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2003年7月

2003年7月31日 (木)

人生とは恥の記録?

 さだまさしの「息子へ」の歌詞にこうあった。「生きることは辛く恥ずかしいこと」全くその通り。ひとたび恥ずかしいと思ったらもうダメ。表に出られないだろう。ナンとかその穴を覗かずに生きているのだ。が、のうのうと生きているし、舞台にまで立って、恥をさらしている。なんという我が人生。
 というわけで、本日のFM収録は苦しかった。自分の声が流れるたびに、身の毛もよだつ思いである。歌なんてモノは、残らない方がよい。人々の記憶にぼんやりと残ればいい。、、とつくずく思うスタジオでのアチクシ。それに引き替え、お元気なO嬢とT嬢。あとで、三人でお食事に。ところが、珍しく主人からの電話。内容は、我が家が火事になるところだった、というもの。慌てて飛んで帰ると、何事も無く既に煙も消え去っていた。ガスレンジの中には、真っ黒な「元ナス」が。やれやれ、被害はこれだけか、、、、。再び消防署のお世話になるところだった。ふ〜っ、危ない危ない。もう一品プラスしようとしたのがあだになった。、、、と言えば「それは言い訳だ」と主人の冷たいお言葉。ええそうでしょうとも。みんな私が悪いのよ。グスン。
 

 

 

2003年7月30日 (水)

やけっぱちが良いのかも、、、。

 私の場合、舞台で歌うのはやけっぱちでやった方が良いみたい。本日用事でヴォイトレのT先生にお電話したら、今までになくお褒めを頂く。「リラックスして、のびのびと声が出ていましたよ」リラックスなんかしてるわけ無い。ただ、あの日はもうやけっぱちではあった。T先生にはそうは言えなかったが、、。ゲネでみんなの声を聴き、演技指導もやったあげく、自分の歌に集中なんか出来るわけ無い。あのホールは初めて使うので、音響状態が全然分からない。案の定、前っつらでないと、声が響かないことが判明。全員の立ち位置を指示したり、客席を上へ下へと走っては音のチェック。ゲネが終わる頃にはへとへとだった。ま、後は会長が締めてくれるだろうと、諦めたのが良かったなんて、全く摩訶不思議な歌の世界。も〜っ、やってらんない!今度はシャンソンの発表会でストレス解消と行こう。これが又9月なんだなあ。日がないじゃん。く〜っ!その前に、S君の結婚式というか、披露宴で歌うという仕事があったっけ!?いやん、何歌おう。次から次へと追っかけてくるなあ。
 本日は先延ばしにしていた顧客の襲来で、チョー多忙。その内のお一人が、ナント凄い交通事故にあってらした。奇跡的に助かったのだそうだが、なるほどお顔に傷跡が、、、。他人ごとではない。気を付けよう。バタバタ忙しい最中に娘からの電話。「おかあさん、山道はローで登るの?下がるときは?」と聞いてきた。大事な方をお乗せして、ったく大丈夫かなあ?心配。娘の運転は、私にとっては「飲んでも乗れて」有り難いが、他の方を乗せるのはホントに心配。

 

 

2003年7月29日 (火)

たった今、こ・ろ・ん・だ。

 部屋から部屋へ、いつも通りに足を運んだつもりが、立てかけてあったバッグの端に引っかかり、あっと思ったらもう転倒していた。危うく側の柱に顔を持っていくところだった。、、、疲れている。したたか打った手の甲と右足のどっかが痛い。誰かさんと違い、観客は、主人一人だったにもかかわらず、やっぱり見栄を張って立ち上がる。アキマヘンナア,歳ですなあ。と頭の隅から声が聞こえる。よくぞ舞台で転ばなかったモノ。ぞっとする。
 娘は演出家からの電話で、急遽熊野詣でに出かける。秋の芝居の取材だそうだ。娘が帰ると言ってきたときは嬉しかったのに、演奏会の仕事を手伝わせて、一緒に何日か居たら、もうペースが変わって、疲れる。これが、赤ん坊を連れ帰ったりしたらもっとひどいらしい。友人の話では、可愛いけどねええ、、、てことになる。疲れても良いから、孫の顔が見たい、、、なあんて、らしくないことを思ってみたりするが、取り敢えず又夫婦二人だけの単位に帰って、ほっとしている。
 人間て、わがままなもんだ。

 

 

2003年7月28日 (月)

ある結論。

 この日は予定通り、津田のペンションへ母と娘の三人で出かける。部屋に案内されて最初に母が「テレビが小さい」と言ったが、ゆったりとお風呂に浸かった後は、予想以上においしいフランス料理に舌鼓を打つ。ビールにワインと呑む内に気のけないおしゃべりに花が咲く。ここまでは良かった。確かに。しかし、部屋に帰ると、結構広い室内だし、清潔だし、窓から海も見えて景観も良いんだが、何かしら物足りない。母はちゃんとパジャマを持参しているが、私達親子はペンション初めてで、持たずに出かけた。Tシャツをパジャマ代わり。こんなに早く寝たことがないと言いながら、することが無くて一度は電気を消したのが、夜9時。ものの5分も経たずもぞもぞと起き出して、今時見たことがないくらい小さいテレビをつける。結局2本の洋画を見て寝たのが午前1時半。なかなか寝付けない。母もやれ枕が大きくて硬すぎるだの、布団が重くて暑すぎるだの、ぐずぐず文句を言ってなかなか寝ない。クーラーを入れたり切ったり。そうこうする内いつの間にか寝たようだが、熟睡とはいかなかった。朝になって三人とも寝不足の顔でのろのろと朝食を取りに階下のレストランへ。それでも、やっぱり食事はおいしい。
そこで、結論。ここへは泊まらず、食事に来よう。、、、考えたら、やっぱりどんなにおんぼろでも、寝るのは我が家が良いのだった。(欠伸)

 

 

2003年7月27日 (日)

昨日はよれよれ、今日はへろへろ。

 今年に入ってからの疲れが全部今頃出たかと思うほどの疲労感。しかし起きなくてはイケナイ。仕事もしなくては。溜まった家事もやっつけねば、、、。ねばねばねば!ああ、このねばから解放されたい!その為には別のねばが必要に!生きると言うことは、そういうことなんだろう。
 今日MariさんにMDを聴かせて貰ったが、MDという代物は欠点を際だたせる。これを明日のFM収録に使えるかどうか、、、たいへん疑問。ま、しかし、こんな事をしましたの報告には使おうと思う。あ〜あ、いつになったら、堂々と公開録音が出来るようになるだろう。努力せねば!あ、又ねばだ!
 長い間ほったらかしにしてあった母を誘って、娘と三人で深夜映画「踊る大捜査線」を見に行く。おしゃれして車に乗り込んできた母と違い、すっぴんの私は、途中寝てしまうかと思ったが、以外と最後まで飽きずに見られた。でもやっぱり、邦画は苦手。余りにスキが多くて不良品のトイレットペーパーを繰ってるような気になる。予告編で、画像が素敵だったのが「英雄」という中国の映画。これは見てみたいなあ。スケールが大きそう。今晩一番元気だったのは、やっぱり母だった。フ〜ム。なんでだろう、なんでだろう?
 明日はシェイクスピア講座のあとFM収録、その後シャンソン教室で、帰宅してから思い切って津田のペンションに宿泊の予定。骨休めになると良いのだけれど。やっぱり、私と母と娘の親子孫、女三代のお出かけ。これが一番気兼ねなく楽しめる。フランス料理だそうだからちょい気分転換になるかも。
 昨日は日記を書く元気も無かったが、色んな方が励まして下さって、次回をガンバロウと思えたのはホントに有り難かった。何が嬉しいって、今回ほどチームワークを感じたことはない。確かにみんなが自然に動いていた。自分がどう動けば会が成功するかを、みんなが自覚してくれたのだろう。「自由で、お互いを思いやることの出来る団体」として、ちぇちぃりぁが続いてくれれば良いなあ。
 コンサートに関する反省材料は山ほどある。これは反省会でしっかり検討しようと思うが、ともかく、みんなの力で一つの演奏会を上演出来たことは間違いない。出てきた結果であれこれ批評されるのは仕方がないが、過程も大切だと、私は考える。今回の目的地が県内、例えば坂出だったとしたら、次回は瀬戸大橋を渡ろうと思う。その次は神戸あたりか、大阪、名古屋東京と、どんどん遠くに目標を持ちたい。企画モノの指導者T先生が打ち上げで「私は今回の企画モノに、敢えて難しい選曲をしました。」とおっしゃったのが印象的。ちぇちぃりぁ号は夢を乗せて、はるか彼方を目指し始めた。

 

 

2003年7月26日 (土)

今夜はしたたか飲んでいる。

飲まずにゃいられなかったのだ。今年に入ってもう3度目の演奏会。自分の歌に加え誰かさんのレッスンやら、全体の芝居をつけるという責任が。

まあ、今日は兎に角、、、眠い

 

 

2003年7月25日 (金)

ついてない!

 娘が深夜1時半に帰省するというので、時間を合わせるために、きららという温泉へ。そこでマッサージを頼んだのが間違い。10分1000円という高額にもかかわらず、最後の客だったせいか、途中でなんか変?と思ったら、ナントマッサージさんが寝てる!なんで分かったかというに、手が止まったまま数秒。やがてハッとして又再開。しばらくしたら又止まる。おいおい、眠りたいのはアタシなの。と言いたかったが、ぐっと我慢。瞬く間の40分。あ〜あ。無駄遣いしちゃった!せめてゆっくりお風呂に入り、リラックス出来たのが良かったか。
 本番前の最後のレッスンを我が家で、なっちゃんとMariさんが受ける。みんな最後まで諦めない。グロッケン先生も自転車で来てつき合ってくれて、、、、お気の毒。いや、あの、その、お優しいなあ、、と。きっとMariさんが美人じゃなきゃここまでやってくれなかったかもおお。ふっふっふ。
 受付他、お手伝いの人達の手配も終わり、アナウンス原稿も仕上げた。小道具はMariさんが手伝ってくれて面白いモノになった。ローソクも買いに走ってくれた。明日はドライアイスを買わなくちゃ。、、、なんかまだ抜けてるような気が、、、。
 ただ今3時前。ぎょぎょ!もう寝よう。

 

 

2003年7月24日 (木)

いやあ参った。

なんの因果でこんなに苦しいことをやってるんだろう、、といつも本番前に思うのだ。今日は最終の練習日であったが、自分自身の出来映えは最悪。兎に角集中出来ない。家でやってるときは出来るのに、場所が変わると身体に付いてない言葉は曖昧になる。言葉に気が取られて発声がおろそかになる。全て自分に分かっているという苦しさ。分かっていて出来ない悲しさ。やれやれ、大変と分かっていながら、挑戦してしまうこの性格は、、救われない。まあ全体としては良くなっているが。
おかげで今月だけはついに短歌をおやすみ。つらいなあ。だけど二兎を追うもの一兎ををも得ずと言うではないか。ここは我慢のしどころ。あのお方のお顔が浮かんでくるが仕方ない。ちょいとあちらに向いて貰おう。
今日の日中の暑さで、ホントに頭も身体もぼーっとしていて、何にも出来ない。というか、することはいっぱいあるのに、はかどらない。取り敢えずナレーション用の原稿、本日分を含む部分を何とか仕上げる。これ以上疲労してはイケナイと、喉の辺りが訴えている。つばを飲み込むと違和感がある。これが痛いまで行かないように気を付けよう。
しかし嬉しいではないか。私からのお願いメールにたくさんの方が返事をくれる。
そして電話での問い合わせも結構ある。いずれもチケットが必要ないか?というもの。さぁ、どれくらいの人が入ってくれるのか、、、。
着々と本番が近付いている。
明日は助っ人の娘が帰る予定。深夜だとか、、。
ふ〜。

 

 

2003年7月23日 (水)

ちょいと酔っぱらいざんす。

 どうしてこう次々と降って湧いてくるのか?私のお仕事。今朝は午前中本業を休んで、四国に初上陸という、娘の役者仲間二人を屋島他へ案内し、うどん屋を2件ハシゴ。あずまやのアイスクリームを食べて貰って彼らの仕事場へ送り届けて、夕食の準備の買い物。今夜はヴェルディの会議なんだ。しかしその前にピアニストとの合わせが入っている。シチューを仕込んで、ご飯を炊いて、いくつかおかずを作っておいて、今日も飛び出す。Mさん宅には先に合わせが済んだI先生がくつろいでいる。で、私の歌を聴いて貰うことに。だが、ふと見ると先生はグッスリおやすみに!このうるさい声の側で良く眠れるものだわ。そいでもって案の定終わったらぱちっと目を覚ます。「聴いてましたヨオ」は無いモンだ。フフフ。まあ、とてもお疲れのようだから赦してあげよう。Mさん宅を出て某ホテルの祝賀パーティへ。最初はウーロン茶のつもりが、勧められるままビールに手を出す。次から次へと注いでくれて一体幾ら飲んだかが定かではないが、かなり回った。それが出来たのも、確か今日は大学で、プーさんが先生方お二人をお乗せして我が家へ来るはず。と言うことは私の車は先生に運転して貰える、、、という魂胆があってのこと。ウッシッシ。もくろみ通り行ったわいなあ。
運転してもらい帰宅して11時過ぎまで会議。まあ、いろんな事が決まって良かった。おもしろいパンフも出来たしなあ。あとは本番のみ。え?本番?

 

 

2003年7月22日 (火)

もっと光を!

 こう言って死んだ人って誰だっけ?本日Mariさんの特訓を下で聴いていて、今日は出てるなあ。なんだ、出るじゃん。と思ったが、練習後に彼女に放った言葉は「あたしゃ信じてないよ。本番にちゃんと声出して貰うまで」であった。ちょっと酷だったかも知れないが、それだけ期待してるということで、彼女もちゃんと分かってくれただろう。いやあ、歌は難しい。今、120点でも本番は半分の点数しかとれないだろう。だからこそ、もっと光を!!である。
 Mariさんの前はHM姉妹のレッスンだったが、あとのお茶の時間に「息を吸いながら声が出せるか?」という議論が沸騰して、あわや姉妹ゲンカ勃発の危機。一つだけ言えることは、いわゆる既成概念を取っ払う所から、歌の勉強は始まる。永年しゃべることで声を使い続けてきた熟年の人達にしてみれば、声というモノを知り尽くしていると考えがち。しかし、実は何も知らないのだ。声というモノの持つ摩訶不思議。美しい声と魅力ある声は違うし、魅力ある声は美しい。キーツの「美は真実である」のように。このお二人が、今後どのように成長して行くか、、、大変楽しみ。
 Mariさんのレッスンが終わると、入れ違いに今度のソロを歌うOさんと、Mさん伴奏者が練習に来る。二人ともなかなか良い声で歌っている。伴奏もしっかりしていた。
 そこへ今度のプログラム担当みっけどんが原稿を持って現れる。そこで、校正をして、明日はヴェルディの会議でこれを配ることに。なかなか面白いモノが出来た。毎回色んなモノが出来てきて、楽しいなあ。
 みんなで「モロヘイヤのうどん」を食べて、ほっと一息。何とか順調に進行して居る。ウルリカの衣装も出来たし、本日は収穫がたくさん。
 でも、、、短歌が1首も詠めないばかりか、歌も覚えられない。あ〜〜〜あ。
 

 

 

2003年7月21日 (月)

息も絶え絶え、、、、だ。

 今朝はついにマッサージさんを我が家に呼んで、しっかりもんでもらった。余りにコリコリで、その方が「又何かあるんですか?」という。舞台の前が来ると兎に角これに近い状態になるのだ、いつも。
 県外からの友人と立ち寄った町中のお店で偶然この私に合うドレスを見つける。夏らしいモノがあって良かった。実はほんの少し小さいが、お肉を折りたたむことに。
 うどんをかき込み、次なる予定地に移動。短歌の会議であった。会議中にもMariさんから電話が入る。舞台の道具を買ってきたそうな。「そのテーブルを私も使わせてね」と言った時にはもう電話が切れていた。ほ〜んとにせかこさんだ。
 夕食の買い物に母も連れ出し、うなぎ、刺身その他を調達、母を送ってから練習場へ。時間が無くて食事の準備が出来ず、「私が帰るまで食事は待って。私も食べてない」と書き置きして飛び出す。やれやれ、私は主婦なんだ。ふ〜。たまには帰ったら食事が出来てる状態があればいいのに。
 練習も密度が濃くなってきている。さて、ホントに土曜日が本番なのかしら?

 

 

2003年7月20日 (日)

ああ同窓会。

 中学卒業以来会ってない人が何人かいて、考えてみるとその人達とは、40年以上合ってないことになる。だから当然のように全然名前も思い出せない人が殆ど。その人達から「変わってませんね」と言われて妙な気分。大体に於いて男性の方が激しく変化している。世の荒波にもまれてきたのだろうか?凛々しい人もよれよれの人も、、。お互いに席を代わりながらの会話は、近況だったり過去の話だったりだが、一瞬にして、昔のままの気持ちになれる。不思議なこと。ナント11時に開始して、終わったのは4時半。その場を出てから喫茶室へ。一仕事終えた幹事を囲んでの和やかな談笑が続く。やがて時間が経ち別れの時、まだ別れたくない人達が居る。彼らはそれから場所を移して延々とやるつもりらしい。1週間後のガラがなければ、きっと私も行っていた。フフ。この田舎の中学の同窓生達はみんなとても気持ちが良い。幾分の恥じらいと、節度の中、お呼びした先生達との親密な空気がいや増し、先生方も心から楽しそうにしてくれていた。それにしても先生方はお若い。
 我が家にお泊まりの山好きの友人Mさんがこれから食後の散歩に行こうと言う。ただ今9時半。歌のためには良いかも。さあ頑張って出かけよう。

 

 

2003年7月19日 (土)

なんでこうなるの?

 本番1週間前というのにこの過密スケジュール。本日はアーツカウンシルの会合があった。市長を初め顔見知りが6分の一はいたなあ。その方達にそれぞれご挨拶に回る。間でしっかりお料理も頂く。ヴォイトレのT先生が何度もお酌をして下さる。昼間から、ビールというのも何となく疲れるなあ。緊張してたせいかあまりおいしくなかったなあ。単に銘柄が好みじゃなかっただけかも。ふっふっふ。
 こういう場所では色んな情報の交換が行われる。政治家も居れば、企業家も居る。芸術家もいるし、あ、勿論アーツだから芸術家ばかりのハズ。でもそうでない人の方が多かったなあ。なんでだろう、なんでだろう??
 本日我が家でレッスンのO君にひらってもらって、無事帰宅。一足先にレッスンしていた、Mariさんの伴奏者カナダ人のSさんも来ていた。しばらく談笑していると、いつもポスターを無償で製作してくれているYさんご夫妻が来訪。お仲間になった途端、彼らの一人娘がMariさんの英語の生徒だったことが判明。世の中狭いなああ。又その奥さんが言わなきゃ良いのに「まあ、てっきり独身かと思いました」な〜んてお世辞を言うから、Mariさんはすっかり浮かれちゃって、さっそく会長にご報告。そう言うことに全く感心を示さない会長は上の空。「Mariさん、口とお腹が繋がってないよ」と煙に巻かれていた。ハッハッハ。
いやいや実は私も認めている。彼女は若く見える。あのバイタリティと行動力、思ったことを考えずにすぐ口に出してるかのように見える。、、あくまで「見える」のであって、彼女が人一倍気を遣う人だと言うことも分かっている。今夜も五重唱の練習に会長共々、遅れて飛び出す私に「ご馳走になったからお茶碗洗っておきます」と声をかけてくれた。帰ったらちゃんと全部片づいていた。感謝。
 そして明日は中学時代の同窓会。大阪から帰ってくる友人共々参加の予定。だって、いつも大口のチケット販売先なんだもの。私の存在を忘れられないためにも、行かなくっちゃぁ!である。
 明後日は短歌の会の会議だし、夜は練習。横浜から本番影アナとナレーションをするという娘の原稿も作らなくちゃ。ムムム。ムムム。

 

 

2003年7月18日 (金)

歌うということ。

 歌うということが楽しくなくては、本物ではない、と最近つくづく思うようになった。今日のMariさんのレッスンで、それがいっそうハッキリしたなあ。それが良いと指摘してあげると、その声が彼女も気持ちが良いそうな。聞く人も歌う人も気持ちが良くなくては、何のために歌ってるのか、、、てことになる。勿論そこに行き着くまでの過程はちゃんとあるわけで、それを抜いては話しにならないが、身体って正直なモノ。今日は私のする3回目のレッスンだったが、これで私の任務は終わったと思う。、、、しかし、演技がなあ、、、。次から次へと仕事があるなあ。
 自分自身も本日二人のピアニストに合わせて貰った。今良い声が出てるかどうかが、キチント把握出来ないもどかしさはあるが、本日はピアノとどう掛け合うかというところの練習が出来て良かった。やっぱり練習あるのみ。あと1週間。雑用は出来るだけカットしたいところだが、本番前には色々あるなあ。あれもこれも、ぁ、そう言えば自分の衣装を決めてなかった!タハ!

 

 

2003年7月17日 (木)

Oさんサンフランシスコへ。

 ちぇちでも歌ってくれたことのあるOさんが、しばらくアメリカへ留学することに。本日ささやかな壮行会を。彼女は日本人ではないが、外見は殆ど日本人。言葉使いもとても巧みになってきている。矢張り長く日本にいるだけある。今度は英語の習得のために留学するそうだが、日本と違ってとっても危険なところだそう。6時以降は外出禁止だとか。朝の8時まで何しよう!?と嘆いていた。まあ無事お帰りになることを祈るばかり。
食事会が終わり、Mariさんを加えてお茶の二次会。彼女の出現で当然の如く盛り上がる。いつの間にか我々の周辺から人が消えていたのは、、、?でも、全く環境や年齢や性格が違う人達の和やかな集まりというのは心地よいモノ。今週初めにお腹が痛かったはずの会長もお元気に中華料理をぱくついておられた。これも雰囲気が良かったという証拠だろう。
 その会の前に、プーさんとホールの下見に行く。舞台を全部見て回り、音響照明その他をチェック。備品の確認も出来た。さて、あとは本番を迎えるのみ。、、、あ、まだ歌を覚えてない。ハレホレハレ。

 

 

2003年7月16日 (水)

鴻ノ池発言に思う。

 大臣が例の12歳の少年事件について、子供本人が表に出せないなら、親を引きずり出して市中引き回しの上打ち首にすべし、と過激な発言をして話題になっている。子供の事件はその子の人格形成に確かに親の影響がかなりの部分を占めていると、私も思う。しかし、その親の立場に立って考えたとき、今の彼らの心境は察するに余りある。恐らく死んでしまいたいと思ったり、自分を責めることもあるだろう。その親を市中引きずり回して、世間にこれでもかと見せつけるのは、まるで死者にむち打つ行為に似ている。それには意味もなく、ただむなしく、人間としての品位もないただの暴力に過ぎない。それは好奇心を満たすという、群衆の心理を煽るだけで、良い結果を生むとは考えられない。人間に対する愛情を持たない人が、少年法の方向を決める機関のトップに居ると言うことに、危険を感じるのは私だけではないはず。「被害者の立場に立って、、、」は自分の意見を正当化するための詭弁としか思えない。
 それにしても、駿ちゃんといういたいけな子供の死は、我々にいろんな事を考えさせるではないか。現代社会のひずみに、こんな悲しい形ではあるが、人間は極端な事が起きないと、とことん考えるということをしない。、、、そしてまもなく忘れ去られる、この事件さえも。
 世の中戦争が無くならないように、殺人も無くならないだろう。この少数の殺人が、戦争を引き起こす大きな暴力に繋がらないだろうか?そこにある人命の軽視、人格破壊、、、、。日本全体がなにかしらゆがんだ方向に進んでいるように思えて仕方がない。政治家を全員女性にしたらどうだろう。結構良い世の中になるかも!


 ところで、本日Mariさんの練習につき合うが、すこ〜し光が見えてきた。やっぱりやらなきゃ出来ない。当たり前。ふ〜っ!

 

 

2003年7月15日 (火)

新しい人。

 30過ぎのパキパキした人が、ある方の紹介で会長の個人レッスンを受けることになった。その人曰く「私は今まで仕事人間で、一切の趣味もなく今日まで来ましたが、こんな生き方がばかばかしくなってきて、急にクラシックバレーとオペラをやりたくなったのです」とのこと。かなり面白い人。昨年岡山で「魔笛」を聴いて、あんな風に声が出せたらどんなに気持ちが良いだろうとおもったそうな。会長は例によってぬらりくらり。「カラオケではいけないんですか?」「嫌いなんです」、、、さあすが会社社長という肩書きだけあって、物事に躊躇がない。喋り声や笑い方もしっかりしている。この人が実際に舞台に立つ日はいつになるんだろう。興味津々。年齢は私が歌を始めたのと同じくらい。そう告げるとその人は「まあ随分長く歌っていらっしゃるんですね?」と言われてしまう。く〜っ!あたしゃ自分の歳を言ってないっつうの!ハッキリものを言う人だった!ハハハ
 

 

 

2003年7月14日 (月)

久々の親孝行。

 余りの多忙さに母のことをかまって上げられて無く、後ろめたかったのだが、本日お昼はおそばやさんへ。家に送っておいてから、シャンソン教室。瓦町からとって返して、母を再度連れ出しお買い物と食事。ちょっとめかし込んで、生き生きそわそわしている母を伴い、デパートをうろつく。正直私は疲れている。ワゴンを押している母が試着をしている間、そのワゴンに寄っかかっていたりする。なんてこった!私の方が年寄りじゃん?!夕方の練習時間が気になってたが、めったに孝行出来ないので、今日はこちらを優先に。おいしいおいしいと海の幸リゾットとビールに舌鼓を打つ母。ふと、車いすの父と三人でこうして食事に来た日のことを思い出す。母も同じ思いだったようで「おじいちゃんも最後の最後まで、おいしいもの食べて死んだねえ」と述懐。まあ、いずれは別れるとはいえ、だからこそこうした時間を大切に使おうと改めて思う。
 家に送り届けて急いで練習場へ。私と入れ違いのように会長が退却。なにやら体調が悪いらしい。あ〜あ、私達も歳だなあ。いよいよ退陣を睨んだ計画を立てなくてはイケナイのかも。
 
 

 

 

2003年7月13日 (日)

国際交流の一役を担う

 本日国際交流会館にて、香川国際ボランティアセンターの10周年記念パーティがあった。そこでシャンソンを歌い、時間がないからと1曲削られたのだが、アンコールが出て結局追加。少しはお役に立てたのかもしれない。ラオスのダンスを教えてもらいみんなで踊る。なかなかセクシーな指の動き。タイと同じような感じだった。まあ終わってほっとした。外はかなりの雨だった。
 家に帰り本日お泊まりのラオスの方のお食事と寝床を準備して、練習所へと出かける。ドンジョバンニのデユエットの振付と長短のエキストラの動きを中心にやる。
 又しても帰ったら11時過ぎていた。ふ〜っ。

 

 

2003年7月12日 (土)

ささやかな感動。

 娘からの電話によると、我が息子はただ今しみじみと幸せを実感してるそうな。就職するまでは食事をしていても、これは親父やお袋のお金で食べさせて貰ってると思うと、充分味も分からなかった。今は自分の稼いだお金で味わい深く食べられる。時々涙がにじむ、、、。と言うのだ。私はそれを聞いて愛おしく思うと同時に、息子の自立を彼のために喜んだ。、、、が、この話をおばあちゃんにすると泣き出してしまった。これで良いのだと思う反面、厳しかったあの子の長い道のりを思うと思わず泣けたのだろうが、ここに母親とおばあちゃんの違いがあるなあ。それにおばあちゃんは「ニッポンの母」をやってきた人だから当然の反応。
 そもそも私は母性に欠けるところがあるしなあ。あの子は大学受験の時6キロ痩せて、この母は6キロ太ったもんなあ。こちらから電話することもほとんど無かったし、、、、。
我が友人は初めて親元を離れた京都の息子に東京から毎日電話していたそうな。ある日「お母さん、僕困ってることがあるんだ」と言われて、胸が詰まり咳き込んで「何があったの?」と聞くと「ん、毎日電話してくる人がいるんだ」と言うから「まあ、そんな迷惑な人誰?」と訊いたら「お母さん」と言われてショックを受けたそうな。以来腹が立ってじりじりしながら我慢したわ、とのたもうた。まあ、これが普通の母親だろうなあ。しっかし、あたしゃ出来ない。今回のようなことがあると自分の中に母性があったと思い知らされるが、、、。こんな母親だから息子も憎まれ口しか言わないが、お互い信頼し合っている事は言葉の端々で分かっている。この関係のままお嫁さんを迎えたい。結婚すればの話しだが。
 親子と他人は違うと最近よく思う。私もおべんちゃらが言えないタイプだが、ちぇちの会員の中にも、若くて学習の足りてない人が、可愛くない発言をしては顰蹙を買うことがある。これが親子だと、何よ!そのものの言い方は!訂正しなさい!と叱るところだが、それはちゃんと心の底に分かり合えるという信頼の気持ちがあるからである。ほんとに不思議なことで、必ずしも共有した時間の問題だけでもないだろう。白紙から親子親友の関係にまで人間関係を築いて行くのは至難の業。トラブルも生じるだろう。会長が以前良いことを言ってくれた。「こんなことをやっていると、何かが起こるものと思っていなくては、やっていけない。そう思えば、いちいち起こったことに極端な反応をすることもない」全くその通り。
いつか、我が家のささやかな感動に似たものが、彼ら若い人との間に生まれたらいいなあ。あ、若い人って言っちゃった!
 
 

 

 

2003年7月11日 (金)

コンサート。

 「故郷コンサート」に出かけるつもりが、今日に限って夕方のお客様。結局30分遅れで家を出たのに、中新町辺りではっと気付くと「チケットが無い!」ぎょぎょっ。テーブルの上に置き忘れたことを思い出す。仕方なくUターン。結局1時間遅れになってしまい、肝心の歌が聴けなかった。いや、歌は1番だったからいずれにしても聴けなかったんだが、会長の話では、なかなか安定したうまい人だったとか。ムム無念。、、、こうしたもんなんだ。会場はグランドホールにもかかわらず一杯で立ち見。無料となるとこんなに人が集まるんだ。、、、となると、我々のガラコンも一杯になる可能性が、、、。結局ピアノとサックスが聴けたが、最後のピアノの時に、丁度空いた席にすっわったのが間違い。まもなくカックンとなって目が覚めるを数回繰り返す。腰の入ってない演奏のせいにするわけではないが、いやあ、眠たかった。サックスはかなりうまい人だったと思う。管楽器は歌とよく似ている。アラもよく目立つ。
 で、夕食を取る間もなかったまんま、重唱の練習場所へ。1時間半の練習で、大体の動きを付ける。重唱というのはやればやるほど楽しくなる。客観的に聴いていても面白い。
 急いで帰宅して私の夕食は11時過ぎ。痩せるわけ無いよねえ。昨日から仕込んでいるミネストローネがおいしくなっている。ビールをおかずにぐびぐびちゅるる〜ぱりぱり。ぱりぱりは、キューリのわさび漬け。友人に教わってつけてみたらこれがと〜ってもおいしい。暑いときにぴったり。余りに簡単レシピで、自分でもつけられたというわけ。さあ、今夜はこれから二つほど用事を済ませてからじゃないと寝られない。ガンバルベー。

 

 

2003年7月10日 (木)

ち・か・れ・た・び〜。

 本日はお婆様のカラオケ日なので、洗濯婆さんが居なくて忙しい上に、なんだか妙に忙しかったなあ。週末にうちにお泊まりのラオス人の方の為にねぐらの用意もあったしなあ。夕方からグロッケン氏とMariさんにFMに出演頂き2本録り。我が家に帰り夕食後「長短」の練習を特訓よろしく1時間と30分。今日くらい本番で歌ってくれれば良いんだけど、、、。ま、生ものですからして、ふたを開けるまで分からないとはおもうが、、。彼女は度胸はあるらしいから、要領さえ飲み込めばなんとかなるだろう。
 ああ、疲れたぁ!

 

 

2003年7月 9日 (水)

やっちまった!

 夕方ちょっとお出かけ。家から出て2分。私の車の前には自転車が悠々と走ってる。何故か接近してくる後ろの車。はっと気が付くと、道路脇に何やら銀色のはしごのようなものの頭が少し道に出る状態で落ちている。右は対向車。前は自転車。後ろは接近してくる四輪駆動。てことで、瞬間に「ハンドルだ!」と判断。しっかりとハンドルを握って、そのものの上を走り抜ける。大きな「がたんガタン」という音と共に、バックミラーに映ったそのものの姿は、矢張りはしご。何故、アンナ所にはしごがあったのか、全く不可解。1分ほど走ると、「ぷすっーぷすっ」と我が愛車が鳴き始めた。「あ、やっちまった!」パンクである。慌ててJAFを呼びスペアタイヤと取り替えて貰う。なんてこった。タイヤの横に大きなかぎ裂きが出来ている。これって直るのかなあ?また、この担当者が愛想のいい人で、ず〜っと喋り続けている。多分落ち込んで居るであろうお客の気持ちを和ませようとしてくれて居るんだろう。時々ギャグを入れたりして、全く凄いサービス。
しかし良く考えてみると、この前JAFを呼んでから一五年くらい経っている。この間ずっと会費を払い続けているわけで、ようやく「呼ぶ用事」が出来たってなもの。この過剰サービスもさもありなん。きっと、私みたいな会員が多いに違いない。かといって、こういう事もあるしなあ。やっぱり仕方ないんだろうなあ。グスン。

 

 

2003年7月 8日 (火)

奥が深い。

 まあ、何事もそうだが、歌は奥が深い。死ぬまで奥義は究められないだろうなあ。本日のレッスンで、又一つ身体の使い方を会得。さすがに20年も歌っていると、自分の声が良いか悪いかは多少分かるようになってきたが、それとても、明々白々というわけには行かない。しかし軌道修正されて、穴蔵から少し地上に近づいたという感触はハッキリあった。頭の上の大地を突き破って、凄い声で天まで届けと歌いたい。
 今日は他にも、HM姉妹とK君がそれぞれ順調に良くなっていた。下で聴いているとよく分かる。遅くなったが、11時頃衣装部屋へ。オランピアの衣装が決まった。帰ったら12時過ぎていて、、、、これで二日続きの禁破り。どうも、11時に寝るのは、、、、いかんいかん、頑張らなくては。健康あってのものだね。まだビールが苦いのは、あんまり芳しくないなあ。Mさんがくれたカリンジュースでも飲んで寝ようか。

 

 

2003年7月 7日 (月)

雷雨の中で、今夜も練習。

 一時は激しい音でみんなの声がかき消されてしまうほど。どうなってんの?今日のお天気?まるでお天気のサンプルを見せてくれたみたいな一日だった。
 私が良くなったと思ったら、今度は会長がダウン。なかなか揃わないが、まあみんなで練習は頑張った。今度の「ホフマン」でお人形役をやるぴよちゃんに期待が高まるなあ。「魔笛」で応援出演してくれたOさんがそれやって大いに受けたと聞いている。今回もしっかり笑いを取って欲しいなあ。Tくんも歌のカンを取り戻している。やれやれ。なかなか楽しい会になりそうだ。
 やっぱりオペラは楽しいではないの!?みんなオペラの練習にはいると顔つきが変わってくる。正直なモノ。以外なのはMMさん。歩き方一つでも、ちゃんと雰囲気が出てる。彼女の役者の資質はこれから意外な展開を見せるかも知れない。これだから面白いんだなあ。外見からは想像出来ないみんなの特徴がこんな時に顕著になる。オペラは「歌劇」というくらい劇なんだから、芝居っけがない人はダメ。さいわいちぇちは人材に恵まれている。これからが楽しみ。
 みんなも元気なままで本番を迎えて欲しいなあ。健康でなくては何も出来ない。、、、痛感。
といいつつ、本日ただ今午前1時。やれやれ。お風呂入って、さ、寝よ。
 

 

 

2003年7月 6日 (日)

このところ早いぞお、この日記。

 大体11時前にはこうして書いている。ま、本日は諸事情により11時を20分ほど過ぎてはいるが。病気の前の異常な遅さはもう無い。順調でありんす。このまま早寝に繋げられればいいのだが、、、まもなく本番が二つ。内26日のは自分の事だけではイケナイ。企画モノの全ての演技指導と振付が待っている。それもこれも、お客様に少しでも喜んで頂きたいが為。オペラというものの断片をご紹介したいと欲張ってのこと。しかし、これが何故大変かと言うに、本人達が「歌」でアップアップしてるため、演技まで行かない所を、無理矢理演技して貰うからである。いやあ、大変。ホントはあたしゃ自分のことだけやっていたいのよ!わっかるかなあ?分かんないだろうなあ?この私のつらさ。トホホホ。

 

 

2003年7月 5日 (土)

発表会第二回Cantiamo終わる。

 いわゆるお勉強会で、人が歌ったものをそれぞれが勝手に意見を言い合う、というものだが、自分の事を考えてると言えないモノ。こんな時は、自分の事は棚の奥深くしまい込んで、勝手な批評をするのが良い。言われた方も、あの人良くアンナ事が言えるわ、じゃなく、ああ、そういう風にきこえてるのか、と思った方が良い。こういう会がもし続けば、これは大変な力を付ける会になるだろう。
本日の収穫はなんと言っても、本格的なレッスンをして未だ3回、というHM姉妹だろう。今までコーラスを楽しんできたお二人だが、コーラスを楽しむにしても、このいきいきした声で歌えばもっとたのしいのだから。是非続けて欲しい。私と同年代だけに心から拍手を送りたい。出会いの早い遅いはあっても、歌が好きと言うことには変わりがない。そして、なっちゃんはちゃんと勉強しているなあ。声がちっとも衰えてない。ばかりか、むしろ女らしくなってきている。「すきこそものの、、、」だなあ。
、私はと言えば、直前まで楽譜を見ようかどうしようかと迷いながら、もし咳き込んで取り返しが付かないは目になってもイヤだから、兎に角今回は楽譜を見ながらにした。、、、が、途中から変。それもそのハズ、頁の順番を間違えてる。何とかごまかしたが、アセアセ!なんだか楽譜の収まりが悪いと思えば、人より大きくコピーしてあるためだった!イヤなメガネはかけるしで、ナントしても暗譜でなきゃイケナクナッタことを再認識。年とると言うことは、人の倍努力が居ると言うことだ。う〜ん、来週はシャンソンを人前で歌うんだから、こっちにエネルギーが取られるなぁ。まあ、乗り切ろう。
 帰ってから私のしていることは、同居人の白髪を染めて上げながら、この日記。時間外だっちゅうの!プン!

 

 

2003年7月 4日 (金)

少し良くなると、、、

途端に忙しくなってきた。本日は仕事の多忙さに加え、夜は劇団の後始末というか反省会に出かける。明日はCantiamoの会で歌わなくてはイケナイのに、である。引き受けたことを途中で投げ出せない、このやっかいな性格はどうも死ななきゃ治らないみたい。で、これでも急いで帰って10時半。飲み忘れた薬を飲むためと言い訳して、よく冷えたスイカにかぶりつく。あ〜生き返った。夏の間、これが我が家の冷蔵庫から消えることはまず無い。大のスイカ好きなんだ。
 今宵の反省会は、本番から5日目とあって少し冷静になっていたなあ、みんな。面白いのは、言葉の中身が舞台経験によってはっきりと違ってくること。「楽しかった」「興奮した」というのは殆どが新人。「不完全燃焼だった」「落ち込んでる」「もう少し練習したら良かった」というのが古いメンバー達。物事は知れば知るほど苦しみが付きまとう。中では、「苦しかったけど、又舞台に立ちたい」というのが、若者らしくて良いなあ。我が博士の「友達に一幕は出てなかったと思われてた」という発言にみんな大笑い。確かにPOOHさんも言ってたなあ。めちゃくちゃ可愛かったって!アハハハ。ホントに変身してた。彼にはちぇのガラコンでも頑張って欲しいモノ。劇団の連中にも聴いて貰おうじゃないの。
 明日は彼らは泊まり込みのバーベキュー大会。く〜っ!悔しい。なんでこう重なるのよん!あ、もしかして、これは天の啓示か?食べ過ぎて今度はお腹を壊すな!てか?

 

 

2003年7月 3日 (木)

ひーさーしーぶりに歌った。

 まだ声がうわずるが、何とか歌えた。それにしても、このだるさは何?まるで体の中が空洞になっちゃったみたい。しっかり脂肪が付いてるはずなのに、変。さて、何か特効薬はないモノか?、、、といっても、もうこれ以上薬は飲みたくない。ひょっとして、このかったるさは、薬の副作用かも。整体をしてもらったら、身体ががちがちで、思いっきり悪くなってると言われてしまう。そうだろうなあ。
 夕べは早寝の最高記録を出すつもりが、娘からの長電話。結局シンデレラタイム。「いつ帰ろうか?」というもので、帰ってからのプランをあれこれ、、、。ずっと一緒だとケンカするだろうが、こうして横浜と高松では懐かしさが先立ち、少しずつ思いやりのある会話に。先日教えて貰った津田の素敵なペンションに泊まりに行こうと決めて、ようやく電話を切る。以前からなら随分電話の回数が減っている。段々自立してきて居るんだろう。しかし、うちの子は変わってる。母親の私に話すことより、おばあちゃんに報告することの方が断然多いんだから。母親が知らないことをおばあちゃんが知ってるなんて事はざらにある。まあ、80過ぎてもこうして元気でいてくれるのも、孫が貢献してるかも、、である。先日出した短歌が「青南」に取り上げられて、ああ、こんなの作ったなあ、とおかしかった。
「空港に待てば降り来る老いし母口をへの字に結びてをりぬ」
確か、母が我が息子の引っ越しから一人で飛行機で帰った時のモノ。大丈夫と言いつつ緊張していた母がおかしかったものだ。
それにしても自分の歌を全然覚えてないというのは、推敲が足りてないから。この歌なんかスルルッと自然に出来てしまい、兎に角見たまんまなんだ。まあ、日常の中に色々詠えることがあるもので、練って練ってというのが文学の真髄だろうが、私の場合時間がないのもあるが、根が怠け者だから、いっかな上達しないで、こんな歌ばかり詠んでいる次第。娘の嫁ぎ先のおばあちゃんがとてもお上手で、味のあるものをたくさん詠まれている。私もあのお年頃になったら、もっとちゃんとしたモノが詠えるかもしれない。気長にやるしかないなあ。しばらくは声を出す方の歌でガンバロウ。

 

 

2003年7月 2日 (水)

ロボコン!

 初めて聞く言葉だったが、何のことはない「ロボットコンテスト」の略だった。夕食を取りながらNHKのこの番組を見てしまった。まあ、琵琶湖に飛び出しては落ちる、某局のばかばかしいゲームよりは将来性というか、何かを予感させるモノがあってそれなりに面白かった。が、つくづく人間というモノは「戦い」が好きなんだと思う。別にそこで球がネットにいくつ入ったかを競うのではなくて、アイデアや確実性を評価すれば良いのに。、、、と思う一方、参加者大学生達の良い表情には正直惹かれた。モノを生み出す好奇心や探求心の先にある、輝く瞳には美しさがある。こういう事が行われる世の中の平和を有り難いと思うべきなんだろ。世界大会はバンコクだそうだ。
 しかし、眠剤は良く効く。一日中眠い。今日は久々のお天気のせいか、仕事がこれまでになく忙しく少々参った。ただ今10時前だが、もう寝ようと思う。来週あたり甦って居ることを期待して、今日も早寝。

 

 

2003年7月 1日 (火)

もう7月

 今年が半分済んじゃったなんて、信じられない。あまりのスピードに目が回りそう。これはきっと現代病。この病気に付ける薬はあるのだろうか?最も重症のわが輩、一日24時間をどう使おうか?、、と考えるのが既にこの病気の兆候なんだ。幼い頃、学校から帰ると日が暮れるまで近くの川や原っぱで遊んでいた頃がしみじみ懐かしい。あの頃時間の存在さえ気にならなかった。時間は無限にあり、とてもその終わりに立ち会うことは無いかに思えた。今はどうか。すぐそこに終わりが来ているかのように思える。いつも時間がない、と何かにせっつかれている。イヤ、別に今すぐこの世に終わりを告げても世の中が何も変わらないことを知らないわけではない。親友の死や父親の死で、あんなに激しく悲しんだが、こうして生きて行けてるように、我が友人達も家族も、きっと時間と共に悲しみを抜け出てくれることだろう。これが人間に与えられた宿命なんだから。だからいつ死んでも良いし、何をしとかなくちゃいけないこともないんだが、何かしら追われている。だからこれが病気なんだ。「不義理はするもんです」という私より15歳も年上の友人はおっしゃる。そうか、、、と納得するも、したくなくても不義理をせざるを得ない現状。これ以上不義理をするには海外に逃亡するか、離れ小島に独りで住むしか方法がない。例えば、1週間前、全く久しぶりに人生の先輩Hさんから電話。「余りにつらいことがあって落ち込んでいるから、貴女の元気を分けて貰いたくて、、、」という。だが、その日病院に予約を入れてあり、出かけようとしていた矢先。申し訳ないがとお断りし、明日にでもと思いながらその後高熱にやられたり、咳き込んだりと調子が悪く、気になりながら電話したのは5日目。もうある程度立ち直っておられて、今更という感じ。そうだよねえ。どんなことでも4日も5日も経ったらある程度おさまってくるもの。こうなるととっても悪いことをしたという気持ちに苛まれる。自分のした不義理に押しつぶされそうになる。で、このフォローをどうしたモノかと考えている。、、、ああ不毛。

 

 

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