2024年9月 9日 (月)

重陽の節句=我が子の誕生日

今日はお嬢の誕生日。取りあえずお昼親子三人でおそば屋さんを予約しようとしたら、二名様分しか蕎麦が残ってませんと言われ、当然のように夫はパス。二人で出かけた。山間にあるお気に入りのお店で、店主も覚えてくれている。到着したら一組のお客さまが断られて気分悪そうに出て行くところ。気の毒に、、、。

貸し切りでたっぷりゆっくり頂いて、満腹とは行かなかったが丁度良い感じ。周辺に何も無い場所だけに風の通りも良く落ち着ける。そのままお嬢の車に拉致されたままマンションに。ところが二人ともなんだか眠い。テラスから入る風に吹かれている内にいつの間にかうとうと。目的の第一はシャンソンの勉強だったはずが、、、。そのうち孫べえが帰宅して、パパの買ってきたケーキを囲んで三人でハッピーバースディ。いやあ、なかなか美味しい。流石のグルメのチョイスだけある。パパにもちょこっと残したが、、、予想外の婆婆さんの侵入で、、、、プププ。

本当の誕生会は明日にしようと約束してバイバイ。

昨日ははるばる水戸からご帰還して古楽のチェンバロ担当だったT先生のために久しぶりにお出かけ。清涼飲料水を飲んだような演奏で、さわやか~な気分。こちらとしては、ようやくこうして出かける事が出来た事が大きい。このままの流れで全快となれば嬉しいのだが。。。

夕べは短歌の出詠でちょいと夜更かししてしまった。相変わらず薬に頼ってよく眠ってはいるが。今日こそは早寝しよう。

2024年9月 7日 (土)

人間は小さい。

頭を使うのも疲れるものだ。今日は歌会で司会は他の人にお願いしたものの、集中して二時間はやはりまだ堪えた。夕飯後、それもお嬢に店屋物を買ってきて貰って昨日の残り物を夫にじゃーーーっとミキサーに掛け、こっちは半分を砕かず食べ、、、、てな手抜きの食事。それを終えたらもうダメ。リクライニングソファで軽く、と思ったら1時間の仮眠。なんてこった。時間が勿体ないなあ。

ただ今ハノイにいるという息子からのラインで目が覚めたのだが、ただ今台風のまっただ中らしい。30年来の大型だというが、そのせりふこっちでも聞いたような、、、?近頃は便利で、送られてきた動画付きのラインユースも簡単に訳してくれて内容が直ぐ分かる。こちらでもさんざんニュースで見たのと同じような映像が流れている。こうしたことはこれからどんどん多くなって行きそうな予感。

短歌の歌会に参加する人が少ない。理由は色々あるだろうが、歌会の面白さを知らないと言うことだろう。誰かにジャッジされたくないという思いもあるかも知れない。他人の歌を評価するなんてとんでも無い、と恐縮の向きもあるだろう。でもこれまで長く参加してきて、「短歌」というものの一番の魅力はここにアルのかも知れないと思い始めた。いや、かなり前からそう思っている。たかが一首だが、その歌の裏側や周辺に込められた意味合いは、すっと読んで全て理解出来るものではない。もちろん、読み手の自由な解釈があって良いし、文学はそもそもそういう物だろう。でも、出来うるなら作者の意図するところを知り、それが読者に上手く伝わってないならどうすれば良いかという技術的なものも教えてもらえるこういう会が欲しい。これが、学校の授業の様な物では面白くないが、みんな人生経験を積んだ一人前の大人だから、そこに自ずと相手への思いやりや同情がプラスされ、色んな可能性を探りながらの会話となる。もちろん積み残すテーマも出てくるが、その場で全て解決する必要も無い。自分の思いが何故伝わらないのか?そのヒントさえもらえれば、次に生かせると思う。そして思うのだ。短歌を詠むという行為は、自分の内面を、あるいは人生を振り返り、他者に優しくなり、自分の小ささに思いを致すという行為だと。

そう、人間は小さい。どんなに威張っている人でも。

2024年9月 6日 (金)

なにごとも対策が大事。

今朝、我ながら驚く睡眠時間がスマホに表記されて、嘘でしょう!?と思わず言ってしまう。にゃニャンと12時間5分の睡眠時間で、しかも途中で起きたのは2回。これ凄い事!何故こうなったかをつらつら考えるに、お風呂にゆっくり浸かったこと。部屋は除湿にセットして一枚重ね着して、温度が下がりすぎても起きないで良い対策。そして10時半という時間に睡眠導入剤。部屋はまっくらにして、アレクサに「暗い日曜日」の楽曲リピートを依頼。で、寝ただけなんだけど。夜中に一回起きたときまだ鳴っているアレクサにストップをかけて水を一口飲んで再び眠ったらしい。ちゃんとチャイムも切ってあるところをみると、思い切り寝ようと考えたんだ。にしても、半日眠り姫だったとは!!おかしかったのは、この時計と連動しているスマホのアプリに色々アドバイスが書いてあり、貴女は同じ年の他の人より99%長く寝てます。とあったこと。だろうねえ。この年で、こんなに寝る人はいないんじゃない?他にも、貴女は寝始める時間が遅すぎます、ともあった。軽い運動をして速く寝なさいとも。

なるほどごもっとも。出来るときはそうしようと考えている。

で、そういえば、ちょこっとチョコザップの効果もあったということだ。

まあ、まだ車の乗り降りが痛くて完全な老婆をやっているが、明日からちょこっとやってみよう。

明日は歌会。リモートだがじっと座って居られるかが疑問。ま、対策立てて頑張ろう。

2024年9月 5日 (木)

ちょこっとの日。

先月丸々お休みしてしまったチョコザップに始めて行ってみる気になった。大分前から夫にやいのやいのと言われてはいたが、どうもシンドイが先立ち行く気にならなかった。が、それこそちょこっと行ってみて、しんどかったら直ぐに帰ろうと決めていったのだ。幸い室内借り切り状態で、ゆっくりのんびり使ったのはサイクリングのみ。10分ほど動かして出たが、ま、行けそう。

それというのも、ここ数日メチャクチャ腰が痛い。これまで痛かったことも時々あったが、そんな痛さでは無い。余りに長期に寝込んでいたのが原因かと自己判断。毎日の様に腰痛ベルトのお世話になっていたが、考えてみると股関節の手術の後でも、翌日からリハビリだった。こんなに寝込んでしまったことは暫くない。腰の筋肉が消滅したのかも知れない。

病院行きを一日延ばしにしているが、痛くなくなれば行く必要も無い。今日の結果次第で考えても良いかな。

新しい本が来た。先日の絵門女史の書いた物だが、一冊目から4年経っている。全身にがんが回っていてもこうして書き続けることが出来た人だったんだ。樹木希林と同じように全身に転移してたとは。

読み始めたが、初めから読ませる力を持っている。体験談の強みか。

あれっぽっちの運動で速くも眠気が!ま、どちらかということ今日は睡眠を優先だなあ。

と思ったら、歌会の歌評が貴女だけまだ出てないよ、とお知らせ頂く。あっちゃ~とばかりおおいそぎで書いて送った。余りに自分の身にばかりかまけていて、世の中の流れから時々離脱する。失敗失敗。

2024年9月 3日 (火)

戻って来~~~いよ~~。元気。

正直まだしんどい。家事をしてもすぐ汗びっしょり。さりとて横になっても良くならない。なんじゃ?これは?という状況。仕事帰りにやって来たお嬢が言うには、全くおなじだとのこと。そうなんだ。若くてもそうならこっちは仕方がいんだろうと諦める。実は数日前からの腰痛がかなり厳しい。ちかごろは症状をネットに打ち込み病名を調べることが出来るが、余りに多岐にわたる結論で、結局分からな~い。で、明日こそは病院に行こうと決心して眠ったが、起きると何だか行きたくないが勝ってしまった。昼間にやってきた友人がそんなので検索してないでとっとと病院!とお説教してくれたが、なんだか腰が重い。いや腰が痛いんだ~~。で、グズグズしていて今日は止め。

昨日読み始めた本は、先へ先へと促される書き方であっという間に読んでしまった。読後感としては、為になった、というのが一番。で、癌になったら民間療法だけに頼るのは止めようということ。不信感をもつ医師も居るが、西洋医学がやはり信用できる、ということ。兎に角理路整然としていてとても読みやすいし、何より体験談だから説得力がある。この本が出版された頃は健在だったようで、未来に向かっての希望も気持ちよく描かれている。不安があっても希望を捨てない生き方には共感出来た。が、色んな説明があったにせよ、一年半も民間療法、それも怪しげな物に大金と労力をつぎ込み続けたのかが、矢張り分からない。相当頑固だったような気がする。過酷な痛みに耐えながら僅かの望みに縋っていたのが信じられない。いくら医者嫌いの私でも、癌を宣告されたら、何を置いても西洋医学に頼るだろう。ま、時代が少し違うというのも有かも知れない。18年前に亡くなっていることを考えるとまだまだ西洋医学も信頼を勝ち得ていない部分があったのかも知れない。

しかし、一つの才能が消えた事には間違いなく残念だ。こういう人がいたことを知らなかった。このあとどういう経過を辿って亡くなったのか、次を読みたいとおもってる。

こんなに時間が経ってもこうして感動して彼女の心に人生に寄り添いたいと思う人間が現れると言うことは、「本」の力だ。夫に勧められて書いたらしいが、素晴らしい選択だ。一番の理解者だったんだろう。

読書も音楽するのも、健康が大事。速く元の体に戻りたいよう~~。

2024年9月 2日 (月)

読書出来る夜がやってきた。

今日も嫌なニュースばかり。中でも命に関わるニュースが多く本当に落ち込む。国内では飲酒運転により一気に三人もの人が死亡した件。家族のインタビューには泣かされる。家族でしか知り得ない遺体の状況は、事故ならではの悲惨さだ。未だに飲酒運転が無くならない事実に信じられない思いだ。

そしてイスラエルの人質が拷問の末殺害されて、それをきっかけにイスラエルで大きな反政府デモが起きているというニュース。大統領のしらっとした説明にはプーチンのそれと重なるものがある。とても人間とは思えない。

こういう政治家達を諭すことが出来る例えば宗教家や哲学者はいないのか?どこの国にも優れた思想家がいるはずだ。

一方で大谷の活躍が毎日の様に報じられる時代。このアンバランス。

今、取り寄せた本を読んでいるが、絵門ゆう子という人の「がんと一緒にゆっくりと」というのは、体験者が書いていることもあって学ぶことが多い。誰もが直面する可能性があり、その時人はどうなるか、ということをリアルに書いてある。決して他人事では無いと思える内容。元NHKアヌンサーだったらしくその後女優としても活動していたらしい。闘病の末49歳で他界したという。このように丁寧な生き方が出来るのも平和ならではだと思う。

さ、完読しよう。

2024年9月 1日 (日)

喉元過ぎれば、、、。

これは奇跡ではないかと思うほど今回も台風はかすっただけで訪れてこなかった。全国的にもかなり認知されて来たらしい香川県の安全性。昨日の予報図を見て思わず笑ってしまった。周辺は全部雨雲に被われているのに、ぽっかりと香川県の上だけ穴が開いている。こんなのある?と言いながら晩ご飯。近県はかなり大きな被害が出たところもあるようだが、、、。

しかし予報は今日も一日中警戒せよと出ている。洗濯物が良く乾くほどの晴天だというのに。夫はいつものように嬉々としてプールに出かけた。あの恐怖心は一体なんだったのか。

夕食時にTVを見ていると今日は24時間TVということで、夫は一回目から地方の司会をしたというのを思い出す。で、萩本欽一物語が流れて少しばかり見ていた。もちろんあの当時の情景は覚えているが、今見ると驚くほど昔っぽい。当時はもちろん時代の最先端の映像だったはずが、今見ると百年前かと思うくらいダサい。当時のスターでも今の一般人よりダサい。それこそ数十年後に生きてる人が今を映像で振り返ると同じ事思うんだろう。

そこで思った。自分はどれくらいの未来だったら生きていたいのだろうと。丁度そう思ったところに空飛ぶ車を駆使する若い女性が暴走しているCMが映った。たかがCMだが、思わず「その時代に生きたい」と思ってしまった。今は荒唐無稽に想えることも多分実現していくんだろう。しかし、この願いはきっと無理。ただ生きていても空を暴走出来る年齢では無いだろう。ハハハ。想像は面白い。

しかし、この番組で欽ちゃん物語が放映されていて、あまりにCMが多くて途中でお風呂に入ったが、当時は世の中が彼を必要としていたんだろうなあと思った。才能もあっただろうが、時流に乗ったとも言えるだろう。彼から続くコメディアンもその時々の世の中が欲しているんだろう。個人的には「笑い」は大好きだが、今時のやかましいのは勘弁して欲しい。所謂バラエティ的なものは、どうもねえ。わが周辺でも昨今のテレビ番組に批判的な人は大勢居る。ということは全国的にも似たようなものだと思うが、こういう声って、制作側に届かないものなんだろうか。みんな必死に生きてるのは分かるんだけれどねえ。

今日は庭の雑草に余りにキレイに同化しているバッタを見つけて暫し見とれてしまった。姿形もこの虫は大好き。うちの孫べえはこんなちっちゃいのでもぎょっとして飛び退くからなあ。残念至極。

秋がそこまで来てるなあ。

2024年8月31日 (土)

雨台風来るか?

夜型人間だった筈が、夜調子が出ない。晩ご飯を例によってミキサーなど駆使して夫にはなるべく食べて貰うべく努力しているが、自分はどうも食欲が無い。寝込んでいる間に肉体改造しちゃったかな?良い方に変化したならそれは嬉しいけど。よく分からない。で、気分転換にと、娘をピックアップして買いものに出かけた。用心棒でもある。が、小一時間程度カートを押したら汗びっしょり。具合が悪い感じになってきて急ぎ帰宅。矢張りまだ無理っぽい。

しばし横になってからこうしてパソコンに向かっている。なんだかねえ。。。。

明日は相当な雨が降るようだが、我が家が床上になるってことは考えにくい。そもそもの基礎工事を道路より大分高く作ってある。ここに移住する前に住んでいた場所が水田といういかにも水が出そうな地名で、娘を産んで退院したその日にもの凄い豪雨になり、四階の親切な人が疎開させてくれて上から見ると、建物の下は海のようになっていて、ボートは出るわ、空にはヘリコプターが舞うわの大騒ぎ。幸い一階だった我が家に浸水はなく無事だった。それというのも、高松市が、歴史的に水害のあった地域ということで、かなり高い位置に市営住宅を建設したおかげだ。建ってすぐに入居出来て二年目の出来事だったから当時のお役所は先見の明があったということだ。近隣の団地は全て浸水の被害に遭い、多くの人が引っ越したと聞いている。

家を建てるに当たり一番にそれが頭にあった。以来四十八年住んでいるがこれまでは水害は無かった。が、側に川もあるし、想定外の雨量だった場合被害を被らないとは限らない。ちょっと緊張している。

それというのもTVは台風のニュースばかり。通り過ぎるまで安心出来ないという思いに駆られている。テロップでは「高齢者は避難」の文字がひっきりなしに流れる。

一応枕元に着替えや靴、携帯ランプを置き、玄関には諸々が入ったリュックを置く。停電が一番困るかな~?冷凍室はきっちきちに詰め込んだし、食べるものには困らないはず。

でも、肝心の元気が無い。どうなることやら???

2024年8月29日 (木)

ある女優の言葉。

薬嫌いの自分でも、薬の効用は知っているつもり。故に頂いた物はきちんと飲んできた。が、夜が怖いというか、寝付いたら途端に恐ろしい咳き込み方で目が覚めるが続いていたので、今日は又嫌な病院で咳止めかなんか新たに頂いてこようかと思っていたら、今朝になってなんだか一気に調子が良い。睡眠時間は6時間と出ているから少し少ないくらいだが、目覚めてからなんとなく気分が良い。が、ここで動きすぎると結果が怖いので、病院行きは止めて静かに大人しくしていることにした。暴走族おみっちゃんの名前返上か?

まあ完全とは言いがたいから、台風の間はこうした生活が丁度良いのだろう。この台風は天からの啓示か?

今パソコンを開いたらある若い女性記者が感銘を受けたと、岸惠子の自伝?の中の一節を紹介していた。それがナント昨日自分がここに書いたこと、そのまんま。が、岸惠子は御年91歳。自分よりは大分お姉さんだから、自分の人生における感想はチト早いかも知れない。

人生の大切なものを大急ぎで神様に返す日々

その自伝の中ではそんな風に現在の心境を綴っているらしい。そうとも言えるか。読んでみるかなあ、「91歳と5ヶ月」

経験したことの無いとてつもない物がやって来そうだ。

「経験したことの無い」災害予報を聞き始めて久しいが、今度は本当にそういう体感をするのかも知れない。のんびりの我が家でも避難場所が話題に上り始めた。とどのつまりはマンションまで逃げるか、ということに。

この異常気象のおかげで我が家の茗荷が数個しか採れなかった。これから先まだ生えてくるのかどうか?せっかく伸びた菊の花も蕾のママ枯れている。小さい庭に幅をきかせているのはやっぱり雑草だ。この嵐でますます猛々しく繁るのだろう。

飛ぶ雲のように時も流れて、驚くことにもう9月。なんという速さ。今年がもう終わっちゃう~~。ってことは、来年はいよいよ大台に乗る。同窓生達がわが12月生まれを羨ましいとよく言うが、これまで余りそれに対して実感が湧かなかった。しか~し。70代と80代では響きが違うのは確か。多くの友人が80代を名乗る頃12月までは逃れられる。って、それがどうだって?この年まで生きながらえ得たって事は勲章物だ。自然界の生物で自分の年を気にするものは人間以外居ないだろう。ただあるがままの命を生きて死んでいくだけだ。人間様にとってはこれは酷な宿命だ。ま、四の五の言っても先は知れてる。なるべく幸せ感を感じて生きていこう。

そういえば、今の次に来る時は、経験したことの無い時間でもある。刻々と新鮮な時が訪れているわけだ。とても新鮮とは思えない日常だが。。。今鳴いている虫たちも昨日と同じとは限らない。今宵は大合唱だ。

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