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2004年4月

2004年4月30日 (金)

それでもオペラ!

 本日県外のオペラ歌手とお話しする機会があった。一人はある会社の経営者でもある。二人のソプラノは私よりかなりお若いせいもあるが、意気軒高で、夢がいっぱいあって、兎に角元気。何故オペラか?と自問自答する中で、我々はオペラの持つ、人間を昂揚させる力についてたくさん語り合った。その舞台の成功のために自分から離れ、全体を眺められるということの大切さを、確認し合った。彼女曰く「オペラをする人は、まず究極の技術を磨かなくてはいけない。そして心を磨くことが同じくらい大切である。で、舞台に立つことでしか、完成させられない、、、」全く仰せの通り。
この方が教えた人で、普通のサラリーマンがリストラされて一度職を失い、暇が出来たとオペラの合唱に入ってきた。8ヶ月の練習の後初舞台となって、終わった後、かれは命を吹き返したそうな。生きる元気が出て、再就職したという。、、、そうなんだそんなこともあるんだ。

 

 

2004年4月29日 (木)

晴のち晴

 本日初めて、息子のお相手のお宅訪問。出発前はやたら緊張して、あ、靴下が違う、あ、ベルトしてないなどと出たり入ったりしていた父親は、本番には強かった。結構父親してるじゃん、と内心想いながらも、私は長い間正座なんかしたことがない為、段々しびれてくる足に気もそぞろ。後で聞けば息子も内心親父が失言せぬかとはらはら状態だったとか、、、。一人落ち着いていたのは若い彼女だけ。いつものようにゆったりとにこやかにお茶など入れてくれる。あちらのご両親も、矢張り可愛い娘を手放すことが実感として迫った感じがあり、これまた別な意味での緊張があったのだ。、、、しかしまあ、滞りなく一連の会談は中身もそこそこ充実して終わった。私は足のしびれが上手く治まったときがご辞退の時で、ほっとする。車に乗るやいなや、三人とも「疲れたぁ〜」と叫び、今日は何かおいしいモノ食べに行こう!と珍しく意見が一致。おばあちゃんを誘っての会食となる。この母も事の顛末を聞きたくてうずうずしていたから、待ってましたとばかり乗ってくる。いろいろと報告しながら、まあ、ホントに良かったと食事も進んだ。
 この時珍事が発生。
車を止めて店内にはいると、私より一足先に店内を知らないで座っていた家族の座席が気に入らなくて、別なところに変えて貰ったら、ナントそこのすぐ隣の席に、息子の小学校時代の恩師がご家族でお食事中。思わず立ち上がっての挨拶となり、しばし昔の思い出話など、、。この先生はいわゆる熱血先生で、生徒に絶大な人気があった人。吾が息子も例外でなく、20年以上経った今でも、しっかり覚えている先生だ。この先生から影響を受けて、研究ではなく、教えたいために大学に就職したのだと息子はいう。私の思い出はと言えば、参観の時「次ぎに娘の所へ行かなくてはなりませんので、、」と腰を上げると「ほう、娘さんがいたんですか。娘さんも変わってますか?」と聞かれたのが今でも頭に残っている。いやホント、面白い先生だった。少しの会話だったが、今も魅力的に歳をとられている。、、、人生の出会いとは大切なモノだ。
 本日息子関連の、晴天の一日だった。

 

 

2004年4月28日 (水)

今夜も、またまた会議、、、。

 会議ってえものは、兎に角短い方が良いに決まっている。それには全員のそうしたいという意欲が無くては成り立たない。にもかかわらず、もうそろそろ終わりかなあ?と思ったら次から次へと議題めいたモノが登場してくる、全く不思議な会。しかもこの会議というモノは、リーダーのテンポで事が運び、みんな右へならい状態で、リーダーが早いとみんなもとんとんと意見が出て、結論も早い。リーダーがちんたらやってると、これまたみんなもちんたら状態になってしまう。集まってる人達はみんな役者ばかり。それぞれ、会議という舞台で演技しているのではないか?いやもちろんそうだろう、生きることそのものが演劇なんだから。いやあ、疲れた。

 

 

2004年4月27日 (火)

春の嵐。

 入り口のドアが勝手に開いてしまうほどの強い風に驚いた。気温も低いし、これじゃあまるで冬。風邪引きさんが多いのも頷ける。
 このような天候の中、本日ご来店のお客様の中には、不登校児を持ち、長く悩んでいたが、このところ県外の自由な校風の高校へ進学させてほっとしているという母親がいた。
 学校は行くモンだという時代は終わったのか、と思うほどの近辺の不登校児の多さは驚くほか無い。「行きたくない」という子供に対して、「行っといた方が良いよ」と弱々しく応える親たち。「そりゃあ、あなたの人生だからね、好きにして良いんだけど、、、将来きっと行っといたら良かった、と思う日が来るから、、。」と。不登校の原因も多種多様になってきた。昔々は、子供に教育を付けさせたくても、働かせなくてはならない時代があった。二宮金次郎の蛍の光窓の雪が、一体何を意味しているか、知らない子も多いだろう。未だ若い(!)私でさえ、子供達に語ることが出来るエピソードを持っている。ノートは裏表紙まで使わなければ新しいのを買って貰えなかった。新しいのが欲しさにわざと大きい字で飛ばし飛ばし書いたモノだ。鉛筆は持てなくなるまで使うというのが常識だったあの時代。学校に行きたくても行けない子供達がいた。
 いつの間に日本は、日本の子供達はこんなに変わってしまったのだろう。

 今日もテレビはバラエティとかで、けたたましいか、ゲラゲラ笑いか、ワケワカメな番組を提供している。
 
 こんな時代に雅子様も辛かろう。、、、?
 
 

 

 

2004年4月26日 (月)

参った!

 どうしても逃れられない胃カメラに、初めて「無痛胃カメラ」なるものをやって貰った。「眠り薬」のようなもので、知らない内にやってくれるというのだった。が、全て終わって目覚めてから先生曰く「やっぱりとっても苦しかったんでしょう!?今まで」
ということはどうやら、眠り姫状態でも大分あがいたらしい。どの程度かは知らないが、どうも喉の奥に鈍痛がある。眠りながらも先生を手こずらせたのだろうか、、、、。知〜らな〜いっと。
で、肝心の結果はというと、全然問題なし。胃ガンでも胃潰瘍でもないそうだ。、、、で、お次は、何を調べるかを相談すると言うのだ。その説明を聞きながら、相変わらずジクジクとあの箇所は痛むのだった。
 偶然M・Hさんが病院に来ていたので、まだフラフラしている私の代わりに車を運転してくれた。助かった!あれ以上病院に居たくはなかったから。しかし、この病院嫌いも困ったモンだ。

 ちぇちぃりぁに新しい男性が入ってくれた。きっとこれで、空気すらも変わるのだ。もっと男性が入ってくれると良いなあ。ちぇちの女性達ガンバロウ!声、美、心、三拍子揃った女性がた〜んと居るわよん、と言えるようにねっ!、、、もちろん今だって言えなくはないんだが、、、。ホイ。

 

 

2004年4月25日 (日)

さぶ、、、。

 外の日差しがとても懐かしくて、用もないのに表にでる。このところ手入れしすぎた感のある小さなガーデニングの、ほんの僅かの枯れ葉をちぎってみては、空に向かって伸びをする。
静かだ。
向こうに見える高速道路も、いつものことながら車が少ない。この通りも今日はホントに車が通らないなあ。、、、そうだ、今日は日曜日だった。どうりで、いつもと様子が違うはず。
、、、さあ来客まで布団を干して、息子が帰ると言うから、部屋の準備でもするか、と思い家の中に入ると、さぶ!まるで冬。早速暖房だ!
こらえ性が無いというか、贅沢というか、母が聞いたら怒るだろうなあ。昔人間だからして、何かと言えば「我慢しなさい」なんだから。と思いつつも、結局はスイッチオン。
その母の思想が堅固なのも、父の影響だろうか、いや、時代の育てたモノだろう。
幼い頃、母の実家に行くと、座敷中央に額縁がかけてあったのを思い出す。中国の故事を絵にしたもので、大の大人がうつぶせに倒れ、もう一人の男に足で背中を踏みつけられているという絵。そこには黒々と「ならぬ堪忍、するが堪忍」という字が書いてあった。字が読めなくてもおぼろげながら意味が分かる絵で、その辺の大人に意味を聞いて受け売りで弟に教えたりしていた。幼心に、その下側の大人の口惜しそうな顔が忘れられず、50年経った今でも、絵の構図まで思い出すくらいだ。大人になるにつれその言葉の意味が理解出来るようになったが、なかなか含蓄のある言葉だ。
、、、まあ、しかし今日は寒かった。
明日はあんなに嫌がってた胃カメラ。ムムム。ならぬ堪忍、するとしようか。

 

 

2004年4月24日 (土)

本日は観劇。

 母を伴い、マグダレーナのお芝居に行く。いつものように満席の、小劇場らしい舞台は、好感が持てた。いわゆる芝居の醍醐味であるところの、ストーリーの展開を推理するのが楽しかった。二度三度と、ひっくり返る中で、押さえるべきテーマはしっかり押さえてある。地方演劇らしさも失わず、敢えてそれを前面に出しての問いかけが、観客を現実から遊離させない。
そして、作家は自分の「書く欲求」をも満たしている。「欲望という名の電車」の一節を、役者にそのまま語らせる所なんかは、憎いではないか。
、、、しかし、最後のあの途方もない長い「間」は何を意図したモノだったのか?いや、その間の中で観客は考えただろう。それには意味があった。
しかし、その後の死んだと思った女性が起こされて、抱き合うまでのいくつかの動きと時間は、、、、、?その前の場面で、彼女のテンションがもう少し高ければ、そこもすんなり受け入れられたかも知れない。、、、。
役者の力と、演出と、作家の意図するところが、交差して全てを決める。

 ああ、芝居は面白い!

 

 

2004年4月23日 (金)

今夜も会議なんだわさあ。。。

 という、全く同じタイトルの日があったらしい。深夜の会議はホントに疲れる。その前はFMで、ゲストを送り迎え。その前は、COOPの配達日でガタガタ、その前は病院に検便の試薬を届けて、その前は短歌の締めきりに間に合わせて速達での投稿。、、、と、本業以外のこの多忙。さすがに収録時の眠いこと!お相手が兎に角しっかり台本を作ってくれてるひとで、大助かり。殆ど相づちだけで終わる。
 で、今夜は本公演のキャスト決め。何はともあれ、ここが決まらなくては始まらないのだ。「落語ペラ」は今年で、5回目。今年はどんなん出来るかなあ??新しいメンバーも増え、期待満々。
さあ、出発だ。

 

 

2004年4月22日 (木)

手料理どころか、、。

 ひどい倦怠感で、食欲も無い。夕餉の時間が迫っても、何もしたくない。ええい!Sちゃんと、本日も外食だあ!と決めたら、気分が楽に。旅行中の同居人が未だ帰らないのを良いことに、家事をすっかりさぼったら、まあ、良い気分。

 友人が言う。「あなたはよくぞそんなにたくさんの人の中に身を置けるわねえ。私なんか絶対ダメ。人間関係のストレスで、頭が変になっちゃう!ぜ〜ったい身体がおかしくなる。ぼちぼち歳なんだから、少し整理したらどうなの?」と。、、、言われるまでもなく、この「人」という渦の中で、かなり翻弄されている自分を感じている。だからって、、、、。今の私はどうしようもない。病院か棺桶にはいる以外に、逃れる道はない。、、、しかも私は、逃げる気はない。乗りかかった船が、例え泥船でも、向こう岸に着くことを信じて、こぎ続けるだろう。水の流れも急流ばかりでもあるまい。ゆるやかな、大河のような時もあるだろう。その時息をつけばいい。向こう岸に何かある事を信じる人達と手に手をとって!

く〜っ!泣かせるねえ〜っ!

 

 

2004年4月21日 (水)

寝りゃあ治る、、?

 大概のことはそうなんだ。睡眠こそが最も有効な薬なのかも。この日は友人が久しぶりに温泉に誘ってくれて、未だ風邪が完治して無くて不安だったが、ええい!とばかり出かけた。さすが温泉。何時間経っても身体がほこほこ。汗がだらだら。帰宅したのが午前様だから、もう日記を書く間も無くベッドに直行。この際、寝るのが一番とばかり、布団に潜り込む。あとは 記憶が無い。兎に角熟睡して、朝の目覚めの心地よいこと。90%風邪も抜けた感じ。
 この日は、担当のSちゃんと、ホームページをあれこれいじる。うろ覚えの二人が額を寄せて、なんとか、形になった。彼女も風邪引きさんで、二人して夕食を食べに出る。「食欲がない」と二人で言いつつ、結果は「上を向いて歩こう」状態。これで良いのだ!とばかり大笑い。二日続きで、ホームページを完成させる予定だ。せめて今夜は手料理でもするか、、!

 

 

2004年4月20日 (火)

花。

 春だというのに、余りに寂しい我が家の店先。ここのところ、さぼれるところは全てさぼって暮らしていたので、花を植える等という余裕が持てなかった結果である。、、、ということで、思い立って、大きな植木屋さんに行ってたっぷり苗を買ってきた。全部は出来ないで、半分くらい植えたら少し我が家にも春が来た。良いなあ、花は。そこに居るだけで、人の心を暖かくする事が出来るんだから。花にはやっかみもなく、競う心もない。自分自身を精一杯生きているだけ。
以前ずっと若かった頃は、ガーベラとか、薔薇と�ゥ、一輪ごとの美しさを誇る花が好きだったが、この年になって、小さな花が集まっている桜なんかがとても愛おしく思えるようになった。先日観た「ラストさむらい」に渡辺謙の台詞「どれ一つとして、完成されたモノはない」という桜の花に手向けられた言葉が妙に印象に残った。桜は花の一つ一つを見るものではない。全体としての美だろう。その小花の一つ一つは完璧でなくても、またはある花は全く不完全でも、全体としてみれば、美しいと思える、、、、それで良いではないか。、、、その言葉はそう教えていたと思う。

 桜、、、、いつのまにかもう散り去ってしまった。

 

 

2004年4月19日 (月)

練習が活気づいた。

 面白いモノだ。いつものメンバーに若い人が二人増えただけで、随分空気が違う。お〜い男性達〜!若い女性が増えたよ〜なんて呼びかけたいくらいのモノ。男性が少なすぎる。お次は男性だ。
まあ、王子が戻ってくるし、例の彼も、考え直してくれなくもなさそう、、、だったし。良い方向に、行けば良いなあ。

 瓦町のオーパーが移転する。随分不便になるが、変わらず通ってきてくれるという教室の皆さんに感謝。バスや電車を利用するらしいが、ホントにご苦労様。中には持ち声の凄い人が居て、ホントはオペラに誘いたい。でも、まあ、そうも行かないだろう。
メンバーの中には、長くコーラスをやってきたという人も居て、何故この教室かと言うに、矢張り、1曲を自分の歌として完結させたい、と言う人が居た。それは大変よく分かる。特に日本のコーラスの先生方は、個性を疎んじる。横並び、同じ声を出せと言われるのだから、余り長くやっていると、面白くなくなるだろう。でも、彼女たちは基本が出来ているという利点を持っていて、リズム、音程、どれをとってもちゃんとしている。「歌う」ことを長くやってきている長所は充分持っているから、成長が早い。なんでも、無駄と言うことは無いモンだ。

 たった37度5分の熱でフンフン行ってる私だが、メンバーのSさんが、8度5分でお休みした。ちょっと流行ってるのかなあ?

 

 

2004年4月18日 (日)

完全な風邪。

 完全というのも変だが、ただいま声が鼻声になり、いわゆる風邪の条件が全て揃った。医者でなくても分かるというもの。
 で、この鼻声で、只今ある音楽家達とお茶してきたのだが、この人達の持つゆったりとした雰囲気に、学ぶべき事が多々あった。彼らの思いやりのある会話に、癒されながらも、どんどん鼻声がひどくなってきて、外は雨。娘からの�рナ、「お母さん風邪?」とすぐ見破られる。

 午後は担架の会だった、イヤ短歌の間違い。縁起でもない、担架で運ばれたくはない。ていうか、運ぶ人がお気の毒てなもんだ。
その短歌の会には熱心な、従って上手な人が来ていて、いつもながら勉強になる。というより、歌そのものに癒されている自分を感じる。他人の歌をじっくりと読む事は、こんな機会でもないとなかなかないのだが、こうして良い歌に巡り会うと、自分は出来ないにしても、ああ、短歌に触れられて良かったなあ、と素直に思える。多分、落ちこぼれのまま時間だけ食っていくのかも知れないが、まあ、今のところはこれで行くしかない。絶対時間が少なすぎるのだから。

 ちぇちぃりぁの会員が少しずつ増え始めた。何とか、半年で本番に間に合うように育って欲しい。今日も喫茶店で話しに出たが、舞台はホントに楽しいのだから。大勢で盛り上げたいモノだ。

 

 

2004年4月17日 (土)

たまに早いとろくな事はない、、。

 風邪を引いたらしい。頭がじんじん、肩がコリコリ、口の中にはヘルペスが居座っているし、ちょー具合悪〜。ただいま午後10時。今宵は早寝と決めた。明日は7時半からお客様。は〜っ!

 本日のCantiamoも一応無事済んだ。歌の勉強って、なんて難しいんだろうと想わせる場面もあり、上手くなってることを本人は分かってないんだろうなあ、、、、と想う場面もあったりでバラエティに富んでいたなあ。
しかしいつもながら、聴くだけの方達にホントに申し訳ない。次の会までに、この気持ちをキープ出来ないで、結局場当たり的な発表会になってしまうのが情けない。これからは、練習部屋にメルコレディの方々のお写真を貼っておくことにしよう。初めからその方達にお聞かせしたいと想っての勉強にするべきなんだろう。(明日まで覚えてろよ!と陰の声)

 人質が解放された。一番印象に残った言葉は高藤さんの「イヤなことをされたけど、イラク人のことを嫌いにはなれません」という言葉。やっぱり、危険と知りつつ出かけた人の並々ならぬ、ボランティア精神を見た。危険なところへ出かけたと言うことを批判する人もいるが、私は批判は出来ない。リスクを背負ってでも、他人のために何かが出来るか?ということをむしろ私は突きつけられた感じがする。一応平和な環境で、ぬくぬくと暮らしている私。食べるものに不自由があるで無し、読みたいモノを読み、触れたいモノに触れ、見たいものを見られるこの環境にいて、どうして、彼女たちを批判出来ようか?むしろ、私の中の正義の身代わりとして、多くの国民の代表として、行ってくれたと想う。だから、助けるのは当然だし、助かってホントに良かった。
それにしても、やっぱりイラクは戦地」だったんだ。自衛隊の人達も誰一人犠牲にならずに帰って欲しいが、、、。

 

 

2004年4月16日 (金)

良い天気=暑い!

 昼は初夏、朝夕は未だ初春。なんでこんな日に外に出られないかというほどの良か天気。外から入ってくる人はみんな「暑い暑い」と言いながらだった。
 例外の人が一人。
いつも週刊誌を届けてくれるおじさんが、やけに元気が無くて、顔の色が青い。お金のやりとりを住ませると「長い間お世話になりましたが、私入院することになったんで、もうこの仕事は辞めます」と言うのだった。驚く私に「実はガンが見つかったんです」と言う。道理で、頬がこけやつれている。慌てて何人か知人の例を挙げて、大丈夫な人が多いからそのガンは、と慰める。御礼を言いながら帰っていくおじさんの後ろ姿が、とっても哀愁を帯びていたなあ。ご無事でありますように。

 明日はCantiaomoの会だ。ふ〜っ。

 

 

2004年4月15日 (木)

人間て、、、。

 哀しいなあ、とつくづく思う今日一日だった。
何年ぶりかで来店された方が、外から見たら普通なのに、会話が続くとおかしいことに気付く。全く同じ事を何度も繰り返し言うのだが、私や、夫や、我が母なんかとは全然レベルが違う。今言ったことを、そっくりそのまますぐに繰り返す。その話題で得た感動も、そのまま同じに繰り返すのだから、一体人間の脳の中はどうなって居るんだろう??と思ってしまう。別に間違った事を言う訳ではない。前後の脈絡もしっかりしている。ただ、同じ事を10回繰り返すというだけのこと。まあ、5回目くらいまでは私もしっかりお付き合いできたが、その後は少々なおざりになったことも事実。でも、ご本人は兎に角喋りたいらしい。おうちでは、家族に相手にされないのだろうか?たぶん80才くらいだと思うが、身体はお元気そう。、、、ふ〜む。私の未来かも。

 そして耳に入ってくるのは「もめ事」で、あっちでもこっちでも、まあ、とどめを知らない。
イラクの人質も解放されたんだから、こっちも解決しようヨオ、、、。

 明るい人間関係もあったなあ。
娘の一人芝居のチラシ用の絵を、ある若い有望な女の子に頼んであるが、第一案が出来てきて、これが、こちらが思うのとイメージが違いすぎた。娘は折角作ってくれて気の毒というのが優先して、このまま採用しようか?といってきたが、却下。直接その子に電話して、こちらの意図するところを説明。すると、意外なほど明るい声で、「アドバイス有り難うございます。早速作り直します。おっしゃる通りだと私も思います。」というのだ。何という素直さ。およそ芸術家、もしくはそれを志す人は頑固で、自説を曲げず、こだわりを持ち、融通がきかないものだが、彼女は全く違った。ここ人はきっと伸びるなあ。この柔軟な頭と心で、きっと凄い作家になるかも知れない。そもそもこの人の書いた絵の絵はがきを、小濱さんにプレゼントしたら、痛く感動されて、「こんなのは使えない。素晴らしい絵だもの。額に入れて飾っておくわ。」と言われたくらい人の心を打つのだ。、、、いやあ、人間て、なかなか良いじゃん!?と思わせられる出来事だった。

 今夜こそ間違いのない日記にしたいモノだ。昨日のはひどかった!

 

 

2004年4月14日 (水)

密度の濃い一日だった。

 本日はCTスキャンの日。夕べ余りの眠さにお風呂に入ってなかったので、朝風呂に。いやこれがなかなか気持ちいい。以前御逗留だった外人さん達が、みんな朝風呂に入ってたのはそう言う訳か?と妙に納得。
 昼食抜きでと書かれてあった注意書きを思い出し、仕事に精を出して気を紛らわす。いつも仕事で昼食抜は結構あるのに、いざ決められてしまうと、不思議なほどお腹がすく。食べたい、飲みたいという欲求が身体の奥から突き上げてくる。、、でも、我慢出来たのは、検査のやり直しだけはイヤだったから。
 一度帰宅して、おしゃれしてから本日のFMの収録へと出かける。今日のゲストは、30年もの長きにわたりローマに滞在して、イタリアの素晴らしい海と空を書き続けてきた人。伺うと、音楽もことのほかお好きだとか。「絵画と音楽」は大変似ていると意見が一致。楽しい一時だった。
 そこから急いで駆けつけたのは「演劇祭」の会議。7月に行われるシンポジュームの段取りが当番でで当たってしまった。企画から運営まで、全てを担うらしい。帰宅してから気が付けば、あのチョコレートは良いこだわだえ

 上の文章に覚えがない。今翌日になって読み返しているが、何の事やらさっぱり意味不明、、!!トホホホ。よっぽど眠たかった証拠!

 

 

2004年4月13日 (火)

あれこれ

そもそも昨日は病院で腹部エコーをとるところから始まったのだった。予想通り異常は見つからず、予想通り明日のCTスキャンを予約。そこでも異常がなければこれまた予想通り胃カメラだそうだ。とうとう病院がよいが始まったぞ〜。そのストレスからか、本日歯医者さんで、上あごにヘルペスが出来てると言われる。このところお疲れなんでしょう?と言われたが、いやあ、確かに疲れてます。
だって、病院の後、友人達と「さまさまだ」「たまたまだ」と(?)わいわい良いながらランチを食べてからシャンソン教室。急いでとって返して総会前のレッスンとピアノ合わせ。慌ただしく夕食を取ってみんなで会場へ。約2時間の会議は休み無し。クッタクタの身体が冷たいビールで少し生き返る。、、、が、もう限界。というのが昨日の日記だった。ほよよ〜ん。

 本日は、心を入れ替えゆったりと表のお掃除を日に当たりながらやる。植木に水をやりながら、雑草を間引いたり、しばし日光浴、のつもり。く〜っ!日光浴さえもじっとしては出来ない哀しいさだめ!、、、とも言えるか。
もうすっかり春だなあとしばしうってら気分。
、、、で、歯医者さんの予約をすっかり忘れていることに気付く!慌てて電話して平謝り。時間を変更して貰って、ひと仕事の後午後にでかける。先に来ていた随分なお年寄りが声高に衛生士さんに「ちょっと一服さして〜な」と言うのが聞こえる。私の方をやってくれていた先生が「おばあさん、やっぱり一服せんといかんのなあ?」と笑いながら言う。おばあさんが答えて「そりゃ先生、一服せないかんわな。年寄りは、気いつけてもらわなあ。こないだタクシー呼んだらあんまり親切なんで、運転手さんになんでこないに親切なんですか?いうて聞いたら、その人が言いよった。研修受けたんですわ、言うてなあんた。皇后陛下乗せるみたいにせえ言われたんやそうでえ。」先生が「ほうう、皇后陛下ですかぁ?」と言ってからがおかしかった。「皇后陛下にするみたいにせえ言われても、皇后陛下におうた事無いさかいに、わからんでえ」と答えたのだ。部屋中が笑いに満ちて、いやあ、なかなかユーモアがある先生。お年寄りの扱いを心得てると感心。もっとも、私にもこの先生は「ごめんねええ。ちょっと痛いけどかんにんしてな、、、」と大阪弁で柔らかく言うから、必ずしもお年寄りだけに優しいのでもないだろう。、、、、ん?私もお年寄り扱いか?もしかして!ふ〜む。

 先ほど劇団員の衣装の打ち合わせに出かけるも、一度座り込んだらもう立ち上がりたくなくなって、結局帰宅が遅くなった。
帰るやいなや、もめ事の相談�пBえんえんの長電話となる。
人間てどうして仲良くできないんだろう。これの拡大したのが戦争なんだろうが、「平和」よりも優先する思想があるんだなあ。個人で言えば「プライド」」とか、「嫉妬」とかもろもろのマイナス思考が雪だるまのようにふくれあがり、美しいモノを覆ってしまう。その黒いマントを脱いで手を出して隣の人と手をつなぐ事が出来ないモノかなあ、、、。もうマントにふさわしくない季節だのになあ、、、。

 

 

 

 

2004年4月12日 (月)

総会終わる。ああそうかい。

 てなもんで、あたしゃ大変お疲れ。まあ無事終わり、みんなもそれぞれにやってくれた。

 ダメだ、、、もう眠くて、座っていられない。
こりゃまたすつれい!ってね。

 

 

2004年4月11日 (日)

誤字その2.

 この日記の誤字について昨日書いたのに、その昨日の日記に早速誤字があった。「人命」だなんて!「人名」の間違いよ。そもそも人名なんて言葉使うのがイケナイ。名前でいいじゃん。ば〜か。

 本日久しぶりに劇団に顔を出す。立ち稽古の真っ最中だったが、みんな真剣な中にも和気藹々で良い稽古をしていた。同じ所をひどいときは10回以上も繰り返すやり方は、そのまま身体が覚えるだろう。いろんなやりかたがあるが、これはホントに若い人向き。体力が持たないだろう。同じ目的に向かってみんなが力を合わしている姿は、やっぱり良いなあ。若いって良いなあ、、、とつくづく思った。演劇祭が遂に動き出した。さて、明日の私の検査の結果次第では、どこまでかかわれるか、、、。

 明日は3番目にイヤなエコー検査。ただいまから絶食に突入!(ちとおおげさか?)
1番イヤな胃カメラを飲まないで良いことを願いつつ臨むのだが、後2分で水も飲めないのは辛いなあ。寝るっきゃないわけだ。やれやれ。

 しかし、結果がどうあれ、明日はお昼をなっちゃんと一緒にするつもり。だってその後シャンソン教室だし、そのあとちぇちの総会だし。。。
お腹がすいては戦は出来ない、てね。

 

 

2004年4月10日 (土)

誤字。

 書いた日記を翌日読み返すと殆ど毎回誤字がある。寝ぼけまなこで、書いているから無理もないが、先日携帯メールをちょい若い人に送ったら、そっくり返されて、どういう意味か分からん、ときた。あたしゃ目が相当悪くなってんだから、適当に読んどいてよ!と返事すると、適当に読んでまんがなとの返事。あまりに ひどかったってことか。私の携帯は字が特別に小さい。もうやっぱり交換かなあ。、、、しかし、このパソコンも同じく誤字が多いということは、、、。

 さっきもコメディアンの人命が思い出せなくて、七転八倒!は大げさでも、テレビ番組を並べたり、イメージを伝えたりして、主人に思い出して貰った。これはかなり重症かも。

 今日は目が赤いし、いつものところがかなり痛むし、仕事は忙しいし、初めてのピアノ合わせもしたし、頂いたタケノコもおいしく調理出来たし、、、、待てよ、何か変なことがあったなあ、、、。
 そうだ、占いだ。
この私の人を信じやすい性格がもろ出てしまい、性格の良さそうな(そう見えた)若い女の子が、姓名判断を格安で致しますが、、、とやってきたのに乗っかってしまったのだ。まあ、別に嘘を言ってるわけではないだろうが、当たるも八卦当たらぬも八卦と聞き進む内に、遂に出た!「運勢を変えるには少しのお金と少しのエネルギーが必要です」
で?と問いただすと、印鑑だった。運気の変わる印鑑をお買い、というもの。は〜っ。やっぱりねえ。ちゃんとその気はないことを話して、気持ちよくお帰り願ったが、たまたま居合わせたN嬢も後日の約束をしたようだ。やれやれ、家の中にお通しして、ジュースまでお出しして、興味深く拝聴していたが、、、しかし、この若い女性はこの商売になかなか有望と見た。イスラエル人とのハーフだと言うが、実際そう見える美貌だった。、、しかし、何故こんな占いをしたいと思ったのかと自分の気持ちを振り返ると、矢張り、子供のことが気になっているらしい。息子を信じて、好きにおし、と言いつつ、心のどっかでは一抹の不安があるんだろう。
彼女が言った。「努力と天性と運気」ではどれくらいの比率だと思われますか?と。
私の答は、4,4,2.だったが、本当は3,3,4だというのだ。まあ、ある時はそんな気がするときもあるが、、、、統計学かあ。

 

 

2004年4月 9日 (金)

キューリー夫人とサンポート。

 今夜は黒柳徹子の「キューリー夫人」を観劇。芝居全体としてはイマイチ。特に役者の滑舌が出来て無くて、何をしゃべってるのか解らないことが多く、化学的な専門用語が飛び交うこともあり、案の定寝てしまった場面もあった。特に彼女の入れ歯が災いして、ホントに聞き取りにくかった。前から5番目という座席の私達でさえこれだから、、。でも、彼女は芝居だけでは終わらなかったのだ。およそ10分ほどもカーテンコールの後、様々なことを観衆に訴えた。三人のイラクの囚われ人の事はモチロン、キューリー夫人はラジウムを「平和のために」使って欲しいとおもっていたのだと力説。パラリンピックにも触れ、彼女が「とっとちゃんが行く」の印税で作った聾唖者による劇団が、その時に公演をするに当たり、今日表の入り口付近に箱を準備しているから、「無理にとは申しませんが」ちらっと見て帰って下さい、、、などと巧みな「ご寄付」の勧誘。芝居よりもこのスピーチの方に感動した人が多かったのではないか?まあ、集まること集まること!あれはかなりの収入だったと思われる。まあ、私は彼女が入れ歯だろうと何だろうと、兎に角若々しい演技と美しさで頑張ったことに、いくらか余分に支払うことにしたが、テレビで見る徹子さんよりうんと若いと思ったなあ。そうそう、興味深かったのは、キューリー夫人が一度も特許を取らず、いつでも誰でも使えるモノとしたことに触れ、だからこそ、一部の政治家や業者の手に渡ることなく、世界に貢献したのだと、そこが一番偉いと思うと、あの早口で喋ってくれたのが、印象的だった。
  私と義妹とが、急いで会場を出たには訳があった。未だ間に合うからとばかり、サンポートのラーメン築港に出かけたのだ。うへっ!まだ並んでいる。午後10時にもなるのに、、、、と、私達二人、お腹がすきすぎていたので、並ばなくても良いというあるお店にはいると、大失敗。麺は柔らかいわ、スープはぬるいわ、味はパンチが効いてないわ、、、、で、この私が残してしまった。あんなにお腹がすいていたにもかかわらず。次回は別なところへ行ってみようと言いながら帰宅した。いよいよ高松もどこでも並ぶ時代になったのだ。昔は並ばないのが高松人だったのに!
それにしてもサンポートのビルはややこしい。今日下見をしといて良かったねえと言いながら30階から夜景を見る。高松の街もこうしてみると美しいねえと言いつつ、どうやら10時閉店で喫茶店を追い出されたらしいおばさん達とすれ違いながらお茶も飲めずに建物を後に。

 

 

2004年4月 8日 (木)

おおおおお。

 遂におかしな事になってきた。日本人がイラクで拘束された。親切のつもりが大きなお世話だということか。日本という国の危うい思想が問いただされることになった。一体この後どうなっていくのか?

 こんなことがあったとも知らず、本日Mご夫妻と若い女性ピアニストとの4人で、おいしいアジアン料理に舌鼓を打っていた私。同じ日本人でありながら、、、なんだか消化に悪いなあ。
今日収録のFMはこのピアニストの話題だったのだが、M氏が一押しと言うだけあって、凄いテクニック。そのきっぱりとした演奏とは裏腹な今日の「素」の彼女は、マイクを前に「緊張します」を連発する可愛い人。しか〜し!私は観察していたのだ。彼女が緊張しつつも、きちんと話したいこと話すべき事を話していたことを!これが舞台で必要なことなんだ!だれでも緊張はする。でも、その緊張に負けない精神力が要るんだ。むむむ、、、これは大器かも。いやあ、頑張って欲しいなあ、これからも。留学先のロシアの話しは、興味をそそられた。このひとなら、きっと暖かく迎えられたことだろう。ピアノにも、人物が出る。絶対。

 今夜はテクノを利用。タクシー代ほどで帰れるというのは有り難い。運転手のかれは随分ぼやいていたが。まあ、そうだろう。面白い仕事ではないだろう。乗ってくるのは酔っぱらいばかりなんだから。腹が立つこともあるだろうなあ。、、、がんばれっ!

 ほんと、色んな職業があるモンだ。

 

 

2004年4月 7日 (水)

折角の決心が、、。

 夕方からの雨で、戦意喪失。こないだH邸まで歩いた後、余りにグッスリ眠れたから、今夜も歩こうと決心していたのにいいい。
しかし、出かけないで、我が家に居ると言うことは、こんなにも時間があるということだった。各部屋の片付けをして、楽譜の整理もし、たっぷりと時間をとっての夕食にも関わらず、こんな10時台にパソコンに向かえる。実は今新しい曲を覚えようとイタリア語を書き取ったところ。その作業にちょいお疲れで、気分転換の為早々に日記を書こうと思ったわけ。覚えるという作業はとっても脳の活性化に役立つと、さっきテレビで言っていたのだ。頑張らねば、、、。
 あのANNEから長いメールが来た。かいつまんで言うと、「たくさんの親切有り難う。とても楽しかった」というもの。彼女の手書きの字はとっても解りづらく、いつも頭をひねりながら辞書を片手に推理しながら読んだもの。でも、今回は、というか、これからはずっと、メールになるだろう。ということは大変読みやすくて良いのだが、返事がなぁ、、、。
今夜夕食時に見たテレビで、イタリアの大学で日本語を勉強している人達がぺらぺ〜らと日本語を話すのを見ていて、そうよ、日本に来る人は日本語を少しは勉強してきてよね。と思ってしまった。
、、、だからなんだっつ〜の?てか?
ふぁっふぁっふぁ。

 

 

2004年4月 6日 (火)

十六夜の月

 昨日の日記に満月と書いたら、早速ご指摘があった。昨日のは十六夜の月なのだ。満月はその前の日だった。トホ。

 今日は三越で「平田ゆたか氏の絵画展」に行く。この方は長くローマに住まわれて、ず〜っと現在までイタリアの空の絵ばかりを描いている人。一言で言うと「美しい絵」なんだが、空の下に書かれているイタリアの町が、どれもこれも夕方だったり朝早くだったりするため、ぼんやりとしか描かれてない。にもかかわらず、その街々は紛れもなくあの素晴らしい国イタリアなのだと見る人を納得させる説得力がある。この国の長い歴史をも感じさせるから不思議だ。これ以上は美しくかけないのではないかと思わせるほどの空の色だ。こんな絵が部屋にあったら、心が洗われるだろうなあ、、、ん百万円かあ。

 早速FMのゲストになって頂くことをお約束。嬉しいなあ。私は画家とお話しするのが大好き。それぞれに味のあるお話が聞けるから、、、。

 

 

2004年4月 5日 (月)

久々の病院。

 一度病院に行くと立て続けに行く羽目になる。朝一番で歯医者さんに行き、麻酔がとれないまま総合病院へ。話しやすくて楽しいお医者さんで、一安心。最初に書く問診票に大きく「出来れば胃カメラは飲みたくありません」と書いてるのを声に出して笑ってくれた。この頃は極端にダメな人のために麻酔を打って何も分からない内に済ませるやり方があるそうだ。、、、でもなあ、それで目覚めなかったらどうしよう、、、。あ、どうも出来ないんだった。ハハハ。
血液と尿を採られて結果は来週に持ち越し。エコーなどの予約を済ませ、帰る頃はすっかり病人らしくなっていた。さあ、来週までやりたいことをやっておこうか、な〜んてね。

 溜まった疲れが原因かもと、温泉へと母を伴い出かける。日のある内の温泉が何だか良い薬のような気がしたのだ。
更衣室で、妙な日本語が声高に発せられていたので、ついそちらに目が行く。何しろ全ての単語に「お」が付くのだ。お風呂、お外、お上、お洋服、ナンカは序の口。ありとあらゆる名詞に「お」を付ける。3,4才くらいの子供に向かい、舐めるような会話が続く。その若いお母さんはそれがハイソサエティの会話だと信じて居るんだろうが、あの子はどんな子に育つんだろう。

 今夜の練習の後で、満月に惹かれてHさん宅へ誘われて夜桜見物に歩いて出かける。20分近く歩いたが、暖まった。月夜の桜なんて、まるで花札みたい。、、、我ながらまあ、表現力に乏しいなあ。でもこれは確かな表現なんだから仕方がない。花も月もくっきりで、絵に描いたようだったのだ。
結果が出てないのを良いことに、又ビールを飲んだなあ。この花の下で飲みたくない人が居るんでしょうか?てか?

 

 

2004年4月 4日 (日)

長い一日。

 昨日からのむち打ち発作で、頭が痛く、仕事中も顔をしかめる始末。よりによってこんな時に息子の交際相手がやって来る。まあ、頑張ってやるしかないなあ。
 と言うわけで、息子の結婚が本決まりになった。お相手の女性が我が家にやってきて、しばし歓談。息子からは「僕のオモチャで遊ばないように」というつよ〜いお達しがあり、もとよりそんなつもりもなく、どちらかというとこちらの方が上がっていたような気がする。彼女は大きな黒目がちな目でまっすぐにこちらを見る女性。まぶしくて目をそらすほどだった。話している内に、息子の幼い頃が思い出されて感無量。いかんいかん、ひょっとしたら、式では泣いてしまうかも知れない。これは用心せねば、、、。
 我々夫婦は、息子が選んだ事に文句を付けるつもりはない。なにより本人次第。と思っている。これでいよいよ本当にわれわれから巣立っていくのだ。という感慨が押し寄せて来るのみ。帰りは私が車で彼女の自宅近くまで送っていく。女同士道中いろいろと話が弾んだが、とても二十歳とは思えないほどしっかりしている。モチロン若さ故の愛らしさもたっぷりあって、息子が惚れたのが分かるような気がした。幸せになって欲しいと心から願ったことだ。

 

 

2004年4月 3日 (土)

春うらら。

 といっても、どっかの負けて勝ち組のお馬ちゃんとは違う。本日の陽気のこと。音楽祭出演のため、ミューズホールに朝から詰めていたが、時折外を眺めると、桜も咲き、緑萌え、やわやわと光が射してのどかなる風景。ああ、春うらら、、、。
 本日のちぇちの出来映えはまずまずのもの。オペラの一場面をコンパクトにまとめての上演だったが、色んな方からお褒めを頂く。私も嬉しかったが、みんなも練習の甲斐があったというもの。副会長ご夫妻も駆けつけて下さり、良かったとの感想を述べて下さる。20人以上が同じ舞台に上がり、全員で一つのモノを作り上げる喜びを充分に感じて頂けたようだった。私はと言えば、客席の一番前センターに陣取って、ギリギリという擬音を出す役だったが、いつの間にか手に汗を握っていた。ある意味自分の出番より緊張したのだった。その席から一人一人の顔を見ていると、これまでの練習時が思い出されて、目頭が熱くなる。
12月のホフマンの時も、今日くらいの出来映えなら安心なんだけど、、、。今日の出演者全員でやって欲しいなあ、、、という本音が、あとの挨拶の時に出たが、みんなやってくれるかなあ?ほんというと、今日よりもっともっと面白いんだけどなあ。

 帰宅後仕事をし、夕飯の準備を、、と、先日のFM収録時のテープが欲しいという、出演者からの電話。近くの喫茶店で待ち合わせる。娘と同じくらいの年齢の彼女は、英米文学科を卒業し海外にもたくさん行き、色々な事にチャレンジしている楽しい人。話が弾み、2時間近くも喋ってしまった。若い人と話していて自分の年齢を余り感じない人というのも珍しいなあ。どちらが歩み寄ったのか、それとも両方が、、、?

 明日は、息子のフィアンセになるらしい人が我が家にやってくる。今日みたいに話しが弾むと良いんだけど、、、。あたしゃ基本的に若い人の前に出ると上がってしまうんだけどなあ。またこれが若いんだあ。一体どう対処したらいいのやら?


 

 

 

2004年4月 2日 (金)

ラジオ。

 本日の収録は「さとる」がゲスト。ということは、自ずから番組の雰囲気が変わる。とらえどころのない、ウナギのような、いやそれほど立派ではない、まあ、穴子かどじょうか、、、いずれも高級魚だったなあ、、、ならば春の風か、川の流れか空の移ろいか、、、てな具合に例えてみたい「さとる」との対談。思わず地が出て、お互い普段着の顔して笑ってしまって、「はっ」とする。体勢を立て直して、再びまじめを装うが如く、まじめにトーク。いやあ、オモロカッタ!彼のまじめな顔は、私から見るとどうしても不真面目に見えてしまうんだから仕方がない。つい、からかいたくなるってモンだ。ジョークをジョークとして受け取ってくれる人とは、とことんコメディをやりたくなってしまう。オンエアを楽しみにするとしよう。

 明日は春の音楽祭だ。さあ、ぶーたんたんに入いるとしよう。

 

 

2004年4月 1日 (木)

今日も終わった、、、。

 岡山から帰宅が11時半。夜食を食べて、ビールを飲んで、こうしてパソコンの前。静かに今日一日を振り返ると、やっぱり今日も目まぐるしかったなあ。ふ〜っ。
フェリーに乗って、バッグの中を整理して、いつの間にか眠っていたなあ。私は乗り物に乗ってバッグの中身を整理するのが趣味。特にこのフェリーの中はテーブルがあってとっても整理しやすいのだ。しかし乗客が少ないなあ。帰りは私だけだったにもかかかわらず、乗務員は大勢の時と同じようにきちんとする。いやはや、どうなるのだろう?

 

 

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