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2004年3月

2004年3月31日 (水)

優しい人々、、、。

 たった今、高知からたったの1時間20分でぶっ飛ばして帰ってきた。と言っても運転手は私ではない。今回長の御逗留だった高知のOさんをお送りして、F君と高知まで往復したのだった。最初は自分も運転する予定だったが、二人の熱心なオススメに従い、Oさん宅で小さな缶ビールを飲んでしまい、結局は往復とも彼が運転することに、、、でも、二人とも、それぞれの理由で心配があったに違いない、私の運転には。ま、このところ素直な私は、お二人の思惑通り、ビールを頂き、珈琲を頂き、帰りは助手席で眠ることもなく、無事お帰り遊ばした。F君はブルンブルンと音を立てる車で、お陰で声を張り上げて喋らなくてはならず、もし演奏会前だったら、乗れないところだった。行きは1時間45分。帰りは1時間20分。高知も近くなったモンだ。
 今日の昼間は、又しても迷子になりながら、この前定休日だったうどん屋を探して行った。目印の道隆寺はすぐ分かったが、お店は矢張りその辺の歩く人やお店で訊く羽目に。これがまたみんなとっても親切。自分が曖昧な人は確かなところを教えてくれる。その確かな人もとっても丁寧。ところがそのうどん屋さんは定休日。「命のために休みます」との掛札にOさんと大笑いしながら「おか泉」まで帰ってきた。こちらは無事営業中で、裏切られないおいしさで大満足。しかもその近くの「良心市」では、10束99円の細ネギを買い、他にも野菜をびっくりするお値段で購入。大大満足。
 夕方からのリハーサルで、今回の出し物の一応の完成を見て、急ぎ我が家に帰ったが、練習後に三姉妹が今夜の高知行きを心配してくれる。みんな優しいなあ。
 
 私はみんなの優しさをポケットに一杯詰め込んで風を切って走っているんだ。、、、と思う。なんて、幸せ。   眠い。

 メールが何故か全然送受信出来なくなってる。明日の朝はとみっぺが来てくれることになってるから、なんとか復活するだろうが、とっても不便。フム。

 

 

2004年3月30日 (火)

タケノコとか、、、。

 今朝抜きたてのタケノコを頂き、早速夜までに下ごしらえ。夕食はしっかりスパゲッティのコース料理を食べたのに、姑のような友人Oさんがおいしい調理法を教えてくれて、またまたそれを食べてしまった。ヘルシーながらなかなかおいしい。やっぱ年の功ねと嫌みを言いながら、これは自分のレパートリーにしようと堅く心に誓い、レシピを頭にたたき込んだ。、、、多分。

 明日お帰りになるOさんとの最後の晩餐のため、予定していた市民会館のコンサートには行けなかった。行った人の話をここに書くつもりもなかったのだが、「もし行けなかったけど、行った人の話というのを書きたければこう書いといて」という電話があったので、素直な私は言われたとおりここに書いておこう。フフフ。「まあ」と言ってる友人の顔が見えるようだが。
 彼女の話ではソロもコーラスもなかなか良くて、聞き応えがあったようだ。ちぇちの人も何人か出ていたし、彼女も観客として矢張り力が入ったようだ。特にコーラスが「青い四国の高松の〜、、、」と高松一高音楽部賛歌を歌い出すと、涙が止まらなかったと言う。彼女がこの歌を最初に聴いたのは、20年も前だったそうで、感無量なところがあったのか。時代は移る。時は流れる。万物は流転する。

 

 

 

2004年3月29日 (月)

さようなら一本の歯!

 時間が無くて放っていた歯をとうとう抜く羽目になった。若い頃は抜くことをそんなにも厭わずにきたが、妙にこの年になると、歯が1本無くなるということにショックを受ける。以前のように痛くはないが、やっぱり病院と名が付くところはいやだなあ。どうもしばらく通わなくてはイケナイみたい。明日も朝の早い時間に予約。お控え下さいと言われたビールも少しきこしめし、良い気分でさあ、ねるべ。

 ところで今日は高知からの客人を連れて多度津宇多津まで、うどん屋を訊ねて行くも、お目当ての店が本日二つとも定休日だった。がっかりした彼女のご機嫌をとるべく、坂出の八十場ところてんへとお連れする。どっちも冷たくて長い、ということで、妙に納得。ぁ〜、、、、その前に、彼女は登山が趣味の76才で、五色台の桜を見に行き、根来寺と白峰時にも参る。まあ、久々に、森林浴もし、来て良かったは思ったが、何しろ昨日の今日で、かなりお疲れ。ちょっとよろめいているなああ。

 

 

2004年3月28日 (日)

又一つ終わった。

 突然の公演以来からこっち、目の回るような忙しさで、夕べの自分の歌の予感から、ろくな事がないだろうと思っていたが、案の定、飛んでもない事をやらかした。誰もが分かる日本語の歌の歌詞を忘れてしまい、創作して歌ってしまったのだ。コーラスの人達と先生にはホントに申し訳ない。皆さんの演奏を台無しにしてしまったと、小さな胸がひりひり痛いみっちゃんなのだ。
集中出来ないとはこういうことなんだ。司会者がお葬式で急に来られないと出がけに連絡が入り、ぶっつけで司会をやることに!頭の中は、本日の歌詞で一杯だったのに、司会の言葉が割合を占めてきた。これはヤバイぞ、と思っていると、案の定ささいなことから荒城の月の「秋陣営の、霜の色」となるところを「空の色」とやっちゃった。実はその曲の前に、司会で「今日の空の色」について喋った後だったので、それが出たのだろう。
ああ、やだやだ。なんで歌なんか歌ってるんだろう。、、先生コーラスの方ごめんなさい!シクシク。
先生は、始まる前は、今にも死にそうに「しんどい。調子が悪い」を連発。約束の時間に遅れてくるわで心配していたが、やっぱりどってことなく、いつも通りちゃんと歌った。まあ、先生がちゃんと歌ってくれなきゃぁ、ちぇちぃりぁってなんだ?ってことになりかねないから、あれで良いんだが、まあ、あのポーズにはいつもながら騙されてしまう。
友人が何人か駆けつけてくれる。いつもながらホントに有り難いこと。、、、それにしても寒かった。6時の時も相当だったが、7時からに至っては、手も足も氷のようになっていた。吐く息が真っ白で、まるで北国での演奏みたいだった。その代わり、空は素晴らしい群青色で、月も星もくっきりとその姿を際だたせ、しだれ桜のライトアップは、申し分のないシチュエーションだった。
美しい季節到来だ。

 朝食から何も食べずにおにぎりを口にしたら8時だった。余りの寒さで、我が家に帰り暖房で暖まり、日本酒をカンして飲むまで、身も心も凍えていた。高知からの客人と喋っていると、まるで今日の演奏会は遠い出来事のよう。76才の彼女は言う、「終わったらもう良いんです」と。
そうだった。次は4/3ミューズホールだった。いつまでもくよくよしていても仕方がない。今度は出演はないが、演出他で参加。それだって出演と同じ緊張があるんだ。どうかうまく行きますように!

 

 

2004年3月27日 (土)

ホームコンサート。

 本日はアマリッリさん宅でのホームコンサート。これまた予想通り、自分の歌は集中出来ず「最悪」だった。彼女の母上が、初めてのイタリア歌曲を原語でしっかり歌ったのに、私は少し曖昧なところがあるからと、楽譜を見ながらのいい加減さ。案の定それが反映される歌となった。
まあ、楽譜を見たとしても、Yさんのようにバリッと歌えばそれはそれで別に許されるんだが、、、、。明日の今日、こんなことで大丈夫なんだろうか?とさすがの私も不安になる。一足お先に退出して、明日のお弁当の打ち合わせをし帰宅してから、吾が帰りを手ぐすね引いて待っていた友人達と本格的に食事。結局本日も午前様か。今日まで風邪を引かなかったのが幸いだった。
いやいや、まだ油断は出来ないぞお。ず〜っと前、こうして夜はナントもなくて、翌朝突然声が全然でなくなったことがあるからなあ。居候がお風呂から出たら、急いで入って、寝るぞお〜〜。

 、、、ところがぎっちょん。
お風呂に入って歌のおさらいをしていたら、全然眠くない。なんでだろう〜〜〜。
でも、マッサージして、寝るぞお〜〜。

 

 

2004年3月26日 (金)

ね、眠い、、、。

 予想通り、本日のレクチャーコンサートは第一部完全熟睡。気が付けばナント今度の栗林公園での演奏会に私が歌うモノも入っていたのに、全然聴いてない。残念無念。まあ、「こうもり」については全部聴けたが、、、、、。
 予想通り、悪友到着のせいで、ただいま午前1時10分に目をしばたきながらこの日記を書いている。かしましいとプラスワンで、おんな4人。我が家が揺れるほど笑った。ここで内容に触れる元気もない。

いずれにしろ、予想が出来るようになっただけ、まし。だろう。

 

 

2004年3月25日 (木)

♪雨は〜ふ〜るふ〜る♪

 一雨毎に暖かくなってるんだろうが、まあ、ほんとに良く降るなあ。どうもむち打ちが出て、首が頼りないなあ、と思っていたら、色んなモノ整理している途中に交通事故にあったころの「首のコールセット」が出てきたので、ただいま巻いている。こんなのにいつまでも頼っていると、首に筋肉が付かなくなるから良くないと言われて、けっこう早くからのけていた。なんか、懐かしいなあ。別に入院したいわけではないが、、、、なんか楽。

 

 

2004年3月24日 (水)

今日は早いぞお、、。

 ただいま11時半。とっととこの日記を書いて、やるべき事をやっておかなくては。
というのも、週末の演奏会に向けて、我が家にお泊まりに県外から二人も友人が来る。と言うことは二部屋準備しなくてはならない。花より歌よりだんご、の悪友が、何を間違えたか、栗林公園のお花見コンサートにやってくる。一人は確実にうどん目当て。きっと又、うどん屋巡りのお相手をさせられるのだ。本番までアルコール断ちしなくてはならないというのに、金、土と我が家で宴会をやるつもりらしい。「あんたは居なくて良いから」だって!
そりゃあ私には頼まれたって居られない理由がある。(金)はレクチャーコンサートだし、(土)はホームコンサートで歌うことになっている。したがって主の居ない家で、熟女共が何しようと構えない。、、、どうぞどうぞ、お好きになさってくんなまし。てところ。、、しかしなあ、、、。

 本日は栗林公園の最後のコーラス練習だった。練習後何名かでお食事。皆さん気のいい方ばかり。歌う人はホントにみんなオープンで気持ちが良い。話しが弾んでちょい食べすぎたか?
皆さんとお話ししていて感じたのは、中年ほど真剣だなあ、てこと。香川大学の生涯学習センターでも、同じ事を感じるが、学生に近い人ほど熱心でもなくおざなりで、加齢するほどその逆なんだ。なっちゃんともよく話すんだけど、「私達には時間がない」んだ。あと何年歌えるか?あと何回?と、数えられるほどになって来ているこの怖ろしい事実!目を背けてばかりいられない、これが現実。てことで歌えるチャンスを大切にしよう。

 

 

2004年3月23日 (火)

おかしなお話し、、、。

 同居人が海外旅行中である。いつも狭くて仕方がなかった我が家が妙にだだっぴろい。それだけ居るときは場所をとっている人なんだ。別に大きい体格でもないのに、兎に角よく動くので、いつもどこにでも居るような感じのする人。しかもここに俺様が住んで居るんだという自己主張してるみたいに、着るモノを辺り一面引っかける、広げる。だからして、居ないとなると、ホントにゆった〜りするのだ。、、、が、とても用心棒には出来ない人だのに、しかもそれを当てにして暮らしているわけでもないのに、妙に戸締まりに気を付けたりなんかしている自分が居て驚く。
同じ事を主人も言っていた。私が居ないときは、木刀を枕元に置いて寝てると、、、!あたしゃ用心棒か!?とその時怒ったが、今まさしく同じ心境。33年という長きにわたり一緒に暮らしてきた私達は、どっかでお互いを頼りにしているに違いない。こんな事思うのはこれはひょっとして老化現象の一つか?
しか〜し、怖くても頼りなくても、一人が良いなあ、、、と、今宵もビールが格別においしいわたくしであ〜る。ふっふっふ。

 

 

2004年3月22日 (月)

生きると言うこと、、、。

 イコール食べること、だったりして。昨日の我が家のホームパーティは以下のメニューだったのだ。そしてそれが鰹のたたき三切れ以外は全部無くなったのだ!す、すごい!この食欲。
牛肉のしそ焼き、中国野菜のスープ煮、沖縄カボチャベーコン煮、変わり明太子あえ、たこのカルパッチョ、イタリアンサラダ、ガーリックトースト、エビと卵のサラダ、サザエとたいらぎの貝柱盛り、鯖の野菜たっぷりあえ、湯豆腐トリゴボウ団子、鰹のたたき、デザートは、木イチゴのトッピングヨーグルト、イチゴそのまま、マンゴーそのまま、紅茶、アルコールは、赤ワイン、極生びビール、日本酒、ラオ酒、焼酎、0,5%ビール。
、、、これらが7人の胃袋にすっかり治まったのだから、凄い。もちろんご飯とお漬け物付きで。
外で食べるのも良いが、たまにはこうやって我が家で好きなモノを食べるというのも良いではないか。時間も、他人の目も、何も気にしないで、、、。わいわい食べて飲んで、幸せだった。
日本は昔みんなこうだったんだが、、、。幼い頃よく、母の実家でこんな祝い事があっって、その時アルコールを飲む大人の生態を知ったし、明るく生きるたくましい大人達を身近に感じたモノだった。外国人だけがホームパーティの特許みたいないい方をされるが、そんなことはないんだ。

 今日は新しいサンポートホールの見学会に出かける。予想以上に素晴らしい建物だった。今後はこのホールで色んな催し物が行われるようだが、出かけていきたくなる建物だ。ずーっとエスカレーターで移動出来るのも良いし、エレベーターも速い。それぞれの会の三つのホールのロビーは海に面していたりとても見晴らしがよい。大ホールは琵琶湖ホールを連想させるくらいの眺望だ。客席も全国一を誇る広さで、座ってる人の前も充分通れる。嬉しいことに、各座席には、メモをとれるテーブルが全部に付いている。車いす席も多いし、至れり尽くせり。オペラをやるにふさわしい馬蹄形の客席は、早くそこに座ってみたいと思わせる作りだった。わがちぇちぃりぁが、12月に予定の第1小ホールは一番後ろの人にもハッキリ聞こえる程の客席の構造。使いやすそうではある。
いよいよ新しい時代の幕開けだ。

 

 

2004年3月21日 (日)

ガ〜ン。

 さっき寝ぼけ眼で長々と書いたのに消えた。なんでえ???もしかして、送信ボタンを押さずに、画面を消したかな?しょっく!

 ともかく本日の演奏会は眠かった。I夫人に久しぶりにあって、「なんか寝そうなの」と言うと「私も絶対寝ると思います」と言われ、罪悪感が少し楽になったせいもあるかも、第一部は殆ど寝ちゃった。弦の音色って、なんでこう気持ちいいのかしら?どんなに目を開けていようと思っても、気が付けば居眠り中だった。
しかし、ヴィヴァルディは天才だなあ。良い曲を作っている。裏話を訊いていたから、面白かった。殆ど二部だけだけどお、、、、。

 

 

2004年3月20日 (土)

お彼岸にしたこと。

 花冷えの今日、母を伴い父のお墓参りに行く。夜だったっせいもあるがものの5分くらいしか居ない、いともあっさりした墓参であった。
以前から母はあんまりお墓が好きで無いみたい。廻りに誰もいないのを良いことに大声で「お爺さん、何処にいるんな?お陰でみんな順調に行ってまっせ」と語りかけるも、お花の水を入れ替えたらすたこらさっさと帰り始める。いやあ、この年よりは、私向きだわい。フフフ。まあ、いつも一緒にいる仏壇の方が、親近感が湧いているらしいし、それも無理からぬ事と思う。あれだけべったりと永年連れ添ってきた人だから、冷たい石の下に居るとは思いたくないのだろう。分かるような気がする。

 明日は我が家で、甥の就職祝いをするため、その前準備に追われた。外食は食べ飽きて、何でも良いから我が家でということになると、まあ、主婦は大変だ。が、久しぶりにあれこれしていると楽しくなって来た。結局食べることが好きなんだからしょうがない。明後日からは当分独身の身の上。前祝いといくか!な〜んちゃって。

 

 

2004年3月19日 (金)

年齢。

 昨日テレビで、予告だったが、1年で10歳年をとるという、DNAの突然変異から来る病気の人がどう生きているかという、ドキュメンタリーが放送された。同じ病気の人と交際が始まり、それが初恋となっていく様子も描かれていた。もし私がその病気だったら、ただいま580歳なわけで、あり得ない年齢だ。たまたま日本人で、たまたま普通に生きて行けてると言うだけで、自分の努力の結果ではない。私の友人で努力を重ねて年をとらないようにしている人が居るが、それとてもたかだか7,8才若く見えるというだけのこと。年齢は努力してどうにかなるものではないのだ。人はみんなどこかで諦めて暮らしているのではないか。当然その思いは「死」というものに行き当たる。「文明人と呼ばれる現代人はみんな死からくるストレスを抱えて暮らしている」というある有名な作家の言葉があるが、では、あの映像の人達は一体どうなるのか?恐らく想像を絶する苦悩があるに違いない。
 一方で、人間てなんて健気なんだろうと思っている私。彼らが決してくじけることなく前を向いて生きている姿に感動も覚えた。

 DNA、、、人は生きているのではなく、生かされている証か、、、。

 

 

2004年3月18日 (木)

確かに、息子の言うとおりかもお。

 本日は岡山からの私のご帰還は午後11時。はるか水戸から帰省の息子はとっくに吾が実家で食事をあてがわれて、父親の手伝いなどもして、くつろいでいるところであった。そんでもって彼の言うには、我が家ほど全員が忙しいところは他になく、自分の結婚問題さえろくに議論出来ないのは異常だ。とのこと。そういう自分だって、余りの多忙で、今回は飛行機代を損してまで日延べしてしまったというのだから、親のことばかり言っても仕方がない。まあ、しかし、この調子だと、やれ結納だ打ち合わせだって、何度もあちらと合わなくてはイケナイのだろうが、どうしたもんだか。、、、正直めんどくさいなあ。もう勝手に結婚でも何でもやっちゃって、って感じかなあ?これからいろいろ面倒な手続きがあれこれ要るんだろうなあ。私的には息子が選んで良い子なら何も要らないと思うんだが、慣習だとか、しきたりだとか、出てくるんだろうなあ、一杯。当分気分がしんどいなあ。

 

 

2004年3月17日 (水)

夢かうつつか、、、

 今朝も寝床の中でグズグズしていると、何故か先日の裏の事件のことが頭に浮かぶ。あるキーワードを思っていると、あ、あの人うちのお客さんだった!と突然いろんな事が次々と巡って来た。あんなに刑事さんやらマスコミの人に「知らぬ存ぜぬ」を通してきたのに、今更思い出しても仕方がない。まあ、それだとて、事件に結びつくようなことを思い出したわけでもないから、どっちにしても意味がないことではある。、、、が、この記憶の唐突さに驚いている。あんなに一生懸命考えたときには全然思い出さず、なんの脈絡もなくいきなりスクリーンが現れた不思議。、、ただ、年とっただけか!ムムム。

 今夜も栗林公園と、ミューズホールの練習だった。やっぱり人数が多いとそれだけで迫力になる。コーラスの歌声に力を与えるのが上手いなあ、先生は。

 県に助成金の申請書類を諦めないで出そうと、練習後にHさんに手伝って貰ってやっつけた。例のサンポートのポール1本分もない金額でも、我々にとっては大切な助成金だ。、、、でも、なんとかこれも簡素化出来ないモノか?

 帰宅すると丁度テレビで私の好きな大江健三郎氏が出て喋ってた。かれの文学の原点がなんと「憲法のお話し」で、子供が読んでもよく分かる文章に感銘を受けて、いつもポケットのその数枚を入れて持ち歩いていたとか。そうだったんだあ。
 日本国憲法は施行された当時、戦争は二度としたくない、イヤだと多くの人が思い受け入れたモノ。平和な世の中になって、その時の痛みをすっかり忘れた人達が、あるいはその痛みを知らない人達が、よってたかって憲法を邪魔者扱いしている。これがあるばっかりに思うように事が運ばない、、、というのだろうが、だからこそこの憲法は日本にとってますます必要な意味を持ってきているのではないか?
私の記憶のように唐突でも何でも良いから、戦争を体験している人達は、知らない人達に話して欲しい。「若い人達の運命を変える、あるいは、今を生きてる人達の運命を変える、または世界を変える力のある日本国憲法について、もっと真剣に考えよう」という、大江健三郎氏の言葉が重かった。

 

 

2004年3月16日 (火)

音楽業界の重鎮。

 香川でそう言えばT先生だろう。吾がちぇちぃりぁも永年お世話になってきたし、私の場合娘の担任だったんだ。その先生がインフルエンザから体調が戻らず、遂に全ての指導から手を引くとおっしゃる。で、本日お見舞いと御礼をかねてメンバー総勢4名でご自宅まで行って来た。静かな田園が広がるお宅でお孫さんとのんびりされている先生のお姿は、まあ病後のせいもあるが、ご本人がおっしゃるほど満足げではない。やっぱり先生はナナハンを飛ばして颯爽と練習会場に乗り付け、おもしろおかしくご自慢の喉を聞かせて下さってる方が、ぴったり来る。、、、でも、仕方ないなあ。いつかはこういう時が、誰にでも訪れるんだ。人はそれを認めざるを得ないんだ。
でも、相変わらず明るいのが救いだった。
 いやいや他人事ではない。本日お誕生日だったI先生もしきりに「お疲れ」を口にする。65歳。まあ確かに、年不相応な動き方をしていらっしゃる。でも、今のところフルに動いて貰わないとどうしようもないんだ。アチクシにしてもそう。やれあっちが痛いこっちが痛いと言いながらも、動くしかないのだ。
 ようやく栗林公園のプログラムが形になって、伴奏者との打ち合わせも住済んだ。次なる難題は、明日にしよう。ふ〜っ!

 

 

2004年3月15日 (月)

尋常ではない、この疲れ。

 私にしては早く床に着いたのになんだかよく眠れなかった、と思いきや、夕べお会いした方から「あんな時間にお飲みになって、良くおやすみになれましたか?」というご親切なメールを頂いたお陰で、謎が解けた。最初はえ?アルコールは夜飲むモンでしょうに、と思ったが、よく考えると、そうだ、エスプレッソをダブルで飲んだんだった!すっかり忘れていた。話しに集中すべく、喫茶店で張り切ってそんなものを飲んだバカな私。今までそんなもので眠れないことは無かったからつい油断した。あれが原因だったんだ。
 で、本日は母の誕生日。午前中の歯医者さんが終わってすぐに連れ出して、昼食後久しぶりに三越なんぞに出かけて、プレゼントを買ってあげた。、、、と、そこまでは良かった。問題はその後マーケットに寄り、今夜の夕食の食材を買ったときのこと。もう既にお疲れモードの「買い物嫌い親子」は、のろのろと表に出る。それでも私は早めに車に近寄るべく足を早めた。そのトタン、瞬間何が起こったのか分からなかったが、結論から言うと、滑って転んだ!「ああ、危ない!」「だいじょうぶですかあ?」という声を聞きながら、右手にビニール袋、左手にバッグを持って、そのまま足を前後にまっすぐに開く恰好で、ぺたん。信じられないが、やれと言われても絶対出来ない開脚をしてしまった。誰が道路の真ん中で開脚するだろうか?てことで、見物人達も、靴が滑ったというのは一目で分かっただろう。が、バタンキューではなかった。あくまでもバレリーナのように優雅に、、、と主人に説明しても全然信用されない。ぐやじ〜。きっと、明日当たり、色んな思いもかけないところが痛むんだろうなあ。既に肘とか膝がミシミシと痛いもんなあ。。
 そのショックだろうか、帰宅してからマッサージ機にかかったまま、ナント1時間半も寝てしまっていた。電話がかからなかったら、FMの収録に間に合ってないかも知れなかった。、、ああ、疲れてる。朝から右の背中が痛くて(転んだせいではなく)、食欲さえもない。この私が!
 風邪も寄りつかないと豪語していたが(実際風邪は引いてないなあ)もっと悪いことになってるかも知れない。、、、こうして、年齢を思い知らされることになるんだろう。じわじわと。
今日の占いって、どんなんだったんだろう???

 

 

2004年3月14日 (日)

今宵満天の星。

 少々アルコールを聞こし召し、良い気分で歩いていると、晴れた夜空に星が輝く。世の中には、星の数ほど人がいて、幾ら頑張っても一生の間に袖触れあう人はほんの少し。今日の出会いを大切に、明日の出会いにも期待しよう、と、素直に思わせてくれる夜だった。
 県外からはるばる別件で来県、ついでに私に会いに来てくれた人が居て、彼女たちはみんな歌い手。私よりも一回り以上も若い人達だが、立派にオペラを歌ってきている人達。そういう人との話はホントに面白い。舞台の裏話や、指導の先生方の個性(?)などなど、話しは尽きない。彼女たちに共通しているのは、「オペラにはまってる」てこと。居酒屋でたっぷり食べて飲んで、喫茶店へと移動中、一人が「結婚して、平凡な主婦だけやっていたら、この喜びは望めなかったと思う」とつくずく述懐。やれチケット売りだ、高額のレッスン料だ、広告だと、大変だらけなのに、身を削ってでもやる価値がある、と言い切る。久しぶりに彼女たちからオペラへの情熱をわけて貰った感がある。いやあ〜、嬉しいじゃないの。お互いガンバロウと別れたが、すがすがしいこの気分。高速のインター前で降ろして貰い、歩いて帰り、10時というこの時間に日記を書く気分になったというわけだ。ふい〜っ。

 

 

2004年3月13日 (土)

今夜も会議なんだわさあ。。。

 ちぇちの会議だったが、約一名は完全にお忘れで、ご自宅にお帰りに、、、、。又とって返して貰ったが、それでも歯抜けの会議はつっかえながらも一応のけりがついたか。要するにメンバーを増やそうという話し。オペラの楽しさをたくさんの人に味わって貰いたいのだ。食べず嫌いの人達、こ〜のゆ〜びと〜ま〜れ!

 

 

2004年3月12日 (金)

会議なんだわさあ、、、、

 7時開始で終わったら10時。その報告を劇団に持っていく。帰宅は11時。余りの空腹に兎に角食べ物をビールで流し込む。このパターンが一番いけないんだと分かっちゃいるけど止められない。相変わらずお腹は痛い。今日は右の背中も痛いんだなあ。神経痛か?湿布を貼ってしのいでいるが、このままうまく治まって欲しいもの。あああ〜年だなあ。
 さて、本日の会議は演劇祭のことだった。第1回とあって、分からないことだらけ。手探りもいいところ。こんなペースでホントに出来るの?と不安が募る。まあ、しかし、横の連結が初めて実践されようとしているわけで、その点は大いに期待したいところ。お互い同じ様なことをやりながら、井の中の蛙的状態だったんだから、進歩だろう。しかし、およそ演劇をやる人というのは、表現力に長けていると思うが、みんななかなか本音を出さない。というか、思慮深いのだ。若い人達の遠慮がちで、分かってないのに分かってるような振りをしているのはどうも頂けないなあ。それだけ今までよそとの交流というものがなかったという証拠なんだろうが。
 オペラの世界も全く同じ。横の連結はホントに望めないことなのか?今度日立市で、オペラの国際フォーラムなんてノがあるんだが、果たしてどれ程の効果が期待出来るのだろうか?
 「手をつなぐ」これが現代社会にかけていることの一つだろう。情報化社会にあってみんな疑心暗鬼になっているのか、、、?
 
 

 

 

2004年3月11日 (木)

ただの疲れ、、、、?

 予約がないのを良いことに朝ぐずぐず布団の中にいると、友人Hさんから電話。体調を心配してくれたらしい。有り難いこと。それを機にのそのそと起き出して、やるべき事をやる。動き始めると動けるんだなあこれが。、、、しかし自分のレッスンの時間になると、喉の痛みも増し、兎に角お腹が痛い。丁度おへその左あたり。この辺て、どんな臓器があったっけ?
でも、食べるものは普通に食べられるし、さっきはビールも飲んでみたが、別に何ともない。なんんだかお腹に変な生き物が住んでるみたいで、気持ち悪くて痛いだけ。ただいま9時半。さあ、頑張って寝てみようか。
 
う、短歌が、、、。

 

 

2004年3月10日 (水)

おお、どうぞ、風邪でありませんように、、。

 喉が痛い、と朝思った。何となく身体がだるい。そんなことはお構いなしに、本業が超多忙。お昼ご飯も食べられない。殆ど座る間もなく仕事の後、軽く夕食をとるも下痢。運転したくなくて、今夜の臨時練習は乗せて貰って出かける。風邪かも知れないというと、車中は戦々恐々。まだインフルエンザの恐怖から離れられないのだ。ほんとに冗談じゃない。今風邪ひいてる暇なんか無いのだ。、、、でも練習時はちょっと参った。今も鼻声に、、、。ああ、遂にわが輩も人並みに風邪を引いたのか?酉年だしなあ、、、。関係ないけど。
 今夜こそ早く寝るべ〜し。

 

 

2004年3月 9日 (火)

やっと観られた。

 「ラストさむらい」に母を連れて行く。サティで迷子になったかと、母を訪ねて三千里、ではないが、かなり走り回ってほとほとお疲れのまま入場。案の定最初は眠くて仕方がない。でも、段々面白くなってきて、話しの中にぐいぐい引き込まれていく。ん〜んトムクルーズはやっぱりカッコいい!渡辺謙の一応ファンなんだけど、二人のツーショットが多いせいで、どうも、謙様よりトムクルーズの方に目が行ってしまう。同じ静止の表情でも、彼のはとっても豊か。謙様はちょい薄っぺら。おそらくは、日本という土壌で育った日本人と、白人世界で育ったトムの生活習慣の違いもあるだろう。先日の我が家の珍客、あの小さなモーリーでさえ、ホントに表情豊かだったんだから。まあ、その対比が面白いと言えばそうなんだろうが、アカデミーを逃したのは何故かという、一つの答えを見たように思った。
 意外だったのは、母がもの凄く感動していたこと。私が幼い頃は、毎日映画に行っていた母を覚えているが、帰りの車の中で、台湾に住んでいた頃も、父と手をつないで毎日のように映画館に通った事を聞かされた。となると、今吾が娘が芝居の道に入っているのも、DNAのせいかもしれない。84歳になっても嫌がらずに映画館に付いてくるのは、まあ、娘の私にとっても有り難いこと。しばらくさぼっていたが、この手の親孝行もせずばなるまい。

 

 

2004年3月 8日 (月)

目一杯の日。

 朝は歯医者。先生が「騒がしかったですねえ」と、先日来の事件の事を話す。昨日の刑事さんの話では、「自白」もなく、これからなんだそうで決して終わったわけではないんだろうが、近隣の住人達はもうすっかり終わった気分である。何事もなかったかのように、車が走り、人が歩き、陽は照っている。マスコミにインタビューを受けている人もいるが、その光景も慣れっこ。そう、人は、何にでもすぐ慣れる。
 帰宅して昼食を作りながら食べながら、全てながら族でシャンソン教室の準備と、夕方からのオペラの練習の準備をする。迎えに来るはずの友人が「お腹すいた」という電話をかけてくるので、豚まんなどを暖めて待つ。彼女にそれを渡して私が運転。又良い車なんだなあこれが。シャンソン教室は人数が多くて、一人に割く時間が少なく、こちらに欲求不満が溜まる。ナントカせねば。
 荷物が届くというので、急ぎ帰宅。東京の大きな一人暮らしの女性資産家が急死して、残ったものを処分しているといい、友人から5箱分の服やら靴やらありとあらゆるものが届いた。着られそうな者を抜いて、後は衣装部屋だなあ。実は殆どの者が既にヴォランティア教会へ送られたあとだったので、余り無いからと言われたが、それでもケッコウあった。どうも私よりは細身の方だったみたい。
 夕方からのFMは先日女のイヴェントに出演した和太鼓の人達。若いって良いなあ、としきりに思う。2本録りをしてオペラの練習へ。
 もうこの辺からくたくた。別室での書類作成も、はかどらない。なのに携帯が鳴れば「いつ頃かえるか}という主人からの電話。おいおい、いつだっていいでしょう。自分のこと位は自分でして。とも言えず、、、、。

 

 

2004年3月 7日 (日)

セビリアの理髪師。

 錦織なにがしのプロデュース公演の本日のオペラは、なかなか面白かった。コーラスが出てないのに舞台が広すぎて間が抜けるということもなく、歌い手の歌と演技の力関係もバランスがとれていて、それぞれに聴かせどころをクリアしていた。しかし全くの個人的な感想だが、本日の歌はやや退屈。特にフィガロの有名なアリア、「何でも屋の歌」は声はある人だのに、ちょいとでれっとした感じが、あの曲向きで無かったような、、、。きっと指揮者の責任なんだろうが、でもでも、指揮者(佐藤しのぶの旦那さん)に、あたしゃ惚れ〜ぼれ。丁度横から指揮ぶりを拝見したが、全ての歌詞を完全に覚えていて、歌手と一緒に歌っている。(オペラの指揮者たる者、みんなそうなんだろうが、、、)歯切れの良い手の動き、全身を若々しくみなぎらせて全体をリードしていく姿には、全く感動した。舞台をしっかりと見つめながら、出演者と一緒になって音楽を作り上げていった。ただ、私にはよく分からないが、ロッシーニという人のものは「軽さ」こそが必要で、あのロジーナの「今の歌声」もホントその点が一番難しい曲だと、練習の時さんざん言われ続けてきた。テクニックが前に出るように歌わなくてはイケナイのだ。だから全体として音楽そのものにはもっと「軽さ」があった方が良かったのかも知れない。その点今日のロジーナは良く歌っていたなあ。
バルトロ役のコミカルさが、「大笑い」でなく「クスッ」程度で、まあこんなところが一番受けていたのだ。プロデューサーの意図する「商業オペラ」は目的を果たしつつあるのだろう。

「これまで全く「オペラ」に無関係だった1億人にのぼる人たちは、未知で手つかずのマーケット。この巨大マーケットに参入するためには、新たなスローガンが必要であり、「商業オペラ」を名乗ることによって、その性格と目的と覚悟とが明確になる」と、とあるところに書いてあった。
その通り。今後はこんなオペラが増えてくるのかも知れない。

それにしてもテノールはスケールが小さいなあ。

 

 

2004年3月 6日 (土)

「こうもり」

 初めての練習参加。ところが思いがけないことを聞かされる。コーラスの人員は足りてる、というのだ。まあ、うらやましいと、聞いたトタン思ったが、よく考えるとこれはきっと予算の関係なんだ。時代考証がきちんとされた衣装を着せるためには、一人にかなりの衣装代がかかる。一定の所で制限しなくてはお金が幾らあっても足りない、というところ。でも、男声は足りないんだそうだ。数少ないちぇちに期待してくれているらしかった。ホントにオペラの公演は大変だ。今回のように市をあげての公演には、何らかの形で協力してあげたいもの。
 
 さて、この日記帳、一日ずれてるとのご指摘が複数あったが、どう考えても私の記憶ではずれてない。よくよく観察すると、ニャ、ニャント、3月の曜日がずれてるではないか!これではずれて当たり前。ああ、ワチキは間違ってなかったと、ホットしたのでありんした。最近携帯は無くすわ、変なこと口走るわ、、、、と自分に自信がない。間違いは全て自分だと思ってしまう。
本日自分の中での名誉挽回なって、今夜はよく眠れそう!

 

 

2004年3月 5日 (金)

捕まった!

 やれやれ、とうとう逮捕された。特定の人が特定の人に対しての恨みごとだったというのが分かっただけで、この近所の人達の空気が和んだ。モチロン今回の当事者達に何らかの事情があったんだろうという同情の気持ちもあるが、とりあえず、テロでないとハッキリして安堵したのだ。
 今朝は刑事さんが「迷惑」の度合いを調査に来た。いろいろ調べなくてはいけないんだなあ。その刑事さんの話しが面白い。と言っては気の毒だが、捜査そのものよりもマスコミ対策の方が大変だというのである。隠しておきたいことでも次々と情報を垂れ流す。勝手にあちこち聞き込みをしては情報合戦をする。全くありがた迷惑だと、、、これって、良くテレビや映画のドラマで見るのと同じなんだ。「いずれ分かる」ではダメなんだ。「いち早く知りたい」のだ。しかし、それは国民がそうだからとマスコミは言うだろうが、それは違うと思う。私の目にはマスコミが国民を操っているようにしか見えない。だからこそ危険なのだ、昔から。
 どうしてもぴかぽか温泉に行こうという主人に引っ張られて用事を残したまま出かける。「日向湯」という露天風呂に入っていると突然もの凄い大音響でトタン屋根が叫んだ。折りからの突風で一部剥がれたようだった。先日の爆発音の記憶が甦り、ぞっとして慌てて室内へと逃れる。他の人達も裸であんなのに直撃されては大変とばかりすたこらさっさ、、、。表に出ると雨風が激しくて折角乾かした髪が又濡れる羽目に。
、、、そう言えば、あの爆発の日も夕方から雨が降ったなあ。愚かな人間共を見下ろす神々の涙かも知れない。

 

 

2004年3月 4日 (木)

一難去って、、、

又一難。岡山から帰る途中携帯電話がないのに気付く。きっと我が家に置き忘れたのだろうと思いながら帰宅して探したが、無い。何処にもない。兎に角時間が無くてバタバタと出かけたんだが、、、。駐車場からも信じられない早さで飛び出して、フェリー乗り場に行ったけどなあ。道中落としたかなあ?
何度も家の電話でかけてもうんともすんとも言わない。今日使ったのは間違いないんだけど、何故か何処にもない。まるで夢のよう。
、、、ダメだ。自分の行動に全然自信が持てない。一体どこから出てくるんだろうか?な〜んて、出てくると信じているワタクシ。こんな時みんなどうするんだろう?携帯電話紛失届なんか出すのかな?
あ〜あ。とっても不便。

 

 

2004年3月 3日 (水)

一つ終わった。

 心底疲れた。朝の10時から夜の10時半の解散まで、殆ど動きっぱなし状態。今回は全くの「裏」の仕事だった。最初はファッションショーの部分をかる〜く引き受けただけのものが、いつの間にか全体をプロデュースするはめに、、、。
結局は、舞台に立つ人には自分の事は何も見えてないから、誰かが見て、サジェスチョンするしかない。たまたま個人的にとても興味を持っている分野の事だったから、お花パフォーマンスもファッションショーもアドバイスできたが、こういう形で私に頼む方も大した度胸だ。何とか首尾良く行ったものの、もし失敗してたらどうなっただろう、と思う反面、「女はやる」という漠然とした自信もあったのは事実。「生む力」を持っている人間の強さみたいな物を、素人といえど持っているのだ。「女性達の、女性達による、女性達のための一大イヴェント」が無事幕となった。客出しの時に、私の前を通る人達が「良かったですよ」「面白かったですよ」と声をかけてくれることで、この数ヶ月の労はすっかり酬われた。
ビールがおいしいいいい!

 

 

2004年3月 2日 (火)

とんでもないことに、、、、!

 あの爆発がやっぱり正真正銘の事件だったらしい。本日早朝、仕事中の私を訪れたのは、明らかに知ってる顔の男性。「あのお、お仕事中誠に申し訳ありませんが、、、」と慇懃な物腰で入ってくる。聞いてようやく分かった。知ってるはずだ。フジテレビのニュースキャスターだった。毎朝殆ど顔を見ているのに、こんな所だと急には分からないものだ。どんな人が来ても知らない物は知らない。、、、こうなると、知ってた方が良かったかと思い出してくる。午後にはいると今度は地元の放送局がいきなりマイクを前につきだしてくる。この人は全然頭に入れる気がないみたい。兎に角聞いたことは全部記録して、後から取捨選択するつもりだろう。やっぱり若い子のすることは違うわ。な〜んてことに感心して、本日のお客さんとの会話はもっぱらこの事件。どうやら郵便物で送られてきた爆弾を開けた途端に爆発したらしく、その奥さんは腕を飛ばされたとか、もの凄いことを聞かされてぞっとした。
大阪の友人がご丁寧に新聞をファックスしてくる。塩江のトリインフルエンザの事件共々、三面記事が2件も香川の事だったと。イヤマッタク。こっちも驚いてるんだから。上空に暗雲がたれ込めてきたなあ。
そう言えば本日NHKのニュースでこの事件を報道していたのは、ちぇちのK君だったなあ。爆発の時一番に携帯でお知らせしてあげたんだったが、、、。いろんな事があるモンだ。

 

 

2004年3月 1日 (月)

やっぱり事件?

 朝もはよからお巡りさん、「お休みのところを恐縮です、、、。」と言いながら訪れる。本日休業の私はパジャマでウロウロ。たまたま家に居た主人が応対に出るも、彼はその日は出張で居なかった人。何も答えられない。慌てて上着を着てから応対に出ると、先日の新聞記者と同じことを訊かれる。その上、最近この辺で不審者を見かけなかったか?という。おやおや、これはおかしい。やっぱりあの爆発はプロパンガスの爆発なんかではなかったのか?
何も答えられない主人は何か言いたそうにしているが、遂に刑事さん達が我々の住所と名前と年齢を訊いたときは張り切って答えた。しかも私の名前の漢字を丁寧に教えて、おまけに映画監督の名前まで出して説明したのには驚いた。そんなもん刑事さんが知ってるかどうかも分かんないじゃん。案の定彼らは苦笑い。ったくう、恥ずかしいったら無いわい。余程その日に留守だったのが悔しいらしい。
 後から現場当たりを母を乗せた車で通りかかると、テレビで見慣れたあの風景、青いビニールシートで家中を覆い、黄色いテープを張り巡らしていた。気がつくと外に立っていたのは、女性のお巡りさん。へええ、こう言うところにも女性ねええ。と意味もなく感心しながら買い物に出かけた私達。冬物最終大バーゲンに行き当たり、半額の半額の半額という服を何着か買ってご機嫌で帰宅。いやいや、途中で、「天下一品」のラーメンも食べたんだった。なかなかおいしかったなあ。今日の練習にこれで安心していけるというもの。あとは主人の食事を支度して脱兎の如く飛び出す。
今夜も充実した練習だった。「名作」はやっぱり「名作」だ。歌えば歌うほど楽しくなってくる。長い歴史の試練を受けて現代に残っている物にはそれだけの力があるって事だろう。
 今くしゃみが3回でたなあ。風邪だったらやばいなあ。明後日が本番。なんとかそれまで持たさなくては。、、、、友人のYさんが風邪ひいてるらしいと、ビールを飲みながら目の前の主人に声をかける。彼はその時手帳に何やら熱心に書き込んでいたが、やがてゲラゲラゲラと、泣くほど笑い出したので、一体何事かと訊くと、その手帳を差しだしここを見ろという。ナントそこには「朗読インフルエンザ」と書き込んでいた。私が噂したYさんの風邪を頭の中で「フン、豚インフルエンザだろう」と思ったら、手の方がこうなったというのだ。それはきっとYさんの呪いだわ、と言いながら私も泣くほど笑った。ホントは「朗読ヴォランティア」と書くべきだったのだ!アハハハハ。
 そうそう、昨日の日記で、うるう年の誕生日の人の話を書いたら早速読んだ方からメールが、、、。その方のお父さんは22回目のお誕生日だったそうで、昔のことで、3/1扱いだそうだ。成る程。とっても現実的なお話しになったなあ。以外と身近にねええ、、、。

 

 

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