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2003年11月

2003年11月30日 (日)

シチリアの夕べの祈り

 日本初演の琵琶湖ホールのオペラに、小濱妙美さんが主役で出演された。「完売御礼」の張り紙を尻目に会場に急ぐ。2000席が完売とは、大したもの。16,000円なりの座席は、舞台を正面に見る一番後ろの席。しかし、そんなことは忘れさせる声量だった。テノールがちょい疑問だったが、バリトンもバスも聴かせどころがあって、全員日本人のオペラにしては圧巻だった。コーラスがざっと数えると80人くらいか。オペラグラスで見ると、ホントに一人一人が生き生きと演じている。あとで小濱さんに訊くと、みんなソロが出来る人ばかり。あの森田君も、妹尾くんも、居た。二人ともちゃんと別なオペラでソリストをやっている人達なのだ。この作品は特に合唱の見せ場が多く、全体の構図も合唱がうまく配置されて素晴らしく分厚いステージとなっていた。日本も、ようやくここまで来たかと思わせるこの舞台に、バレリーナが華を添える。それも
延々と。男性のソロダンサーが素敵だった。全体の衣装があか抜けて良いなあと、感心していたら、あれは全てイタリアからのもの。頭のてっぺんから、つま先までだそうだ!
 全てが終わりカーテンコールで、一番最後に登場して一段と大きい拍手を受ける小濱さんに手が痛くなるまで拍手した。いやはや、こんな時は矢張り鼻高々になるもんだ。香川の誇るこの歌手を、地元が応援しないでどうする?て感じ。楽屋に押しかけてあれこれ質問攻めに。彼女がこの公演で一番気を遣ったのはチームワーク、と聞いて納得。そうなんだ。全員が同じ方向を向いてないオペラなんか、絶対面白くない。我がちぇちぃりぁも、大いに参考になるではないか。
 
 それにしても琵琶湖ホールは良い。彼女も毎朝琵琶湖のソバを、ホテルから劇場に通うのが何より幸せだったとか。、、、良いなあ。ホントに良い人生だなあ。、、、彼女は勝ち取ってきたし、これからもそうし続けていくだろう。その前途に光りあれ!と祈るしかない。琵琶湖の夕べの祈りだった。

 

 

2003年11月29日 (土)

世はカルチャーブーム

 本日は瓦町のカルチャースクールの発表会であった。我がシャンソン教室も参加して、華を(!)添えた。ハズ。
 それにしてもなんとたくさんの教室があることか。丁度、詩吟の方が歌ってらしたが、余りにお上手で、朗々としていたので、たまたま来ていた友人に訊くと、全国的に有名な方だとのこと。納得。フラダンスも拝見したが、この手の踊りは流行るだろうなあと、思わせる要素があった。中には硬い人も居たが、あのの〜んびりした動きは、何でもオーケーの気分にさせてくれる。かねてから噂を聞いていたうちの近所の団地の奥様方がうち揃って出演していらしたのには驚いた。みんないい顔して踊っていたなあ。しかし、「あの人又お店休んでこんなとこ来てるわね。ひそひそ」、、、があったに違いない。ま、今更良いけどね。

 シャンソン教室の連中も又一つ伸びてくれた感じ。矢張り舞台で歌うことが一番。「恥をかきたくない精神」は、何よりの指導者だ。出る前はもう舞台はごめんですと言ってた人達が、「次はいつあるんですか?」ときたもんだ。飛躍的だったのは、ずっと以前、最初のステージで泣きながら歌った人。別に感情移入で泣いたわけではない。歌詞を忘れた、声が出ない、歌えないというものだった。ところが、あれから1年。別人のように声が出るばかりか、音程もしっかりして、堂々としている。、、、こうして成長していく人達を見るのはホントに嬉しい。、、、が、終わったときは私は汗だくだった!成る程先生家業というものは気疲れするもんだ。
 あとの打ち上げはみんな気持ちよく呑んで食べた。中の一人が「出会いってホントに不思議で、楽しい物ですね」と言い出されて、全員深く頷く。その通り。こんな事が無ければ、一生お会いしない人達ばかりなのだ。私はいい人に恵まれている、と改めて胸が熱くなった。

 さ、明日は琵琶湖。朝早いんだよなあ。

 

 

2003年11月28日 (金)

又やっちまった!

 予約時間を忘れてた訳じゃないんだが、この天候で、むちうちが出て、ベッドに押しつけられ状態でぐずぐずと起きられない。兎に角ギリギリまで横になっていたが、こりゃあまずいと意志の力で起きあがり着替えていたらピンポ〜ン。どどどっと階段を駆け下りるも、お客さんは道路をお渡りに、、、「すいませ〜ん」と呼び止めてそのまま仕事に突入。お客さんの体内時計はホントの時刻より速めに動いて居るんだ。心せねば。ふ〜っ。

 明日明後日と私の自由が利かないモンで、母が買い物に連れてってくれと言う。その理由が、先日お付き合いで買わされた洋服が、おばあさんみたいな柄で気に入らないと言うのだ。言いながら自分でも笑っていたが、84歳なら充分おばあさんだろうに。でもって、買ったものが、膝までチャックの付いたズボン(足ツボマッサージ用)となが〜いパンティ。おいおい、ちっとも若い買い物じゃないじゃんと内心思うも、口には出さず。まあ和やかに1時間ほどを過ごす。これで来週まで持つだろう。あたしゃ、明日はシャンソンの発表会。明後日は琵琶湖ホールで「シチリアの夕べの祈り」観劇予定。あの小濱さんが歌うのだ。今回のオペラはバレーシーンが一つの見せ物らしいからそれも楽しみ。何よりあの素敵なホールに行けるのが嬉しい。高速バスで京都を往復する予定だが、上手く眠れるかな?(寝るつもりだ)ほぼ満席らしいが、インターネットで予約出来た。全く便利になったもの。これからコンビニに入金だ。今日中ということはあと15分しかない。急ごう。

 

 

2003年11月27日 (木)

参った!

 さすがの私も睡眠不足で、本日のFMは瞬間寝たかも知れない。オンエアは昨日の会議に出ていたT先生と「睡眠不足ですう」の合唱から始める。でもまあ先生の方は言うべき事が山ほどあったので、寝るわけにはいかない。私は時折襲う睡魔に抗うも時折す〜っと音楽から遠ざかる。いやはや、参った参った。全面的にお任せしても大丈夫だったろう、本日は。T先生すんまっしぇ〜ん。
 帰りに友人宅に寄り、しばしの四方山話。彼女がこともあろうに「心理学に凝っている」とのたまう。今まで殆ど文学書も読まず、いきなり哲学と心理学に興味が湧いたというのだ。図書館から5冊も借りてきていて、つい1冊借りて帰る。ユングなんだが、私の場合、この本が睡眠薬にならないように、、、、願うばかりだ。が、本の最初のページに「フロイトの時代は性の話しをする学者は顔を赤らめたが、現代は魂の話しをする学者は顔を赤らめる」とあってなかなか面白い。確かに性の話しで顔を赤らめる人は少なくなった。(程度にもよるが)特に若い人は平気なような気がするが、、、偏見か。
若い人といえば、大江健三郎氏が渋谷で若い女の子達にインタビューしてやたら感動していたが、流石あの方の感性は凄い。表面ではなく、内面を捕らえる力が優れているなあ。

 明日は晴れるかなあ?
 

 

 

2003年11月26日 (水)

今日もようやく終わった。

 本日はちぇちぃりぁの会議をナンと8時半から開始。途中から遅れてくる人も居て、クリスマスのチラシ作成班の作業と同時進行の会議は、午前0時半まで続く。兎に角舌とか口腔内の調子の悪い私は、喋るのもしんどい。喋っても食べても痛い。食べなくても良いが、どうしても喋らなくては事が進行しない。公演と同じで私の体調なんか言ってられないのだった。
 まあ、会議した意義はあったと思う。余りに忙しいみんなに遠慮して、出来るだけ会議をせずに事を済まそうとしてきたが、これからは、もっとどんどんこんな機会を持つことにしよう。少しずつ重荷を下ろさせて頂こう。身体はおっきくても、腕力は意外と無い私が、ちぇちぃりぁ
の中で大きな荷物を背負い込みすぎていると思う。みんなで考えてみんなで運営していけば良いのだ。事務局が交通整理だけで良いとしたら、こんな気楽なことはない。
 本日購入の口内炎用の薬はホントに効くのかなあ?Mariさんが教えてくれたのは無かったが似たような物を買ってきた。とにかく試してみるほか無いが、何かと言えば副腎皮質ホルモンというのも気になるなあ。ま、長く使わなければ良いだろうが、、、。
 そう言えば一昨日買ったばかりの財布を盗られて落ち込んで電話してきた大阪の友人が、中身はないが、財布だけは出てきたと嬉しそうに電話してきた。それというのも会社に入るときのセキュリティカードが入っていて、それが大問題になっていたんだそうだ。まあ出てきてホントに良かった。3万円なりは諦めるほか無いが、これで週末の琵琶湖ホールのオペラが落ち着いて見られるというもの。
 ほんとに長い一日だった。

 

 

2003年11月25日 (火)

みっちゃんはお疲れモード

 異常な肩こりと、舌の横があれあれ、遂にマッサージ師に来て貰った。さっきぽかぽか温泉にも行く。少しからだが柔らかくなったかも知れない。今のうちに寝た方が良いのだろう。
 今夜は落語ペレッタ「長短」をうちで練習した。一つの物を作り上げる喜びは、つらさを忘れさせる。出演者達もお尻に火がついてきたようだ。少し光が見えて来たか、、、。キャストが変われば作品の雰囲気も変わる。面白い物だ。
 ただ今得体の知れない飲み物を主人が持ってきた。ただただ酸っぱいのだが、ソバはちみつと黒酢とナンとかをブレンドしたんだそうだ。混ぜれば良いってモンじゃないんじゃないの?とのど元まで出かかるが、ぐっと我慢。ありがた〜く頂いているが、すっぱ〜い。何でもかんでも混ぜるのが大好きな主人が今お気に入りのブレンドなのだ。、、、あたしゃ寝たら治ると思うんだけどなあ。これで明日治ったら、このへんてこりんな飲み物のお陰って事になるんだろうなあ。ま、いっか。

 

 

2003年11月24日 (月)

てんやわんや

 まずは夕べの続きから。映画を見たあと駐車場まで歩いていく。向こうから何だか見たような人が歩いてくる。あ、Kちゃんだ!少々立ち話のあと別れたが、ぎゃっ!私の車の前に違法駐車の赤い京都ナンバーの車が!慌てて引き返してKちゃんを呼び止め、夕食につき合って貰う。といっても、うどん。でもまあ、約1時間は時間を稼いだだろう。戻ってみるとまだその車はそのまま。困って、近くの飲み屋さんや焼鳥屋さんに、持ち主が行ってないかを訊ねるもいずれもペケ。困って思案に暮れていると、その焼鳥屋のおっちゃんが出てきて、「あんた、110番するのん気がとがめるんやろ?」という。そうですねというと、あっさりじゃ僕が電話してあげる、と言ってくれて間もなくお巡りさんがやってきた。何でもお巡りさんが認知して10分間は動かせないのだそうだ。しか〜し。ことはそれだけでは治まらなかった。日曜日故、レッカー車が動いて無いというのだ。なんてこった!ケーサツも日曜日があるんだ!その京都ナンバーの車はラッキーなことだ。少なくとも持って行かれる心配はないって事。じゃあ、私はどうなるんですか?とお巡りさんに聞くと、「このまま相手が帰るのを待つしかないですねえ」だと!じゃあ、いつまで待てばいいか分かんないじゃん!?と途方に暮れて、、、、まず娘に電話。「お母さん、今メチャクチャヒマなんだけど、、、」次ぎに大阪の友人に「ちょっと聞いてくれる?」、、、などやっていると約1時間という時間が過ぎる。すると帰ってきた!けしからん君はまだ若い二人組。T字に車をを寄せている私に向かって「ごめんね!」だって!そのまま行こうとするからナンカ言ってやろうと思うも、その狭い駐車場は車2台並ぶとドアが開かない程狭かった。結局ドアを閉めて窓を開けて文句の一つも言おうとしたら、敵は脱兎の如く行っちゃった!ぐやじ〜〜〜!地団駄踏んでいると、事の一部始終を見ていた、側のホールの撤去作業をしていた舞台の人達が同情してくれた。「ありゃあ、ないよなあ」そうだよ。お詫びのしようってものがあるでしょうに!ったく、きょうびの若いモンは!て言葉がつい出ちゃうんだよなあ。2時間だから、何千円かで済んだ駐車料金がその人は1万円以上の罰金を払わされるだろうが、それにしても余りに非常識。大大迷惑。プンプン!

 さて、本日ははるばる徳島まで「カルメン」の観賞に。徳島にはオペラ協会がいくつもあって、とても盛んなだけある。会場も良いところがあるなあ。最初から、恐らくカルメンが期待はずれではないかと思って行ったが予想通り。矢張りとっても難しいのだ、あの役は。ホセはちぇちでも飛び入りで歌ってくれたY君だったが、なかなか佳い響きを出していた。ただ、この役をやるには余りに若い。屈折していく伍長の苦しい胸の内を表現するまでには至らなかったようだ。カルメンを愛していながら殺さずには居られない心の葛藤を、歌で表現するなんざあ、至難のワザ。音符通りに歌ってもそりゃあダメ。声がよけりゃあ良いてモンでもないのが、オペラの難しいところ。しかしまあ彼の年齢にしてはきちんと歌い演技して、優等生を演じた。彼に深みと幅が出てくれば、素晴らしいテノールになるだろう。これからも注目していきたいもの。
それにしてもこのオペラほどコーラスの力が問われる作品もないと言っても良いくらいだのに、さっぱりダメ。兎に角声が前に出てないばかりか、オケにきちんと合ってない。50人は居たかと思われる人数だのに、これは一体どうしたわけ?演技指導もイマイチのような気がした。一人4000円は先日の「こうもり」と比べて、チト高いような気が、、。総合芸術オペラの大変さが又しても身にしみた。大道具から始まり、照明コーラスソリスト楽団衣装その他諸々が全部一体となって初めて完成するものだからホントに大変。大変だからやり甲斐もある。個人プレーじゃないから客観性が問われる。だからこそ自分を磨く格好の場所とも言える。
 表に出たら大雨。行きは良い良い帰りは怖い、、、迷子になった。色んな人に道を尋ねて、ようやく板野までたどり着きナンとか帰ってきた。やれやれ!!!ちぇの練習にはチト遅れたが、まあ、よそを見るのは勉強になる。本日、会長の指導がいつになく熱心で充実していたのも、その辺に理由があるような、、、。ふっふっふ。

 

 

2003年11月23日 (日)

マリア・カラス

 仕事を終えて、今夜は呑み会だという主人を乗せて町中へ出たついでにかねてから見たいと思っていたマリアカラスの映画に行った。この手の映画だから誰か知人に会うかも知れないと思っていけば、案の定声楽家Kご夫妻にばったり。ご挨拶しながら、化粧もせず、普段着のまま飛び出してきたことを悔やんでいた。結局お隣の席で観賞となる。
 内容はフィクションで、こんな事があったらいいなあ、と思わせる物。しかし最後には女優の顔がホントのカラスように見えたから不思議。劇中劇の「カルメン」の場面が面白かったなあ。

 表に出て、Kご夫妻とお別れしたら前から知ってるお方が歩いてくる。
猛烈に眠い。、、、このつづきは明日。

 

 

2003年11月22日 (土)

疲れの極致!

 さっき呑んだワインが強烈に効いてきた。余りの疲労のせいだろう。とおっととねるべえ。
 
 今日はCantiamoの会でたったの1曲歌ったのだが、一度もピアノ合わせをしてなくて、直前にレッスンと合わせをやってもらった。この直前のレッスンを前回も止めようと思ったのに、又時間が無くてやってしまった。直前というのは百害あって一利無し。歌はハートで歌うべきが、テクニックばかりが脳裏を駆けめぐる。イコール自分の声を聴いてしまう。イコール反省ザルよろしく、声も何もかも消極的になる。、、、というわけだ。せめて1週間前にやっといて、アトは自主連の方が上手く行くのではないか?熟成期間ということだ。このリベンジはクリスマスコンサートで、、、!

 反省してもすぐ忘れるバカな私なんだが、今回こそ、覚えておくつもり。「歌は贅沢な物」「呑んで食べて寝て」ゆったりとやるべき物、なんだが、全然ダメ。今日は丸亀の猪熊源一郎回顧展のレセプションに行って来た。ナンとしても4時までに帰らなくてはならず、絵の方は充分観賞出来なかったが、具象が力強くて驚いた。晩年の枯れた優しい絵をたくさん見てきたので、これらには圧倒された。一巡して帰路に着くも予定時間より20分も遅れている。ということは帰りも高速である。運転していて、途中で眠くなり、ガムを噛んだり、カセットのボリュームを一杯に上げたり、頭やほっぺたを叩いたり。思いつく限りの眠気覚ましをやりながらの運転だった。あの珈琲はカフェイン抜きだったのか?

 昨日のテレビの血液型占いで、「思いがけなく古い友人に会う。」というのが出て、へ〜そんなことあるかなあ?と思っていたら、1日遅れで本日メチャクチャ珍しい人と再会した。15年も前に市政100周年記念事業のミュージカルに一緒に出ていたSさん。某大学の先生だ。たまの便りや賀状には毎回「いつか一緒に呑みましょう」と書くのにお互い多忙で全然実現しない人。しばらくおしゃべりして楽しかったが、お陰でギリギリの時間に帰ることに。
 この駆けつけというのがよろしくない。、小次郎とむ差しのっけっとうみたいな

 

 

2003年11月21日 (金)

なんともはや

 トルコのイスタンブールがテロ騒ぎ。この前の日記に「ぎゃ〜っ」と書いた時、消えてしまった文章を突然思い出した。あれはあの日大阪の友人が電話で、「あんさん、今日NHKの全国放送で、FMマリノが出るそうやけど、出演すんの?」という内容。んなわけないやん、と言いつつ聞いていたら、若手の男性アナが張り切って「讃岐うどん」の話題をしゃべり出した。なんでもトルコはイスタンブールにうどん屋を出したお人が居るというお話し。中央アナに「これを称して、飛んでイスタンブール、というわけですわ。アッハッハ」とやった。NHKのアナウンサーも合わして笑っていたが、、、、どうなの?これ?という話題を書いたら、消えちゃったというわけ。余りに私が言いそうなギャグでおかしかったんだが、しかし、こんなニュースのアトだったらさすがに言えなかっただろうなあ。それより、そのうどん屋さんは無事だったのかなあ?とっても高級なれすとらんだそうだが、、、。うどん屋なのに、である。

 

 

2003年11月20日 (木)

ゆっくり行こう。

 そう思って、本日は岡山からの帰り、電車に乗った。もちろんその為には行きは送ってもらったのだが。築港から長尾線の元山駅まで切符を買って、まず驚いた。高松宇野間と殆ど変わらない運賃。上り電車が着いても誰一人降りてこないのも、ここら辺に原因があるかも。しかも、駅に着いたら、ほぼ20分待ち。今日は実験だからして、我慢我慢と待つことに。よく考えてみるとこの終点から電車に乗ったことがない。切符は買ったが、どうやって改札を通るか分からない。まあ、その内誰か来るだろうと椅子に腰を落ち着ける。すると程なく若い人が建物側の窓にいる駅員さんに切符を見せているのを発見。なるほど、寒いからアンナ所から切符を切るんだ、と納得。昔の駅の風景とはチト違うなあ。で、登りの電車が着くが誰も降りてこず、「ご乗車有り難うございました。お忘れ物の無きよう、、、」というアナウンスが虚しく響く中を乗車。いやあ、懐かしかった。昔は高校へ電車通学してたもんなあ。一時ほど携帯電話にかじりついてないのは、時間帯のせいかな?2両のうち前に一人、後ろに二人だった。瓦町ではほぼ座席が埋まっていたんだけど、、、。余りに私がキョロキョロしてたのか、逆に不思議そうに若い男性に見られてしまう。イケナイと、大人しくするも、矢張り乗客に目がいく。外人もケッコウ居るんだ。ふ〜ん。しかし12時前というこの時間帯無理もないが、みんな疲れてるなあ。酔ってる人もいるし、寝てる人も、、。なんて飽きる間もなく目的地に到着。雨の降る中も、歌いながら帰ると苦にならない。Cantiamoの会で歌う曲を2回歌ったらもう我が家に着いちゃった。ゆっくり行くこと、これ自体は苦にならないが、駐車料金程もいる電車賃ならやっぱ車かなあ?それと時間が倍かかる。ムムム、、ムムム。

 

 

2003年11月19日 (水)

写真。

 今日息子から先日の旅行中の写真を送ってきた。デジカメで撮るから、まあ数の凄いこと。プリントしたものが100枚。アトはCDROMで送ってきた。まあ、便利な世の中になったモンだ。母も子供達もいい顔してる。改めて日光の写真を見ると、見ざる言わざる聞かざるの姿が随分若い。お腹が白くてつやがあり、張りも良い。昔子供の頃見たときの印象では、年取った猿だと思っていたが、団体さんの後ろで解説を聞いたのでも、この猿のいわれは、子供がちゃんと成長していくための知恵を授けているので、その猿は若くて良いらしい。でもきっと昔からだと、塗り直したりしてるんじゃないかなあ?
鬼怒川辺りの木々の紅葉が美しくとれていた。
息子のコメントに「せわしない日光の旅写真」とタイトルが付けられていたが、車で移動の、温泉一泊、アト観光というのは、やっぱり忙しかった。母が、今回はなんだかバタバタして落ち着かなかった、と何度も言うのも仕方がないのか。母のためには2泊した方が良かったか。今回は空港の歩く歩道を、歩かないで、止まって移動したもんなあ。1年1年歳とるなあ、母も。
次は一体いつ行けるか、、、。
ピアニストのS嬢一家もディズニーへ行ったらしい。疲れ半分、楽しさ半分、と言ったところか。

人は何故旅に出るんだろう。

 

 

2003年11月18日 (火)

ぎゃ〜っ!

 せっっかくなが〜い文章書いてたのに、無くなっちゃったぁ!なんでこうなるの?、、理由は分かっている。私が余計なことをやっただけのこと。でもでも、なんでもうちょっとこう、修正が効かないのかなあ?つかれた、、、。

 今夜はまだまだやることがあるので、記録的に早い時間に書いておこうとしたのに、なんてこった。ま、この時間なら、さとるくんの睡眠時間を狂わせることもないだろう。ハハハ。しかしまあ有り難いこと。こんなテキトーで言いたい放題。稚拙な文章を、おもしろがって読んで下さる。
 先日の上京時に、婿殿が「サロメ」の映画をとってくれて文化村まで出かけたとき、映画はつまらなくて、まるで推理小説の終わりから読まされてるようなものだったが、現実は小説、いや映画より面白かった。映画が終わり、ロビーでぼんやりしていたら、「その人痴漢です!」と大声で叫ぶ若い女性。その側から脱兎の如く飛び出した一人の男が、登りのエスカレーターを何段かずつ飛び上がって逃げる。すぐに屈強な係員が飛び出しもっと早く駆け上がる。ものの3分も経っただろうか、両脇を掴まれて犯人が降りてくる。すぐに別室に運ばれていったが、その女性は冷静沈着。その辺りの人々に、「大声出してすいませんでした」と頭を下げる余裕も。、、、この話しを横浜に住む男性に話したところ、この頃は両手に荷物を持ってないと疑われるし、荷物がないときはつり革にぶら下がるか、バンザイしてないとダメなんです、と言う。はあ〜っ。そうなんだ。これを女性が強くなったと捕らえるべきなのか?
恥ずかしながら私も東京住まいだったころ、小田急線でよく痴漢に合ったもの。一度なんかは入り口にラッシュで張り付いていたとき、ガラスに手のひらをぺたっとくっつけて身体を支えていたら、その指を触ってきたのが居たなあ。兎に角凄い重さを支えているから、動かせなくて情けない思いをしたものだ。だから痴漢の被害はホントにイヤなもので、許せないのだけれど、昨今の過剰反応は、それはそれで人間の心が角張ってきてるようでナンカ、イヤだなあ。年とってきて、痴漢に合うことも無いからそんなこと考えるんでしょう!?と言われそうだが、、、。
さっき消えたこの日記は痴漢の事なんかには触れてなかったのに、忽然と湧いて出たなあ、この話題。そういえば「サロメ」はオペラなんかでもダンサーが段々踊りながら脱いでいくんだけど、意外にもこの映画は最後の一枚を取らなかったなあ。究極のエロスを描くのかと思ったが、これならオペラの方がよっぽどエロティックだ。来年の春頃本物のダンスのショーとして「サロメ」が来るそうだが、多分そちらの方が面白いのではないか?、、いづれにしても東京さは元気な内に行っておきたいもの。こうして日本中の文化がここから発信されているわけで、ここ止まりの物もたくさんあるのだ。

 

 

2003年11月17日 (月)

目が回る、、、。

 夕べはさすがに眠くてたっぷり6時間眠った。が、起きるやいなや「そうだった!今日はチョーが付く多忙な日だった」と気付く。頭にカーラーを巻き付けて走り回る私。朝食を食べてメークして着替えて出発するまでにかける電話が5件かかったのが3件。何もかもそこそこに、まずは大学へと車を駆る。5分遅刻のシェイクスピア講座。本日は「チャールズ3世」という大変面白い作品。ビデオのチャールズは若くて、力強いのは良いが何かが足りないなあ。アトの昼食会で話題となったのが、このチャールズが女性を口説くのに「貴女の美こそが、私に貴女の夫や父を殺させた」と言い、彼女に結婚を承諾させるところ。みんなの結論は、この殺し文句は美人にしか通用しない、、、だった。自分に自信がある美人は、自分が美しいという点を突かれると弱いのでは?というもの。げらげらと全員が笑ったところを見ると、自分に自信がある人は誰もいなかったらしい。ハハハ。いずれにしてもこのアンという女性。ここで結婚を承諾するのは全く無理がある。シェイクスピアは時々強引だからなあ。

 お次はシャンソン教室。新しい見学者は奈良でシャンソンを習っていたとか。それを聞いただけで、みんないつもの調子が出ない。歌詞は忘れる、音程は狂う、顔はこわばる、、、いやあ、これでハッピョウカイで歌うってか?て感じ。やれやれ。本番に強いことを祈りたい。

 我が家にとって返し、来客二人のお相手。今夜は同居人が旅行で夕食の心配が無くついおしゃべりが長くなる。女三人寄れば、、、であった。

 寄り道をしてから、練習会場へ。本日はホフマンと「落語ペレッタ長短」の練習。長短は時間を延長して11時半までやってどうにか格好が付いた。しんどいが、良くなってくれるのは嬉しい。

 せっかくの一人の夜長をどうやって楽しく過ごそうか、、、?でも、もう余り余力が残ってないからビールでも飲んで寝るか!
、、、つまんないなあ。

 

 

2003年11月16日 (日)

秋晴れの直島騒動記。

 今日の吟行は雨かも知れないと心配したが、予想を裏切り全くの晴天に。滑り出しはことのほか順調だった。ベェネッセでの数々の現代アートコレクションを、ああでもないこうでもないと口々に観賞しながら殆ど全ての作品を見て回る。私は二度目だったが、前回気が付かなかった発見があり、みんなのさすがの洞察力に感心。文学と美術は矢張り関連があるのだ。
さて豪華版幕の内重ね弁当で昼食をとっていると、突然T様の様子がおかしい。呼んでも応えず、一瞬これは助からないのではないかと思わせる危機的状況に、全員右往左往。レストランの人々が救急車を!との声に素早く対応して下さる。私に至っては全く情けない、何をどうして良いか分からず、兎に角ウロウロ。声をかけるのが関の山。アトで気が付いたのだが、かなり奥歯をかみしめていたようで、なんだか歯が痛い。、、、嬉しいことに間もなく意識が回復されて「救急車なんかとんでもない」とおっしゃる。なんとか説得して町の診療所へ。診察や心電図を撮った結果では、ご本人が言うように今のところ急に何かをしなくてはならない事もないらしい。一同ホットするも、ご本人はどうしてもこのまま帰るのはイヤだとおっしゃる。そこでしぶしぶ「家プロジェクト」だけは見に行くことに。ゆっくりと散策して、T様の事が気になりながらも、又素晴らしい芸術の数々に触れてから、最終の船に乗り込む。結局全てを予定通りにこなしたわけだが、、、、フム、私達の恩師はただ者ではない。この強さ。私の周辺には、ちょっとの自覚症状でふにゃふにゃ言ってる人ばかりで、このT様のような人は皆無と言っていいだろう。おそらくは人生観のなせるワザか?高松に着いてからの夕食会も積極的で、ビールを飲むと言ってはだだをこねられたのには困ったが、、、、いやはやいやはや。
 今日のこの顛末でベェネッセの対応の素晴らしさに、その社員達の心からのヘルプに私は感動した。その内の一人の若者が、港で船を待つ我々にバイクで近寄り「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。これから宇野の自宅に帰るらしい。明るくさわやかな彼の言動に、ここがホントに素直の直島だということを実感した。向こう岸に大きく沈む真っ赤な夕日を、我々一同特別に美しいと感じていたのは間違いない。

 

 

2003年11月15日 (土)

告別式。

 無神論者の私としては、このような場所は、慣習に従ってはいるが、どうも妙なことに気が行ってしまって、我ながら罰当たりなのだ。有り難いお坊さんのお経も、なんでもう少し音楽的でないのかしら?とか、若いお坊さんは声が素晴らしく良いなあ。あれもベルカントだなあ、とか。偉いお坊さんの椅子は座高がずいぶんと高いなあ。足の短いお坊さんだからともすれば足がぶらぶらしてるなあ。足置きがあるのになあ。おまじないみたいな動作はまあ良いとしても、読経の途中でくしゃみを何度もされるのには、棺桶から仏さんが飛び出してくるんじゃないかなあと思ったり、、、。不届き至極。結局私は私流の心からの法要をしたのだった。箱の中に収まった旦那様はお気に入りの背広を身につけられて、まるでただおやすみのようだった。肩に触れると起き出されるような、、、。様態が急変してどんどん悪くなられたとのこと。そのせいで、病魔が肉体を変貌させるのに間に合わなかったのだろう。せめてもの救いか。
ご長男が立派に喪主としてのご挨拶を務められた。悲しみに溺れることなく、よく踏ん張った。終わったとき拍手したいくらいだった。それと同じくらい感動したのが、次男のK君。かれは必ずしも父親と仲良しではなかった時期があったようだが、余命少ないと分かってからあれこれと旅のプランを立てたり良く母親の手伝いもしていると聞いていたが、この日誰よりも激しく悲しんでいたのが胸を打った。直情型のK君を、さぞお父上も可愛く思われていたことだろう。なっちゃんは、この二人と嫁いだお嬢さん、お孫さんに恵まれ、これからも幸せに生きていけることだろう。
最後のお見送りのあと、お孫さんを抱いて来訪者にご挨拶をされているなっちゃんに心からのエールを送った。一日も早く、又舞台で歌って欲しいもの。

 ただ今午前2時前。明日は直島へ吟行なのだった。やれやれフェリーで寝るとしよう。

 

 

2003年11月14日 (金)

ミュージカル、いよいよ。

 本日初の読み合わせ。初めて見る台本。いきなり自分の役とト書きを読む羽目に。夕べは遅い就寝で、今朝も早くからバタバタと1週間の仕事をやっつけて、時々気がふっと遠くなるような感じの中、FMの収録から帰宅大急ぎで夕食の支度。その最中、呼び出しが罹る。ムムム、予定通り頑張ってるんだけど、、と思いながらもダッシュで、駆けつける。結局放免されたのは11時を廻ってから。途中でぽかぽか温泉に行き、兎に角旅の疲れをとる。今回の旅はホントに疲れた。母も同じ事を言ってるところを見ると、私も矢張り歳なんだ。
一つには重いテーマがいくつかあって、精神的にしんどい思いがしていたこともある。まず、娘の芝居のテーマが大変重い。「生きる」ということを正面から突きつけられたし、キリスト教に言う「原罪」も盛り込まれていた。千秋楽の日の公演は、相手役も本気になって殴ったらしく、口の中が切れて、喋るのもままならないくらい口中血だらけだったようだ。その後の旅行中もしきりに痛い痛いを繰り返していた。「おたね」というのが娘の役所だったが、我々と一緒に温泉旅行中もしきりと、「おたねさんが、ここから出て行かない」と胸を叩いていた。マンスリーマンションを1ヶ月借りて、しばし独身に戻って入れ込んだ芝居。矢張りそう簡単に忘れる事は出来ないのだろう。

 さて、明日も早起きして告別式だ。

 

 

2003年11月13日 (木)

ただ今帰りました。

 80過ぎた母を伴っての旅行はさすがに疲れた。空港に着いて二人が口にした言葉は「ああ、空気がおいしい」。ほんとに心底そう思ったのだった。東京にいるときはなんだかきっちり呼吸してなかった。肺まで息を吸い込むのが気が引けるというか、自然と浅い呼吸をしていたのだろう。思いっきり深呼吸をして、急に空腹に気が付いた。向かえに来た主人と食事をして「ちょっとだけが聞いて呆れるわ。よくそれだけ食べられるわ!」とののしられながら、母と二人、一人前に遅い夕食を済ます。やっぱりここが良い。
 、、、、ところが帰ってみると待ち受けていたのは訃報だった。かねてから奥さんから悪いとは聞いていたが、こんなに急だとは、、、柔和で優しそうなお顔と、快活で屈託のない電話のお声が思い出される。68歳。残念な年齢ではある。ご家族の献身的な看病を冥土の土産と、三途の河原を渡られることだろう。悲しいが、心からご冥福を祈るしかない。

 

 

2003年11月 7日 (金)

不在者投票。

 明日から旅行の母と二人で、不在者投票のため市役所へ。けっこうたくさん来てる。市から送られてくる入場券が必要ないのを知ったのは初めて。神経質に保管してたが、、、。国民の義務を果たしたのだが、往復で時間をとられて、予定していたコンサートに行けなかった。なんとか、もっと他でも出来るようにして貰えないものだろうか。コンサートだけではなく、今日は仕事以外にもやることが多くて、いくつかやり残した。考えてみると、どうしても、しておかなくてはいけないことなんか、余り無いのだ。にもかかわらず、主婦の端くれとしては、ある程度のことはやらなくてはと思ってしまう。これがイケナイ。何も考えずに、すっと行こう。あとは野となれ山となれ、だ。まさか飢え死ぬこともないだろう。
 さて、この日記。旅行中も、息子のパソコンから打てるかも知れない。が、どうなる事やら。もし打てたら、東京さの話しを入れようと思う。心は既に東京タワーのライトアップ状態。さあ、元気出して行ってこよう!

 

 

2003年11月 6日 (木)

フェリーの中で、、、。

 行きも帰りもしっかり眠るつもりで、アイデア商品売り場で見つけた「携帯安眠枕」なる物を持参しての乗船だった。だのに、何故か眠くならない。ここんところの夜更かしで、絶対今日は寝るだろうと思っていたのに、不思議なもの。準備しすぎたか!で、仕方なく短歌を一ひねり。こんな事もあろうかと準備していたウオークマンでお歌の勉強。シャンソンの教室でのプログラム作成。はてはバッグの中の整理まで、、、。何をやっても眠くならない。昔なら、ここでビールの一杯も呑んで、ゆ〜ったり瞑想しながら船旅を楽しむところ。このご時世そうも行かない。ホットカフェオーレなんぞで我慢我慢。、、、、でもこの片道1時間の船旅は大変なお気に入りの時間となった。何処にいてもくつろげず、いつも何かしら動いている私としては、この時間は至福の時間(チトオーバー?)誰にも会わず、従って気も遣わず、何をしても良い時間なんて、そうある物じゃない。我が家に置ける深夜の時間帯なら別だけど。宇高国道フェリーのまわしものではないが、快適そのものなのだ。
 さて、本日のシャンソン教室も忘年会のお話しで締めくくられる。高松に来たいという岡山の人達のために、高松での忘年会とあいなった。聞いてみれば矢張り余り高松に来ることはないそうだ。そりゃそうだろうねえ。私でも岡山に住んでいたら、本島のどっか別な地方へ行くだろう。でもその分高松が神秘的な感じらしい。どうやら今年最初の忘年会はにぎやかなものになりそうだ。

 

 

2003年11月 5日 (水)

義姉のお見舞い。

 旅行前にやるべき事を片付けているが、時間ばかりが経ってしまう。膝を手術した義姉の見舞いも、1ヶ月の入院だから急ぐことはないけど、まあ一度母を伴い病室に顔を出す。私が事故で1ヶ月入院していたのと同じ階だった。独特の臭いに思わず「懐かしい」と言っては母に笑われる。義姉は至って元気で、1時間の間喋り通しだった。話し好きな我が母上も、口を挟むタイミングが掴めない様子。私といえば、行く前からむち打ちの症状で、肩や首がコリコリで、じっと話しを聞いているとそれが猛烈な睡魔に変わる。ヤバイと思い、なんとか僅かのきっかけを掴んで帰ることに。いやはや、気持ちは大変よく分かる。病院は兎に角ヒマなんだ。義姉は神官の娘で経験がなかったにもかかわらずなかなかの商売人。家族中の誰もが、彼女の腕には叶わないと言うくらいのもの。で、オン歳73歳にもかかわらず、一日中働きずくし動きずくしの毎日。来客とのおしゃべりも半分仕事で半分生き甲斐になっていただろう。それが突然喋る相手が居なくなったわけだから、我々は飛んで火に入る夏の虫だったわけだ。外科の手術は口は大丈夫な場合が多いから、困るんだよなあ。私の場合はお陰様で、1ヶ月50人以上の人が見舞ってくれて、中には「あずまやのアイスクリーム」を初め、私の好物を知ってる人からの差し入れなどがあり、実はゆっくり本を読むヒマもなかったくらいだった。一切の家事と仕事から解放されて、日々のリハビリに励むだけの毎日。良いようなモンだが、もう一度入りたいかと言われると、やっぱり勘弁して欲しい。環境が良くて海が見えたり、鳥が飛んできたり、お花畑があれば、、、いやいややっぱりごめん被りたい。海が無くとも何が無くともしゃばが良い。病院というところ、どうも苦手。
義姉の話しの中で面白かったのは、手術の日から二日間彼女の夫が付き添ったらしいが、夜中にどんなに叫んでも起きてくれなかったので、仕方なく義姉は酸素マスクをはずして、シーツや枕カバーで汗を拭いたんだそうだ。翌朝それを言って「今晩は起きてよ」というと義兄もさるもの。その日の夜は、色んな物を義姉の手の届くところに置いたりぶら下げたりして、結局グッスリとおやすみになったそうな。この話でゲラゲラと大笑いしつつ、あの夫婦談義を思い出していた。いや全く、長年連れ添うと夫婦もホントに、アハハである。

 

 

2003年11月 4日 (火)

千客万来。

 今朝も早くから色んな人が我が家にお見えになる。仕事の方はそうでもないのに、別件での来訪がやたら多い日だった。みんな明るくて気持ちのいい人ばかりで、巻き添えになった感のある母も人々との会話を楽しんでいた。母が我が家に来るのは、本人は洗濯婆さんのつもり。私は親孝行のつもり。だって、誰とも喋らず一日テレビのお守りをしてるくらいなら、我々世代の屈託のないおしゃべりに混じってる方が楽しいに決まってる。てな分けで、本日のお題は「夫婦が一緒に寝てるかどうか?」だった!ある人は「ぜ〜ったい、イヤ!旦那が側に来たらよけたいくらい」と顔をしかめる。それに対して「あら、手をつないで歩くわよお」「私はいっつも一緒に寝るわよ。冬はコタツ代わりであったかいのよ〜」と言えば「だっていびきがうるさいんだもの」という発言も。又別な人は、「こないだは朝遅くまで寝てたら主人が覗きに来て、ああ生きてたのか?と言われた」と大爆笑。冗談でなく、朝起きてこないとマジで心配になることがある。でもそんなあっけない別れ方って、ホントは良いのかも知れないなあ。
 週末の旅行の準備にようやく取りかかる。渋谷のホテルもとれたし、友人達との約束も出来た。心は半分東京だ。今日は日展に彫刻を出してるから見てくれと、ちぇちのメンバーが招待券を送ってくれた。なぜだかいつも彼の作品を見ることになってしまう。今年はどんな女性像だろうなあ?彼の表現だと「全く飾りっ気のない、シンプルな作品」だそうだが、となると、たださえ色気のない裸婦がも一つ、、、、いやはやいやはや。

 

 

2003年11月 3日 (月)

久しぶりに買い物。

 ヤマハに楽譜を取りに行き、ついでにオペラの本など仕入れる。その前に常磐街でCDのワゴンセールとかあって何枚か購入。インターネットで買うより安く買えたなあ。
 しかしヤマハはともかくタマルのクラシックコーナーの狭いこと。あるだけましかも知れないが、このパーセンテージがそのまま集客に繋がっているような気がした。世の中がこういう流れだということを知った上で企画しなくては。まあ、かくいう私目も昔はオペラが流れてくるとラジオ局を変えていたのだから、そんなものだろう。誰でも知らない内は仕方がない。ひょっとしたらジャズなんかももしチャンスがあって深く勉強することになったら、今みたいにのめり込んでるかも知れない。矢張り出会いなんだろう。そう言えば有名なジャズシンガー中本マリも以前美空ひばりを歌ってたそうだ。
 シャンソン教室の人と帰りにお茶したらもう忘年会の話しになる。結局遊ぶことが一番楽しいんだ。、、、それにしても、もうすぐ今年も終わるなあ。

 

 

2003年11月 2日 (日)

驚いた。

 今日来店の人から面白い話しを聞いた。その方は39歳で脳梗塞になり、45歳の今も、その後遺症がひどく、喋る言葉もままならない。その人が、このところ熱心にカラオケに通っているというのだ。で、喋るときはかなり吃音が目立ち、時々意味が分からないほどだのに、歌を歌うときは全然つまらないし、スムースに歌えるというのだ。ほ〜摩訶不思議ではないか!人間の身体って一体どうなってるんだろう。彼女は健康なときは演歌の女王と呼ばれ、コンクールにも度々出場していたベテランだった。突然の病魔が彼女の人生の全てを奪ったかに見えたが、懸命の努力で歩けるようになり、なんとか会話も出来る。3人の子供さんをみんな結婚させて、今やおばあちゃんである。そして歌うことも奪われなかったわけだ。良かった。ホントに良かった。、、、お迎えに来られたご主人の優しそうな笑顔が印象的だった。

 

 

2003年11月 1日 (土)

ロミオロミオあなたは何故ロミオなの?


 本日は今年立ち上がった「さぬきシェイクスピア」の第1回公演「ロミオとジュリエット」に出かけた。最終回とあってか、満員の盛況。観客の大半は若い人で、おそらくは出演者の友人知人だろうか。中には私の知人や演劇仲間の人達もいる。お隣が有名な女優さんだった。色々製作上の裏話など聞けて楽しかった。前の席にはFM高松のアナも来ている。
 お話しの筋はもちろんそのまんま。だが、演出が斬新で、若者にアピールするようなものになっていた。全体のおしゃれな感じは確かに良いなあと思ったが、台詞が何を喋ってるのかさっぱり分からず、せっかくのシェイクスピアの名言が殆ど聞き取れない。ダンスや動きは面白かったのに残念。それでも、前列の人の中には涙をぬぐう人も居た。原作がしっかりしているから、どのように演じても、良いものは良いのだろう。


 

 

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