« 2003年3月 | トップページ | 2003年5月 »

2003年4月

2003年4月30日 (水)

お芝居の練習。その1。

 本日より、いよいよ本番まで1ヶ月を切った某絵描きさんグループの部分練習に入る。ここに来てようやく、少し「芝居」のことが分かって貰えつつある。しかしまだ少し。そりゃあ無理もない。テレビや映画、舞台なんか見ても、「なんだ、あの大根役者が」とか「あの人へたねえ」とか言って、批判する側だった人生ん十年の人々だが、今度はいきなり言われる側に回ろうというんだから大変で当たり前。まずは頭と体が分離している。本人はやってるつもりが出来てない。次々出てくる若いタレントが如何にも簡単そうにドラマなんかやってるのを見るから、誰でもすぐ出来ることかと、多分勘違いされてるような、、、。テレビのドラマは本人の演技力は余りいらない。制作者の力量で、どのようにでも見せられる。勿論舞台経験のある人は誰が見てもそれと分かる力があるが、無い人もそれなりに見えるのがドラマである。しかし生の芝居はそうは行かない。、、、ということが、少し分かって貰えたような気がする。、、、と言うわけで、今夜も夕食は10時。あ〜あ、又身に付くかなあお肉。たはっ!

 

 

2003年4月29日 (火)

ラ、ランチ6万円!?

 東京さの六本木ヒルズのことが朝テレビで流れていたが、なんと100万円持って出かけてきてる奥様も居るくらい、ブランドメーカーや、有名レストランが軒を並べているそうな。6万円のランチもあるそうで、一体それってどんなの?と見ようとしたら来客で見られなかった。600円のランチより安くておいしい店があるって、騒いでるあたし達って一体、、、、。
 世の中私のこの周辺だけが不景気なのかなあ?ま、いいけどね。別にやせ我慢でなく(痩せてないしい)、そんなもん食べるお金があれば、もっと違うもの買っちゃうわいなあ。べえ〜!(誰に舌出してるのか自分でもわからない)
 今日は本業が忙しく、充分聴けなかったが二階から聞こえてくる個人レッスンの声はなかなか良かった。第一お客さんが「今日は良い声が流れてきて良いわあ」とおっしゃったのがその証拠。完全な個人レッスンは初めてというお二人の女性。紅潮したお顔で帰って行かれる。それを見ただけで、良いスタートを切ったんだなあと納得。確かに早いとは言い難いスタートだけど、私達には残された時間が少ないからこそ、やれることはやっておこう。今日は県主宰の声楽レッスンに申し込んだ。

 

 

2003年4月28日 (月)

美空ひばりじゃないけれど、、、。

「♪じ〜んせいって〜〜〜、不思議〜なものですねえ」と感じる今日この頃。
本日はお歌のお練習日。まずT先生のヴォイストレーニング。この方が我が娘の担任だった事を時々思い出す。娘が音楽科を卒業しても音大には行かないと言い張り、この先生から大目玉。もう二度とお目にもかかれないと思っていたが、我が団体のヴォイトれをして頂くようなことに、、、。この会を取材に来た某局アナは、この集いにすっかり馴染んでいる。もっとも彼はどこにでも馴染むが。それにしても、ちぇちぃりぁは色んな境遇の色んな年齢層の色んな性格の人が集まっている。本日の演技の練習を見ていてつくづく感じた。しかし、こうしてみんなが和気藹々と一つのことに参加出来るのは楽しいこと。「歌」という表現手段を勉強しているからか、みんななかなか良い線行ってる。やっぱりオペラをやらなきゃねえ。

 

 

2003年4月27日 (日)

義理と人情にドラマがおまけ。

 ようやく選挙が終わる。もっとも関わり合いになりたくない分野だのに、市長の選挙事務所で某局の某アナとバッタリ出くわす羽目に。ウヒョ〜、あなたはお仕事で良いわねえん。てな具合。その後、本日掛け持ちのもう一つの某選挙事務所で繰り広げられる当確までの模様をつぶさに拝見。事実はドラマより奇なりとはこのこと。前回高徳票の我が同窓生は、今回油断大敵の大苦戦。この模様はそのままコントもしくはドラマになる。偵察隊からの不確かな情報に一喜一憂する人々。待つこと数時間。まるで何かに操られているように、一つの情報にその場の人が全員右に左に揺れる。
高松市長選挙は、0パーセントの開票率で当確が出るという摩訶不思議さ。それに引き替え、市議選は接戦につぐ接戦で、95%でも、全員の当確が出ない。奥様は生きた心地がしていない様子。当のご本人も、腕組みをしたまま黙念。当確が出るまでの長かったこと。
帰る道々友人と「矢張り、何事も熱意を伝えるのが大事」と話し合う。私はぼう〜っとした頭の隅で、「ちぇちも、そうだよなあ」と考えてた。家に帰り着いたら2時半!うへ〜っ!もう寝よ!

 

 

2003年4月26日 (土)

ビール。

 本日は門下生の勉強会という名のミニミニコンサート。なんかどっと疲れていて、この日記もどうしても書けなかった。それというのもあとで行ったピザレストランで、ついつい飲んでしまったビールのせい。これがおいしいいピザとパスタで、とくればやっぱビールでしょ!?ここしばらく飲んでなかったので、効く効く!みるみるうちに酔いが回った。そして又しても世間は狭かった!厨房にはナントナント、我がイタリア語の先生がしっかりシェフしてたのだ。思わずCiao!と叫んでしまう。しかもこの料理のポイントを押さえているのはどうやら彼らしいと別の従業員から聞いて驚き。彼は確かミュージシャン。今はアイパルでイタリア語を教えているそうだが、高松は狭いなあ。やがて始まった耳をつんざくようなものすごい音楽!せめてボリュームを下げて貰えないかと思ったが、あの音量を楽しむ種族も居るんだろうと諦めて、早々にMari宅に逃げ帰る。いやあ、分からない。何故あんなものすごい音の洪水の中でおぼれないで居られるのか!あれは私にとって音の拷問だった。でもでも、もしこれが立場が逆だったら、私達が大音響でオペラを歌ってるのを彼らが聴いたら、これこそ音の拷問だぁ!と叫ぶかも。ウフ。ま、みんなそれぞれで良いじゃん!会長がいたくお気に入りのMariさん宅に逃げ帰りほっとした私達。食べるだけ食べて、お片づけもそこそこに解散。いつもながら、申し訳ないっ!Mariさん。そしてお母さん。
 それにしても、肝心の歌の方は、全員、上向いていたので安心。今日の勉強会で新たに分かったこともあっただろう。2回目は7/5に決定。みんなが少しでも上達するために頑張りたいもの。歌があってのオペラだって事忘れないで。

 

 

2003年4月25日 (金)

音楽会と悩み相談。

 弦楽四重奏団は余りに期待しすぎて、、、、まあ普通に感動した。ん?変な表現。ヴァイオリンの柔らかな音色に、流石数億円の楽器とは嫌みな音が全然無いなあ、、、と感心。そもそも室内楽は苦手。あの地味な音楽は入眠剤には有効でも、生命の喜びを与えてくれるまで感動したことがない。まあ、そんな程度の経験の中で私にしては、大いに感心を持って臨んだ演奏会だった。しかし演奏の善し悪しは何処で決まるのだろう。一人一人のテクニック、それも勿論大事。全体のハーモニーも大切なのは言うまでもない。でも芸術の存在する意味は別なところにあるような気がする。どんなに本物に近く絵を描いてもそれがうまいとは言えない場合があるように、、、、。そしてこの若い人達の演奏を聴きながら思ったのは、全ての芸術に年齢が関係しているのではないか?ということ。勉強とか才能とかではない、別なものがにじみ出てくる様な気がする。年くってれば良いと言うのではない。又若い人が駄目と言うのでもない。人間が例外なく生まれて死んでいくという宿命の中で、人生の付加価値とでも言うべきものが成長もしくは成熟だろう。平たく言えば味のある演奏が聴きたい。、、、言うは易く行うは難し、、、だが。明日は自分の発表会。あ〜あ。

 今日はある人から「登校拒否」の子供の相談を受ける。聞いていてこれは自分の浅薄な知識や経験でものを言ってはいけないと思い、一応専門家の主人にバトンタッチ。この件で悩んでいる人が周辺にナント多くなったことか。子供が少なくて愛情を一杯かけて育ててるはずが、何故こうなるのだろう。「親はなくても子は育つ」と言って大勢の子持ちが普通だった頃には無かったこと。何がいけないのか。ひょっとして、今の大人達は何か大きな勘違いをしているのかも。「愛情」の形に囚われすぎているのかも。、、、難しい。良かった。子育て一応終わって!

 

 

2003年4月24日 (木)

つ・か・れ・た。

 今日は未だ声が出にくいので、ミニコンの前、余り声を使いたくなかったんだけど、絵描きさん達の練習には、矢張り、一杯使ってしまう。次回には、もう少し分かって貰うようにしゃべれるだろうが、とにかく、演出には100通りもやり方があるわけで、そこにいる人の意見を全部採り入れていたら、収拾がつかなくなる。手元の台本を繰り返し読んで、全てが頭に入らないと動きは付けようがない、、、などなど言いたいことはあれこれあるが、今日は声が十分でないから、つっこんだことは言えなかったなあ。来週は言わせて貰えるかな?
 それにしても選挙の宣伝カーはにぎやかだ。「お世話になっております」と連呼しているが、一人くらい「お世話させて頂いております」と言う人は居ないのか。
 

 

 

2003年4月23日 (水)

愛媛県。

 文化振興課からの電話。今度県民オペラを立ち上げるそうな。どういう人が対象か分からないが、まあ、なかなか大変だろうなあ、これから。県が主宰なら資金的にうまく行くかも、、、少なくとも我々のような苦労はないかな?いやいやそんなはずはない。どこがやるにしてもきっとめちゃくちゃ大変。基本に「オペラはお金がかかる」と考えてる以上、このご時世簡単に行くわけがない。まあ、私達のように大胆な発想が出来るのも、お金が無くて、無いままやろうとしているからなんだ。ハッキリ言ってプライドがない。これって意外と出来そで出来ないこと。
愛媛県も高速が繋がって遠くない。近々砥部まで行きたいと思ってるが、楽しみ。これからは県外のオペラも見に行こう。
 とうとう今月も短歌の締めきりがやってきた。ようやく原稿を封筒に入れたが、又速達。もう常習犯で、呆れられてるだろうなあ。でも出せただけいっか。、、と自分に甘いみっちゃんなのだ。というか少々無理がたたり、今声がガラガラ。歯は浮くし肩はビンビンで、今日は整体をして貰った。う〜全く弱くなったなあ。

 

 

2003年4月22日 (火)

理想の母、、、?

 今日はまあまあ晴れ。そのせいか本業が大忙し。来店の一人のお客さんが80近い方。その方の娘Aさんの家族と同居中だが、お孫さんも3人いて、みんな結婚。子供も出来た。ねずみ算式とまでは行かないが兎に角どんどん家族が増えて、それでも週末はこの方のお家に全員が集まってお食事会だそう。一人キリキリ舞いしてるのはAさん。台風が来て去ったようなあとはぐったりしてるそうな。それでも段々週末に近付くといそいそし始める、、とか。普通は旦那の実家なんかには寄りつかないのが最近の若いお嫁さん、と思っていたら、みんなきちんとやって来る、、と感心したりAさんを思いやって複雑な表情。このAさんのような人を理想の母と呼ぶんだろう。確かちぇちにもそれに近い人がいたなあ、、、。これ母性かなあ?私には余り無いのか、今日も忙しい最中の息子からの電話にけんもほろろだったなあ。世の母は、電話をかけまくっては息子の顰蹙を買う人が多いというのに、私は自分からは滅多にかけない。だからたまにこちらから電話すると嬉しそうなのは気のせいか?でも人間孤独に耐えることこそが大事。娘からも「たまには電話してよ」と催促が。めんどくさいから最近はパソコンでメッセンジャーを使いチャットなるものをすることに。ところがおとといは娘が暗号を入れてきたのに、返す言葉を忘れてしまい(自分が作った暗号なのに)「あんただれ?」と書かれてしまう。あせるとますます思い出さずとうとう敵は電話してきた。く〜〜情けない!「ぼけとんちゃうん?」だって。理想の母にはなれそうにない。

 

 

2003年4月21日 (月)

ひさびさにレッスンとウオーキング。

 今朝は母上を病院にお連れしてからこないだの旅行をねぎらう為二人で昼食会。帰りに玄関用に鉢植えの植物をいくつか買って、早速植える。今度は予約してあった自分の病院へ。矢張り血圧が高いそうな。血液採られて薬をたくさん頂いた。しっかしこれが嫌いなんだよなあ。どうしよう。飲めるかなあ?未だ歌いたいから飲まなくちゃ、、、。で7時から久々のレッスンをたっぷりやって頂く。見学に来たMariさんが目の前でこの豊満なBODYを下から上から眺めるのでおかしくて歌えない。お願いだから視界に入らないでと後ろへ移動して貰ったら、今度は先生の命令で、横に立ち、この胸と背中を両手で挟み呼吸のチェ〜ック!声出してるときは良いんだけど、ただ喋ってるときに私のおなかを撫で撫でするのは内心止めてえ!だったが、これを口に出したら最後、おかしさの余り、もっと歌えなくなるから沈黙。彼女は無意識なんだなこれが!その内そんなことも忘れてレッスンに没頭出来たから良かったが、、、今そのことを思い出したぞ!ア〜ハッハ。こら!Mariっぺ!けしから〜ん。ぶっ!笑いが止まらない。
勢いづいて本日の最後は久々のウオーキング。寒いと思ったが汗ばんだなあ。さ、お風呂はいって今夜は寝よ!ああ、今夜もただ今午前2時。

 

 

2003年4月20日 (日)

囚われ人、、、。

 本日はとある演奏会のご招待を受け会計さんと二人で行ってきた。今アツアツのメンバーが鎮座ましましているし、懐かしい人の顔がちらほら。ちぇちの応援団の一人K弁護士も寄ってきて下さって、最近見たオペラのお話を!というようなことが色々あって、、、、それで演奏会はと言うと、まず会計さんは途中で帰ってしまった。私の隣の声楽家の連れはすっかり居眠り状態。吾等がパッパゲーノは偶然隣だったが、自分の声域の人には凄い拍手。ハッキリしてるなぁ。まあ確かに本日の歌手らしい歌手はこのバリトンのみ。この人の経歴がイタリア留学というのもあってか、パッパゲーノは熱いまなざしであったなあ。未来の自分を思い描いて居るんだろう。それにしても、みんな歌が好きなんだなあ。歌に囚われてしまった人達なんだ。その意味でちぇちは負けてるなあ。「捕まってる」所まで行ってる人が何人いるかなあ?そして、みんなイタリアが好きなのねえ。日本人に近いのかも知れない。いろんな事が。但し、もう少しお勉強が必要かな?このグループも。一人一人にムラがあるのが気になる。
私も明日は久々〜のレッスン。何歌おっかな?
 今日はお昼間「ビゼーの会」を開き、会計のことなど問題点を話し合う。お陰で総会を開くことも決定。集まれば少しずつ解決していく。時々は他のグループもやった方が良いのでは?と思う。
 みんな違った人間が集まり、一つのことをしていくんだから、なんでも言い合える、しかも優しい会であって欲しい。数式に当てはまらない難問も出てくるが、その解決にはファミリーとしての暖かみがほしいなあ。今日の会はその点大人の会だった。シュークリームご馳走様!

 

 

2003年4月19日 (土)

、、、むつかしい。

 本日某劇団の公演に出かける。「ママお茶飲もうよ」とケーキやドーナッツを提げてくる可愛い男の子、と言っても30過ぎの子持ちであるが、彼T君が主役級で又出るから是非と再三の電話であった。ということはさぞやおもしろ〜いものに仕上がったに違いないと期待して出かけるも、、、、、むつかしい。何が?って、主役の人に限らず、舞台で演じている間、ずっと緊張をキープしている事が如何に難しいか、、、。役者が一瞬でも素に戻ると客はすぐに現実に引き戻されてしまい、なかなか舞台に気持ちが上がっていかない。一応ミュージカルのようだが、一度もソロや重唱すらない。全部コーラスで、パターン化されすぎている。音楽が始まると、ぁ、又かと正直余り聴きたくない。休憩から知らない間に観客を舞台に集中させたりする手管はさすがこの演出家だけのことはある、と思うが。まあ中ではT君はよくやっていた。今度会ったらほめて上げたい。
 どうやら歌を勉強中らしき若き女性の声で、「あれでは喉がつぶれてしまう。長いこと歌ってられないよ。」と何も知らないらしい友人に得意げに話す声「ふ〜ん、そうなんだ」と今一何の事やら分かってないらしい声で答える声も若い男性の声。振り返るが知らない人達。まあ確かに、T君なんか一時期充分ソロが歌える所まで行ってたのになあ。残念だなあ。宝物を持っていても、その値打ちを知らない人達には、何の意味もないんだろう。一生は短いというのに、、、。
 本日所用で坂出に行き、帰りに高速の坂出〜中央インター間を18分でぶっとばす。ナントしても予約のお客様に間に合わせたかったから。ここんとこ、ちょい臨時休業が多かったモンなぁ。命とどっちが大事なんだ?という思いがチラと脳裏をかすったが無視。ともかく無事着いた。往きは大きな事故を目の当たりに見ての帰りだというのに、自分でも我が度胸に呆れる。要するに命知らず。というか命要らず。ガードレールに激突して自分の車が大破、空中をその破片が飛び散っている様をよく夢想する。こういうのって、、、?ねえ、精神科の先生、やっぱりどっか変ですか?

 

 

2003年4月18日 (金)

ミュージカルも良いモンだ。

 懐かしい古巣のようなミュージカル劇団タイムステップに「魔笛」のときの衣装を返しに参上。といっても、主たる目的は、6月公演のお手伝いの話し合い。6月公演は今後絶対やるまいとはメンバーの話。とにかく仕事がらみや行事が多くてなかなか進まず、この劇団にとっては全く異例の2ヶ月前にチラシが出来てない。かろうじてポスターは貰ってきたが、、、、これって人ごとじゃあない。来年の6月にオペラをやることに話しが決まりつつあるんだから、ちぇちぃりぁは。まずいかも知れないなあ。よく考えないと、、、中途半端なものにならないように。
さて、歌って踊るという難しいことにチャレンジし続けている彼らだが、なかなか良い感じ。芝居も見たがとにかく練習しなれている。同じ場面を少なくとも30回はやってたなあ。これって、歌の練習の時に、1小節を何度も何度もレッスンするのに似ている。違いは彼らは激しく動くという点のみ。仮にちぇちで、これと同じことしたら、まず一番に年配者が音をあげるだろうか?あるいは若い人達が退屈するだろうか?、、、しかし、こうやって体で覚えるのが本番に一番有効なことなんだ。楽に出来ることで、人を感動させることなんか出来ない。困難をいくつも乗り越えてこそ本番の成功がある。
6/29はあたしゃ営業日なんだけどなあ、、、。又しても「勝手ながら、、、、。」かなあ、、、。トホホホ。
しかし一時は「もう止めようか」という声を聞いたが、福祉公演を今年もやるらしい。良かった。出来ればずっと続けて欲しいもの。そうならずっと私も応援していくだろう。
それにしても相変わらず練習会場に困っている。ちぇちも変わらないが、ホントに政治家さん達、真剣に地方の文化を育てるために練習会場を作ってよ!

 

 

2003年4月17日 (木)

アジアンテイストのおいしい安い店。

 今日で二度目だが、まず店員の態度が気持ちいい。新米は新米なりに誠心誠意であり、ベテランはちゃんと私の顔を覚えていた。肝心の料理はケッコウいける。大盛りの皿料理5皿とジンジャエール2杯で一人1800円とは安いじゃないの?!FMの収録後にYさんと二人で楽しく食事。そう、このおしゃべりのおかずが又大切。おいしい料理を倍おいしくする。特に彼女の旦那さんのおかずはおいしいなあ、、、フフフ。
 ところで今宵は、クラシックとジャズという変わったコラボレーションに挑戦したばかりの小濱姉妹がゲストであった。当日の録音を聴きながらのものであったが、客席で聞いたよりは数段きれいに入っていて胸を撫で下ろす。ついでに坂出市長に「もっと良いホールを造って、人々を坂出に集めて欲しい」と苦言を伸べた4人の猛女。この声がもしご本人の耳に届いたら、そうせざるを得ないような気になるだろうに、、、、。「この迫力が目に入らぬか、、、、!」ぷっ!

 

 

2003年4月16日 (水)

我が母ご帰還。

 はるか遠い水戸の孫の家に居座っていた我が母が、疲れも見せず約3週間留守にしていた高松に帰ってきた。空港に出迎えると、一応緊張しているらしく、口をへの字にキュッと結びぴょこぴょこと歩いてきた。車に乗る間も待たず、堰を切ったように喋り始める。電話で聞いていたこともたくさんあったが、まあ良かろうと聞き手に回る。心身をリラックスさせようと帰り道に、温泉「きらら」に立ち寄り旅の垢を落とす。
家に帰り着いたのは夜11時。さて、疲れが出ないことを祈るばかり。なんと言っても80代。なのに私のこの心配を余所に本人は「明日はカラオケにお土産持って行く」と涼しい顔。ああ、昨日の88歳の方といい、このバイタリティにはホントに敬服。
あたしゃもう寝よ。
 

 

 

2003年4月15日 (火)

麗しい夫婦愛というもの。

 本日は88歳の米寿を迎えられたある女性の、大々的なバースディパーティに出席させて貰った。フルコースのおいしい料理に舌鼓を打ちながら、最近に無く晴れ渡った海を眺め、平和な気分を満喫。やがて和やかな笑いの満ちる中、その方がお世話になった方々へと感謝の言葉と品物をプレゼント。内お一人は1歳年上のご主人。「私は主人に感謝の品物に何を上げようかと寝ずに考え、町中を歩きもしましたが、この私の主人には何もあげるものがありませんでした。」と取りだしたものは一枚の色紙。そこには「無限の愛」と達筆で書かれてあった。現在も書道を勉強されていて先日10段を取得されたという奥様直々の書。それを全員の前で押し頂き、続けてスピーチの予定のご主人が、声を詰まらせ、しばらくマイクを持ったまま絶句。、、、この光景はまさしく麗しい夫婦愛。久しく見たことのないものだった。なあ。そこにいた全員が「ああ良いなあ」と思っていた。割れんばかりの拍手がそれを物語る。修子桜のウコン桜の様に麗しいものだった。なあ。88歳と89歳のご夫婦というのにも驚かされるが、これだけしっかりと結びついた夫婦愛も、又その表現の今風なのにも驚く。お孫さんが外国の方と結婚していてスピーチをされていたが、これなら違和感がなかったに違いない。いや全く!良い感じ!、、、なのであった!今酔ってるかって?いえいえお酒には酔ってませんよ。この夫婦愛にねっ!
ふ〜っ!

 

 

2003年4月14日 (月)

すごい人がいるもんだ!

 急遽決まったFM収録のゲストはナント神父様。それがただの人ではない。47歳まで外資系銀行の企業戦士として世界を舞台に活躍、年収何千万の何不自由無い暮らしぶりだった。ところが、長い間妹さんの治療費捻出のためにがむしゃらに働いたという面のあるこの方は、その妹さんが社会復帰しても良いところまで回復するやいなや、すっぱりとその仕事を辞めてしまった。そして東京山谷で日雇い労働者をしながらのその日暮らしをする傍ら、神父になるべく勉強を始める。やがてローマのヴァチカンの神学生となり24時間が修行という厳しい生活に入り、念願叶って神父として帰国、現在に至っている。
「金にまみれた暮らしがイヤでたまらなくなった」とその理由を話してくれたが、私は納得出来ない。そんな馬鹿な。銀行マンを止めていきなり神父、の前に何かあるはず。、、、という執拗な私の質問に少しづつ語ってくれて、ようやく分かったのは、彼は「選ばれた人」だったということ。まず、8歳の時なくなられた母上が熱心なクリスチャン。高校生の時「神父になりたい」と真剣に思ったことがあるなどなど、、、。普通の人とは少し違う思考回路を持っていたのだ。しかし、何故この方はこんなに魅力的なんだろうと考えながらお話していたが、矢張り世俗の人間の全ての欲望や快楽を体験している神父様だからなんだと、思い至る。いわゆる酸いも甘いもかみ分けた人だった。裏では放送コードにひっかかるすれすれのお話も!紹介者が「生臭坊主」と称したのはそういうことかと妙に納得。ハハハ。それにしても、あの三本松の体育館前の芝生に立つダリの彫刻がこの方の寄贈したものだとは、ホントに驚く!1本のつもりが、30分では聞き足りなくて、ミキサーの男性にお願いしての2本録りとなる。彼も快く「僕ももっと続きが聞きたいので、、、」と言ってくれた。それでもなかなかうまく引き出せなかったような気がする。もっとお近づきになって色々お話伺いたいなあ、、、。

 

 

2003年4月13日 (日)

小濱妙美、良子ハートフルコンサート

滞りなく終了。満杯のお客に演奏会は大成功。、、、なのだがちょっとホールが悪すぎる。この演奏会がアクトホールで聴けたらどんなに良かったかと思うと残念。打ち上げで、坂出市長が「勧進帳」を三味線で唄ってくれたが、そんなに芸術的なことに関心がおありなら、あのホール何とかして欲しいし、せめてピアノだけでももっと良いのにして貰えないかと思ったのは私一人ではないだろう。歌は難しい。最高のものを聴かせるためには器も大切。あれが小濱さんじゃなかったら、ひどい事になってたと思う。
良子さんのジャズピアノは良かった。もう少し聴かせて欲しかった。まあしかし、クラシックとジャズという組み合わせでは、聴く方の気持ちの切りかえも難しいものだというのが分かった。プログラムも工夫されていたが、きっと大変だっただろう。何はともあれたくさんお客さんが入ってくれて良かった!関係者様おつかれさま!

 

 

2003年4月12日 (土)

盲目のピアニストその2.

 昨夜はピアノの音を記憶に聴きながら眠ったせいか、本日は寝覚めが良い。ただ今午前9時。こんな時間に日記に向かうことはないが、昨日の続きを書いておこう。
 最近とみに目が悪い。送ってもらったチケットが指定席だと聞いていたのに、座席番号が何処に書かれてあるか分からない。私より、ん歳年配のたーちゃんも同じくである。結局自由席の良いところに席を定めての鑑賞となる。2階席の出っ張り部分で私の好きな場所。2曲が終わると後ろの方で子供に注意する中年の女性の声。やがてその声は子供二人の母親らしき人に向けられる。「お子さんのお菓子を食べる紙の音がうるさくて困るんですが、、、止めさせて貰えませんか?」というもの。私達の隣にいた若く美しい母親は一言の「すいません」もなく、いきなり子供に向かってお小言。それもおざなりとしか思えない、まあ言われたからこの場は納めとこうみたいな、気の入らないもの。続けて中年女性。「お母様がお子様の間にお入りなって監視して下さいませんか?このお子様達だけでは無理じゃないですか?」この問いには、妙にハッキリと「私の隣には席が在りませんから無理です」ときた。おいおい、それはないでしょう?席は他にも一杯あるし、ここは自由席。これではまるで、そんなにうるさいならあなたがどっかに移ればいいでしょ!と言ってるみたいに聞こえる。小さい子供といっても小学中学年くらいだから、何とかなるでしょうに、これでは子供達は「やっぱりお母さんは僕たちの見方なんだ。こうるさいおばさんに勝ったぞ」位にしか受け取らないだろう。一言「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました。」と言えないものか?
私達は顔を見合わせて次の曲にと気持ちを移行させる。休憩になってチケットをよく見るとやっぱり指定席だったことが判明。この家族に席を譲りたいこともあり、立ち上がると、先ほどの中年女性はどこかに逃げていた。母親はといえば涼しい顔。外見はとても美しいが、、、残念なこと。
私は精一杯の皮肉のつもりで「どうぞ、席を空けますから、お子さんと並んで下さい」と言ったが、その母親はきょとんとしている。こりゃだめだ、とあとでたーちゃんと話す。梯さんのお母さんは彼の入退場に付き添って盲導犬の役割をしていたが、一言も口をきかず、しかし彼に頭を下げる方向を何度も促していた。彼が会場全体に御礼が出来るように、、、、。このお母さんの仕草を見て、何の学習も出来ないのか彼女は!ああ情けない!

 

 

2003年4月11日 (金)

盲目のピアニスト

 本日は友人のたーちゃんと雨のそぼ降る中をアクトホールまで出かける。今日で二度目の「梯たけしピアノリサイタル」である。正直言って、あくまで個人的な意見だが、彼のピアノは技術的にはもう一つという感が無きにしもあらず。それはおそらく彼の体質、よくは分からないが体から来るもののような気がする。ピアニッシモや流れるような指さばきは巧みだと思うが、フォルテや切れ味が今ひとつ物足りない。それでも彼が椅子から立ち上がったとき、そのあまりに頼りなげな腕や足の運びに驚かされる。あの腕で、鍵盤を叩き、あの足でペタルを操っていたのかと思うと信じられない思いだった。生後1ヶ月で小児ガンに冒されての失明だそうだが、その後の彼の人生を支えてきたのはどうやら母親らしい。なんと彼女は声楽家だそうで、父親はビオラ奏者の音楽一家というわけ。やっぱりね。
今夜の演奏会で一番印象に残ったのは、演奏が終わった後の彼の言葉。「ええ、高松は、とても広々としていて、晴れた日は暖かい光が射してきて、海のにおいがするここで、こんなにたくさんの人達に聴いて貰えて、、、僕はホントに幸せです」そう言って深々と頭を下げた。見えない彼にとって、高松はひょっとしてニューヨークのような都会よりうんと広々と感じたのかも知れない。一日7,8時間練習すると聞いて会場に感嘆の声が湧いた。3曲のアンコール曲はそれぞれリラックスして素敵だった。いつも誰でもアンコール曲の方が良いと思うのは私の偏見か、、、。ともかく、来年又彼が来たらきっと私は出かけるだろうなあ。
実はこの時マナーについて考えさせられる出来事があった。あくびが止まらないから、明日にしよう。あわわわわ。

 

 

2003年4月10日 (木)

終わりがない、、、、。

 先ほど現地の記者が喋っていて、この世の戦争には終わりというものは無いのではないか?という大変むなしい感想を持った、と話していた。確かに歴史上のどの部分を切り取っても、いつもどこかで戦争はあった。21世紀は平和の世紀といううたい文句で幕を開けたはずが、なんてこと!

 今夜は絵描きさんグループの練習日。ようやくおしりに火がチョビット付いてきたかな?そしてそれはとりもなおさず「人前で芝居をすることへの恐怖」を産んでいる。頭の中で考えてることが表現出来ない。自分では面白いことやってるつもりでも、ちっとも面白く見えない。喜劇が如何に難しいか。である。みんな喜劇が大好きで、楽しくやってお客にも楽しんで貰いたいのだが、そのどちらも楽しめないという結果もあり得る。実はその怖さは、指導している自分自身にも無くはない。が、みなさんと長く接してきて、それぞれの持ち味が分かってきた今、多分うまく行くんじゃないか、というところまで来た感じ。さあ、これから頑張らなくては。、、、これは終わるからいいや!

 

 

2003年4月 9日 (水)

キッチンドリンカー、、?

 亭主のたまう。「うちのお母さんキッチンドリンカーになった!」と。そうかなあ???たまたま夕べワインをほぼ1本飲んだら、世の中回転し始めて、良い気分。そんでもって本日は新しいキリンの「純生発泡酒」が出たと、亭主が買ってきた。だから2本飲んで上げたらこの言われよう。
別に良いじゃん。昼間はちゃんと働いてるしい、家事だって一応やってるんだから。お休み前のアルコールくらい、どーってことないでしょ!?
チイサイチイサイ!第一、悪いお酒じゃない。明るいお酒は体に良いんだよおお。
 さて、明日はいよいよ引田町にある「カメビシ醤油」のうどん店がオープン。試食会に呼ばれてネーミングにアイデアを提供してきたが、果たして取り入れられてるかどうか、、、?この由緒在るお醤油やさんは、私の親友の実家であり、彼女のお兄さんご夫妻は大のオペラ好きときている。なので、先日のイタリアンガーラコンサートにも来て下さった。プログラムの広告で見た人も居るだろう。ま、空前のうどんブームだが、個性化が進み、まもなく陶太されるはず。この古くて新しいうどん屋さんは、確かにユニークで、おいしいものが食べられるのが良い。トッピングの中では、あの小魚のかき揚げはおいしかったなあ。、、、なんて平和な日本。
 明日は神門アナによる小濱姉妹のインタビューが夕方生で放映の予定。まあしかし、この姉妹のバイタリティは凄い。明後日はFMカガワでこけ枝師匠との出演。ハートフルコンサートの日曜日、は〜やく来い!

 

 

2003年4月 8日 (火)

日々これ好日。

 ただ今、島根から送って頂いたワインがものすごく効いて、ふら〜っふら〜状態。
予想外の酔い方。もうろうとしている。
こんな時に日記を書くなんざけしからん。と思いつつ、パソコンに向かう。
でえ、本日のお題は「お酒=アルコール」。これを読んでる人のうちどれくらいのひとが 飲めるのか知らないが、飲めないより飲める方が人生数倍楽しめる、、、、と下戸には見せられないこの迷文。いやほんと、この目の回る感覚がたまんないのよねええ。
今日は奇しくも色んな人と歌について話すことがあった。歌は科学ではない。にもかかわらずいつの間にか、音楽学というものにはまっている人達がいる。勉強の身なれば確かに学問的要素を無視するわけにはいかない。が、この世に歌が存在する理由を考えるとき、全くナンセンス。なべて芸術は人間の原点に迫るものでなくてはならない。科学?それがどうしたの?ってとこですか?
 ニュースステーションで滑稽なことが報道されてたなあ。世界の報道機関が集まるイラクのホテルが爆撃を受けた。いまや安全と呼べる地点は一つもない。、、、あったりまえでしょ!?戦争とはそういうものじゃないんですか?兎に角これはゲームじゃないんだから。血糊のついた映像に段々無反応になってくる自分が怖い。

 

 

2003年4月 7日 (月)

可憐な人。寡黙とは言い難い人。

 某新聞社に小濱姉妹を伴い表敬訪問に。お相手をしてくれたのが、ホントに可憐で美しく、満開の桜の花びらのようなSさんといううら若き女性記者。きれいなブルーのアイシャドーに縁取られた賢そうな目からは、柔らかな笑みと光が交互に現れる。時折姉妹の高らかな笑いにどぎまぎしたり、熟女の冷やかしに応じきれずはにかむ姿は、男ならずとも心惹かれる。いやあ、マスコミにこんな人がいるなんて、、、!実はこの方はずっと以前にも私を取材してくれたことがある。会うたびに美しくなる人。
 次はNHKのニュースに向けての吾等がKアナウンサーとの打ち合わせ。寡黙を装うもののつい地が出る可愛さ。いや全く、熟女達の毒気に当てられて居りましたなあ。しかし彼は山陰の出身の割に明るい人。来るべくして讃岐に来たのか。ぷぷぷ。彼はホント寡黙とは言い難い人であった。
 ピアニスト佐々優さんのお父さんの遺作写真展を宮武画廊へ見に行く。その写真の素晴らしいこと。長く作品を見せて貰って無くて、実際驚いた。こんなにも清涼な世界に住んでいらしたのだ。ある種の極みを体感されたのではないか?
今日はこの遺作展に向けての優さんと母上のけなげな姿にも胸を打たれた。すすり泣く声のする展覧会というものも初めての体験。
、、、この後坂出までお送りして坂出の住人にチケットを販売し、あれこれ、、、結局多忙からは逃げられない私。だった。

 

 

2003年4月 6日 (日)

人間考。

 うちの娘が父親に向かって言う台詞の最も多いのが「人間はね、って言うのは止めて!十把一絡げにされたくないんだから」なんだけど、敢えて本日は私も人間について語りたい。実はただ今過労のせいで声がいつもの2割しか出ないので、この手段はとても有り難い。なんとか回復をと、ぽかぽか温泉に行ったが余り効き目無し。ま、良いか。明日歌う訳じゃない。
 昨夜短歌の友人から「ブッシュにヘッドロックをかけてやりたい」とのメールあり。彼女は実際の反戦デモにも参加している行動派である。都会に住んでいて、矢張り田舎とは違う体感をもっているらしい。実際はこんな事に都会も田舎も無いハズなんだが、どうも田舎は何事にも反応が鈍い。自分の事を考えても、先日の戦場のピアニストではないが、巻き込まれないハズはないと知りつつその真ん中に身を置いて戦うことをしない。イラクの女性二人が自爆攻撃で死亡したとのニュースに、後頭部が薄ら寒いが、自分には絶対出来ない行為だとしか思えない。自分では、小さな世界では家族や自分を犠牲にしてもやるべき事はやる人間だとは一応評価している。が、これが戦争となるとどうだろう。そこにどんな大義名分があっても、私は人を殺せない。
 FMラジオを聴きながら仕事をしていると、某局にニューヨークからの生番組が流れていて、現在のヒット曲やら、ニュヨーカー達の休日の楽しみ方なんかが紹介されている。おいおい、あんた達、確かよその国であんた達の国は戦争してんのよね?一杯人を殺してるんだよね?もちろん自国の人もだけどさ。そりゃあ生活しなきゃなんないわけで、日曜日は昼まで寝るのが悪いってんじゃあない。しかし、マイク向けられてそんなことしか言わないなんて、、、変じゃん?、、、とついお客さんのヘアー握る手に力が入っちゃった。アハ。一人の人間に良心と、そうでない心があるように、一つの国に、天使と悪魔が住んでいる。となると、心に葛藤が生じるように、戦いは起きる。これも神の造りたもうた人間の宿命か。しかし、どこかに救いは在るはず、、、、ないか。

 

 

2003年4月 5日 (土)

これを罰があたったって言うんだろうか?

 8日間、全くのハードスケジュールで関東地区をかけずり回って、どん欲に演奏会まで聴きに行き、会いたい人には森田君初め何人かに会い、息子の新しい巣作りもあらかた終え、、、、折角太陽を連れて帰ったし、時間にも間に合ったにもかかわらず、歌は今までに一度も経験したことのない大失態。いくら、への様な私の歌といえども、止まらずに歌うくらいはしないと、、、反省。「あれもこれもは出来ないんだよ、おみっちゃん。」という友人のおくにどんのお説法がドンぴしゃり!あ〜グヤジ〜。でもどのスケジュールもアタシノ自由にはならなかったんだよお。すっかたなかんべさあ。兎に角寝よ。

 

 

2003年4月 4日 (金)

寝るどころか!

 満開の桜の下を少し散歩して、名残惜しく桜を見返りながらホールにはいると、あら、M先生!ご出張とかで急に来られるようになったとか。常連のS彫刻家とも無事会えて、我々だけの演奏会の気分。小濱妙美さんの歌は万人の胸を打ち、涙を誘い、素晴らしいの一言。大きなホールを、まるで誰もいないかのような静寂が満たす。その一瞬の間の後、割れんばかりの拍手と歓声。、、、、今年も彼女は心を込めて歌った!「Pa〜〜〜ce](平和)という長いフレーズに、彼女の万感の思いを感じた。「アヴェマリア」のピアニッシシモに心の底からの願いがあった。これを聴いて泣かない人は居ないだろう。あまりの美しさに、「何だ私の歌って、へ、みたい!」と頂上の高さにめまいがした。あ〜〜〜、なんたる幸せ。、、、とくれば、後はもう宴会しかない。妙美さんの友人の経営する新橋のお寿司屋さんへ、雨の降る中電車で7人。まあこれが色々紹介し合うと、どっかで繋がったり以外と近かったりで、盛り上がるわ盛り上がるわ、、、でも、明日はお花見コンサートなのだ。おいしい日本酒もちょっとしか飲めず(飲まないわけではない)盛り上がった途中で解散せねばならず(普通の人は深夜という時間だが)しぶしぶ腰を上げて今夜のお泊まり場所「蒲田の黒湯温泉宿」へと向かう。ところが今夜は花金、しかもお花見真っ盛り、終電の最後から2番目、、、という条件が揃い、都心の電車は超満員。荷物を持った手を放しても荷物が落ちない。自由の女神のように手を伸ばしっぱなしで30分ほどで、どどど−っ!とはき出される。あ〜あ、なんという本日の結末。一気に現実に引き戻された。K先生のお言葉が思い出される。「良い音楽を、特にオペラを聴くときは、しっかりおしゃれをして、良いホテルに泊まり、おいしい食事をし、贅沢な鑑賞をするのが一番」、、、あたしゃお金に縁がないと占い師に断言されてるんですう。

 

 

2003年4月 3日 (木)

思いだすだに恐ろしい、、、。

 雨で白線が全然見えない中、トラックの水しぶきを受けながら決死の覚悟で水戸まで行ったが、後で背筋の寒くなること、、、、!まあ同じ道とはいえ本日は快晴。少々の慣れも手伝って、どうにか無事横浜まで帰り着く。車から降りたら、足が手がカチンコチン。やっぱり緊張してたんだあ。「大丈夫ですか?明日の紀尾井ホールは寝るんじゃないですか?」とはT先生のお言葉。それが大正解にならなきゃ良いんだけど。心配。

 

 

2003年4月 2日 (水)

横浜、雨。

 仕方ないからカズの四輪駆動車で移動するつもり。カズとは我が娘の婿なれど、以前長嶋監督の息子のカズに大変似てた時代があり、カズと呼ばれてるが、今は、お太りあそばして、、?カカカ。
まだ東京にいる森田君を連れ出し、おいしいイタリア料理店に行く予定。ほとんどイタリア人の彼をそんな店に連れて行くの?と娘に言われたが、あちらでそんなおご馳走ばかり食べてるはずもないから(これ私の勝手な推量)いいんじゃない?てことに。さて今日は雨の中、どんなことにあいなるか、、。夕べは隅田川の桜がきれいだったが、、。

 

 

2003年4月 1日 (火)

本日は横浜

娘の嫁ぎ先に一宿一飯の本日。明日は多分!熱海か東京か、、、自分にも解らない。なんたる放浪生活。あたしゃ何処ででも生きていけそう。うふふふ。今のところ体力も持ってる。高松から遙か遠い横浜のマンションの5階からこうして日記を打てることの不思議さよ!

 

 

« 2003年3月 | トップページ | 2003年5月 »