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2004年2月

2004年2月29日 (日)

うるうどし。

 今朝の新聞では、昨日の爆発はどうも事件ではなく事故扱い。結局の所、新聞記者のうがった見方だったのだろうか。

 今日仕事しながら訊いたFMラジオの情報では、うるう年の29日に生まれた人は、そうでない年の一体いつが誕生日になるかというと、、、、。知らなかった!28日の一番最後、3/1になる前の時間だそうだ。即ち、28日午後11時59分59秒だそうな。へえええ、て感じ。まあ、そう言う人が身近に居ないから分からなかったが、確かに困るだろうなあ。その人は。
 オリンピックのように4年という区切りが多いのは、このうるう年に関係してるんだろうか?色んなイヴェントや学会、政治家の寿命など、結構ある。4年後ねえ。あたしゃ還暦過ぎてるなあ。

 

 

2004年2月28日 (土)

事件だ!

 夕方6時前、突然もの凄い大音響ですわ事故か!と仕事中にもかかわらず表に飛び出す私。「なんでも無かったんですかぁ?」とお客さんものんびりしている。事故でもないみたいだしきっとたいしたことでは無かったんでしょうねえ。と私も答える。ところがその方がお帰りになって間もなく、ワンワンワンとけたたましいサイレンの音と共に数台の消防車、2,3台の救急車、はてはパトカーまでもがやってきて、我が家の前に路上駐車。一体何事!?と再び飛び出す。近所の方がどうやらガス爆発があったらしいと告げる。そう言えば防毒マスクの消防士達が走っていったなあ。
やがて大勢の野次馬が集まってきて、今聞いたその情報をすぐに他の人に伝える羽目になる。なんてったって、我が家の前に一杯物騒な車が並んで居るんだから、まるで私が情報源であるかのように見られてもしかたがないのかもしれない。その内徐々に分かってきたのは、どうやら事故ではなくて事件らしい、ということ。新聞社の女性記者が次々とその爆発した家庭の事情など訊いてくる。「最近ご家族間でもめ事があったとかお聞きでないですか?」しかし知らない物は知らない。丁寧にお帰り頂く。その人達の話す口ぶりではどうも一家心中か?驚いた!身近でこんな事件が!
昔なら近所なんだが、今時の感覚では近所とは言えない位置。何も知らないのだった。次ぎに驚いたのが、野次馬がどこからともなく大勢集まってきたのだが、その殆どの人のお顔を私は知らなかった。一体この人達はどこから、、、、?不思議だった。
おそらく明日の朝刊でいろんな事が分かるんだろうなぁ。ワイドショー・ネタかも知れない。

 

 

2004年2月27日 (金)

驚いた、、、。

 今日ご主人の介添え付きでご来店の中年の女性は、多分2年ぶりくらい。「私が分かりますか?」と言われてすぐに思い出す。「ええ、○○さんでしょう?」と言うと、嬉しそうに首を振る。その方は女性活動家で、以前は溌剌として、社会の矛盾や、女性の地位やナンカのことを話してくれていた。「女性はもっと考えなくてはイケナイ。」という調子の会話が多い人だった。建設的で説得力のあるお話しを聞くのを楽しみにしていたのだった。それが、あまりの変わりように言葉が出ない。「少し体調を崩しまして、、、」と言葉少なに語るご主人にやや疲労の影が、、、。ご本人にお話しを伺うとどうやら難病にかかられたらしく、半身が思うように動かない。自宅から一歩も出られない生活になっても、映画を見たり、音楽を聴いたり、病気になるまで出来なかったことを今全部やっていますと、明るく仰る。しかし、そのての病気で亡くなられた方を知っている私は、胸を突かれる思いがした。原因も治療法も分からないという難病は、いつまで彼女をむしばみ続けるのだろうか。「娘が結婚するので、きれいにして貰いに来ました。」とその方は言った、、、、。

 今日はFMの収録をグロッケン先生とやる。イタリア物も良いが、時には重厚な音楽に触れるのも良い。こうもりにも出演されるそうだから、又ご一緒できるなあ。

 

 

2004年2月26日 (木)

長電話。

 娘とは時々1時間単位であるが、他の人とは余り長い電話は無い。一度ヨーロッパからの1時間の電話があったが、それはその人の人生を決める重大な用件だった。、、、今夜はそのいずれでもない人から2時間の電話が、、、。最後は子機の電池切れでぴ〜っと凄い音がしたので止められたのだった。まあ久しぶりだったこともあるが、人生の様々な問題点をお互い懐古を交えながら話すとこんな時間になった。ったく女の長電話は困ったモンだ。ここにだれか男性が居たら、完全にバカにされてただろうなあ。そもそも彼女とはある時期頻繁に会えていたので、、、、いや会えていたときから長電話だったかも。タハハハ。その辺のドラマをしのぐようなドラマチックな彼女の人生。今又岐路に立つ彼女に、出来るだけ誠意を持って答えたかった。というのが長電話の本音。さあ、彼女が良い結論を出してくれるかなあ?

 

 

2004年2月25日 (水)

遂に来た!

 食器洗い乾燥機なるものが、我が家にやってきた。思ったより大きいか?まだホントに使い勝手が良いかどうかは分からないが、工事の方が「良い時にお買いになりましたねえ。このくらい進化したら使う価値があるでしょうねえ。いや、買っても使ってないお家が結構あるんですよねえ。」といってくれた言葉を頼りに、バカな買い物をしたと思わないようにしている。早速やってきた母は、案の定無用の長物とばかり、使い方の説明を聞こうともしない。「あたしゃ、自分の手で洗います」と完全に私をバカにしている口ぶり。ふんふん。今にこの良さが分かるときが来るんだから、、、、などと考えている私。ともかく説明書だ。あんまり読みたくないなあ。でもきっと、適当に使ってると、結局は価値が分からなくて、活用出来ないんだろうなあ。夕べもちぇちの若い人が我が家のパソコンをいじってくれて、あれも出来るこれも出来ると感動してくれた。、、、が、当の本人は殆ど知らないことばかり。そうなんだ。宝の持ち腐れなんだ。もそっと勉強しよう!
 そう言えば2,3日前にようやくWOWOWが見られるようになったところ。少し頑張れば何だって出来るんだ!と自分に言い聞かせて居る。

 歯が痛いなあ。歯医者さんに行くのを一日延ばしにしてるんだけど、そろそろ限界かなあ?でも、明日はリハーサルだしなあ。いつ行けるかなあ?

 今日は10時というこの時間に未だ夫は帰らない。何時に帰るかを言わずに出かけて、また今日に限ってあれこれ作ってるんだなあコレが。ぐやじ〜。これで食事はいらないなんて言ったら、、、、どうしてくれよう、、、、!ピキピキ!

 

 

2004年2月24日 (火)

この日記の為に、、、、。

 別にネタを作るためにやったのではない。本日ちぇちの若い女の子と我が家で食事して、いろ〜んな話ししたりして、モチロンやるべき作業もちゃんとして、、、、パソコンの前に来たら、なんか肩が凝ってたからマッサージ機にかかった。動き出してからいつも付ける扇風機型ストーブに手が届かず、たかが15分だからと機械を止める気にもならずそのままマッサージ機の人となる。響き渡る電話の音に自分がグッスリ眠っていたのを知る。出てみると娘だった。いやあ、助かった!計算すると1時間近く眠ってたことになる。このまま朝まで寝たかも知れない。そしたらきっと風邪を引いていただろう。あぶないあぶない。
 電話の内容は吾等が発掘の「劇団・うわの空」の公演チラシをFAXするから、と言うもので、本人はろくに喋れないくらい笑っている。というのも、この劇団は、私が数年前に偶然インターネットの抽選でチケットを当て、娘と両国の小さな劇場まで見に行ったのが始まりだった。出演者15名くらい。観客我々を入れて5名くらい。やがて始まった舞台は、今まで見たこともない変な芝居だった。最初の10分でまず娘が言った。「お母さん、もう帰ろうよ。時間の無駄よ」でも、私はその時疲れ切っていて、「どうせどっかで休むくらいなら、このままここで見ていこうよ」と言い、結局は最後まで見たのだった。ところがその芝居、一応喜劇なんだが、説明のしようがないほど、変。見ていく内にその変さが無くなるどころかどんどんエスカレートしていく。通常の舞台ではやってはいけないことのオンパレード。台詞は噛む、テンポはずれる、明らかに間違った動きもある。で、途中何度も娘と顔を見合わせて、目と目でぽか〜ん。その内笑いがこみ上げてくる。え?こんな芝居で笑うの?あんた。とお互い指さしながらやっぱり笑う。最後は涙が出るくらい笑って、外へ出た私達は異口同音に「ああ面白かった!」と言ってしまったのだ。凄い!これはただ者ではない。、、、以来、娘はこの劇団にはまっているのだが、ナント、この劇団のチラシをファックスしてきたのを見ると、紀伊国屋の舞台で4回公演もやる、というのだ。これは凄い出世ではないか!?いや〜はや〜、、、、。
 

 

 

2004年2月23日 (月)

占い。

 毎日、パソコンを開くと自動的に本日の運勢が表示される事になっている。悪いことはすっかり忘れるくせに、素敵なことを書かれたら、その日一日楽しいという、楽天姉さんのこのところの習慣である。で、本日は最高!と出た。「何もかもが順調で、幸運度は五つ星」なのだった。朝一番に、これを読んで気分が悪くなろうハズがない。なんか良いことがあるのかなあ?なんて、ルンルンで、雨にもめげず、まずはシェイクスピアの講座を受けに大学へ。思えば車を止めて、外に出たら折りからの突風で、折角カールしていたヘアーが見るも無惨に乱れた辺りからおかしかったのだ。何とか髪を整えて席に着き、先月の資料を見るという段になり、隣の人が「あら、すっかり忘れてたわ」と言うのを、「良いわよ。私のを見せてあげるから」と答えて良く見ると、それは前々回の物だった。ぎゃっとばかり、慌てて事務室に再度頂きに。なんたること。休憩時に、なっちゃんが「あのお、これ」と約束通りCDを持ってきてくれる。そうだった!これと交換する予定だった楽譜が無い!「ごめ〜ん!」というと、付き合いの長いなっちゃんである。悟りが早い!「そんなことだろうと思ってた」んだそうだ。ひょ〜!
なんてお優しい。あとの昼食会は、先生が久しぶりにお元気で、私の司会もそのせいでとんとんと運ぶ。時間通りに終わり急ぎシャンソン教室へ。、、、と思ったら、ギョッ、レッスン用のテープがない。車に置き忘れたと気付き駐車場にとって返す。5分遅れで教室へ。発表会の為の練習とあって、みんな熱が入っている。時計を見ると大分延長している。自宅から短歌の指導を受けるために電話をすることになっている。急いで帰らなくては。脇目もふらず帰宅して、早速パソコンに向かう。寝ぼけ眼で詠んだ短歌は、師匠の手で真っ赤っか。そりゃそうだ。私が師匠でもあんなもん許すわけにはいかない。てなことで添削して頂き、何とか完成。やれやれ又今月も速達だあ。
そうこうしているうちに時間は矢のように過ぎ、同居人の食事まで手が回らない。さすがに今日は「在る物で食べて置いて下さい」となる。しかも、その在る物を列記しておくのだ。冷蔵庫の中に何がありどうすれば食べられるかを書いておかなくてはならないのだ。ふ〜っ。そして、牟礼の練習場で最後の事件は起こった。充実した練習が終わり、みんなが次々と寄ってきて用事を済まそうとしているとき、突然思い出した。そうだ、アレをみんなに言わなくちゃ。「みなさ〜ん。公民館がただで借りられることになりました〜」と、凄い良いニュースを流したつもりの私に、真っ赤な顔をしたMさんがやってきて「ちょっと!大家さんが来てるのよ!」と告げる。どひゃ〜っ!色々親切に対応して下さってる方に、これは余りに失言。今度はこっちが赤くなる番。みんなにも緊張が走る。I先生もいつもより丁寧なご挨拶だったように思うが、、、。あああ、なんてこった!あの占いはなんだったの!??全然順調じゃないじゃん。その上、帰宅した私に同居人はご機嫌斜め。もう〜っと、占いに当たっている、本日のみっちゃん。ただいま、奈落の底。

 

 

2004年2月22日 (日)

何で、、、?

 確かにここに書いていたのに、、、。消えてる。もしかしたら、余りの眠たさで、記入して違うところを押してしまったのかも、、、。ありうるから怖い。
 も一つ怖いのは、何を書いたかが充分思い出せない。トホホホ。

 会議のことを長々と書いたような、、、。既にそこで、参加者によるお芝居が行われたような、気がしたとか、を書いたと思う。
 で、その後久しぶりにミュージカルの練習現場に廻り、若者達の練習振りに接して、ある種の感動をした、、、とか。
 まあ、たいしたことは書いてないなあ。相変わらず。しかし、書いてないと見えることで、ある種の方にご心配をおかけした。きっとあれはダウンしてるんだろう、、とか、疲れ切って寝ちゃったんだろうとか、、、、であるが、有り難いこと。、、、やれやれ。

 

 

2004年2月21日 (土)

ああ、疲れた、、、。

 夕方徳島の「カヴァレリア・ルスティカーナ」に行き、帰宅してから、ようやく「舞姫の集い」用台本の最終稿を上げる。ただいま、メールに添付して送ってしまって、ほっとして、あっと気がつけばお風呂のお湯があふれかえっていた。明日は、アーツカウンシルの会議。その時に声優を頼んだ人にこの台本を渡さなくてはいけない。会場の照明さんに打ち合わせも要るなあ。時間が全然足りないなあ。、、、短歌の締めきりは25日だって言うのに。12首のうち出来てるのは5首。物理的な時間がない。ナントカせねば。

 徳島オペラは満杯の盛況。小編成ながらオーケストラ。900万円の予算に25万円の助成金だそうだ。みんな死にものぐるいでチケットを売ったんだそうだ。開演前から大勢の人が並んでいる有様は、なかなか良い風景だった。
 いつも徳島からちぇちの演奏会に来てくれる人にバッタリ会う。K先生ご夫妻にもお会いしたなあ。この作品は、「ママも知るとおり」で有名なのだが、とても声を持った歌い手さんが歌ってくれて、良く響く楽器だなあ、と思いつつ聴く。しかし、日本語がさっぱり分からない。これが観客にとってはフラストレーションを募らせることになる。どうせならイタリア語で歌ってよねえ。と思ったのはきっと私だけではないだろう。Yさんが少々とちる場面もあったが、指揮者の機転で、うまく切り抜ける。ナマの舞台とはこうしたスリリングなもの。テノールは良く伸びて、素晴らしい魅力的な声だった。、、、やっぱり、オペラは声だなあ。

 

 

2004年2月20日 (金)

チケット売り切れ!

 まあ、なんて素晴らしい言葉。3/3のイヴェントはともかくチケットの面では完売らしい。さて、本日の練習もそうなってくると、自ずとみんなの力の入り方も違ってくる。モデルウオークといってもそう簡単にマスター出来る物ではない。高をくくるという特技の持ち主、主婦連も、さすがに本日は緊張した。ああ、本番どれだけやって貰えるか、、、とっても心配。来週のリハは、死にものぐるいになりそうだ。

 ところで、先日「椿姫」の大役を果たしてご帰還だった小濱妙実さんのお話しによると、なんでも本番の間にどんどんからだが痩せて、最後のシーンの衣装はぐすぐすになってたそうだ。凄い!そんなにも入魂していたのだ。ご本人もびっくりのこの現象。良いなあ舞台は。全く別人�ノなり、別な人生を歩めるんだから。モチロン、入り切れればの話しだが。

 さあ、明日は徳島だ。「カヴァレリア・ルスティカーナ」。どんな出来映えか、楽しみではある。

 

 

2004年2月19日 (木)

フェリーは楽し

 行きのフェリーでは、短歌を作りかけて3首でグッスリ。帰りこそはと思いきや、又してもバッタリ、マンドリン君と会ってしまう。となると、当然のようにおしゃべりに花が咲く。本日のお題は「食」となれば、身を乗り出して聞くことになる。彼はよく知っている。どこの何がおいしいか。全くの食通なのだ。あたしゃ忘れそうだったから、しっかりメモしてしまった。アハハハ。次ぎに合うときまでに何軒行けるか、、、?例えば、ある西洋料理店のシェフは卵1個で、オムライスの皮3枚作れるというのだ。そのあっさりした味は、1個食べ終わるとさらにもう1個食べたくなるほどだという。ん〜ん、これは絶対行きたい。そこにはから〜いカレーもあるそうで、辛いけどおいしいのだそうだ。イタメシから、中華、和食、うどん、ステーキ、ジャマイカ初め、各国料理、、、と話しは尽きない。何となく彼の顔が腫れてるように見えて、少し太ったかな?と思いきや、ナント糖尿病で、ステロイドの投与を受けているとか。成る程ね。美食家のたどる道を彼も行ってる訳だ。彼の話していた徳島ラーメンというのも気になるなあ。、、、で、すっかり食欲中枢を刺激された私は、帰るやいなや、イクラどんぶりを食べてしまった。あ〜おいしかった!
 で、これから何首作れるか、、、、トホホホ。

 

 

2004年2月18日 (水)

海はあくまで青く、、、、

 本日、建設中のサンポートの中のあるビルに書類の申請に出かける。6階に上がると通された部屋からは、真っ青な海と空と島々とが目の前に広がる。眼下には整地途中の広場。砂山があらわにそこかしこと点在する。素晴らしく晴れ渡った瀬戸内海が、思わず、ここに来た理由を忘れさせる。、、、多少ひっかかりながらも無事申請を終えて、次は市役所である。、、、しかし、ここで面白かったのは、駐車するのが大変難しい状況で、やたら、装飾的なポールが立っているソバを注意深く止めなくてはならない。係のおじさんによると、そのおよそ30〜40�pほどのポールは一本50万円だそうだ。このポール二本分を頂きたいが為に、膨大な書類を作成し、無い頭をひねり、仕事を犠牲にして駆けつけるのである。いや、面白いなんて次元の問題ではないかも知れない。このポールを仮に全部止めたら、もっと文化芸術に資金が出せるでしょうに、な〜んて考えてしまったのも事実。フム。
 市役所では、どじをやってしまった。Aの場所で申請を済まし、Bへと移る。そこで説明を受けているときに、Aから別の係の人が来て、「後援依頼には別な書類が必要です。」という。で、再びAに。Bの人が「では又アトでお寄り下さい」とご親切な対応。Aでは又してもながながながと、書類を作成。ても頭も疲れて、ようやく終わり、一緒に行ってくれたKさんと「良かったねえ。これで全部済んだわねえ。ぁ〜疲れた」と言いながら、車を出して、栗林公園までさしかかったとき、彼女の携帯が鳴る。「あの〜、、、」ああ、それはBの係の人からの電話。なんてこった!もう一度Bに寄るのを二人ともすっかり忘れていた。「すんまっしぇ〜ん!」状態であたふたと駆けつけると、定時ご帰還の職員とたくさん行きちがう。何度も謝って書類をおし頂き、外へ出たら、冷や汗がじっとり。ふ〜っ。どじ。二人とも。あ、あ、あ、たかがこれ位で、、、もうろくしたなあ。

 夜の8時からあるコーラスの方々に演技指導に行く。流石I先生の生徒さん達。声に迫力がある。これぞコーラス。演技もセンスが感じられる。楽しんで貰えそうである。男声は掘り出し物かも知れない。磨かれてはないが、良い声と演技力が期待出来る。ようやく4月の音楽祭が見えてきた。
 今日は休肝日のつもりだったが、一仕事終わったから、ま、いっか。

 

 

2004年2月17日 (火)

ビッグウーマン

 私の事ではない。しかも外見ではない。いや、外見も多少ある、、、、か。
ともかく、凄い女性と、本日会食。たらふく和食を食べて、こころのご馳走もたっぷり頂いた。行き着くところ、全てはハートだと言うことを、確認し合って、エンエンと続いたおしゃべりは、我々のお腹辺りを少々ビッグにしてお開きとなった。帰りに私のお気に入りの喫茶店で、これまたお気に入りのソフトクリームでとどめを刺す。実は、11時15分に着いたところ、当店は11時までですと言われてしまう。そこをなんとか、、、遠くから来たのですから、と泣き落とし。レジの男性は我々の勢いに押されてか、「快く、、、」?受け付けてくれた。おそるべし、おばちゃんパワー。、、、、結果、大満足。

 

 

2004年2月16日 (月)

ネットでお買い物〜(^O^)

 とうとう買ってやったぞ〜!ふっふっふ。これでちったあ、楽になろうってモンだ。、、、が、さて、なんかどじしてないよなあ。ちょい不安でもある。商品を見ないで買う、というのが、まず一番の心配だが、なんか不注意で、考えておくべき事が抜けてたり、、、これは大いに考えられること。商品が届いてから、あ、しまったあ、とか、こんなハズではなかったのにい、、、とか。あるんだよなあ、これが。はてさて楽しみなような、心配なような、、、ドキドキ。

 今夜の練習はついに「こうもり」のコーラスに入った。思ったより多いかな?歌うとこ。でも、なじみの在るメロディが耳に心地よいではないか。やっぱり音楽って良いなあ。オペラの曲って特に良いなあと思わせてくれる。

 そのちぇちの練習の前まで、春のような良い天気だというのに、一歩も外に出ることなく、閉じこもって書類の作成だった。夕食はいらないと同居人からの電話があったのはせめてもの救いだったが、、。まあ、こんな書類無しに、面接にしてくれないかなあ。でもって、複数の人に審査して貰うんだったらば、ビデオに撮って貰うとか。兎に角、この書類の作成というのが、苦痛だなあ。
くしくも、本日の占いというのがメルマガで送られてきて、「楽してもうけるという考えはおやめなさい」と書かれてあって、ぎょっ!さては読まれたか?てなもんだった。そうだ。これ位の苦労は厭わずに助成金を頂くべきだ。いや、頂けるかどうかさっぱり未定なんだが。、、、まあ、本日の所はもう寝ちゃおう。ビールが廻ってきたしなあ。、、、

 

 

2004年2月15日 (日)

本日、、、といっても

 もう朝だ。4時過ぎてる。やれやれ。今日作成した書類を明日は何カ所かに届けなくてはならない。そもそもこういうのを創るのが苦手になってきた。OL時代はたいしたこととは思わなかったが、やっぱり年のせいか?

 ま、ねましょ!

 

 

2004年2月14日 (土)

何でだろう〜〜〜〜

 ただいま午前2時40分。今日こそは早く寝ようと思っていたのに、結局こんな時間に。イヤぁ、さすがに眠い。会議の間にこの眠気が来なくてほんとに良かった。

 

 

2004年2月13日 (金)

真剣て良いモンだ。

 本日本職のモデルに、いわゆるモデルウオーキングなる物を指導して貰う。彼女の際だつ美しさは、モチロン天が与えた物もあるだろうが、矢張り本人の努力と訓練が今の彼女を形成しているに違いない。その完璧と言っても良い彼女のお手本で、おばちゃん達が頑張った。たった二段の階段を必死の形相で睨みながらの挑戦である。廻れば廻りすぎ、歩けば背中が曲がり、目はうつろ。おどおどと落ち着かず、さも自信無さそうなこの人達が、全く真剣に取り組んだ。ものの小一時間もあれこれ言われながら続けている内に、なんとか様になってきたから、凄い。そうなんだ。やれるかどうかなんて、まあどっちでも良い。取り組むことが大切だ。彼女達の真剣さは、きっと少々のぎごちなさも、拍手で迎えられることだろう。ようやく軌道が見え始めた。あとはこれに乗れるかどうか、、、だ。舞台はやっぱり面白い。

 

 

2004年2月12日 (木)

ようやく動き始めた、、、。

 第35回ちぇちぃりぁ公演が遂に決定。12/18(土)だ。新しいサンポート高松の会場を本日ゲット。驚いたことに、今年の秋以降の土日がこの日しか空いていないのだった。みんな何に使うんだろうか?すごいなあ。まだ建物が完成してないというのに、もうこの状況とは、、、!嬉しい悲鳴かも、市役所は。
 4月の音楽祭、5月のこうもり、8月初めのタイムステップ、8月終わりの娘の芝居、12月の本公演、クリスマスコンサート。ぞぞぞぞ、、、。身が持つかいなあ。

 

 

2004年2月11日 (水)

今頃、紅白歌合戦。

 今頃再放送の後半部分を少し見たが、色んな工夫をしてたんだなあ。あれだけの長寿番組になると、しかも世界中で見られているとなると、ホントに大変だろうなあ。他愛もない「合戦」だからこそ、本気で燃えられるんだろうが、勝つという意識が出演者の情熱を駆り立てているように見えた。歌い手がみんなその持ち歌の最高を目指していて、聞く人の心を打つ。有馬稲子さんが「どちらとも言えないが、今聞いた長渕剛さんの歌には感動しました。」と涙ながらに語ったのが印象的だった。凄いなあ、良いなあ、私も彼の歌は好きだからよく分かるなあ。又、NHKの映像の扱いが良い。伴奏が弦楽というのも成功していた。
 最後だったか、スマップの「この世に一つしかない花」とかいう歌も、詩が良かった。もっと自分の花を咲かせることに一生懸命になろう、という内容だったが、歌の前に一人一人のコメントがあって「みんながみんなに優しくなれば、世の中はうんと平和になるに違いないんだ」というのがあった。素直に胸に響く言葉だったなあ。

 

 

2004年2月10日 (火)

被害妄想。

 うちの顧客で、完全な被害妄想の女性が居る。毎回来店の度に、近所の人から色んな物を盗まれた、と繰り返し喋る。その近所の人が現在まともな暮らしが出来ているのは、全部その盗品のお陰だ、と言うのである。が、その人をよく知る地区の人々は、それはあり得ない話しだ、という。色んな根拠から、それが全て妄想だと言うことが分かる。、、、しかし、人間て、そこまでになるモンなんだ。同じ事を繰り返し言う以外は、会話もそんなに変ではないんだが、、、、困ったモンだ。いろいろ聞いていると、どうやらもの凄い憎しみをその人に抱いているらしい。その憎しみが妄想を産むのだろうか。人間て、弱いモンだなあ。

 

 

 

2004年2月 9日 (月)

作り上げる作業。

 本日はシャンソン教室と、オペラ〜の練習日。どちらも声というやっかいなモノを使っての在る意味作品作りだ。私は客観的に聴いて、あれこれと感想を述べる。時には具体的に修正もする。声の持ち主と客観的な立場の者とで、一つの作品を作り上げるのだ。しかし、やればやっただけの効果がすぐに分かるというのは、ホントに楽しい作業だ。本人よりも他の人がよく分かるのだが、まあ、やる内に本人にも分かるようになる。まあ、声というものは面白いモンだ。

 ある旧友の母親と久しぶりにお会いしてお話しすることがあった。彼女自身は父親が亡くなり、母親一人になったというのに、遠く県外での暮らしを変えることも出来ず、たまに帰って来るくらいだそうな。80過ぎて、夜歩くのもおぼつかない母親をひとりぼっちにしておかなくてはならない彼女も気の毒だ。きっと、気がかりな事だろう。
 その白髪のおばあさんは言う。「女たらしの主人で苦労して、何度も別れようと思ったが、実家に帰ったとて、居場所はない、と思い、辛抱し続けた。ホントに辛かった。」と。聞けば聞くほど波瀾万丈の人生。まるで昔のドラマを見ているような感じだった。医者だったその夫は、看護婦といわず、患者といわず、色んな人と関係を持ち、ある時はん千万円も、つぎ込んだそうだ。で、最後の言葉が、「おまえが一番気を遣わず、お金もかからず、いい女だった」と言ったとか。若い女には、そう思わなくてもきれいだとか、おべんちゃらを言い、アレが欲しいと言われたらすぐに買ってあげなくてはならない。ホントに大変だったとも。そう言われて、その言葉だけが生き甲斐で、今日まで来たというのだ。ふ〜っ。そうなんだ。そんな人生も在るんだ。、、、人生は舞台以上にドラマだ。

 

 

2004年2月 8日 (日)

女って、、、、

 あるダンスクラブの人達のお話しを、お客さんから聞かされて、それが女性ばかりの世界と聞いて、がっかりした。何故女達はこうなるのかしら、、、?。
Aさんが先生に指導方法が悪いとか、あちらの先生はこうだとか、着るモノがダサイから、私は違うものを着たいとか、、、ことごとく反抗していたというのだ。それで先生にストレスが溜まり、遂にその会は解散になったとか。しかし当の本人は何も気が付いて無いというのだ。その人以外の人達は全員解散の理由を知ってるらしい。しかし怖くてそのことを本人に誰も言えないんだそうだ。やれやれ。全員いい年をした大人の団体なのに、どうしてそこまで行ってしまうのか、、、。よく男性から言われるように。女には社会性が無く、自分中心だからだろうか?
気の毒に、その他大勢の、楽しみで来ていた人達は行き場が無くなり、困ったさんになってるらしい。そのみんなから怖がられる女性というのもなあああ。何故怖いかと言うに、物事をパキパキと理詰めで迫るし、まず人を睨むというのだ。睨むねえええ。
 人間5人居ると一人は親指のようによそを向いてる人が居るというが、、、、よく考えると、全員同じ方向を向いてるのもなあ。気持ち悪いかも。親指があっち向いてるから、モノが掴めるし、力も込められる。問題はその親指が独立してなくて、一本の腕によって支えられてるということだ。みんな一人で立ってるわけではないのだ。それをみんなが認識した上で、協調していくしかないのだろう。
 まずいことにそのAさんもうちのお客さんなんだなあこれが。今まで睨まれたことはないけどねえ。

 

 

2004年2月 7日 (土)

おそるべし牡蠣パーティ!

 毎年恒例の在るオタクのパーティにお誘いがあった。が、オール牡蠣なので、ワチキは食べられない。でもそこにお越しになる方々とは故あってお会いしたい。なので、兎に角牡蠣好きの主人を無理矢理連れて行く。好きなのに何故無理矢理かと言うに、彼は本日他の宴会に出たアトだった。いかな牡蠣好きでも、そうそう食べられるものじゃない。ところが、案の定凄い牡蠣責め!でも、私は食べられないと堂々と言ってあったので、代わりに猪の肉とか鳥雑炊を頂いた。ドイツ直輸入のソーセージがおいしかったなあ。
しかし、本日の最大のイベントはパフォーマンスだった。それは怖ろしくエネルギーを放出するダンスがメインで、若者が一人、ややエロチックな踊りを繰り広げるというモノだった。伴奏はタンバリンのようなブラジルの楽器。これがとっても面白かった。ものの15分か20分踊り続けた彼は、真っ青な顔をして肩であえぎ始めたので、休憩に入った。喋れないほど疲労していた。なんでも新宿当たりで、演劇やらダンスやらをやってるらしいが、もう少し整理しないと身体を壊すだろうに。、、、と同情しながら我々は家路についた。帰りの車中で、主人がぼそっと、「人間忙しすぎると、大事な事を忘れてしまうなあ」と仕事以外の人間関係を持たない自分を慨嘆していた。そうなんだよ君。、、、まあ、私みたいに持ちすぎるのもどうかと思うが。ガハハハハ。

 来週のFMは、本日このパーティのために東京から来ている楽器屋さんと演奏家にご出演願うことに。あたしゃ、これが本日のメインの目的だったのだ。フフフのフ。

 

 

2004年2月 6日 (金)

さぶ、、、、。

 女のイベント第1回目の練習日。久米池の水の上を凍るような風が吹いていく。ちらちらと雪も舞う。車を止めてドアを開けて思わず、さぶっ!だっだっと玄関に走り込み、熱い珈琲をご馳走になるまでに肩がコリコリ。ああ、文明とは有り難いものだなあ。、、、次々と、素晴らしくお体の成長したメンバー達が入ってくる。みんな180�p近いんだ。そしてどんと小さくなったおばさん達もご到着。殆どの人が初めての経験で興味津々。みんな、楽しげだったのが救いだ。課題は山積みだが、まあ、今日の所はこんなモンだろう。又しても宿題を抱えて帰ってきた。どうも、早寝の習慣は出来そうにないなあ。どうしたもんだか、、、。

 今日ある人から確か上京して「椿姫」を見てきたんですよね?と、この日記にそれについての感想がないとの、ご指摘を受けた。そうだった、もう帰省してからのめまぐるしさですっかり忘れていた。あれは1/17渋谷文化村オーチャードホールだった。吾等が小濱妙美さんと、ただいま売り出し中の中鉢くんというハムサムなテノールによるモノだった。、、、が、2幕の最後彼が父親の奸計によって彼女が身を隠したとも知らず、怒濤のように怒り狂って「復讐だ」と叫んで立ち去る場面で、すっかり声が裏返ってしまった。で、失速。目も当てられない。19000円の座席で聴いていた私は、思わず絶句!こんなの聴くためにこんな大金を払ったのか!と頭に来た。日本人は優しいし、やり方も知らないのもあるが、し〜んと水を打ったようになっただけで、音もなかった。そこに至るまでも緊張が伝わり、如何にもオペラの経験が浅い人という感じだった。噂では、オペラ全曲は2度目らしい。やっぱりね。そのあとから完全に吹っ切れて、豊かな声で堂々と歌ってはくれたが、、、、、その点小濱さんはあの難曲を見事に歌いきった。ダイエットに完全に成功して、メチャクチャスマート。きちんと計算された声の配分で、とかく疲れが出る後半でも、しっかり聴かせてくれた。しかもラストが素晴らしい終わり方だった。まるで天国へと歩き始めたように、客に背を向けて、真っ赤な薔薇を敷き詰めた舞台を、両手を広げ高くかざしながらゆっくりと歩いていく、というもの。死んで初めて全ての呪縛から解き放たれた、悲しい女性の、在る意味幸福な瞬間を巧みに演出していた。このシーンは今も鮮やかにまぶたに残っている。

 

 

2004年2月 5日 (木)

もう一人のパワフルな人。

 今日も又、エネルギーを貰った。前回フェリーで出会った人に、又お会いしたのだが、今夜は暴風で船が大幅に遅れていた。通常1時間が1時間半もかかった。だが、その方とのおしゃべりであっという間に高松だった。チョイと睡眠時間が減ったが、その代わり凄いパワーを貰った。彼はオタクといっても良いくらいのオペラ通。オペラの話しに花が咲く。彼も私と同じ意見で、舞台にお金をなるだけかけない方がよいと言う意見。創れるものは作っちゃおう。借りられるモノは借りて、その代わり、1回でなく、2回3回と、回数出来る方がよい。海外はみんなそうなんだから、、、。軽く何度もやっていく中でそれぞれが成長するんだから。もし、ちぇちぃりぁがその方向に行くなら協力します、とまで言ってくれた。
確かに一考の余地はあるだろう。、、、試行錯誤を繰り返しながら、進むしかない。
 まあ、だけど音楽の話しをしているとホントに楽しい。知らないジャンルのことなども、成る程と思うこともある。本日の一番のヒットは、あのカレーラスが実は凄いリズム音痴だということ。ギャハハハ、これは笑える。ていうか、安心した。だからいつも永年つき合ってるピアニストとしか合わせられないんだそうだ。ひょ〜っ!それが、1回のコンサートでん万円、いやいや、ん拾万円取るんだから、面白いじゃないの!?そういえば、今日入ってきたお話しでは、パバロッティがさよならコンサートをするのが、ナント、22万円だそうな。訊いてきた人は、最低が2万円なんだが、彼の後ろの席なんだけど、大丈夫だろうか?というもの。確かにシンフォニーホールは後ろから見るところがあった。パバロッティなら、360度声が響くから良いんじゃないですか?と答えたが、今夜の彼は、歌の場合は前から聞かないと、フラストレーションが溜まるんじゃないですか?とのこと。アハハハ。そうかも知れない。でも前の席で一番安くて、7万だから、ちょっとねえ、、、。世の中にはお金持ちが居るモンだ。

 

 

2004年2月 4日 (水)

出会いの不思議。

 本日のFMみっちゃんのオペラ大好きは、正真正銘のオペラ好き人間がゲストだった。このご夫婦は奥様が声楽講師、彼がその生徒さんというユニークな出会い。以来お二人で舞台制作にのめり込んでこられたそうな。いや、確かにオペラには人をそうさせる不思議な魅力がある。今日一番びっくりしたのは、「魔笛」の中の童子を二人まで小学3年生が歌い、アト一人を中学1年生が歌うんだそうだ。モチロン、海外のオペラビデオなどには、小さい子が歌ってるのもあるが、殆ど若い女性だろう。曲が大変難しい。それを歌ってしまうんだそうだ。
 まあ、本日の収録は、ミキサー氏が「こちらでボリューム調整します」と言うほどの声の爆発があったようで、兎に角楽しかった。

 

 

2004年2月 3日 (火)

世の中には、、、

 パワフル人間が居るモンだ。と、本日つくづく感心。九州で大きなオペラ公演をしていた人が高松の郷里を舞台に我々同様、お金のかからない大衆に理解され、受け入れられるオペラを制作するのに、奔走して居られる。「客集めは自信があります」とのことで、ナント、今回もサンポート市民会館で大ホールを借りての公演だそうだ。わ〜お、うらやましい。しかも助成金を貰うと制約が多いので、一切貰わないでやってきた。オペラは最低限でも、どうしてもお金がかかるモノだから、全会員が月々相当の金額を積み立てるやり方で、自分たちでやっている。ス、スゴイ!我々の月会費の集金状況を話すとびっくり。「それは、もの凄く大変でしょうねええ」といたく同情された。 明日は早速そのご夫婦とFMである。

 

 

2004年2月 2日 (月)

わが輩も人間だった。

 今日は休業日という安心から二度寝して、起きたら11時だった。約9時間眠ったことになる。その付けが廻ってきて、それからの忙しいこと。
でも、やっぱり寝るのは良いことなんだろう。体が軽く(体重ではない)仕事もたくさんこなせた。溜まりに溜まったゴミとゴミでない物を片付けにかかったら、ただいま午前2時。明日は仕事だから早く起きなくちゃイケナイが、片づけるつもりでひっくり返った物をナントカせねば、、、である。ふひょ〜っ!

 今日はボランティアで95歳のおばあちゃんの髪をきれいにしてあげた。思ったよりお元気だったそのおばあちゃん、1年半以上会ってないのに私の顔が分かったし、声もちゃんと聞こえている。全く驚きであった。何故なら、1年ほど前にもう危ないと言われて、親戚一同集められたと聞いていたから。確かに痩せてはいたが、車いすに座ってもちゃんと髪のカットをする間じっとしていられるのだった。声もしっかりしているし、これならきっと長生きされることだろう。何度も御礼を言われて、こちらが幸せな気分で玄関を開けたことだった。

 夕方のFMは明日の放送分で、どうしてもやっておかねばならなかったもの。今日のゲストはヴィオリラという珍しい楽器の人だった。大正琴が変化した物だが、なかなか面白い。
12楽坊のCDを持参されたが、ホントに面白い音楽だった。バックにアジアの広大な大陸を感じた。

 

 

2004年2月 1日 (日)

予定。

 珍しく私の手帳の明日の欄が夕方からのちぇちの練習しか入ってなかった。本日の午前中までは。ところが、練習の前に、FMの収録をし、その前に以前当店にご来店の90歳くらいのおばあちゃんが、病院からお帰りになったそうだから、ヘアーカットに出向いて差し上げることに。

 夕方久しぶりのぽかぽか温泉。8時なんて時間に行ったことが無く知らなかったが、ラッシュの時間帯だった。ちびっこがとても多い。露天風呂の「ひなた湯」という低温の湯殿は子供にとって、恰好の遊び場所。案の定ばちゃばちゃやっている。他が熱くて仕方なくそこに入ったが、全く子供のしつけが出来てない。他人に迷惑をかけてることに母親は気付いてないのか?
これで思い出すのが、あのモーリーだ。観光に出かけて他の人に少しでも邪魔になったり迷惑になりそうなとき、母親が小さく「モーリー」と声をかけ、その都度しゃがんで耳元で諭す。すると彼女は納得して、やってはいけないことを判断するようになる。母親は決して大声で叱らないが、余り他人に影響のないことの場合、大きな声で「モーリー!」と叫んで愛情に満ちた声で笑う。「もうホントに仕方がない子ね。」という風に。このけじめのあるしつけには正直驚いた。
結局子供だとて、、大人社会と上手くやっていくためには学習しなくてはイケナイ。それをちゃんと教えられるかどうかなんだ。

 

 

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