信じるということ。
「ケサラ」というシャンソンの歌詞ではないが、例え親兄弟、親友恋人と言えども、それぞれ何処まで信じているだろうか。自分自身もある意味信じられないワタクシにとって、この課題は余り突き詰めてみたくないテーマ。でも、つらつら考えるに「信じてる」と思うから「信じてたのに」と裏切られた気分になる。もちろん、信じ合うことは最高に美しいし、尊いことだと思う。だが多分私のこれまでの人生は「信じたい」の連続だったような気がする。本当の意味で100%信じていたら、色んな所で裏切られて、この年まで生きる気力が無かっただろう。(本能的に生きる術を身につけているのが人間なのだ。)それは対象が、別に私を裏切りたくて裏切るばかりではない。裏切るつもりはないが、結果そうなってしまった、、、ということが殆どだろう。その意味では自分自身も、人を知らない内に裏切ったこともあるかもしれない。そう言えばTさんが「人は裏切る動物です」と言ったなあ。Tさんは私よりうんと若い人だが、文学志向の強い人だからこの言葉には深い意味が感じられる。確かに無意識に人を裏切ることはあるだろう。が、やっぱり信じて生きていきたい甘ちゃんのワタクシ。少なくとも、私に関わる全ての人を信じたい。枝葉はどうでも良い。根っこの部分で!
、、、、こんな価値観がマッタク通用しないのが戦争だ。一連のニュースを聴いていて、日本が何処へ向かおうとしているのか、、、、怖ろしくなった。
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