« 2003年9月 | トップページ | 2003年11月 »

2003年10月

2003年10月31日 (金)

消えた。

 という書き出しで、書いた物が又消えた。その代わり消えてたものが復元された。まあ、ほんとさっぱり機械のことは分からない。このゲストブックに「進化と変化」についてのカキコがあったが、結局の所、進化や変化について行けてないだけなのかも知れない。私なんかは。
 しかし、人間の進化ってものに疑問を禁じ得ないのも事実。特にに文学なんて、大昔の人間が考えたこととそう大差があるとは思えない。これって、人間が半世紀そこそこで死んでしまうからかなあ?万葉集に「人は夢の中を生きているようなものだ」という歌があったりするわけで、この思想なんかは、昔の人も生きていく上で現代人と同じ様な苦しみを持っていたということだろう。「死」というものが無ければ湧いてこない考えだろう。

 夜、東京からオペラの練習のために帰省したY君とFM2本録りをする。まだ確か20代だと思うが、今年だけで、オペラの主役級をやるのが7本だそうだ。これはかなり画期的なこと。彼の場合はこうして、舞台経験を積んで成長していくのだろう。日本人には珍しい明るい声を持っているだけに、将来が楽しみ。それにしても徳島で行われる「カルメン」は是非行きたいもの。主に関西方面の実力者が集まっての公演だとか。、、、話しを進める内にちぇちの10回記念公演でのカルメンを思い出す。あの時カルメンをやらせてもらって、自分と全く違う性格の人間になることの快感を覚えたのだった。あのビゼーの素晴らしい音楽が体の中を血となって流れる思い。あのような気分は二度と味わえないかも知れない。あれはオペラの面白さを体感した貴重な公演だったなあ。

 

 

2003年10月30日 (木)

驚いた!

 占いのお店の宣伝に、一軒一軒廻ってる人が居る。しかもうんと若い女性。「今まで占って貰ったことがありますか?」と聞かれたので、ありますと答えたら、「その占いは当たってましたか?」ときた。随分当たってましたよというと、「うちも良く当たりますよ」「今なら1000円で占いますよ」とたたみかけてくる。しまった!経験があるなんぞとホントの事言うんじゃなかった。と内心思うも、一応チラシを頂き丁重にお帰り頂く。その手の方を邪険にすると未来に陰りが、、、なんて思ったわけではないが、可憐な若い女性だと、(若くないのに可憐な人は居ないだろう)つい優しくなっちまうなあ。男性だともっとそう思うだろうなあ。しかし、男性って占いに興味ある人居るのかなあ?周辺では居ないなあ。
実は私も占いが出来るのだ。昔はトランプ占いをやって、みんなから良く当たると言われたもの。今はもう霊感が働かないかも。誰かを実験台にしてみようかなあ?

 

 

2003年10月29日 (水)

今日も今日とて、、、。

 四国新聞の折り込みパンフレットに瀬戸内寂聴のお説教のカセットテープ販売の宣伝があった。多分読んだ人も多いだろう。その中に「嫁と姑はどうせ初めから仲が悪いんですよ。」というのがあったが、今日ご来店のお客様82歳の方は、一人息子の家族と同居。生活は同じ屋根の下に住みながら全く別。その方はそのお歳で何もかも一人でやっているらしい。時々余りの寂しさに何も食べたくない、何もしたくない時があるとか。思わず同情してしまう。この方がいわゆる被害妄想でもなく、ボケでもないことは充分に分かる。むしろそのお歳にしては何もかもハッキリとしていて、先日のお年寄りではないが、歳と共にあまりハッキリしない方が良いのかも知れないと思うくらいだ。だんだんぼけるのがホントは救いなのかも、、。寂聴さんではないが「人間は生まれたときから孤独。一人で生まれて一人で死ぬ」のだが、そりゃそうなんだが、この方の寂しさは胸に迫るものがあった。母と一緒に森繁の映画を見たと話したことから、その方の生活をかいま見ることになってしまったが、出口にお見送りするとき、私を見返りながら「今日はホントにお話しが出来て良かった」と言われた言葉に、こういう思いを誰にも話せない、その方の孤独の深さに思い至り、人間とはなんて寂しいのかと、今日も今日とて、、、であった。

 

 

2003年10月28日 (火)

およそ会議というものは、、、。

 本日はある「会議」に参加した。兎に角遅々として進まない。あまり訳が分からず引っ張って行かれてるので、多分発言することもないだろうと高を括っていたら、そうでもなかった。というか黙って時間が経つのを待つエネルギーがなかった。隣のT君がいろんな事をメモっては見せるのでおかしくてしょうがない。例えば司会者のことを「こら、しっかりせえよ」とか、空気が煮詰まってくると「誰か流れを変えてくれ」とか書いて見せるのだった。お仕舞いには彼の足を蹴っ飛ばして遊んだり、、、、でも、こんな私達でもちゃんと発言して役割は果たした、、、と思う。なんとかかんとか、物事は決定されて進行するらしい。会議というものは、矢張り空気、ムード、が大切で、リーダーの腕によって左右されるもの。逆に一番の敵は「遠慮」と「顔色を見る」こと。確かに場の空気を読まずに発言するのは良くないが、余りに人の顔色ばかりうかがってると、言うべきタイミングもずれて、考えが正しく伝わらない。率直に意見交換するのが基本だろう。特に本日のような個性の強い団体のリーダー達の集まりでは、相手の出方をオモンバカってばかり居たら埒があかない。そうそう、見栄も良くないなあ。「こんな事言ったらバカにされないだろうか?」とか「こんな事も知らないのは、、」とか考えてると、実りの無い会議となる。
 ま、いずれにしても会議とはしんどいものだ。

 

 

2003年10月27日 (月)

交代劇再び、、。

 決まったことが変わるというのは、それが人事となると感情抜きでは進まなくなる。機械的に事務的に処理するのはモチロン、ロスが無くて一番望ましいが、こと人間が絡むことはそう簡単ではない。例えそれが趣味の団体でもである。多忙を極めるHさんが本番を危ぶむ声があがる中で決定してから一度も練習に参加しないまま欠場となった。本番まであと1ヶ月半である。この役は全体の印象をも決めかねない重要な役だが致し方ない。生活の中で二番手に回らざるを得ない我々の公演なのだ。すぐさま相談に入るも、結論が出るまでにはかなりの空中バトルが、、、。こんな時は私はいつもじりじりしている。もし私が指揮が出来たら、、、もし私にバスが歌えたら、、、、たらたらたら、、、何の問題もなく手を挙げるだろう。しかし、鱈は所詮鱈止まり。鯛にはなり得ないのだった。じっと我慢の子を決め込んで、結論の出るのをひたすら待つ。
こういう局面にジャンヌダルクのように颯爽と現れるのが、ちぇちの看板娘S嬢である。やんわりと、しかも鋭く、的確な指摘をしては、結論へと導く。思わず「上手いっ!」と手を叩きたくなる。大の男二人、乙女にしてやられたり、、、の巻。急遽、Tさんが欠場の穴埋めに出演。I先生が指揮をすることになり一件落着。
 とかくこういう団体では、いろんな事が起きるもの。だからみんな少しずつ我慢してるんだ。まあいわば我慢の結晶かも知れない、舞台というものは。何か問題が起きた場合迷惑を被るのは当事者だけとは限らない。ちいさな石が池に波紋を描くように、全体に影響を与えずには置かない。それが団体というものだ。個人の感情は出来るだけ納めなくてはならないだろう。良い舞台を作るためには、、、だ。

 武者小路公秀という人が居る。国際政治学者であり、武者小路実篤の甥に当たる。柔和なお顔付きとお話しの仕方で忽ち人を引きつける魅力のある方だ。息子の師匠だということでお目にかかったことがあるが、今回自伝を出されている。帰国子女として当時かなり世間から辛い目にあったとか、その経験から平和主義へと移行していかれたようだ。今年まともに読む2冊目の本になりそうだ。

 

 

2003年10月26日 (日)

嬉しいじゃないの。

 このページが突然ビッグになった。私には有り難い事。これで指の運びもスムースになる、、、筈。
 本日はオペラのワークショップ。悟空やちぇちの連中も出演していたので、仕事をやりくりして観劇。試みとしては良いと思うも、公開レッスンの形をとった方が良かったのではないか?と疑問が残る。本日、何故演出家がそこにいるのかが、私にはさっぱり分からなかった。あの程度の文章を読むだけなら、しっかり読む人が他にもいるだろう。説明では練習の延長なので、衣装などは凝りません、というのに、練習時のやりとりが一切無いのはどういう訳?聴衆は期待していたと思うが、私だけか?こういうものには公の資金が使われているだろうし、広くオペラの良さを人々に知らしめるという役割もあるのではないか?もちろん出演者は精一杯やっていたし、演出の意図するところも見えないではなかったが、もう少し突っ込んだコメントや指示があっても良かったのではないか?、、、悟空はいつもの元気は何処へやら。借りてきた猫状態で、ムムムム、、、。私ならその人の個性を大切に引き出すように持っていくけどなあ、、、なんて不遜なことを考えながら見てしまった。でもでも、やっぱりオペラは面白い。どんなでも歌と芝居が融合するのは楽しい物なんだ。
 

 

 

2003年10月25日 (土)

映画のオハナシ。

 本日思いがけず時間がとれて、行けたら良いなあと思っていた森繁シリーズの最後の映画「社長太平記」と「恍惚の人」の二本立てに母を連れて行く。前者はおきまりのちょっと浮気症だけど、願望がいつも邪魔されて実現出来ない気の小さい社長さんと、へんてこりんな社員達のお話しで、単純におかしい。我慢しようとしても思わずブハッと吹き出してしまう。幸い観客は我々以外は数名で、自宅でテレビの感覚でも大丈夫な雰囲気。まあ、母と二人笑いに笑った。ホントに昔の人達は芸達者。何気ない仕草で笑わせてくれる。
 後者の方はうってかわって深刻なテーマ。老人ぼけを扱っているのだが、なんとも素晴らしい作品だった。一番印象に残ったのは、完全にぼけて娘も息子も分からなくなった森繁扮するおじいちゃんが、雨の降る中を徘徊。連れに来たお嫁さんと帰宅する途中あれはナンの花だろう?白黒映画だが、多分真っ白なクチナシのような気がする。その花が一面に咲き乱れて雨に打たれているのを笑みを浮かべながら、濡れるのも構わず見入っている姿。このシーンはとても長い時間を割いていた。おじいちゃんの笑顔が何とも言えない幸せに満ちていて、傍らのお嫁さんもすぐには促さず、しばらくその様子を微笑ましく見ていた、、、、このシーンがこの作品のテーマではないかと思う。食べることに異常に執着し、便をまき散らし、何もかも自分では出来なくなった哀れな老人が、尚人間として「生きている」という証のように、美しい花に感動している様子。この様子を見て、お嫁さんは初めておじいちゃんをいとおしく思い、人間として大切に扱おうとする。紆余曲折がありながらお嫁さんとの心の絆が強くなり、最初は迷惑がっていた彼女が家族の中で誰よりもおじいちゃんを愛し、そのおじいちゃんから、何か人として大切な物を受け取ったと、一人自分の世界に入ってジ・エンド。涙をぬぐいながら、母と帰る道々思わず私は母に「人はあんな風に何も出来なくなっても、そこに生きているというだけで、値打ちがあるのよ」と妙に一生懸命語ってしまった。そうなんだ、いつか母がそうなっても、生きて欲しいとしみじみと思ったのだ。

 昼間偶然観たケーブルテレビで、ジョン・トラボルタの対談や映画のシーンがあった。彼があんなにまじめな人だとは思わなかった。そして驚いたのは、彼が完全な夜型人間だったということ。毎日朝5時に寝る。で、お昼に起きるんだそうだ。ふ〜っむ世の中には似たような人が居るモンだ。しかし悟空。そこだけ似てもしょうがないぜよ。

 

 

2003年10月24日 (金)

あっちゃ〜っ!

 本日所用のためこけ枝師匠に久しぶりにお電話を。用件が済んで来年のいつになるか分からない落語ペラの話しをすると、みっちゃん日記読んでまっせえ、と言われてしまう。いや、色んな方が読んで下さってるということは聞いているんだけど、書くときは全く頭にないから、ひょっとしてこれ読んだ人が気分を害することもあるかも知れない。ごめんなさいだ。でも一応これは日記だからして、書きたいことを書くわけで、建前は誰も読んでないということにして書いてるわけで、、、なあんて、要するに色んな人の顔を思い浮かべて書くのがめんどくさいというだけの話し。アハハハ。ま、いっか!典型的O型

 本日急にFMの収録が入る。障害手帳を持ってる人で、ご自宅までお迎えに行く。緊張されていて、車中ではなるだけ声を使わないようにぼそぼそと話されるが、構わずどんどん面白い話題を提供する。スタジオに入る頃にはかなりリラックスされていて、マイクに向かったときにはもうすっかり準備完了。とんとんとスムーズに収録を終える。ところが、音楽を流している間に、一瞬す〜っと意識が遠のく。睡眠不足で、突然の睡魔が。ゲストの方がいち早く察知されて、みっちゃんが眠そうだったから、起こさなくっちゃぁと一生懸命オハナシしました、と言われてしまう。やれやれ、ばれたか。確かに夕べはなんだか殆ど眠れてないような気がする。疲れすぎても眠れないモンだ。本日は同居人の誕生日でそれを口実に劇団の練習をパス。少し積極的に眠ろうと思っている。一応。

 

 

 

2003年10月23日 (木)

面白かった、、、、。

 本日ようやくお尻を叩かれながら短歌を提出。ほっと一息つく間もなく、海を渡ってシャンソン教室。そこで、表現の練習のためにショートストーリーを披露して貰った。10分程度の打ち合わせで、殆どぶっつけ本番だが、なかなかやる気満々。みんな面白い。なかでも傑作だったのは、さすがの元吉本女優Mさん。財布を落としたのをIさんが拾って差し出そうとすると、いきなり凄い剣幕で食ってかかる。ホントはこの財布を猫ばばしようとしたんでしょ!と詰め寄る。詰め寄られた方は思いがけない迫力にたじたじで、いつの間にか芝居と現実の境が無くなり、ホントに泣き出してしまった。本人曰く「わたしゃこの年までこんな風に人から言われたこと無かったんじゃけん」というわけ。まあ、これが芝居で泣けたのなら大したモンだが、ホントに悲しくなって泣いちゃったんだから何をかいわんやである。廻りは大受けで、楽しい時間になった。ま、これがキャリアというものだろう。
教室は段々盛り上がってきているのを感じる。これから寒くなるが、休めないぞおって感じ。ふ〜っ。

 帰りのフェリーに娘が電話してくる。携帯電話も、、、、ねえ。
 しかし、もう一人、電話してくれたのは、この週末にイタリア人の先生をお招きして、公開レッスンを企画していたOさん。ナンとその先生が台湾で泥棒に遭い、パスポートから現金から何もかも全て盗られたそうな。大使館の処置を待っても到底間に合わないから、今回はキャンセルだとか。は〜っこんな事ってあるんだあ。海外旅行もなあ。行きたいんだけどねえ。命があれば良いとしなくちゃあ。このご時世。、、、お陰で全てのスケジュールを元に戻さなくちゃあ。悟空のハッピョウー会も行けるなああ、、、。

 

 

2003年10月22日 (水)

仲良きことは〜美しきかな〜、、

 我が友人夫婦のなかでもかなり変わり種のHさん宅へ、私のキュウリの漬け物をお届けした。約束してから2週間、いやもっと経ってるかも。その間3回も失敗しちゃったわけだ。ようやく差し上げられる物が出来たのだが、そもそもこんなに熱心に作ったのには下心あり。下心その一、ご主人お手製のうどんが食べたい。下心その二、彼ら所有の敷地内に車を時々置かせて欲しい。早速、今日はその一を体験。おいしかったぁ!プロ以上においしい。ところがこの下心を満足させるためにはある試練が、、、。この夫婦のおのろけ話を聞くことなんだが、今日の二人のオハナシはさえ渡っていたなあ。母を連れて行ったためかも知れない。観客が新鮮だと燃えるのだろう。兎に角食べてるとき意外はゲラゲラ笑い通しなのだ。なんとか逃げ出して近くの「茜温泉」に。とてもすいていて驚く。混んでないのは有り難いが、大丈夫かなあ?ここは別名スーパー銭湯なんだそうだ。どういう意味だろう?

 

 

2003年10月21日 (火)

やってくるなあ、、、。

 短歌の締めきりだ。とうとう、うかうかしている間に今月もこの日がやってきた。今月は絶対出そうと、ねじりはちまき状態なれど、首相官邸の移転作業の如く、1ミリずつしか進まない。煮詰まったところに、これまた煮詰まった娘から電話。パンフレットに印刷する自己紹介のような文章を、添削してくれと言う。添削なら良いが、100字中10字くらいしかできてない。まあ、直裁で簡潔で、これで良いんじゃない?といっても信じない。すったもんだを繰り返してるうちに、ナンとか出来たらしい。本人曰く「私は文才が無いのよ。だから役者のような曖昧なことやってるんよ」だって。は〜ん!?

 

 

2003年10月20日 (月)

長電話。

 娘から今度の芝居についての解釈をディスカッションしてくれといわれて、取り組むも、宗教がらみで、原罪がどうの、照手姫がどうの、とどんどん深くなっていく。この作品に取り組むために、熊野詣でまでした娘だが、矢張り相当難しい作品。解釈が出来たら、今度は表現である。まあ、難しい世界に入ったモンだ。このお嬢さんは。

 シャンソン教室に3人コーラスをやっている人が入ってきた。驚いたのは大正生まれの方が、とても熱心な事。歌は好きなんだが、コーラスをしてると音符にがんじがらめにされてしまい、自由さが無い。と言われる。さて、いつまで続く事やら。

 

 

2003年10月19日 (日)

結婚式たっぷり。

 お日柄がよろしいいようで、本日午前中は予約客も皆結婚式。午後3時からの舞台関係の方の結婚式に参加。3時間半の長い披露宴だったが、さすがプロの仕事。全然長いと感じなかった。新郎の仕事関係の人が多かったが、みんなスピーチがホントに面白い。実際年齢差がかなりあるカップルなので、やれ「犯罪だ」とか「新婦の父上の方が歳が近い」とか司会者初め歯に衣着せぬおしゃべりが続き、それらは暖かい友情に裏打ちされていてとても聞きやすく楽しかった。こんなに笑いが渦巻く結婚式も珍しいだろう。進行で印象的だったのは、新婦が父上の腕に手を回しお色直しに退場するとき、新郎が組まれた櫓によじ登り、二人の姿をスポットライトで追ったこと。新郎のタキシード姿が笑いを誘っては居たが、彼らの新しい人間関係を象徴する感動的なシーンだった。
 二人のお人柄で、たくさんの人が二次会にも参加した。そこは無礼講で、ダンサーの滑稽な踊りあり、劇団のミニドラマありで、ホントにおもしろかった。夜の更けるのも忘れて打ち興じた。
 今日一日、、、、たくさん食べたなあ。さあ、
 もうぼちぼち寝るとしようか。午前2時半か、、、!

 

 

2003年10月18日 (土)

パソコン

 パソコンなるものをナンとかしとめようと、今日も今日とて師匠を呼んで、講習を受ける。私の10歳年上の友人は、同じくこの師匠に習って、あのとっても難解なイラストレーターをどうやら、かなり使いこなせるところまでいってるらしい。師匠もそのやる気に驚いていた。確かにその人は凄い。文学者で原稿用紙に向かうことが多かっただけに、最初にワープロに馴染んだときの感動ったらなかった。たちまち使いこなして、ワープロ無しでは夜も日も明けない状況だった。やがて私がパソコンに移行したとき、どんなに勧めても尻込みしていたのが、遂にノートパソコンを購入。、、、で冒頭のような有様である。進取の気象に富んだ、心の若い人。、、、10年後、こうありたいものだが、さて、、、? 

 明日は結婚式だ。                                                                                                                                  

 

 

2003年10月17日 (金)

他人の事は良く分かる?

 先ほどまで悟空と話しこんでしまった。気が付けば午前1時。彼女ったら以前私が見て貰った占いの先生の忠告を持ち出して、早く寝ないと、何かが起こる、、、などと脅してくれる。確かにア〜タよりは年寄りだけど、そっちも早く寝た方が良いんじゃないの?と思いながら送り出す。まあ、真剣に心配してくれてるらしいのは、嬉しかったりもするんだが、、ハハハ。
 本日お互いに確認しあったのは、メールや電話での応対はヤバイということ。どうしても一方的になるし、言外のニュアンスなんて物は確実に忘れ去られる。こうした会話は、まるでパイナップルの芯だけ食べるようなもので、意味がないばかりか体に悪い。行き違いや、誤解も生まれやすい。この現代文明の利器も、ほどほどに使わなくては、、、である。
 彼女といろいろ話していて、人はホントに見かけに寄らないことを再認識。意外にも彼女は苦労人だった!誰にでもドラマがあるなあ。しかしなあ。彼女がおしんみたいに動いてたとはねえ。違いはあんなに貧乏ではなかったらしいことくらいか。は〜っ!

 

 

2003年10月16日 (木)

公開講座。

 悟空のお陰で、今年は2度も公開講座に参加出来た。まあ、先生によってずいぶんと切り口が違うモンだ。今日の方は、オペラの基本中の基本「言葉と音楽の関係」について、分かりやすく指導して居られた。こんなに初歩的なことを一から指導して貰えるとは思わなかった。、、、しかし、悟空の讃岐弁には笑った!アハハハ。S子殿は「これ良いねえ。ちぇちもこんなのやればいい」だって。簡単に言ってくれるわに〜。やるのも難しいが、作るのも難しいぞえ。しかし受けるだろうなあ。間違いなく。
 帰りに聞かされた会長先生の、日本人がオペラをやる事への懐疑的なご発言とは別に、あたしゃ楽しければいいじゃんと密かに思っていたのである。
会長がこんな事を言うには訳がある。実は前日、大阪での素晴らしい演奏会の余韻が脳裏を渦巻いていて、ちっとやそっとの声では満足出来なかったらしい。イタリア人も二人ほど歌ったそうな。で、どうも一声聞いて「違う」と感動したらしい。中川まきぞうさんという日本のオペラ界の先駆者で今年102歳。ごく最近、NHKの長寿のかたを紹介する番組にも出た方。どうやらこの日主催者として、かくしゃくと講演をされたらしい。曰く「日本のこれからのオペラ界を実り多いものにしていくために頑張りたい!」という趣旨のお話をされたとか。この方より、40歳くらい年下になる会長ご自身の思想とはかなり食い違いが、、。この皮肉に思わず笑ってしまった。まあ、んなことおっしゃっても、実は好きで止められない筆頭が会長なんだから。何をおっしゃるウサギさん!だ。
私はといえば、本日も楽しかった。演出上のことも色々奥行きのある内容を教えてもらい、今後の参考に!「フィガロの結婚は三文小説」という説と解説は面白かったし、なるほどと思ったが、しかし、今時あの程度の下ネタで若い人達が動揺するとも思えない。むしろ純情なのは、講師先生の方でしょう!ハハハ。

 

 

2003年10月15日 (水)

今日は寒い。

 二日遅れの寄せ植えをしている朝は日が照って暖かく、暑いくらいだったのに、夕方からは寒くてぶるっときた。ストーブを出そうかと思ったくらい。少し風邪気味なのかも。マッサージ師の方に来て貰って、少し楽になった。が、喉が未だ痛い。弱いなあ。全く。ちょっと いつもと違う事したらもう身体に来てる。この季節の変わり目はイケナイ。上手く乗り越えよう。
悟空までが体力が無くなったとか言ってきて驚く。何処が?あの動き方。こともなげなフットワークの軽さ。やっぱり10歳違うと体力は全然違う。あ、もうちょっと違うか!?兎に角、彼女は人間の旬の年齢だ。この私だってあの頃は、今の10倍くらい動いてた。そして中身ももっと濃いものだった。、、、しかし考えてみると、この前のお年寄りの名言ではないが、年とって体力が無くなるということは、神のし向けた結果なのかも。体力が無くなると、他の力が湧いてくる。「忍耐」「持続力」「受容」「寛容」、、、そして赦すということ。、、、、若い頃には得られなかった物が、少しずつ身に付いてきているようだ。この長いようで短い人生の後半に突入して、本当に大切な物は何かを見極めながら生きていきたいもの。

 「恥辱」という本がかなり読まれているということをネットで知る。感想も少し読んだが、この本から感動を受けた人はまだ見つからない。しかし重苦しく考えさせられた人は居るようだ。訳者は矢張り若い人だった。この文章に何かぎくしゃくする物を感じるのはあながち私の思い過ごしだけでもないかも知れない。原書があれば悟空に訊いてみたいところだが。「訳」という作業はホントに難しいと思う。どんなに正確にと思っても、著者の思いをそっくり描くことは無理だろう。訳者が詩人か否かにもよるし、英語力だけではいかんともしがたいものがあるだろう。まあしかし、読み手が英語力がないんだから、すっかたなかんべさあ!だ。

 明日はオペラワークショップの公開講座だ。

 

 

2003年10月14日 (火)

むちゅかし〜、、、。

 久しぶりに読んだ小説が、なんちゅう難解さ。多分翻訳物だからだろうが、言葉の選択が、直接胸に来るような物でなく、全部頭を通ってから身体に入ってくる。胸に落ちてくるのはまだ良いが、胸を迂回して、いきなり排泄されてしまうものもある。ナンとか消化しようとするも、唸るほか無い。訳者が女性だというのを読んだアトに知る。これは意外だった。年齢は書かれてないがどうだろう?著者と訳者は年齢が近いのかどうか?関係なくはないだろう。「男の老化」について、それを悲しむでもなく、哀しむでもなく、突き放して受け入れざるを得ない現実をこれでもかと描く。しかし、難解ではあっても、読後に妙にこの主人公の皺の刻まれた、猫背の寂しげな肉体が、それでも何かに向かって突き進んでいく様子が脳裏にちらつく。「悟り」の世界とはほど遠い、「あがき」のようなものも感じる。
 文中に犬の「始末」をする仕事をやむを得ず主人公がするはめになる場面があるが、ここは観察も鋭く、犬の死を通して自分の、人間の死を考えるという、大変分かりやすいエピソードとして書かれている。全ての「処置をされる寸前」の犬達は、その注射器を絶対見ない。彼らはそこに注射器があることを確実に知っているというのだ。犬嫌いの主人公の顔といわず手といわずべろべろ舐めてくるという。そうすることで事態が変わらないにもかかわらず、、、。
 ああ、この小説は一体何が言いたいのか?原語で読めたらどんなにか良いだろうなあ。ムムム、フラストレーションがたまるなあ。
 もう一度読めば分かるかも知れない。ふ〜っ。

 

 

2003年10月13日 (月)

妙な物で、、。

 昨日親孝行したら、又続きをしたくなった。で、今日は一日べったりとご一緒。お昼を済ませてからディックにお花を買いに出かけ、あれこれ買い込んで、車に積んだまま、スーパー洋品売り場へ。結局買ったのは私。しかしまあどれもこれも、あと少し細ければ格好いいのに、、、と思う物ばかり。お陰で無駄遣いも出来ない。かろうじて、の〜びたり縮んだりする物を購入。迷ったあげくちょい小さいが、その内痩せると決心してもう一枚。この親子は買い物が苦手。よれよれになって、お気に入りの喫茶店まで帰り、小倉あんトッピングのソフトクリームを食べて、ようやく生き返る。ふと時計を見ればもう夕方。ありゃりゃ、今日の練習に間に合わない。と大急ぎで帰宅。寄せ植えの草花は明日に廻すも、連れ合いの夕食がああああ、、、。今日も、なんでこうなるの?状態。なんとか練習には間に合ったが。ぁ〜。疲れたぁ。

 ここ二、三日の救いは、今久しぶりに新しい小説を読んでいること。目の調子が少し良いみたいで、読み進んでいる。インターネットで目に付いた「恥辱」という作品で、まあ、翻訳なので、少々難解だが、一応最後まで読みたいと思わせるもの。男の老化とか、父と娘の関係についてかなり面白い表現がしてあり、何処まで連れてってもらえるのか楽しみな作品ではある。
ただ今、午後11時53分。こんなに日記が早いのも、この小説を読みたいが為。現金なモンだ。

 

 

2003年10月12日 (日)

森繁久弥

という名前を聞いても、現代では大人と名の付く人で知らない人が居るだろう。私が若い頃は人気俳優で、歳と共に味のある演技が光り、軽妙な笑いは幅広い人気を得ていたと思う。少し前まではミュージカルで名を売り、ああ、まだ現役なんだなあと、感慨しきりだったが、このところ噂も聞かなくなった。その森繁久弥の昔の映画を特集するという記事を見つけて、母を誘った。案の定二つ返事である。今週は第二弾で、「社長太平記」と「夫婦善哉」の二本立て。どちらもくすくすっと笑える愉快な作品だった。後者の方は喜劇の様で、笑いの中にペーソスを感じさせる、文芸作品と呼べるだろう。題名は知っていたがこんな内容とは知らなかった。
それにしても、この映画の中の日本は、東京でさえビルが低く、まるで見晴らしがよい。日本が急成長を遂げたのだということがよく分かる。だって、その映画の主人公は未だこの世の人で、(あの世の人もたくさん出たが)そんなに大昔のことではない。あ、そうそう、傑作な場面があった。「社長、、、」の方は彼が下着メーカーの社長という設定で、社員が新製品を社長に見せに来るのだが、なんとそれが今はやりの「ヌーブラ」なのだ。ひももカギホックも無いでしょう?と男性社員が自分の胸に付けてみせるというもので、は〜っ!参った。そんな昔からのアイデアだったんだ。あれは。まあ、アイデアだけで、実現しなかったのかも知れないが、、、。

 兎に角母が喜んだ。昔から映画好きで、1年の半分は映画を見てたという話しだから、当然森繁も大好き。どうやら父との思い出にも繋がるらしい。映画の背景も懐かしんでいたようだ。やれ、羽織の丈が今とは違ってあんなに長いとか、解説してくれる。私にしても七輪や蛇の目傘、そろばんなんかは、そうだった!と昔帰り。
 兎に角母といい時間がもてた。来週、再来週と続くのだけど、、、どうしようかなあ。行けるかなあ?

 

 

2003年10月11日 (土)

無駄のない一日。

 本日はこのホームページに以前ちぇちで歌ってくれたUさんが「音楽会があるよ」と書き込んでくれて、思い切って高速飛ばして宇多津まで行って来た。ギリギリまで仕事をして準備してると、ちゃんとこのホームページを読んだTさんが私の出発に時間を合わせて、ご自分の衣装を寄付して下さると持ち込んで下った。有り難く頂いて、6時開演の演奏会に間に合うように、5時5分中央インターに乗る。対向側をパトカーが走ってるのを見て、まあ平均90キロ程度に抑えて走る。ホールに着いたら15分前。最初からのお目当ての「おか泉」へ行くとまるで私を待っていてくれたかのように一台分車が置ける。待つ人が並んでいるが、一人はすぐに通してくれて、ぶっかけ天ぷらうどんを注文。隣の若い人達がどうやら、県外の人。女の子はどうも恥ずかしくてずずずとすすれないらしい。しかし、だんだん慣れて、いい音出しながら食べていた。そうよ、郷にいれば郷に従えってね。うどんは音を立てて食べるのが正当派。喉で味わえ、噛むなというのは少々無理があるが、、、。まあ、でも裏切られないおいしさだった。
急いで食べてホールに着くとまだ半分しか埋まっていない。演奏の途中で見ると7割くらいにはなっていたなあ。矢張り、6時開演は難しいのかも。
プログラムを見て驚いた。殆ど、知ってる人ばかり。昔のこのグループの演奏会は何度か行ったことがあるが、今回はホントに久しぶり。出演のメンバーも様変わり。知らない人が多いだろうと思ったら、違った。後半はオペラを演劇風に演奏したのは矢張り観客に受けていたなあ。原語だから、やっぱり工夫がいる。なかでもフローラ・ラファネッリがこちらに来たときに一緒に会ったことのあるKさんが多分結婚されて姓が変わり、成熟した大人の歌を聴かせてくれたのは、行った甲斐があったというもの。この演奏会を知らせてくれたUさんも高音がとてもきれいで、以前からなら随分成長されている。アナウンスで、オペラのお話を懇切丁寧に解説してくれるのは、ちょっと饒舌すぎたかも。もう少し簡略化した方が、、、まあ、難しいだろうが。
このホールは前から良いホールだと思っていたが、もっと近いと良いのになぁ。まあ、おか泉があるから遠くても行きたいけど。ハハハ。
ピアニストは綾野さんと佐々さん、もう一人素晴らしく上手い男性ピアニストだった。伴奏がしっかりしてるから、ホントに良い演奏会だった。
香川の演奏家はホントにレベルが上がってきて、楽しい。
 しか〜し!最前列の孫連れのおばあちゃん。もっと後ろで聞いて欲しかったなあ。3歳か4歳か、椅子をばたんばたん、あっちに行ったりこっちに来たり、笑ったりおしゃべりしたり、だれか、出演者の縁者かもしれないが、私は離れていても気になったのに、ソバの人達は大変だっただろう。、、、が、誰も何も言わず、2回も休憩があったにもかかわらず、そのおばあちゃんはそこから動かなかった。まあ、これが高松なら、きっと誰かが係の人に注意を促すところだ。舞台の人達は悔しかっただろうなあ。よくぞ歌詞を忘れなかった物。、、、どうしたもんだか。
 帰りは高速を使わずにゆっくり走る。雨が少し降り出して、昨日からの頭痛の原因が分かる。でも、降ってしまえばこっちのもの。
 帰ってからすぐにクラシックラガー500を一気のみ。あ〜っおいしい。

 

 

2003年10月10日 (金)

シンデレラタイムだ。

 訳あって、本日のご帰還は午前0時30分。ミュージカルなんぞに出るようになると、またぞろこんな夜がちょこちょこ、、、。さて、体力が持つかどうか、、。自己管理をせねば、歳なんだし。
 まあ食べるとおいしいと感じられる間はいっか!てなもんで、本日の我が創作料理はおいしかったなあ。次ぎまで覚えてるかどうかが疑問だが。こないだから捜し物ばかりしてるわけで、ただ今は、壊れたメガネを探している。修理に出そうと思うのだが、、、何処を探しても無い。ひょっとして既にどっかに修理に持って行ってたりして。ハハ。そんなことがあったら再起不能かも。それにしても何処なんだろう???
 

 

 

2003年10月 9日 (木)

う〜みは暗いな〜寂しいなあ〜♪

 行く前は猛烈に眠かったのに、シャンソン教室のみんなとあれこれやってると妙に目がさえて、帰りは寝るかと思ったが、全然眠くなかったなあ。今日感じたのは、明らかに高松の人と岡山の人は違うということ。何処といわれても困るが、簡単に言うと、高松の人はおとなしい。岡山の人は個性が強い人が多い。てことになるかも。一列に並んでよ〜いどん、とやると、きっと一番に飛び出すのが岡山軍。高松の人はお先にどうぞと譲りそうな気配がある。今夜のシャンソン教室は2回目だったが、2時間ぶっとばして、さすがに生徒さん達も疲れたみたい。途中の休憩を飛ばしてしまったのだった。で、最後にお茶を頂いたが、やっぱり人間呑んで食べるという行為が、あると無いでは随分空気が代わる。すっかりリラックスして、うち解けてお話が出来たのは良かった。そもそもこう見えてもあたしゃ人見知りするタイプなんだ。誰も信じないだろうが、初めての人には弱い。しかしホントに個性的な人の集まりとなった。こりゃあ、高松組より面白くなるかも知れない。ゆくゆくは合同の発表会が出来ると良いなあ、なんて先のことを考えてる。帰りに送ってくれた人が面白い。「兎に角歌は嫌いで、シャンソンなんかとんでもないと思とっちゅうに、音痴で、リズムも狂いっぱなしのMちゃんがあげん声だして、うもうなっとるんをみて、こりゃあひょっとしたらウチもいけるんちゃうか、、と思った」というのだ。その岡山弁の愉快なこと!ホントに楽しい人だった。そうは言うものの、そろいも揃ってみんな声がある。全く楽しみ。歌嫌いシャンソン嫌いの人なら尚楽しい。さあ、どうなる事やら。
たった3人しか載ってない客室での〜んびり帰高した。外は暗く、高松港の灯りも少ない。冬の入り口って感じ。海べりの景色を見ていてヴェネツィアを思い出した。なんであんなに水の上に建物を建てたのかと不思議だったが、廻りが海なら仕方がなかったんだなあ、とぼんやりと考えたり、、、。
 

 

 

2003年10月 8日 (水)

さあて、、、。

 ミュージカル劇団タイムステップの会議なるものに顔を出す。夜の8時集合、終了は11時過ぎという、まあ、この世界では当たり前の時間帯。行く前は登校拒否の子供のように頭が痛く、車の窓にぽつりと来た雨で、あ、むち打ちか、と思ったりしたが、懐かしい顔ぶれの中で、話し合いが和気藹々と進んでいく中、いつの間にか頭痛はとれていた。もうとっくにミュージカルの世界から足を洗ったつもりで居たが、再出演の方向に決まったようだ。またぞろ忙しくなりそうで、又別の私が「アンさん、ホントにやれるの?」と囁く。しかし、人生は短い。ラブコールには答えておく方が良いのではないか、、、、などと一方では考えている。こりゃぁ、死ななきゃ治らない、ってか?
 ところで、今度の市民会館はなかなか素敵だ。まだ絵コンテの状態だが、ホールの姿はこの絵を見る限り、今時の新しい使いやすそうなホールだった。やがて殆どの舞台関係者がこぞって使うことになりそうだ。立地条件はすこぶる良いし、楽しみなステージではある。ちぇちもここを使いたいもの。
 このまま行けば高松も活気づき元気になるかも、、、と思わせる昨今のアーツカウンシルの活動である。全国的にも珍しい、異業種異団体との協力という取り組みは、かなり骨の折れる作業だとは思うが、実現すれば確かに意義ある事だろう。ともすれば孤独な活動に陥り易く、排他的になり、島国根性的なものに支配されがちなこの世界に、新たな何かが生まれるかも知れない。横の人と手をつなぐことが今必要とされ始めたのだろう。先日の我々の二期会参加にしても、結局はそういうことだ。舞台作りの苦しさを知ってる人達が手をつなぎ、お互いにカバーし合うことはホントに意義深いこと。気持ちよくこれが出来れば言うことない。はてさて、未来は明るいのか?期待が高まる。

 しばらくこういう会議に顔を出してなかったが、みんな少しずつ成長してるなあ。自我を押さえて、相手の話をちゃんと聞くという、まあ、当たり前だが難しい作業をそれぞれが努力していて、好感が持てた。これなら良い作品が出来るだろう。、、、しかし、団員同士で結婚したカップルのいずれが出演するかで、問題が残った感がある。たまたま本日参加のS夫妻は、今回奥様が出演することにあいなったが、旦那様はやや寂しげではあった。しかし、良い時代だ。「育児頑張ってね!」という私のかけ声に「はいっ!」と明るく振る舞う彼の返事に世代を感じた。うちのお嬢と同じだぁ!うむむむ。

 

 

2003年10月 7日 (火)

香川がワースト2だって?

 犯罪の件数がどんどん増加しているそうな。特に香川ではこのソバのレインボー通り近辺が危ないんだそうだ。まあ、近辺にうちが入るかどうか分からないが、そう言えばご近所にドロボーさんが出没しているという噂は聞く。さすがにプロはよく知っている。我が家に年中お金がないということを。夫婦共々ボランティアにうつつを抜かし、夫は定年、妻は自由営業となり、収入より支出の多い生活をしてるというのを。まあ、盗られて困る物は命と、、、いや命だけだった。
 大人は生活のためにドロボーするが、子供のゲーム感覚の窃盗も増加しているらしい。どうも、日本の芯になる部分が、ぐにゃりと曲がってきたようだ。これから何が起こるか、、。

 娘が芝居の稽古に入るため、今日から1ヶ月都心でマンションの一人暮らしをするそうな。確かに誰も寄せ付けない状態になるから、一緒にいる方が婿殿のフラストレーションが溜まるだろう。まあ、しかし、理解のある人で良かった。こんなわがままをさせて貰えるなんて、有り難いこと。っていうか、うらやましいとさえ思う。あたしゃ、本番の前日でも食事の用意をして出かけなくてはならない。私が外で何をしようが、家の中の仕事はどんどん溜まっていく。終わったあとの純粋な開放感が味わえないのは、このせいだ!ん十年こうしてきている。、、、まあそう永くは出来ないだろうが。

 

 

2003年10月 6日 (月)

戦い済んで日が暮れて、、、、

 今日の夕空は素晴らしかった。雲間から上に射す夕日が扇子の骨のように広がり、その先に重なり合うちぎれ雲を裏側から照らしている。青空の残るところは天使がガンジキで掃いたような雲が浮かんでいる。色といい描かれた絵といい、自然はナンと凄い芸術家かとため息が出た。

 衣類の入れ替えをやり、余りのしんどさに途中で放りだした。でも少しでもしといて正解。今日の寒さったら無かった。出したばかりのセーターを夜の練習場へ着ていくことが出来たから。ホントに寒い。やな季節が来るなあ。

 昼間のシャンソン教室では、もっぱら昨日の反省会。なにはともあれ、止めたいと誰も言わなかったことが目出度い。ホントにいい人達ばっかり。今日の一番の話題はなんと言っても今まで声が全然出なかった人が昨日の発表会ではちゃんとした声で歌えたこと。まあこうして少しずつでも上向いてくれているのは嬉しいもの。殆どボランティアだが、お金に換えられない物を頂いている。さて、いつまで続く事やら、、、。

 

 

2003年10月 5日 (日)

ナンのために?

などと考えてると何も出来ない。理由は無いが好きだから歌ってる、舞台に立ってる、理屈抜きのことに動かされてるだけ。シャンソン教室の発表会は、ピアニストの多大なヘルプのお陰で一応、終わった。終わったと言うことが目出度い。全部で40人の集まりで、観客の方々がとても暖かく、新米歌手達を励ましてくれたのが有り難かった。、、、それにしてもこの綿のような疲れ方は異常。I先生がいつも、本番で、生徒の声を聴いて自分も歌うのは大変苦痛で、どちらかにしたいとおっしゃる意味が分かる。みんながきちんと歌えるかと思うと全然落ち落ち着かない。自分の歌に集中出来ない。
 それにしても眠い。

 

 

2003年10月 4日 (土)

名言

 シェイクスピアの名言に「目無し、歯無し、口無し、、、」というのがあって、人間段々衰えて最後は土に帰りウジ虫の餌になり、その内壁土になるのが落ち、と人間の一生を面白く表現している。先日ご来店の85歳の方が、ナンとシェイクスピアを超える名言を残してくれた。「確かに人間は段々老化して、目も弱くなり耳も遠くなり歯も自分の歯はなくなってしまう。けど、それで良いのです。それが救いなんです。いろんな事が見えすぎない方が良いんです。聞こえすぎるとイヤなことも聞こえてくる。歯がなくなって、たくさん食べられなくなるから、良いのです。、、、」そうだった。シェイクスピアは52歳で亡くなっているから、それ以後のことは想いが及ばなかったんだ。ただ嘆いて、この女性のようにそれが人に与えられた救いだとまでは書いていない。いやあ、こんな風に歳をとることが出来るなら、老人も悪くない。ここまで悟りが開けるかどうかが問題だが。

 娘が電話で寝ぼけたことを言ってきた。「お母さん。私、主役だったみたい」おいおい、台本読んで、それが分かんないなんて、あんさん大丈夫?というと、明日台本を送ってくるそうな。余りに重いから一人で持っていられないと言うのだが、こっちだって自信がない。兎に角難しいので有名な作家のものだし、人生の深淵を描いているだけに、迂闊なことは言えない。はてさてどうしたもんだか。

 

 

 

2003年10月 3日 (金)

ふ〜っ!

 伴奏者と初めてシャンソンのピアノ合わせ。例によって同居人の夕食を特急で作り、急ぎFM収録へ。本日はM先生の久しぶりの登板で、おまけに3本録りときた。それというのも、私のスケジュール上の都合もあってのこと。今月から又忙しくなるので、録りだめをしたいのだ。スタジオから重い身体を引きずって劇団タイムステップへ。来年の市民会館の記念事業の作品決めで、どうやら話しの流れから、出演もあり、かも知れない。しかし、出来るのおあんた!という声が何処からともなく聞こえてくる。ままよ、やってみなくちゃわかんない!
さて、急ぎ帰るも、伴奏者に練習テープのダビングを届ける用事が。なんとか作成して車でお届け。帰宅早々メールを見ると、完全に忘れていた短歌の「一首選」の提出を催促されている。12時過ぎてからそれもメールして、や〜れやれ。

 

 

2003年10月 2日 (木)

「こうもり」

今回は客席からオペラを観賞した。見るのも良いが、やっぱり舞台で自由に動く喜びを知ってしまうと、ちと物足りないか。ハハハ。
しかし、洗練された無駄のない動き、計算された芝居の運びは、実にさすがであった。本場で歴史に支えられての訓練は実り多く、喜劇でも、いや喜劇だからこそその成果が大いに感じられる舞台だった。、、、が、と続くのがワタクシの感想である。まず出演者とオケの人数が少なすぎる。このにぎにぎしい壮大なオペラが、まるで田舎の小さな劇場向きのスケールで公演されたのは、寂しかった。パーティの中で、ゲストを呼ぶところも、カットせずに海外向けに一工夫あれば面白かったなあ。ソリスト達ももう一回りでかいスケールが欲しかったなあ。だって、本場なんだもの。そうしなければならなかった理由は、簡単に想像出来る。ギャラの問題だろう。兎に角オペラはお金がかかる。以前スカラ座が来たとき、新幹線ひかり号を借り切った。品川の高輪プリンスホテルもどでかい宿泊客に追われてきた。

つづき、、、
夕べはオペラ観賞後あらかじめ予約してあったお店に会場で出会った人も含めて12人で集まり、感想やその他モロモロで盛り上がりご帰還は午前様に近く、非常にお疲れのワタクシは、丁度呂律が回らないが如く、文章もへんてこ。「どでかい宿泊客」とはなんぞい?ハ!
要するに「スカラ座」の引っ越し公演なんかは、もの凄い人数で、オーケストラや出演者、関係者でいくつものホテルを借り切ってしまうくらいなのだ、ということを書きたかったのであ〜る。別に多けりゃ良いというもんでもないが、凄いキャリアの人達がどっか〜んと集合するオペラは、矢張り凄い物がある。この「わくわく感」を味わうのもオペラの楽しみの一つなんだ。

しかし高松の集客は全くまずい。指定席がガラガラ。あれでは、先日の地元の製作のトスカの方がましだった。まじめにS席を取って観たのがばからしくなってくる。県民ホールは一体何をしているのか?高松の人達ももっと、文化的な物に興味を持って欲しいなあ。人間が動物と違うところは「芸術を持つ」ことだと思うから、より人間らしく生きるために、オペラに限らず、もっと舞台にも目を向けて欲しいなあ。

 

 

2003年10月 1日 (水)

遂に10月、、、。

なんという速さ。この時間の怖ろしい勢い。全速力で私を追い立てている。時間が別の流れ方をしている土地があるそうな。どうにかしてそこへ行きたいもんだ。願わくば三途の河原ではなく。まあ、もう良いようなモンだが、もうちょい、この世に置いといて貰おうか。

「体験」とはその字の通り身体で経験する事だろう。しかし、人は体験で何処まで分かるだろうか?例えば池田小学校の犯人を見るが良い。彼は殺人を体験したが、何かを理解したとは到底思えない。殺された側の被害者の体験はできない宿命の人間だが、となると、殺されるというのは想像力で考えるしかないわけだ。「経験しないとホントのことは分からない」という思想は、子供達を思いやりのない人に育てはしないか?「想像力」を磨き育てるために必要なのは、矢張り音楽、文学、その他モロモロの芸術ではないのか。
「体験学習」が増え、国語の授業が削られてきているそうな。全く、日本は何処へ行くのか、、、。

 

 

« 2003年9月 | トップページ | 2003年11月 »