方が落ち着いて出来ていたし、コーラスも今日の方がはじけていたし、動きが整理出来ていた。矢張り回数が大事。
今日の公演後、徳島からお越しのOさん達とラーメンポートに30分並びお目当てのラーメンを食べる。並んだ甲斐あっておいしかったあ!三度目の正直だったなあ。過去二回は大失敗だったから感激!彼女たちと公演の感想を話し合ったが、誰が上手いかと言う話しになり、歌の出来不出来は勿論あるが、演技で言えば、他の人の歌や演技の時に、どう佇むかが、ちゃんと分かっている人とそうでない人が居ると言うこと。自分に台詞や動きがないからと、素になったり、ぼーっとしてる人はダメ。何故か客は出番の人じゃなくそっちを見てるから。と言うところで意見の一致を見た。
その典型的なのがフロッシュだった。一切歌わないで、歌い手にくっついていなければイケナイ役所をちゃんと心得ていて、歌ってないのに客を笑わせたりする。いやあ〜、参った。ホントに彼の演技だけでも、今日も見に行った甲斐があったというモノ。
オーケストラも明らかに今日の方が良かった。強弱と言い、歯切れの良さと言い、ヨハンシュトラウスだった。グロッケン先生の雄姿もかいま見え、楽しかった。
Oさんがしきりに高松は良い。ホールも観客も質が違うとこぼしていた。またぞろチケット売りに奔走しているらしい。、、、やれやれ、お気の毒なことだ。他人事ではないが、、。

 

 

 

2004年5月22日 (土)

こうもり てんこもり

1,2階席はほぼ満員の盛況で、鳴り物入りのこけら落とし公演は「こうもり」だった。オペラは総合芸術だと言うことをつくずく感じさせてくれる、面白い舞台だった。歌の出色はアデーレだった。エネルギッシュな声と動きは、うってつけの役所。きっとこれからも活躍するんだろう。
活躍と言えば、コーラスのあの人もこの人も大活躍。知ってる顔が見えると目で追ってしまうが、実は、彼らはみんな動きが派手で目立っているから、つい目が行くのだった。いやはや、存分に舞台を楽しんでいると見た。
驚いたのは、ちっとも知らなかったのだが、フロッシュ役のSさん。この方は、以前私とミュージカルをやった人。お願いしてゲスト出演して頂いたのだが、兎に角演技力が抜群で、客の反応で演技を変える所なんかは、数年前のその時と今も変わらないみたい。今回は歌ってないが、そもそも声も良くて歌も上手い人なんだ。いやあ、案の定今宵も素晴らしい演技だった。どど〜っと帰る人の群の中から、Sさんを褒める声がたくさん聞こえてきた。、、、こうして、歌手と役者とダンサーがそれぞれ絡み合うこのお話しは、ヨハンシュトラウスの美しいメロディと相まって、楽しいモノになっていた。オーケストラもだんだん良くなっていき、盛り上がった。
やっぱりオペラは面白い。、、、が、間違っても私達はあんな衣装やかつらや、あんなどでかいセットは使えない。従って5000円の入場料など考えられないのだ。
お金を使うのは、よそに任せて、我々は手作りで行こう。

 

 

2004年5月21日 (金)

晴れ〜っ!

 久しぶりの天気に家事がはかどる。東京へ行って帰る頃になると、いつも一大決心をする私。なにをかと言うに、家の中のモノを出来るだけたくさん捨てよう!ということ。東京のデパートや町中のウインドウはシンプルで素敵。モデルルームや、人々の暮らしもすっきりしている。我が家を思い浮かべて、あれもこれも捨てるぞ、と思って帰るのだが、、、、、それってもの凄いエネルギーが居る。必要なモノとそうでないモノを識別し、実際に動かし、捨てるところまで行くには、相当な時間と労力がいるのだ。、、、と、2,3日もすれば諦めの境地。何�xも繰り返しては、またぞろ同じ事を考えるのだ。ふ〜っ!さて、どうしたもんだか。

 水戸の息子宅から帰るとき、娘と思い立って「お袋の味」を作っておいてから帰ることにした。以前「お兄ちゃんにとって、お袋の味って何?」と聞いたら迷わず「豚汁」「ぶたじる」と答えたそうな。近くのスーパーでごっそり買い物をして、お鍋一杯作り、ちょい作りすぎ?と言いながら置いてきたのだ。娘がおいしいおいしいとお変わりをしても殆ど減らない量だった。昨日出した短歌にその光景を書いたが、実は短歌に盛り込めない後日談があった。息子から電話があり、三度三度食べて、いい加減うんざり。幾らおいしくてもこりゃ作りすぎだろう?というもの。やっぱし!

 明日はこうもりだ。
こうもり傘は要らないのかなあ?

 

 

2004年5月20日 (木)

本日はよか日だった。

 取り敢えず、短歌の締めきりに速達を使わずに出せたことが、本日のメインイヴェント。12首やっつけたら心底ほっとする。
 続いて、若い人が又一人ちぇちに入会したこと。メンバーの中から一人H君が東京さへ行ってしまうのだが、代わりのように東京人が入会。164�pの美人。クラシックバレーの経験あり。イタリア語ぺらぺら。平均年齢がグンと下がるなあ、ちぇちも!それに何より、気持ちがいい人。紹介者はN君だが、彼は本業が超多忙で、歌いたくても歌えない状況。自分の代わりに送り込んだようなもの。12月の公演が終わるまでは、兎に角高松に居続けるそうだ。どこまで伸びるか楽しみなことだ。
 インターネットで注文していた文具が届く。信じられない安さ。品物も悪くない。、、、これからはこんな買い方になるのかも。
 
 

 

 

2004年5月19日 (水)

ちかれたび〜

 待っていてくれたお客様をお昼も食べずにこなして、合間では、どうしても出さなくてはイケナイメールを打つ。電話は10分置きにかかってくるし、もう頭の中はパニック!しかも、今夜はなが〜い会議の予定。きっとレッスン会場に我が家を貸してある時間帯には帰れないだろう。こんな時に救いの神が現れて、おいしいお弁当の差し入れ。う、う、う、持つべきモノは友達!と感涙にむせびながら舌鼓。
、、、なんとか、全てをこなして出ようとすると、落語家K師匠のお出まし。6月の演劇のチケットをご持参。しばらく楽しく歓談して、慌ただしく送り出す。表のあの傘は、ひょっとして師匠の忘れ物?私がせいていたからかな?悪いことした!
 案の定なが〜い会議では、突然の部分進行を頼まれて、目が覚めた。今度の演劇祭のキャッチコピーの案をいくつか提出してあったのだが、それを絞らなくてはイケナイ。まあ、目出度し目出度しで、提案の中から決めることが出来た。「演劇・き・希望・う・宇宙」という尻取り調なんだが、ちょい砕けた感じのモノをという目的は満たしたかも。まあ、こんなのも難しいモノだ。
 終わって帰ってみると、勿論レッスンは終わっていて、おまけが付いていた。今夜は遅くなると言って出かけた亭主が、何故かでんと腰掛けて、夕食を作れとのご命令。人前でのケンカはみっともないから、ぐっと飲み込み、空腹にむち打って10分でおかずを整える。なんで、あたしゃ食事もしないで頑張ってるのに、こんな目に遭わなきゃイケナイの?と内心かなりのお腹立ち。レッスンのお二人をお送りするという二重のおまけも付いて、夕食にありついたのは11時も廻っていた。さすがに帰るやいなや、口鉄砲で主人をズドン!こんな時の身のかわしかたはとっても上手い人だから、一切反撃せずに「ごめ〜ん」で済ます。何を食べてるか分からずに機械的に食べてハット見たら、お豆腐1丁が胃袋に。、、、、これなんだよなあ。私の痩せないわけは。あ〜あ。

 

 

2004年5月18日 (火)

ぼちぼちと、、、

 東京さの話しを書いとこうか。
実は今日、東京人だが、東京が嫌いという若い女性に会った。その一番の理由が、みんなの顔つきが違う、何かしら競争してるみたいな緊張した顔が嫌い、、、というものだった。私もあの雑踏の中で人とすれ違うときに、息苦しくなるほど緊張した。この人の流れから逃げ出したいと願いながら歩いた。例えば銀座などは、そんなに人がびっしり居るわけではないが、しかし何かしら、落ち着かない。その人達はそれなりに自然体で過ごしているらしかったが、ソバにいて、私はやっぱり落ち着かない。この違和感は一体なんだろう。
今日の彼女が「時間の流れ方が違うんです」と言ったので思い出した。ずっと前に学君と一緒にイタリアからやってきた若きピアニスト、ジャンは、東京から段々高松に近付くにつれて、気分が落ち着いてきた。時間の流れがイタリアと似てるのは高松なんです、と言っていた。確かにそうだ。東京はホントにおかしい。何か分からないが、あれだけ人間が居て、人間の住むところになっていない。今日の彼女はこうも言っていた。「東京にもホット出来るオアシスみたいな所は確かにあるんです。でもそこまで行くのが大変。」
、、、そうだろう。わざわざ行こうとして行かなくては味わえない自然なら、確かにある。
 うちの娘は結婚当初、東京に住んで、もっと便利な生活をしたいと言い続けていたが、今回訪ねると、「私東京になんか住みたくない。横浜が、だ〜い好き。」とおっしゃる。そうだろう。車に乗れるようになったことも一つの理由だろうが、天気の良い日は富士山も見える高台のマンションは、静かだし、ちょっと走れば鎌倉や湘南にも行ける。そう言うのも無理はない。
 ところで、今回は別な意味で都会になじめない私が居た。「スイカ」なる物を買って、改札を通過しようとしたら、スイカなのにスイと通れ無いどころか、ガガガガとばかり、大きな音を立ててチケット読みとり機が止まってしまった。なんでだろう〜と駅員さんに助けを求めると、「困るんだよねえ〜。機械がこわれちゃうんだよねえ〜」と大変不機嫌。実はこのカード、チケットや定期券を入れるところに入れてはイケナイモノだった。機械の上にかざすだけで通れたのだ。その駅員さんは「よくこんなに入ったねえええ〜」といやみたらたら。平謝りして通ったが、後から考えると、これってとっても理不尽。だって、なんの説明も書いて無くて、初めて使う人がどういう行動をするか読めてないんだから。そっちが悪いんじゃない?ぶ〜っ!
 娘に報告すると、「そんなところで顔売らないでよね!」だと。くっしょ〜っ!だんだん都会に毒されてるなあ、この子も。

 

 

2004年5月17日 (月)

ああ、息が出来る!

 高松空港に降りたって、表に出たトタン空気が違う。肺まで充分息が吸える。バスに乗れば、彼方の山々は見慣れた形で柔らかく佇む。そこまでの障害物の無い、見通しの良い眺めは、視力を回復させるようで、神経が休まる。つい先日、私はまだまだ東京に住めるぞと思っていたのに、何のことはない、ひとたび故郷の土を踏むと、もうダメ。ああ、高松に住めて良かったあ!と叫びたくなった。、、、それと同時にもの凄い疲労感が押し寄せる。しかし出発前に予定を入れていたシャンソン教室は新人見学者が居るとのことでお休みするわけにも行かず、その足で参加。栗林公演前の新しい教室はなかなか広くて明るくて使いやすい。ビルがリサイクルやら、ママの店やら100円ショップやらで、楽しみもある。
早速、東京土産にシャンソニエでの歌の話しなどして、盛り上がった。四ッ谷の「蟻んこ」というシャンソニエでは、ホントに素晴らしい歌い手に出会った。私のシャンソンへの思いが具現化されている人だった。いやあ、日本は広い。

 手ぐすね引いて待っていた母に報告をして、メールを見ると、来てるわ来てるわ、、、うわ〜っ!これを今日中に処理するのは絶対無理。ごかんべん〜〜〜。
 悪いが本日のちぇちもお休みさせて貰って、ひたすら体力の回復を目指そう!友人と入ったみなとみらいの占いパビリオンとやらでも、睡眠を取れと書かれたからなあ。兎に角眠いんだから寝た方が良いんだろう。

 

 

2004年5月11日 (火)

今日は晴れ晴れ!

 本日はバス歌手MM君の目出度い結婚式。東京は台場のデラックスホテルの29階でレストランウエディング。若い人が名前を聞いてキャ〜ッて叫ぶホテルだと、左の席のN君が教えてくれる。右側の席は新郎の友人で尺八の有名な奏者。彼の演奏は素晴らしかった。フレンチを食べながら尺八のすすり泣く音色を聴くのも乙なモノだった。そしてそのフレンチは素晴らしくおいしかった。またボーイさんの接客が申し分なく、さすがであった。司会者は新婦の職場のキャビンアテンダーで歯切れの良い美しい声。初めてですと良いながらも和やかな雰囲気で立派に進行する。さすがであった。
お色直しを一度もしないで、彼がイタリアで買い求めたという生成のウエディングのみのシンプルな会は、ユニークな挨拶が次々と出ておもしろかった。新婦の人柄がしのばれる暖かいコメントが多くて、私は心の底からいい人に巡り会えた彼を祝福した。この私も突然のスピーチにあたふたしたが、なんとか彼のことを皆様にお伝え出来たかな?
「愛情発、幸せ行き」のフライト案内はおもしろかった。、、、若い人はアイデアが楽しい。
二人が望んだように、暖かくざっくばらんな優しい会は、新婦の父のユーモラスな挨拶と涙でお開きとなった。

 その後は娘と息子と「リトル香港」でラーメンに舌鼓を打ち、水戸までの2時間半を、恐ろしいことに娘の運転で出かけた。私はアルコールが入っているから運転できず、アドバイスしながらのドライブ。途中生きた心地がしないときもあったが、まあ何とか目的地に着く。で、この日記は息子の部屋からである。、、、が入ったときは足の踏み場がない。女三界に家無し、というが、私の場合「女、三カ所に家がある。やるまいと思ってももいつの間にか家事をやってしまう。あ〜あ。

 

 

2004年5月 9日 (日)

東京の田舎。

 十条という所へ始めていった。高台に町があって駅周辺の商店街もせせこましく、なんだか昔の町って感じ。なんとなく古びた御茶屋さんに入ってみたくなり、新茶を買う。見回すと全く古びた喫茶スペースも。娘の芝居までまだ1時間あったので、フルーツあんみつなど食べてみる。素朴で懐かしい味がした。おかみさんの応対も自然で歴史を感じた。

 芝居と言うより、本日のは朗読の会だったが、出演者達がみんな役者なので、ただの朗読には成り得ない。、、、久しぶりに人の読み聞かせを聴き、心地よく引き込まれていった。
まあそれにしても遠くまで来たもんだ。

 一人になってふとアメ横に行きたくなって、上野で降りる。この辺も随分変わった。ここに来ると必ず立ち寄る餃子やさんに入り、1個の餃子が普通の3倍くらいのを2個食べて、残りは持ち帰る。
雨の中どうやら祭りの後だったみたいで、はっぴ姿のお兄さん達が横行していた。みこしが見られなくて残念だった。

 

 

2004年5月 8日 (土)

何故か日記が書けている、、、。

 娘の部屋からメールが出来るし、日記も書ける。但しメールはホットメールだけだが。いやあ、便利便利。
 久しぶりの東京は、先程乗ったタクシーの運ちゃんがぼやくように、ものすごく気温の上下が激しい。半袖の上にジャケットで正解。
 有楽町は「帝劇」にて、「エリザベート」を観賞する。以前ビデオで宝塚版を見ていたから内容はとてもよく理解できたが、劇の完成度から言うと、宝塚に軍配が上がったかな?満杯の客席は殆どが女性。矢っ張りね。
 銀座までぶらぶらと歩き、ある貴金属店に入ると、隅っこに越路吹雪の写真が飾られ、その前にベージュのハイヒールがおかれていた。
もしやと思い尋ねてみると、矢張りそこのデザイナーは、越路吹雪の専属のデザイナーだった。
偶然入った店で、思いがけず出会った越路に嬉しくなって、記念に1個イヤリングを買い求める。もちろんその店で一番お安い物しか買えなかったが!大満足。
、、、そうか、ここは銀座だったんだ。しかし、昔とは随分趣が変わったもんだ、この界隈も。
一緒だった姪に誘われてフランス洋菓子店に入ると、長蛇の列。並ぶのが好きな民族、東京人の後ろについて辛抱強く待って購入。その甲斐あって、先程食べたパンはメチャウマ!
明日が本番の娘のためにフルーツやら寿司やらをダイエーの地下で買い求めて、婿殿と自分の為にもワインをぶら下げ、タクシーを降りてから、5階まで止まらずに上がった。私もまだまだ行けそうじゃん?体力のバロメーターにはもってこいの環境だ。

 今夜は「冬のソナタ」だそうだ。
 

 

 

2004年5月 7日 (金)

旅に出る、、、。

 今日から10日間。なので、只今出る前に朝の10時という時間に日記を書く。

 夕べは岡山で女ばかり10人のお食事会。別れがたく二次会はカラオケ。みんなのパワーが炸裂した。コンクールで優秀な成績を取った人とか、みんな実力者ばかり。いわゆる歌心を持っている。「歌は人間関係を作る」会長のお言葉が甦る。

 晴れてるなあ外は。きっと良いフライトだろう。本日のアッシー君は友人のKさん。可哀想に、こき使われている。まあこれを腐れ縁というのだろう。ここまで来たら家族以上かも。
 荷物の殆どは便利な宅急便で昨日送ったし、身軽に出発出来る。これも有り難い。娘が荷物は?と電話してくるから、とっくに送ったわよ、と応えると、そんな大きな荷物可哀想やろ?と叱られる。そうだった、娘の部屋はマンションの5階で、しかもエレベーターがないのだった。時々女声が運んでくるそうで、大きいとものすご〜く気の毒な気持ちになるそうな。いやあ、あれはちょっと大きすぎたかなあ?殆どうどんで、重いしなあ、、、。ま、しゃあない。今となっては。

 さあ、出発だ。

 

 

2004年5月 6日 (木)

ホントに疲れた、、。

 岡山から帰ったら、午前様。フェリーの中で眠れなかったのは残念。そん代わりすごい美しい月が行く手を道しるべのように照らしてくれる。
 
 なんか本日は目茶眠い。。。。。

 

 

2004年5月 5日 (水)

たくさん良いことが、、、。

 こういう場合、一日の終わりからでないと数えられなくなったこの頃。まずは、「亀さんの駐車場」親切なおじさんのお陰で、お得に停められた。たった300円でも感謝。この駐車場は24時間かなあ?なかなか便利で、いつも一杯停まっている。で、その前は、偶然バッタリ本日のピアニストに久しぶりでお会いして言葉を交わす。ナントこの日記の読者で、久しぶりの気がしないとまで言って下さる。「膵臓園」のこともご存じだった、が、園が炎のことと気付いていらしたかな?当然よねえ。知らぬは本人ばかりなりってね。その日の演奏家の殆どが周辺にいらして、皆さんご機嫌。いやあ、演奏会の後って、良いんだよねえ。出来はともかく、終わったあ!というあの感じ。やった人でないと分からないだろうなあ。、で、その前は、サンポート付近での感動的なシチュエーションでイタリア料理、といってもパスタだけだが。
ちょうど、夕日が島影に落ちる少し前に、外で食べましょうと、女4人でかしましく場所を取る。いやあ、その刻々と変わる空と海の色の素晴らしいこと!注文も忘れてみんな見とれていた。自然て凄い!上の方から段々落ちてきて、おしまいには島に乗っかり、まるで線香花火が燃え尽きるときのようにじりじりと小さくなり、すっと消えた太陽。見晴らしの良いテラスでの一幕のドラマだった。出てきたパスタのおいしいこと!借景で料金も高いとは思えなかった。実を言うと実際全然高くなかった。ミカエラ、Amarilliさんソフトクリーム御用達のお店だが、本日はソフトを食べる時間がなかった。
で、その前は、演奏会後のお茶の時間。会場に近いこのお店も珈琲がおいしい。トイレに携帯忘れてもちゃんと出てきたしいいい。(忘れるな!)
その前はほぼ3時間半のなが〜い演奏会。休憩から半分になっちゃったが、その理由の一つは暑いこと。冷房出来ない事情があって、満員の客席はみんなパタパタと仰ぎながらの観賞で、気が散ること甚だしい。私にとっては楽しい舞台だった。知人が4人歌い、ピアニストも二人までは知っているというのも、勿論あったが、バスバリトンのかっちりした演奏と磨かれた声も堪能。初々しいテノールの真っ赤な顔や、発生に波はあるものの、早口言葉などに勉強の成果が出てるフィガロも楽しませてくれた。レチタティーボが長すぎるきらいはあったが、まあ、私のように勉強中の身には面白かった。歌に関係ない人ともお茶したが、解説が面白かったとの弁。そうなんだ、演奏会は色んな楽しみ方があるし、楽しませ方がある。オペラの難しさは、単に歌が上手いだけではダメなことだろう、と本日又感じた。独特のオーラがないと、オペラにはならない様な気がする。無難にこなし、小さくまとめては、サロン演奏会になってしまう。
何故かロミオとジュリエットのロミオ役が女声だったが、上着一枚着ておいて欲しかったなあ。みんなどう思ったんだろう?今度他の人に訊いてみよう。どうも私は気になったが、、、!どう見ても女二人が歌ってるとしか見えなかったから。
結局イタリア人のコレペティらしき人との3人のピアニストの演奏が聴けたが、これが結構楽しめた事の一つ。みんなそれぞれの持ち味が出ていた。Aさんのフィガロは見事な指さばきで、あれならば、歌い手もしっかり歌えるだろうなあ、と感心して聴いた。いや〜、面白かった。
うまいこと、主人から本日は夕食10時半頃と電話が入って、安心のお出かけ。おぼっちゃまには、無事お帰り頂いたし、明日宅急便を出して、明後日は出発だ。あ〜嬉しい!

 毎日よくぞこうも変われるモンだ、我ながら。
 

 

 

2004年5月 4日 (火)

やばいのかなあ、、、。

 さっき食事中の話題としては余り芳しくないテレビの画面を見て、ちと不安に。急性膵臓園で突然亡くなった人のことが出てたのだ。「膵臓」なんて臓器のことを余り考えたこともなかったが、どうも怪しい。症状が似ている。テレビの人は急性膵炎だが、私は慢性、それも容疑者であって、まだ決まったわけではない。が、とても似ている。救いは、先生が「この膵臓のお薬を飲んで、もし効果があれば膵炎の疑いがあります」といってくれたこと。今日で、数日になるが、薬を飲んでも効果無し。てことはやっぱり違うんだろうねえ。まあ、まだまだ飲まなきゃ結果が出ないだろうが。
 
 先ほどの息子との会話では、「お嫁さん第一というポリシーのもと、暮らしていく」んだそうだ。いわゆる嫁姑問題があるのは、ムコが一番悪いケースが多いんだぞ、と言うと、帰ってきた返事がこれだった。へえ〜〜そうかいそうかい、どうぞ初心お忘れにならずにね。と嫌みの一つも言ってみる。何を言われてもにやにや状態の息子。ま、一番良いときだろうねえ。


 

 

 

2004年5月 3日 (月)

み〜どり おり〜なす〜♪

 ニューヨークから一時帰国のK画伯をお訪ねして緑深い塩江に行く。お昼時とあって近くの行基の湯ソバのソバ屋へ行く。しばらく待たされるが出てきたソバはここで正解の味。こんな事なら大にすりゃあ良かったと悔やむことしきり。
 ほど近い主人の実家にも立ち寄り、息子の結婚を報告。帰路は緑したたる山間を、のんびり走る。至る所に藤の花が咲き誇り、地表にはタンポポが溢れる。「ここも�oシ?」と思わず聞くくらいの山のなか。途中石清水を飲みちょいと藤の花を頂き、いたどり=すかんぽを3本ばかり抜く。、、、、こうして夫婦でドライブなんざあ、一体何年ぶりか?思い出せもしないくらいだ。息子の結婚という事実が、急に親というくくりで、我々を親密にしているのか?いと不思議ではある。タハッ!

 気分がよい流れで、少々表廻りを整備するのに、亭主とおばあちゃんをこき使い、息子のリクエストで本日の夕食はすき焼き。親子三人の食前に「これって5人前?」とほざいた息子は、しっかり食べて飲んで、ご満悦。まあ、こんな顔見るのも後少しかと、瞬間母親としての感傷がよぎる。

 お相手のお嬢さんのメールを教えて貰った。初めましてのメールはなんだかくすぐったかったなあ。「仲良くしましょう」と打ちながらじわじわと嬉しさがこみあげる。いやあ、ホントの親子になれると良いなあ。

 

 

2004年5月 2日 (日)

お湯はお湯連れ世は情け。

 今日も(!)デートの吾が息子とぽかぽか温泉で落ち合い、電話がかからないのにしびれを切らして、いらいらしていた夫と母を伴い、久しぶりのドリフ気分。ひなた湯にゆっくりと浸かっていると、8ヶ月の赤ちゃんを抱いた人が人なつっこく話しかけてくる。聞けば徳島からレオマに子供を連れて遊びに来て、帰りに立ち寄ったそうな。案の定レオマは凄い人で、駐車場で2時間待ち、遊技が各2時間で、2種類だけしか観られなかったとか。おうどんで1時間待ちで、一杯だけで帰ったとか。大体いつもこのコースだとか、大変だなあ。そう言えば私達も子供を連れてあちこち出かけたモンだ。いつの間にかお嫁さんを貰う歳になったんだ、と今し方別れたばかりの相手の娘さんの顔を思い浮かべて、ぶるっとばかり、お湯を顔に。しかし、小さい子は一躍その場の人気者に。だのに私はやっちゃった!「男のお子さんにしては大人しいですねえ」、、、実は女の子だったのだ。母が慌てて間違いを指摘してくれるが、今更、凛々しいお顔だからなんて言うわけにも行かず、ま、いっか!としらんぷり。もっぱらうどん屋の話しに終始してごまかしたのだった。
考えてみると、うちのお嬢さんも、10人が10人、男のお子さんでしょう?と聞いてきた。服の色が悪いかと赤いのを着せても結果は同じ。逆に息子の方が、どんなに青いのを着せても女の子に間違われていた。、、、懐かしいなあ。あの頃が。「美加ちゃんは居ないと思ったら、お兄ちゃんの教室に行ってるんですよ」と担任の先生から告げられるほどの仲の良い兄妹だったが、妹が結婚しても、相変わらず娘の家を宿にしては行き来しているらしい。彼の結婚によって多少の変化が起きるだろうが、みんな仲良く暮らして欲しいモノだ。

 

 

2004年5月 1日 (土)

熱い人達!

 息子と久々に焼き肉屋さんで夕食をと出かけ、運転手のためもっぱら焼く方に廻って、忙しく箸を動かしていると、突然私の携帯が鳴る。�рニは大概突然だが、、、。「もしもし、、」という声を聞いたトタン、思い出した!本日は劇団の新人歓迎会だった!ぎょぎょっ!「あのお、、、もしかしてお忘れでしたかあ、、、?」となんとも優しいTちゃんの声。「ご、ごめん。その通り!すっかり忘れてたのよおおおお!未だ間に合う?」と叫んでいた!モチロンですと言われて、夫と息子とおばあちゃんをせかすことせかすこと。帰る道々、あたしゃ食べずにご奉仕したのに私が払って、みんなを送って、、、なんかすっごい損した気分!とぐちぐち。しかし、忘れてたのはわちきだから、みんな同情してくれない。く〜っ!なんでこうなるのよ!
 しかし、急ぎ駆けつけた会場は、にぎにぎしく盛り上がっていて、有り難いことに、こわ〜い団長のそばという特等席まで用意されて待っていてくれた。今回の公演は新人が7人も入ってのもので、中の一人はアメリカでプロとしてすでに舞台に立っていた人だ。こりゃあ、舞台がレベルアップすることだろう。楽しみだ。又、新人の中にはとても面白いキャラの男の子もいて、劇団が活気づいている。そんな中で一人中年の域に達した人が居て、その人のコメントが素晴らしかった。昔オペラをやったことがあり、舞台への夢が忘れられなかった。保育園で子供達と小さな舞台をやりながら、自分の中にその夢が存在しているのを思い知らせれる毎日だった。今回声をかけて貰って、主人や職場の人達に猛反対されたが、どうしてもやりたくて、押し切って参加した。つい最近孫が生まれたりして、ますます家族のヒンシュクを買っているが、家のこともちゃんとやるという約束で、出して貰っている。今はとっても幸せです、というモノだった。
彼女の涙ながらのスピーチに「泣き上戸だったの?」とヤジを飛ばしながら、私は心からのエールを贈った。よかったね、生きてる間に舞台に出会えて、ホントに良かった。遅すぎるって事はないよ。絶対!これからの人生、きっと充実するわよ!と。
帰りに私の車を代行運転してくれたホフマン君が「初心忘れてました。彼女の言葉で目が覚めました」とぼそっと言った。そうだよ、時間はそうやって自分で作るモノなんだよ!と励まして、レッスンも受けよう、と別れた。
他人事ではない。私も初心に返って、もっと歌を勉強しよう。
本日のもう一つの収穫は、団員が連れてきていた2才と3才のちび助に、私の名前をみっちゃんと呼ばせることに成功したこと。フッフッフ。
、、、しかし、次まで覚えてるかなあ???

 

 

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