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2003年5月

2003年5月31日 (土)

やっぱり来なかった。

台風は、予想通り来なかった。高いところから降ろした植木を元に戻す気がしない。やれやれ。
でも、気圧はしっかり下がっていたのか、むちうちの症状だけはハッキリ出て、なんと10時間も寝てしまった。たくさん寝たからすっきりしてるかというと、まだこの雨模様では、、、。
しかし、予定通り「長短」の打ち合わせには行く。なかなか面白くなりそうではある。、、、練習が問題だが。
他人事ではない。ガラコンまできっとあっという間にくるんだろう。ぼちぼち始めなくては。自分の練習も。
明日は、こけ枝師匠のお芝居と、綾野さんのコンサート。はてさて、どんな一日になることやら。


 

 

2003年5月30日 (金)

眠い、、、。

 睡眠不足だなあ。仕事してないときは眠くて仕方がない。今書いてないと、今日ばかりは書けないかも知れないから、ただ今8時半なんて時間に書いている。まもなく台風が来るというので、高いところの植木類を下に降ろした。でも、大概の場合、何事もなく元に戻すことになるんだけどなあ。まあ、用心しないと。
 今度のガラコンで、又新しいことをやってみるつもり。落語の「長短」から曲を起こして、オペレッタ風にしたものと、ホントの落語を合わせてやってみる。落語の方はメンバーの中のH君が以前落研(おちけん)にいたとかで、彼に引き受けて貰った。さあ、どんなことになるか、大変楽しみ。ピアノはグロッケン先生が弾いて下さる。もう既にあれこれ考えてくれてるみたいで、有り難いこと。こんなことが出来るのもちぇちぃりぁだからこそ。「長短」を友人で医大のU先生に問い合わせた。とても面白い、良い落語だから是非取り上げたらどうかと言われる。初めて彼の研究室に行くと落語本がずらり。えっ?えっ?って感じだった。まあ、そんなこんなで、私の紹介でこけ枝師匠も医大の学生に講義をすることになったわけ。世の中いろいろと繋がっていくなあ。
 雨は止んじゃったけど、ホントに来るのかしら?台風。

 

 

2003年5月29日 (木)

休肝日。

 本日はグロッケン氏とFMの収録。そのアト帰郷されてすぐのプリマ小濱妙美さんと3人で会食。おしゃべりに花が咲き、気が付けばいつの間にか3時間もそこに居たことに。その間お二人はビールをぐびぐびとお呑みになること!側でお茶をすすりながら指をくわえていた私。ちょっと前なら、1杯くらいは呑んでたのになあ。坂出までお送りするためには、絶対呑めない。しゃくに障ってちょい食べ過ぎたかなあ串カツなどモロモロ、、、。おまけに坂出はバーミアンでデザートまで!私はなんと深夜にもかかわらずシフォンケーキと珈琲。折角の休肝日が、大食いの日になっちゃった!確かにアルコールは今も我慢してるが、これってカロリーはどっちが多かったんだろう???ただ今午前2時前。今更歩くのもイヤだしなあ。ま、いっか!
 博学のグロッケン氏と小濱さんの会話を聞いていると、彼女はその世界に居る人だから詳しいのは分かるけど、彼はなじょしてそんなに詳しいの?という会話。まあ、本日のFMも中身はかなりマニアックなモノとなったが、全く香川大学もユニークな先生方が多いなあ。と改めて感心?!
彼の奥さんが今和太鼓にはまっているそうで、ティンパニー奏者でもある先生とお二人で、どうも太鼓を叩いてストレスを発散させてるんじゃないか?というのが私と小濱さんの結論。ハハハ。あながち当たってないこともないだろう。少なくとも奥様の場合!!なんちゃって!

 

 

2003年5月28日 (水)

声が聞きたくて、、、。

 先生お元気ですか?と昔の従業員から久しぶりの電話。とりとめのない話しをしつつ、何か悩み事でもあるのかと、探ってしまう。彼女は高校卒業前に、ご両親の元へ直々にうちへの就職をお願いしに行ってから、9年間我が美容室で働いた人。T子は住み込みだったせいもあり、以来家族同様の付き合いとなった。あの頃は私も若かった。深夜12時でも、「今から三本松のラーメン屋さんへ行こう!」と誘って車を飛ばしたモノ。悪友達とダンスに興じ朝帰り。4時に帰って6時の着付けのお客様をちゃんとお迎え出来たのだから、今思うと信じられない。そのころ私は、丁度今のMariさんと同じくらいの年齢だった。彼女がエネルギーに溢れているのも納得だ。女性の人生の中で、ひょっとしたら一番エネルギッシュなのかも知れない。30代というのは。
 短歌を読んでいると、ホントに「老い」についてものもが多い。自分を客観的に見るという作業は、イヤでも自分の老いと向かい合うということになる。人生なんて振り返り始めたら、もう終わりに近付いているんだろう。
 電話のT子は、まあ、悩みが無いことはないが、それよりも純粋に私の声が聞きたくなったようで、それが分かってほっとする。良い人生を送って欲しいもの。こんな声でも聞きたいと思ってくれる人がいると言うことは有り難いこと。そう言えば私もあの人の声が聞きたいなあ。電話でもするとしようか。

 

 

2003年5月27日 (火)

何でもぎりぎり、、。

 本日締めきりの短歌評を一応出した。最近まともな文章を書いてないから、ちょい苦労した。字数が足りなくて書けなかったことがある。市来勉という人の言葉で、「僕は詩の事を言ってるのに、君たちは形式のことを言う」というのがあって、いたく心惹かれた。短歌が短い詩であることは言うまでもないことで、、、、だのに詩心のない短歌が如何に多いか、、と思う。詩情溢れたものが、ちょっこらちょいと出来るわけ無いんだけど、目標にはしたいなあ。まあしかし、シェイクスピアのソネットは難しかったなあ。ワーズワースの方がまだ分かりやすかった、、、ように思う。あれだけ一般人に分かりやすい劇をたくさん書きながら、シェイクスピアは「詩」をも書かずにはいられなかったのだろう。内から湧いてくる詩情に突き動かされて書いたに違いない。
 「詩」といえば、大島青松園の塔和子さんという詩人のことが映画になった。6/19この「風の舞」という映画が、アクトホールで無料で上演される。そしてなんと、この塔さんが、ららちゃんとお友達だった。塔さんの詩はかねてから素晴らしいと感心していて、特に好きなモノに印をしているくらいだ。ららちゃんの詩集は、今お借りしている。まだ充分読めてないが、ぱらぱらと拾い読みした感じはなかなか面白い。じっくり読みたいと思わせてくれる。
 私も昔はよく詩を書いたなあ。そうそう、ナンカの懸賞で入選して、バッグを貰ったなあ。大昔。最近は突き動かされるモノがない。愚痴ならいくらでも出るんだけど、これは詩にならないというか、したくない。ららちゃんの詩を読んで少し啓発されてみるかな?フフフ。

 

 

2003年5月26日 (月)

体内時計?

 ちぇちの練習帰りに、数人でお茶したけど、私とMariさん以外はお食事だったなあ。でもって話しはあちこち飛びまくり、やっぱりMariさんの悔しいお話で独演会。。。がメインか。だからして、彼女の夜更けと共に段々元気になるペースについ乗っかってしまった。彼女の体内時計が普通じゃないのをすっかり忘れてたなあ。さすがの若者達も、かなり参ってたなあ。元気なおばさんに圧倒されてたかも!フフフ。まあ、私の体内時計は、お食事タイムを告知するだけだけど、さすがに「7時に起きるときはもう寝ない」というMariさんには付いていけない。今夜はもう眠りたい。
 某局アナも一緒だったこともあり、地震の話題も。帰りの車の中でも、午前0時44分頃二度目の地震があったと流れた。なんか不気味。大丈夫かなあ?

 

 

2003年5月25日 (日)

映画「シカゴ」について。

 夕べは猛烈な眠気と闘ってかいたため、アトから読んでみると、なんだかとても良い映画だったかのように読めるので、少々訂正を。まあ、眠らなかった映画が必ずしも面白くないという、見本みたいな映画だった。とにかく筋の運びがかなりのアップテンポで、しかも時制が飛びまくる。神経を集中してないと、一体何を言ってるのかが分からなくなる。そしてあいだあいだに、インパクトのある音楽、歯切れの良い歌がふんだんに入ってくる。よくぞ私の隣のお人は眠れたモンだ。如何にもアメリカっぽい映画だったが、脳みそと心臓を引っかき回されたようだ。息つく暇もない。まあ新作ミュージカルだった。しかし、歌はうまいなあ。声も良く伸びてるし、そうよねえ。ミュージカルだからって、しょぼい歌を歌っててもしょうがない。この映画のようにパンチのある歌を歌って欲しいよねえ。日本のミュージカルも。
、、、結局良かったのか悪かったのか、、、「みっちゃん分かんない!」

 

 

2003年5月24日 (土)

ふ〜っ!

 終わったあ!何はともあれ無事終わった。そりゃあ、練習時の何割かは減ったにしても皆さんよく頑張りました。しか〜し、思わぬ伏兵が、、、。音響がさっぱりダメ。会場側の自信たっぷりなお言葉とは裏腹に、最低の裏方だった。高いお金出して、みんなの演技を盛り上げてくれるどころか、盛り下げてしまった。こんなのって、クレーム付けられるんじゃないのかなあ?さあ、演じた人はどうだったんだろう。今日は興奮状態だったから、みんな晴れやかな終わったことのみに歓喜していらしたが、、、。
 まあしかし、疲れたぁ。余りに疲れていて、まっすぐ帰りたくなくなって、急遽手伝ってくれたS嬢と帰りに、出来心で「シカゴ」という映画を見に行った。噂に違わず内容の濃い映画ではあった。ストーリーなんかに期待するとこけるが、映画の映画ならではの面白さに加えて、歌とダンスが素晴らしい。リチャード・ギアは確か吹き替え無しで歌ってるはず。なかなかうまい。それにしても途中で寝るかと思ったが、隣の女の人が殆どぐーぐーいびき描いて寝てるのを見ると返って寝られなかった。その為これで本日はとどめを刺した感じ。明日は仕事。もう寝ましょ。

 

 

2003年5月23日 (金)

ダイエット。

 娘からのデンワで、夫婦でダイエット宣言するという。「お母さんも」と口元まで出かかったが、かろうじて飲み込む。出来ない約束はすまい。、、、である。
 しかし空前のダイエットブームと言っても過言ではないだろう。このパソコンのメルマガにもこれでもかというほど宣伝が入る。まるで私の姿を知ってるかのように!!!今までの長い人生で、我が周辺には「痩せろ」もしくは「痩せた方が良いよ」という男性は一人も居なかった。家族も「痩せたらお母さんじゃなくなる」とだれも推奨しない。歌の方では「痩せると声が出なくなるよ」と脅されている。この劣悪な環境で尚かつ痩せるのは、、、ムリ。と悟って早ン年。毎年着られない服が増えるのに任せているが、、、ここらでちょいとしきり直した方が、、よいかもしれない。最近プチ絶食が流行しているそうな。2日間だけ時々絶食、というやつ。これは誰かを巻き添えにして、実行するに限るなあ。一人だとどうも続きそうにない。さて、誰にしようか、、、と考えると、ふっふっふ、いるんだなあこれが。早速流行に乗るとしようか。明日はクレメントでお食事だし。今冷蔵庫はCOOPの食材で一杯だし、これ使わないともったいないし。、、、ま、来週かな?そうそう、小濱妙美さんもマダムバタフライまでに相当痩せるつもりらしいなあ。来年の「椿姫」までにはもっと痩せるそうな。宣言しまくっているのは、証人をたくさん作って自分にカセを、という魂胆だろう。しっかし成功するかなあ?そんなことで!次ぎにお会いするのが楽しみではある。(殆ど信じてない)

 

 

2003年5月22日 (木)

やったぜベイビ〜!

 とうとう12首完成。あるお方が、「これを出しちゃったアトは、排便のアトのようにスカッとするのよねえ」とのたもうた。いやまさしく冗談抜きでそんな感じ。ハハハ。しっかし、まだ1首選の評なんてものが残っている。あんた、これからどうすんの?である。やれやれ。
 本日は例のお芝居のリハーサル。皆さんのお顔がとっても良くなってるのに気付く。最初からとは、全然違うお顔。明後日の本番は行ける!と心から思った。演出していてなにが嬉しいって、この変化である。成長と呼べるかも知れない。いや確かに皆さん成長された。なんと人に優しくなったことか!聞けば普段からそんなに親しくお付き合いされてる方達ではなかったらしい。このお芝居の練習で、それぞれがかなり接近されたようだ。贅沢なことに、生のキーボードによる演奏付きなのだ。私の無理な注文にも色々応じて頂いて、感謝。ホントに芝居をするということはチームワークにかかっている。みんなが同じ方向を向いてないとうまく行かない。もし、万一、ひょっとして失敗しても、きっと皆さん良い経験をされたと思う。今となっては、本番がホントに楽しみ。

 

 

2003年5月21日 (水)

やったぜベイビ〜、と思いきや、、、。

 夕べはまじめに集中して、12首、兎に角詠んだが、S先生に送ったら案の定ごそっと差し戻し。本日は仕事も忙しい上に、FMの収録のあと、亭主のえさを慌ただしく作り、M先生とMariさん3人で、落語ペレッタの打ち合わせ。さっき帰ったんだが、、、疲れてる。さあ、この穴埋めが出来るかなあ?と赤の入った12首を眺めている。兎に角完成させて明日は中央に送らなくてはイケナイ。
 本日の収録は「ウラジミール・オフチニコフというピアニストのリサイタル」の案内が中心。チケットプレゼントもあるが、お子様のいる母親にも楽しんで貰いたいとの主催者側の意向で託児所が設けられる。ホントにこれは良いこと。是非こんなのを利用して、世の母達も音楽を楽しんで欲しい。そうして、子供の情操教育よりも、母親の心に潤いを、、、と願う。
 そんなことより、短歌だあ!く〜っ!

 

 

2003年5月20日 (火)

書いちゃお!

今日はたまたま夕食前にここに座ったから、ただ今午後7時という変わった時間にこの日記にむかうことにする。あらら、余りに珍しいからか突然土砂降りの雨が、、、。今年は雨が異常に多いよなあ。本日本業を半日お休みして、全日空クレメントへ最終打ち合わせに行く。いよいよ大詰めに来た。しかしこの不景気にホテルの経営も大変だろうなあ、などと考えながらお上りさんよろしくキョロキョロ。まあしかし、表向きここは別天地。なかなか美しい内装である。「飛天の間」がその会場であったが、、、さて、あの方達。この広い会場で、平常心でやってくれるだろうか?はなはだ心配。舞台としては申し分ないではないか。音響も証明も完備している。スポットはなんと人物にセンサー付きで自由自在に移動することが出来る。もちろんお高い。ピンマイク20分3万円。ピンスポ同じく2万円。、、要するにお金を出せば何でも出来る、らしい。しかし、その設備に見合う演技をして貰えるかどうか、、、又しても不安がよぎる。主催者のお一人が「ここはね、お花1本テーブルに飾るのも1000円要るのよ!すごいでしょ!」ときた。余程会計的にきついらしい。
あらら、ご丁寧に雷まで鳴り出した。オペラ大好きの番組が途中でJ−WAVEの曲になっちゃった。きっと雷のせいだ。すごい、又さらに雨足が強くなった。これは絶好の詠歌日より。ご飯食べたら、12首一気に作るつもり。さて、うまくできたらおなぐさみ。

 

 

2003年5月19日 (月)

人間ドック、完了。

 ♪朝もはよから車を〜飛ばしない!♪行った所は、ホテルのようなドック専門の病院。しっかし人間て妙だなあ。何もわざわざ病気を探しに行く事もないだろうに、まあ転ばぬ先の杖なんだけど、来てる人の様子を見ていると深刻そうな人は一人も居ない。その証拠に出されたちょこっとセレブなお弁当も、全員が残さずに食べているし、朝8時半から午後2時まで、退屈して居眠りする人は居ても、一応横になってる人は居ないし、お行儀良く椅子で待って居られるんだから。まあ、不思議な空間ではあった。そして、私の「痛い」は解消されないばかりか、もっと詳しく調べるなら、CTスキャンでもしなくては、、、、と先送り。神経痛、筋肉痛の類ではないですか?と言われたが、そんな感じじゃないんだけどなあ。もういいや。これが誤診で早々とあの世に行っちゃったら、呪って出てやるう。結局何にも分かんないんじゃないの!あ〜あ。全く時間の無駄だった。
でもなんでこんなに疲れてるんだろう。バリウム飲んだせいかなあ?まあ、夕方からのヴェルディの会議のせいかもしれないが、会議が始まる前からむかむかしてたなあ。やっぱりバリウム説が正しいだろう。そうそうそれとおっぱい挟んでレントゲン撮ったのもいやだったし、しかもその検査が男性の医師で、事前に事細かく何故こんなレントゲンを撮る必要があるかを説明してくれる。もう終わったかと上着を脱ぐとまだ終わらない。というのが何度かあり(余程脱ぎたいと勘違いされただろうなあ)、内心では「もう良いから、とっとと撮影してよ」と思うが、長々と喋る。ようやく話しが終わり、結局やっぱり屈辱的な格好で機械に挟まれる。そしてこれが痛い。昔からちっとも改善されてないではないか。プンプン。他にも様々な検査が行われ、殆ど全て問題なし。少し体重を落とした方が、、、。と若いお医者さん。そんなことは百も承知の助。だからどうしたら落とせるの?病気にならずに。、、、これが言えないんだよなあ。殆ど帰るモードになっていたから仕方ないけど。こんな時、妙に恥ずかしいんだなあこれが。今夜も食べ過ぎたしなあ。

 

 

2003年5月18日 (日)

徳島は晴れていた。

 短歌の会の人達6人で、徳島文化の森美術館に。期待した以上に素敵なところだった。建築が面白いし、名前の通り、美術館、図書館、博物館、野外劇場にアスレチック、読書公園まであった。本日はクリムトなど分離派展をやっていてなかなか面白かった。何が良いって「自由自在」。押さえ込まれていたモノが吹き出したような絵を見ると、反骨精神だけでなく、思いを描くということの自由さに、全て芸術は自由が無くては、つまらないと改めて思う。誤解をされるかも知れないが、ある絵などは、真っ白いなが〜いひげを持つ年寄りの神父が、若いグラマーな全裸女性(何故か羽帽子とクツはつけていたなぁ)にひげを取られ、にやけているという構図。女性がそのひげを足の間に挟んで挑発しているあたり、どうやら宗教家の信念を揶揄するモノのようである。野外にも面白い彫刻があった。黒いベンチに全身真っ白い女性像が置かれている。まるで昼の亡霊のように。私は、ちゃっかりその横に座って写真を撮って貰う。出来上がるのが楽しみ。常設展も良かったが名前を知らない人のを見て気が付いたのは、日本人のモノはどこか力が入りすぎていて、良い作品なんだけど、しんどい。偏見でなく外人のものは、肩の力が抜けたセンスのある楽しい作品ばかり。多分国民性か?
 帰りに大坂峠に立ち寄り、海の見える見晴らしの良い展望台に、元東大総長を務めた南原繁氏の碑を見る。ここにも「ふるさと」を思う心があった。睡眠不足がたたり、往復の車中は優しい仲間達の思いやりで、妨げられることもなく眠りこけていたが、降り立つとそここかしこに新緑が萌え、近場の観光もなかなかのものであった。
こんな吟行なら毎月でも行きたいなあ。

 

 

2003年5月17日 (土)

あれこれ、、、それ。

 あれというのはこの前買った「変なもの」のこと。最初はバカにしていたロボモップなるものが、まあ、話題になることなること!その姿の可愛さもあるが、機械の宿命「いつまでもエネルギーが続く限り動く」というのにいじらしさを覚えてしまう。隅っこの障害物につっかえては、ぐずぐずとそこで留まっているのを見ると、つい手を差し伸べたくなる。さあ、いつまでこの気持ちが続くのだろう。
 これとは、Mariさんのこと。本日公開レッスンの2回目を一緒に聴きに行った。偶然にも先日彼女が歌ったモノと同じモノを歌った人がいて、その人がうまかったと言って、Mariさんの落ち込むこと落ち込むこと!色んな話しをしても必ず最後にそこに戻ってしまう。で、我が家に送ってもらい、次回のガラコンで歌う「長短」という曲の編曲作業に取りかかるも、夕食時とあって、彼女も一応主婦(!)のため、たださえせっかちな上に、もひとつカチャカチャ。しかもその「長�Z」のなかのせっかちお姉さんの役を彼女がするので、「まあ、これホント私だわあ!きゃっきゃっ」という合いの手がしょっ中はいる。そのお仕事を、びゃ〜っとやっつけて家路に急ぐ彼女の車を見送れば、あら〜っ!ドアからスカートが、、!中に入れば「Mariさん、このお花入れ、忘れないで持って帰ってね」と目の前に置いたカゴがしっかり忘れられている。く〜っ!何が「私はなんでこの世に生まれてきたんだろうと、3歳から思ってた」だ!そんな台詞は「ニャ〜ワン」。ま、本日は旦那様手作りの美しいたくさんのバラに免じて忘れて上げようではないの。ぴゃっぴゃっぴゃ。
 、、、、それ。とは、あれこれで終わるはずの本日の日記におまけが付いたということ。
例の県主催の「声楽講座」私もT先生と同じくみんごと落選。T先生じゃないが、もう先がない人には受けさせない、と言うことなのか、とぷりっとしてたら、な〜んと、Mariさんまでダメだったとの電話。彼女は公開講座まで受けて、みんなの前で歌い評され、延々モルモットで40分も講義されておきながら、肝心の講座は受けられないなんて!信じられない。聴いてた人達もあの人が講座を受講することでどんな風に変わるんだろうと思って聴いていたに違いないのに、なんてこと?幾ら受講希望者が多かったとはいえ、ひどいじゃない!?ま、今日の受講生の中にも、はずれた人がいたようだったが、、。あ〜あ。これじゃあホントに後悔講座になっちゃったなあ。Mariさん、めげずに頑張ろう!

 

 

2003年5月16日 (金)

痛い、、。

 今朝から左手首が痛くて仕事に支障を来している。右の背中腰辺りも異様に痛い。右左でバランスがとれたが、兎に角痛いというのはこんなにも不愉快。原因不明。おそらく精神的なものか。年と共にストレスに弱くなってきているのを感じる。悩んだことがもろに体に出てくる。しかしこの精神的ストレスというもの、煎じ詰めれば自分が人からよく思われたいという証ではないのか?要は自己愛の証でもある。
 長女として生まれ、いつも弟の手本であれ、いつも正しくあれ、いつも人から後ろ指を指されない人間に、、、と言われ続けて育った事を思い出す。別にこの年になって、親のせいにするつもりはないが、幼児期の育ち方は、その人の人生をかなり変えると思う。進路を変えようとあがいてもハンドルが勝手にもとの方へとギリギリ戻るのに似ている。結局は自分との葛藤の中で生きていくのだろう。本当にストレスを避けて生きるなら、山奥に閉じこもるしかないだろうなあ。あるいは海の孤島か、、、。どちらかというと、海の方がえさの心配がないような気がする。(この期に及んでもえさの心配)でも、、、一人で居るストレス解消に泳ぎだして、溺れて船頭さんに助けられて、結局人と関わるだろうなあ。、、、結局何処へ逃げても、生きてる限り人はストレスと向き合うことになる。ならば諦めて、より自然体で過ごすべし、だ。来るものは来いとばかり、居直って!アハ。

 

 

2003年5月15日 (木)

歌は歌でも、、、。

 やっぱり今の自分には、声を出す歌の方が向いてるなあ。短歌の本から一首選んでその評を書かなくてはイケナイが、大分読んだにもかかわらず、これについて是非書きたいと、思わせてくれる作品に行き当たらない。想像力や思想、思考力の低下、いや、もともと無いのだから、そんなものを当てにしても始まらない。でも、ある種のカンというか、琴線に触れてくるものが見あたらない。大体この頃は、大根買うのも「私を買って!」と語りかけるものしか買わない。すなわち、カンである。まあ、まだ半分も読んでないが、偉い先生の作品から順番に読んでいてこうなのだ。なんとひどいことに読む内に吐き気がしてきた。最近目が悪くなって、かなり読みたいものしか読まない生活で、わがままになってる。こりゃあ困ったぞ。最後まで読めるかどうか、、、。そして、自分に語りかける作品に出会うかどうか、、、不安になってきたなあ。そもそも他人の作品をああだこうだと言える身分じゃない。そんな力もないのに、つい引き受けてしまった。全くしまった!なのだ。トホホホホ。バカボンパパお願い!「それで良いのだ!」って言って!かなり深刻。ふ〜っ!
 本日の芝居の練習はまあ1�oとは言わないが、せいぜい5�oの進歩か。一人良くなってるかと思うと別な人がバックしてる。だから全体の平均はそんなものか。いよいよ来週が本番になっちゃった。遂にカンニングペーパーが顔を出してきたぞお。それは最後の最後にして欲しいなあ。まだ1週間あるんだから。やれやれ。

 

 

2003年5月14日 (水)

嬉しいことがあった。

 今日は朝からの雨で、打ちのめされていたが、何とか起きて、夕方には障害者手帳を持つ方をFMにお連れしての放送収録となった。いつもの調子が全然でなくて、取り直そうか・と思いつつ、それもしんどい。そこに、局の人からこんなメールが来てます、と手渡されたのが、面白いメールで、少々元気になる。「最初はJ−WAVEのつもりで聴いていて、ああ、清水ミチコかあ、さすがおもしろい番組つくるなあ、と聴いてたら、別人のみっちゃんで、しかもローカルだった!」という内容。転勤半年のえつこさんという方らしいが、他にも色々書いてくれて、「感動した」とあるのには参った!穴があったら入りたい。かなり大きくないとイケナイが、私の場合。フフフ。これだから怖いなあ。誰が聴いてくれているか分からない。先日も「まだみっちゃん生きてたんですねえ?!」なんぞという不届きものが居たが、その方は最初に聴いてくれていて、時間帯の変更以来ご無沙汰だったら、又今頃になって偶然聴けた、というのである。まあ、覚えてくれていて有り難う、って感じ。知らない内に7年もやってたんだ!自分でも驚く。しっかし、メチャクチャいい加減な番組作りなんだけどなあ。申し訳ないなあ。、、心を入れ替えて、と思ったりもするが、事前の準備なしで、いきなりの対談の面白さを知ってしまって、今更、つまらない結果になるのを分かっていて、事前準備する気にはなれないなあ。人間、本音が一番面白い。まあ、自由にやらせて貰っているから有り難い。けど、、、いつまで続く事やら、、、。

 

 

2003年5月13日 (火)

続々とスケジュールが決まっていく。

5月のお芝居が終われば少しゆっくり旅に出ようかと思いきや、6月は観劇2本など、内一つは朝から晩までこき使われのお手伝い。7月はあるところでシャンソンを歌うことに。あ、ちぇちぃりぁのガラコンもある。9月はシャンソン教室の発表会をやる。「こうもり」のオーディションも9月。年内に自分のシャンソンリサイタルをしたいと思うが、準備が出来るかどうか?心もとない。
こんな調子のなかで、来年のオペラの台本が目の前にぶら下がってくる。月々の短歌12首に加えて、今月は一首選というのにコメントをつける予定。歌集もいい加減に読み飛ばせないのだ。しばらく録りだめしていたFMが種切れになり、明日から又毎週ゲストと対談。それぞれの項目の前段階が大いに大変。ガラコンの為のイタリア語の暗譜に手が付けられてない。ぎょぎょっ!こんなで良いの?時間と体が足りないじゃん!脂肪は余ってるのにい。
脂肪と言えば、あのけしからんMariっぺ。初めてお会いした彼女のお姉様が、私の事をどうしてあんなに「ほ・そ・く」見えるんでしょうと、「な・ん・ど・も」「な・ん・ど・も」繰り返し言ってらしたと、とくとくとメールしてくる。「なんせ私は、あの時おさわりして知ってるモンねええ〜〜」だと!?クッソ〜、今に見ておれ、痩せて見せようぞ。必ずや、きっと、おそらく、多分、なるべく、その内、いつか、、、、もうないか!で、今飲んでる牛乳は、深夜1時に飲んでも良かったんだっけ???

 

 

2003年5月12日 (月)

総会が終わる。

 会長からの発案で過去をすっきりとさせ、未来に向い再出発するために、ちぇちぃりぁの総会を開く。昨年のもめ事から10ヶ月しか経ってないとは思えなかったなあ。もう随分昔のような気がする。イヤなことは遠くへ押しやりたいという本能的なものか?
 色んな意見を聞きたいと思うが、なかなか積極的に意見を言う人は居ないもの。これはこの会独特なものとは思えないが、現代の教育を受けた人達はみんな人前で話したりすることに抵抗なんか無いのかと思うが、、、、そうでもないらしい。ふむ。
本音を言うと、自分も黙れるものなら黙っていたい。誰も信じないだろうが、やむを得ず進行しているだけなんだから。話すとそれに対する反応があり、それは必ずしも自分にとって、心地よいものとは限らない。でも、それを恐れていたら、会そのものが前に進まないと思うから、内心で自分に号令をかけながら頑張っている。、、、が誰もそんな風には思ってくれてないだろうなあ。やれやれ。そろそろ誰か代わってくれないかなあ。わたしだって、寡黙な会長のようにありたいんだからあ!ぶりっ!あ、そうだうちの会にはアナウンサーが居たではないか。次回からは一部分だけでも彼に担って貰いたい。そだそだ、そうすることにして、寝よ。もう午前2時半過ぎちゃった。

 

 

2003年5月11日 (日)

目まぐるしい一日だった。

午前中に仕事を詰め込んで、急ぎ公開レッスン会場へ。ところが前を歩いていた人が、大ホール側へ行くのに何となく付いて行っちゃって、ご丁寧にも同じ5階だが別な建物の廊下をウロウロしたあげく、オケのチューニングしているところに聞き耳を立てたり、一部屋ずつそ〜っと覗いたり、、、ナンカ変。少なくとも少し遅れたくらいで、受付まで無くなってるのはおかしい、、、とそこで間違いに気付き慌てて本会場へと駆けつけるも、Mariさんは歌い終わったところ。T先生のしごきに会っていた。そこはしっかり聞けたので、まあ良いか。彼女は堂々としていて、しかも先生の言うことにしっかり耳を傾けている。あとで歌った人は先生が何言っても、全然顔を見ないから、キチンと把握出来てない。ああいう場所で緊張してるのは分かるが、あれでは全く意味がない。、、といっても、Mariさんが言われたとおりその場で出来てるかというとそれは無理な注文。本日のレッスンを拝聴して思ったのは、如何にわれらが会長のレッスンが、アマチュア向きの分かりやすいレッスンか、ということ。少しでも早く上達させたいというお気持ちが様々な工夫を産み、最も近道を教えてくれている。今日の先生は勿論悪いというのでは全然無い。ユーモアたっぷりに楽しくレッスンしてくれて、オペラへの造詣も深い。が、この先生の周りには、基本をやって舞台の経験もある、ある程度力のある人が大多数だろう。そのラインまで行くための初歩的で、効果的なレッスンをする必要は余り無いのではないか?欲張りかも知れないが、一瞬でも、今日の会場で、「凄い」と観客を唸らせる声をMariさんにも他の人にも出させて欲しかったなあ。幾ら歌って見せても分からないものは分からない。そこが会長レッスンとは違う、、、と正直思った。でも、これから4回あるレッスンは楽しみ。、、、でもどうやらこの先生は人気で、10名採用の所21名来てるとのこと。となると、わたしなんざあ、一番に「おとといおいで」組だろうなあ。どうなることやら、、、。
 その帰りに買い物をして本日歌の練習につき合ってくれるというTさんを拾い、帰宅して大急ぎで夕食。「仮面舞踏会」の練習をする。メゾの曲だがなかなか良い。やっぱりヴェルディは良いなあ。「歌った」という感じがする。ヴェルディの曲が歌えるところまで育てて貰った会長に今日は改めて感謝。
 Tさんを送った帰り、友人に無理矢理カラオケに連れて行かれる。「どうしても聴いて欲しい曲がある」といわれ、なんでも「♪悲しみよ〜隣で眠れ〜。♪あなたが煙になる日まで〜」という考えようでは、おもろい歌詞で毎晩ご主人の耳元で歌って上げてるという。、長いこと不義理の友人だから、じゃあそれ聴いたら帰るよ、と返事したのだ。そこはボックスではなくて、他の人の歌も聴かなくてはならない。それらを聴きながら、歌って何だろう?と考えてしまった。決してうまいとは言えない人達、、、。でも、心から歌を楽しんでいる。歌ってる人の喜びを、聴いてる人も共有する。世界中に「カラオケ」が流行したのは、あながちそんなところに理由があるのかも知れない。そして自分の歌を考えるとき、う、う、う。この人達に負けてる!ああ、いつがきたらこんな風に楽しんで歌うことが出来るんだろう。、、、と思ったら、情けなくなった。明日はシャンソン教室。こんな先生で、生徒が気の毒だなあ。。。。

 

 

2003年5月10日 (土)

今日は雨、、、。

 朝は陽も射していたのに、今は雨。雨の前ぶれで頭が痛く、体調不良なれど「負けるもんか!」とごそごそ家の中を片づけたら、今気が付いた!大変!明日のコレペティのこと忘れてた!未だ楽譜に訳詞を付けてない!やっばあ〜い!う〜ん、今夜はちょっとおセンチな文章でも書こうかと思ってたのにい。
 
㈰息子から、「長いこと迷惑かけました」のメッセージとともに、可愛いカーネーションのアレンジが届く。不覚にも涙が、、、。そうか、こんなにも嬉しいモンなら、我が母にもちゃんと贈ろう。と思う。
㈪娘からはお言葉だけで、まるで代わりのように娘の友人から花が届く。今年で2度目。有り難いけど、くすぐったいかも。ハハ。
㈫蒸発した友はいまだ連絡無し。
㈬別の友人から「旅」の誘い。
㈭衣装部屋にものを取りに行ったら、HさんMさんがきれいに片づけてくれていた。有り難いこと!
㈮ビールを飲まないで衣装部屋に行ったため、今夜の焼き肉はイマイチだった。
㈯さっき蚊に2カ所刺された。もうこんな季節、、、か。

 

 

2003年5月 9日 (金)

変なもの買っちゃった!

 お掃除ロボット、まではいかないが、それに似たロボモップという勝手にお掃除してくれる道具。こんなの買ったというと、うちの元気なおばあちゃんは怒るだろうなあ。出入りの業者が遊び感覚で如何ですか?癒し系の掃除機ですよ。と持ってきたのだが、その余りの可愛さに思わず衝動買い。何もないところはつ〜っつ〜っと気持ちよく滑り、何かに当たると向きを変えながら進んでいく。兎に角ほっといても勝手に動いてくれるから、、、、と言うより、これは見ない方が良い。見てると、あ、そこもっと右、いやもっと左と言いたくなっちゃう。、、、という程度のホントにおもちゃ感覚。しかし、インターネットで調べると、本物のお高い立派なものがちゃんと出てるんだ。ゆくゆくはこちらの方をオークションで競り落とすぞお、と心に決めた本日。調べたが、まだまだ高い。きっとその内安くなるだろうから、今のところは、このおもちゃで我慢しとこう。「アトム」が活躍した時代、絵空事だったものが現代は立派に実用化されているんだ。女性が男性から解放されないなら、せめて家事から解放されようじゃないの!何となく次は食器洗い機、次は、、、ってエスカレートしそうではあるが。ふふっ!

 

 

2003年5月 8日 (木)

お芝居の練習。その6.

 久しぶりの全体通し稽古。本日の印象は「なかなかやるじゃん!?」と「本番を成功させるために、集中力をどのように高めておくか?」の二つだった。自宅で、一人だと出来るもんだから、みんなの前で出来ない悔しさがにじみ出てる人がいる。そうなんだ。この「悔しさ」こそが力なんだ。何故出来ないんだろう。出来るはずなのに、、、。と思い始めたらもう御の字。全員が、今よりもっと良くなりたいと、思えたら素晴らしい作品になるだろう。、、、今はもう楽しみになった。

 昨日から友人のTさんが蒸発。家族が大騒ぎして探していて、我が家にも何度も子供から電話がかかる。実はこの人の家出は、初めてではない。だから慣れっこになってるかと思うが、残された家族はどうもそうではないみたい。私も、電話が鳴るたびにドキッとして、走ることになる。家出人の事情はよく分かっているが、現実から逃げてもしょうがにゃあべ?「生きる」ということは、そりゃあ大変だよお。悩みのない人なんか居ないんじゃないかい?あ、一人居た。ふっふっふ。
ともかく、生きてりゃあ、色んな障害物が目の前に現れるもんだ。「♪何でだろう〜」の答えは神か仏の世界。兎に角、現れるんだから、だからこれを現実と言うんだ、、、、ん?そう、このきびすぃ〜人生を、出来るだけ楽しく暮らす為には、逃げちゃあ駄目。逃げれば追ってくる。これ常識。向かい合って闘うなり、飛び越えるなりしないと、いつまでも追いかけられる。
お〜い。どこいっちゃったのお〜?早く出ておいで〜。一緒にお酒でも飲もうよ〜。、、といっても、間違ってもこの日記は読まないだろうなあ。
グスン。

 

 

2003年5月 7日 (水)

お芝居の練習その5.

 「飲んだら乗るな」と言われて外で飲むことが無くなった今、自宅で飲むビールの量がかなり減ったような気がする。この落ち込んだ景気浮揚に少しでも貢献しようと思うのだが、余り進まないなあ。、、、と2本目の缶ビール開ける。
 今日は「台詞をきちんと覚える必要があるのか?」という課題を突きつけられたが、私の答えは本心から納得して貰えただろうか?。そもそも台本というのは、情景を想い描き、頭の中でシュミレーションしながら作成して行くので、テキトーにいい加減に作った言葉の羅列ではない。そこにその言葉が入ってる意味があるわけで、その意味が台本を1回や2回読んだくらいで飲み込めるはずがない。そう簡単に、登場人物になりきれない、ということだ。台詞とは珈琲カップの中の珈琲みたいなもので、いくらおいしい珈琲でも、紙や、泥や、布で出来た器では飲めないようなものだ。しっかりした台詞の構築の中で遊ぶのは赦されても、珈琲カップそのものを無視しては所詮独りよがりの、つまらない台詞に終わってしまうだろう。、、、こんなことは芝居をやっている人にとってはごく当たり前のことだが、初めての人には理解しにくいこと。孤軍奮闘の日々。
明日は全体練習だ。
 しかし、絵描きさんという人種?は私の肌に合う。昔は油絵も描いたが、今は歌の方に全エネルギーを投じている私。いづれ声が無くなったら、絵を描きたいなあ。スケッチ旅行なんて最高!何処までも車を駆って出かけよう。、、、一体いつまで運転できるやら。ぶっ!

 

 

2003年5月 6日 (火)

お芝居の練習。その4。

 大分波に乗ってきたなあ。今日で一通り全員のおさらいが終了。明日から、個人チェ〜ックなんだが、さあ、どうなることやら。ピエロ役はなかなか大変。いや、ピエロだけじゃない。他の役の人も結局自分から離れられない。我が娘は言ったものだ。「お母さん。お芝居する人はねえ、心のパンツを脱がなきゃ出来ないのよ」、、、。確かあれは岡本かのこが言ったという「日本橋の上で、真っ裸になって寝っ転がることが出来なきゃぁ、小説なんざ書けないわよ」に通じるかも知れない。いやあ、言うは易く行うは難しですわ。イヤマッタク。

 でも、なんであたしゃこんなことしてんのかなあ???いくら友人から頼まれたとはいえ、その友人にはちぇちのチケットで恩義があるとはいえ、、、。この労働たるや、凄いものがある。しかも、結果がどうなるか、こちらも怖いものがある。な〜んてことはおくびにも出さず、絶対出来ると信じて貰うしかない。まあ、少しは灯りが見えてきてるが、今のところ、こけ枝さんがあの頭をちょこっと出してきただけで、消されてしまう程度の灯り。いと、こころもとなし。刻々と時間は過ぎていく。ということは、いつものちぇちと変わらないか!はらほれは!

 

 

2003年5月 5日 (月)

お芝居の練習。その3。

 三日続きの休日を返上しての猛練習、といえるだろう。4時間ぶっ通し、少々のお茶でみんなよく頑張ったなあ。主役の方とはその後も特訓。心づくしのお食事を頂き、ナント遂にビールを飲んでしまった!いや私自身はものすご〜くお断りしたんだけどお、ついついお誘いの情熱に負けてしまった。池の側の居心地の良いお家で、芝居や絵の話しをしながらの夕食はことのほかおいしくて、う、う、う、つい飲んでしまった。代行運転するほど飲んでないしい、、、ま、いっか。と車の窓全開で帰宅。さすがにちょい緊張したなあ。これか�轤ヘどんなお誘いも絶対お断りしよう、と反省豚。だっておそるおそる飲んでもねえ、、。帰宅してから思わずゆったりと飲み直してしまった。ハハハ。
 さて、やればやっただけのことがあるのが、芝居の練習。ようやく皆さん本気になってきたらしい。「一生に一度」真剣に芝居に取り組む決意がみなぎってきた。「これをやり始めてから、テレビの見方が変わった」と言う方も。当日はともかく、そこへ行く迄の過程が実は一番大切。「思いがけず仲間意識が強くなり、皆さんと親密になれた」という方も。そうなんだ、芝居をやる、ということには、色んな付加価値が生まれるもの。その中でも最も素晴らしいのは、人間的成長だろう。長い間学生の英語劇をみてきたが、若い人が短時間で成長する様子は凄かったなあ。さて、この方達はどうだろうか?自分の事を考えても最近理解力は付いてきたと思うが、記憶力は衰えている。時間はかかるだろうなあ。、、、でもやる気さえあれば出来るだろう。多分、、、きっと。
明日も練習だ。

 

 

2003年5月 4日 (日)

本日、衣替えの日。

 猛暑というには、ちとオーバーだが、やっぱりオーバーもお仕舞いしなくちゃあという気分にはなった、この二日間の暑さ。台所にはまだストーブがある、昼なお暗く寒い我が家だが、明日は部屋の衣替えも必要か。
 毎度毎度やっかいなこのお仕事。うんざりしながら思うのは、「あ〜あ、衣替えなんかしなくて良いくらいの広〜い、部屋が欲しいなあ」であるが、本日はちょっと違うことを考えていた。先日ある、まあ私よりは年配の女性からとても良いお話を聞いた。その方は大変なおしゃれで、私のようなブランド音痴でも、一目でそれと解る一流ブランド品に身を包み、どんな人混みにいてもすぐに分かる輝きを放っている。いや別に光り物を身につけて居られるのではない。どちらかというとモノトーンがお好きな感じだが、全身から上質のものが漂ってくる。先日この方のご自宅に伺い、ゆっくりお話しする機会があり、意外なことをお聞きした。さぞやたくさんのお洋服で収納が大変だろうと思ったのだが、「私は一枚洋服を買うと一枚捨てるの。捨てるものがないときは、買わないの。」である。なるほど、それなら収納に悩むことはないだろう。
又お部屋は海外からの土産物らしきもので飾られ、出して下さるお茶の器類は素晴らしいのだが、これも「嫌いなものは持たない主義。好きなものは欠けてても使う」とか。「私ねえ、安くて良いものが好きなのよお」といたずらっぽく笑う。この余裕。合理的な考えも、余裕のある生活だから出来るのでは?
考えてみたら、私のこのばかばかしい山のような洋服はどれもこれもあの方の基準に照らすと捨てなくてはならない。というか、全部捨ててしまいたいものばかり。ふ〜む、と腕組みをして考え、一応トライしてみた。新しいものを買うために何かを捨てる。ふ〜む。これが意外と難しい。これは捨てようと、横に置いていくとあっという間に山積みに。そこから一枚二枚と選りだして行って、結局ホントに捨てるものは2,3枚。再度トライして誰かにあげるものを選り出すとこれまた2,3枚。結局は殆どのものを在庫にしてしまった。あ〜あ、やっぱりこの貧乏性とはおさらば出来なかったか。ま、裸でなきゃ良いとしょ!?
チカレタア。

 

 

2003年5月 3日 (土)

映画って、、面白い。

 といっても、映画館に出かけられない悲しい身分。近々絶対見たいのがあるんだけど、ま、それはさておいて、今日は仕事の合間に見たケーブルテレビのフランス映画「天使の見た夢」。予想通り難しい映画。どうもフランスものは苦手なんだが、「男と女」のようなしゃれたものもあるし、決して悪くはない。、、、と思って見始めると、さすがカンヌ映画祭主演女優だけあるリアルな演技に、女優とはここまでやらなくてはいけないんだと、改めて納得。我が娘は舞台女優だから良いけど、映画は何をやらされるか分かったモンじゃあない。カメラアングルはさすがであった。同居していた二人の内一人が自殺のため窓から飛び降りる姿はなんともリアルで、ぞっとした。それにしても映画とはお国柄が出るモンだ。日本の映画は余り見ないが、例えば寅さんだったり、釣りバカ日誌だったり、、、さりげない映画が多い様な気がする。黙っていても解れよ、と言わんばかりの、、、、これが日本に於ける人間関係の象徴の様な気がする。そうなんだ、日本人は器で食べて目で話す人種なんだ。沈思黙考がもっとも尊ばれる。、、、つまんないの。
でもでも今は違うか!かもしれなあい。本日350�oリットルの缶ビール2本とワインを少々きこしめし、ただ今超ハッピーな気分。友人から「BSで新しいシャンソンとかなんとかかかってるよお!」と電話があるが、こりゃあちょいとワタクシの分野じゃあ無さそう。といっても、昔々はジュリーが大好きだったんだから、まあ、悪かぁない。でも本人が歌わないなら意味がない。今でも彼の声はセクシーだと思うから。
 イタリアから森田君から絵はがきが届いた。みんなが応援してくれて、、アトは僕のがんばりだけですねえ。とあった。その通り。がんばって〜!

 

 

2003年5月 2日 (金)

今日は幸せ。

 思いがけない人からアクトホールのチケットを頂いて、アナスタシャ・チェボタリョーワという、何度言ってもちゃんと言えない名前の人のヴァイオリンを聴いた。司会者でさえ何度もつまっていたんだから!。兼ねてから噂は聞いていた。特に、美女好きのI先生なんざあ、他にヴァイオリニストはいないのか?と思うくらい絶賛していたもの。確かに女性が見ても惚れ惚れする美人。何が良かったって、あの自由さ。もう100万回も弾きましたわよ、という感じ。正確さが前に出ないで、しかも巧み。丁度彼女の真ん前で、一段高いところの席のため、まるで私のためにだけ弾いてくれてるような、、、。「タイスの瞑想曲」。あれは父が脳梗塞のため69歳で倒れて二日目、救急病院で私達家族は医者から「覚悟しなさい」と言われた。私は最後に何かして上げたいと父の大好きだったこの曲をテープに録り、耳元でずっと流していたものだった。意識が無いと言われながらも、私には父が聴いて居るようにしか思えなかった。やがて父は甦り医者からは「奇跡です」と言われた。それから16年「寝たきりになります」という言葉も裏切り続け、父は生き続け、時折この曲を聴いていた。今宵その曲が私に迫り、ひととき我を忘れた。私の中の父が聴いていて涙ぐんでいたようだった。
 指揮者はナント若干24歳。マッチ棒のような華奢な体を折り曲げて愛嬌たっぷりな入退場に観客は皆沸いた。指揮ぶりも昔スマイリー小原というポピュラーの指揮者が居たが、まるでその子孫かと思うような踊り方。そう、踊っていた。もう音楽が好きで好きで溜まらない!といった感じ。思わずこちらも引き込まれてしまう。いかめしくてロボットみたいな、、例えばあのイタリアの、え〜と最近名前が出てこないが、又思い出すだろうが、あの思いっきり偉そうな人よりはずっと好感が持てる。演奏だって悪くない。ちゃんとツボを押さえている。これからはこんな人達が世の中を制覇するんだろうなあ。微笑ましい限り。
微笑ましいと言えばもう一つ。隣の席に高校生くらいの可愛いアベックが座っていた。休憩が終わっても彼女が席に戻らない。やがてヴァイオリンが始まると、ソロの時は彼が身を乗り出して聴き入り、合奏になると背もたれに移動して「ふ〜っ!」とため息。あまりの美貌と音楽の素晴らしさに感動しきっている様子。でも何故女の子は居ないのか?といぶかしく思っていると、やがて舞台にそのガールフレンドが花束を持って現れた。そうだったのか、とさりげなく隣を見ると、今度は男の子の興味がその女の子に移る。花束を渡して頭を下げる女の子と同じように小さく頭を下げているではないか。退場を首を回してみているのは勿論である。ああ〜ん、可愛い!
いやあ、本日は良いものを見せて貰ったぁ、、。いやいや聴かせても貰ったぁ。
ホントにし・あ・わ・せ。

 

 

2003年5月 1日 (木)

お芝居の練習。その2。

 部分練習2回目。やっぱり恐れていたことが、、、。練習時間に限界がある。すっかり疲れて、お茶の時間になってしまう。どうしたものか
?少人数になると、どうしても集中するので、全体の中で、ぼんやり出来てた時間が無くなり、ずっと緊張をキープすることになる。年齢が高い人達にはきついだろうなあ。ま、少しずつ、Piano Pianoだろう。
 ところで本日こけ枝師匠がわざわざ衣装を届けに来て下さって、例の劇団786の宣伝もして帰られた。これが又面白いチラシで、「岸壁にたたずむこけ枝さんの後ろ姿、、、」なんだが、ペーソス狙いのようなそうでないような、、、いや面白い。又、このチラシに対するコメントがケッサクで、ここにはかけない。アハハハ。
こけ枝さんと話していて、今日初めて知ったのは、落語には悲しいお話もあるんだそうな。笑いのないものがあるとのこと。とても意外。だから今度私達がシリアスものをやったとしても、「落語ペラ」というタイトルをはずす必要はないんだそうな。良かった。このネーミングがお気に入りなんだから。
いつも思うけど、人を笑わせたいというのは、おそらくみんな心の中に願望として持っているのではないか?まあ、世の中の人全員とは言わないが、私の周辺を見ると、みんな大なり小なりそういう要素を持っている。「私はそんなこと思ったことありませんよ」とあまのじゃくのちぇちのシェイクスピア先生はおっしゃるだろうが、それを言うときのタイミングや口調はきっとみんなを笑わせることになるし、それをご本人も計算するだろう。従って人間の心の中には「道化」が住んでいると、私は思う。だからこそ、落語やコメディが面白いのだ。笑わせたい=笑いたい、、、なんだ。
 夕べも大阪の短歌の人とメールのやりとり。これが短いけど楽しい。私の方は薬のせいでひたすら眠くて短いのだが、彼女はきっと夜忙しい。締めきりを守らない私のような人種のお尻を叩いているんだろうなあ。短くてもキラット光る彼女の文章が好きだなあ。あれのどこが光ってるのよっ!と本人はクレームを付けるだろうが、いやなかなか。
 そういえばこけ枝さんがこの日記見てるって!ぎょぎょ!なんかまずいこと書いてなかったかなあ?!まっ!いっか!これが私なんだから。ハハハ。、、、ふとるわけだ。

 

 

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