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2004年1月

2004年1月31日 (土)

カンティアーモの会。

 日本語で「さあ歌いましょう」という意味だが、I先生の門下生の発表会であり、「歌を歌う楽しさ」を広める会でもある。。実際この会に傍聴人で参加してから歌を始めた人も居るくらいだ。、、が、この歌うということが楽しいと感じるまでには相当な時間がかかる。むしろ何にも知らないときの方が歌を楽しんでいたと思うが、知った上で楽しむ所まで行くのはかなりの道のりだ。結局は人生に似ている。人生だって、楽しいことはほんの少し。辛いことやイヤなことの方が多い。でも、僅かの楽しいことがあるから生きていられる。バカボンパパは言っている。
「それで良いのだ!」
今日の傍聴人からは一体何人の人が個人レッスンを受けたいと思うだろうか?増えると良いなあ。

 

 

2004年1月30日 (金)

協調性ということについて。

 予想はしていたが、怒濤の中に突入した。新しい人間関係の中で、クリエイティブな事をしていくのは至難の業。まずは相手がナニを望み、どういう考えを持ち、どんな性格かを知らなくてはイケナイ。永い人生の中では、時々「えっ?こんな人見たこと無い」て人にも出会ってきた。しかし、これからも出会うんだろうなあ。今日のように。あの人は自己主張の固まりだったなあ。多少考えに矛盾があるところを除けば、あの鼻息の荒さは舞台に向いているかも知れない。、、、が、実は舞台ほど協調性を要求される場所もないのだ。誰か一人でもあっちむいてほいの人が居たら、全体に影響する。、、、さて、どうするか、、、。

 辞書で「協調性」を弾いてみたら、元は「共同調和」だったらしい。性格や意見の異なった物同士が互いに譲り合って調和を計ること。とある。
 別に新しい解釈ではない。その通りだ。 あ、あ、午前3時が、、、あ、あ、あ、あ

 

 

2004年1月29日 (木)

素敵な日本語、愛くるしい!

 昨日別れたモーリーにぴったりの日本語を思い出した。「愛くるしい」これだ!なんて良い言葉なんだろう。あのこを表現するのにこれ以上の言葉はないように思う。、、、娘に言うと、孫ってそんなモンらしいよだと!分かってんならとっととお作り!だ。でも、外人の子供だからこその可愛さもある。3歳でもう色気があるんだもんなあ。

 本日は岡山シャンソン。世話人のMさんYさんとMさんのお宅でお食事を頂く。従って今夜のご帰還は午前様。でも今夜は中途半端でお腹空いてたんだよねえ。助かったあ。、、しか〜し、船の中で寝たらイヤリングの片方を落としてきたらしい。こないだ鎌倉で買ったばかりなのに、ショック!うかつだったなあああ、、、

 

 

2004年1月28日 (水)

一目惚れ、、、?

 世の中によくぞこんな出会いがあるもんだ。の初体験。たった二日間、まあ、最初の出会いを入れれば3日間だが、この短時間にあたしゃモーリーに一目惚れしていたらしい。本日午後の関空行きバスに送っていき、少しの時間を惜しんでひとしきり玉藻城で遊んだアト、いよいよ最後のお別れ。私がたどたどしく「私がおばあちゃんにならないうちに又会いたいね」というと、彼女の背丈にしゃがみ込んだ私に飛びついてきて、いきなりの頬ずりである。柔らかいその肌と巻き毛の感触。抱きしめると無くなりそうな身体が私の涙腺を刺激した。いくら我慢しようとしても涙が止まらない。母親のメリッサがバスに乗る前にもう一度さよならしなさいと言っても、彼女は全然振り向かない。父親が「彼女はとても寂しいんです」という。分かってます私も。と言いつつ彼らにも挨拶を。やがてバスが動き始めるまで窓際のモーリーが私をじっと見つめる。私は今まで誰とも経験がないくらい長い間見つめ合った。ついさっきまで公園の中を手をつないで走っていた私達。思いっきり小さい松ぼっくりをこれがモーリーと手渡すと、負けずに探してきて「MITI〜KO」と大きいのを渡す。充分とは言い難い会話の中で、笑い声に満ち、心と心で繋がった私とモーリーだった。こんな幸せをもらった私はなんて果報者か。きっと私は彼女のことを忘れないだろう。あの子は天使だったのかも知れない。

 

 

2004年1月27日 (火)

だめだ、眠い。

 最後の晩餐とかで、兎に角良くお呑み遊ばした。ただいま午前零時。普段ならへいきですが
今日ばかりは疲れた、


眠い

 

 

2004年1月26日 (月)

ほんに可愛いもんだわい。

 3歳の外人おしゃま娘が、ホントに可愛い。京都奈良を回ってこちらに来るまでに相当な人から可愛いを連発されたと父親は言っていた。食事の間もずっと目を離さないで暖たかく見守っている良きパパである。しっかし3歳は3歳。悪いこともする。レストランで走り回って観衆の注視の中を泳いで廻る。あたしゃそれを追っかける役目で、つかれたび〜!どうやら母親も疲れているらしく、別にその仕事を買って出ようとはしない。まあ、長旅の最終ラウンドだから無理もない。二人とも気持ちの良い人で、仲良くなれそうである。ふと、この3歳のやんちゃ娘が20年後に老婆になった私を訪ねてくるの図な〜んてものを頭に描いてしまった。いやあ、それはあるかもしれない。
 母親の実家のお母さんがイタリア人とかで、英語とイタリア語のチャンポンで話す。そのちびっ子もちゃんと両方はなせるし、香港語なんかも話すから凄い。将来はどんな女性になるんだろう。
 彼らは日本食は大好きで、何でも食べる。よく言われる生魚もたこも大丈夫。さて、納豆はどうだか、、、明日辺り試してみようかな?

 食べ物と言えば今回の上京で感じたのはホントにイタリア料理のお店がやたら多いということ。娘夫婦も何かと言えばイタリアンだ。日本人に合ってると言うことだろうが、なんだか異常な感じ。17日の「椿姫」打ち上げパーティもやっぱりイタリアンで、まあ、おいしいことはおいしかったが、ちと違う物も食べたいなあ、て感じ。、、こんなことぐだぐだ書いてる場合じゃない。明日の朝のメニューも考えなくては、、、。ちびちゃんがご飯が大好きで、パンとご飯とクッキーしか食べにぁと母親が悔やんでいた。おにぎりでもしてあげようかなあ?

 

 

2004年1月25日 (日)

それにしても、、、

 思い出すのは「あんずかれ〜」。解説は「アン疲れ〜」なのだが、娘にそう言うと「どうしても、あんずカレーに聞こえる」んだそうだ。いやはや、あの台風おばさんには参ったが、ナ、ナント「今度は桜の季節に行きたい〜」との電話があったのだそうだ!あたしゃ知〜らないっと。、、とととと言えたら良いんだが、これがきっと言えないんだよなあ。でも、今度はこちらも賢くなってるから、彼女に冷蔵庫を明け渡そう。寝床も材料を置いてお好きにどうぞでやって貰おう。たぶんその方が良いんだ。なにも彼女を嫌いというわけではないんだから。お互い無理をしない関係を作るべきなんだ!だ、だ、だが、明日我が家にお越しになる方々は、初めての四国、初めての高松、初めての我が家なんだなあこれが。てえことはあ、思いっきりお客さんになっちゃうんだよなあ今回も。ふ〜っ。一応ねぐらは整えたし、食事の段取りも済んだ。アトは思いっきり私の留守を汚してくれてる同居人の後始末をしなくては。、、だのに明日は朝からシェイクスピアとシャンソン教室なんだなあこれが。そのアトすぐに駅までお迎え。そうそう、英語の単語を思い出しとかなきゃ、、、全く一夜漬けの試験みたいだなあ。
 この元気を支えてくれてるのはあの上京の日々のご馳走のせいかもしれない。ふっふっふ。思い出してもよだれが出るなあ。あの最後の晩餐のイタリアンのおいしかったこと!鎌倉の路地の先、隠れ家みたいなたたずまいの古い日本家屋を改装した趣のあるレストランだった。踏み石に乗り、板の間に土足のまま上がる。しゃれた暗褐色のテーブルに着くと、ハムサムな若者がオーダーを取りに来る。物腰は柔らか過ぎず、乱暴でもなく、程よいムードの店にマッチした心地よい声。出てきた料理がこりゃあ美味!最近食べたことのないおいしさ。がやがやと入ってきたのが、どっかで見たことのある、芸能人かナンカ知らないが有名人。らしい感じ。華々しく食べのみ、語り合って居るソバを、我々も満足して退場。ヒンヤリした夜気がワインで上気したホホに気持ちが良い。枯れ木を上手く使った升目の庭を通り後ろ髪を引かれる思いで帰路に着く。いやあ、娘が運転してくれるとこんなに良いことがあったなんて!もっと早く気付くべきだったか。

 

 

2004年1月24日 (土)

予定通りご帰還の私。

 いやあ、チカレタビ〜。めまいがする。この1週間のハードスケジュール。あたしゃ何度も娘に言ったもんだ。「お母さんは歳なのよ。」と。しかしどうもいたわる必要を感じないらしく、歩くのが遅いとか、引っ張るのが重いとか、全く好きなことを言ってる。日々忙しくて、買い物をし残した為、婿殿に頼んで最後のショッピングに出かけたが、飛行機に間に合わないとイケナイとかで、「お母さん、ハイあと30分。ハイもう5分。」とうるさいうるさい。落ち着いて見ることも出来ない。これが自分で動いてないからで、全部相手任せ。まったく疲れる。、、、と言いつつも、まあ良くつき合ってくれた。きっと彼女も今頃疲れが出てるだろう。彼女もペースを乱されたんだろうから。私のために。
 この日記を東京で書くどころの騒ぎではなかった。まる1週間、消耗し尽くした。、、、が、おいしい物もたくさん食べたので、それで持ったのかも知れない。今回も口の端の「お食事ホクロ」が活躍してくれて、ホントに色んな珍しい物にありついた。こちらでは味わえない物が都会に集まってるなぁ。おいおいにここに書き留めておくとしよう。
 それはともかく、あちらで知り合ったカナダ人ご夫妻と3歳の可愛いお嬢ちゃんが何とうちにお泊まりしたいんだそうだ。ぎょへ〜っ!アン疲れから解放されたと思いきや、新たなお疲れの種がふって湧いてきた。明日から又たいへんだ〜!トホホホ、、。

 

 

2004年1月16日 (金)

いよいよ明日は東京。

 今度は長旅。今度もか。でも、純粋な旅とは行かない。色んな目的を持っていくのだ。その中の一つは、小濱妙美さん演じる椿姫。彼女からのメールに寄れば、相当ダイエットしたらしい。秘訣を聞かなくては。渋谷文化村のオーチャードホールだが、終演後に入り口の日比谷花壇?でも歌うらしい。これは楽しみ。どんな演出だろう。
 その日はカナダ人の熱海のお家にご厄介になる予定。何でも沼津に連れて行ってくれるらしい。先日はもてなした側だったが、今度はもてなされる。世の中こうしたもんだ。
 娘の高松公演の話しを詰めてくる必要もある。その演出家と会うために、公演中のお芝居も見に行かなくてはならない。
 私が上京すると言えば、是非いらっしゃいと旧友や知人が声をかけてくれる。有り難いが身体が一つ。不義理をしてしまう昨今である。若い頃は全部こなしていたんだが、、、。しかしそれでも会いたい人が居る。生活に疲れ切っているその人と、ゆっくり昔のように話したいのだ。出口を見失って家族に当たっているらしいその友人の愚痴を聞いてあげたい。そんなに頑張らないでも良いんじゃない?と肩を叩いてあげたい。おいしいお茶でも飲みながら。、、、都会で暮らすのはホントに大変なんだ。
 今回は息子の所にまで行けるかどうか?何だか水戸まで運転するのも大儀。娘一人の運転では心許ないしなあ。昨日だって、駐車場から出していてバコッっとタイヤのカバーを傷つけたらしい。車をとっても大切にしている彼が電話した娘に烈火の如く怒ったらしい。聞いているうちに逆ギレした娘が「なんでそんなに怒るのよ。私だって落ち込んでるんだから、そこまで言うことないでしょ!?アンタが以前こすって落ち込んでたとき、私は慰めてあげたの忘れたの?」「あ、思い出した。ごめん」「え?いや、あの、その、別に謝らなくても。謝るのは私なんだから、、、」「そや!なんで俺が謝らんといかんのやあああ!」とまあ、夫婦ゲンカは犬もくわん状態だったそうな。しかしながら、その日午前3時までバトルが続いたとか、、、ふ〜っ!あげく「こんこと、みっちゃんに告げ口してやる!」と彼が言ったそうだが、あたしゃとっくに知ってるんだなあこれが。やっぱり女が一枚うわてか。タハ。

 

 

2004年1月15日 (木)

旅は道連れ世は情け、、、。

 今年最初のシャンソン教室岡山。滞りなく終わり、フェリー乗り場でホット一息。待合室から出ようとすると、目の前を楽器を持った人が歩いていく。まさかなあ、と思いつつ、しかし後ろ姿が似てるなあ、と付いていくと、彼も私の視線を感じたのか振り返る。「あっ!」と同時に驚いて、「どうして?」とこれまた同時に指を差す。彼はマンドリン奏者で、私の番組にも何度か出て貰っている人。彼の開く牡蠣パーティに毎年呼んで貰っている仲だ。久しぶりだからと、帰路は寝るつもりだったが変更して向かい合わせに座り、近況を話し合う。彼は相変わらず超多忙。演奏会も頻繁にしていて、大体月1,2回だとか。多いときは毎週演奏会だそうだ。宇野はレッスンに来ているらしい。そこで、二人で盛り上がったのは、兎に角高松のホールの使用料が高い、ということ。彼に寄れば、東京よりも高く、使いにくさは日本一ではないか、ということ。やっぱりなあ。みんなそう思ってるんだ。その点玉野市は安いんだそうだ。これは考えないとなぁ。こんな事では文化芸術が育つはずがない。議会で進言して貰うしかないのかも、ということになる。
 そんなこんなで、あっという間の1時間だった。間もなく高松港というところで彼に電話が。暗い調子で喋る彼の様子に誰かが亡くなったことを知る。聞けば50代後半の人で、矢張り演奏家だそうだ。やれやれ、、、。最近彼が関わって出たCDを1枚購入。古賀政男メロディーを香川出身のソプラノ藍川由美さんが歌っていて、ウイーンで録音した物。彼はそのオーケストラ共々演奏側に廻っていたそうだ。
 旅は道連れだったなあ。

 

 

2004年1月14日 (水)

一日に一つ、、、、

 一日一善、昔道徳の時間に言われたこと。今の私は一日に出来ることが一つ。て感じ。これが善なのか何なのかよく分からないが、兎に角集中出来るのが一つ。、、、だのに、無理してしまうのだ。今日は娘のお芝居の打ち合わせに主要人物にお目にかかる。なかなか思うようにはいかない。、、、が結果はまあ、一番良いとは行かないまでも、二番目くらいの所に落ち着いたと思う。あとは上京して、演出に会い、話しを詰めること。一つの公演を打つには相当のエネルギーが要る。ストレス太りにならないように気を付けようっと。

 昼間は吾が母を訪ねたいという幼なじみ親子の運転手を務める。彼女は伊丹に住んでいるが、昨年父親を亡くし、残された母親を月一の割で見に来るらしい。しかし月一ねえ。耳も遠くなり、時々別の世界に行ってしまうらしいその母親を、全くの一人暮らしのままマンションに住まわせて、良いのかなあ?

 

 

2004年1月13日 (火)

息子の結婚?

 お正月に帰っていた息子が、又ご帰還。何事かと思いきや、彼女の成人式に合わせて、どうやらあちら様に「結婚を前提にお付き合いをさせて欲しい」と申し込みに行ったらしい。こちらは事後報告である。まあ、常日頃、自分の人生は自分で決めなさいと言い続けてきたから、今更何も言えない。どうぞお好きに、と言うしかない。それで良いのだが、一抹の不安を覚えるのも事実。恐らくこの感情は吾が親たちも同じように感じていたに違いない。時代は巡る。

 ところで、今日のニュース番組で、迷子になった白鳥が死んだと報道されていた。迷子の鯨は無事保護されて海に戻っていったとか。、、、おとといの日和佐小旅行の帰りのこと。我々の車のすぐ前を一台のトラックが。その荷台には顔をこちらに向けた一頭の馬が乗っていて、それに気付いたみんなは興奮状態。一番前に席を陣取っていた私は写真係。次々と廻されるカメラや携帯写真機で、お馬さんの顔写真を撮る。こちらの車が近づいて私がベロベロバーをやると明らかに反応してくる。それが面白くていつまでもやっていたら、さすがにみんなから奇異の目で見られた。そりゃそうだ。車中で起きていたのは、その時だけで、あとはぐっすりオネムノワタクシ。そりゃ変だわ。、、、そもそもあたしゃ昔から動物好き。テレビも動物番組は楽しくて仕方がないのだ。このお馬さんはテレビよりは臨場感があり、こちらの動きに大きな目で反応してくれるからたまんない。いやあ、良い旅だった。?

 

 

2004年1月12日 (月)

若いって、良いなあ。

 今日は高松成人式。参加の可愛い子の着付けをさせて貰ったが、いやあ、一番きれいなときかも。母親からのお下がりを着る人も居て、これがケッコウ良い感じで、これぞ着物の良さだった。
 夕方はシャンソン教室のあと、そのまま生徒さん達と、「ミュージカルの世界」というコンサートに出かける。ちぇちのメンバーが出演。しかもダンスを踊ると漏れ聞いていたので、ぜひ行かねばと思った訳だ。私自身ミュージカルに関わってきて、ダンスか歌かはたまた芝居かとその重点の置き方に試行錯誤の日々だったが、今日のはその疑問に一つの回答を見せてくれた。結論。ミュージカルは矢張り歌が一番。そして、その歌にオペラもミュージカルも違いはない、ということ。彼らがオペラのアリアを歌うようにのびのびと歌ってくれたのはホントに良かった。まあ、中にはダンスに気を取られてヤバイ場面もあったが、全体として良くやってたと思う。構成も無難にまとめてあり、ダンサーの助けもいやらしくなくあり、好印象を持った。そして集客にも相当頑張っていた。テルサは立ち見状態。あれならやる気も出ただろう。
難を言えばマイクだなあ。あの会場ならナマ声で大丈夫だったろうに、、、。音響はちゃんとしてあり、気分が悪いと言うほどの物でも無かったが、機械を通した音の特有の歯が浮く音が気になった。ダンスをしながらとなると仕方がないのかも知れないが、みっちゃん的にはイマイチ。短時間で良くあれだけの事が出来たものだ。若いって素晴らしい。(中に若くない人も一人二人、、、)
 終演後一番に飛び出して、おんなの祭典企画会議に参加。モデルがほぼ全員集合していたが、さすがに若い人はみんな168−175�pの長身ばかり。それに引き替え中年組は申し合わせたように背が低い。私の書くべき台本も、おのずと配役が決まろうってモンだ。若い人は寡黙で、中年組はぺらぺ〜ら。すぐに話しが脱線する。時間なんか永遠に在るみたい。その点若い人達はそそくさと帰路に着くなあ。今のところ決して溶け合わない水と油の関係か。お互いが歩み寄ってくれればいいなあ。3月3日、あっという間に来るだろうなあ。
 

 

 

2004年1月11日 (日)

作戦成功!

 今日の日和佐小旅行は、絶対寝るぞと決めて出かけた。で、バスに酔いそうを理由に、運転手の隣、一番前の一番広い見晴らしの良いところに席を陣取る。陽は燦々と降り注ぎ、眼前を飛ぶ風景は輝き、後ろに居る20名ほどの人達と隔絶された空間を確保した私は、その席の本来の恩恵を殆ど満喫することなく、座った途端にひたすら睡魔の思うがまま。目的地に着くと、バチット目を開けて、どんどん歩き、寺の石段も登り、お線香も焚き、お参りもし、今年の年女の為にお守りなんぞも買い、バスに帰ると誰よりも早く帰ったモンだ。ところが、男性が「みっちゃん、余りに早すぎるよ。ちゃんと上まで登ったのかい?」というので、よく聞くと、なんてこった!肝心の自分の年齢の厄よけ階段をすっ飛ばして下りてきたらしい。だからって、もう一回登る気にもなれず、「残したところは、又母を連れてくるわ」な〜んて、いつのことやら。
 で、次の鯖大師本坊には驚くほどの数の仏像やその絵姿などがあり、信心してるわけでもないのに、お賽銭を上げ、有り難い砂の上を歩き、殆ど意味不明のなんとかかんとかそわかなんて言葉をなぞって歩き、殆ど全てを見て回ったとき目の前にきれいそうなトイレがあったので、しばし拝借。出ようとすると「はすいさ〜ん」という聞き覚えのある人の声。「なあにい?」とのんきにぬっとドアから出ると、同行の友人二人がギョッとして「だいじょうぶ?」と駆け寄る。何が大丈夫なのか分からない私はキョトン。聞いてみると、みんなはもうとっくにバスにお帰り遊ばしていたのだった。私が余りにバスの中で寝ていたもので、てっきり具合が悪くなって、どっかで、例えばトイレでぶっ倒れているのでは?と心配してくれたらしい。しかしあの膨大な量の仏像を見るのにそんな短時間でどうやって見たの?みんな!とこっちがびっくり。いやはや、いつも浮いてるなあ、私は。
 で、次はおまけで大浜海岸へ。これ以上は考えられないくらい細かい砂を踏みながら水際まで歩く。広々とした入江は如何にも大亀の産卵を受け入れるにふさわしい場所だった。今日の運転手O君の話では、夏のある日、卵が孵って小さな亀がぴょこぴょこと一斉に歩き出す姿が見えるそうだ。今日はせめて、卵のような石をひらって帰った。
 帰路は又しても熟睡爆睡。ほとほとみんなに呆れられた。でも気持ちよかったぁ。なんだか元気が出てきたなあ。やっぱり寝るに限る。

 


 

 

2004年1月10日 (土)

声のことなど。

 夕べは演奏会の後、そのまま帰りたくない人達との食事付き語らいに時間が矢のように過ぎ、帰宅は午前様に。演奏会の興奮を記録しようとパソコンの前に座るも、どどど〜っと疲れが出て、数行で止めざるを得なかった。イギリスからのお客様ANNEが目出度く3時のバスで大阪へ移動されたので、ほっとして気がゆるんでいるのもある。今頃はあの調子であっちこっちと飛び歩いて居るんだろう。まるでヒッチハイクのような彼女の旅。つくづくうらやましい。私より4歳年上なのに、まるで行動力がある。よく飲みよく食べ、よっくしゃべる人だったなあ。お陰で少しは吾が側頭葉も成長したか、、、。ハン。
 彼女にニューイヤーコンサートで歌って貰おうとしたが、拒否された所を見ると、声を無くしたのかも知れない。そういえば時々喋る声もうんと低くて、聞き取れなくなることがあったなあ。夕べの娘の話では、声というのはその人の8割(だったか?)を決定する要素だというのだ。いやあ、そうかもしれない。私達夫婦が声に敏感な暮らしをしてきたためか、娘も矢張り声を買われて次々とオファーがきているようだ。本人はシャンソンが好きで、そのせいで、しゃがれ声に憧れてるが、どう聞いてもストレート。まあ、神からの贈り物だろうに、贅沢言ってる。
 今日はちぇちぃりぁの「核」となる会議を我が家で。様々なことが決定された。次回のオペラ公演も決まり、いよいよ今年も忙しくなるなあ。身体がもつかなあ???明日は早起きして、日和佐へミニ同窓会。バスで寝るつもり。寝かせて貰えればの話しだが、、、。

 

 

2004年1月 9日 (金)

歌は楽し、疲れも吹っ飛ぶ!

 今年初めての演奏会が、こんなに素晴らしい声で始まるのはホントに有り難いこと。疲労困憊状態でギリギリに到着したため、いつものように最初は寝てしまうだろうと思いきや、福井テノール高橋ソプラノの熱唱に寝るどころではない。「声」を全く意のままに操り、これでもかと歌い上げる。人の声とは不思議な物だ。たまたま娘からの電話で、これから毎月朗読劇にとどまらない、語り部をやることになったらしい。その仕事をくれた劇団の幹部俳優がチラシに「声」の事を書いてあると知らせてきた。

 だめ、もーうだめ。つづきは明日。

 

 

2004年1月 8日 (木)

ありがたや、ありがたや

 吾が息子の贈り物、マッサージ機が大活躍。ANNEとの最後の晩餐とあって、張り切って夕食の準備をしたため、疲れが倍増。夜の更けた11時頃にはぶっ倒れるかと思ったが、「しっかりコース」というマッサージのコースで今までやっていたら、なんだか嘘みたいに良くなった。これはホントにワンダフル。このまま寝て、、、、明日は彼女が最後の滞在となる。
 

 

 

2004年1月 7日 (水)

ガラガラ声でFM

 パワーのあるOさんがお相手でホントに良かった。もう喋りにくくて、2本録りは大変だった。途中で頭が働かなくなり、笑うべきでないところで笑ったような気がする。チェックして貰おう。これがホントの録りはじめだから、全くやんなっちゃうなあ。今年も ろくな事がないかも知れない。
 これって、風邪かな?ANNEに伝染さないようにしなくっちゃあ。明日が最後の日だ。

 

 

2004年1月 6日 (火)

ハッピーバースディ

今日はANNEの誕生日だった。というのが、彼女のアフリカからの友人のEメールで明らかになった。なにしろ、パソコンの使い方は私の方がましな状態だから、悪いと思うも、覗いてしまうのだった。でも、あれだけ大声で叫ばれたら、何事かと見に行くのは当たり前。ほんにまあ、あちらの方はアクションが大きいなあ。
 アルコールは控えめにしているらしい彼女に、先ほどワインで乾杯を強要したが、とっても喜んでいたところを見ると、一応気を遣っているのか?しかも、私が気の利いたことを言おうとして、「貴女はとてもその歳には見えない」と言おうとしたら、どうやら私は私は見えないと言っちゃったらしい。ハハハ。ワケワカメ。
 息子が彼女よりもアトに家を出たが、彼女が帰国したアトは、突然夫婦だけになる予定。しばらく辛いかも知れない。辛いだろう。

 

 

2004年1月 5日 (月)

本日は晴天なり、、、

 歌い初めのニューイヤーコンサートが、ささやかながら歌のソリスト8名とピアニスト2名により繰り広げられた。それぞれに力の入った舞台だった。フランス人R君が今の住まいにピアノがないので、練習が出来ないとこぼしていたなあ。可哀想に。同じくソプラノM嬢はマンションで一声出しても怒鳴りこまれる環境にショックを受けていたなあ。みんなそれぞれ苦労があるんだ。
 あたしゃ大変お疲れモードで、そもそもフランス人ご夫妻をお迎えに行く辺りから、その兆候が、、、。電話番号のメモは無くすわ、待ち合わせ場所は間違うわ、、、あ、これは正常なときも同じか。ともかく、司会をする元気もない。そういってお断りすると先生がすんなりやってくれた。察してくれたらしい。年始めからこんなに疲れていて良いのだろうか?、、、と思うも、内側から何だかじわっと湧いてくるエネルギーを感じる。目の前ににんじんをぶら下げられた馬のように、、、。これが私なんだ。そう、死ななきゃ治らない。というのも、娘の「一人芝居」凱旋公演が実現することになり、いよいよ本格的にこの私が、動き始める必要があるからだ。東京公演のあと、そのままこちらに移動するというのだ。早速本日演奏会アト、駅まで参加者をお送りしてから、会うべき人に会いに行く。その人も地元出身の役者の公演とあって、色々力を貸してくれる。有り難いこと。さあ、どんなことになりますか。ふ〜っ!間違い、ヒヒ〜ン!

 

 

2004年1月 4日 (日)

やけくそパーティ

 もう矢でも鉄砲でも持ってこい!て感じ。本日もラオスからのお客さん共々総勢13人の集まりとなる。まあ、食べることもなおざりには出来ないが、おしゃべりに兎に角気を遣う。こちらの言葉を何処まで理解して貰えてるか、または誤解を生んでないかと気になるのだ。それにしても本日のニューゲストは4ヶ月しか日本に居ないのにとっても日本語が上手。英語はペラペ〜ラ。訊いてみればなんでも政府高官の秘書で、外務省の派遣で来日しているらしい。なかなか控えめながらハッキリしていて好感が持てた。
 しかし今回のアンの来日で最高の私への贈り物は「主人の調教」だった。何と、食事が終わるとあの主人がいきなり後片づけを始めたのだ。パフォーマンスだ、今日だけだと言ってるが、まあ、そうすべきなんだということを、身体で理解したらしいのはケッコーでした!てとこ。

 明日はホームコンサートだが、眠い!歌えるかなあ?午前1時か。お風呂に入って、、、あああ、、、

 

 

2004年1月 3日 (土)

年賀状、、、

 まだ1枚も出してない。山のように届く他人様からの賀状を横目で見ながら、雑用に追われている。今夜こそ、なんとしても書いてしまおう。でも何でこんなに埃がするのか?なんでこんなにゴミが出るのか?家族が増えて洗濯物も倍増。食べたら後かたづけ。気がつけば花が水を欲しがって萎れて居るではないか!そうだ、Aさんのバスチケットを買い忘れてる。、、、今夜はこの全てを忘れてぽかぽか温泉へ。可愛いモンだ。母を連れて行ったら、当然元旦の正月礼の時の話しになる。驚いたことに母がAさんの事を「可愛い人だね」「日本人より気がつくね」といたくお気に入り。外人アレルギーだった人が、どうやらその点治癒したらしい。それにさすが女性同士。母が彼女のことを「あの人はまつげが黒々としてたけど、あれは炭を塗ってるのかなあ?」と私に言えば、帰宅したAさんも「みちこの母は肌がきれいで皺がなかった」と感想を述べる。いやはや女性美の美的感覚は世界共通なのだ。ハ。

 

 

2004年1月 2日 (金)

「歌会」

 本日は県内外から集まった「青風会」の人達と、4時間のディスカッションのあと夕食、二次会とあり、濃い一日だった。
 人が違えば詠む歌も違うし、解釈感想も十人十色である。どれが正しいというものでもないだろうが、色んな意見の中で見えてくるものがある。これは、声楽を勉強しているのと同じ様な気がする。兎に角自分の声という物が絶対に自分には分からないものであるように、短歌も自分の概念の中に入ってしまっている限り、その歌の真価は分からないのだ。「声」を磨くように「短歌」を勉強していく中で、徐々に客観的に自分の歌の評価が出来るようになるのではないか?これがキャリアなのだろう。「分かったような気になる」という危険を、この「歌会」は教えてくれる。

 若い頃は友人とよく文学の話しもし、議論を闘わしたこともあるが、いつからかとんと縁遠くなってしまっていた。ここに来て、文学の話が出来る人達と巡り合わせてくれたのは、感謝のほかない。シェイクスピアの講座は18年ほど参加してそれなりに文学に接してはいるが、この生活感のある短歌文学は身近であるだけに面白い。無理矢理引っ張られたのだが、しかも余りに不真面目なのだが、この短歌との出会いは私の人生の素敵な彩りとなっている。

 帰りの電車で、「うちの息子が彼女とデートなのよね。まさか乗ってこないわよねえ」といった途端、まさしく今、座席に腰掛ける息子発見。「来た!」と思わず叫んでしまう。全くの偶然である。敵もギョッとしてこちらを見て驚いている。こんな事って在るモンだ。ハハハ。いやいや親子の縁は濃かった!

 

 

2004年1月 1日 (木)

この日のこと。

 年の初めと思い、かなり長いのを書いたのに居眠りした途端どっかに触って全部消えてしまったみたい。、、、この日の出来事が今年1年を象徴するという話しを永年両親から聞かされて育ったワタクシとしては、かなりショック!これを占うとどういう事になるんだろう。今年も遅くまで起きて、寝不足でぼ〜っとして、いい加減な事どじな事をやり続けるということか?
 もう一つ言われていたのが、初夢。正夢逆夢と、良い夢悪い夢に名前を付けて1年を占ったもの。しかし、、、、夢がどうしても思い出せない。なんだかとってもアドベンチャーの余韻が残る夢だったが。

 この日の吾が実家での恒例の正月礼にAさんを連れて行く。まさか母が連れてくるようにと、言い出すとは思っても居なかった。外国人アレルギーで、とっても人見知りする母。まあ進歩したモンだ。何度か我が家で色んな国の人と接触してきて、少しは免疫も出来たのだろう。
 食事会は和やかに落ち着いた雰囲気で進行し、笑いの絶えないものとなった。それというのも、ぴったりと私の日常を見ていたAさんが、日本の男性の封建制を指摘。貴男は廸子を助けるべきだと主人に向かって詰め寄り始めたからだ。いくら主人が弁明しようと、しっかり見てしまった彼女は自分の感想を変えることはなかった。おまけに実家の我が弟は、これまたよく動き、奥方の手伝いをまめにしているから、尚更主人の旗色が悪い。、、、この日の一番の収穫だったか。

 

 

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